はてなキーワード: ヒットチャートとは
多様性多様性と言っている中でいわゆる音楽の「ヒットチャート」は意味を成すのかと思っている。
昔のように最近の曲を知っていないと話題についていけないこともないし、知らないことであまり馬鹿にされることもない。
「最近の曲を知らないんだよね」という年齢も昔はおじさんおばさんだけだったのが普通に学生が言う。
髭男の曲も米津の曲もAdoの曲も、人気ではあるものの大衆が熱狂して聴いているほどではなく、あくまで多くの人が聴いている曲の中の最大公約数に過ぎない。
最新の曲を知らなくても過去の曲に簡単にアクセスできるようになったし、人気の曲を聴かなくても自分の好きなジャンルはこれだと胸を張って言う人が増えてきたように思える。
「人気の曲」の指標は確かに必要だし、アーティストのモチベーションにつながると思う。
けれど今はCDの大量買いに再生回数の水増し工作など、そのチャート自体がある程度「いじれる」ようになってしまっている。
提供元が対策を講じてもすぐに再度抜け道を探したり倍の努力をしてその対策を無にしてしまう。こうやってチャートもぐちゃぐちゃになっていく。
いや、意味はあるのだけれど、今後更に音楽に対するアクセスがしやすくなり、音楽の価値が下がると同時に、音楽の好みの多様性が広がり、「これが人気です」の指標に人が興味を示さなくなるんじゃないかと思っている。
地上波でやる音楽番組自体がもう時代に合ってないのかもしれないんだけど、その音楽番組でやるランキングは本当にいらないなって思う。
そもそもゴールデンでやっている音楽番組もうたコンとMステとCDTVくらいしかないのだけれど、うたコン以外の二つに関しても毎週やるわけではなく2週に1度、下手したら月に1回しかやらない。
その月に1回に1か月分を取り戻すような4時間スペシャル!とか2時間スペシャル!をやっているのだけれど、蓋を開ければほとんど過去の映像で合間合間に出演している歌手がパフォーマンスするという形。
だから推しが出ているとき以外は見ないのだけれど、推しが出るときは本当に苦痛なのだ。せめて「今のアーティスト」によるパフォーマンスを見たい。昔の映像は昔の映像を振り返る番組でやればいい。
「Z世代が選ぶ昭和の曲ランキング!」「シングル・カップルがそれぞれ選ぶラブソングランキング!」みたいななんかふんわりしたランキングもいらないし、なんならその月のヒットチャートの紹介や年間ランキングもいらない。
そういうのはインターネット発達の今知りたければ調べればすぐ出てくるし、そういう情報を番組から得るってこともないだろうし、ランキング自体が好きならMTVとかMusic on TVで見てくれよと思う。
その15分くらいがあれば出ているアーティストにあと1曲歌ってもらいたいくらいだ。
そもそもランキングを紹介していた深夜のCDTVが終了したのも、おそらくこういうランキングに需要がないから終了させてライブパフォーマンス一本化させた番組に集約したにもかかわらずなんでランキングやるんだろうか。CDTVはランキングを紹介する番組じゃないのか!と番組に問い合わせしたというツイートを見たからつい書いてしまったが、ランキング自体需要はないんじゃない?
こういうの
Bon Jovi - I'll Be There For You
Warrant - Heaven
Firehouse - When I Look Into Your Eyes
展開がどれもほとんど同じで、静かに始まって、だんだん情熱的に盛り上げていって、途中でギターソロが入って、最後はジャジャーンとすごいグルーブ感で終わるやつ(語彙)
遠くまでずっと音が広がっていく感じがあって、ギターソロの絶対的な陶酔感がすごいやつ
こういうの好きなんだけど、最近の音楽シーンではぜんぜん流行ってないよね……
グローバルヒットチャート50を頑張って聴いてるんだけど、ぜんぜん好きになれない……
けなすつもりは全然なくて、本当によくわからないんだけど、ああいう音楽は誰が聴いてるの?
