はてなキーワード: ヒップとは
RADWIMPS、相対性理論、神聖かまってちゃん、世界の終わり、androp、amazarashi、The Mirrazといった、『語るように歌う』ロックバンドが最近勢いを増している。
彼らの大きな特徴は、その歌唱法にある。
従来のヒップホップのラップでは、声にドスを効かせたり、『Yo!』『Check It Out!』といったヒップホップではお馴染みのキーワードを口にしたり、語尾でキッチリと韻を踏んだりするが、彼らの歌唱法はそれとはかなり異なる。
ヒップホップのラップほどに声を作らず、日常会話のように、朗読のように歌詞を口にする。そのままでは朗読になってしまうので、テンポを上げて、跳ねるようなリズムを取り入れている。そこに少しメロディラインを混ぜたような歌い方。これまでの音楽にはない、独特のグルーブが感じられて、新鮮味がある。
歌詞の内容も、従来のヒップホップやJ-POP、ロックバンドと比べると一風変わっている。
従来のヒップホップの大きなテーマは『自分を誇る』ことであり、歌詞の内容も、自分のラップのスキルの凄さを自慢したり、気に入らないラッパーをDisったりといった、アウトローの雰囲気を感じられる歌詞が多かった。
それとは別にJ-POPでは『恋愛』や『前向きに生きていくこと』が比較的多く歌われる。これはヒップホップが台頭して、ラップをJ-POPに取り入れるようになってからも変わっていない。ケツメイシ、GREEN、FUNKY MONKEY BABYS、遊助、ヒルクライムなどが代表的だ。J-POPでのラップは、ヒップホップほど相手を威嚇しないようにはなったものの、依然としてヒップホップ的フックの雰囲気(『Yo!』といった掛け声)は残っている。
それらと比べると、『語るように歌う』系のロックバンドの歌は、あまりに歌う内容が違いすぎる。
彼らが歌う内容で多いのは『次元の捉え方』『記号・数式』『あの世・死生観』『死にたい』『言葉遊び』『ポストモダン』などであり、そこには従来歌われていたテーマは微塵も感じられない。歌詞はひねくれているのにメロディやキャッチーで親しみやすいから、そのギャップに困惑してしまう人も多いだろう。
それともう一つ重要なのは、ヒップホップ性を意図的に排除しているということだ。彼らはヒップホップ的なフックを全く使わない。DJもターンテーブルのスクラッチ音も入れない。歌詞の内容も自分を全く自慢しない。むしろメンヘル的なイメージさえ感じられる。アウトロー性もほとんどなく、ヒップホップを象徴するアクセサリーやファッション・アートワークも用いない。その徹底的な姿勢は、まるでヒップホップから『語るような歌い方』を奪い取ろうとする姿勢さえ感じる。そういった意味では、ヒップホップへのアンチテーゼとも言えなくない。ヒップホッパーも、この現象には困惑しているだろう。
これらの歌い方をするバンドを『念仏系』と呼ぶ人がいたが、案外的を得ているかもしれない。
この歌唱法を広めたのはRADWIMPSだが、結局のところこの歌唱法は時代が要請したものだったのだろう。価値観の反転、雇用制度の崩壊、複雑化した世界――そういった時代を表現するためには、従来の歌唱法だけでは足りなかったのだ。今後この歌唱法がどのようになっていくかは分からないが、僕としては静かに見守っていく次第である。
冤罪押し付ける可能性あるから女は女性専用車両に乗れ、乗らない女は痴漢されても文句言うな。と言われるので、なんであえて女性専用車両に乗らないのかを書いてみます。
1.乗り換え不便
2.くさい
3.ヒールに踏まれる
4.痴漢なんかほとんどあわないし、あっても訴える気ない
大きいのは1ですね。
女性専用車両はたいてい最後か先頭の車両なんですが、これが乗り換えに死ぬほど不便。
