はてなキーワード: ファストフード店とは
スタバはどちらかというと子供ウェルカムの喫茶店だ。キッズメニューもある。
私もスタバはくつろぐ場所というよりファストフード店だと思っている。
だが、個人経営などの入り口の狭い純喫茶にも無理やりベビーカーを押し込んで入ってくる子連れには正直辟易する。
もちろん子連れでも静かにしている親子はいる。大人より静かに座っている子供もいる。だが、それと同じぐらい騒ぐ子供を連れた親もいるのだ。
騒いでも外であやしてくれるならいいが、そういう親は頑として外に出ない。子供は泣き叫ぶ。
他の客はじっとそれに耐える。心地よい空間が一気に我慢大会の様相を呈してくる。
「親だって息抜きをしたいのだ」という気持ちはわかる。泣き叫ぶ子供を四六時中あやすのもストレスがたまる。それはそうだ。
だがそれは他の客もそうなのだ。みんな息抜きをしたいと思って来ている。
家で飲めば安いはずのコーヒーにわざわざ高い値段を払っているのは、この居心地の良い空間にいるためだ。
私もできるだけ住み分けをしようと、価格の高めの喫茶店やファミリー向きでなさそうな喫茶店に行ったりしてみたがやはり来るときはどうしても来る。
それと、飲食店子連れ入店拒否などの問題を見るといつも「あなただって昔は子供だったのに」とか「子供は騒ぐもの」という反論があるが、実際私の幼い頃はそもそも喫茶店に連れて行ってもらえなかった。理由はもちろん、騒ぐからだ。親が禁止していた。だから喫茶店に行き始めたのは高校生のころからだ。
子供が騒ぐのが悪いのではない。騒げば迷惑になる場所に子供を連れてくる親が悪いのだ。
子供を産み育てるというのは人生にかなりの制約を課すということだ。ライフスタイルだって大きく変わる。
当然行けなくなる場所も増える。単純な話だ。それまでのように喫茶店や、映画館や、居酒屋に自由に行きたいなら、厳しくなるが子供を迎えるべきではないと思う。
ペットを飼う時は「ペットが入れない店もある」ということに納得するのに、「なぜ子供が入れない店もある」ということには納得できないのか。
「今の社会は子供が育てづらい」というのは確かにそうだろうが、「子供はみんなで育てるものだ」とどこにでも子供を連れていくこともまた、子育て世代の首を絞めることになるということも考えてほしい。
だが、ゆっくり一人で落ち着きたいときに子供が騒いでおもちゃをこちらに投げてくるのは本当につらいものがある。
数年間誰にも言わないで溜め込んでいたことなのでここに吐き出させてほしい。
18歳の浪人生。高層ビル群に見下され、樹とボロい公園によって世間から目隠しされたような、一日中日光の当たらないオンボロ団地に派遣社員の母と年金なしの祖父と3人で暮らしている。
元から裕福ではなかったが、質素な生活で金がかからず、一人っ子であったこと、都からの補助金と給付方奨学金のおかげで、塾には通えないがほぼ無償で私立の男子中高一貫校に通えた。しかし受験期にとある事情で急激に経済状況が悪化。力不足とストレスで2021年度の受験結果は東大文一に不合格、早稲田法と慶應法法に合格した。あとから奨学金が貰えるとしても私立は当座資金の面で厳しく、アルバイトしながらの宅浪が決まった。早朝に倉庫で宅急便の積み込みをして、近所の区立の小さな図書館が閉まるまで勉強する。夜はファストフード店でアルバイトか遅くまでやってる隣の区の大きな図書館の自習室。流し併設のリビング、和室一間、風呂、トイレしかない家にいるのは苦痛なので、夜以外はなるべく外にいるようにしていた。ちなみにこのような住環境なので、同世代の人たちや女性にはキモがられるだろうけど、今でも和室で祖父と母と川の字で寝ている。
そんな中
・母の慣れ親しんでいた派遣先が変わり、時給大幅ダウン。
・毎年水漏れしていたクーラーが一週間前に壊れる。ただでさえ金がないのに部屋の造りから施工に余計な費用がかかり、新しいクーラーがつけられない。
・突如不眠症。布団で夜寝られない代わりに勉強中とバイト中に猛烈な眠気。
