はてなキーワード: ブッシュとは
アメリカ大統領の若い頃の写真を一通り見てみたけど、漏れなくイケメンだ。強いて言うならトルーマン、アイゼンハワー、クリントンが童顔で正統派イケメンではないくらいだ。アメリカ大統領には容姿フィルターがかかってるよな。顔が全てでは無いが、容姿が人生や社会に与える影響がいかに凄まじいかを思い知った。以下はそれぞれの大統領に対する感想。ブサイクのくせに人の容姿を上から目線で評価していきます
絵なのか写真なのか分からないけど男前。でも、年取ってからの方がカッコいい
恰幅の良いイケメン。正直画質が悪くてよく見えない。
男前。
イケメン。おひげが立派
イケメン。いくつか写真があるが個人的にひげを生やした写真が超絶格好良い。
イケメン。おひげが立派
同上
イケメン。上述の例に漏れずひげ生やすとかっこよさが格段に増す
いかにも英国紳士という感じのおひげが立派なハンサム。レットー・バトラーを思い出す
面長のイケメン。引き締まった顔つきの他の大統領と比べると穏やかな顔つきで坊ちゃん的な印象
丸顔。格好良いと言うよりは愛嬌のある顔。ハリーだけにハリー・ポッターに似ている
・ドワイト・アイゼンハウアー
童顔。これも格好良いと言うよりは愛嬌のある顔
下ぶくれ気味だがイケメン
いかにもアメリカのスクールカースト上位って感じのイケメン。SF映画で陰キャの主人公を虐める役として出てきそう
唇厚いのが玉に瑕だけどイケメン
イケメン。
童顔。格好良いと言うより愛嬌のある顔。優しげな印象を与える。
優しげなイケメン
ロシアにとって許容範囲の政権が出来るまで、侵攻と虐殺を繰り返すだけかも知れない。
コリン・パウエルはイラク戦争に反対した後、ブッシュに「我々はイラクに勝つだけではなく、統治しなければならない、その負担の大きさをお分かりになっていますか」と言ったが、アメリカがマシな国だからその負荷が生じるのであって、別に殺してレイプして飢えさせて放置、でも構わないわけである。十九世紀の戦争はそう言う戦争だった。
ロシアの侵攻を招いた時点で、ゼレンスキーの外交政策上の失敗は失敗として認識されるべきだと思う。別にロシアが悪くないと言う話ではない。
ただ、アメリカがキューバ領内に帝国主義の遺物としてグアンタナモ基地を保有しているように、フランスがヨーロッパではなく南太平洋で核実験を行うように、脛に傷を持たない国は無い。繰り返すがだからと言ってロシアを正当化しようと言う話ではない。
BSフジのニュース番組で、駐日ロシア大使のガルージンは、小野寺元防衛相に対して、「イラク戦争はどうなんだ?日本政府はあれを支持していたではないか」といかにも外交官的「ああいえばこう言う」の発言をしていたが、それはその通りなのである。大国が疑念を持ち、疑念を晴らすための適切な行動をとらなかったため、イラクは侵攻を受けた。もちろんフセインの言動とゼレンスキーの言動は異なるが、基本構造は同じである。イラク国際戦犯民衆法廷はブッシュとブレアを戦争犯罪人として断罪している。小泉純一郎も一部においては有罪とされている。
少なくとも小泉純一郎を泳がせている私たちに首尾一貫性が欠けていることは間違いない。
だからと言ってそれをどうにかしろと言う話ではない。それが国際政治の現実だと言うだけのことだ。
その現実に即して言えば、少なくともエリツィン政権下、プーチン政権下でNATO不拡大の要求を内々でもロシア政府が行って来たのはロシア側にとっては事実であって、宥めの言葉もあったと解釈する方が自然だ。ロシア側がNATO拡大を問題視しないはずが無いし、「まあまあ。そこまでうちらは積極的ではないし」くらいのことは実際に西側は言っている。重要なのはソフィズム的な外交文書の有無の話ではなくロシア側がそう解釈しているという事実である。
NATOはむろん対ソ連包囲網として結成されたもので、単なる多国間安全保障機構ではない。この期に及んでも、ドイツは国防予算TOP10にも入っていない。日本はもとより、韓国よりも額が少なく、海外領土を持たないドイツがいかに安保ただ乗りを続けてきたかの証左である。NATOがあるからこそ、ドイツは安保と言う公共インフラを重視せず、むしろそれに負荷をかける政策を続けてきた。この意味だけでもNATOの存在は冷戦後はネガティヴなものであったのだが、アメリカはその廃止に踏み切れていない。単なる多国間の安保機構ならばロシアを入れても良かったはずだが、エリツィン政権においてすらそれはクリントンが拒絶している。
