「ヒューマニズム」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ヒューマニズムとは

2022-08-03

anond:20220730110856

フェミニズム大前提ヒューマニズムすら投げ捨てて「フェミニズムは(生物学的な)女のもの」「トランスは出ていけ」「男のことは男が勝手にやればいい」みたいなこと言い出す自称フェミニストワラワラ湧いてる時点でもうどうしようもないでしょ。

2022-06-20

フェミニズムが発想はヒューマニズムなのに、態度は新自由主義である理由

個人複数属性統合体であるわけで、仮に男の生きやすさが70、女の生きやすさが50だとすれば、じゃあ、男に10負担を強いて、60:60にしようと言うのがフェミ根本発想なのだが、言うまでもなく1人の人間は、ただ男であるけがなく、ただ女であるわけでもない。

美醜で、ある男の生きやすさが10、ある女の生きやすさが90だとすれば、性別+美醜の合計での生きやすさは、男Aが60+10=70、女Bが60+90=150になる。つまり、より弱者である男Aから女Bはリソース収奪しているわけで、これがつまりは「非モテが反フェミである根本理由だ。

非モテは、アファーマティアクション否定しているのではない。それが結果的にアファーマティアクションとして機能していないと主張しているのだ。

「そちらはそちらで頑張ってください」

と、そうした非モテ弱者を突き放すのがフェミ定型的な対応になっているが、これは①弱者ヒューマニズムで救済すると言う自らの理屈を裏切っている、②自らが加害者に結果としてなってしまっていることに対して修正措置をとるべきであることを理解していない、と言う2点においてロジカルにも道理が通らない態度だ。

「そうですね、ありとあやるゆる弱者性が救済されるべきです」

と言う穏当な態度にどうして帰結しないのかと言えば、合計150点の女が負担を強いられることになるからだ。基本的には貧乏人のためには1円も払いたくない業突張りと同じマインドである

必ずやフェミニストは地獄で裁かれるだろう。

2022-06-03

anond:20220601214919

この増田が偉いのはちゃん女性だけの街実現のための方向性を示しているところ

現状では難しいと一貫して言っていて現状の問題解決すると実現するかも知れないという前提がある

しかもその根底にあるのはヒューマニズムとしてのフェミニズム特定性別優遇しようという考えではない

男性基準労働是正することで性別によらず雇用機会を平等化していこうという話

ブコメでこの増田フェミニストと言われるのがわかる

2022-05-04

中絶禁止フェミニズム市民社会に適合できるかどうかの試金石

フェミニズムを巡る疑念糾弾齟齬の根幹は、結局はそれが「女権のみ拡張主義であるのが普遍的人権思想に根差しているのかによる。「○○のみ拡張主義」はナチズムが「アーリア人権利のみ拡張主義」であったように最悪の結果をもたらすし、それによって公共が左右されることはファシズム以外の何物でもない。

「ならば男性男性自分たちで男権を主張してください」

この種のフェミナチたちは、誰かが対抗理屈(と言うか対抗屁理屈)を発明するとそれに群がって考えもせずに多用し始めるが、これが問題であるのは、「○○のみ拡張主義」で公共を左右しようとする試み自体ナチズム/ファシズムとして糾弾されるべきだからであって、常に公共への働きかけは普遍的人権思想に基づく公共の福祉の調整でなければならないかである

まり普遍的人権思想に根差して、公共の福祉の調整と言う観点に基づかない権利主張はすべてファシズムなのであって、他者に対する人権弾圧である

これが「女権のみ拡張主義」「ならば男性男性自分たちで男権を主張してください」の人たちが言葉の正確な意味合いにおいて社会害悪であり、積極的排除されなければならない根本的な理由だ。また、これが世界の主流派フェミニズムが急いで、ユニヴァーサリズムに方向転換しようとしている理由でもある。

ナチズム下においては、人権定義が大きく制約されることになった。通常の殺人範囲に含めないことでユダヤ人大量虐殺可能になったのである

従って、アフターナチス世界で求められるべき「人間」とは定義恣意的意図によって左右されない絶対性によって規定されるべきであろう。死刑廃止運動とはまさしくこの観点から為されている。死刑囚人権擁護のためではなく、「人間」の不可侵性を守ろうとする思想である死刑廃止運動においては、このことを理解しているリベラル中絶問題になれば、まったく態度を翻すのは理解しがたいことである

人間定義には政権イデオロギー恣意性に基づく冗長性があってはならないのであって、アプリオリ絶対的なものでなければならい

現在は、胎児は「全身が母体から出てからが人であってそれ以前は物」と言う考えが主流であるが、これは恣意性のもの定義である。例えば頭部のみが出ている段階で、赤ん坊ナイフで刺せば器物損壊罪で、1秒後に全身が出たところで刺せば殺人罪と言うのは科学的な説明がつかない。物体それ自体は同じだからである栄養従属であるかどうか、つまりは臍の緒でつながっているかどうかであれば、帝王切開をするかしないかでも他者による恣意性が入り込むことになる。

1秒前までは物、1秒後は人間、と言う科学的なアプリオリに基づかない恣意性から脱却するためには、結局のところ受精卵に人間性を求めるか、少なくとも胎盤への着床後にそれを求めるしかないのであって、理屈の方は中絶禁止派の方が科学的には通っている。

「女の体は女の物」

「私の体の決定権は私にある」

レイプされて子を産めなんて自殺する人も出てくる」

と言う人たちは、徴兵制によって徴兵されて死を強制されて来た男性兵士たちのことを考慮してみた方がいいと思う。彼らもまた、同じことを言いたかっただろう。現在徴兵制があるかどうかは問題ではない。それがあり得る政策として現在も許容されているということが問題なのである。そしてこれは、同時に、「女性のみが男性リソース負担をかける形で体育成績で優遇されている」「女性のみが需給法則雇用自由に逆らって男性の機会リソース負担をかける形で男女雇用機会均等法がある」「女性のみが男性権利侵害する形で女性専用列車がある」「女性のみが男性税金雇用機会に負担をかける形で女性センターがある」等など数え上げればきりがないが、最終的には男性身体性を毀損する形で、公共の福祉の観点から調整が図られているのだ。その結果が著しい性差が偏った寿命格差幸福度の差、自殺率の差であっても、許認されているのである

まり、利害が対立する局面において、他方の損失が生存に負荷をかけるような重篤性がある場合は、「女性がこの社会により適合性を持たないのは男性のせいでは無いが」、公共の福祉の観点から調整が正当化されるのである

それが市民社会なのであって、中絶問題はつまり女性が、他者利益のために公共の福祉を成立させる自己犠牲を受け入れられるかどうかが問われているのである

女性身体自由性、女性の心身の健康もかなり人権的には重篤レベル権利ではあるが、それが胎児生存権に優先され得るかどうかが問題になっているのだ。

胎児から人間ではないので胎児人権それ自体存在しない」

という主張は、既に見たようにアプリオリものでも無ければ科学的根拠に基づくものでもない。恣意性に基づいていると言うこと自体批判されるべきであるが、恣意性に基づいているのであれば別の恣意性によって動かし得るものなのである。そしてこれを免れ得ないので、中絶賛成派は、アプリオリ定義科学に基づく議論には決して深入りをせずにただ相手キチガイ呼ばわりしてそれでおしまいにするのだ。

女性身体不都合胎児生存権、どちらを優先するかは人権思想に基づくのであれば、後者とせざるを得ないのである。なぜならば私たちは二度とユダヤ人人間定義から外した恣意性に戻ってはならないかである

フェミニズム流派が言うように、フェミニズムヒューマニズムの一形態であるのであれば、ここが女性人権思想を本当に尊重し得るのか、市民社会プレイヤーとして相応しいのかどうかが問われる試金石になるだろう。他者生存権を尊重できないようであれば、フェミニズムイコール関係においてナチズムに他ならないのである

2022-04-03

生き残るための手段としての「ロシアに対するキャンセルカルチャー

原文

https://lb.ua/culture/2022/03/18/509953_cancel_russia_yak_instrument.html

ヴォロディミール・シェイコはウクライナ研究所日本国際交流基金にあたる)の長で、ウクライナ文化外交責任者訳者感想最後に。

ロシア侵略開始からわずか数日後、ウクライナ文化関係者および団体は、国際社会に対してロシアに対する「文化制裁」を実行し、プーチン政権ロシア資本から直接的・間接的に支援されている人物団体に対する協力の停止を呼びかけるアピールを出した。

ウクライナ研究所は、国内海外パートナー団体専門家ネットワーク代表500人以上に対してアピールを送って拡散することを依頼し、それとは別に欧米学術団体大学に対しても書簡を送ってみた。この「文化制裁」に対する公開書簡には3800人以上のジャーナリスト人権活動家教育関係者文化人たちが署名していて、在外ウクライナ人たちも同様のアピール拡散している。

ウクライナの主張に反論することはできないだろう―――ロシアによって仕掛けられた戦争は、明らかに国際法違反しており、罪のない人々を数千人も理由なく殺害し、歴史的建造物意図的破壊しているのだから。この状況で侵略者と文化的に協力することは戦争犯罪正当化することであり、ロシアによる印象操作のために新たな場所提供することに他ならない。ウクライナ研究所声明の中で、ロシアが数十年もの期間にわたって文化政治的プロパガンダ手段として利用して国際的評価を高めることで、世界の注目を他国への戦争犯罪から逸らしたり、人文学において帝国植民地ヒエラルキー体制確立してきたことを指弾した。このロシア行為に高名な学者キュレーター美術史家、財団理事美術館フェスティバルフィルハーモニーたちは加担してきた。彼らは2014年以降もロシア政府機関に進んで協力してカネの出所無視して見なかったことにしてきたし、そんなロシア芸術的プロジェクトを通じて広められた有害非科学的な主張に対して反論することもなかった。その象徴的な事例が、ニューヨークMoMAロンドンの王立芸術院パリグランパレ十月革命百周年の2017年に開かれた「ロシア芸術」の豪奢な展覧会だろう。ロシアから最恵国待遇」を受けてコレクションを借り出したキュレーターたちは、ロシアウクライナその他の国の芸術を盗み出してきたことを見なかったことにしたし、その全体主義的な芸術を無批判に美化することを止めようとしなかった。

ウクライナ爆弾が落ちた2022年2月24日、「素晴らしいヒューマニズムロシア芸術」というメタファーはようやく消し飛んだ。それでも、文化プーチン政治戦争責任と切り離して考えることができるという信じている数百万の海外の人々にとって、トルストイドストエフスキーショスタコーヴィチあるいは「ロシア・アヴァンギャルド」は心の中で生き続けているようだ。

