はてなキーワード: ブサヨとは
赤松さんのことをレドマツって呼ぶのを見かけて思い出したんだけど、安倍さんのこともわざわざカタカタでアベって呼んだり酷いときはゲリゾーって呼んだりしてたよね。
本人は権力(?)と戦う闘士(?)のつもりなのかもしれないけど、性格の悪いいじめっ子にしか見えないよ。
内輪で大ウケなんだろうけど、外から見たらドン引きだよ。どんなに立派なお題目を唱えていても、絶対に仲良くなれないな、っていう壁を感じる。
共産党の志位さんとか立憲民主の枝野さん(党首かわったけどやっぱり枝野さんのイメージが強い)とかがそういうあだ名で呼ばれることないよね。
「えだのん」ってあったような覚えもあるけどあれは愛称の類だし、「アベ」みたいな悪印象はなかった。対比するなら「安倍ちゃん」かな。
やっぱり左翼に特徴的なことのように見えるんだよなあ。
集団に対する蔑称はまあお互いある。良くはないけどお互い様って感じ。
表現の自由戦士に対するツイフェミとか。これは右と左の対比なのか良くわからんが。
それにしたって左翼側が使う言葉のほうがよく見かけるし、先に生まれてるみたいだけど。
ていうか表現の自由戦士を蔑称として使うの、表現の自由を貶める立場なわけでそれで良いんかな、っていつも思ってる。
何にせよ、特に個人に対するイジメじみたあだ名つけって左翼特有のものじゃない?
でもあれワシントン・ポストが書いたのを面白がって使ってただけだから、ネトウヨ発ってわけでもないんだよな。
ルーピーは響きがちょっとかわいくて、あんまり攻撃的じゃないよね、と思うのは私だけかな?
左翼よりの人で、そういうのを苦々しく思ってる人はいないのかな。いたら是非名乗り出てほしいし、いなかったらかなりヤバい集団だと思う。
そういう俺は労働者で資産もないから思想的には左翼よりで、なんなら政治的な活動にも参加したい気持ちはあるんだけど、最初に言った通り「仲良くなれねえなあー」って気持ちが強いのが本音です。
これは多分「ゴーマニズム宣言」で、愛国心によらない”市民活動”をすることで自尊心を満たす自称左派を、本当の政治的信念を持つ左翼と差別化するために「サヨク」と称したことで一般化したんじゃないかな。
「ネトウヨ」「ブサヨ」とかと同世代の言葉というか、ネットで相手の顔が見えない状態で政治論争をするようになった頃に生まれた言葉だよ。
年代で言えば概ね1990年代からポツポツ登場して、ネットがより広汎に普及した00年代辺りから、派生形が大量に発生し始めた。
個人サイトとかが次々閉鎖しちゃって、今では殆ど遡って調べられないけど、当時からそういう表記はあった。
カタカナが差別的な扱いを持っていたのではなく、そもそもは差別化のために生まれた表記。
それが更年期のひとに、「更年期」ってことだけで猛反発くらったので
更年期女性が中心であろう反月曜日のたわわの怒りを買ったけど、
更年期のしわわの最大の反省点は「更年期のしわわ」がおもしろくないことは明白だ。
月曜日のたわわ
と
は
わわ
ひいてはユーモアがない。これが致命的。
という疑問には「必要」と答える。
なぜかというと人を傷つける言葉が不快な人よりそれを面白いと思う人が多い分にはそちらのほうが勝つからだ。
誰かがどれだけ傷ついたとしても関係はない。みんな他人の痛みより自分の面白いことのほうが大事だから。
これはとくに思想信念関係がないところが平等であり残酷なところだ。
たとえばネトフェミ、ブサヨ、ネトウヨ、ここいらはすべて自称してきたわけでも明確な命名者がいるわけでもない。
最近でいうとチー牛。これは命名者がいるし、あまつさえも明確なモデルもいるがもう誰も覚えてはいないし定着している。
チー牛も反対者はいたし残酷だと声はあがった。実際命名者はけっこう痛い目に遭っている記憶がある。でも、結果、そこそこの定着をみせてはいる。
なぜならチー牛という言葉が多くの人に腑に落ちてなおかつユーモアがあるからだ。もちろんおもしろいおもしろくないの個人差はあるが、多数の意思としてチー牛はおもしろくて使いでがいい言葉として現在でも使われている。
40代以降の女性が「月曜日のたわわ」の広告に不快を示しているという記事から、「更年期」への連想。そしてたわわの反対として造語であるしわわ。どちらも共通のキーワードは老い。単刀直入にいうと芸がない。プレバトの俳句の添削的にいうなら同じ意味の重複でありみるべきものがなさすぎる。
いいたいことや方向は正しい。だけど完成度が低いとただ不快だし反論をくらうと一気に沈んでしまうという悪例として胸に刻んでおきたい。
そう考えるとネトフェミ以降、ああいう集団を呼ぶいい言葉がないままだし、ネトフェミは個人的には的確ではあるがおもしろさがない。