NATOの拡大は、加盟国が増えれば加盟国全体が戦争に巻き込まれるリスクを負うことを意味するのだが、アメリカがけつもちをしているため、そのリスクが曖昧になってしまった。ゼレンスキーはそこを読み違えたと言うべきだろう。
ゼレンスキーは今になってNATO非加盟もロシアとの交渉であり得ることを言いだしているが、侵攻が現実になってはっきりしたことは、西側は核リスクを冒してまで実際に手持ちの地上軍を投入する意思は無いと言うことであり、フォルトラインの焦点となっているウクライナを、実際にはNATOに入れるつもりはないということである。場合によってはアメリカはNATOに引きずられるくらいならば、NATOから脱退するであろうし、NATOにそこまでの安全確保機能は期待できないということである。
ゼレンスキーは踊り踊らされて、はしごを外された形になっている。もちろん意外と上手く踊っているのは確かである。ロシアは苦境に立たされるであろうし、場合によっては撤退に追い込めるかもしれない。しかしウクライナは戦場になり、多くの国民が殺され、それでいて賠償金は一ルーヴルもとれないだろう。クリミアや東部の回復もままならない。ゼレンスキーは英雄であるかもしれない。しかし司馬遼太郎が言った通り「英雄を必要とする国は不幸な国」なのであって、ただのぼんやりとしたコメディアン大統領として統治をまっとうできなかったゼレンスキーはやはり失敗した政治家なのだ。
大戦は小国の暴発で起きることが多い。善悪の観点からではなく、国際政治はそうした暴発をどう管理してゆくべきかと言う視点で考えられるべきだ。
非民主主義=独裁の悪いところは、世代交代をシステムに組み込めないから、必ず今回のように、独裁者がいよいよおかしくなるところまで行ってしまう。なんなら内戦勃発も、独裁者就任時点から100年200年の将来では確定している。
プーチンロシアはそこのところでマジでヤバくて、もう老人になろうかというのに大統領権限を強化したり任期を延長したり、後続に繋ぐってことをしてこなかったから、ぶっちゃけ近々ヤバいことになるのは最初からわかってた。
これが日本やアメリカだったら曲がりなりにもクソ宰相は交代するんですよ。森も小泉も安倍もブッシュもオバマもトランプも、交代はした。
れいわの、国会決議への反対ね、あれ大層非難されているけど、経緯認識としてはだいたいあってる。と言うか、あの激動の89年をリアルタイムで経験した人たちなら、言わずもがなのことだから、却って文献資料に残ってないため、「NATO不拡大方針の合意」がロシアの陰謀扱いされてしまってるのかなって思うわ。89年から92年までの新聞、読んでみて。むしろそう言う解釈がデフォルトだから。ゴルバチョフがそれを求めて、ベイカー国務長官が「まあ、そうよね」と発言して、そのうえでのマルタ合意ってのは順を追っていけば分かるようになっている。もちろん他国の主権を、ボス間で合意する内容だから、正式に文章として組み込まれるはずがない。
ゴルバチョフとブッシュとの間で問題になったのは、旧東欧圏の扱いだけども、NATO不拡大の方針自体は、ソ連が要求を出して、アメリカが「まあ、そうね」になったからこそ、マルタ合意と言うカタチになっているのだ。
キューバ危機も、あれは逆にアメリカによる主権国家への武力恫喝の例だけども、ケネディとフルシチョフの間で正式な文書として合意があったわけではない。そんなものが外交文書として残るわけがないのだ。
ロシアの側から見れば、WTO諸国に手を突っ込まれて、バルト三国に手を突っ込まれて、旧CISにまで手出しをされた、どこかで歯止めをかけなければならないとなるのは「良いか悪いかは別にして」、当たり前ではある。戦争の多くはそうした予防戦争として発生した。
であるから、平和を望むのであれば、主権国家は「疑いをもたれない、巧妙で丁寧な外交」が必要になるのだが、能力的にそれが出来ない国もある。スイスが永世中立国を続けていてベルギーが止めたのは、ベルギーは地形が平坦であるため、自力で守り切れないからだ。つまり列強としては、中立国が他国に屈さずに中立国として振舞う能力があるのであれば、得にも損にもならないから放置しておいてもいいのだが、無能力であれば、別の列強に占領されて、敵を太らせる餌になりかねないから予防として占領しておくか、となりやすい。