世界ウクライナとの連帯過去に類を見ないほど広がっており、世界文化界は言葉と行動によってウクライナに大きな支援を送っている。しかし「ロシアに対するキャンセルカルチャー」に対して西側が示した反応は、ウクライナ文化外交課題を投げかけた。

メトロポリタン歌劇場カーネギーホールバイエルン歌劇場などの多くの団体は、指揮者であるゲルギエフ歌手ネトレプコとの契約を打ち切って、ロシアアーティストと協力しないことを公表した。カンヌ映画祭ロシア代表団と政府関係者の参加を拒否した。それとは裏腹に、ロンドンロイヤルオペラハウスウクライナ戦争を「人道危機」とした上、ロシアについては何も言及しないという恥さらしの声明を発表した。私たちコンタクトを取った人々の多くは、ウクライナ難民支援することを口約束する程度で、ロシアとの協力を停止する呼びかけには大した反応を見せなかった。思っていた通り、ポーランドリトアニア団体が最も毅然とした態度をとって、ドイツペンクラブは「真の敵はプーシキンではなくプーチンだ」という声明を出し、フランス人たちは沈黙した。

そして、西側文化学術団体ウクライナロシアの「和解」や「異文化交流」を推進する事業を始めたようだ。注目すべきは、彼らがどうやら戦争が始まって4週間でのウクライナにとっての「和解」の必要性への無関心だろう。ロシア人を「プーチン政権犠牲者」と位置付けることで、戦争犠牲者となっているウクライナ人と同じ「犠牲者」として等しくとして扱うような形で、ウクライナ人、ロシア人、ベラルーシ人を一緒くたにした沢山の事業が始まった。

こうして、23もの長期にわたってプーチン政権継続してきたことや、ウクライナでの起きている戦争や、ロシア社会政治的受動性、あるいは市民抵抗が失敗し敗北してきたことにに対して全てのロシア人の責任をなかったことにしたいのだろう。他にも図々しい連中はいる。フリードマンカーンというロシアオリガルヒによって資金提供を受けたことにより度し難い妥協施設となったバビ・ヤールのホロコーストメモリアルセンター芸術監督イリヤ・フルジャノフスキープーチン犯罪と戦うことを要求する書簡署名した。これがウクライナ世論の怒りに火をつけたことは言うまでもないが、逆にブリュッセルワシントンベルリンでは歓迎されたようだ。

これは偶然そうなったわけではない。西側ウクライナロシア関係を完全に誤解してるし、ウクライナには独自文化アイデンティティもない軽視すべき存在だという考え方を持っているのだから。よって、国際社会にはロシアによる戦争が新たな植民地主義であることや、ウクライナが脱植民地を目指して何世紀にもわたって独立運動を繰り広げてきたということを理解してもらう必要がある。ロシア帝国主義とウクライナ独立絶対に両立しない。ウクライナ武器で遊んでいるのではなく自らの独立をかけて戦っているのである。だからこそ、軍事だけではなく文化も同様に重要最前線なのだ

ウクライナロシアへのボイコットを呼びかけていることへの見下した反応や、侵略者とその犠牲者を「和解」させようとする一際魅力的な欲望は、西側が持つ植民地主義的な考え方を強く反映している。この考え方の根底にあるのはロシアが中心でウクライナ辺境であるという先入観で作られた世界観だ。これは権威あるロシア文化は周辺の人々の生死よりも重要なことで、ロシアの言うことは聞くべきだが、周辺の人々の言うことに価値はないという考え方だろう。そのようなパラダイム解体なくして「和解」や「対話」もあるべきではない。

ロシアとの和解は遠い遠い未来に始まる―――まずはロシアドンバスクリミアを含むウクライナ領土から完全に撤退し、国際法廷で戦争犯罪が裁かれ、ウクライナ賠償金を支払わなければならない。プーチン政権は打倒しなければならないし、その後に生まれ民主的政府市民社会メディアウクライナへの犯罪を認めて謝罪しなければならない。そのようなロシア社会自己批判深い反省があって、ようやくその時になって始まるのである

もちろん、こんなバラ色のシナリオが待ち受けていることは分かっているが、だからといってウクライナ今日にでも妥協しなければならないということでもない。ロシアとの「和解」を急ぐことは危険なことだ。それは旧来の考え方に基づいたロシアによるウクライナの再植民地化が開始されることを意味している。要するに、ウクライナを再び文化辺境へと押し戻し、ロシアが「スラブ」「ポストソビエト」「ユーラシア」の中心であり続けるということだ。世界ロシア帝国主義や植民地主義の知識人さらに深く和解することを望むだろう。そうすれば、ウクライナ自分たち意見を反映した和解のあり方を作るチャンスを失ってしまう。

戦後ロシアをどうするか」は、ポストコロニアル研究には重い宿題となる。ロシアは脱植民地化の苦痛という歴史経験しなかった不幸なほど時代遅れの国だが、なぜかは分からないが西側はそのことをよく理解していないらしい。この戦争はそんな西側の目を覚ます機会となるだろう。新しい視点コミュニケーション共存の新しい在り方を作っていく機会なのだ。それは理論だけではなく、より重要なのは法的、経済的、人道的な政策として具体化されるべきで、ウクライナはその創造者の一人とならなければいけない。

これが現在ウクライナ文化外交が目指すべき到達点だ。これは長期的な目標になるだろう。ロシアとの戦争という状況下においての文化外交は、対話和解を促進するべきではなく、ロシア文化的・言語的な支配という脅威に対して抑止力として機能することで、私たちアイデンティティを守らなければならない。

それが私たちが生き残るための手段だ。

解説感想

訳は下訳を作って機械翻訳とも照らし合わせて作りましたが、あいにく初学者なので文責は持ちません。

ウクライナ研究所はそのブリティッシュカウンシルに範をとった機関として2017年設立されました。ヴォロディミール・シェイコはブリティッシュカウンシルで働いた経歴のある人物ですが、日本wikipediaで所長として示されている指揮者の人とは同姓同名の別人です。

lb.uaはそこそこウクライナでは有名なニュースサイトで、元々は週刊誌web版です。

で、このコラムは前半はアリキタリで面白くないんですが、後半から西側批判面白い部分かなと思います特に文化界にありがちな既存ヒエラルキーを温存した形の「和解」を強要しようという流れを戒めているわけですな。

最近流行りのネオナチ問題に絡んでウクライナ右翼問題言及しておきますと。

途中のバビ・ヤールについてですが、このメモリアルセンター地元ウクライナユダヤ人たちによって反対運動が起きたほど国内では評判の悪い施設です。要するにロシアによる情報操作の一環として「ウクライナ反ユダヤ主義的な国であるかのような展示」をするのではないかと考えられていたようで、ウクライナ情報機関SBUが「その証拠は今のところ存在しない」という文書を出すに至り、センターがその御墨付をWebページに掲載しているほどです。フルジャノフスキーセルフプロモーション目的クズ扱いされてました。まあドンバス内戦やらせてる奴の身内連中が集まってきて虐殺を記念するセンターを作ろうなんてグロテスクな話ですわな。

それと、元からウクライナユダヤ人というのはロシアはもちろんのことイスラエルを中心とした西側ユダヤ人社会とも折り合いが悪く、この反対運動の先頭に立っていたYosyf Ziselsなんかは西側ネオナチ扱いされているほど評判が悪いようです。なぜかといえば、このYosyf Ziselsを始めとしたウクライナユダヤ人というのはソ連時代反体制派の経歴を持つことも多く、独立以降はウクライナ意識が強烈だったりするんで、平気でWW2時代の「ナチス協力者」を擁護しちゃったりするんですな。まあ自分たちユダヤ人建国した国という意味ではイスラエルに負けてへんぞ!みたいな意識があるんでしょうな。

なのでウクライナ右翼の金主の一人であるコロモスキーユダヤ系だったりするのは、それほどおかしなことではありません。

よってウクライナ極右というのは、西側ネオナチよりも、日本の「任侠右翼」と類似しています靖国神社とか橿原神宮に集まってる右翼のお兄ちゃんが数年後に民団役員やってるのとかと同じで、思想的背景にはほとんど意味ありません。欧米学者ジャーナリストは「犯罪組織公然部門としての右翼団体」みたいなもの理解できないので頓珍漢な「サッカーフーリガン起源説」を唱えるのですが、そんなものコロモスキーが金主になるわけもないし、戦闘力が高い説明がつかないでしょう。要するに軍事経験のある右翼アニキ愚連隊を抱えて作ったお国のための組織という説明日本人ならすぐ分かると思うのですが、これが西側の人には理解できないようです。

鈴木智彦さんがちょっと笑い話みたいな形で織田絆誠のPMC構想をウクライナと絡めて話していましたが、ウクライナ極右グループは実際にチェチェングルジアで得た戦闘経験を元に国家機関までのし上がったわけで、割と笑い話にもできません。まあ日本暴力団と同じで、なんだかんだお上には絶対に逆らえない性質があるので、ナチス紋章がどうだとかは暴走族旭日旗振り回してるのと同じだし、奇妙な儀式とかやってるのはヤクザ盃事みたいなものだと思って受け流せばよいと思います

というわけで反乱の懸念もないどころか、国家親衛隊普通大隊の方がヤバい奴多いと思ってるんですよ。なんせ2014年には自腹でも戦争したいって連中が集まってたわけで、金目当てだの兄貴分に言われて参加しただのの方が理由としてはいくらかマシでしょう。ただまあ、いつか武装解除した時には犯罪者を野に放つようなものなので、単純に治安悪化することを懸念してなくもないです。

2022-03-20

弱者男性存在を明確にしたのはフェミニズムの功績

これは間違いないと思うよ?

