はてなキーワード: ビニール傘とは
向かいの集合住宅、一階の掃き出し窓を小学校低学年くらいのガキが蹴ってる。そしてビニール傘の柄で殴ってる。
小粋なリズムで蹴りによる打撃と芯入りプラの棒による打撃が窓ガラスと網戸を震わせる。少なくとも五分以上はずっと音がしている。寝ていたところを起こされたので正確な時間は分からないが、夜勤の人間全てにご理解いただけるであろう恨み骨髄で通報を迷ったので、無為にスマホの時計は見ていた。
ひどい時間だった。
成人男性が同じことやってたら何かの取り立てと勘違いしたテイで速攻で通報したのに。
小学生のやることじゃ、窓ガラス割らない限り通報迷う案件。割ってたとしても小学生じゃ親が弁償するかどうかも危うい。
子供のいない人間が子供嫌い、もしくは関わりたくないのって、こういうトコあるからよな。
子供って不思議なことするけど、他人様の物件を蹴り続けるとか、どういう環境で育つとそうなるんだろう。しかもわりと根気強く、最低でも五分くらいの間。
アレを育てた親とかお察し、としか思えなかったので通報はしなかった。
子供の頃、初めて自分のものとして与えられた傘は、使い古してちょっと壊れた透明のビニール傘だった。
田舎では、学校が遠いことなどもあって、子供が傘を忘れると親が学校に届けてくれる家庭が多い。
少なくとも自分の通った小学校ではそれが当たり前で、雨の日に傘をささずに学校から出るとそれを見た担任から呼び止められて親を待つように言われた。
初めてのときは素直に待ったけど、同じように傘を忘れた子供には迎えが来る中、自分は最後まで残り、そのまま暗くなったので雨の中を歩いて帰った。
家に着くと、親から「お前に傘をやっても意味が無いな。」と言われた。
傘を電車に忘れたときには、駅員さんに相談して見つけてもらって終点まで取りに行ったけど、
忘れ物を「骨が一本内側に折れ曲がった透明のビニール傘」と照会してくれたときも、それを取りに行った自分に渡してくれたときも、駅員さんたちは微妙な顔をしていた。
でも、当時の自分にはその表情の意味は分からず、ただ大切な傘が戻ってきたことに安堵した。
その後、台風の日に傘は完全に壊れ、ずぶ濡れになって帰宅すると「おまえはすぐに物を壊すな」と言われた。
今、職場の自分の机の中にはいろいろな色の折り畳み傘が10本弱ストックしてあって、傘が無くて困っている人がいるとどんどんあげてしまう。(もちろん、大抵の人は後日返してくれる。)
私は神奈川県内で自営業を営む、しがないIT屋である。過去にはオウム真理教(現アレフ)の事件を追う無名のフリーライターとして糊口をしのいでいた時期もある。
以下は、今年7月に私の身に起こった出来事の記録と、国家権力の象徴である警視庁と公安調査庁の手により、かつて未曽有の化学テロを起こしたカルト宗教団体オウム真理教の後継団体として公安調査庁の監視対象となっている宗教団体「ひかりの輪」に罪なき一般市民である私の個人情報がリークされた問題に関する告発である。
オウム真理教は麻原彰晃(松本智津夫)によって設立された新興宗教団体である。設立当初はヨガを中心とした修行による神秘体験の会得を目標とする比較的穏当な宗教団体であったが、1989年に教団施設内で発生した信者殺害事件とその隠ぺい工作をきっかけに急速に犯罪傾向を強め、以後、坂本堤弁護士一家殺害事件をはじめとする凶悪事件に手を染めていく。
1990年には真理党を結党して衆議院議員総選挙に出馬するが全員落選、教団はこれを国家による陰謀と考え、無差別テロに傾倒していく。上九一色村の教団施設であるサティアン群は毒ガス工場に改造され、サリン・VXガスなどの化学兵器の製造のための研究が進められた。ちなみにサリン製造プラントの初代責任者は上祐史浩である。
教団は95年の地下鉄サリン事件後、教団の拠点である上九一色村のサティアン群に警視庁による強制捜査が行われ、教祖である麻原彰晃(松本智津夫)を始めとする教団幹部の逮捕によって壊滅した。その後2000年には後継団体アレフ(現Aleph)が発足するも、麻原への帰依を続ける主流派と旧オウム真理教からの脱却を図る代表派の対立が勃発し、上祐史浩率いる後者(代表派)はアレフを脱退し、新団体「ひかりの輪」を結成した。