お悔やみではなく「クソ野郎がやっと死にやがった」と書いているブサヨに対し、ネット右翼達が「品性が低い!」と鱗滝さんみたいになってるが、確かに嫌われていた左翼政治家の訃報に対しての右翼のコメントって「クソ政治家だったが、死んだらしいから一応お悔やみの言葉は述べてやるよ」みたいな、全然心のこもらないお悔やみ文が多いよな。
まあ俺自身は、「はっはっはー、やっと死にやがったよwww」って感じのブコメを書いてから、「いや待て、こいつもう死んでるんだしこれ以上罵倒しても意味ない感じだな」と思い直して、無難な文章に書き換えたのであった。 死んだ奴を更に呪っても無駄だろっていうか、呪いパワーは死んだ奴の方が強い感じするし、呪い返しで負けそうな気がするしw
都議選はそこそこ支持を集めるかもしれない。
しかし、オリンピックの楽しさを充分に味わった国民から、そして未来の日本国民から、日本共産党は、侮蔑の眼差しで睨まれることだろう。
おいおい、俺はブサヨではないぞ。むしろ、共産党の政権批判に期待を持っている者だ。
ここにきて説明しきれなくなってきたが、そもそも日本共産党がワクチンを嫌ってきたことも、やむなしと考えている。ワクチンを忌避してきたことは、弱者救済という運動論的には理解できるからだ。
だか、オリンピックを争点にした事実は何をしても消せないし、永遠に日本共産党を苦しめることになるだろう。そうとしか思えなくなってきた。
何をやってんだよ、執行部は。
お友達に貸していたショック・ドクトリン(上)を回収した際に、「面白かったので下巻も読みたい」という話にならなかった。
リベラルな考え方の友人であれば、当然コロナというショックで何が変わったのかを議論してくるかとおもったが、そういう話は一切なく、
「この本、AmazonでみたらKindleになっているのですね」
としか言われなかった。
ちょっとまて、ショック・ドクトリンがKindleになっているかどうかが、何か問題なんですか?
そして話はみずほの障害のことになり、みずほのシステムのことなにか知らない私には何もいうことができず、
「トップがシステムに興味を持っていないからこんなことになるんだ」
というその人のご高説を30分ほど聞くことに。トップが悪い、で物事全てを終わらせることは、ショック・ドクトリンで戒められていた「思考停止」なのでは?
とその友人は主張するので、ググってでてきた留学サイトのまとめに州立で授業料だけで年間150万円以上になると書いてあるいう話をすると
「アメリカの(高額な)学費に日本が近づいているという話をしている」
とキレられた。なんで私が怒られなきゃいけないの?
ああ、これがブサヨってやつか、と実感し、もう二度と会わないと心に決めたのであった。
党派制を持ったスキャンダルの時とか、ブクマで「ネトウヨダンマリwww」とか「ブサヨ息してる〜〜www」みたいな煽りがあるけど、別にそれはええやんと思う。
例えばブサヨなら森喜朗の女性を蔑む失言には厳しくやるけど、社会学者のデマにはダンマリかもしれない。ネトウヨなら韓国軍のレーザー照射にはキレるけど、痴漢被害者にはダンマリかもしれない。
人はダルシム身内の過ちにはイマイチ甘くなってしまうのはTwitterとかで何回も見ていると思う。相互に監視しあい、炎上させあうことでどちらもむちゃくちゃ出来ず、インターネットの平和は保たれているのだ。
党派制を持ってダンマリするのは仕方ない。例えて言うならそれは弁護士になぜ被害者の気持ちに寄り添わないのかとか言うようなものなのだ。そんな義務は全くない。
私が中国のウイグル問題や周辺国への侵略的行為など問題視し批判しはじめてから早十数年の歳月が過ぎました。
他国、とりわけ中国と韓国を批判する人間是全てネトウヨ也と息巻かれていた御仁方、本日もお元気にされてますでしょうか。
さて、私達の出逢いと致しましては、私が中国の脅威を口にすればネトウヨの妄言だの中国脅威論()だのと小馬鹿にされたところからでした。ネトウヨは低所得層の中年が中国や韓国の目覚ましい経済発展に嫉妬してるだけと言ううんこがなぜか定説となったり、本当に輝かしい良き時代でしたね。
ですがそれがここ数年、世界的に中国の悪事が問題視されてしまうと言う情勢となりまして、大変嘆かわしい事に御仁方はすっかり変わられてしまいました。