学術研究レベルは別として、市井認知されていなかった弱者男性という存在を、好悪を別にしてフェミニズム論争の過程弱者男性フォーカスがあたるようになったのは間違いなく近年のフェミニズムのお陰だ。

しかしたら一部のミサンドリスト弱者男性などという存在を認めないかもしれないが、明らかに近年のフェミニズム論争の中で、弱者男性存在はどれだけ過小評価しても「そういう立場男性も一部には居る」程度の認識Web上では根付いたと言って良い。

一部では「弱者男性という立場へ至るのは自己管理の不足、努力の不足なので自己責任」という"仮説"が支持されているが、この仮説自体弱者男性存在を前提にしたものなので少なくとも前進している。このあたりは「実力も運のうち」とか「ジャンダーロール」あたりの問題も絡んでくるしね。

弱者男性弱者女性ミラーリングきっかけとして市井から注目されることになったのかも知れないが、今や弱者男性存在するものである

フェミニストは誇ると良いと思うし、日本フェミニズム史、ヒューマニズム史へこのフェミニズムの功績を高らかに記すべきだと思うよ。

嫌味でなく、フェミニズムはまた1歩、世界を優しくしたのだから。素直に受け取って欲しいアナタたちの功績だ。

2022-03-19

やっぱりプーチンを嫌いになれない

あいう強烈なリーダーシップを発揮できる人間こそ政治家だろう。

例えそれが自身の小柄起因の個人的コンプレックスや、

西側諸国に対する経済的劣等感の裏返しだったとしてもだ。

欧米的な美辞麗句薄っぺらヒューマニズムに耽溺することなく、

徹底的に自国ファーストを貫くその屈強な姿勢こそ我々は手本にすべき。

歯向かう物は容赦無く粛清するのも白黒はっきりしてて分かりやすい。

西側諸国とは異なり、日本原爆被害に寄り添うのもポイント高い。

メルケルやグレタみたいなお花畑リベラル正論で一捻り。

KGB譲りの人心掌握術も心得てるし、借りを作ったら

必ず倍にして返す任侠道的な倫理観も持ち合わせてる。

この辺りの彼の価値観武道を嗜んでいるからこそだろうな。

これこそが我々が忘れかけている「良き大人」ではないか

清濁併せ呑めてこそ、良質な「政治家」だと思うのだが。

2022-03-18

痴漢についてちょっと整理したこと徒然吐き出す(随時追記

3/31追記 進捗を書きました https://anond.hatelabo.jp/20220331171821

https://anond.hatelabo.jp/20220317162935

痴漢について思うこと徒然吐き出しながら整理したい」の投稿をした増田です。

たくさんの方の目に触れて驚いています。読んで下さって有難うございました。

夜になってみたらはてなトップページ自分増田があったから…何が起きたのかと思った……。

励ましてくれた方、有難うございます。厳しいメッセージももちろん読んでいます

できる自衛はするのですが、そのときにふと虚しくて仕方がなくなるときがあります

痴漢対策してる」という事実のものが「痴漢で傷ついた」ということの補強のように感じられることがあって、対策するたびに被害に遭ったときの辛さを思い出して新鮮に傷つくと言うか。

「傷ついていた」なんてやっぱり本当は認めたくないんですよ。しんどいもん。


さて、新規増田を立てたのは大きく三点で、

・さっきはいろいろ言われてヘコんで、被害ヅラすぎる言い方をしてしまった部分もあったかもしれないので、落ち着いた今もう少しニュートラルに話したい

・「お前はどんな対策してんだよ」の内訳

痴漢やその後の体験談ってもしかして需要ある?

そんな感じです。つらつら書きます

とても長いから気になる項目だけ流し見するくらいでいいと思います

長いよ整理できてないよって言うのはわかってるから言わないでくれ。発散として書かせて欲しい。


増田スペック的な

毎日黒や紺や灰色ズボンに黒いセーター

通勤電車日本でも有数の激混み地帯らしい

・ガンは飛ばすし場合によっては舌打ちもする

・ちなみに私服ゴリゴリに派手というか強め。金髪経験もある。

ごつい私服だったり金髪だったりすると遭わないのはガチ

ただ、着替えるにしても私服が派手だとなにか言われる社風で…この時点でどうなのもあるけど……

セーターの色で社内で揉めて干されたことがあるから、派手な格好を避けて通勤したいって思ってる。

黒いマスクは知らなかった。会社で嫌な顔されたけど車内だけでも再開しようかな、教えてくれた方有難う。


普段増田が取っている行動

・乗りたい車両痴漢で有名)は避ける

車両の隅など痴漢が多いと言われる場所は避ける

電車に乗る際、極力女性の近くに寄ったり、身体の向きに配慮している。お互いに嫌な思いをしないようにしたいし。

今日に関しては、昨日の地震のせいかダイヤの乱れがあり、いつもに増して混んでいたので車両を選ぶ余裕がなかった。来たものに乗らないと、と思った。


どうして女性専用車両に乗らないの?

例えば。

1号車にしか他の路線の乗り換えに繋がっている階段がないのに、女性専用車両最後尾車両にしかない。

移動しようにもその間上下線ともひっきりなしにくるし、他の路線から乗り入れ階段周りは常にごった返している。

また、自分がその路線に乗り込むときに使う乗換駅の階段を使うと1号車が最寄りの車両になる。

というわけで、最後尾車両に向かうごった返しホーム移動を乗降時2回することになって、毎日毎回は時間も体力もキツい。


早起きすれば?

はいまも時差出勤使ってるんだ。

休職するきっかけになった痴漢とき時間帯の電車に乗るとパニックが起こるようになったから。

でも会社には、そもそも時差出勤制度コロナ対策一時的にできたもので、そんな理由で使うのはどうかと言われたこともあった。

いや、許可出したのあんたたちやろと思ったけど。っていうかその言い草も謎だけど。

休職と同時に、パニックの症状と不眠とうつが出た。今は折り合いつけて生活してる。

もう平たく言えば朝弱いメンヘラってくくり。

なんなら復職とき時短検討した。現在、体力と気力が戻ってるのか自分ではもう判断できない。

昔、パニック発作がひどかったとき時間に余裕を持って行動するようにしてたけど、いまはそれができない、動けない。

から、どんな理由にせ早く行動するという対策をとっているひとは全員偉いし、そういう方々の努力には及ばないです。本当に偉い。

そんな状態被害を訴えるのは「対策しきってない」と言われても仕方がないんだけど……でも自分ばかり責められなくちゃだめなの?という気持ちが爆発して書いたのが先の増田というところもあります

そうだよお前の甘えだよっていう意見ちゃんとあって、ですよね、という気持ちにもなりました。


どんな会社なの?

都内。配属先50人以下の中小。他の女性社員は10-20くらい年上の方が片手人数以下。

まあそんなところから業種は察してって感じです。リモート?ないよ

本社は社風変えようとかしてるけど、その風はうちにはは吹いていません。

良くも悪くも「一昔前の悪意ないおじちゃんたち」。

あとは男性寮が徒歩圏内にあって、上司電車通勤したことなかったりする。

なんか…叱る前に私の乗ってる電車の混雑状況とかちょっと見て欲しいなって思っちゃうんだよね……はい甘え!わかってるって!

正直「こいつ痴漢とか嘘なんじゃね?」とか「示談金目当てなんじゃね?」とか、いっそ虚言とか思われてる気がしてる。

それがすごい辛いけど、自意識過剰なだけかもしれないし、お互い建前があるから言わないし聞けない感じ。

最初不可抗力からと出社扱いにしてくれたこともあって、いい会社だなって思ったんだけど……だから本当に全く悪いところばかりではないんだ。

でもそういえば女性陣含め、直属の上司以外に「痴漢」って申告したことないんだよね。

通勤時間帯だし察しって感じではあると思うけど、え、なんで共有されてんの?やだもうこういうとこなんだよ弊社さあ

理解が薄いとは思うけど、理解を求めるという行為をしていいのかというのはよくわからない。この部下面倒くせえって思いが強まるだけでは。


金銭補填示談は??

まず、示談加害者側が弁護士を通じて持ちかけてくるものです。そして言うほど持ちかけられるものでもないなという感じ。

持ちかけかられて初めて補填するかどうかを選ぶことができるけれど、前の増田には示談を受けたとはあえて書かなかった。

受けなきゃ金銭的な補填ゼロです。

また、相手罰金刑がついたとしてもそこから被害者の懐に入るお金は1円もありません。民事裁判を別途行う必要があります

被害者が示談を受けるとき示談書というもの弁護士を通じて取り交わす。

その条件の中で刑事罰が軽くするような一文を入れる(ゆえに加害者側には示談するメリットがある)のだけれど、

その中には「被害届を取り下げてくれ(=刑事罰には一切問わない)」なんていうのが条件のものもある。

示談を受けずに少しでも長く刑務所にいてもらうほうがいいのではないかとか都度悩む。

とはいえ受けたこともある。それはそれで犯罪助長してしまったのではないかと悩んで全然すっきりしない。

10万とか20万で、ずっとそれで悩んでる。今も。

被害に遭って不快だったこととは別に、こういう気持ちを抱える羽目になる。

金額に見合ってるのかはわからない。


労災おりないの?

これ、私も休職したとき調べました。結果から言うと非常に難しい上に前例がないとのことでした。

逃げるときに突き飛ばされて怪我とかしてたら通勤災害らしいけど、メンタルやられたっていうのは因果関係証明が難しいらしい。まあ…パワハラいじめでも大変だもんね……。


捕まえるときどうしてる?

まず位置関係を見る。

具体的には周りにこちらに腕を伸ばせる距離身体の向きのひと(女性含む)を探して、次に手が胸より上にあるかを確認する。

それくらいの時点で「大体このひとだろうな」「いま視野にいないひとだな」がわかるし、後者ときは諦める。身体を反転させる余裕はないか確認できない。

次に、怪しいと思ったひとの手や腕を見る。

それが自分身体に触れてるところが確認できたらばっちりなんだけど、満員電車でそれはまず無理だから、肘から上や肩が動いていないか目視する。

次にとにかく記憶する。警察にこの辺はとても良く聞かれる。

今日は周囲にいたひとの配置7人分くらい提出した。降りてすぐ、警察来る前に図をメモした。哀しい場数ですね。

で、それくらいの時間経ってまだ止まなかったらもう完全に故意だなって確信が持てるので手を掴みにいく。

距離的に難しかったら引っ掻くことを心掛ける。相手の手に線が残ればいいし、爪の間のDNA鑑定してもらえる。

とはいえ自分の手も上に上げてるから掴みに行けなくて諦めることもあるし、掴んだ手を引き抜かれて諦めることもある。

そのときスクショでもなんでも1枚残すようにしてます

この時間ここで、と言えると後々便利。やっていた位置ゲーのログが役立ったこともあった。

監視カメラ?ついてる車両のこともあるけど「映像確認しますね」って直接言われたことは一度もないよ。

実際にしてることもあるんだろうけど。警察検察の方いつもお疲れさまです、有難う。

もし何かあった場合男性にも同じことが言えると思いました。

そんな位置触れるわけないだろ!の理由、他のひとの身体があるとか鞄がひっかかって手を上げられないとか。

冤罪被害のうちだと思うから、何かの参考になれるんじゃないかな……。


署で話してすっきりしようぜ!

そうもいかない。

その後検察から取り調べが再度ある可能性があるので、供述を全部覚えておく必要があります

そういった情報警察官が教えてくれるかどうかは五分五分検察から連絡が来るかどうかも五分五分

場合によっては裁判証言しないといけないし、嫌なことを反復記憶で定着させる必要がある。

どんな犯罪でもそうだけど磨耗するよね。



今までどんな被害にあった?