今なお信徒数約1,650人、拠点施設32か所、資産約12億9,100万円(2019年(令和元年)10月末時点)*1の勢力を誇るアレフに対し、上祐史浩代表率いるひかりの輪は信徒数約150人、拠点9か所、資産約700万円*2と非常に貧弱であり、表面上は国家や市民への脅威は全くないように思える。しかし「旧オウム真理教のシヴァ信仰から完全に脱却する」という上祐史浩代表の宣言とは裏腹に、今なお「オウム真理教の修行体系の最も本質的な部分を継承」*3している団体として、団体規制法に基づく公安調査庁の観察処分対象となっている。
今年7月某日、私はひかりの輪が拠点を構える世田谷区南烏山のマンションのエントランス前に立っていた。アレフ信者13人がこのマンションの2階に続々と入居し、事実上の拠点としたのは2000年12月のことである。以降、2007年の教団の分裂騒動以後は上祐史浩代表率いる「ひかりの輪」の拠点としてオウム真理教の残党はマンションの2階に居座り続け、3階より上の住人や烏山地区の近隣住民から強い警戒心をもって監視されている。
彼らの突然の入居から20年余り、近隣住民によって結成された対策協議会*4による戦いもむなしく追放に至っていないオウム真理教後継団体「ひかりの輪」の現状はどうなっているのか、かつて匿名でネット上に記事を書き散らしていた私の血は密かにたぎり、その足は知らず知らず私の体をこの地にいざなったのだ。
建物の前は、いくつかの鋼鉄製の小さなバリケードと警察の詰所があること以外はただの砂利敷きの駐車場と変わらない。どんよりと曇った平日の昼下がり、監視小屋に人の気配はなく、しかし敷地に足を踏み入れると砂利がかすかに音を立てて緊張感が走る。
エントランスのガラス窓には「関係者以外立入禁止」という、どのマンションにもある注意書きが貼ってある。これを無視してエントランス内に一歩でも立ち入れば、住居侵入罪として罪に問うことができるというものである。実際オウム真理教の信者や左翼団体のメンバーなどがこの微罪で逮捕された例は枚挙にいとまがない。じゃあ不動産屋やらピザ屋の広告のポスティングはどうなのかという疑問は持ってはいけないらしい。
私は開け放たれているドアを通ってエントランス内に足を踏み入れた。マンション内では多くの猫が放し飼いにされているようで、集合ポストの下にはエサ皿が置かれ、猫の尿のにおいが鼻を突く。集合ポストの最上段には、「201 上祐・水野 ひかりの輪」と書かれたボックスがあり、確かにここが「ひかりの輪」の本拠地であることがわかる。2階の他の部屋のボックスは「空室」と書かれたガムテープでふさがれていた。
集合ポストの写真を撮り、長居は無用ときびすを返しかけたその時、黒いシャツを着た短髪の男がエントランスにやってくるのがちらりと見えた。男は無線機のようなものを所持しており、一目で私服の警察官であることが分かった。このマンションの住人でもひかりの輪のメンバーでもない私を訝しんで職務質問をしようと接近してきたのは明白であった。
このとき私はたまたまダイソー千歳烏山クレア店にて500円で購入した水鉄砲「アクアレーザー」(未開封)を所持しており*5、そのことが警察官との喜劇的ひと悶着に発展していく。
商品番号:4549131780017
https://jp.daisonet.com/collections/party0105/products/4549131780017
「何の用ですか?ここの住人じゃないですよね?」
どうしたものかと考えるより早く私服の警察官は話しかけてきた。とりあえずお約束の「任意ですか?」という挨拶をしてみたものの相手が引き下がる気配はみじんもない。「いやその」「とりあえず身分証見せて」「はい」変に事を荒立てても仕方がないと思い、素直に財布から運転免許証を取り出して男に手渡す。男は無線に向かって免許証に書かれた名前を読み上げ、やがて近くの交番からやってきたと思しき警察官たちが集まってくる。これは困ったことになった、今日はこれから仕事の打ち合わせがあるのに、と困惑しつつもなぜか冷静になりあたりを見回してみる。既にパトカーまでやってきており、さながら何か大きな事件の現場の様相を呈しているが、GSハイムの一般住戸はおろか向かいの戸建てからも野次馬の気配は全くない。つまりここではこの程度のことは日常茶飯事なのだと合点しながら警察官からの質問に答える。そのうち彼は私のぶら下げているダイソーのレジ袋に気付いた。
