はてなキーワード: フランクとは
俺は小さい頃からずっと医者になろうと思ってた。最近知ったが、幼稚園の頃から思っていたようだ。ずっと医者になりたいと思って、出来もしない勉強を騙し騙しやって何とか大学に入って、今、医学生をやっている。世間では頭が良いと言われるレベルの所に通っているが、世の中には本物の才能を持つやつは沢山いる。そんな奴らに比べたら俺なんかミジンコでしかない。幼い頃からそんな奴らばかり見てきたので、ある種の学歴コンプは深く抱えているかもしれない。俺が、医学部に入れたのも親がくれた環境のおかげでしかないのだろう。
愚痴ってしまってすまない。本題に入らなくては。そんな俺だが、矛盾しているかもしれないが、ずっと何故医者になりたいのかが自分でも分からなかった。しっくり来る答えなどなかった。過去の自分の期待を裏切らないよう、自分にだけは負けられないと強迫観念にだけ突き動かされて入ってしまったのだ。入学するまでは、勉強とゲームばかりしていて余り深く考えてこなかった。勿論、考えうる限り理由は色々あると思う。
1番一般的な理由で、面接でもこれを答えておけば丸い。自分も医師の親父を尊敬しているし、それも目指した理由の一つなんだろう。だがきっと、それだけじゃない。俺は決して、親父を追いかける出来の悪いロボットなんかじゃない。
それもあるだろう。医師の収入は実際にはイメージ程高くはないが、世間全体の平均からいえば高いといえるだろう。激務ではあるが。更に社会的な地位も極めて高い職業なんだろう。これは、お金では買えない価値であるし十分目指す理由になりうるだろう。だけどやっぱり、それだけではないのだ。小さい頃の自分がそんなことを考えているとも余り思えない。
いよいよ、現実的に自分が医師になることが迫りつつある。大人になって、ならなくてはいけない気がしてきて足りない頭で必死に考えた。考えて考えて考えて、振り返って振り返って振り返ってようやく気付いた。
俺は、きっとただ怒っていただけだった。
全員が代替可能なパーツでしかないし、世界にとってかげかえのない人間などいない。俺も、お前も、死んでも何も変わらない。何も残りはしない。何も得ない。現実問題、お前は世界に何か爪痕を残したか?胸を張って己の価値を証明できるか?俺には出来ない。俺は自身をそうは思えない。
俺はそう思うと無性に怖くなって震える日を過ごした。白状すると今でも怖い。死ぬのがたまらなく怖い。死ぬことそのものではなく、無のまま朽ちていくのが怖い。結局、俺はそこらの虫や石や草となんら変わらないと認めてしまわなければならないのがたまらなく怖かった。
また、俺はそう思うと無性に悲しくなった。だって医師を目指す意味もない。人を助ける意味や価値なんてない。結局死ぬのだから助ける意味はない。助けられても、そいつは、何も残さない。そいつは何も得やしない。無を幾ら助けたところで、俺自身の価値があることの証明にもならない。極論、死ぬのが遅いか早いかの違いでしかないなら、何のために救わねばならない。
俺はそんなことを思ううちに憤りを感じた。そんなことを認めてそんなことが正しいなら、現実はあまりに冷たくて残酷だ。
だが答えは見つからない。世の真実とやらは一向にわからないし、誰も見つけてないし教えてくれないようだ。
思えばいつもそうだった。世界は俺に何一つ解答を与えてはくれなかった。与えてくれたのは解釈だけだった。細胞分裂がどうだとか、Wntシグナルでがん細胞がどうだとか、そんなものはhowやwhatであって、何故俺はそもそも死ななければいけないのか、というwhyには誰も教えてくれなかった。何故という根本的な疑問の解答はどこにもない。俺達は不自由だ。何故死ななければならない。何故産まれを選べない。何故、顔も頭も身長も親も遺伝子も環境も選べない。確かに士農工商の江戸時代とかに比べたら、俺達は幾分自由になったかもしれない。だが依然として不自由だ。人生は無に縛られている。その上こんなにも思うようにはならない。
何故必死に生きていかなければならないのだろう。自分が楽しければそれでいい?そんなことはない。なら、麻薬にでも一生浸かっているといい。脳にせっせとタピオカでも詰めておけばいい。俺の人生は決して、俺の脳が動いてドーパミンを出すだけのものではないはずだ。それだけではきっと駄目だ。きっと何か意味がある。フランクフルは人生の意味を作るなとか書いていたが、もうでっち上げでもいい。救われるに足る理由が欲しい。