ということが重なった。それでも「橋下徹だって貧乏出身と学生結婚で苦労しながら弁護士になったんだ」、「自分より大変な人は日本にも世界にも沢山いる」と言い聞かせ勉強していた。
のだが、昨夜20連チャン目のおにぎりをバイトの休憩中に食べている時、同い年のバイト仲間がスタッフ割引で購入した商品を目の前で食べる姿や、5ヶ月ぶりに開いたインスタで同級生の投稿を見てもう全てが嫌になってしまった。帰りにバイト先やコンビニで色々衝動買いし、団地内の公園のブランコに乗ってそれらを泣きながら食べて今に至る。途中でこのサイトを見つけたので登録して、自分の現状を吐露しようとこれを書いた。
もう勉強もバイトもする気力がなくなってしまった。東大を卒業して国家公務員になりたかった。貧乏人定番の国立医学部や起業して金持ちになることには昔も今も全く興味がない。小さな頃からこの団地で都や区の職員から俺ら住人に向けられる軽蔑の眼差し(生活保護受給家庭には直接的な侮辱がぶつけられていた)を体感しながら育った。だから彼らよりも上位の、彼らが媚びへつらう役人になりたかった。しかしそれが叶わないなら働く気力もつもりもない。俺は結局大嫌いだったこの団地の住人たちと同じかそれ以上に悲惨な末路を迎えそうです。
■「ファストフード店や酒屋といった健康を阻害する施設が、社会経済的に恵まれない地域に不均衡に多い…」
日本はもうおわりだ
元増田のタイトルの一文ってGIGAZINEのこの記事からの抜粋だろ?
「人が住んでいる環境が肥満に影響している」と主張する研究者が住環境の健康度を示す指数を考案
https://gigazine.net/news/20220417-cities-making-us-fat-unhealthy/
「HLIが作成した全体像は、ファストフード店や酒屋といった健康を阻害する施設が、社会経済的に恵まれない地域に不均衡に多いことを強調するこれまでのエビデンスを裏付けています」と述べています。
地域ごとの社会経済的な差によって施設に違いが現れる現象は、環境法の実施および施行・開発・規制・政策の不平等に起因する「環境的不公正」だとホッブス氏らは主張。
店に着く前に移動中にスマホで注文&支払いして、店に着いたらいったん通知(=料理を準備し始められる)、
最後に着席したら座席番号をQRコードで認証する方式はどうだろう?
いや今テキトーに考えたんやけど。着席後に速攻で飯が来る。
2020年から続く新型コロナウイルス感染症拡大の影響で、外食産業は大幅な減収・減益を余儀なくされている。特にレストランや居酒屋といった「イートイン」を前提とした業態では、閉店・廃業に追い込まれたところも少なくない。
そんな中、コロナ禍に苦しむ飲食店に差した”一筋の光明”と言えるのが、非接触・省人化などを目的としたデジタルトランスフォーメーション(DX)だろう。
多くの飲食店が生き残りを懸けてDXを推進しているなか、アナログ的ともいえる独自の経営戦略で2年連続の赤字から脱却しようとしているのがファミリーレストラン大手「サイゼリヤ」などを運営するサイゼリヤだ。同社では22年8月期の売上高を前年同期比18.6%増の1500億円、営業利益を70億円と予想している。
コロナ禍における感染予防策として、来店客と接客スタッフの接触回数を減らすことを目的に、専用アプリやタッチパネルでの注文に対応する飲食店も増えてきた。ところがサイゼリヤでは、各テーブルに用意された注文用紙に客が自分で記入し、それをテーブルで受け取った接客スタッフが復唱(確認)し、デジタル端末に入力していくというスタイルを20年7月から採用している。これは「来店客との接触回数を減らさない」という同社の方針からだ。
サイゼリヤの堀埜一成社長は「当社はすでに成熟期に入っており、来店客のほとんどはリピーター。このフェーズ(段階)ではカスタマーインティマシー(顧客親密性)が重要になる。ファストフード店とは違い、サイゼリヤは注文を聞く、料理を運ぶ、皿を片付けるなどを接客スタッフが行うフルサービスのレストラン。接客の部分は省けない」と記入式を採用した理由を説明する。レストランとしての接客満足度を下げることなく、感染リスクを最小限に抑えるのが記入式の狙いといえる。