「その袋の中身を見せてください」
しぶしぶ袋の中に入っていた未開封の水鉄砲(500円)を取り出して警察官に見せると、彼の目つきが一変した。「これを何に使うつもりだったの?」「いえ何にも」「そんなわけがないでしょう」「いや本当に何でもないんです」といった不毛な押し問答が始まった。折しも水戸で聖火ランナーに水鉄砲を発射した女性が逮捕された事件があったばかりだ、警察官のテンションが上がるのも無理はないだろう。そのうち「こんなところで水鉄砲持ってて何にも使わないわけがないでしょう!」と、いくらか統を失したような状態になっている警察官を私が必死でなだめるような展開になっていった。
そのうち雨が降り始め、一人の警察官が詰所からビニール傘を持ってきて、職務質問に当たっている警察官に手渡した。私を都会の酸性雨から守ってくれるというのである。素直にしている限り警察官というのは案外親切なものだと思った。やがて聴取の算段が付いたらしく、私は促されてパトカーの後部座席に乗り込んだ。
警察署に着くまでの間が、この事件における私にとって最も苦痛に満ちた時間となった。同乗した警察官にとっては私が他人の住居に侵入を図ったことよりもダイソーの水鉄砲(500円)を所持していたことの方が重大だったらしく、いつまでも「その水鉄砲でひかりの輪を襲撃するつもりだったんだろう」と因縁をつけられ続けた。当然私にそんな意図は露ほどもなく、ただダイソーで見かけた500円のポンプアクション水鉄砲に感心し(トイザらスなら同等品が3000円は下らないはずだ)、自宅に帰ってからその威力を試してみたかっただけだったのだ。頼むから信じてくれ。しかし、降り際に言われた「刑事には嘘をつくんじゃないぞ。嘘はあとで全部わかるからね」という一言は、この難局を切り抜けるための示唆を多く含んでいた。
成城警察署4階の取調室に着いた私は、徹底的に所持品の検査を受けることになった。カバンの中身は言うまでもなくポケットの中身(尻ポケットを裏返せとまで言われた。構造的に無理である)やズボンの裾の裏までひっくり返させつつ、「こちらもケガはしたくないからね」などと物騒なことを言う。靴を脱ぎながら「中敷きがあるので調べてください」と言ってみたが、そこは調べられなかった。くそっ、俺の足の臭いを警察官に嗅がせるチャンスだったのに、と思いながらも無言で靴を履き直して促されるまま椅子に腰掛けた。
やってきた刑事は眼光鋭く「どうしてこんなことをしたんだ」と切り出してきた。そんなことを言われても単に興味本位だったとしか答えようがないのでその通りに答えるが全く納得してくれる気配はない。次第に調子に乗って「我々は地域住民に委任されて地域の平和を守る義務があるんだ、外部の者が不穏を与えることは許さない、わかるか」などということを演説し始める。(テロ組織の残党と20年以上も慣れ合ってきてその体たらくは何だ)と喉元まで出そうになるがぐっとこらえつつ、話せることだけ話してあとは黙り込む。後になって気付いたが、彼らは私のことを極左テロ集団と関係のある何者かと思っていたらしい。こちらには検挙歴も何もないものだから彼らが私について知っていることは当然何もなく、必死になって思想的背景を聞き出そうとしていたのだ。
やがて私が極左でもオウム真理教関係者でも何でもなく、ただ興味本位でGSハイムを覗きに来たことが明らかになってくると、急に刑事たちのテンションが下がってくるのを感じた。取り調べの前に預けた所持品の返却願いを次々と書かされ、左の人差し指で拇印を押し、返却された品々をカバンやポケットに詰め込むと、まるで放り出されるように成城警察署を後にした。
事件後しばらくして、オウム真理教ウォッチャーの友人のもとにひかりの輪広報のツイッターアカウントからダイレクトメッセージが届いた。そのメッセージには、上述の侵入事件に対する不満とともに、警察署での事情聴取の際に明かした私の本名が、名字だけではあったが記されていた。
これは一体どういうことだ。