俺達の今日まで生きてきた苦しみを、泥だらけの人生を、家族や友人から貰ってきた沢山の想いを無駄だったと言わせてなるものか。無の不自由に屈してなるものか。
確かに人生で多くのことは変えられない。過去は変えられない。未来はわからない。
それでも、死ぬ最期の瞬間まで常に自由でありたいと思う。真に自由な自分の意志で決定して抗いつづけたいと思う。なけなしの自分を握り締めて、いや握り潰して戦いたいと思う。俺にも、お前にも確かに価値はあるのだと叫びつづけたいと思う。その為には、やはり病気は邪魔だろう。満足のいく死に方ではないだろう。納得のいく結末ではないだろう。想像してみてくれ、ある日、末期の膵臓ガンで死ぬしかないと告げられたら。たまらなく悔しくて、怖いと思う。凄い自分がちっぽけで虚しく感じるだろう。何で俺達がそんな目に会わなければならない、理不尽だ。そんな結末は仕方ないね、で済んでいいわけがあるかよ。俺が楽しくて、お前も楽しい。それすら許されない世界なんか憤りしか感じないだろう。だからきっと医者になることを決めたのかもしれない。
いないだろうけど、ここまで読んでくれた人、ごめんなさい。酷い文章だし全く持って意味不明で、厨二病で──恥ずかしい。
もう、忘れてくれ。
ロンドン:ベタだが名所多数。ビッグベン、バッキンガム、セントポール、ウエストミンスター、ロンドン塔、タワーブリッジ、大英、ナショナル、ハロッズ等々。
マンチェスター:何もねえ
リバプール:何もねえ
カーディフ:何もねえ
エディンバラ:何もねえ
グラスゴー:何もねえ
パリ:治安最悪、汚ねえ。でもルーブル、オルセー最高。エッフェル塔、凱旋門、ノートルダムは焼けたけど、ヴェルサイユ、モンマルトル、シャンゼリゼ、く、悔しいけど好き。
モンサン:遠い
マルセイユ:汚ねえ
ボルドー:最高
トゥールーズ:汚ねえ
カルカッソンヌ:広い城だけ
ニース:最高
カンヌ:まあまあ
ベルリン:壁壁壁
フランク:何もねえ
ミュンヘン:オクトーバーフェスト、クリスマス、季節だけかよ。ノイッシュ。
ハンブルグ:何もねえ
飯は肉しかないのかよ!
ミラノ:最高
ローマ:汚ねえ
フィレンツェ:最高
ヴェネツィア:最高
ナポリ:汚ねえ
シチリア:最高
ジェノバ:何もねえ
トリノ:何もねえ
ピサ:塔
アマルフィ:最高
チンクエテッレ:最高
マドリー:バルセロナの後だと今ひとつもレベルは高い。プラド、ピカソ。
セビーリャ:最高
マラガ:最高
グラナダ:最高
コルドバ:最高
ビルバオ:何もねえ
サンセバスティアン:飯最高
飯:ウマーーー!
飯:ウマーーー!
チューリヒ:何もねえ
ベルン:何もねえ
山:最高最高!!!!!
オスロ:何もねえ
ストックホルム:何もねえ
飯:ミートボールは大して名物じゃなかった。黄色にはめられた?
ヘルシンキ:何もねえ
ロッテルダム:何もねえ
飯イマイチ
ブルージュ:綺麗だけど何もねえ
モナコ:綺麗だけど何もねえ
チェコ:
ワルシャワ:何もねえ
アテネ:最高
ミコノス:最高
サントリーニ:最高
飯は素材を生かせればまあ、という感じ。
ドブロブニク:最高
私自身もオタクだし、オタクが多い会社で働き、数少ない友人もオタクだ。
最近流行りの「凪のお暇」や「東京タラレバ娘」などの働く女性の仕事と恋愛?の漫画を読んだ。
仕事の考え方や周りの反応、がむしゃらに仕事を頑張り続けて来たけど少し立ち止まってしまう気持ちなど、共感できるところがあった。
貞操観念だ。
酔った勢いで〜とか、一夜限りの関係など、ドラマや漫画の中での話だと思っていた。
ストーリーを盛り上げたり、省略するための記号だとすら思っていた。
しかし、上記の漫画のレビューなどを見ていると、どうやら違うらしい?
付き合わなくても体の関係を持つことにそこまで抵抗がない世界が存在するらしい?
本当に?
仲の良い人とセックスの話をすると、その人の顔で脳内再生されてしまうので、生々しくて嫌だな〜と思ってしまう。
一夜限りの関係の体験談とか、ネット上で見ても創作だろうな、と思ってしまう。
結局のところ、世間一般の貞操観念ってどうなっているんだろう?