社会人の皆さんはわかると思いますが、ラッシュアワーの駅の階段ってほんとアホほど混みます。階段の近くにとまる車両にいないと、乗り換えにかかる時間が10分くらい違ってきます。駅のホームについてから階段をおりきるまでに5分かかります。
というか東京の電車って長いので(上京した田舎ものは間違いなくビビる)、ラッシュアワーじゃなくても普通に時間かかります。どうして真ん中あたりの車両に比べて先頭や最後の車両がすいているのかというのを考えれば、あんまり便利な車両じゃないことは自明でしょう。
2.くさい。「香害」というやつです。
スタイリング剤だか香水だかわかりませんが、いろいろ混ざってて、とくに朝はツライです。
なんせ朝につけたばっかなので、「かおり」じゃなく「におい」なんです。
3.については、女性専用車両に限ったことではないんですが、私は実際に女性専用車両でヒールブーツに踏まれて、足の親指の爪が割れたことがあります。会社について見てみたら血まみれでした。トラウマかもしれません。
混んでる電車にヒールで乗るなよバカ女が。と思いました。たいていそういう女性は香害も撒き散らしています。死ねばいいのに。
化粧をきちんとして、髪をこげ茶に染めて整えて、膝丈はある長さのスカートを履いて、ちゃんとストッキングをはいていれば、まず痴漢に狙われることはありません。
ああいうのはミニスカートに生足の学生か、極端におとなしそうな(化粧とかほぼしてない感じの地味な)女性が狙われるものです。
自分が社会人になってから痴漢にあった経験を思い返すと、胸元のゆるい服を着ていたとか、ヒップラインがわかる薄手素材のスカートをはいていたとか、「いかにも男性を誘いそうな」格好をしていたときだけです。
会社に行くのにそんな格好をする必要はありませんから、必然的に、普通にしてれば社会人は痴漢にあわないです。
あと、たとえ痴漢されても訴える気ない、というのは、捕まえてたら会社に遅刻するからかまってられない、という心理です。
面倒そうだし、遅刻すると当然その分収入がマイナスになるので、やりません。
まぁさすがに挿入されそうになったとかいう次元なら訴えるかもしれませんけど、ナマ乳多少もまれたくらいなら、時間がもったいないほうが勝ちます。
最後に、女性専用車両に乗る動機というのにも少し触れておくと、比較的すいてるから。これだけ。
乗り換えに不便な先頭車両とか最後車両がすいてるのはあたりまえですし、しかも男性は乗れないんですから、すいてます。
事故で遅延とか起きてて、普通の車両には乗れなさそうなくらいの混みっぷりのときは、女性専用車両を使います。
女性専用車両の利用者は、みんなそうなんじゃないですかね。
別に痴漢を恐れてるわけじゃないとおもいますよ。おばちゃんとかおばあちゃんとか多いし。
痴漢被害を少なくしたい(痴漢冤罪を防ぎたい)というんであれば、女性専用車両じゃなくて、女子高生隔離車両でも作ったらいいんじゃないでしょうかね。
JEUGIAヤマハ音楽教室・英語教室 > 大人の音楽教室 > エレキベースレッスン
http://www.jeugia.co.jp/school/yamaha/pms/Electric_Bass.html
当然エレキギターのほうにはクラウザー様がリスペクトされているものと思って見てみたら
当コースは「けいおん」の平沢唯や中野梓のようにカッコイイギターを弾きたい方にもオススメです。
JEUGIAヤマハ音楽教室・英語教室 > 大人の音楽教室 > エレキギターレッスン
http://www.jeugia.co.jp/school/yamaha/pms/Electric_Guitar.html
歪み無さっぷりに吹いた。つーかさらっと原作準拠ですかそうですか。
「けいおん」の平沢 唯はボーカルであることも人気の秘密です。
「けいおん」の田井中律が使っているヒップギグのヤマハでドラムを習っちゃおう!