当然、私はGSハイムに立ち入ることを誰にも予告していないし、事件後にも一切そのことは話さなかった。それにこの事件に関して私は厳重注意を受けただけで、逮捕もされていないし、この事件があったこと自体マスコミに公表されてもいない。にもかかわらずひかりの輪の広報が私の名前を知っているというのだ。
私がGSハイムのエントランスに立ち入ったことを知っているのは、成城警察署の警察官や刑事、それにそこから連絡が行っているであろう公安調査庁だけだ。
つまり、「犯罪を犯したわけでもない一般人である私の氏名(もしかしたら住所も)を、警察がひかりの輪にリークした」以外の可能性が考えられないのである。
上述の通り、宗教団体「ひかりの輪」は、かつて一般人に対する殺人やテロ行為を繰り返してきたオウム真理教の元幹部である上祐史浩を代表とする、「テロ組織オウム真理教の後継団体」である。その規模はかつての全盛期に比べれば見る影もないとはいえ、その強い反社会性を懸念して公安調査庁の監視対象ともなっているわけである。
かつてオウム真理教は、TBSテレビ「3時にあいましょう」のスタッフから「オウム真理教被害者の会」の代表を務めていた坂本堤弁護士に関する情報を提供され、同弁護士を家族もろとも殺害し山中に埋めた*6前科を持つ。今回のリーク事件に関して、そのような組織の後継団体に教団に批判的な行動を行った一個人の個人情報を与えることがどのような危険をもたらすかを、警察は全く理解していないと言わざるを得ない。
もし、現在でもひかりの輪に殺人などの実行部隊が存在し、彼らが私を拉致し、あるいは殺害して山中に埋めるようなことがあったとして、日本国警察は一体どうやってその責任が取れるというのだろうか。そういったことが皆無であると、彼らを長年監視してきた警察は断言することができるのだろうか。
警察と公安のひかりの輪への監視活動も近年はマンネリ化し、ひかりの輪スタッフと警察官の間での立ち話も見られるという。そういったたるんだ状況の中、「警察によるテロ組織の後継団体への個人情報のリーク」という一大不祥事が発生した。警察には事態の重大さを認識するとともに猛省を促したい。
*1 国際テロリズム要覧2020 http://www.moj.go.jp/psia/ITH/organizations/ES_E-asia_oce/aum.html
*2 日本経済新聞2019年2月28日付 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO41879540Y9A220C1CR8000/
*3 産経新聞2021年5月19日付 https://www.sankei.com/affairs/news/210519/afr2105190020-n1.html
*4 烏山地域オウム真理教対策住民協議会 http://www.kyogikai.jp/
*5 この事件の少し前に聖火ランナー水鉄砲襲撃事件が発生していることとは全く無関係である。
*6 TBSビデオ問題 https://ja.wikipedia.org/wiki/TBS%E3%83%93%E3%83%87%E3%82%AA%E5%95%8F%E9%A1%8C
うちには傘がある。たくさんある。
ここ数年、わたしが買った傘はせいぜい5~6本。主にビニールじゃない傘で、折り畳みと日傘も含まれる。
残りの傘はすべて夫が買ったビニールうちには傘がある。たくさんある。
ここ数年、わたしが買った傘はせいぜい5~6本。主にビニールじゃない傘で、折り畳みと日傘も含まれる。
残りの傘はすべて夫が買ったビニール傘。
数年前に同じことでキレ、「徒歩数分の場所から帰宅するだけなのに買うな。職場に置き傘せえ。雨が降るときは傘を持ち歩け」と口酸っぱく言ったが一向に改善せず。
本人はおそらく数百円のものだから買ってもいいか、という考えのよう。
その考えが、今に至る。
家に不必要なものを置きたくない派のわたしとしては、とても嫌な状態。
ありますよねー「とりあえず」でコンビニで買い物したついでにスプーンとかおはしをもらってため込んでおく人。
あれね、すごく、嫌なのよ。
すぐ使うんならいいけど、使わないんなら今家に置いておく必要ないんじゃないですか?