内容が内容なだけに打ち明ける場所がここしか無かったので、反省と対策も含めて備忘録的に書き記しておきたいと思う。
私はもともと腸内環境が悪く、ホルモンバランス的に月のものが終わってから1〜2週間ほど便秘がちになる。だけど下剤は慢性化するから使いたくないという頭があり、ビオフェルミンを飲んだり、コーヒーを飲んだりしながら最悪でも3日に一回は排便を起こす努力をしている。
旦那は私の腸内環境が安定していないことにおそらく多少は気付いているだろう。というか我々夫婦はお互いのうんこ事情をあまり公にはしていない。
新婚であるというのと、お互いシャイな性格なのか下の話を堂々とするのが恥ずかしいというのがあり、同棲時代から約2年、お互いのうんこネタをほとんど話題にしたことがないのである。
たまに旦那がトイレに入っている時に爆音なりオナラの音が聞こえてくることがあるが、聞く機会といえばそれくらいである。もちろん旦那も、私がトイレに入っている時は同じことを思っているだろう。あとはお互いに時々「なんかお腹の調子悪い〜」とか言ってるくらい。
ちょっと日帰り旅行しようかって話になり、隣県までドライブがてら観光に行くことになった私達。不運にもこの日の私の腸内環境は最悪だった。
いつものようにビオフェルミンやコーヒーを飲んでも出すことができない2日分のうんこ。出発時間になっても出ないから仕方なくそのまま出かけることにした。
腸内環境が悪い人は共感してくれるだろうと思うけど、便意というのは「今来るなよ!」という時にやってくるものである。この日も例によって、高速道路を走っている最中に強烈な腹痛と便意に見舞われてしまった。
「トイレに行きたい」と言えばいい話だが、まだ出発して15分も経っていない状態での便意。「今出発したばっかりだしすぐトイレ寄ってもらうのもなぁ…もうちょっと我慢しよ」と、いつものノリで我慢してしまう。
これが悪手だった。
お盆のラッシュで渋滞気味の高速道路。次のサービスエリア(以下SA)までがとにかく長い。しかしうんこを我慢することにかけては経験上自信があった私は、己の我慢強さを過信しすぎて「トイレ行きたい」コールを出すタイミングを見誤ってしまった。
結局「トイレ行きたいから、次のSA寄って」と言えたのは出発から30分後。最寄りのSAまで約5分を切っていたあたりのタイミングだった。
運転していた旦那はすぐに次のSAに入ってくれた。車から降りて「ついでに昼飯食ってくかー」みたいな感じでのんびり歩いていく旦那だが、私としてはもうそれどころではなく、なんなら猛ダッシュでトイレに駆け込みたい気持ちで一杯。
そして、車からやっと降りられた安堵から、一瞬気を緩めてしまったその瞬間の出来事だった。
肛門括約筋がこれまで生きてきて感じたことのないような挙動を始めた。なんか肛門がビクビク振動するみたいな?反射的に「ヤバイ!」と感じた私は思い切り肛門を締めた…つもりだった。
やっとの思いでトイレに入ってパンツを下ろしてみたところ、そこには少量だが脱糞の跡。しかもなんか粘血便が混じっている。おそらく先ほどの肛門の挙動によるものである。
粘血便に本来もっとビビるところだが、この時はもうそれどころではなかった。あんなに自信があった「うんこ我慢」にあっさり失敗してしまったことの驚きとショック、そしてこの脱糞パンツをどうしたら良いのかという焦りが沸き起こった。
幸いにも脱糞の量は少量だった為、ティッシュでしっかり拭き取ってから、近くに設置されていた便座除菌スプレーをティッシュに浸し、それで何度もパンツを拭きまくった。アルコールには多少なり除菌・消臭力があるので、これで応急処置をするしかなかったのである。
それでも完全に汚れを取るのは難しかった。しかし旦那の目の前で替えのパンツを買うわけにもいかず、私はこのまま一日を過ごす羽目になる。
運転中、パンツから悪臭が出ていないかだけが心配だった。自分個人では臭っていないように感じたが、周りが感じる臭いとはまた違うこともあるだろうからだ。旦那は香水を付けていたし、タバコも時々吸っていたからそっちの匂いの方が強かったはずと信じたい。
以上、地獄のような夏の1ページでした。
今回教訓になったのは、「自分のうんこ我慢力を過信してはいけない」という事。最初にヤバさを感じた時点でトイレに行きたいと申し出ればこんなことにはならなかったはずである。肛門括約筋は歳とともに衰えてくるのだということを痛感した。
そして、もう少し旦那とうんこに関してフランクに語り合える環境を作っていこうと思った。私がたとえ出発してすぐであっても「うんこ行きたい!!」と躊躇なく言えるタイプだったなら、旦那も「あ、じゃあ次のSAとまろっか」みたいな感じで進んでいってくれてたと思うからだ。
あと、粘血便についてはおそらくいぼ痔へのダメージか大腸炎かなにかだと思うのだが、万が一ガンの類だったら怖いので、病院へは行っておこうと思います。
長文お目汚し失礼いたしました。
そういえば「-2kg痩せました!」って書き方に違和感ある。
「2kg痩せました」なら分かるんだけど「-2kg痩せました」だと「2kg太ってね?」と考えてしまう。
単に細かいだけの話だろうケド。
無糖ヨーグルト1個(小さいヤツ)
梨1個
元々量を食べるほうではないので、何故太るのか
寝ながらご飯食べてるのかな?