なんでまたこんなことになってんのかと思ったら……
#2「楽器!」
http://wiki.livedoor.jp/radioi_34/d/%A4%B1%A4%A4%A4%AA%A4%F3!
あー、なるほど。けいおん!2話で出てきた楽器店が本社になってる音楽教室のWWWページだったのか。
・・・・・・で、ムギは?
サンプリングネタ『アニオタが非オタの彼女にアニメ世界を軽く紹介するための10本』
http://anond.hatelabo.jp/20080721222220
あまりにも流行りすぎてるので便乗・・・
まあ、どのくらいの数のヒップホッパーがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「ラップオタではまったくないんだが、しかし自分の悪趣味節を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らない母国語ライムの世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
JHIPHOPのことを紹介するために聴かせるべき10枚を選んでみたいのだけれど。
(要はブラストベストディスクの正反対版だな。彼女に日本語ラップを布教するのではなく相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴うような80分アルバムは避けたい。
できればミニアルバム、長くても60分にとどめたい。あと、いくらBBOY的にクラシックといっても古びを感じすぎるオールドスクールは避けたい。
佐々木士郎が『建設的』(1986年)は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
ヒップホップ知識はいわゆる「R&B系」的なものを除けば、ケツメイシ程度は聴いている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
『人間発電所 プロローグ』(BUDDHA BRAND)
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「さんピン以前」を濃縮しきっていて、「黒船以後」を決定づけたという点では
外せないんだよなあ。長さもミニアルバムだし。
ただ、ここでILLトーク全開にしてしまうと、彼女との関係がBEEFになるかも。
このサンプリング過多な作品について、どれだけさらりと、普通にならず並すぎず、
それでいて必要最小限の韻踏みを彼女に伝えられるかということは、
B側の「真の空間処理能力」の試験としてはいいSHITだろうと思う。
『ONLY FOR THE MINDSTRONG』(THA BLUE HERB)、『緑黄色人種』(SHING02)
アレって典型的な「ラップオタが考える一般人に受け入れられそうなヒップホップ
(そうヘッズが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
それを彼女にぶつけてアンサーをみるには一番よさそうな皿なんじゃないのかな。
「オタとしてはこの二つは“ポエトリー”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
空からの力(キングギドラ)
ある種の日本語ラップフェチが持ってるニューヨークへの憧憬と、オアプロデュースのネタ的な考証へのこだわりを
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにもギドラ的な
の二人のB好きするMCしかいないのが、紹介してみたい理由。
『理由』(K-DUB SHINE)
たぶんこれを聞いた彼女は「お経だよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
これの中の1曲がデブラージの逆鱗に触れたこと、9分以上の曲でDISられたこと、
それが引き金になって若手から大御所にいたるまで一斉にケーダブDISをはじめて、その結果シーンに変な連帯感が生まれたこと、
『EGOTPIA』(RHYMESTER)
今の若年層でドクタールーパーを見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
さんピンよりも前の段階で、宇多丸(SHIRO)の哲学とかDのライム技法とかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティの作品がDA.YO.NE.の裏でこの時代につくられていたんだよ、というのは、
別に俺自身が早稲田に入れなくとも、なんとなくFG好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆるキングオブステージ以降でしかライムスを知らない彼女にはきかせてあげたいなと思う。
『NITRO MICROPHONE UNDERGROUND』(NITRO MICROPHONE UNDERGROUND)
「やっぱりHIPHOPは不良のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「街風」でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかける8人plusαの思いが好きだから。