なんかこう、どれも同じに聞こえて、ボワボワンというアンビエントな音で始まって、加工した声でムニャムニャって歌って、ラップがはいるやつ
AKB系などオタクがCDを大量買いするので日本の音楽チャートが一旦信用を失ったまではわかるけど、それはどこの国でも同じような感じで、たとえば同じようにアイドルオタクがヒットチャートに影響を与えまくる韓国は大手ストリーミングサービスのMelonチャートが大衆人気の指標になってるし、アメリカもビルボードチャートはストリーミング、ラジオ、youtubeなどの再生数やリクエスト数で総合判断するようになった
もちろんここでもアイドルオタクがあの手この手で推しを上に行かせようとするのだが、たとえば韓国ではユニークリスナーの数を重視するなど、少数のオタクだけでどうにもならん部分で大衆人気をはかろうとするところはある。
だからアーティストはみんなヒットチャートで一位を取ることに躍起になり、一位が名誉なこととされている。もちろんアメリカもビルボードチャート一位になればヒットの証であり、名誉なこととされている
こういうチャートアクションを観察するのは面白いし、普通に日本ではやっている曲を知りたいので日本版も見たいのだが、なんか機能してないよなーと。なんでなんだろね
日本の若いヒップホップの子達は基本的にそんなことを歌ってるけど貧困は物がなくなることだから最終的に心の中からなんとか生みだせるもの、感情とか愛とかを表現してるな
つまり表現はされてるけどヒットチャートには載せづらいんでしょう
月額幾ら払いのスマホ一つでYouTube流しながらラップのスキルを磨けて、最悪ボイパのリズムに合わせてラップしているだけでいい安上がりなヒップホップの方が貧困層には合ってるんでしょう。
まぁギタージャンジャカ弾いて「俺は貧乏だ」って言われても「どこがだよ、親の金でギター買ってもらったくせに生意気な大卒がよ」と思われて響かんのでしょう。
17,18年の初期の頃はまだ良かった。
キズナアイとかミライアカリとかyotuuberの文脈で面白いことしようとしてる奴もいたし、
ねこます、のらきゃっとあたりは3D方面からアプローチかけてる人もいし
月ノ美兎をはじめとして古いインターネットをネタにして面白いことをしようとしてる奴らもいた。
とにかく「何とかして面白いこと」、「みんなが笑えることをしてやろう」って雰囲気が凄かった。
でも今はそういうやつはほとんど注目されなくなったよな。今やVtuberのメインは生主界隈の信者ビジネスじゃん。
男も女もキモオタに媚びていかに金を巻き上げるかしか考えてない。それに乗る方も結局金を通じた見栄の張り合いをやってるだけ。
2012年くらいにAKBが流行ったけど、あれと同じ感覚だわ。メインコンテンツが金をいかに出したかというレースになってて、金でしか肯定できない感じ。
AKBがヒットチャートと音楽シーンに終止符を打ったように、Vtuberがインターネットの面白さに終止符を打つんだろうな。
俺はずっとアジカンが嫌いだった。
きっかけはリライトがヒットしたあたりからソルファ借りて一通り聞いたけど、「ナンバガイースタンを大衆向けに書き換えただけじゃねーか」という感想以上のものを持てなかった。
ナヨナヨしたメガネの変人がフロントマンやってるのも先人のバンドをなぞっただけのような感じがして嫌いだった。似たようなバンド、00年代ごろは鬼のように流行った気がするんだけども。
というか、アジカンが流行り出した頃はキューンレコード自体が丸ごと嫌いだった。キューンのバンドのやつら、どいつもこいつもアニメのタイアップばっかりやってヒット目指そうとしてるのが気に食わなかった。もっと曲で勝負しろや!タイアップなんかやるんじゃねえよ!って思ってた。
でも上記の感情、全部若気の至りだったよ。学生の身分で流行り物が全部嫌で、流行っているものに群がっている人間を見るのも嫌で、流行っているものに影響を与えているバンドだったりミュージシャンみたいなものを「今流行っているものはこいつらが先祖なんだぜ」って気持ちを雑にmixiに書き散らかして優越感に浸りたいだけの学生だった。
別に積極的な理由で流行り物に対して嫌っているわけじゃなかったけど、なんとなく右へならえでみんなが好きなものをみんなと一緒に好きになるのが嫌だっただけなのかもしれない。
でも自分でなんか曲作ろうとかバンド組もうとかなんかしようとかそういう感情も一切なく、ただ流行り物をdisるだけの腐った学生生活を過ごしていた。
その後就職して仕事をしていると大人になったからなのか暇がなくなってしまったからなのか、おおよそロキノン系ロックの細々したヒットチャートに一喜一憂することもなくなった。流行り物の曲も「こういうのが売れてる曲なんだ」っていうのを学習する機会として割り切るようになった。キューンが散々アニメタイアップでバンドをヒットさせようとしてたのも「生きるためにはまあしょうがないよね」ってなんとなく納得するようになった。後藤が原発関係でなんか言ってた時も「政治に口出せるほど偉くなったもんだねえ」「エレキでジャカジャカ電気使って音楽やってんのに脱原発エコロジー標榜してんのか」と内心冷めた目で、でもそういうことをTwitterとかはてブとかに書くこともなく淡々と生きていた。