以前話されてたモムチャンダイエットでもやってみようかな…。
ピラティスも良いって言うけど、どうなんだろ?
太ももがガッチガチで長座体勢で既に太ももパンパンでキツイ。ハムストリングスが張っちゃうんだよね。
つけようとしても、エアコンの電源ランプが緑に点滅するだけ。
日韓の問題は政治的なしこりが大きくて感情的な議論になりがちだ。そこで他の国でもし政治的な意味合いを付加された像が建てられたら、どういう反応が起きるだろうかという思考実験をしてみるのはどうだろうか?
•中国大使館前にチベット/ウイグルの政治犯として犠牲になった人の像を置く
•ロシア大使館前にウクライナ人がホロドモールの犠牲者の像を置く
•ドイツ大使館にユダヤ人がアンネフランクを模した少女像を置く
…どのケースも普通にアウトに思える。どの国も普通に大使召還くらいの対抗措置は取りそうだし、像を置いた外国人との間で流血沙汰になってもおかしくないように思う。
さて、これらの例はここ100年くらいの出来事だから生々しいのだろうか?数百年、数千年単位の歴史をさかのぼるとどうだろうか?
•モンゴル大使館前に日本人が元寇で亡くなった壱岐/対馬の人の慰霊碑を建てる
•スペイン大使館前にペルー人がインカ帝国征服の犠牲者慰霊碑を建てる
•イタリア大使館前にフランス人がカエサルのガリア征服の犠牲者の慰霊碑を建てる
•ギリシャ大使館前にイラン人がアレクサンドロス大王の遠征の犠牲者の慰霊碑を建てる
…書いてる途中で馬鹿馬鹿しくなってきたが、完全に過去の歴史になったものですら国際問題になりうる事に気づく。例えるなら学生の頃の恥ずかしい写真を会社のデスクに貼り付けるような挑発行為とでも言うか。
実際、例に出したモンゴルでもコロコロコミックのチンギスハーンの件で炎上事件起こってるくらいだし、下手すりゃ国交断絶くらい行きかねないと思ったり。
こうして考えると大多数の日本人は相当我慢強い対応を取ってるように思う。思考実験で他国の例を考えると、歴史上の痛ましい出来事であってもむやみやたらに正義の棍棒として振り回すのは限りなくヘイトに近い行為のように思えるのだが、みなさんはどう感じるだろうか?
職場の人と二度映画に行き、なんだかわくわくしてたところ共通の知人から「◯◯さん、春がきたらしいですよ、『アラジン』観に行ったんですって」と言われる。
つーか同時期になんぼ映画観てんだよ。いやわたしも映画すきだから観に行くけど。
いい感じにいけばいいな~と思って矢先だったので消沈してたら当人からご飯に誘われる。もしかしてアラジンはカモフラージュで、自分のことだったのでは……と僅かに心踊らせて耐える。なんの進展もないけど耐える。
そうこうしたらまた映画に誘われた。
けど
なんかやっぱり自分じゃないんだろな、と一度思ってしまうと相手の言動ぜんぶが気のない言葉に聞こえてくる。
なぜか以前よりLINEもそっけなく感じてしまい、自分が盛り上がってるのを知られたくなくてこっちから送るのもできない。
いい年してなにやってんだろ。
とりあえず貸してた本を返してもらう予定だけはあるから、フランクに「彼女できたの?」って聞いてスッキリしたい。ぜったいに上手く聞けないけど。
(恋愛工学みたいに、抱けといってるわけじゃない)
無理めな美女にばかり緊張しながら凸して玉砕してるパターンにしか見えん
じゃなきゃそんな高スペック&非の打ち所のない返しでモテないはずがない
返信もマメだし付き合ったら長く続きそうだね!出だしのスタートだけじゃん!
だから失敗したくない→緊張→同じパターン→PDCAが回らないのでは
ぶっちゃけ「ま〜失敗してもいっか笑 告白されても断るかも笑」
て自分が思うレベルの女性とたくさん会って、フランクにサシで話す機会をたくさん設けるんだ
アプリでもいいし、ワイワイしてるバーでもいいし、友達の彼女の友達でもいい
うまく行かなくても好きになってもらえなくてもFOされても傷つかないからさ
趣味経由でつながった人とでもいいけど、ちゃんと趣味以外の話もするんだよ
共感&共感、「俺うんとわかるしか言ってなくね?」ぐらいでOK〜
女性は基本的に会話スキルが高いから、ほっといても話ふってくれるよ
別に全オゴリしなくてもいい 高い店に行ってカッコつけなくていい
草野球でもバッティングセンターでもいいからまずはバットを振ってみて!応援してるよ!
