はてなキーワード: フォアボールとは
http://anond.hatelabo.jp/20130822194506
↑これは馬鹿な釣りでしかないけど、例の花巻東の選手に対する審判団の判断について異を唱えている人の中で、「プロもやってる、厳しい球をファウルで延々と粘ってピッチャーが甘い球を投げるのを待ってヒットを狙うことのどこがいけないんだ」と怒ってる人がいた。これは斜め上の勘違いすぎる。今からでも動画サイトで見てくればいい。
https://www.youtube.com/watch?v=5uiciscn20Q
https://www.youtube.com/watch?v=fB20ulaX86c
https://www.youtube.com/watch?v=qPU-PHoK2WI
上3つの動画見ればわかるけど、カット打ちの時とまともに前へヒットを打とうとする時で打撃姿勢が全く違う。上2つの時では、「甘い球が来たら打つ」なんてことを一切考えていない。甘い球でも延々とカットファウル。フェアゾーンを狙う気ゼロ。本人もフォアボール狙いと言ってるしな。(得点圏にランナーいる時とかはカット打ち姿勢で前へゴロ狙いで落としたりするけどね。)その辺、井端みたいなプロ選手のカット打ちとは質が違う。で、そうした遅延行為について3バントアウトの特別規則に当てはまっちゃうこともあるからと、審判団が注意したわけだ。まあ、この辺りの事実を勘違いしてる人の多いこと。
審判団の判断については、試合後の注意なんてせずに試合中に注意すれば良かったのにとは思う。ピッチャーの投球フォームのボーク判定はいつも試合中にいきなり注意するのにな。地方大会からそのフォームで勝ち抜いてきたのに急に二段モーションの指摘とかwそれで調子落として打たれた投手だっているのに。千葉選手の時も、その場で注意してアウト判定にするべきだった。
基本的に、俺は関心のある記事にブクマはすれど、コメントを付け足すことはない。
他人の話をダシに承認欲求を満たそうとしているようで、どうにもコスッカラいと感じてしまう。
とはいえ、潜在的にお喋り精神を持ち合わせているし、その欲求を否定するわけにもいかない。
「何か言ってやりたい」という気持ちが昂ってくる、いかんせんそういう年頃なのだ。
そうやって悶々とネットサーフィンしているときに、絶好の記事がはてブに舞い降りる。
だが、そうして書いているうちに少し冷静になってきて、一旦手を止めて自分のブコメを見直す。
あまりに稚拙で未熟。覚えたてのワードを使いたいがために、並べ立てた上っ面な内容。
違う違う。こんなことを書くくらいなら、教室の黒板にラクガキでもしたほうがまだマシ。
とりあえずこの記事、俺としては賛同できる内容ではない。
だが、ただその意を示すだけでは個人的に面白くない。
どうせなら、ちょっと皮肉を交えるか、「俺は本質を見抜いているぜ」感を出していきたい。
となると、俺一人の頭で導き出せる手法は、
あたりだろうか。
1は個人的に最もやりたい手法だ。相手への奇襲にもなる。
今回、それで優越感が果たして得られるか。
とりあえず保留。次に2だ。一度、踊らされた苦い経験から編み出した手法だ。
よくよく冷静になって記事を読み返してみると、この内容はどうも嘘くさい気がしないでもない。
「自分は真に受けてませんよ」感を出しつつ保険をかけて、その上でホントだった場合の回答を書く。
それでストライクやアウトをとって俺は満足なのか。
3を考えてからでも遅くはないか。とはいったものの、俺はあまりボケるのが得意ではない。
一度、書いてから恥ずかしくなって結局ノーコメにしたこともあったくらい、俺は自分のブコメに自信がない。
そんな俺がハナからボケるつもりで書いても後悔するのは目に見えている。
そもそもどういうのが面白いか自分には判断できない。他の人のブコメを参考にしてもよく分からない。
それに今回の記事は、文章だけを見るなら真剣に書かれた内容だ。
それに対してボケるっていうのは不誠実な気がしてならない。
そんなことを考えながら、俺は頭の中でグルグルと迷走し、結局は何も書けないでいる。
・空気が読めない
・孤独な一匹狼を演じるか、リーダーとして暴走するか極端で人間関係のバランス感覚がない
・ヒットに徹すると決めたらどんな状況でもそうしてしまう→状況に応じたチームバッティングが苦手
不振で三振の山を築いていた同僚のセクソンに対して、「三振多いね。」発言。
"鈴木の受け答えは、頭の悪い人が頭をよく見せようとしたときに見られる話し方だ"というのは、よく聞くことだ。
話し言葉と書き言葉の使い分けができないために、受け答えが変に大人びているというのは、アスペルガーの幼児期に見られる特徴でもある。