トラウマ的に覚えているのは、ふたつある。

まずは電車A車内で痴漢に遭い、乗換駅で降りたら次はその乗換中のホームで密着、エスカレーターなどでも引き続き痴漢に遭い、当然乗換え先電車Bでも止まらなかったこと。

とにかく混乱した。慌てて最寄りで降りたけど、降りてからこのままストーキングされるのではないかと思って怖かった。しばらくホームにいた。

次は、捕まえて駅員に引き渡した後の男性が駅員と私を突き飛ばして全力ダッシュ逃走したこと

その後ろ姿を今でも覚えています大の大人の全力ダッシュ、間近で見ると怖い。

そいつ捕まえて!」と駅員が叫んで、気づいたホーム男性や駅員が協力して、ホームを上がった階段のところで確保したそうです。

怖くて見てないけど、暴れ回っていて大の大人5人がかりで押さえつけたと聞きました。

ちなみにその男性は私に行った痴漢は、出所した直後のものだったと聞きました。

私が痴漢で捕まえたあと一度自宅に帰った隙に違う女性性犯罪を行って捕まりました。

依存症想像を軽く超えてくる。


不可避で触れてしまうこともあるから怖いよ!

わかるわかる。こっちも「すみません」みたいな位置に手が行くことある。あれすごい気まずいし怖いよね。

満員電車だし、大体の被害者は「あー仕方ないこと起きてるな」ってわかってると思うよ。

それで、そういうとき身体を捻ったり睨んだりするのは故意じゃないかを確かめるためでもあるから、必ずしも犯人扱いって決めたわけじゃない。

こっちも動けないんすよって対応してればちゃんと伝わるよ。伝わってるよ。目が合って会釈し合うみたいなこと普通にある。

押し付けるだけにしても痴漢ってもっと露骨だし、なんか違うんだよ。

あと、手も引き抜けないくらいマジのすし詰めだったり、鞄が他所に攫われてたりするときは無理に動かなくてもいいと思う。「はい動けない!」と「故意にそこに手を置き続けた」とは違うので。

逆に言うと避けられる余裕があったら避けないと不利になると思います

ちなみに変にもぞもぞされる方が「あれ?」感が生じる気がします。

私の場合は、でしかないですが。サンプル1。

なんというか、満員電車普通に不快だよね。性別も年齢も超えて不快やばい乗り物だな。



この手の話題で思うこと

これから男性とか女性とか言うけど、被害男性も加害女性もいるのはわかった上で、記載がややこしくなるので男女で書かせてください。

一括で加害者が悪い、どっちの性がどっちに痴漢してもそれは絶対

から単純化するから、先にその辺りでしんどい思いをした方に謝らせてください。蔑ろにしたいわけじゃない。

男性が自浄しろとか、男性同士で叩き合ってくれとか、そんなふうには思ってない。

自分絶対痴漢しないし痴漢は悪だって立場男性が多いこともわかってる(そうであって欲しいとも思ってる)。

痴漢問題が男女でのバトルとか、あるいはフェミがなんか言ってる〜ウケる〜みたいになるのを避けるためには、どうしたらいいんだろうね。

絶対数なんて知り得ないけど、痴漢する男性と同様、冤罪でっちあげ女性架空ではないんだろうと思う。

痴漢被害に遭ったけど本気で人違いをした女性冤罪男性っていう組み合わせがいちばん多いだろうけど……みんな不幸になる組み合わせだね。

痴漢被害者が「なんでだよくそ!」って思うように、冤罪者も「なんでだよくそ!」って思うのは当然だろうし、そりゃいがみあっちゃうよ。

加えて冤罪者は突然疑惑の目で見られるわけで嫌な気持ちになるのは当たり前だ。

女性痴漢に遭うようなもの、なのかもしれない。災害のようなもの、という意味で。

から諦めろとか許せとかじゃなくて…私は痴漢が許せないし……。

それでもそれって痴漢に遭うよりは確率低いと思う、低いから何?それって「だから許せ」論調なっちゃわない??

上手く言葉が選べなくてごめんね。

一定確率で起こり得るバグが万人にあって、でも確率がどれくらいか性別…というよりは個体によってまちまち、みたいなイメージです。

痴漢被害に遭うのも冤罪なのに疑われるのもどちらも悪いこと。

でも(冤罪でっちあげは罪だから痴漢同様最悪だけど)、元を正せばバレなかった犯人が悪いんだよな。これは絶対にそうなんだよな。

捕まえてきた被害者を恨むのは感情として仕方がない。

たぶん捕まえた側も「お前認めろよ」って思ってる、だって犯人だと思ってるから

そういうときに互いに「誰か小器用に逃げやがった奴がいるぜ」って仲間意識を持てないものかなあと思うけど……理想論なのかな。

被害者も、そういう哀しみから自分を守るためになるたけ冷静に周りを観察しよう。

といってもむやみに苦労を被害者に強いるわけじゃなくて、これはそのまま必要ものになるから

犯人特定しただけじゃ弱くて、警察行っても辛い思いする(ソースは私)。

なぜ特定たか論理必要になるから、とにかく冷静に警察に伝えよう。伝わればそれは状況証拠として自分のことを守るものになってくれる。それは自ずと冤罪減らしに繋がるはず。

……被害に遭ってるときにそんな余裕ないんだけどね、こんなことに慣れたくなかったよって書いてて哀しくなってくる。

被害に遭う側に求めてごめんとも思う、求められてもしんどいよね。



また長くなっちゃったけれど、書きたいことは書いたかな?

この機会なのでもし何か質問があれば追記します。

改めて、長ったらしいものを読んでくれてどうも有難うございました。


追記)返答その他

「協力ってなんだよ、そんなもの求めるなよ」的意見について

自分意見を考えてみたんだけど、法治国家からかなあというのが核にあると思った。

日本という法治国家に住んいでて、犯罪のものは裁かれるというのが前提にある。

そしてそういった法によって守られている・悪事抑制されているという認識です。

そして、法が正しく機能していますよということを示すのは、どんな犯罪にも有用だと思っています

たまに「はあ?」と思う法もあるけど、そういう例外は置いておいて。

法治国家の維持のため、ひいてはあらゆる角度から自分や周りのひとを守るため、

犯罪はきちんと裁かれるという姿勢を取ることは大切だと思います

その犯罪なかに痴漢内包されるだけ。殺人強盗もその他諸々の悪事も全部入る。


追記とクソ余談)

誰に対してこんな気を遣って文章書いてるんだろうってちょっと思う。

これでも「女さんは~」みたいに言われちゃうんだったらどうしたらいいんだろう。

フェミニズム含め、性別関係なく総ての人間人権が認められて欲しい。ヒューマニズムだよ。

バカ女だの書かれてしまって(そんなの書くのも少数だって思いたい)、いつかなりたくないタイプの「フェミ」になってしまったらと思うと怖い。

でもバカ女とかい言葉を選ぶひとにも、それを選ぶようになるまでの過程があったんだよな。

どうしてみんな傷ついちゃったんだろう。

(3/18 14:02追記

昨日の痴漢について、検察から事情聴取をしたいという連絡がきたので再来週行ってくるね。

記憶を消さないようにこれからダッシュで記録とる。こちらの言い分がきちんと通るといいな。戦うぜ!

2022-03-05

純粋な疑問なんだけど雌雄の出発点が雌ならば

純粋な疑問なんだけど雌雄の出発点が雌ならば、なぜ人間の雌は支配者の地位から陥落してしまったんだろうか?

資源の確保と戦闘への勝利遺伝子多様性担保するために雄という突然変異が生まれたという学説があるらしく、同族を産むという機能はその種族にとって最大の資源資産とみなされ、自然界の数多のしゅぞくには女王を頂点とする支配構造がある。

しか人間社会男性優位社会と言われるようになって久しく、歴史を振り返れば集団に対する支配権力を有していた女性が少なからず居るものの、多くの場合支配権力は男性が有する。

なぜ人間の雌は支配者の地位から陥落してしまったのかと考えているけど答えが出ない。

もしこの考察自体ヒューマニズム観点から女性蔑視だと言われたら何も言えないけれど、その主張はきっと何も答えを出せないとも思う。

2022-02-02

フェミほど社会派フェミ理解があるというな

フェミニストは○○な点で問題がある

って言える時点でもうフェミニズム社会学を読み解くリテラシーガッツリある。そのフェミニズムおかしいやろ、と言える時点でフェミニズムを深く理解しているしさ。ましてフェミニズムヒューマニズムであるべきだ、みたいな提言までできるアンチフェミ、もはやアンチフェミっていうかただリベラル同士で立場が違うだけの人やん……

2021-11-27

フェミニズムなんて言葉無くした方が良い

一人一派とかもう定義ないのと同じじゃんそれ。

そもそも〇〇こそが正しいフェミニズムだってどうして言える?そしてその定義は不変となぜ言える?

「あの」フェミニスト原則だって結局複数団体が出した共同声明に過ぎないでしょ。

もうフェミニズムなんて言うのやめて、ヒューマニズムとか、女性至上主義とか、もう少し具体性ある主義に変える時が来てるんだよ。

変えたところでまた一人一派になったらまた別の言葉を作れば良い。

フェミニズムという言葉はもう役目を終えたんだよ。

2021-11-04

はてなの一部のリベラルのいまの感じ、なんか気持ち悪いな

 「衆院選自民維新が勝って立憲民主が負けたの、リベラル自分たち意識の高さや教養を鼻にかけて大衆バカにしてたのが一因なんじゃねえの? 主張が地に足ついてなかったからじゃねえの?」っていう。

 なんか、我先に言ってる感じがして気持ち悪いな。

 「俺は正しいリベラル。正しいか自分たちに近しい立場批判も素直に率先してできるんだぜ(党派性に拘泥してできないやつとは違うんだぜ)」っていう感じがするんだよな。

 結局、公益とか政治とかどうでもよくて、時勢と潮流がいろいろ変わっていく中で、独自性をひけらかすのとなんか思想っぽいものバクチ打つのが好きなだけなんじゃない?

 そう見える。

 潔さや知性を演出したいんだろうけど、選挙結果価値観の底がいま抜けたもんだから、一塊になって落ちていくのが嫌で、とりあえずちょっと違ったポジションに立っておきたいだけにしか見えないんだよな。

 っていう俺も政治的にもリベラルだけどさ。

 発言おかしな角度つけて自己批判できる自分演出したがってるのはてめーだろうが、って言われたらそうなんだよ。

 だから、なんていうかさ、「清廉な人格反省もできる。今回の教訓を生かして頑張っていこう」、みたいな人間がさ、俺も含めてこんなにたくさんいるわけねーだろ、って感じになるんだよ。ブコメ見てると。

 お前らも俺も、悲壮感に酔ってその場のノリで言ってるだけだろうがよ。

 今後、進めていくべき方向性って、色々あるんだろうけど、それには「人権平等を謳う理念(だけ)ではなく、経済外交に関する信頼を勝ち取る戦略提示」「一部のリベラルが抱えてる特権意識を見直す」みたいなことが大事なんだろう?