本業メディア系だけど、会社でまとめ記事出すとなると企画・稟議の許可もらうのがめんどくさいので、フランクな感じでここにまとめます。
基本的に紙系。記者の署名入り記事・オピニオンのほうが、会社の立ち位置がわかるかと。
主要スポーツ紙の反応
・スポニチ
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2019/07/21/kiji/20190720s00041000513000c.html
記事では巨大化した吉本の問題点を指摘。経営陣の会見を求めるなど若干宮迫と亮サイドな感じ
・ニッカン
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201907200000996.html
吉本の御用新聞かと思うような文面。亮の契約解消をいち早く報じたのもニッカン。吉本と親密さを感じさせる記事。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6330696 ちなみにヤフトピにも掲載(ヤフーは吉本の株主)。編集権は独立してるだろうけど一応
・報知
宮迫&亮、吉本からの圧力を暴露 第三者委員会で全容解明を…記者の目
https://hochi.news/articles/20190721-OHT1T50044.html
吉本の対応の遅さを指摘。第三者委員会設置を提案するなど、芸人側に寄り添った記事
・デイリー
【記者の目】社長が“隠ぺい”指示ならコンプライアンス意識崩壊している
https://www.daily.co.jp/gossip/2019/07/21/0012534469.shtml
会見では『吉本興業への取材から得ていた内容とも相当に異なるものだった』と指摘し、『吉本興業という会社自体のコンプライアンス意識が崩壊していると言わざるを得ない』と強い表現で吉本を糾弾。
・東スポ
署名・オピニオン系記事なしだけど、淡々と会見の内容を報じている。
宮迫「こんな最低なやつのために」 涙流して感謝した松本人志の言葉
https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/1479951/
週刊誌系
・文春
宮迫&田村亮緊急会見 島田紳助氏にあって、2人にはなかったもの
https://bunshun.jp/articles/-/12938
スポーツ紙記者・吉本興業関係者を口寄せの術で招集し、コメントから宮迫&亮の会見には疑念が残ると指摘。週刊誌らしく角度つけようと島田紳助との比較論を展開するも、『"筋”の通し方が両者の違い』となかなか明後日の方向のまとめ方で結論づけ、最後の5行(全記事の5%未満)で吉本の体制をちょっと批判。おっとこれは系。
・新潮
・女性自身
宮迫博之と田村亮 会見発表の裏側…四苦八苦しながら想い伝えた
https://jisin.jp/entertainment/entertainment-news/1758394/
特に吉本、宮迫と亮どちらも攻めるもなく、他の媒体が書かないであろう会場での出来事を綴る。最後に『そこまでしてでも会見したかった宮迫と田村。その思いは、視聴者に伝わったようだ。ネット上では《よく言った》《歴史に残る会見》など、応援の声が上がっている』とまとめ、宮迫と亮サイドの印象。
私は生まれたときから母に連れられて王国会館や奉仕、大会へ出席していましたが、中学生でフェードアウトした元2世信者です。
所属していた会衆(地域ごとに集会をするJWのまとまり)の長老は、フランクながらも模範的な親権家族(家族全員がエホバの証人である家庭)で、よく成員に声を掛けて励ましていました。
長老は趣味のレジャーを楽しみながら、生活のための仕事をして奉仕や集会ではよく牧羊の活動をしている、理想的なバランスでやっていて、抑圧的でない方が務めていました。
大会ではストイックさが非常に要求される内容の話が多い中、締め付けはゆるいように感じました。
このためか、会衆の雰囲気も集会の前後の交わりで気さくに世間話をし合ったりよかったと思います。
集会の内容は子供が理解するには大変で、時間も長いため集中することなど不可能で辛かったですが、
当時バプテスマを受けていない伝道者(大会で洗礼を受けずに集会や自発的に奉仕活動に出席する立場)として活動していた私は、
奉仕に行くのはいろんな兄弟と話す機会として楽しくやっていました。校区内で知り合いに会うのは本当に嫌でしたが。
私は、エホバの証人の教義自体は信じても信じていなくもなく、特に興味はありませんでしたが、コミュニティとして居心地がよかったのでやめずに続けているという状態でした。
生まれたときからずっと一緒にいる仲間でしたから。成員に恵まれた会衆の方はこのような方もおられることでしょう。
ただ、中学生だった若い私は、集会や奉仕に費やす時間を惜しむようになりました。