ウクライナはこの、ロシアの疑心暗鬼を宥めると言う外交タスクに失敗した。それはやはりウクライナのせいなのだ。予防戦争に手を染めていない列強が歴史上、ただの一ヶ国もない以上(直近ではイラク戦争は予防戦争の典型例)、ウクライナは①ロシアに配慮した外交政策を採り、疑心暗鬼を解く必要があった。②国防力を高めて、侵攻した場合のロシアの見積もり損失を高くしておく必要があった。のいずれにも失敗したと言えるからである。これは法理的な話ではなく、能力の問題、力学的な話である。
なんでも、「定点観測をしていてたらドイツをたたいときゃいいだろと雑な発想している奴がいてプゲラ」的な雑な反応をしているヤカラもいるのだが、ドイツが責められるべきなのは、ロシア弱体期に率先してEU拡大、NATO拡大を推進したのがドイツだからである。ドイツとしては国境を東に移したいと言う欲求のなせるわざであったのだが、平和を毀損する行為であったのは間違いない。平和とは弱者の犠牲の下に築かれた強者間の合意に過ぎないからである。
これは平和主義者が、異様に共産政権などの圧制下で苦しむ人々に対して「ウイグル話法」などと言って嘲笑的に振舞い、冷酷である理由である。基本的には彼らは、「フランス革命前の穏やかに暮らしている貴族」であるに過ぎない。
私はドイツとウクライナを批判したし、ある意味、ロシアを一部免罪した。これは構造的な話であるが、起きてしまえば、表徴として問題を処遇するしかない。これはNATO拡大に関して確たる定見が無かったアメリカの外交的失敗のせいでもあるのだが、この表徴的に言えば「だからと言って侵略が許されるわけがない」と言うのは現代の国際法では当たり前の話だ。ここに今回のれいわの行動の問題点がある。
いったいどこの国の政党のつもりなのか、と言うことだ。言ってみれば「情状酌量の余地がロシアにまったくないわけではないにしても」、ロシアが現在進行で侵略をしているのは事実であるし、日本の政党がそれをかばいだてする理由は皆無なのである。異常なのは、れいわがこの件だけに限って極端なプラグマティストとして振舞っていて、ウクライナの国民真情としては列強に合意があろうとなかろうとも、数百万人の犠牲を強いたロシアとは「距離を置きたい」と思って当たり前だ。NATOにすがりたいと思って当たり前だ。
これはまさしく、平和主義者が人権侵害国家の圧政の被害者に対しては極端にサディスティックに振舞いがちだと言う典型例であって、国益の観点から言っても、いまさら表向き、ロシアに同情的な姿勢を示しても日本には何一つ益がない。構造に基づいてドイツを批判するのは、個人の資格で考察としてやるか、あるいはG7の席でないないにやるべきであって、日本国の損得勘定から言っても、れいわの行動は日本の国益を害している。そこが問題なのである。
中東問題より由々しきは即ち、この邦題にあるのだ。ズバリ「シリアナ」、まさしくズバリである。
今年いっぱいはテロとの戦い以上に含み笑いとの戦いが容易に予想される。
私は笑いを抑えられるような器用にはできていないから、いっそう深刻である。
たとえば、駅前の大画面なんかで不運にもこの映画の予告と出くわす。
最後に決め台詞よろしく男の野太い声で「・・・シリアナ」とシメて来られることは想定内であるので、
なるべく別のことを考えるようにする。人の感情は喜怒哀楽。とにかく自分を喜楽から遠ざけねばならぬ。
モトが深刻な映画なので、テロリストのことなどを怒ってみたり、
いやいやブッシュがいけないのだなどなど思ったりしてみる
・・・のだが結局「・・・シリアナ」『ぶほっ』、である。たぶんいくら気張ったとしても無駄であろう。
この問題作は映画館のスタッフにもかなりの重圧を課すことになる。たとえば、麗しき受付嬢に向って
「あのぅ、シリアナを予約してもいいですか?」
等とのたまうのはとんだ痴れ者である。男の受付係に言い放つのは豪の者だ。
「シリアナ=しりあな」となってしかるべき連想ニューロンが腐り切ってしまっているのだから始末のつけようがない。とりあえず 「シリアナでございますね?」
と確認しなければならないのだが、返事は「はい」では済まされない。
人数確認を怠った受付嬢に非がある。だが「二人で。」のシュールさに耐えられるようになるには受付嬢も並々ならぬであろう。
そんな苦難を経て公開日にこぎつけると、スタッフの戦いも新たな局面を向えそうだ。なにせ問題作である。あっというまに満席だ。
「シリアナの方は大変人気となってございまして本日は・・・」 「あっ、じゃあナルニアにします!」