 できるわけねーだろ、そんなこと。俺はできねーと思うよ。「特定リベラル」にはできねーと思うし、俺にもできねーと思う。

 (これは俺の想像だけど、)たぶんお前らも俺も、それほど学校勉強にも苦労しなくて本読むことにも抵抗がなくて、周りの同級生いくらかとか成長してから大人かに対して、バカにしてるわけじゃねえけどなんでこんなことができないの? なんでこんなもの(人)に入れこんじゃうの? って思って不思議に見てたんだろう?

 俺たちはそうやって、自分より勉強できない、意見言語化も下手な連中に対する理解想像が不足してるのに、社会における平等必要性や人道的なそれっぽい話を語ってレポート評価されたりネットで「いいね」がつくのは気持ちよかったろう?

 そんなやつらが、そうやって二十三十、四十年生きてきたやつらが、いまさら世の中の物の見方とか他人への理解を変えられるかよ、って思っちゃう。少なくとも俺には無理だ。自覚がある。

 俺は、はてなの一部のリベラルの感じに、とても嫌な感じがした。俺自身の写し鏡だから

 できもしねえこと言って気持ちよくなってんじゃねえ、と思った。

 お前らは俺と一緒で、他人への共感が致命的に欠けてるのに、たまたまそこにあった道具が「リベラル」だったために無関心とヒューマニズムっていう矛盾を抱えるハメになった連中だろうが。

 選挙の結果がどうこうじゃなく、ずーっと前から隘路だったんだ。自分でもうっすらわかってただろう? そういうやつらが、いけしゃあしゃあと清廉さを演出すんな。なんなら、選挙結果きっかけに自分たちのハマってた矛盾から一抜けした気になってんじゃねえ、とさえ思った。

 自分応援している(していた)党が選挙で敗れたから、今後期待している方向性を語ると同時に、自分の考え方を見直す。

 それ自体は反応としては正しい。俺には無理だけど。他のやつにも無理なはずだと思ってるけど。

 でも、何割かは本物がいるのかもしれない。

 本当に、本当に誠実なやつ。

 言論ファッションに使わないやつ。他人への想像力を持ってるやつ。

 そういうやつがブコメの中にいるなら悪かった。ごめんなさい。

 俺はお前らの大半は嘘っぱちだと思ってる。マジで思ってる。だから、俺が俺自身にずっと言いたかたことも含めてめちゃくちゃ言ったけど、許してほしい。与党維新投票する大衆気持ちがわかるなら、俺の気持ちもわかったっていいじゃないか

2021-09-12

時代遅れフェミニスト議連老害キモい

Twitter上で議論錯綜している、自分気持ち理解のためにも論点を整理してみたい。とにかくめちゃくちゃムカついてるし、フェミニズムを失墜させる最悪な出来事だと思う。

 

1. フェミニスト議連地元市議を含む)という団体女性表象した表現に対しどこからOKかという線引きをし、削除を求めることをしていいのか?

権力安易表現規制をしていいのかという問題

 

自分としては、これはダメだと思う。女性表象云々の問題ではなく、表現規制に対する権力濫用には反対する立場からだ。民間から「これはさすがにエロいんじゃない?」とか、市民県民の多くが異議を唱えるならいいが、議連という県警が忖度する可能性のある立場から表現の線引きを行うことは非常に危険なことだと考える。表現をどう感じるかは自由だが、議員という立場から物を言うということの重大性を認識するべき。

 

実際のところ、千葉県警議連から忖度したんじゃなくて、「やべ、なんか燃えそうだ。燃える前に消そう!」とか、偉い人から「これ燃えそうだから消しといて」的な話があって消しちゃったという、消すほど燃えるという昨今のデジタル広報の基本を理解してなかっただけだと思うけど。公的権力からの抗議→取り下げという前例を作ったことは悲しい出来事

 

 

2. 警察という公機関ポスターに、ヘソだしルック少女を起用すべきなのか否か

→公機関制作物はどのようなチェック基準でつくられるべきかという問題

 

個人的には今回のVTuberデザインかわいいと思う程度で、女児向けコンテンツに多い表現方法性的に過度に強調されているとは思えません。

 

ただ思う人もいるかもしれない。何を公共の場にはふさわしくないとするかは、年齢や住む地域所属するコミュニティ時代、そしてそのキャラ個人地元関係性によってもだいぶ違う。だからこそ大事なのはガイドラインを定め、市民コンセンサスを得ながら定期的にアップデートするということなのかもしれない。警察動画税金でつくっているのだから松戸の方々が同意している基準があれば尊重すべきだし、この話は民間での表現女性自身の表現自由ミニスカでヘソだしで街を歩いていいか)とは関係がない。

 

今回のVTuberさんは地元応援系の方でもあり、良い関係地元の方と築いてきていた可能性もあるので、それをあまり理解せずに議連質問状を出したのは市民を置いていきすぎじゃないの?とは感じる(実際はどうかわかりませんが、社長や本人の釈明からはそう感じる)。やはりフェミニスト議連はやりすぎである

 

目線を変えて、マーケティング的な観点からすれば今回の動画は若年層向けで、プリキュアアイカツを見て育ったり、見慣れたりしている世大に向けられたものだと思う。Vtuberというジャンルタレント起用も、議論になっている見た目も、自分たち向けのものと感じてもらうに機能するものになっていると思う。ターゲット価値観無視しているということになれば、フェミニスト議連は相当ナンセンスというか、アップデート必要な人たちにはなってしまう。

 

 

3. 社長女性VTuber中の人女性女性自由活動フェミニストが奪っていいのか。

フェミニスト議連フェミニズムってどの辺なのよ問題

 

 

まず社長Vtuber本人が女性かどうかは、あまり重要イシューではない。ポイントは、フェミニスト議連の"スタンス"にある。スタンスによっては、フェミニストであれ女性批判することはできる。歴史的に見れば、今回の主張で、フェミニスト議連は、(かなり極端なラディカル)フェミニスト議連ということになる。これは、たとえ女性自分意志で着てようが、女性の隷属制などを感じさせるものならば、家父長的な価値観を内在化させていて本当の自分意思とはいえいか規制してもいいいのだというスタンス

 

フェミニスト議連がどれほどフェミニズムに詳しいかは疑問だが、表現規制を推進するラディカルフミニズムの対象ポルノだ。その際のポルノはただエロいとかそういうことではなく、特定集団女性とか女児)が、隷属的だったり性差別的に描かれ、その集団が実被害を被るものということ。今回の質問から見ても、フェミニスト議連は戸定さんというVtuber衣装をラディカルフミニズムの立場からポルノと見ていることが明らか。性犯罪誘発の懸念って言ってるのだから

 

この議論フェミニズム歴史から見てもあまりスタンダードではない。第二波フェミニズム1970年代フェミニストセックス論争でも、表現規制派のラディカルフミニストと、あくまで実被害のみを批判するリベラルフェミニスト意見割れた話。なにをポルノにするかは個人見方だよねという意見が主流になった第三波フェミニズム以降で、局所戦的にラディカルフミニストが起こしたゲーマーゲート論争でも、売春婦表現だったり、男性従属的露骨表現批判されたにすぎない。(その程度でもゲームポリコレ持ち込むな!と超炎上した)

 

児童ポルノ規制は実被害観点から多くの国で採用されているが、キャラクター等創作物に関しては規制しないというのが各国対応の主流なはず。ヘソだしミニスカで若干胸が揺れる程度の女子アニメデザインポルノ認定し、規制をかけに行くのは、ラディカルフミニズムの立場からしてもかなりかなりかなり極端と言わざるを得ない。この点からプリキュアアイカツも似たようなものだろ!」「セーラムーンの方が性的だ!」という疑問はもっとである。戸定さんをポルノと認めたら、世の中のそこら中のキャラクター表現ポルノになる。

 

もはやフェミニズムは第四波とも言われ、よりヒューマニズム的な側面が強くり、インターセクショナルな視点を取り入れて進化している。バトラー的な女って立場を拠り所にフェミニズムを語ること自体、性の固着化につながってるという議論にもフェミニズムは影響を受けながら、よりさまざまなジェンダーとの連帯模索しながら進んでいる。

 

その中で、未だに第二波フェミニズム残滓のようなフェミニストたちが、「フェミニスト議連」と名乗って、フェミニスト代表かのように振る舞っているのは、日本フェミニズムの遅れを改めて感じさせる。本物のフェミニストなんてものはいないのだろうが、少なくともかなり古臭く、世界的に見ても相当に極端なラディカルフミニストたちではある。

 

ミニスカフェミニストが獲得したものだろう!」という批判にはあんまり意味はない。貞淑をよしとする女性的な服装へのカウンターとして誕生したファッションであり、新しい女性自由なあり方を示す手段ひとつミニスカというだけであって、公機関制作物に好ましいかは別の話。また、そのカウンターとしての効力が陳腐化している日本では、ミニスカが性表現の固着化につながっているという議論自体は成立すると思う。だからスカートを伸ばせという議論だったら完全にバックラッシュで笑っちゃうが。

 

 

結論

今回の件、フェミニストフェミニズム関係いから、目的語を大きくした、批判はやめよう。

ただひたすらにフェミニスト議連スタンス時代的に遅れていて、キモいだけ。ラディカルフミニズムのスタンダードですらない。(性犯罪誘発って言ったのが戸定さんをポルノ認定してて一番ヤバいとこ)

あと、千葉県警はそんな極端な団体意見なんて聞かずに堂々と動画を復活させてほしい。その上で松戸市議会や千葉県議会公的機関表現のあり方を議論した方がいい。

戸定さん、応援してます

時代遅れフェミニスト議連老害キモい

Twitter上で議論錯綜している、自分気持ち理解のためにも論点を整理してみたい。とにかくめちゃくちゃムカついてるし、フェミニズムを失墜させる最悪な出来事だと思う。

 

1. フェミニスト議連地元市議を含む)という団体女性表象した表現に対しどこからOKかという線引きをし、削除を求めることをしていいのか?