https://note.com/gotch_akg/n/n6352512c4041
現場に積み上げられてきた熱意。そして、そこにある人生。一方で、自分がよく知る切実な思いとその活動が乱すかもしれない公共衛生。飛び交ういろいろな言葉を前にして、グワグワになっている。
だが、久しぶりのリハーサルのたかだか数時間で、自分が生き返ることも実感した。心の底から、これだ!という実感が溢れ出て、全身をめぐった。エゴイスティックな音楽への欲望が俺には少なからずある。
まずミュージシャンがmixiやアメブロじゃなくnoteで一言ぶち上げる時代の変化に驚いたけど、「オリンピックdisっておいてこの文章かよ」っていう原発のころとなんら変わらないダブスタな政治信条を見せられて、落胆と安堵が入り混じった感情になった。もうこの文章だけ読んだらオリンピックに出るアスリートが書いてんのかフジロックに出るミュージシャンが書いてるのかわからないもん。
まあ分かるよ。ライブなんてコミケやお祭りと一緒で現場で臨場感出さないと客は財布の紐を緩めない。運営もミュージシャンもそういうのわかってるし生活立ち行かないからライブやるんだって。でもオリンピックdisっといて自分のイベントについては日和った感想しか出てこないところが、やっぱり嫌いだなあって思っちゃった。
さっき安堵って書いたのはそういうことだと思う。自分がずっと嫌いだったものを改めて引き続き嫌いでいさせてくれる。
でもこの文章もソルファ聴きながら書いたし、意外といい曲多いのでYouTube Musicでアジカン、気が向いたら聴くよ。だから頑張ってください。
ひとつの側面としておっさんを蔑視する風潮が急速に広まったのを感じている。
昔は寅さんとか(金八先生以外の)武田鉄矢とか、ふらふらしてて能力も高くない独り身のおっさんがそれでも魅力的な部分もあるという描かれ方をした。
弱者男性とはちょっと違うけど石原軍団のようなおっさんのかっこ良さを前面に出すコンテンツもあった。
演歌がヒットチャートに上がる時代はおっさん歌手が人気だった。
それが時代とともに若くてイケメン高スキルばかりになったように見える。
海外のドラマや映画だと、ハゲやヒゲ面やデブのおっさんがそれらの特徴を特に記号化せずに普通の人の個性として扱っているように見える。
かっこ悪さや情けなさがクライマックスで反転してかっこよく見えるというドラマの演出上の設定ではなく、かっこ悪さは自然にあるものでストーリーに一切絡まないのが良い。
なさけないけどいざというときかっこいいおっさんといえば、クレヨンしんちゃんのひろしがいるけれど、(高年収、家族持ちという点はおいておくとして)あれも足が臭いという性別を逆にしたらモラハラになりかねない設定がおっさんの身体的特徴を笑っても良いという考えに加担している。
なにが言いたいかというと、イケメンでもセクシーでもないおっさんが蔑視されない風潮、独り身のおっさんが堂々と生きられるロールモデルがほしい、そういうのを後押しするコンテンツが増えてほしいということ。
この2つのグループは日本にダンスミュージックを根付かせるポテンシャルがあったと思う。
メロディ重視の J-POP は欧米のダンスミュージック中心のヒットチャートとは相性が悪い。
もし日本にダンスミュージックが受け入れられれば国内で売り上げを伸ばしながら海外に出て行くきっかけにはなったと思う。
だけどこの2グループは肝心の「ダンス」に日本の悪いところである体育会系ノリを持ち込んでしまった。
先輩・後輩の支配的な上下関係や、一生懸命頑張ること自体を賛美して手段と目的が逆になったスポ根精神。
最も大事な音楽的な部分で売ることはせず、ダンスを通じて教育的な何かを実現しようとするこのプロデュースが全てを台無しにしたと思ってる。
あいみょんとか米津玄師とか、最近の若い人で、有線でかかってるような曲ってけっこう重くない?
インスタとか見てるとキラキラした人たちばかりなんだけど、ああいうキラキラした人たちがそういう曲聴いてるの?
また別の層なのかしら?
さとり世代とか言うけど、もしかして若者の大半は既存のヒットチャートと無縁のところにいて、ごく一部の流行に関わる人たちだけの流行歌が有線に乗ってるのでは?と思うのだけど、どうだろう?
たとえば、世の中の75%が流行歌と無縁の生活をしてる人で、残りの25%が作ったヒットチャート上位曲が社会全体の流行として扱われてるとか?
(75%の人は、YouTubeやSpotifyでいろんな時代のいろんな国のいろんな音楽を聴いてるか、音楽に関心がないか。)