勉強をしたり遊んだり…(ほぼ余暇は遊んでいましたが)その中でエホバの証人としての活動をする時間が惜しくなっていました。
もともと、集会の内容は意味不明で、個人研究(集会内ではなく自宅でJWについての勉強をすること)の頻度を兄弟に尋ねられたときも虚偽申告をしていました。
学校の勉強もありますが、学校を帰った後には結構時間があるので聖書通読の範囲と書籍研究の範囲を時間を取ってやっていますなどと答えていましたが、毎週0時間でした。
奉仕は毎週行っていましたので、奉仕報告(奉仕活動の時間や出版物の配布数を提出する)はそこそこのものを出していたと思います。
しかし、奉仕についても表紙しか読んでいないものみの塔や目覚めよ誌を「今回こんなテーマで書かれた雑誌をお渡ししていますー。よかったらあとでお読みになってくださいー」
なんてバラまいていました。子供なのでよく受け取ってもらえるので、いくつか再訪問先もありました。今思うと、家の人も子供相手に断りづらかっただけなんでしょうけども。
ある時、会衆では模範的な伝道者と見えるように行動しながら、外では世(非信者や俗世間のこと)の友達と遊んだり、普通に過ごしているし、信じていない内容を述べ告げ、
読んでもいない雑誌をおすすめするのもどうかな。これはダブルスタンダードというものだよな。と思いはじめて、奉仕に行く機会を減らしました。
土日どちらも出ていたのを、土曜日だけにしたり、今週はお休みにしたりとだんだんと。その後、テスト期間中で忙しい、あるいは体調不良を理由で集会も休む機会を増やしました。
はじめは、仲間をこれまで欺いていたことが明るみに出ていくことが怖くて、母親が集会や奉仕に出かけた後泣いたりもしました。
案の定牧羊訪問(長老が励ましにくる活動)を受けたりしましたが、はい、はいといつもどおりの愛想で返事だけしていました。やがて、完全にブッチするに至りました。
高校に進学した後も時折兄弟姉妹が顔を見せに家にやってきたり、家に置いてある出版物を見るのが嫌で、大学は県外に進学しました。それからは実家を離れて一人暮らしをしています。
会衆を離れてから、いろいろ調べていると、どうもバプテスマを受けたエホバの証人がこのように不活発になって組織を離れると、
場合によっては背教者とみなされて、家族であっても忌避すべき対象となってしまうそうです。
私はそこまで深く考えていませんでしたが、バプテスマを受けていない伝道者というちょうどいいポジションでお茶を濁していたということでしょう。
もし嫌々ながら集会や奉仕に通っていながら、ダブルスタンダードに苦しんでいる方がおられるなら、
ぜひバプテスマを受ける前に離れることをおすすめします。そうすれば、親とは断絶することなくただの子と親の関係、いたって普通の関係は続くことでしょう。
親は一緒に楽園に行けないなんて!これまでやってきたことはすべて無駄になる!
なんて言って泣くかもしれません。でもあなたも信じていないなら、いずれにせよ楽園に行くことはできないと分かっているじゃありませんか。
これは私の考えですが、私は永遠に生きたくはありません。
世の娯楽を楽しみ、世が作ったもので商売をしています。(もちろん、犯罪などではなくまっとうな、JWの方も使っているものやサービスを提供しています。)
この生活が幸せですし、一日一日を大切に過ごして、最後は死にたいと思います。
もちろん、永遠に会衆の成員や家族と幸せに過ごしたいと思えば、それはあなたが教義に賛同しているのですから続ければいいと思います。
「受けるより与えるほうが幸福である」だとか、「隣人を愛しなさい」だとか。
聖書を字義通り解釈して、これら聖書の原則を大切にして過ごしておられるJWの方は、普通にいい人としてこの世に幸せをもたらしてくれることでしょう。
元々協力会社の立場で、ドワンゴのプロジェクトに参加していました
そこで声をかけてもらって、選考を受けてもらいたいと言われました
当初は正社員としての採用というはなしでしたが、まだエンジニア歴が浅いため、
ゆくゆくはチームのマネージメントも含めて雇用したいということから、
まずは契約社員として経験を積んでほしいということで、契約社員として入社しました
しかし、残念ながらすぐにサービスのクローズが決まり、雇用については考えると言われました
その結果、次回の契約更新をしないという結論になり、退職すること決定しました(契約社員は半年ごとの契約更新)
この点については、自分のスキル、経験不足が問題なことも当然自覚していますし、
会社として状況が変わってしまったので仕方ないかなと思っています
が、僕も人間なので裏切られた気持ちも、やるせない気持ちも当然あることを理解してもらいたいです(恨んだりはしてません)
個人的には完全裁量労働で、やることをやっていれば評価してもらえるのはありがたかったです
また、前職ではレガシーなプロジェクトも多かったのので、割とモダンな開発環境で、環境構築の段階から携われたことはとても有意義でした
