はてなキーワード: ビッグイシューとは
テレ東の「ハードボイルドグルメリポート」(海外の貧困層に住む人たちが今日何を食べるかをリポートする番組)を見て衝撃を受けて、
「何もできないけど自国にいる家がない人を少しでも支援したい」と思って、ビッグイシューを買い始めた
旦那は「そんなことしたって貧困の解決にはならないよ笑」みたいなことを言っていい顔をしなかったけど、自分のしょぼい給料でもやれることをやってる!と思っていた。
そんな中で、ビッグイシュー販売員の方のTwitterアカウントを見つけた。
どうやって投稿してるのか分からないが、2000人くらいのフォロワーがいる。当然私もフォローした。
ここ最近は毎日「売れない、本当に辛い」というようなことを書いている。
大変だな、今月号買わなきゃな、と思っていたところで、
「どんなにビッグイシューが売れなくても、自分が販売している場所をTwitterで公開する気はない。他のネットを使えない販売員さんと対等ではなくなってしまうから」
というツイートがあった。
それを見て、「そんなこと言ってるからホームレスなんじゃん…」と思ってしまった。
本気で今の状況から脱却したいと思っていないのでは?とも。
全員踏み潰しても這い上がるか、それが嫌ならその辺一体の販売員全員の宣伝を請け負ったらいい。そもそもビッグイシューなんて書いたい人の方が少ないのだから、買う人の母数を増やす活動をあなたなら、SNSを使えて文章を書けるあなたなら、できるのに。
鈍臭い。
そう思ったら嫌悪感が止められなくて、きっともうビッグイシューは買わない。
今は私もビッグイシュー買うなんてなんの解決にならないよ、と思う。貢献額の少なさではなくて、貧困層の人たちは、いつまでたってもきっと鈍臭いから。
ワイはクラウドファンディングをやってそれを満たしているフシがあるなあ。
あと、駅でたまにビッグイシュー売ってるホームレスから買うとか。
自分よりも生きるの辛そうな人に対して富の私的再分配をする、というスタンスなのかなーという気がする。
それによって罪滅ぼしというか、充実というか、そういうものを得ているような
そうだな、勉強してないもんな。
国に収入把握されて進学先まで口出しされてよければ生活保護が受けられる。
親に収入把握されて進学先や結婚まで口出しされてよければ学費援助が受けられる。
村でプライバシー全部把握されていろんなことに口出しされてよければ相互援助が受けられる。
こういう把握とか指示なしで
外国人だって欧米人だとコミュニケーション上の見返りなどがある。
むしろホームレスにビッグイシュー発行させて見返りつくってる。
それも一部ゆがんでて鳩を放すとかのかたちで簡単な見返りをつくったりするんだ。
今までの制度がどういう失敗したかしってて解決案を提示できなければ、
おまえがここで煽った程度で
「国民全員困ったときには乞食できる制」なんて実現するわけないってわかるだろ。
https://anond.hatelabo.jp/20180921192216
派遣で働いていたときこんなにコメントを貰えた事ないからすごく嬉しいありがとう
ホームレスの生活から今までのことを知りたいという人がいたから覚えてる範囲でかいてみる分かりにくかったらごめん
どこの会社化は言わん方が良いよね派遣を解雇されたときは寮を追い出されるまでは二か月くらい時間もらえたかな
でもすぐに正月が来てしまったしあまり沢山の求人もなくて応募も出来なくて仕事はみつからなかったな
行くところなんかないから持っていた車で寝るようになったけど車もひもじくて売ってご飯を食べるお金にしてしまった
路上で寝ていたら仲間のおっちゃんが掃除の仕事で稼げるから若いからまだ社会に戻れるからやるかって言って掃除するようになった
でも全部で60日くらいしか働けないからゴミ箱や炊き出し以外の飯は食べられるけど家を借りる様なお金にはならないよね
この生活は結構続いた寝るとここは公園だったけどお金があってご飯が食べられて炊き出しとかでも食べられて良かった
あとはアルミ缶を集めて売ったりいろいろだねたまに食べられる牛丼ほどおいしいものはないなって思った
公園から追い出される事が決まった時にNPOの人が若いからって東北の方にある施設に入れてくれて仕事をくれた
仕事は農作業の手伝いとか震災の後片付けで時給700円だけど道具のレンタル代を毎日1500円払っていたし食費も払ってたから
手元には3000円くらいしか残らなかった皆でお酒飲んだり煙草を吸ったりすると残らない
馬鹿だから作業がとろくて叱られた時に時給は1000円も払ってんだからって言われて不思議に思ったんだよね
もう食費も家賃もレンタル代も払ってるのに300円はなんだろうって
皆で済んでる家も庭の物置みたいな奴でトイレは仮設で臭くてなんか話が違うし俺ら騙されてるのかなって怖くなった
このままじゃ駄目だと思って施設の人には黙って逃げたんだ東北に居たら掴まると思って歩いて逃げた
また地域清掃の仕事させて貰えないかと思ってたんだけどビッグイシューの人の夜回りで良くしてもらって興味を持った
一冊170円で仕入れて350円で売るから180円てもとに残るんだよ
寮は1万五千円の家賃だけど1万円は将来為の積み立て一か月頑張って売って8万円位は稼げた
おにぎりとか貰えたりするし豆腐とか安い物を買って食費は一か月に2万円も行かない位
着るものは一杯寄付があるみたいだから着れるものを貰えるから買わなくても大丈夫
恥ずかしいけど酒は飲んでたしタバコも吸っていたから貯金は2万とか3万とかしかしてなかったなもっと頑張れば良かったかな?
