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センター試験地理Bで「ムーミン」「小さなバイキングビッケ」を題材にした出題→怒り狂った受験生がムーミン公式垢に突撃
(https://twitter.com/kyodaiochitaaaa/status/952017609196621824)
「思考力を問う問題を作りたい」という問題意識は理解できるし、共感もする。
でも、その「思考」というのが、断片的な前提条件をもとにステレオタイプを再生産してしまう方向に向かうなら、かえって有害なのでは? とも思える。
別教科の新テストでも事故が起きてる(http://harutaseiro.blog89.fc2.com/blog-entry-1667.html)のを考えあわせると、やっぱこの方向性危ういよ。
下手の考え休むに似たり、思いて学ばざれば則ち殆し、っていうけどまさにその通りで、前提となる知識を欠いた思索って往々にして間違った結論に着地しちゃったりする。
素人の柔軟な思いつきがトンデモを生むのなんてあちこちでさんざん言われてるのに、「思考力重視」はそれと逆行しているように見える。
下手に考えさせた結果ステレオタイプを強化したり事実とは違う思い込みを閃いちゃったりするくらいなら、まだ正しい事実をたくさん暗記させた方がマシなんじゃね? そっちの方が、大学以降で「考える」ための基礎体力がつくんじゃね? 高校時代は基礎トレーニングに専念した方がいいんじゃね?
ただ、まだ過渡期だからこれから洗練されていくだろうという擁護論もあって、誰しも最初の頃は躓くものだしトライ&エラーで成長していくものだということを考えるならなるほど理屈は通っているし、学びて思わざれば則ち罔しというのだから思考することが必要なことは間違いない。
でもそのトライ&エラーには受験生の1年か下手すると人生がかかってるんだよね。そこでトライ&エラーを続けて何か得られる見込みがあるならいいけど、本当にそんな見込みなんてあるの? って思っちゃう。だったら従来のやり方を踏襲した方がマシだってことにもなるんじゃないのかなぁ(や、従来のやり方でもたくさんミスは出てるわけですけど)
来年受験のリアル17歳が増田を読んでるとは思えないが、ムーミンがどうとか下らないことで盛りあがってたので一応。
試験が終った教科についてあの問題がどうだったとか友達とお喋りしたり参考書をチェックしなおすのは完全に意味が無いから、さっさと切り変えて次の教科の参考書なり教科書なりを読んでいた方がいい。
私は事情があって今年センター試験受けに行ったけれど、無駄な感想戦をしないというのを徹底してたのはまあ1割くらいだったな。たまたま隣に座ってた子がそのあたり徹底していて、1日目の試験が終って退室するまでの待ち時間に次の日の理科の知識チェックをしてたからこっちも身が引きしまった(まあ結果としてはあまり奮わなかったが)
もし試験から帰ったあとtwitterやらなんやらでムーミンがどうとか言ってたりした受験生はちょっと危機感が足りないと思う(まあ文系センター利用の子は1日目だけで済むからそういうのも居たかもしれないけど)
地理Bを本当に受けた感想からすると第5問はかなり難しかった。ムーミン(4問目)より前の北欧三国の各地の気候(1問)とエネルギーバランス(2問)を両方落したし、産業と貿易について(3問)も自信を持って答えられなかった、税負担率と公的社会支出(5問)は簡単だったけど。
ムーミンはあれ作者はスウェーデン語話者のフィンランド人じゃなかったっけというところで手が止ったけど、正直北欧3国の母語がどうとか宗教がどうとかいう問題を出されるよりはよかったじゃないかな。ここで失点したから89点とか言う良いんだけど微妙な点数(あと1問で9割台)になってしまった。
あと個人的にはセンター英語第5問が宇宙に行ってた方がびっくりしたぞ、あそこは近年はメール文読解から物語文読解になってたから充分ありえることだったけど(ちなみに英語第5問の解き方は普通に読んで普通に解くのかコツらしい。第6問みたいにパラグラフ毎に分解して解くとかテクニックは使えない)
自分の感想戦をやってたら長くなってしまったので繰り返すけど、こういう感想戦は試験中に絶対にやるな、自己採点まで終ってからにしろ。あと毎年センター現代文伝説みたいなのがネットにあがってくるけどあれはワンセンテンスだけ抜きだして笑い話にしてるだけで読解問題の得点UPには1mmも役にたたないから素直に本文を読んだ方がいいぞ。
https://togetter.com/li/1179589
校則問題は色々な観点から言うべきことがあって一概に言えないのはわかってるけどめんどくさいから網羅的な話をするつもりもないんだけど、とりあえずこのフィンランド人の考える「学校は勉強をするところ」ってのは、勉強できなければ卒業できない場所でもあるってことじゃん?