今日にはもはや中国の脅威を批判するだけの人間をネトウヨと罵る御仁は居ないばかりか、左派は昔から中国を批判しているとアリバイ作りさながら鞍替えされる様や、何故だかネトウヨと言う人間は『トランプ元大統領と安倍元総理を盲信するあまり彼らが行いたかった独裁政治を実現させている中国を嫉妬で叩いているだけの存在』とよくわからない時空を超えた糞ニッチ集団をネトウヨとされる様が見られ、散々ネトウヨと認定して頂けた私と致しましてはそのブレ様、大変遺憾に思います。
過去のネトウヨの定義ではネトウヨを叩けなくなったからと言ってフレキシブルに且つセレクティブにネトウヨの定義を変え、過去ネトウヨとした人間を一方的に見棄てるのはあまりに身勝手ではないでしょうか。
確かに御仁方がネトウヨを批判すると言う芯だけは強く感じられますが、文言そのままに解釈を変えて運用すると言うどこかで聞いた悪事に御仁方も手を染められてしまったのでしょうか。
どうか昔のように中国批判はネトウヨと息巻いてくださいませんでしょうか。
あの頃のように世界が息巻く中国脅威論をネトウヨと見下してくださいませんでしょうか。
どうか糞ニッチ集団と心中なされる前に、ご再考をよろしくお願い申し上げます。
コロナ禍ではありますが、これが明けた際には上手い酒でも酌み交わしましょう
親愛なるネトウヨより
どうも。皆様はじめまして。
具体的にはWEB、紙雑誌でライティングの仕事、たまーに版下記事を丸っと任せていただき、DTPの真似事や簡単なデザイン関係のお仕事もしています。
簡単に言うと、記事ライターというやつです。特定されないよう文体を変えているので、文章に変なところがあってもご容赦を。(金とるわけでもない文ですし)
「憎悪クリエイター」って何やねん?と思われたでしょうが、先日増田で見かけた単語がいいなあ、と思ったので使わせてもらいました。
簡単に言うと、今回タイトル文に使った「遊郭編のタイトル炎上」だとか、「LGBT問題」だとか、「男女差別問題」だとか、「政治屋への批判」だとか、ジャンル問わず、『分断と憎しみを煽る記事』を作っています。
ちょっとジャンキーな言い換えをすると、「レスバトルの火種になる記事」のクリエイターです。人と人の憎しみを増幅させることで昼飯を食べています。
私を含めた、そういう人達のことを、私は勝手に憎悪クリエイターと定義させていただきました。
(まあ、皆様なんとなーく、我々の存在を感じ取っていたとは思うのですが…)
貴方がイラっとした記事や、ジェンダー問題や環境問題とか、正解がないのにも関わらずSNS上での議論が紛糾した問題を思い浮かべてください。
簡単に言うと、情報をある程度恣意的に切り取り、意図的にSNSで炎上するように仕向けた記事を沢山書いて出荷しています。
その方が金がいいから…ではありません。
己の政治主張を通すため…でもありません。
私は元々、ペットのお役立ち情報とか、ネコやインコの記事をメインに書くためにこの副業を始めました。
しかし、いつの間にかネコちゃんやインコが可愛い!という記事よりも、
「アイツがやらかした」だとか「こういう差別が問題になっている!」という記事の方の仕事をいただくことが多くなり、段々そちらがメインになりました。
以上です。
私は過去、妊婦の問題や貧困問題なんかを、さぞ苦しんでいる人々がいるように書きました。
しかしながら、別に私自身は子育てに苦しんでいる人を救済したいとかないですし、逆に苦しめばいいとかもありません。
「AT運転はダサいという声が」といった記事を書けば、勝手にSNSで議論になって盛り上がる、と言えばわかりやすいでしょうか。
炎上したら、しめたものです。閲覧数の多い記事が書ければ、次のお仕事につながるからです。
あと、謝ります。
遊郭編についての記事は書いてません。単に興味がある人が多いだろうから適当に使わせていただきました。悪しからず。
まあ遊郭編についても同じことです。自分もああいうタイプの記事を作ります。動機は需要があるからです。
元の漫画だとか、子供の教育をこうしたい、とかはありません。結果は求めていません。
例えば我々憎悪クリエイターが「ネトウヨやブサヨのここがおかしい!」などという記事を書いたとして、実際に政治主張が左向きや右向きかと言われると違います。
つまり、閲覧数そのものが目的なのです。どんな記事だろうと、読んでもらえなければ意味がありません。
別に炎上の結果企業が叩かれようが、世界が正しい方向に向かおうが、政治家が引退しようが、関係ありません。
人が記事を引用してリアクションすると、勝手に拡散してくれて結果的に第一目標の「閲覧数を増やす」というのが達成される確率が高い。
それだけの話です。リアクションの内容はどうでもいい。賛同でも、否定でもいい。
では何故、「憎悪クリエイト」が多く行われるのか?需要があるからです。
win-winなのです。