外でゼリーやお弁当を食べるのならスプーンいるけど、家で食べるんなら家にある食器で良くないですか?
断捨離をしたいわけじゃないけれど、住んでる家のスペースは限られているし、モノをため込んだところで使わずにいて最終的に捨てるくらいだったらそのスペースに何かしら必要なものを収納しておく方が建設的じゃないですかね?
ごみ収集芸人のマシンガンズ滝沢さんの本を読んだせいもあって、ごみの捨て方にこだわるようになってしまった。
そもそも、実家がわりと片付いている家だったので物があふれている状態がちょっと嫌。
(実家の、全員が住んでいる家は片付いているが、旧家と納屋にはよくわからない農具や使い古しの家電があちらこちらにおいてあるのでちゃんと片付いているとは言えないかもしれない)
っていうか傘なんて2、3本あったら良くないですか。
これはわたしの価値観であって夫としては10本欲しいのかもしれない。
「いいものを買ってもなくしたらやだ」といってやすものをゴンゴン買う。
そのやすものの金額で、いいものが何本か帰るんじゃないですか?
とにかく、家に使わない傘が何本もあって必要な傘をとるときに邪魔になって腹が立ってしまうので、なんとかしてもらいたい。
夫になんとかしてもらいたいのは、余分な傘を買ったのが私ではないから。
いくら邪魔でも、一応は人が買ったものなので勝手に捨てるわけにはいかない。
数年前にキレて「壊れてる傘は捨てろ。捨てないなら私が燃えないごみで捨てるからな」と前置きして捨てた。
なんだ?
テメーで処分したくないだけか??
と、それも含めて腹が立っている。
ニュータウンじみた町に住んでいる。31歳独身男の一人暮らし。
仕事終わりに散歩をしている。在宅勤務なので、今日外に出るのは初めてだ。
孤独と老化と仕事への嫌悪感で将来に悲観的な想像しかできない。仕事の環境はおそらく恵まれているのに、この気持ちは何だ。
楽しそうに騒ぎながら下校する小学生のガキどもを見て、つらい思い出ばかり残る学生時代を思い出してしまう。
次第にガキどもにやり場のない怒りがこみ上げてくる。
そんな中、ひとりのガキに目が行った。
そいつは一人で下校していて、ビニール傘の柄の部分を首にかけていた。
開く部分は首から横に飛び出ていて、水木一郎のスカーフのようになっている。
朝から在宅勤務だったので、俺は今日雨が降っていたのか知らない。
こいつ、バカだなぁと思いつつ、不意に泣きそうになっていた。
この街にいる他のガキがどうなろうが知らないが、俺はこいつのために税金を納めようって思えた。
もののけ姫の最後の方で「アシタカは好きだ、でも人間は嫌いだ」という言葉があったと思う。あの言葉はサンが人間に肯定的な意見を持つ第一歩だと思う。
人間から物の怪になりかけてそうな自分の心の絶望が少し和らいだのを感じながら、そんなことを思う。
たぶん今日は酒を飲まない。
この前セブン・イレブンで購入した高級傘(1100円)を二ヶ月も経たんうちに紛失した!と思って落ち込んでたんだがよく考えたら近所のスーパーに忘れてたな、と思って、雨模様の日に安いビニール傘持ってそのスーパーまで行ってさ、無事発見、安堵、そんで傘置きの同じグリッドに高級傘とビニール傘を同居させてさ、帰りに二本ともひっつかんでミッションコンプリートや!と思ったはずなんだけど、今見ると二本とも家にないのはなぜか?二本とも置いてきたからだ、どうして置いてきたのか?俺が致命的に鳥頭でバカで愚かで無能なクズのゴミカスだからだ