日本の公立高校では、留年なんて欠課時数オーバーとか、赤点救済措置の課題をしつこく迫られても無視するとか、「よっぽどのこと」がない限り起きない。
そしてこの「よっぽどのこと」は風紀指導における「よっぽどのこと」と同じで、「言われた通りやっていれば許される(進級できる)のに、それをやらないって…アホなの?」という目線によって判定される。
「アホで結構。しかしバカは進級できないよ」というのがフィンランド人だとしたら、日本人はバカでも言うこと聞いてたら進級できるとでもいおうか。
まあ、留年しない制度の原因も入試・就職等出口の問題から現場・周りの「かわいそう」とか事勿れ主義まで色々だろうけど、乱暴に一つにまとめれば、そもそも社会が学校に何を求めてるかという問題なんだよね。
結局勉強じゃないんでしょ。勉強できなくてもいいと思ってんだよな。多くの人は。「勉強できるのと本当に頭がいいのとは違う」とか「テストでいい点数とるよりも大切なことがある」とかそんなヤフコメよくあるじゃん。「だから学校はそれを評価すべき」まで来たらもうそこから風紀指導までの距離はゼロですよ。
言い方変えれば、いま留年してる奴らは言わば教科における風紀指導に逆らう奴らで、現状日本の学校はそこを評価する場所なんだろうな。
勉強を評価する場所てある以上は、一定数は勉強で留年してもしょうがないという含みを持った制度じゃなきゃおかしいよね。でもさあ、本当にみんなはボコボコ留年させる可能性のあるシステムを支持するのかな。
疑問だなーと思うよね。支持してほしいんだけどさ。
私は意見としてフェミニストは正しいと感じることはあるけど、絶対この人と喋ったりしたくないな、って思うのも圧倒的にフェミニストなんだよね。主婦とか富裕学生とか悪い意味で女性差別くらいしか差別受けることのない世間知らずな人が多くて、仕事とかこの人らと一緒にするの絶対嫌だなって思う..あと、環境が違いすぎるフィンランドとか男女平等のロールモデルにすんのどうなんて感じ。あそこ子供とか幼稚園むっちゃ静かって点を無視して、日本の幼稚園建設反対をdisったりするのも、いいとこだけ上澄みしてるだけじゃん。子供日本みたいにうるさかったらフィンランド人も建設反対するでしょ
逆に、女性専用車両反対、とか痴漢冤罪が嫌、とかフェミニズム的にあちゃーってこと言っちゃう男性とはスムーズに仕事できる。まあ、ネットであれすぎることかいてる人とは現実で絡まないから正直どうでもいい。
って書くと、フェミニストから批判ありそうで正直めんどくさいし、だから0か10かみたいな人しかフェミニズム論争に加わらないのかなと思った。
https://twitter.com/DanielKahl/status/617728205995118592
ダニエル・カールさんのツイートに対し、次のような批判がありました。
https://twitter.com/niigatamama/status/618879553327362048
https://twitter.com/sivad/status/618943110064705537
https://twitter.com/DanielKahl/status/617743455960305665
ダニエル・カールさんは、数十年前の時点ですでに意味が変わっているという意見のようです。
retardで思い出したのが、去年のこの動画です。
https://www.youtube.com/watch?v=vhccAx-2KJ8
フィンランド人の女の子がいろんな外国語をものまねする動画で、POLISH、JAPANESEなどとテロップが出ます。
その中のRETARDというテロップの部分では奇声を発しています。
これを見た時はびっくりしたんですが、はてブでも批判はされてないですね。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.gizmodo.jp/2014/03/post_14180.html
仕事のからみでフィンランドに長期滞在して、いろいろな人とあって話を聞いたので、さらす。
※ 午後4時に退社? フィンランド人が徹底的に効率よく働く理由とはで、まるで天国/素晴らしいみたいな書き出しだったので、反論しとく。
国内産業はすでに飽和してますので、基本的に、相当優秀な方でなければ、フィンランドで生まれてもフィンランドに残ることすらできません。じゃあ、職にあぶれたフィンランド生まれの人はどうなるかって?国により強制収容されるか、EUの仕組み(EU加盟国内であれば、なんら問題なく移動して生活可能)でどんどん他の国に排斥されていくのさ。だから、現在フィンランドで働いている人は、上澄みの人ばかり(要は、フィンランドで食っていけることができた人のみフィンランドに居残れるのさ。)
若い人は当然フィンランド内部で職を得ることが難しくなっているので、他のEU加盟国や、カナダ/アメリカへ移住して飯を食う必要がある。なので、英語は当然として、近隣の国の言葉も喋れなければ即当人にとっては死活問題となる。なので、小学生のころから語学は必須科目としてガンガン詰め込まれる。高校卒業ときに何ケ国語が喋れるかが、その人の人生を決めてしまうので、皆さん相当必死です。
よく、フィンランドは素晴らしい国だ!と言ってるけど、こんな実態もあります。フィンランド礼賛するなら、このあたりを調べてから言って欲しい。日本だって、食えない人を全部国外退去させてれば、そりゃ見かけは素晴らしい国になるだろうよ。
優秀さは、あくまで他人との比較で計られるものだから、優秀さと生きる価値には本質的に何の関係もない。
「青い」と「好き」の関係に似ている。
青いから好きだと考える人もいるように、優秀だから生きる価値があるだろうと考える人もいるだろう。しかし、青さと好きをつなげているのはその人個人の決断であって、本質的には何の関係もない。
生きる価値というものがもしあるとしたら、自分の中にしかない。何をもって自分の人生を価値あるものと呼ぶのかは、自分しか決められない。他人がどうであろうが関係ない。
自分にないものを持っている人しか価値がない、と、自分で決めたら、当然その人の人生は価値がなくなるけど、無駄に苦労しているなあ、と端から見ていて思う。フィンランド人に生まれなかったから不幸だ、と嘆いているような感じ。