寮を出る為のお金は貯まったけど仕事は本当にみつからなくてビッグイシューは長く売ってたなあ
おじいさんとかもっと必要な人もいるもんね俺は若いしまだ働けるんだから頑張んなくちゃって思ってた
世の中が良くなって仕事が増えてから家の解体屋の仕事を貰えたからまだ試用期間で正社員じゃないけど
アパートを借りて今に至るという感じです。クビにならなかったらいつかは正社員になれるかもしれないから頑張りたい
みんなは酒もたばこもパチンコもやっちゃだめだ人生をダメにする
期間工って上手くやれば半年で160万円位は貯金できるのに酒とパチンコでお金残ってなかったからおれはホームレスになった
酒もパチンコもだめだ金がないのにタバコ吸っちゃダメだよね酒はばかになっちゃうから怖い
政治の事は分からないけれど今のもとホームレスでも仕事を貰える位仕事がある世の中は続いてほしい
1人でも多くの仲間が助かって欲しい
みんな好きで辛い思いしてないでも仕方ない無理だって諦めてる俺らも悪いけどと思う
ビッグイシューはたまにでいいから買ってあげて欲しい1冊で180円だからパンが食べられるし1日また生きられると思って嬉しいから
嬉しいから買ってくれてありがとうって手紙を挟んでいたらいつも買ってくれるおねぇさんとかもいて
そういう人たちがいたらかもう死んでもいいやじゃなくて頑張ろうと思えた
今はもう一回おかあさんに会うのが夢です正社員になれたらおかあさんに会いたい
管さんが政権にいた頃に派遣をクビになってから何年か路上生活をしていたけどアカウントが残ってたので記念の書き込み
暫く放浪すると自治体がくれた清掃の仕事をして月に7万円くらい貰えるようになったけれど働ける日数に制限があってその仕事だけでは生きていく事はとても出来なくてずっと路上にいた
それから自立支援のNPOの施設で生活して斡旋された仕事をして時給700円貰えたんだけど実際は時給1000円くらいあったらしく消えた差額を疑問に思ううちにそこからも飛び出した
優しい顔をして近づいてくる支援団体の人ほど信じられず怖い存在はいないことを身に染みたでも助けてくれたのも同じような顔をした人たちだったビッグイシュー買ってくれた人ありがとう時々くれたあんパンとかもありがとう
俺たちのような人間をまだ食い物にする怖いひとたちがいるホームレス差別なんかそれに比べたらなんでもないと思うだって俺馬鹿だし
募金やボランティアをやる人が、もっと増えるといいのに、と思う。
日本人の社会貢献の意識が薄いのは、単純に「周りのみんながやっていないから」だろう。
人は、みんながやっていることは簡単にやるのに、みんながやらないことは簡単に出来ない。当たり前だけど。
これはやるべきか否かという選択を自分の手から離して、集団に任せてしまった方が基本的に楽だからだ。この判断は善悪とは全く関係がない。
例えば、「殺人を犯すべきではない」というのは、”一般的に人は人を殺さないから、自分も他人を殺さない”そんなマインドが実は根底にある。
逆に言えば、それが犯罪であっても、周りの人がみんなやっていれば、多くの人は流されてやるのだ。そんなことが膨らんで起きた凄惨な事件がたくさんあったことは言うまでもない。
個人の自我は人が想像するよりもずっと弱くて、その選択は多くの場で集団に左右される。だからこそ、社会的な空気が変われば、きっともっと皆が自然に募金やボランティアをして、遠い他人を支援するのが当たり前の世界にもなるのにな、と思う。
そういえばたまに、「偽善である」という理由だけでボランティアを全否定する人がいるけれど、「偽善であるからやらない」というのは理屈としてはおかしい。
感情として、”私は私のためだけに生きていきたいから、他人にお金や労力なんて割かないよ”というのであれば、「私には時間とお金がありません」で良いのだ。つまり、偽善であるからやめなさい、とはならない。