チーム的にも割とコンパクトで、すぐに相談できる人がいたり、働きやすかったです
困っていれば別部署の方からもアドバイスをもらえたりと、社員の方々もSlack上はフランクで、話しやすかったと思います
一部Slackが心地よくないという話もあるようですが、社員数も多く、雑談を含めて色んな話題が出てくるため、
個人的に腹が立つことも、不快なことも当然ありましたが、人と付き合う上で仕方ない部分なのかなと割り切っていました
とはいえエンジニアとしてはまぁまぁというところでしょうか(スキル、経験不足のため)
お昼がとても困りました
ケータリングやお弁当など、現状試行錯誤しているようですが、お昼に一人でゆっくりしたい人にとっては、なかなか手軽ではありませんでした
近くのコンビニも全く商品がなく、お昼の時間を大幅にずらさないとパーソナルスペースを確保してお昼休憩を取ることが難しかったです
また、僕は中途で、参画するプロジェクトも決まっていたため、同期と呼べる存在がいませんでした
新卒の人たちは仲良くフォローしあっていましたが、僕には誰とも交流する機会もなく、
そのため、チーム外の状況についてほとんど知る機会がなく、Slackを眺めるくらいでしか社内情勢がわからなかったです
中途で入社する人は社内でコミュニケーションを取るのが難しいかもしれません
その間では決めることができませんでした
一応話をもらっている企業もありますが、絶対ではないので不安です
一個人の感想として流してもらえると嬉しいです
また、機密保持契約にサインしている以上、これ以上詳しく書けないことをご了承ください
(どの部分が機密に当たるのかを確認できないので)
額42万ナスなし
小学校5・6年のころの担任だったA先生は面白い小太りのおじさんで、アイドルオタでだった。
教師然とした大人というよりはもっと身近な親戚みたいなフランクさがあって生徒には人気だった。
先生はよくクラブ帰りとかに危ないから、遅くなったからと生徒を車で家まで送ったりしていた。
先生が車に乗せるのがクラスでも可愛い子だったり中心人物な子だということは流石に私も気付いていた。
私は家が学校の裏だったから送ってもらう必要はないし、なによりブスのメガネのガリ勉だったので二年間先生に送られることはなかった。
当時の私は何も知らないアホだったので、可愛い子が特別扱いされることが羨ましかった。
二十歳を過ぎて、当時同じクラスだった友達と四人で飲み会をした。
一人はクラスで人気者で先生にも目をかけられてた男子Oくん、一人は私と同じく中学受験組で勉強ばっかりだった男子Iくん、そして最後の一人が将来の夢はアナウンサーという先生のお気に入りの中でも特に気に入られていた可愛くて利発な女子Nちゃんだ。
当然、A先生の話にもなる。Oくんが「A先生ってロリコン疑惑あったよね」と言った。
そこでようやく私は、あったしかに!?と思った。今思うとただのロリコンだわ。
Iくんが「一回 俺がロリコンだと思うやつ手を挙げてみろ ってホームルームで言われたことあったよな」と言った。何それ全然覚えてないが???
A先生の素行はどうやら学校でも問題になってたらしい。スカポンタンの私は何も覚えてなかったし何も感じていなかったが。
そして当事者のNちゃんは、「先生が車に乗せようとするのすごく嫌だった、気持ち悪くて」と言った。
言葉通り連れ込もうとするのが気持ち悪いだけだったのかもしれないし、もしかしたら言わなかっただけで車の中で何かされてたのかもしれない。分かんないけど。
大人になった今だから先生のやってたことはだいぶアウトだし手を出してないにしろロリコンだったんだろうなと思える。
でも、当時のロリコンなんて単語も考えも知らなかった私はただただ「先生」に選ばれる子が羨ましかった。
流石に知らない人についていくようなことはなかったと思うけど、もし先生が車乗せてくれるって言ったらすごく喜んだと思う。
何が言いたかったかと言うと、大人なら当たり前に察知できる「危険」も子供には別の側面で見えているかもしれないということです。
すれ違う人すべてに警戒する世の中にはしたくないけど、「危ないことを危ないことだと認識できる」だけの知識を得る最低限の教育は大切なのだ。
今、ゾーニングやらなんやらで子供にこんなもの見せられない!とエロいコンテンツの規制が激しい。
ぶっちゃけ、規制をすること自体はいいんじゃないと思う。恣意的な基準が〜とかそういう問題はともかくとして。
でも、そうやって自然と知ってしまうきっかけを消し去るなら、大人はきちんと子供が自らを守れるだけの知識を与えてやらなければいけないと思う。
子供だった私は運良くそういう目にあうことはなかったけど(痴漢は何回かあったが)、きっとそれは運が良かっただけだと思うし、もしそういう事態に出くわしていたら、なんの警戒も持たずに被害にあっていただろうと簡単に想像できるから。