どうせ、多くの人は記事の中身まで読みません。勝手にタイトルから「こういうことを言おう!」と決めてくれます。
あります。
憎悪クリエイトを行う時に重要なのは、「なにが嫌なのか理解すること」です。
だからこそ私のような人間は多くのコミュニティに参加しています。
漫画だのアニメだのゲームだの作品の感想を楽しく言う場所だとか、ガールズがちゃんねるしている場所だとか、他にも海外の掲示板だとか。一例ですが。
皆様が何を楽しみ、何にイラっとするのか。わからないと正しく憎しみを煽れないので、ちゃんとコミュニティに合わせた感性を忘れないようにしています。
我々が皆様にわざと勘違いさせていることなのですが、メディアは貴方達ユーザーと同じようにメディアを閲覧することができ、同じ感情を持つことができます。
なにが好きなのかわからないと、その好きなものをけなせない。勘所がわからないのです。
論理を破綻させ、倫理を捻じ曲げる。上手くそれをやることが憎悪クリエイターの腕の見せ所です。
・最強のA案
「見ない、反応しない」
これが答えです。
憎悪を煽るような記事は見ない、そして「取り上げている対象」を叩かない、「記事そのもの」も叩かない。
例えば森氏の失言問題においては、森氏の記事そのものを見ない、森氏の家族を陰湿に叩くメディアを見ないということです。
貴方たちが見た時点で我々の実績になります。アクセス数が伸びれば、当然ながら同じような記事を書きます。
メディアは人の心がないから加害者の家族を追うのではなく、人の心がわかるからこそ加害者の家族を追跡するのだということを認識するべきです。
政治は税金が絡むので市民が監視者になる必要があるというお題目がありますが、そういうお題目を最大限利用するのが我々憎悪クリエイターです。政治だろうが芸能だろうが教育だろうが、同じことです。
閲覧とリアクション。それを得られるならば、できることはやります。
例えば児童が読むものに遊郭編とつけるのはいかがなものか、とか。
倫理や正義、正しさなどというものは我々にとって利用価値の高い道具です。
とはいえ、皆様には何かを叩く権利があります。義務ではありませんが。
犯罪行為や反倫理的行為を叩く行為は、運営や警察がカバーしきれないネットワークにおいては必要な暴力機能でしょう。
100日後に死ぬ爬虫類の叩きについては、某社のアレとかでご理解されているように、我々職業的な憎悪クリエイターからは離れた案件になります。
つまり、「感情面と経済的合理性から叩く意味がないもの」を叩く行為を行えば、それは我々憎悪クリエイターの手から離れた叩き行為です。
ネット上でものすごく愛されているものを叩いてみてはどうでしょうか?
利害関係的に誰もが損をする。そういう対象を叩けば、最初のうちは我々の意表をつく行為です。叩く対象がなんでもよいのであれば、そちらを推奨します。
憎悪クリエイターの利用者は多くの場合、怒りをぶつける相手が欲しいだけです。
憎悪そのものが目的であり、その結果としての改善を望んでいる人などほとんどいません。
貴方達が議論している「すぐに解決しない問題」は我々の昼飯代程度の金のために作られた問題だということです。
色んな記事を書いてきました。
女性差別を失くそうという記事、フェミニストがウザいという記事、ヴィーガンになろうという記事、ヴィーガンがウザいという記事。ナチスは正しいという記事。ナチスにならないためにはどうしたらいいのかという記事。
アニメや漫画の規制を促す記事。漫画やアニメーターの保護を訴える記事。弱者を守るための記事。弱者を利用する記事。
全て、憎悪を煽るためです。憎悪は構造上、金を産みやすいのです。
巨悪がいて、情報を統制している、などというファンタジー世界は存在しません。
貴方達の需要に応え、私達憎悪クリエイターによって安い金で作られているのが貴方達が社会問題や命題だと思っていることです。
(あ、でも某広告代理店が「年金受給者」と「若者」の対立を煽ろうとしていたのはガチです。長期目的は知りませんが、かなりの予算が動いていました)
何故憎悪クリエイターが生まれるのか?需要があるからです。貴方達が私達を産んでいるのです。
貴方達は自分のスタンスやポリシーに理解がない人間を叩くことを常に望んでいます。
論理の破綻を見つけるのが嬉しくてたまらない、知識をひけらしたくてたまらないのが貴方達です。
我々を消す方法は、「見ない、反応しない」です。そして皆様にそれができないのは、私達が一番知っています。
私は、少し疲れました。私の言いたいことが皆様に伝わり、この記事が誰にもリアクションされず、誰にも見られなければ私の勝利でしょう。
しかし、私はきっと勝てないでしょう。