しかし実際はそうではなくて、おそらく偽善者嫌いの人たちは、「自分は格好をつけない正直ものである」と言いたいのだろう。だけど実際人って気づかないところでたくさん見栄を切っているのではないか。
それが人間なのだから、仮にボランティアという行為に格好をつけた部分があるとしても、いずれにしても放っておけばいい、のに。
そもそも募金やボランティアというのは、基本的には「弱者支援」だ。それは皆が受けてきたもの、受けるであろうものであることを忘れている人も多い。
どういうことか。
最初から大人だった人はいない。人間は誰しも最初は子どもからスタートする。
子どもは弱者の典型だ。誰かが衣食住を与えなければ、大人にはならない。子育てとは一般的に、親から子に無償で与えられる支援のことを指すのだ。
また運が良くおじいさんおばあさんまで生きられた人は、言わずもがな介護を受ける。これも多くの人が「弱者支援」の当事者になる可能性を持っている。
「介護が貨幣を介しているなら、支援ではなくサービスだろう」と、そんなことを言うのであれば、その人はインフラにも同じことを言えるのか、と思う。
お金で今の生活が全部手に入ると思ったら大間違いだ。お金で何でも手に入るようになったのは、今の生活基盤、経済システムが作り上げられたおかげだろう。
支援や贈与というのは、貨幣経済の前提にある概念であり、否定対立するものではない。
なんでも貨幣で解決する、というのは大きな間違いだろう。人はスマホがなくても生きられるけれど、水がなくては生きられないし。
そういう点で、「弱者支援」は根本的に私たちの生活を持続させる上で欠かせないものなのだ。
弱い人を切り捨てていく集団は、最後の独りになるまでそれを許せない。このあたり内田樹先生が確か良く言っていたな。
ちょっと大きな話になってきたけれど、今現在必要な支援をギリギリで支えている(支えられていないところもある)のが公的なセーフティネットであり、それを動かすための税金だ。
ところが大抵の人にとって納税は「メシの食い上げ」であり、節税はやれる分だけやる方が良いものだ。だから皆故郷でも無い自治体に納税をして、税金の無駄遣いという言葉に異常に反応をする。
実際に税金が遣われている大部分は、目に見えないもの、実感を持ちづらいものだ。その必要の是非は検討すべきことだけれど、そもそも税金の無駄遣いと、自分が納税をする、という問題は別である。
「無駄遣いされる税金なら払わない!」という発想はごく簡単に「自分だけ得したい」に変わり、「自分が使わないサービスはいらない」という発想になる。
具体的には、自分の納めた税によって自分のために何がなされたか、ではなく、社会のために何がなされたか、という視点で考えると、納税感も少し変わるのではないか。
話が転じてきたけれど、つまり納税も社会貢献である、ということを多くの人は忘れているのではないか。納税は、政府にただ取られる、無駄遣いされるお金ではなく、社会を持続可能性を少しでも上げるためのお金だと冷静にとらえ直すべきだろう。その点は、多く納税をしている人は誇りに思ったっていいはずだ。
ここまで何がいいたいか、というと、自分のために100中100の意識を持つのではなくて、1でもいいから弱者や社会のために意識を向ける、それが当たり前になればいいのにな、ということだ。
0と1の差は、私の感覚では1と100の差である99よりも大きい。なぜなら、1が100人いれば100になるからだ。
人は1人では生きられないんだな、という気持ちがあると、生きていくのも少しずつ楽になっていくだろうに。
さぁ帰りにコンビニでお釣りを募金するか、街頭でおっさんからビッグイシューを買うか、次の連休をどうするか、知らん人のために何が出来るか考えるか、
棒