コンビニで菓子パンをお金払わずに持ち帰ったら万引きじゃん、なのに傘立てに置いてある他人の傘はどうしてフランクに持って帰っちゃうんだろう。
「人の物を取ったら泥棒」ってみんなわかってるはずなのに傘に関しては各個人ごとの正義がある。
汚い傘ならまあOKとか。
おめえの傘じゃない限りは勝手に持って帰っちゃだめだろっていつも思うんだけど。
「仕方ないじゃん、傘ないんだもん」
傘忘れたおまえの不手際を、そこにある誰かの傘で繕ってんじゃねえよ。
そのせいで濡れて帰る羽目になる人のことを想像できない自己中心的なやつが多すぎる。
昨日のちびまることサザエさんもそんな感じの話だったけど
教室には誰もいない(本当はまるこがウンコ中だったから学校にまだいた)から残されてるまるこの傘を勝手に持って帰った藤木も
サザエが雨降るから傘持ってけっつったのをシカトしたにもかかわらず、会社にあったマスオの傘そっくりの傘を間違えて持ってきやがったマスオも
見ていて非常に不愉快だった。
マスオに至っては、傘は実は役員さんの物だったんだけど後日役員さんが「ここに忘れてたのか」と取りにきたとき、持ち主がわかってよかったと喜びはせど、肝心の雨の日に持ち帰ったことを詫びる様子はなかった。
役員さん、傘がなくてあの日困ってたかもしれないのにそこまで想像に至ってなかった。藤木はガキだけどおまえ大人だろと。
みんな自分勝手だ。
お互い様という人もいるかもしれないけど、持ち主が「貸してあげるよ」「持って帰っていいよ」って言ってはじめて助け合いだと思う。勝手な持って帰るのは違う。
この時期はイライラさせられてばかりだ。
他人をすぐ嘘つき呼ばわりする人を目にすると、内心、育ちが悪いなと思う。
いかにそれがネットミームだと言われても、順応してはいけない類のものだと思う。
俺がもしそういう場面に出くわしても、認識や理解が違うなと思って「そう?○○で△△は××だって読んだよ。」みたいな言い方しか出てこない。
開口一番に「嘘乙」とか「無知乙」とか「はい嘘」とか言ったりするのは、ひどく人格否定的で攻撃的に感じる。
ところで、特に話の内容を否定することもないような、びっくり情報を振られたときにすら、俺は「うそ↑ぉ」「うっそだろ」とは返さないようにしている。
「ほんとですか笑」、「ほんとぉ↓」、少々フランクすぎるが「マジかァ」のような、肯定的な言葉で驚嘆を示す。
この場合は別に否定する意図がないから「うそぉ」という返しをする人は悪くないし、むしろ「えっほんと?」と返すよりは疑っていない感すらあり好ましくもある。
「うそぉw」「マジマジ」と会話もつなげやすくなるのでコミュニケーション的には「うそぉ」派の方が優れている側面があると思うが、それでも俺は「ほんとぉ」派だ。
やはり否定的な言葉を投げることに慣れてしまうと、冒頭で述べた人のような発言をすることに躊躇なくなってしまうのではという憂慮があるからだ。
新卒で入った超大企業を1年未満で辞めてベンチャーに入り1ヶ月ほど経ったので、ざっくりと変化をまとめておく。
・「新入社員だから」という理由で押し付けられる雑務(電話応対、議事録作成など)がなくなり、スキルアップに直結する仕事に集中できるようになった
・仕事の裁量・スピード感があがった(1年も経てば中堅社員の扱いになるイメージ)
・8:45出社だったところが、11:00出社になった。朝早く起きて満員電車に揉まれる通勤はシンプルに苦痛だった。最近は3:00に寝て9:00に起きる生活をしているが、夜型の自分にとっては快適ですごく寝起きが良い。もちろん電車も余裕で座れる。
・スーツから私服に変わった。スーツの縛られている感覚が大嫌いだった。あの拘束感がなくなるだけでも、のびのびと働けるようになると気づいた。そもそもエンジニアのスーツ姿は大概イケてない。外にでないし。
・「こんなおじさんになりたくない」というネガティブな気持ちが、「こんな人を目指したい」というポジティブな気持ちに変わった。死んだ目で働く大人が誰一人いなくなり、皆が楽しんで働いている。それに、自分と同年代なのに能力の高い人たちがごまんといる。
・いわゆる「オフィス感」が薄れた結果、「社会の奴隷感」も薄れた。ソファー席があったり、スタンドアップ席があったりする。なんとビールサーバーまである。オフィスの環境は楽しく働く上で重要な要素だと思う。
・形式ばったコミュニケーションがなくなり、すべてがフランクになった。関係性がフラットなのはもちろんのこと、メールさえほとんど使わない。大体のことはslackで済む。
・100時間残業の世界から10時間残業の世界へ。11時出社なので、そもそも残業の天井が低い。大体皆20時過ぎには帰る。
いいところしか書いてないので悪いところも書こうと思ったが、なかなか思いつかない。強いていえばボーナスが減るくらい。
大企業とベンチャーという二項対立で語るのが正しいのかは微妙。あくまで自分の経験則。
以上、雑にまとめたブログでした。