彼らには、なぜ状況に応じて表現を使い分ける必要があるのか理解できないのである。
毎年のNHKスペシャル等の鈴木特集を見れば判る通り、チームの中心にいるか、チームの中で孤立しているかのどちらか。中庸を知らない。
彼の出塁率の低さがそれを説明している。
前にランナーが居ないことが多い弱小チームにおいては、単打はフォアボールとほぼ同義であるが、記録上は四球は安打には計上されないため、鈴木は四球を選ばない。
彼は3ボールからでも積極的にボール球を打ちに行く。ホームランバッターならわかるのだが、彼の場合はうまくいってもせいぜい単打なので、3ボール0ストライクからでは、リスクを冒して当てに行く意味がないにもかかわらず。
いかなる時も安打こそ最善と考えていれば、ボールをバットに当てるという定型的な作業を繰り返せばいいので、彼にとっては四球を狙うよりもよほど簡単なのだ。
同上。チームリーダーに求められるのは200安打を10年続けることではない。チームを鼓舞し、勝つことだ。
その意味で、チームの精神的柱であったホークス時代の川崎宗則は既に彼を超えている。
成績自体は平々凡々のデレク・ジーターが、ニューヨークの象徴であり、アメリカ人の象徴でもあるのは、彼がチームを優勝に導いてきた模範的なリーダーだからだ。
1番バッターという個人的役割に限定しても、鈴木がチームから最も求められることは、打率よりも最終的な出塁率の高さである。
はっきりいって、セイバーメトリクスに従えば、出塁率が4割を下回って達成する200安打よりも、安打数を犠牲にした出塁率4割のほうがよほど価値がある。
出塁率が4割を超えたのも、彼が12年間プレーしたなかで、2004年のわずか1度だけである。
262安打をしても出塁率が平々凡々な数字であったというのは驚愕だ。
毎年200安打をやっているにもかかわらず、2004年を除いては出塁率が4割を下回っているという彼のstatsは異常であり、
これは裏を返せば彼の安打数に対する執着が普通でないことを説明している。
なお今シーズン(2013年)には、劣化版鈴木ことブルワーズの青木宣親がメジャー2年目にして、鈴木が12年間で一度しか記録できなかったシーズン出塁率4割超を早くも達成しようとしている。
朝食のカレーについては、今はもう食べていないという記事があった。
しかし彼は白い巨塔や古畑任三郎を何百回と見ている。アスペルガーが好むのは定型的な作業の繰り返しだ。
彼は試合前後のルーチンワークを絶対に乱さない。アスペルガーが好むのは定型的な作業の繰り返しだ。
鈴木は日本野球のみならず、メジャーリーグでも殿堂入りを確実視されるほどの偉大な選手であり、私は彼の現役時代を見られたことに、心から感謝している。
262安打という異次元の成績の裏には、何らかの異次元の人間性、異次元の生活習慣、異次元の精神性があるはずだという考えの基に、彼の内面、野球観を考察したものである。
この記事は、医学的な見地に基づいて書かれたものではなく、彼がアスペルガーであるという主張は決して彼を中傷するためのものではないし、むやみに賛同を仰ぐ物でもない。
今までろくに練習したこともないヤツがピッチャー見下したからといっていきなりヒットが打てると思うか?
ボールとストライクの見極めもつかずにフォアボールだと言っ張って強引に塁に出る事を主張しはじめるのがオチだ。
つまり「オレのことを好きになって当然」というストーカーの心理と一緒だ。
相手の価値を過小評価するのも過大評価するのも相手を見ていない、見ようとしていないということなんだよ。
それは自分も見えていないということだ。そんなヤツに上から見下されて(見上げられて)気もちいいか?
まず相手を見ろ、脳内フィルターのゲインを可能な限り下げて相手を見ろ。
そこからはじめて自分のすべきことが見えてくる。
ああ。
この人は理想的な恋愛を実践しているのか、はたまた、希望に燃え夢見ているだけなのか。
剛腕な上に技巧派でもある嫁に三振取られっぱなし。
直球キター!と思い、美しい軌跡を描くアーチを見せてやろうじゃないかと思っても、物凄い落差のフォークにフルスイングしてしりもちついて、
こんどこそと強烈な当たりをしたら、次の打席は豪速球デッドボール。
やっとのことで1点とっても、次の回には豪快な満塁ホームラン打たれて、コールド寸前。
こっちはもう勝負にならないから白旗上げているのに、160kmオーバーの直球を内角深くにガンガン投げる。
しまいに明らかなボークやフォアボールでも進塁できなかったり、頭かすめるビーンボールにストライク判定など、たしかに、もう野球じゃないなこれは、うん。