権力安易表現規制をしていいのかという問題

 

自分としては、これはダメだと思う。女性表象云々の問題ではなく、表現規制に対する権力濫用には反対する立場からだ。民間から「これはさすがにエロいんじゃない?」とか、市民県民の多くが異議を唱えるならいいが、議連という県警が忖度する可能性のある立場から表現の線引きを行うことは非常に危険なことだと考える。表現をどう感じるかは自由だが、議員という立場から物を言うということの重大性を認識するべき。

 

実際のところ、千葉県警議連から忖度したんじゃなくて、「やべ、なんか燃えそうだ。燃える前に消そう!」とか、偉い人から「これ燃えそうだから消しといて」的な話があって消しちゃったという、消すほど燃えるという昨今のデジタル広報の基本を理解してなかっただけだと思うけど。公的権力からの抗議→取り下げという前例を作ったことは悲しい出来事

 

 

2. 警察という公機関ポスターに、ヘソだしルック少女を起用すべきなのか否か

→公機関制作物はどのようなチェック基準でつくられるべきかという問題

 

個人的には今回のVTuberデザインかわいいと思う程度で、女児向けコンテンツに多い表現方法性的に過度に強調されているとは思えません。

 

ただ思う人もいるかもしれない。何を公共の場にはふさわしくないとするかは、年齢や住む地域所属するコミュニティ時代、そしてそのキャラ個人地元関係性によってもだいぶ違う。だからこそ大事なのはガイドラインを定め、市民コンセンサスを得ながら定期的にアップデートするということなのかもしれない。警察動画税金でつくっているのだから松戸の方々が同意している基準があれば尊重すべきだし、この話は民間での表現女性自身の表現自由ミニスカでヘソだしで街を歩いていいか)とは関係がない。

 

今回のVTuberさんは地元応援系の方でもあり、良い関係地元の方と築いてきていた可能性もあるので、それをあまり理解せずに議連質問状を出したのは市民を置いていきすぎじゃないの?とは感じる(実際はどうかわかりませんが、社長や本人の釈明からはそう感じる)。やはりフェミニスト議連はやりすぎである

 

目線を変えて、マーケティング的な観点からすれば今回の動画は若年層向けで、プリキュアアイカツを見て育ったり、見慣れたりしている世大に向けられたものだと思う。Vtuberというジャンルタレント起用も、議論になっている見た目も、自分たち向けのものと感じてもらうに機能するものになっていると思う。ターゲット価値観無視しているということになれば、フェミニスト議連は相当ナンセンスというか、アップデート必要な人たちにはなってしまう。

 

 

3. 社長女性VTuber中の人女性女性自由活動フェミニストが奪っていいのか。

フェミニスト議連フェミニズムってどの辺なのよ問題

 

 

まず社長Vtuber本人が女性かどうかは、あまり重要イシューではない。ポイントは、フェミニスト議連の"スタンス"にある。スタンスによっては、フェミニストであれ女性批判することはできる。歴史的に見れば、今回の主張で、フェミニスト議連は、(かなり極端なラディカル)フェミニスト議連ということになる。これは、たとえ女性自分意志で着てようが、女性の隷属制などを感じさせるものならば、家父長的な価値観を内在化させていて本当の自分意思とはいえいか規制してもいいいのだというスタンス

 

フェミニスト議連がどれほどフェミニズムに詳しいかは疑問だが、表現規制を推進するラディカルフミニズムの対象ポルノだ。その際のポルノはただエロいとかそういうことではなく、特定集団女性とか女児)が、隷属的だったり性差別的に描かれ、その集団が実被害を被るものということ。今回の質問から見ても、フェミニスト議連は戸定さんというVtuber衣装をラディカルフミニズムの立場からポルノと見ていることが明らか。性犯罪誘発の懸念って言ってるのだから

 

この議論フェミニズム歴史から見てもあまりスタンダードではない。第二波フェミニズム1970年代フェミニストセックス論争でも、表現規制派のラディカルフミニストと、あくまで実被害のみを批判するリベラルフェミニスト意見割れた話。なにをポルノにするかは個人見方だよねという意見が主流になった第三波フェミニズム以降で、局所戦的にラディカルフミニストが起こしたゲーマーゲート論争でも、売春婦表現だったり、男性従属的露骨表現批判されたにすぎない。(その程度でもゲームポリコレ持ち込むな!と超炎上した)

 

児童ポルノ規制は実被害観点から多くの国で採用されているが、キャラクター等創作物に関しては規制しないというのが各国対応の主流なはず。ヘソだしミニスカで若干胸が揺れる程度の女子アニメデザインポルノ認定し、規制をかけに行くのは、ラディカルフミニズムの立場からしてもかなりかなりかなり極端と言わざるを得ない。この点からプリキュアアイカツも似たようなものだろ!」「セーラムーンの方が性的だ!」という疑問はもっとである。戸定さんをポルノと認めたら、世の中のそこら中のキャラクター表現ポルノになる。

 

もはやフェミニズムは第四波とも言われ、よりヒューマニズム的な側面が強くり、インターセクショナルな視点を取り入れて進化している。バトラー的な女って立場を拠り所にフェミニズムを語ること自体、性の固着化につながってるという議論にもフェミニズムは影響を受けながら、よりさまざまなジェンダーとの連帯模索しながら進んでいる。

 

その中で、未だに第二波フェミニズム残滓のようなフェミニストたちが、「フェミニスト議連」と名乗って、フェミニスト代表かのように振る舞っているのは、日本フェミニズムの遅れを改めて感じさせる。本物のフェミニストなんてものはいないのだろうが、少なくともかなり古臭く、世界的に見ても相当に極端なラディカルフミニストたちではある。

 

ミニスカフェミニストが獲得したものだろう!」という批判にはあんまり意味はない。貞淑をよしとする女性的な服装へのカウンターとして誕生したファッションであり、新しい女性自由なあり方を示す手段ひとつミニスカというだけであって、公機関制作物に好ましいかは別の話。また、そのカウンターとしての効力が陳腐化している日本では、ミニスカが性表現の固着化につながっているという議論自体は成立すると思う。だからスカートを伸ばせという議論だったら完全にバックラッシュで笑っちゃうが。

 

 

結論

今回の件、フェミニストフェミニズム関係いから、目的語を大きくした、批判はやめよう。

ただひたすらにフェミニスト議連スタンス時代的に遅れていて、キモいだけ。ラディカルフミニズムのスタンダードですらない。(性犯罪誘発って言ったのが戸定さんをポルノ認定してて一番ヤバいとこ)

あと、千葉県警はそんな極端な団体意見なんて聞かずに堂々と動画を復活させてほしい。その上で松戸市議会や千葉県議会公的機関表現のあり方を議論した方がいい。

戸定さん、応援してます

フェミニスト議連かい時代遅れフェミニストたち

Twitter上で議論錯綜している、自分気持ち理解のためにも論点を整理してみたい。とにかくめちゃくちゃムカついてるし、フェミニズムを失墜させる最悪な出来事だと思う。

 

1. フェミニスト議連地元市議を含む)という団体女性表象した表現に対しどこからOKかという線引きをし、削除を求めることをしていいのか?

権力安易表現規制をしていいのかという問題

 

自分としては、これはダメだと思う。女性表象云々の問題ではなく、表現規制に対する権力濫用には反対する立場からだ。民間から「これはさすがにエロいんじゃない?」とか、市民県民の多くが異議を唱えるならいいが、議連という県警が忖度する可能性のある立場から表現の線引きを行うことは非常に危険なことだと考える。表現をどう感じるかは自由だが、議員という立場から物を言うということの重大性を認識するべき。

 

実際のところ、千葉県警議連から忖度したんじゃなくて、「やべ、なんか燃えそうだ。燃える前に消そう!」とか、偉い人から「これ燃えそうだから消しといて」的な話があって消しちゃったという、消すほど燃えるという昨今のデジタル広報の基本を理解してなかっただけだと思うけど。公的権力からの抗議→取り下げという前例を作ったことは悲しい出来事

 

 

2. 警察という公機関ポスターに、ヘソだしルック少女を起用すべきなのか否か

→公機関制作物はどのようなチェック基準でつくられるべきかという問題

 

個人的には今回のVTuberデザインかわいいと思う程度で、女児向けコンテンツに多い表現方法性的に過度に強調されているとは思えません。

 

ただ思う人もいるかもしれない。何を公共の場にはふさわしくないとするかは、年齢や住む地域所属するコミュニティ時代、そしてそのキャラ個人地元関係性によってもだいぶ違う。だからこそ大事なのはガイドラインを定め、市民コンセンサスを得ながら定期的にアップデートするということなのかもしれない。警察動画税金でつくっているのだから松戸の方々が同意している基準があれば尊重すべきだし、この話は民間での表現女性自身の表現自由ミニスカでヘソだしで街を歩いていいか)とは関係がない。

 

今回のVTuberさんは地元応援系の方でもあり、良い関係地元の方と築いてきていた可能性もあるので、それをあまり理解せずに議連質問状を出したのは市民を置いていきすぎじゃないの?とは感じる(実際はどうかわかりませんが、社長や本人の釈明からはそう感じる)。やはりフェミニスト議連はやりすぎである

 

目線を変えて、マーケティング的な観点からすれば今回の動画は若年層向けで、プリキュアアイカツを見て育ったり、見慣れたりしている世大に向けられたものだと思う。Vtuberというジャンルタレント起用も、議論になっている見た目も、自分たち向けのものと感じてもらうに機能するものになっていると思う。ターゲット価値観無視しているということになれば、フェミニスト議連は相当ナンセンスというか、アップデート必要な人たちにはなってしまう。

 

 

3. 社長女性VTuber中の人女性女性自由活動フェミニストが奪っていいのか。

フェミニスト議連フェミニズムってどの辺なのよ問題

 

 

まず社長Vtuber本人が女性かどうかは、あまり重要イシューではない。ポイントは、フェミニスト議連の"スタンス"にある。スタンスによっては、フェミニストであれ女性批判することはできる。歴史的に見れば、今回の主張で、フェミニスト議連は、(かなり極端なラディカル)フェミニスト議連ということになる。これは、たとえ女性自分意志で着てようが、女性の隷属制などを感じさせるものならば、家父長的な価値観を内在化させていて本当の自分意思とはいえいか規制してもいいいのだというスタンス

 

フェミニスト議連がどれほどフェミニズムに詳しいかは疑問だが、表現規制を推進するラディカルフミニズムの対象ポルノだ。その際のポルノはただエロいとかそういうことではなく、特定集団女性とか女児)が、隷属的だったり性差別的に描かれ、その集団が実被害を被るものということ。今回の質問から見ても、フェミニスト議連は戸定さんというVtuber衣装をラディカルフミニズムの立場からポルノと見ていることが明らか。性犯罪誘発の懸念って言ってるのだから

 