いやいや、俺はそんなにクズではないですよ、悪いのは傘のほうだ、というか、俺と傘の相性が悪いんです
考えてみると昔っからそうだ、小学校6年で使った傘は12本?15本?田舎のガキだから出かける先は学校だけしかないんで傘をなくすことはなかった(翌日に回収できるから)んだけど、そのかわり年に二本は壊す勢いでバンバン壊してた
杖みたいについて歩いてたら骨組みが崩壊した、側溝にうっかり突き込んで取り出せなくなった、風にあおられて回復不可能な形で裏返った……とにかくまあ壊しまくっていた
中学はチャリ通学だったから傘を壊す機会は減ったんだが、その代わりなのかなんなのか少し傘を手にすると瞬間的に壊れる、なかば異能めいた力を持ってたんだよな
家庭訪問に来た先生を外で迎えるために折り畳み傘を持って外に出て、手持ち無沙汰でちょっと傘の持ち手のストラップを持って振り回したら、持ち手が壊れて本体がヤブに飛んでいった
友達から傘を借りてちょっと近くの案内所で道を訪ね、友達のところに戻ろうと思ったらいつのまにか持ち手が強力な力を加えたみたいにひしゃげてた時はマジで理由が分からなすぎて恐怖を覚えたな、5分そこらで気付かないうちに傘がひしゃげることあるか?
そして都会に出てきて傘を持ち歩くようになったら、今度は壊れない代わりになくなりつづけるときた
1週間に3本傘を買ったことすらある
傘に呪われてるのか?俺
つか、壊れると傘と俺の双方にダメージがあるから痛み分けの感じがあるんだが、なくすと逃げられた感じがして不快なんですよね
破壊するべきなのか?傘をなくすと直感した段階で、逃げられる前に破壊すればいいのか
いや、厳密に言えばあるんだけど、割ったのは買い替え後もなんとなく手元に置いていた古いやつだったからダメージはゼロで、実質割ったことはないといっていいだろう。
防御は全然固めてない。今はやっすいスマホカバーだけつけてて液晶はノーガード、前使ってたやつに至ってはカバーすらなしのノーガードだった。
落とさないわけではない。むしろかなり頻繁に落とす。自転車で川沿いを警戒に走りながら落とすとか駅まで走る途中に落とすみたいなことが多々あり、力いっぱい落としまくっているといっていい。
でも無傷だ。画面にヒビ一つ入ったことがない。ノーガードの剥き身スマホを角から落っことしたときには流石に終わったと思ったが、その時ですら背面にすこし傷がいっただけだった。
俺はスマホの神に祝福されてるんだと思う。ちゃんとケースつけてるのに画面がバキバキの人をみると、内心ちょっと馬鹿にしてしまう。お前、信心が足りないんじゃないか?と。
でもその分傘とかメガネとか壊しまくるんだよな。ここ5年くらいで壊したメガネが2つ、失くしたメガネがひとつ。傘に至ってはもはや数える気にもならない。買った翌日から骨がいかれてたりするし、ビニール傘は数日で無くなるし、傘の神には嫌われている。
小さなビニール風呂とビニール傘で家サウナを始めて20回ほど挑戦している(基本毎週土曜日にやるようになって4ヶ月目だから多分これぐらい)が、未だに「整う」ことがない。
水風呂に入っている間に、全身の力が抜けてオシッコが漏れそうになったことや、ベッドに横たわっていると身体が左方向に思い切り回転してそのまま転がり落ちるような錯覚を覚えたことまではある。
「整う」寸前まできて、あと一歩を失敗しているのだと思うが、コツが分からない。