店舗に設けられている注文用紙(左)、サイゼリヤのグランドメニュー(右) ※メニューは取材時のものです(画像:サイゼリヤ公式Webページより)
記入式の採用には想定外のメリットもあった。接客スタッフが来店客のテーブルに滞留する時間が短縮され、業務効率が向上したのだ。「テーブルについてから注文を聞くスタイルでは、どうしても接客スタッフ側に待ち時間が発生する。しかし、記入式なら注文が決まっているので、接客スタッフは客の記入した注文を復唱しながら端末に入力していくだけ。注文のミスも減った」と堀埜社長。注文用紙を持ち帰った客が、次回来店時に記入済みの状態で持ってきたこともあったという。
高校の時に、クラスメイトの女子に「増田映画好きやんな?今一番面白そうな映画って何なん?」って聞かれて、めちゃくちゃ見たかったホラー映画のタイトルを伝えると「よかったら一緒に行かん?」って言われたので、別に断る理由もないので一緒に行くことにした。
映画館で待ち合わせて、当時は指定席って制度がなかったので入り口で「じゃあ、別行動で」って別れたのね。
これは間違ってるって後にいろんな人から言われたんだけど、ちょっと言い訳させてほしい。
うちの父親が映画好きで小学校に上がったくらいからいろんな映画に連れて行ってくれたんだけど、父親は「映画中に話しかけてくる人間」が宇宙で一番嫌いだったので基本映画館では離れた席に座ってそれぞれで鑑賞するスタイルをとってたんだよね。で、終わった後、近くのマクドナルドでその映画の話をするのがならいだった。
母親がちょっと厳しい人間だったので、父親と二人で外食するときくらいしかファストフード店に入ることができなくて、マックシェイクが美味しかったのは今でもいい思い出なんだよな。
そういうわけで、俺の中で映画は「一人で見るもの」だったんだよね。
父親と行かない映画もよく一人で見にいってた。近所に国際劇場っていう、旧作落ちした映画を2~3本立てで1000円で見られる映画館があって、ラインナップが変わるたびに見に行ってた。
今考えると父親以外と映画を見に行くのもその女子が初めてだったので、俺の中でもその子のことがきっと好きなんだったんだろうとは思うんだけど、隣に座って見るって想定はマジで一切なかった。だって映画だよ?一人で集中して見たいじゃん。
俺は一人静かに一番見たかった映画を心置きなくエンドロールの最後の最後まで満喫して、外に出てその子を待ってたんだけどいつまで経っても出てこないワケ。当時はまだ携帯なんか持ってなかったし30分くらい待ってて出てこないから仕方なくマクドナルド食って帰ったのね。
で、次の月曜にその子の友達に「ありえへん」ってめちゃくちゃ怒られて、その子ともそれっきり。
あの時ちゃんと事前にそういう話をしておくか、一緒に並んで映画を見てたら俺に彼女がいた瞬間があったかもしれないのかなと思わんでもない。もしかしたら彼女がめちゃくちゃ話しかけてくるタイプで俺がブチ切れてた可能性もあるんだけどさ。
なんにせよ、そうはならなかったしその後、俺が仕事以外で女子と出かけることもなかったので俺に彼女がいた瞬間はゼロなわけだけど。
米国糖尿病学会(ADA)によると、超加工食品とは「糖分や脂肪、塩分を多く含む加工済みの食品。硬化油、添加糖、香味料、乳化剤、保存料など添加物を加え、工業的な過程を経て作られる、常温で保存できたり、日持ちを良くしてある食品」のことだ。
ファストフード店で出されるハンバーガーの特にパティはこの定義に強くあてはまる。
家でミンチコネて玉ねぎパン粉を混ぜ合わせてハンバーグ作って、バンズに挟んで食べる分にはこの定義には当てはまりづらい。
そんだけの話や。
俺も添加剤云々が言うほど悪いんか?とは思うが、
食材から調理した食事とファストフードとかコンビニで買う飯だと