断腸の思いで削りに削ってそれでも1時間20分、っていう尺が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにもBBOY的だなあと思えてしまうから。
ニトロファーストの長さを俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、
一方でこれがMUROやツイギーだったらきっちり55分にしてしまうだろうとも思う。
なのに、デフジャムジャパンで再販してボーナストラックまで作ってしまう、というあたり、
どうしても「自分達の物語を形作ってきたSHITが捨てられないBBOY」としては、
たとえビグザムがゴアにDISられてるとしても、親近感を禁じ得ない。
作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
FUMIYAの「太り方」あるいは「音作り」をBとして教えたい、というお節介焼きから聞かせる、ということではなくて。
「オ・ワ・ラ・ナ・イ(OH!WHAT A NIGHT)パーレイを毎日生きる」的な感覚が
BBOYには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそ雑念エンタテイメントのネタはBST以外ではあり得なかったとも思う。
「パーティした日常を生きる」というBの感覚が今日さらに強まっているとするなら、
その「ぱーりーぴーぽー気分」の源はファンキーグラマーにあったんじゃないか、という、
そんな理屈はかけらも口にせずに、単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
『MIDORINOGOHONYUBI presents MIDORINOGOHONYUBI ONEFOOT』(NIPPS)
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういうインストとミックス違いを主体としてこういうかたちでアルバム化して、
それが非デミファンに受け入れられるか
俺のから揚げに勝手にカットレモンをかけられるか、というのを見てみたい。
9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、
便宜的にクレたんを選んだ。さんピンから始まってクレバで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、
MPC4000以降の超クリーントラック時代の先駆けとなった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、
もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10枚目はこんなのどうよ、というのがあったら10日以内にDIS。
「駄目だこのワックは。俺がちゃんとしたルーティンを作ってやる」というのはピース。
こういう試みそのものに関するアンサーも聞けたら嬉しい。
先ずは、このセリフを見て欲しい。
俺?
ああ、俺はとりあえずマジギレしてる。
上司だろうとなんだろうと手当たり次第マジギレしてる。
さすがに常務あたりには苦笑いだったけど。
嗚呼、サラリーマン。
この意見は、大阪在住で巨乳をこよなく愛す、多分デブのナイスガイの物である。
全身が性欲、というか、寧ろ全身が性器という歩くモザイクな彼だが、ま、彼の話は割りとどうでもイイ。
コトノハをこよなく愛するオレは気になっていたことがある。
ハイスクール奇面組の最終回が夢落ちだったことなんかよりずっとだ。
それは、おやじギャグが使い手の利用方法の誤りの為に余りに不遇をかこっている事である。
「おやじギャグの肝はタメにあり」サマーソルトキックの開発者であるガイルはそう語っている。
一つ例を示そう。
どうやらコワイトクイサキは何度かけても連絡がつかない。
受話器を置き、神妙な面持ちで下を向いて一言
「電話に・・・・・・・・・・・・出んわ。」
ポイントはタメである。
もう一つ例を示す。
タメではなく、勢いが必要なパターンであり、何を隠そう前述の「おやじギャグを聞くとマジ切れする」 奴のものだ。
兎に角「吸った揉んだ」的粘着おやじ臭漂うネタはなかなか受け入れは難しいことを考えれば、勢いとシンプルさ
これもポイントに加えていいだろう。
一番重要なことは、この手の言葉遊びは文学として大切なジャンルを築くということである。
掛詞(かけことば)というのがある。
花の色は うつりにけりな いたづらに
わが身よにふる ながめせしまに (小野小町)
「ふる」は「経る・降る」、「ながめ」は「長雨・眺め」のそれぞれ掛詞であり、「むなしく物思いに耽りながら現実の世に処してる間に」と「ぼんやりと長雨を眺めているみたいに」と二重の意味があり、更に「降る」は「長雨」に通じる。
いわば古今時代のおやじギャグだ。
今、おやじギャグとしてバカにされてるコトノハが、いつの日か文学を形成する日が来るかもしれない。文化の伝承者たる我々はその可能性を摘む事を許されない。橋渡しなんて、無理ッち(ブリッヂ)などと言ってる場合ではないのだ。
おやじギャグをバカにする人間は、もういちど日本語の豊潤な響きを踏まえておやじギャグを見直して欲しい。そして、おやじギャグの使い手は、安易な発表を控えてほしいのだ。
下手なシャレはやめなシャレ、と。
とりあえず、リンク