今の状態でも水風呂から出て全裸でベッドに横たわり瞑想をしているだけで十分なリラックス効果があるのでサウナは続けるつもりだ。
「整う」ことで得られるらしい激しい快感こそまだ知らないが、ベッドでリラックスしているときの「脳の中にある不安を感じる回路が機能不全に陥り、将来に対して常に感じていた漠然とした恐れが消えてしまう」状態は非常に好ましいものがある。
常に吹き荒れていた悪しき未来への緊張感から開放されることが、週に1度、場合によっては2度あるだけでも、生きることの大きな助けになっているからだ。
大抵は
・とっくに実行してる人も多いけどそれだけじゃ被害を防げないのにどや顔で言うクソバイス
だから怒られるんだと思うが
セカンドレイプとは、
レイプなどの性的暴行を受けた者に対して、第三者が、性被害の苦痛を思い出させるような言葉を投げたり、被害を受けた原因の一端が被害者自身にもあったというような中傷めいた発言をしたりして、精神的な苦痛を与えること。
タイトルに「セカンドレイプ」が何故悪いのか、説明してほしい と書いたが、私はこれ自体が何故悪いのかは理解することが出来る。
私も子供の頃に風邪を引くと「お前に落ち度がある」みたいな事を親に言われ、心底腹が立ったのを思い出す。
完全に防げる事のなく、何処で遭ってしまうかも分からず、かつ遭ってしまいやすい属性(この場合免疫の低い子供)なのに、そんな事を言われても……。
というか実の子供がつらい目に遭ってる時ですら「人を責めるのきもちいいwww」なのかコイツ。人間性を疑った。
幸い痴漢というものに一度も遭った事はないが、痴漢の場合は、性に関わるしそもそも犯罪であるということもあって、この比ではないことも察する。
つまり、セカンドレイプが何故悪いのかは「被害者に対して追い打ちを行うことが道徳的によろしくない」である。
しかし、セカンドレイプという言葉がここを離れて使われる事がネットではしばしばある。
例えば、
「傘を盗まれにくくするテクニック!まずビニール傘は本当に盗られやすいから避けるのが無難じゃないかな。他にはこんなアイディアがあって、傘にこんな印をつけておくと盗まれにくくなるみたい!よかったら試してみて!」
という投稿があったとする。
テーマが傘の盗難なら「試してみよう!」「おもしろい」などと言われる事の方がまだ多いが、これが痴漢になると
「なんで傘に印なんかつけなきゃいけないの?つけなくないんですけど」
「そもそも、傘を盗む方が100%悪いのに、どうしてこちらが対策する必要があるの?」
「セカンドレイプですよ!」
ん、「セカンドレイプ」ですよ……?
投稿者は、誰か特定の被害者に対して直接中傷したわけでもないし、ましてや落ち度を指摘したわけではない。
単に嫌なことを回避するライフハック的なものを紹介してくれただけではないのか。
というかこのような投稿をしようと思う時点で、投稿者本人も少なからず悩んでいた可能性が高くないだろうか。
悪の所在はそれほど大事だろうか?正確には、悪の所在と被害の大きさに関連はあるだろうか?
自分に一切非はなくても、痴漢に遭いたくないし、傘も盗まれたくないし、なんなら風邪も引きたくない。
「殺人は100%した方が悪いわ!だから大丈夫よ!あなたは何も悪くないわ!」と言ってもらえるからといって殺されたくはない。
普通はそう思わないだろうか。だからこのようなライフハックは共有され、実践されるのではないだろうか。
それですら「セカンドレイプ」の一言で封じようとするのを、私は理解することが出来ない。