この議論フェミニズム歴史から見てもあまりスタンダードではない。第二波フェミニズム1970年代フェミニストセックス論争でも、表現規制派のラディカルフミニストと、あくまで実被害のみを批判するリベラルフェミニスト意見割れた話。なにをポルノにするかは個人見方だよねという意見が主流になった第三波フェミニズム以降で、局所戦的にラディカルフミニストが起こしたゲーマーゲート論争でも、売春婦表現だったり、男性従属的露骨表現批判されたにすぎない。(その程度でもゲームポリコレ持ち込むな!と超炎上した)

 

児童ポルノ規制は実被害観点から多くの国で採用されているが、キャラクター等創作物に関しては規制しないというのが各国対応の主流なはず。ヘソだしミニスカで若干胸が揺れる程度の女子アニメデザインポルノ認定し、規制をかけに行くのは、ラディカルフミニズムの立場からしてもかなりかなりかなり極端と言わざるを得ない。この点からプリキュアアイカツも似たようなものだろ!」「セーラムーンの方が性的だ!」という疑問はもっとである。戸定さんをポルノと認めたら、世の中のそこら中のキャラクター表現ポルノになる。

 

もはやフェミニズムは第四波とも言われ、よりヒューマニズム的な側面が強くり、インターセクショナルな視点を取り入れて進化している。バトラー的な女って立場を拠り所にフェミニズムを語ること自体、性の固着化につながってるという議論にもフェミニズムは影響を受けながら、よりさまざまなジェンダーとの連帯模索しながら進んでいる。

 

その中で、未だに第二波フェミニズム残滓のようなフェミニストたちが、「フェミニスト議連」と名乗って、フェミニスト代表かのように振る舞っているのは、日本フェミニズムの遅れを改めて感じさせる。本物のフェミニストなんてものはいないのだろうが、少なくともかなり古臭く、世界的に見ても相当に極端なラディカルフミニストたちではある。

 

ミニスカフェミニストが獲得したものだろう!」という批判にはあんまり意味はない。貞淑をよしとする女性的な服装へのカウンターとして誕生したファッションであり、新しい女性自由なあり方を示す手段ひとつミニスカというだけであって、公機関制作物に好ましいかは別の話。また、そのカウンターとしての効力が陳腐化している日本では、ミニスカが性表現の固着化につながっているという議論自体は成立すると思う。だからスカートを伸ばせという議論だったら完全にバックラッシュで笑っちゃうが。

 

 

結論

今回の件、フェミニストフェミニズム関係いから、目的語を大きくした、批判はやめよう。

ただひたすらにフェミニスト議連スタンス時代的に遅れていて、キモいだけ。ラディカルフミニズムのスタンダードですらない。(性犯罪誘発って言ったのが戸定さんをポルノ認定してて一番ヤバいとこ)

あと、千葉県警はそんな極端な団体意見なんて聞かずに堂々と動画を復活させてほしい。その上で松戸市議会や千葉県議会公的機関表現のあり方を議論した方がいい。

戸定さん、応援してます

2021-09-11

ブコメ活躍したくない女性理解できていないので書く

活躍したくない女性の居場所はどこにある?

anond:20210910142623

端的に言えば「現在女性は男社会しか進出先がなく、その男社会の中で活躍を求められている」のが大変苦痛だと言っているのです。

「男社会進出したくない女性は何処へ進出したら良いのか?」を考えてみて欲しい。そしてそれへ対して万人が納得できる形の回答を寄せられる人は居ますか?
おそらくほぼ居ないでしょう。

ひと握りの才覚ある人が秀逸な回答を寄せてくれると思いますが、多くの人は「それだ!」と同意を寄せることしかできないはずです。
現在女性進出先に男社会以外を多くの人がパッと想定することすら出来ないのが現在フェミニズムであり男女共同参画社会言論、そして道徳・情操教育なのです。

しかしたら私のこの意見で驚いている方も居るのではないかと思います
女性男性社会以外に何処へ進出したら良いのか?」と問われたとき、その回答の選択肢がすっぽり抜け落ちていることへ今まさに気が付いたからこその驚きではないでしょうか。

私はすっぽり抜け落ちてしまっている人たちへ非難をするつもりは全くありません。
悪いのは教育であり、女性男性社会以外の進出を想定せず議論を薦めてきた過去大人たちだからです。

多くの大人たちは男性社会女性を受け入れてもらえるように考えてきました。
男性社会制度を変えたり、男性社会のものジェンダーレス社会へ移行しようとしていますが、結局その基盤は男性社会であることは変わりありません。

私が望むことはたった1つです。
男性社会以外へ進出したい女性進出先を考えて欲しい」

男性がその心身特徴を発揮できるように男性社会を構築したように、女性がその心身特徴を発揮できる女性社会を新たに構築し、そして男性社会女性社会の双方へ性別によらず万人が自由進出先を選べる、男性社会女性社会が支え合う自由人間社会を構築して欲しいと私は望んでいるのです。

現在フェミニズム男性社会女性活躍するための思想方法論でしか無いのです。
そして私はそのようなフェミニズム否定しません。何故ならば男性社会進出したい女性も少なからず居るでしょうから、その思想方法論は未来人間社会継承されるべきなのです。
フェミニズムがこれまで果たしてきた功績は大きく、しかし、もしかしたら大きかったからこそ男性社会進出したくない女性漏れしまったのかも知れません。

そして私は思います男性社会進出したくない、女性社会進出したい男性のための思想方法論も議論されるべきだと。それこそがヒューマニズムでありフェミニズムのあるべき姿なのではないかと考えるのです。

男性男性らしく、女性女性らしく生きることが強制される社会不自由であるのならば、男性社会進出することしか考えていないフェミニズム女性強制的に肯定しなければならない社会もまた不自由ではないでしょうか。
個々人が個々人らしく生きられる社会が求められるのであれば男性社会以外へ進出したい男女の言葉へどうか耳を傾けて下さい。

お願いします。お願いします。お願いします。

2021-08-30

幼少期のメンタリストDaiGoを虐めた奴等が許せない

WikipediaによるとDaiGoは幼少期にいじめられていたらしい。

彼はお金=社会的承認に飢えている一方で(あるいは飢えているがゆえに)、既存倫理観に対してかなり挑戦的だ。

彼のこうした人格には、当時の経験がかなり尾を引いているのではないかな、と思っている。

幼少期、彼は不幸にもいじめの標的になってしまったという。

いじめられるに至った経緯は不明だが、興味は無い。いじめの経緯なんていつも些細なことだし、どうでもいい。

道徳の授業で、暴力はいけない、揉めたらよく話し合おうと教えられる。相手人格問題があったとしても、暴言暴力を向けていい道理は無い。いじめは許されない。法に触れていれば犯罪だ。

しかし、建前がどうあれ、学校というコミュニティにおいては往々にしていじめが発生してしまう。学校には何故か警察は介入してくれない。彼の場合、頼みの綱の先生も助けてくれなかったようだ。

理不尽に晒されると、人間は歪む。

社会適応的な人間からすれば、虐められた原因を正して社会和解すればいいだけのことかもしれない。

しかいじめられっ子は、たまたま生贄に選ばれてしまっただけだ。仮にいじめられる側に原因があったとしても、どこを正せばよいのか伝えられないまま、突然暴力によって存在否定される。いじめられっ子からしてみれば、理由はどうあれただ理不尽暴力を向けられただけである。気に入らない奴に暴力を振るい、尊厳を踏み躙り、見て見ぬふりをするという社会の悪性を一身に向けられたいじめられっ子は、果たしてそんな社会の仲間でありたいと思うだろうか?

ひとたび社会の強烈な不正義に晒された人間からしてみれば、適応不正義への降伏に過ぎない。

彼がナタを投げるという脅迫によっていじめを克服し、しかも本人がそれを成功体験としているのも悲しい話である

周りの大人先生が助けてくれたなら、まだ世の中捨てたもんじゃない、正義だってある、自分には味方もいると思えたのだろう。そうした経験を欠いた彼の世界には、おそらく未だに愛も正義もない。自分の行動によって世界は変えられるという本人の言は、承認は行動によって勝ち取るしかないという不安の裏返しではないだろうか。

無条件の承認社会への帰属意識も身につけられなかった人間は、自分に居場所があることを確認するため、社会的承認をかき集め続けなければならない。

これこそ彼が、目に見える成果が出るまで時間のかかる心理学研究でなく、すぐにお金を稼いで世間自分非凡さを思い知らせられる、うさんくさいパフォーマーとしての生き方を選んだ理由ではないだろうか。

私は、彼の信じられないほど酷薄発言も幼少期のいじめに由来するのではないかと考えている。

納税者蔑視する発言は、相手にされないことへの不安から来たスタンドプレーという一面もあるが、既存倫理観への不信からくる本音でもあるのだろう。暴力はいけないという一般論教育されつつ暴力を振るわれた過去故に「口でいくらヒューマニズムを謳っても、本心は違うに違いない」と思っているのではないだろうか。

別に私はDaiGo被害者から哀れむべきと言いたいわけではない。理由はどうあれ、非納税者への福祉に関して無理解なまま、倫理にもとる発言したこと批判されてしかるべきである

しかし「悪い奴だから懲らしめてやる!」と義憤燃えている人は、自身正義などではなく、気に入らない人間積極的排除しようとする側、いじめっ子気質人間であることを認識した方がいい。

自分の非を認めていない人間に数の暴力サンクションを与えたところで、暴力によって従わされたという心の傷が残るだけではないだろうか。

DaiGoの件に関して言えば、浮浪者への差別発言問題点を大して理解していなそうな人まで「レイシズム=ナチス=悪」という借り物の価値観脊髄反射敵に叩いているのも気持ち悪かった。Twitter支配的な反レイシズムという規範に沿わないという理由で叩くのなら、クラス空気に沿わない人間を吊るすいじめと大して変わらない。

DaiGoのように成功者になって世間を見返すのに躍起になり、果たしてそれが上手くいったとて、こんな風に問題行動を起こしてしまう。

逆に完全にいじけて人生を放り投げれば、黒子のバスケ事件犯人のように社会の敵になる。

これらは元いじめられっ子の中でも極端な例であるしかし私には、帰属意識喪失社会の正しさへの不信、自尊心の低さ、自分の影響力を確認することへの執着といった、いじめによってもたらされる人格の歪みが遠因になっていると思えてならない。