あの禍々しい建物にニワトリの怨念みたいなものを感じて震えていたのだが、
卵を毎年数兆個消費するQPさんが脱鶏卵の方向にかじを切ってくれたのはありがたい。
これは経済合理性もあるだろうが、将来的なリスクヘッジでもあるのだろうね。
しかし、キューピーエッグケアより日清オイリオのマヨドレのほうが美味しいのは秘密だが、
いずれは技術開発でそれぞれチャヤマクロビのヴィーガンマヨに追いつくと思ってる。
あ、チャヤマクロビのヴィーガンマヨは今んとこ日本で手に入る大豆マヨの最高峰ね。
やっぱ純粋なR&D能力では日清オイリオのような総合的に油を扱う企業のほうが上なんだとわかる。
ヴィーガン業界って、年々新しい技術でどんどん美味しい食材がうまれるのが楽しいんだよ。
卵という食材を使うかぎりは、品質のキープがメインで、進化がないでしょ。
卵を使う限りは、卵のうまみを超えることはできない。
動物ころして肉や魚や卵やミルクとってたら、成長しようと思わなくなんのよ人間。
キユーピーは10日、アレルギーで卵を食べられない人や菜食主義の人などにスクランブルエッグの代替品として提供できる、大豆が原料の「ほぼたま」を30日に業務用として発売すると発表した。ファストフード店やホテルの需要を見込み、一般向けの販売は今後検討していくという。キユーピーによると、国内メーカーが植物由来の「代替卵」を商品化したのは初めて。
豆乳加工品を使い、半熟のスクランブルエッグのような見た目と、トロッとした食感に仕上げた。オープン価格だが、通常のスクランブルエッグ商品の約3倍になるという。
環境や健康への配慮で、動物性食品を避ける人も増え、植物由来の「代替肉」市場が拡大している。キユーピーは、卵の加工技術を生かした「代替卵」で市場参入を図る。
キレイだし数も多すぎる。
あらゆるところにほぼ誰でも使えるトイレがあって、しかもその大半がキレイで最新型。
最近、車椅子ユーザーの公共交通を巡る論争が巻き起こったが、ハッキリ言ってトイレに関してはここまで多機能のトイレがあらゆる施設に充実し設置されている国は日本くらいしかない。
欧米だと国の威信がかかった最新設備の空港や高級ホテル・高級レストランでしか出会えないクオリティーのキレイなトイレが、日本ではその辺の公共施設やファストフード店にある。
恐らくマクドナルドやケンタッキーフライドチキンで世界一トイレがキレイで機能的なのは日本だろう。
日本すごいって言いたいのではない。
どう考えてもこれは異常だと言いたいのだ。
どこの国においても清掃という仕事は常に人手不足で募集が繰り返される労働集約産業の典型であり、一般的には知的労働や激しい肉体労働に従事できない高齢者や諸事情のある労働者が行う仕事だ。
一部のテーマパークや高級商業施設を除きそもそもその仕事自体に高いモチベーションを持つ事を想定していない仕事であり、利用者もその背景を理解した上で用を足すのが当たり前の認識である。
他の先進国における一般的な公共トイレの風景は、ホースの水圧でバーッと汚れを流して床も壁もとにかく水でびしゃびしゃのまま。
便器や洗面台や鏡面の細かい汚れやカビもそのままで、トイレットペーパーはそもそもないか日本とは比べ物にならない低品質なモノばかり。
それなりの値段を取るホテルでもロビーのトイレなんかはこのクオリティーの国も沢山ある。
何故ならトイレの清掃に高い人件費や費用がかけられてるなんて思っていないし、そもそもそうするべきなどと思わないからだ。
現実的に安い賃金に対して様々な理由や意味合いを強引に関連付けて正当性を持たせようとする圧力こそが日本の異常性の正体である。
割りに合わないことをしないのはヒトの本能だ。
ところが日本ではこの本能に素直に生きる事をよしとしない伝統があるのだろう。
日本に遊びに行きたい外国人は沢山いるが、日本で働きたい外国人はほとんどいない。
安くて品質の良いモノ・サービスを提供し続けてくれる「おもてなし」は受ける側としては素直に嬉しいが、こんな事をいつまでやっても自分自身が豊かになれる事はないのにと思う。