いじめの無い社会の到来を切に願う。

暴力によらない意思表示の訓練を普及させる。

学校内であっても犯罪に対しては警察を介入させる。

いじめから逃げられない構造是正する。

いじめて/いじめられてしまう子をケア対象とする。

手立ては色々ある筈だ。

これまでの話は全部私の臆測であり、一から十までこじつけである。どこかに論文があるわけでもないし、私は何の専門家でもない。

しかDaiGo本人がオリジンとして語っている以上、暴力による自力救済いじめを克服するしかなかった経験は、彼にとって大きな意味を持っていたのだろう。

DaiGoいじめたりそれを傍観したりしていた同級生、彼を救えなかった教師、もしかすると「やっぱアイツ変だったしな〜」などと考えていないだろうか。

お前らが歪めたんだ。

2021-08-24

土日出てくるのが当たり前になった壊れた社会人跋扈してない業界教えてくれ

俺はもう疲れた

同僚も取引先もなんかあると「まあ土日出てきてやればいいっしょ」

もう無理。

なんなん気持ち悪い。

せめて日曜日安息日だろ。

昭和熱血と使い捨て氷河期ミックスされたインモラル共にとってのぬるま湯、アンヒューマニズムというウィルス培養液。

こんな中にコレ以上住んでいられない。

そう思うもどうもこの世界は地平線の向こう側までそんなものに浸りきっているように見える。

土日に役所が閉まることに対して「じゃあ俺が休めばいいんだな」と言えない連中だらけのこの国に生きることに疲れた

もう無理。

死に至る疲労

2021-07-21

Quick Japan』95年3号 「いじめ紀行 第1回ゲスト 小山田圭吾の巻」 1

---

追記:はてなブログにも同じもの投稿しました。こちらのほうが読みやすいかもしれません。

https://bibokj.hatenablog.com/

---

僕は『月刊ブラシ』というミニコミ編集している。

インタビュー中心の雑誌で、二二の時に創刊して、もう二年が過ぎた。

今までにインタビューしたのは、爆弾製造青年

五年間顔を合わせたことのない隣人、

日本語学校の生徒、駆け出しの探偵、等々。

特に決まったジャンルとかは無いので、

今は閃いたことを全部やるようにしている。

インタビューをしてると、

相手が「マンガみたいな現実」を語ってくれる時がある。

例えば、爆弾製造青年高校の時に友達から

「不良にからまれから爆弾作ってくれ」って言われたとか、

探偵学校に潜入する時は用務員のフリをする」とか、

そんな話にはメチャクチャシビレる。

関係ないけど「スティービー・ワンダーは必ず綺麗な女を選ぶ」とか

ビーチ・ボーイズメンバー全員カナヅチだ」とか、

火葬場はやはり火事がおこりやすく、

職員が焼け死ぬことがよくある」とか、

そんなエピソードも大好きだ。

そんな僕にとって、"いじめ"って、昔から凄く気になる世界だった。

例えば

*ある学級では"いじめる会"なるものが発足していた。

この会は新聞を発行していた。

あいつ(クラスいじめられている男の子)と

あいつ(クラスいじめられている女の子)はデキている、

といった記事教室中に配布していた。とか、

*髪を洗わなくていじめられていた少年がいた。

かに彼の髪は油っぽかった。

誰かが彼の髪にライターで点火した。

一瞬だが鮮やかに燃えた。

といった話を聞くと、

"いじめってエンターテイメント!?"

とか思ってドキドキする。

だって細部までアイデア豊富で、何だかスプラッター映画みたいだ。

(あの『葬式ごっこ』もその一例だ)

自身学生時代傍観者で、人がいじめられるのを笑って見ていた。

短期間だがいじめられたことはあるから

いじめられっ子に感情移入する事は出来る。

でも、いじめスプラッターには、イージーヒューマニズム

ぶっ飛ばすポジティヴさを感じる。

小学校の時にコンパスの尖った方で背中を刺されたのも、

今となってはいエンターテイメントだ。

「ディティール賞」って感じだ。

どうせいじめはなくならないんだし。

去年の一二月頃、新聞テレビでは、

いじめ連鎖自殺が何度も報道されていた。

コメンテーター」とか「キャスター」とか呼ばれる人達

「頑張って下さい」とか「死ぬのだけはやめろ」とか、

無責任言葉を垂れ流していた。

嘘臭くて吐き気がした。

それに、いじめた側の人がその後どんな大人になったか

いじめられた側の人がその後どうやって

いじめを切り抜けて生き残ったのか、

これもほとんど報道されていない。

誰かこの観点いじめを取り上げないかな、と思っていたら、

昔読んだ『ロッキング・オン・ジャパン』の小山田圭吾インタビュー

思い出した。

next: anond:20210721172902

2021-07-15

フェミニズム範囲広げすぎじゃね?

もう人類みんなのためのイズムになってるやん。

だったもらフェミって付けることに疑問出てくるだろ。

もはやヒューマニズムじゃないか

ツイフェミが「原則」に反発するのは当たり前

あれはTERFやミサンドリスト切断処理するためのものから

TERFやミサンドリストフェミニズムの名を騙ってヘイトを垂れ流しまくってるから人権団体が「あれはフェミニズムじゃないですよ、世の中の皆さん誤解しないでくださいね」とわざわざ声明を出すに至ったんだろう。

そりゃ切断される側は反発するわな、お前らがやってることはフェミニズムでも何でもないただの差別主義だ、と名指しされてるんだから

ツイフェミは「これじゃフェミニズムじゃなくヒューマニズム」「普遍的人権では解決できないことがある」とか言う前に、自分らの言動ヒューマニズム普遍的人権からどれだけかけ離れてるのかをまず顧みるべき。「トランス」を「外国人」に入れ替えたらネトウヨと大差ないこと言ってるんだぞ。

2021-07-14

男性フェミニストリベラルの「フェミニスト原則再確認を呼びかける」共同声明への反応が気になる

私自男性で、フェミニストリベラルのつもりだからだ。

件の共同声明について、女性フェミニストに対して是非を問うたり、踏み絵のように利用する事には抵抗が有る、

何故ならやはり女性現在進行形で強く抑圧を受けている被害者であり(無論、そうした「男性」対「女性」の様な単純な二元論は当の声明批判されていることは重々承知であるものの)

そこにあの声明を突き付ける事が少々酷だと思うからだ。

しかし、男性場合はその様な遠慮は当然働かない。あの声明に対してどう考えるのか、フェミニストとして応答責任があるとさえ思う。

 

まず件の声明は「フェミニズムではなくヒューマニズム」との批判も受けているが、男性フェミニストになる場合女性と異なり、ヒューマニズムを経由する場合殆どである

理由は単純で、そもそも男性フェミニスト女性ではない以上、「何故ほかのどれでもなく、女性差別)なのか?」という問いに応え得ない。

まり女性ではない男性女性差別問題視する動機は、「そもそも差別は駄目だ」というヒューマニズムを経由せずにはほとんど成立しえないのだ。

だとすれば男性フェミニストは件の声明ヒューマニズムであったとしても、それ故にこそ声明の語る内容を拒否しえない。

ここには男性フェミニスト特有の困難がある。

ヒューマニズム根拠自己と異なる属性の人々(女性LGBT障碍者貧困者、セックスワーカー等)へ共感を寄せ、それらの人々が受ける差別や苦難に反対する事は間違いなく正当だ。

しかしだとすればそれらの人々の間に優劣を付ける事は欺瞞ないしグロテスクな加害にさえなり得る、

例えば女性差別に反対する事は間違いなく正当だが、「女性を優先していない」事を理由に件の声明拒否するなら、それはLGBTセックスワーカー等をヒューマニズム対象に含めないという極端にグロテスク差別主義という事になる。

この事情故に、男性フェミニストにとってのあの声明は、女性フェミニストにとってのそれと取るべき対応がかなり異なる。

女性を優先する」タイプフェミニストを自任する場合女性弱者被害者男性強者加害者という構図を採用する事が多いだろうが、そのような単純な二元論棄却しないならば同時にLGBTセックスワーカーに対しても強者加害者とならざるを得ない自己責任を果たさねばならないし、だとすれば声明拒否しえないのだ。

 

「あの声明の内容に問題は無いが、フェミニストの名を冠するのは不当だ」という批判もあるが、これも適当ではないと私は思う。

件の声明が「再確認を呼びかける」ものである事に着目すべきだろう。文脈上、ほぼ確実にあの声明そもそもフェミニストフェミニズムの名の下にLGBTセックスワーカーへの差別偏見蔓延している」現状を前提とし、

そうした現状を憂慮するが故に「再確認を呼びかけ」ている。そうである以上、あの声明は「フェミニストフェミニズム」に対して呼びかけなければ意味がないし、その必然性がある。

 

また声明構成は「➊人権普遍性差別をなくすこと、そして暴力から解放」「❷身体自主性、尊厳作動性、アイデンティティ権利」等のタイトル区分けされ、その前に「フェミニスト原則再確認:」と書かれている。

これは声明に書かれたすべてが「原則」なのではなく、「➊人権普遍性差別をなくすこと、そして暴力から解放」「❷身体自主性、尊厳作動性、アイデンティティ権利」「❸拷問非人間的な扱い、医学虐待から解放」といったタイトルが「原則」であり、そのあとに付される文章はその原則の「応用」「実事例への適用」と読むべきだろう。

LGBTセックスワーカー等への言及はこの「応用」「実事例への適用」に当たり、原則のものにはLGBTセックスワーカー等への言及は含まれていない。

まりLGBTセックスワーカー等への言及ばかりだからこれはフェミニズムではない」というのは声明構成に対する誤読だと私は解釈する。

あくまでそれらは「原則から導いた応用に過ぎないのだ。そして各タイトルフェミニズム原則として違和感のあるものではない。

また、それらが「あまり一般的すぎる」事は、論理的に考えてフェミニズムという思想に対する強い信頼の反映だと考える。

まり「あまり一般的な」普遍的人権に関する原則フェミニズムほぼイコールなのであり、普遍的原則からフェミニズム自明に導けるのだ、という強い主張である

例えばフェミニズムが「女権拡大」の為のもので、女性を優先した原則を掲げなければフェミニズムではないと考えた場合、そのような思想は「女権を拡大すべき」「女性を優先すべき」という命題同意する人にとってしか重要ではないし、従う理由もない。

けれども普遍的人権に関する命題からフェミニズムが導けるならば、普遍的人権同意するあらゆる人はフェミニズム同意しなければ矛盾を抱えていることになる。

まり原則が「あまり一般的すぎる」事はフェミニズム普遍性を支持しているのであってその逆ではない。逆にフェミニズム普遍的人権と切り離してしまう人は、フェミニズムを自ら小さい、意味の無いものにしてしまっている(こうした論理的関係は気付きにくいものなので、そこに気付かないことに特別過失が有るとは思わないが・・・

 

こうした事について男性フェミニスト男性リベラルは真面目に考えることが出来ているのか、声明に応答できるのか、という事は注視すべきことであろう。(勿論私自身を含めて)

弱者性・被害者性を理由女性フェミニスト配慮するとしても、同じ配慮男性フェミニストに向ける理由は全く無いからだ。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん