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はてなキーワード: パーソナルコンピュータとは

2018-06-27

anond:20180627204651

ポリティカルコレクトネスPCと略してる連中は絶対パーソナルコンピュータの略だと知ってるはずなのに頭おかしいよな

このIT全盛の時代に被る文字列で略す意味がわからないし、むしろ検索性が悪くなるし、置き換え狙ってもゼッタイに無理スジなのに本当に何考えてるんだろうな

anond:20180627203232

パーソナルコンピュータの既に浸透しまくったPCという略記をポリティカルコレクトネスと置き換えようとするおかし集団世界各地に居ましてね

一応ボクも間違ってならないと1990年代から略語PC意味を色んな言語でググったんです

日本語英語はもとよりアルファベットを使うスペイン語フランス語ロシア語も調べたら、どの年代でもPCパーソナルコンピュータなんですよ

ていうか、狙ったわけでは無いんですが、アルファベットを主要文字として利用していない中国語韓国語、はてはアラビア語でもパーソナルコンピュータという意味でのPCが登場しているんですよ

ここまで浸透しまくったPCポリティカルコレクトネスの略記に利用する集団は何を考えているのか一切理解できないと思いました

2018-06-12

anond:20180612104347

後世の日本フェミニズム研究ですんごいノイズになると思うよ?今のフェミニスト誤用

ポリコレ研究するのにもPCという表現は圧倒的に大きなノイズであるパーソナルコンピュータ情報に埋もれてしまうと思う

それは間違いなく日本人にとって損失になるでしょ

それこそ良質なフェミニズム日本で広めようと思うなら将来のことも考えなきゃいけないと俺は思うな

今さえ良ければ自分さえ良ければ良いのなら俺は何も言えないんだけどね

2018-03-01

ベンチャーキャピタルVC)に入ってしばらく経った感想

しばらく前に元いた会社をやめてキャピタリストになった。

最近少し落ち着いてきて、今日仕事が早く上がれたので思ったことを書いていこうと思う。

入社して最初に思ったことは、意外と日本ベンチャー企業VB)がたくさんあって、そして思い思いの夢やアイディアを実現しようとしてる。

もちろんVBと接する機会が多いからそう思うんじゃないかって感じだけど、働き始める前の想像よりも国内VBは多い。

ただよく言われるように、スケールが小さかったり海外がやってるビジネスの隙間を埋めるようなところも多い気がする。

ユニコーンなんてポンポン出るもんじゃないとは思ってるけど、5年後に自担VBが生きているかって聞かれると自身を持って肯定できない感じ。

VBって本当に火の車なんだって初めて財務諸表を見た時が忘れられない。

会社預金残高が500万しか無いのに毎月100万以上使ってて、すぐ入金しなきゃ食っていけないなんてザラにある。

逆に昔のベンチャー企業なんてどうしてたのかなって思うときもある。銀行簡単に貸してくれていた時代もあったのかなって。

そういう意味ではVCなんてのは銀行が金を貸さなくなったからこんなに増えてるんだなって思う。

お金を貸さな銀行のお陰で俺がメシ食ってるのか。変な話だ。

  • 振り返りの有無

VCはによって違うかもしれないけど、潰れた後のVBがなぜ潰れたか検証している人が少ないと思った。

投資決定プロセスとき、色々財務状況とか市場性とか諸々をまとめるとは思うんだけど、キャピタリストって走り続けるような職業で振り返り検証とかする余裕ないのかな~。

もちろんITバブルリーマンショックみたいな不測の事態は起こっちゃうわけだけど…

自分投資したVBが(というか投資させてくれってプッシュしたVBが)どうなるかなんてまだわからんから何とも言えない。

中途入社の先輩が言ってた、

キャピタリストって投資プロって思われがちだけど、それは違うと思うんだよね。クソなやつはクソみたいに会社潰してるし、キャピタリストって何処かにセンスが無いとダメだと思う。」

ってのが頭のなかに引っかかってる。

センスってなんやって思ったんだけど、結局は今のビジネス問題点とか裏にある市場デカさとかをどれだけ感じ取れるかなのかもしれない。

電子計算機パーソナルコンピュータにしちゃった企業とか、ネット小売でニッコリな企業とか、その企業の裏にはセンスのある人が金を出したってことなんかな。

今の自分センスがあるのかはわからない。そもそも面倒見たVBIPOして / M&Aされてないからね。


自分はもともと理系畑で、全然金融とかはわからない。というか株も投資信託もやったこと無い。

そんな自分が人の金で投資してるのは今でも笑いそうになる。

ある意味で、VC金融素人でも生きていける感じがする。

トレーダーめっちゃすげえプロがやってるイメージVCなんてVB10個に投資して1個大当たりしてごまかす感じだしね。

金融素人文系理系も同じ。簿記とか大学勉強してても、生きてる財務諸表じゃないと頭に入らないでしょ。

簿記国家資格じゃなくて英検的な立ち位置だしね。もちろん会計士とかの国家資格はまた別だとは思う。

2桁年以上キャピタリストを続けてる人はなかなかいない。

人の入れ替わりが激しい業界だと思ってはいたけど、3年前に居た人が半分以上ターンオーバーしてるのは流石に驚いた。

逆に言えば、キャピタリストは他の業界でもメシ食っていける肩書なんじゃないかなって思うようになった。

そう思わないとちょっとキツいってだけだけど。


  • さいごに

VCは常にマルチタスクをやってて、飽きっぽい性格自分には少し合ってた。ただ、夜遅くちょっとつらいときあるけど。

ユニコーン勝手ユニコーンになって飛び出しちゃうので、ユニコーンじゃないけど面白いビジネスをジワジワ広げられるようにこれからもがんばろ。

2016-11-17

漢字の便利さについて。

自分用に表意文字まとめ。漢字の便利さについて。

同音異義語排除

橋、端、箸、簡単区別可能

文字多義性】

「生」は生物という意味もあれば、生き方という意味もある。「金」はゴールドという金属も指し示せば貨幣一般も指し示す。漢字連想性を高め、発想力や想像力を強化する。

情報圧縮

停留所」ならたった3文字で「乗り物の乗降車する場所」を表現可能表音文字なら「ていりゅうじょ」で7文字もかかる。

可視性の大幅な向上】

漢字なしでずっとひらがなローマ字が続く文章を読むことは苦痛である漢字ひらがなカタカナの融合は可視性を大幅に高める。

【未知の概念に対する強さ】

表音文字のみで「ていりゅうじょ」と書いた場合、その単語知識がないと音や語感、表音記号だけではさっぱり分からない。まるで暗号のようにしか見えない問題がある。

しかし、「停留所」なら「停まる」「留まる」「所」という漢字1文字1文字が持つ意味から類推が容易である

これは新しい単語理解する、記憶する際に大きなアドバンテージになる。

日常ではそんなに新しい概念出会うことがないが、学問をする場合は常に新しい概念や知らない概念だらけである

これが意味のない音の連なりばかり(外国語直輸入のまま)であれば理解記憶苦痛になる。

パーソナルコンピュータ」や「ソーシャリズム」、「ニューロン」が分かりにくく覚えにくいのに対し、「電脳」や「社会主義」や「神経細胞」が理解記憶もしやすいのは当然である。これは漢字という過去財産から知識データベースを引っ張り援用できているということである

これだけではまだ常識邪魔をするので、「ハニベニ」という単語で考えてみよう。前後の文から想像するにしてもチンプンカンプン単語だ(いま私が適当に考えたので当然だが)。

でもこれが「埴紅」ならある程度想像もつくのではないだろうか。埴輪に塗られた紅色とか、類推やすくそう大きく間違っていない場合が多いはずだ。

(そもそも漢字には部首があるのでそれだけで大まかな属性判断が容易だ。「さんずい」なら液体などに関連した漢字だと即わかる)。

さら停留所のような具体的物質場合はまだマシだが、表音記号だけだと抽象言葉場合説明がこれがまた非常に困難だ。

ソーシャリズム」を説明するために「生産手段の共有化や社会福祉制度でもって平等社会を実現しようと言う思想体制」と漢字のように簡単解説しにくいかである

表音記号だけだと「タイセイ」とはなんぞや? 「フクシ」とは? 知らない言葉だ、とまた解説必要になってしまう(知らない難しい単語が現れると類推もできないのでまたそこでつまづく)。

漢字だと「社会主義」と言うだけでも社会に関する約束事の考え方なんだなとある程度、理解できる。

しかし表音記号場合子供でも知っているような簡単でなるべく具体的、物質的で同音異義語の少ない言葉でないと、複数回解説必要になってしまうのだ。

具体例として言うと、「みんなでたべものや、せいひんをうみだし、みんなのもちものにするかんがえかた、みんなでこまったひとを、たすけあうやりかた」といった、幼稚な表現必要になってきてしまう。そしてもちろん、これでは社会主義を上手く表現できたとは言い難い。

漢字問題点、導入コストの高さ】

もちろん、漢字には漢字問題点もある。その最たるものは導入コストの圧倒的な高さ、つまり覚えるまでが大変という点だ。

2016-03-16

http://anond.hatelabo.jp/20160316191956

俺がそういうテンプレ反応が返ってくるであろうことを想定してないと思ってるのがマジですげえな。

まり何が言いたいのかというと「mac時代」というのはそういう意味であるということだ。

そもそも一般大衆について言えばパーソナルコンピュータ時代が既に終わってんだよ。

2014-07-15

株式会社ラジオ会館について

最近秋葉原界隈の企業店舗に、以下のような文書が出回っている。

前略 時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます

 さて、当社は、昭和37年からJR秋葉原駅前に地上8階建てのビル秋葉原ラジオ会館」(通称:「ラジオ会館」)を所有し、ビル賃貸業を営んでまいりました。

 平成23年6月、当社は第三者のご要請を受け、当該第三者が中心となって新設した別会社株式会社ラジオ会館」(東京都千代田区外神田一丁目2番13号、代表取締役篠原弘美)に一部出資をし、以後、同社に対して当社の登録商標である世界秋葉原ラジオ会館」「秋葉原ラジオ会館」「ラジオ会館」「ラジ館」などの名称を使用して商品を製造・販売し、電子商取引をすることなどを許諾する商標権使用許諾契約を締結いたしておりました。

 しかしながら、当社は、このたび事情により、平成26年1月21日をもって「株式会社ラジオ会館」との間の上記商標権使用許諾契約を解除いたすとともに、直ちに上記当社登録商標の使用の禁止を同社に通知いたしました。

 つきましては、もとより当社(「株式会社秋葉原ラジオ会館」)と「株式会社ラジオ会館」とは全く別個の法人ではありましたが、上記商標権使用許諾契約が終了いたしましたことをご通知申し上げ、当社と「株式会社ラジオ会館」とを混同されることが今後もございませんようご留意いただきたくお願い申し上げる次第です。

 当社は、現在、上記ビルの建替工事実施しており、お取引様及び関係者の皆様にはご迷惑をおかけしておりますが、7月20日グランドオープンの予定ですので、今後ともよろしくご交誼の程お願い申し上げます

 まずは取り急ぎ用件のみにて失礼いたします。

一部の人間は「秋葉原に流布された怪文書」として楽しもうとしているが、これは誰かの陰謀でもなんでもなく、秋葉原に四半世紀以上に渡って居を構え、秋葉原好きなら誰もが知っている「秋葉原ラジオ会館」の所有会社株式会社秋葉原ラジオ会館から出された正式通達だ。

この文書から分かるのは、ここには、長い歴史を持つ「株式会社秋葉原ラジオ会館」(以降、本家とも呼ぶ)と、3年前に設立された「株式会社ラジオ会館」(以降、分家とも呼ぶ)の二つの異なる会社存在し、今年の頭までは本家分家に対して商標権使用許諾を与えていたが、これが解除された、という状況と、どうやら本家は、分家の行っている活動を「迷惑」だと感じているようだ、ということ。

今月、「ラジオ会館」は建替工事を終了し、7月20日にはグランドオープンを控えている。何故この状況で、上記のような通達がなされたのかを考えてみる。

文書にもある通り、今から52年前の1962年、「秋葉原ラジオ会館」は秋葉原最初高層ビルとして秋葉原駅前に誕生した。

詳細な経緯は要望があれば書くが、秋葉原の古いイメージである電子部品屋のメッカ秋葉原」は、戦後の混乱に乗じて乱立した多様な露店の集合体、いわゆる闇市の延長線であった。この集合体には、他の類似する地域コミュニティと同様に、日々発生する様々な面倒事を解決するために不可欠な「元締め」という存在必要だった。この物理的な力を持つ「元締め」と、金銭的な力を持った、ある「資産家」が出会いGHQが露店の排除命令を出して限界を迎えていた秋葉原を、今度は「縦」に展開する秋葉原初の高層ビルラジオ会館電化ビル」構想が立ちあげられた。これが「秋葉原ラジオ会館」の歴史の始まりである

ちなみに、ラジオ会館と言えば、周囲の景観を損ねるとまで言われつつ秋葉原の顔として定着した巨大なネオン看板が有名だが、あれは2001年8月に初めて設置されたもので、同8月に、有名な「パーソナルコンピュータ発祥の地」のプレート設置も行われた。ラジオ会館歴史を語る上で重要アイテムだが、その長い歴史の中では二つとも比較的新しい部類に入る。

そして、設立から50年以上、「秋葉原ラジオ会館」は秋葉原に在り続け、ラジオ無線パーソナルコンピューターアニメフィギュア興隆と、日本の文化成長に合わせて目まぐるしく変わっていく秋葉原に、時には保守的に、時には攻撃的に対応し続けて来た。多くの秋葉原ファンからは、「今の秋葉原を凝縮している」「秋葉原に来た際はまずここに来る」という評価を得て、今現在でも秋葉原象徴する必須存在となっている。

しかし、秋葉原ブランドの最たるもの、という評価も受けながら、本家株式会社秋葉原ラジオ会館」は、賃貸業者以外の何者でもなかった。日本ポップカルチャー世界から注目され始め、アニメ、ホビー商品が溢れる秋葉原が「ポップカルチャー聖地」と呼称されるようになっても、秋葉原象徴する存在であるラジオ会館」は、ただそこに在り続けるだけだった。

そこに目を付けたのが、上記文書に「第三者」と書かれている人間だった。

当初、「第三者」は別の目的本家アプローチしていた。その目的は、老朽化したラジオ会館ビルの建替工事の受注だった。ラジオ会館ビルの建替の必要性は、実は、ある理由で相当昔から発生していたのだが、ここも詳細は省く。しばらくして「第三者」は、本家からの依頼を受け、ラジオ会館テナントに対し、ビル老朽化を理由に退去要請を始めた。2010年9月には、一部マスコミによって、老朽化を理由にした「ラジオ会館」の建替工事計画が報じられている。

さて、不動産関係者なら分かるが、不動産の業務の中で最も難しい部類に入るのが、こうした雑居ビルテナントに対する退去要請であるビルの建替工事には付き物の業務だが、様々な状況にあるテナントの説得には、非常に高いスキル必要だ。昔、バブル期に暗躍した地上げ屋が起こした様々な事件が、その難度と複雑さを物語っている。一時引っ越し先にいくら良い物件をあてがっても、急な変化に対応するにはテナント側に手間と時間はどうしてもかかってしまう。それが何年もの間、そこに店を開いてきたテナントなら尚更だ。退去要請に全く応じないテナントに「第三者」は頭を抱えていた。

しかし、2011年3月11日、14時46分18秒、マグニチュード9.0の東日本大震災が発生。

東北で発生した地震にも関わらず、都内の古いビルにも結構な被害が発生する。秋葉原ラジオ会館の柱や壁にも大きな亀裂が入った。それでも、実は、ラジオ会館が受けた被害は、緊急建替が必要なほど大きなものでは無かった可能性が残されている。いずれによ震災被害という大義名分は、「第三者」のテナント退去要請に弾みを与えた。壁に入った大きな亀裂と、それを補強するように貼られたべニア板でさらに誇張された「被害」を見せられ、残っていたテナントは退去要請に続々と応じていった。震災の翌月、2011年4月16日には、ホワイトボードにお別れメッセージを残していく「ラジオ会館さよなら!!ウォール」イベントも開催された。

そして、様々なテナントとの話し合いを通じ、「第三者」はある構想を固めていた。

実は「第三者」は過去アニメマンガフィギュアなどの文化に一切触れたことが無く、秋葉原という街、そして、秋葉原を訪れる人々を深くは理解してはいなかった。ここも詳細は省くが、「第三者」は、テナントの退去要請を続けている際、大量に売れるフィギュア書籍、異様な熱気を帯びた各種イベント、街中を闊歩する奇妙なオタク集団などに触れ、ただただそこに「何か物凄い力」を感じていたようだ。これは、秋葉原初心者最初に必ず感じてしまう「アキバ熱」のようなものだ。過去、「アキバ熱」に触れたビジネスマンたちの中には、これをコントロールして金を生み出そうとチャレンジする者が何人もいた。そして、殆ど人間が失敗してきた。その姿は、熱によって生まれる蜃気楼に戦いを挑む滑稽な道化師と同じだった。秋葉原の住人達は、そうした道化師が発生する度に、冷やかな視線を送っている。

話を元に戻そう。ある時から第三者」は「ラジオ会館は金になる」と考え始めるようになっていた。

ひとつきっかけは、ある有名企業代表冗談で発した言葉にもあった。

「建替工事が終わって新生ラジオ会館が出来たら、しばらく入場費を取っても良いぐらい注目されるはずだ」

そして、イベントで集まったラジオ会館ファンの感動的なメッセージ群。

そして、閉店セールに集まって来た大量のオタクたちと、飛ぶように売れて行く在庫

第三者」は、退去要請の傍ら、ラジオ会館ブランドを使ってビジネスを始めるべく、本家の説得を始めていた。

東日本大震災から3ヵ月後の2011年6月分家である株式会社ラジオ会館設立された。

初期の株式会社ラジオ会館を構成したンバーについては省略する。ただひとつ言えるのは、「第三者」はビジネス成功させるべく、様々な分野から実績のあるプロフェッショナルを引き抜いて来たらしいのだが、役員を筆頭に、殆どメンバーが、アキバってどういうところ?オタクって気持ち悪い!みんな結局は金儲けがしたいだけでしょ?という、いわゆる秋葉原的な人間とは相反する人々だったようだ。「第三者」には、ラジオ会館、そして、秋葉原の一体何が人を惹きつけるのか、重要な部分への理解が欠けていたように思われる。

株式会社ラジオ会館は、設立後、様々なサービスの展開を始めている。ラジオ会館テナントを中心にしたECモールラジオ会館オンライン」、フリーマガジン「ラジ館」、ニュースサイト「ラジ館プレス」などなど。大抵のプロジェクトが「第三者」の思いつきで始まっていたらしい。中には評価すべきものもあるが、ここでは詳細を紹介しない。

さて、設立から数年、株式会社ラジオ会館内部では様々な試行錯誤が繰り返されていたようだ。イベント企画や大型LEDビジョンの設置と声優番組企画など、華やかな企画も定期的に実施されていたが、売上は低迷していたらしい。そして、その予算殆どは、本家である株式会社秋葉原ラジオ会館から出されていたらしい。

第三者」は、「ラジオ会館」という印籠を使い、ビジネスを拡大し続けようと画策していた。短絡的な企画の中には、株式会社ラジオ会館が中心となって秋葉原店舗をまとめ、一大ネットワークを作ろうとしていたものもあったらしい。その中身は、会員になって分家の言うことを聞け、というお粗末なものだったらしいが、我々はラジオ会館から秋葉原のみんなは言うことを聞くだろうと「第三者」が考えていたことに少し寒気を覚える。さらに、本気で新生ラジオ会館で入場料を取ろうとしていたらしく、その企画が本家逆鱗に触れた、という話も聞いた。一向に上がらない売上、増え続ける予算ブランドを利用した強引な営業、荒唐無稽な企画、本家が怒るのも無理は無い。

秋葉原界隈の人々には、香ばしい噂も流れている。ある企画で生じた損失を無関係人間補填させようとしたり、何度も支払遅延を繰り返したり、社内では秋葉原店舗オタクへの悪口のみならず、ラジオ会館テナントの悪口まで言い合っている等など。最近では、本家との契約解消に伴い「本家が営業を邪魔している」などの暴言まで出ているとの話も聞いた。一応書いておくが、これらはあくまで噂だ。しかし、そうした社風に嫌気がさし、今年に入って大量に人材が辞めたという話も聞いた。

そして、今年に入って、ラジオ会館の仮囲いを使っていた広告枠営業は本家管轄に移行、3月にはラジオ会館1号館に設置されていた大型LEDビジョン「ラジカメVISION」が撤去され、事業の核とされてきたECモールラジオ会館オンライン」は今月7月末で終了予定となっている。残るはフリーマガジン「ラジ館」とニュースサイト「ラジ館プレス」。そんな折、本家から出された契約解除の通達は相当な痛手に違いない。

何故、今年の1月契約が解除されても、依然として株式会社ラジオ会館は「株式会社ラジオ会館」であり、フリーマガジン「ラジ館」やニュースサイト「ラジ館プレス」は、その名前を使い続けているのかというと、「ラジオ会館」や「ラジ館」は確かに商標登録されているものの、社名は同意の下で命名された経緯があり、フリーマガジンニュースサイト商標区分が異なっているので問題無いそうだ。また、裁判沙汰になっても係争中は名前を変える義務は無い、とのこと。

そうした状況を踏まえ、本家7月20日新生ラジオ会館グランドオープン前に、どうしても公私ともに関係性をクリアにしたかったのだろう。

通達も出たことだし、未だに株式会社ラジオ会館を、秋葉原の老舗のラジオ会館だと思ってお付き合いしている店舗さん、企業さんは居ないですよね?

以上、伝聞と類推だらけだが、株式会社ラジオ会館について、でした。


  1. [追記1] ご指摘の通り、露店商の総元締め的な人が野村誠一氏、資産家が七條兼三氏である。どちらも息子が後を継ぎ、野村氏は今現在ラジオセンターに隣接した野村ビルを所有。七條氏は現在株式会社秋葉原ラジオ会館を所有している。秋葉原を創った彼らには大量の逸話が残されているが、それはまた別の機会に。
  2. [追記2] ちなみに、「パーソナルコンピュータ発祥の地」のプレートは、関係者によって廃棄処分になる予定だったところ、建替工事が決定してから、あまりにも多くの人々が記念撮影に訪れたため、「どうやら価値があるものらしい」と急遽保存が決まった。もちろん新生ラジオ会館にも設置される予定。
  3. [追記3] 未だに秋葉原界隈は賃料安いだろうと考える方がいるようだけれども、駅前の坪単価は他の地域比較しても異常に高い。ラジオ会館の一部のテナントは零細に見える店舗もあるが、実は非常に優秀な売上を上げている会社ばかりだ。退去に応じた某ホビーショップも、一見良い場所移転したが、売上は下がっている。某書店が早々に新生ラジ館に戻る決定をしていることを見ても、如何に秋葉原駅前という立地が素晴らしいかが分かる。
  4. [追記4] 突如としてタイムマシンラジオ会館ビルに突っ込ませ、秋葉原の人々を魅了した「シュタインズ・ゲート」とのコラボ企画は、この「第三者」の発案に依るもの。「ラジオ会館さよなら!!ウォール」のイベント時、白衣を着た集団が多いのに気づいてスタッフに理由を尋ねた後、版権元に突然電話をかけて「ラジ館に爆弾落としませんか?」の第一声で相手を混乱させた話は有名。
  5. [追記5] 正確には、現在ラジカンマネジメント株式会社秋葉原ラジオ会館物件広告取扱をしている。これは本家である株式会社秋葉原ラジオ会館の子会社。また、本家によるラジオ会館ウェブサイトはこちら。http://www.akihabara-radiokaikan.co.jp/ グランドオープンに合わせてオリジナルグッズも販売予定で、イベントも開催されるが、このあたりは分家であった株式会社ラジオ会館が仕切る予定だった。今後、秋葉原ラジオ会館ブランディング戦略は、ラジカンマネジメント株式会社実施していくことになるだろう。
  6. [追記6]ラジオ会館保守性を代表するエピソードは、今は誰もが知っている超有名フィギュアメーカーテナントになった際、美少女フィギュアなども取り扱っていたので「(家電PCに比べてチャラチャラしたイメージがある)あんたみたいなところが表に出てほしくない」とテナントに対して言い放ったという話。某店長は未だにそのことを根に持っているらしく、建替工事で退去させられた際にも「こんな僻地に移動させてどういうつもりか」とTwitterで憤っていた。
  7. [追記7] @akibablogさん、通達の配布時期が異なり、内容の異なる文書があるらしいです。残念ながら、そのバージョンは入手出来ていません。

2014-05-23

Windows、というよりWindows Serverがクソな理由

WindowsというOSのものは、少なくともパーソナルコンピュータに入れるOSとしては、完璧ではないにせよ、それなりによくできたOSであることは認めざるを得ない。いや、Windowsは、パーソナルコンピュータに入れるOSとしては、Mac OS Xと並んで優秀だと思う。

Windowsパーソナルコンピュータの分野で支配的なシェアを誇っているのだから別にサーバの分野で頑張る必要なんか無かったと思う。こんなに不幸になるのなら、Windowsサーバの分野に来てほしくなかった。申し訳ないけど、それほどまでに、Windows Serverを扱うのは嫌だ。本当に嫌だ。

サーバとしての性能比較については、私はよく知らない。Windowsサーバがクソなのは性能だと言いたいわけじゃない。

WindowsというOSサーバの分野に参入するにあたって、絶対に修正するべきだった仕様修正されていないことに対して、私は主張したいのである

「2つのUSBポート英語キーボード(1枚目)→日本語キーボード(2枚目)を刺すと、2枚目の日本語キーボード英語配列として認識される仕様は、何とかならなかったのか!?

何故か知らないが、Windowsキーマップは1マシンに対して1つしか設定できない。同じマシンに複数のキーボードを指すと、仮にそれらのキートップ印刷されている記号の配置が異なっていても、一方がもう一方に従う。使用されるキーマップは、基本的にはOSが起動した直後、早い者勝ちである

これが問題になるのは、リモートデスクトップサーバ操作している際である英語キーボード愛用者である私は、サーバ再起動する権限を一切奪われてしまった。私がサーバ再起動すると、起動したマシンキー配置が英語になってしまい、私以外の日本語キーボードユーザ記号を一切入力できなくなるという問題が発生したかである一般的に、サーバ再起動する権限を与えられない理由というのはもうちょっとマトモなものであるという認識である

しかも、再起動する権限が与えられていないのはまだしも、結局そのサーバリモートデスクトップログインすると、その中の操作は全て日本語配列なのである自分PCの設定は英語なのに…この苦痛がご理解いただけますかねぇ!?

幸か不幸か、今の職場には日本人しかいないので、英語キーボードなんて使ってる奴の方がレアなのであって、駆逐されるのは私であるしかしこれから時代国籍言語が異なる中で同一の環境を弄ることなんて、割とよくあるタイプではないのか?例に挙げるのは不適切かもしれないが、例えばGoogleエンジニアが全員、同一のキーマップキーボードを使っているとは、到底思えん!Microsoft Azureはどうなんだ?1台のマシンにつきキーマップが1種類しか用意できないと、仮に海外から助けてもらおうとして遠隔で操作する権限を与えたとしても、キーマップロシアンルーレットになってたら、結局助けてあげられないんじゃないの?

…いやはや、まことに信じがたい仕様である。少なくともサーバOS仕様としてはクソ未満である文句なしにクソ未満だ。

確かに、時代進歩し、昨今はWindows上で動作するSSHデーモンもあるみたいなので、それを使用してPuTTYごしにサーバの作業をするという方法も、無くは無い。SSHであれば、キー配置が問題になるのはPuTTYの側であって、サーバの側ではない。だが…正直、SSH経由でWindowsサーバを使うなら、もはやサーバWindowsである必要は無いのではないか…?普通にLinux/BSD/Solarisでええやん…なんでWindowsなん…?

というわけで、Windowsサーバ開発チームに物申すことができるのであれば、同時に複数の(配列の異なる)キーボードを刺しても、よしなにしてくれるように改善していただきたい。それさえしていただければ、Server 2012のあのクソみたいなタイルUIにも喜んで乗り換える。マジで

2011-10-06

Steve Jobsスタンフォード大でのスピーチ

もうたくさんの人に訳されてるけど,じぶんにはあまりしっくりこないのでまた訳してみた。

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ありがとう

今日世界最高の大学ひとつでみなさんの卒業式に同席できることを名誉に思う。本当のことをいえば,私は大学卒業したことがない。これが大学卒業式にもっとも近づいた瞬間だ。今日,私の人生からつの話をしたい。それだけだ。大したことはない。たったの三つだ。

最初の話は点を結ぶことだ。

私はリードカレッジ最初の6ヶ月で退学した。でも本当に辞めるまでさらに18ヶ月かそこらモグリとして出入りしていた。じゃあなぜ退学したんだ?

話は私が生まれる前に遡る。私の生物学的な母は若い未婚の大学院生で,彼女は私を養子に出すことに決めた。彼女はどうしても大学卒に養子に出したいと考えていたので,誕生と同時に弁護士夫妻に受け入れられるようすべて準備済みだった。でも私が生まれて,土壇場になって彼らは本当は女の子が欲しいと決めた。それで順番待ちリストの次にいた私の両親に夜中に電話がかかってきた。「予想外の男の子だったんです。欲しいですか?」「もちろんです生物学的な母はあとで,母が大学も出てなくて父が高校も出てないことを知った。彼女は最終合意書に署名するのを拒んだ。数カ月後に私の両親がいつか私を大学にやると約束して彼女はやっと態度を変えた。これが私の人生の始まりだ。

17年後私はたしか大学に行った。だが私は世間知らずにもスタンフォード並に高価な大学を選択し,労働階級の両親の蓄えは全て学費に費やされていた。6ヶ月経って,私はその価値が感じられなかった。これから人生で何をしたいのかわからなかったし,大学がすべきことを発見する助けになるとは思えなかった。なのに私はここで両親がこれまで貯めた金をすべて使おうとしている。だから私は退学して,みんなきっとうまくいくって信じることにした。あの時はとても怖かったけど,振り返ってみればあれが私のこれまでで最良の決断だった。退学した瞬間,もう興味の持てない必須科目を取らなくてよくなったし,ずっと面白そうなクラスに入り込むことができるようになった。

ちっともロマンティックじゃなかった。寮に部屋もなかったか友達の部屋の床で寝た。コーラの瓶を返却してもらった5セントで食料を買った。日曜の夜には街の向こうまで7マイル歩いてハレークリシュナ教の寺院で週に一度のまともなご飯を食べた。最高に楽しかった。そして興味と本能に従って迷い込んだいろんなものが後に大きな意味を持つことになった。一つ例をあげよう。

リードカレッジは当時国内最高のカリグラフィー講座を持っていた。キャンパスのあらゆるポスター,引き出しのラベル,みんな美しい手書きカリグラフィーだった。退学して普通クラスを取らなくてよくなったので,カリグラフィー講座に参加してやり方を学ぶことにした。セリフ書体サンセリフ書体,文字の組み合わせで変化する文字間のスペースの量,すばらしいタイポグラフィがどうしてすばらしいのかを学んだ。カリグラフィーは美しく,歴史的で,科学では捉えられない繊細な芸術だ。そしてそれを私は面白いと思った。

これらの何一つ人生現実的に役立つ見込みなんてなかった。でも10年後,みんなで最初Macintosh設計してる時に全部思い出したんだ。そして私たちはそれをみんなMacに詰め込んだ。Macは美しいタイポグラフィを備えた最初コンピュータだった。私が大学のあのコースに潜りこまなければ,Macが複数の書体プロポーショナルフォントを備えることは絶対になかった。そしてWindowsはただMacコピーしたので,おそらくパーソナルコンピュータ今日のようなすばらしいタイポグラフィを備えることがなかっただろう。もし退学していなければ,絶対にカリグラフィー講座に参加しなかったし,パーソナルコンピュータ今日のようなすばらしいタイポグラフィを備えていなかったかもしれない。もちろん大学にいた時に点がつながるのを見通すことはできなかった。でも10年後振り返ってみればとてもとても明らかだ。

もう一度言う。将来点がつながるのを見通すことはできない。振り返ってつなげることしかできない。だからあなたは将来なんらかの形で点がつながると信じなければならない。ガッツ運命人生カルマ,なんでもいい,なにかを信じなければならない。いつかこの道を進めば点がつながると信じれば,たとえ人と違う道に向かうことになってもハートに従う自信を持つことができる。それが違いを生むのだ。

二つ目の話は愛と喪失についてだ。

私は幸運だった。人生の早いうちに好きなものを見つけられた。ウォズと私は20歳の時に両親のガレージAppleを始めた。一所懸命働いて,ガレージにたった二人だったのが,10年で従業員4000人の20ドル企業にまで成長した。30歳になる一年前に最高の作品,Macintoshを発売した。そして首になった。いや,自分の始めた会社からどうやって首になるっていうんだ? 私たちはAppleが大きくなったので一緒に経営するのにとても才能あると思えた人物を雇った。最初一年かそこらはうまくいった。でも将来のビジョンが食い違い始めて,最終的に喧嘩になった。そしてその時,取締役会は彼の側についた。それで30歳の時,首になった。世間の誰もがそれを知っていた。大人になってから人生すべての中心が失われて,本当に最悪だった。

数ヶ月は何をしていいのか本当にわからなかった。前の世代の起業家たちから渡されたバトンを落としてしまって,彼らを失望させたと思った。デビッド・パッカードボブ・ノイスに会って,このひどい失敗を謝罪しようとした。本当に誰もが私の失敗を知っていた。シリコンバレーから逃げ出そうとさえ考えた。でもなにかがゆっくりとわかり始めた。私はそれまでの仕事をまだ愛していた。Appleでの出来事は私の気持ちをすこしも変えなかった。ふられたけどまだ愛していた。だからやり直すことに決めた。

当時はわからなかったけど,Appleから解雇されたことは私にとってこれまでで最良の出来事になった。成功者の重圧は,またなにもあまりからない初心者の軽やかさに入れ替わった。おかげで私は人生で最も創造的な時期の一つへと解き放たれた。

次の5年間に,NeXTという会社と,Pixarという会社を興し,後に妻になるすばらしい女性と恋に落ちた。Pixarは後に世界初コンピュータグラフィック劇場映画トイ・ストーリー制作し,今では世界で最も成功したアニメーションスタジオだ。びっくりするような出来事があってAppleNeXTを買収して私はAppleに戻り,NeXTで私たちが開発した技術は今のApple復活の基盤になった。そしてローレンスと私は共にすばらしい家族を築いた。

Appleから解雇されなかったらこれらは全部起こらなかったとはっきり確信している。ひどく苦い薬だったけど,患者にはそれが必要だったのだ。時として人生はレンガで頭を殴ってくる。信念を失うな。私が進み続けられたのは自分のしていることを愛していたからだと確信している。あなたは愛するものを見つけなければならない。恋人を見つけるのと同じくらい仕事でもそれは真実だ。仕事人生の大きな割合を占める。本当に満たされる唯一の方法は,すばらしいと信じる仕事をすることだ。すばらしい仕事をする唯一の方法は,それを愛することだ。まだ見つけていないなら,探し続けなさい。腰を落ち着けるな。見つけたら,あなたハートが教えてくれる。恋人との関係のように,それは歳を重ねるにつれてもっとすばらしいものになる。だから見つけるまで探し続けなさい。腰を落ち着けるな。

三つ目の話は死についてだ。

17歳の時,こんな感じの引用文を読んだ。「毎日人生最後の日のように生きれば,いつか間違いなくうまくいく」印象づけられた。それからこれまで33年間,毎朝鏡を見ながら自分に問い続けてる。「もし今日人生最後の日だったら,今日これからしようとしていることを本当にしたいかい?」そして答えが何日も続けて「ノー」だった時,何かを変えなければと気づくんだ。

もうすぐ死ぬと思い出すのは,人生の大きな選択を助けてくれる私の遭遇した最もいい方法だ。外野の期待,プライド,恥や失敗への怖れ,そんなものは死に直面すればほとんどみんな本当に大事ものを残してどこかへ行ってしまからだ。いつか死ぬと思うことは,何かを失うという考えに陥るのを避ける私の知る最良の方法だ。あなたはもう裸なのだ。ハートに従わない理由なんてない。

1年くらい前に癌と診断された。朝7時半に検査を受けたら明らかにすい臓に腫瘍があった。私はすい臓がなにかすら知らなかった。医者はほぼ間違いなく治療不可能なタイプの癌で,3ヶ月から6ヶ月以上生きることは期待すべきでないと言った。先生は帰ってやりたいことを順にやりなさいと言った。死を迎える人への医者のお決まり対応だ。つまりそれは伝える時間があと10年あると思っていたことをたった数カ月で子供たちに伝えるということだ。つまりそれは全部手はずを整えて家族が出来るだけ苦労せずにすむようにするということだ。それはつまりさよならを言うということだ。

一日腫瘍と過ごした。その日の夜生検を受けた。内視鏡を喉から胃を通して腸に入れて,すい臓に針を刺し,少し腫瘍細胞を採取した。私は鎮静剤を投与されていたのだけど,顕微鏡細胞を調べた結果,手術で治療できるめずらしい種類のすい臓がんだとわかって先生たちが大騒ぎしていると付き添っていた妻が教えてくれた。手術を受けて,ありがたいことにいまはなんともない。

これが私が死に最も近づいた瞬間で,あと数十年はそうであってほしい。この経験があったから,死が有用だけどただの知的概念だったころよりもう少しだけはっきりと言える。

誰一人として,死にたくはない。天国に行きたい人ですら死にたくはない。だが死は我々全員が共有する終着点だ。これまで死を逃れた人はいない。そしてそうあるべきだ。なぜなら死は生命の最良の発明に思えるからだ。死は生命の変革担当係だ。古いものを追い出し,新しいもののための道をつくる。たった今,新しいものとはあなた方だ。でも遠くない将来みなさんもだんだんと古いものになって追い出される。ドラマティックになって申し訳ない。でもこれは真実だ。

あなた時間は限られている。だから誰か他人の人生を生きて時間無駄にするな。誰か他人の結論を生きるというドグマに捕らわれるな。他人の意見自分の内なる声をかき消されないようにしろ。そして最も大事なこと。自分の心と本能に従う勇気を持て。あなたの心と本能はもうあなたが本当になりたいものを知っているのだ。他のことはみんな後回しだ。

私が若いころ,全地球カタログというすばらしい出版物があった。私たちの世代のバイブルの一つだ。ここからそう遠くないメンローパークスチュアート・ブランドという人物によってつくられ,詩的な感覚人生にもたらした。まだ1960年代パーソナルコンピュータデスクトップパブリッシングもなかったから,全部タイプライターと鋏とポラロイドカメラ制作された。まるで35年早くやってきたペーパーバックGoogleみたいだった。理想主義で,整然としたアイデアとすばらしい思想で満ち溢れていた。

スチュアートと彼のチームは数号のあと,すべての活動を終えて最後の号を出した。1970年代中頃で,私はみなさんくらいの歳だった。最終号の裏表紙には,あなた冒険好きだったらヒッチハイクをしようかと思ってしまうような早朝の田舎道の写真があった。その下に「ハングリーであり続けろ。愚かであり続けろ」の言葉があった。それは終刊にあたっての別れのメッセージだった。ハングリーであり続けろ。愚かであり続けろ。私はいつも自分にそう願い続けてきた。今,みなさんが新たに卒業するにあたって,あなたにもそう願う。

ハングリーであり続けろ。愚かであり続けろ。

本当にありがとう

2009-11-19

コンピュータの性能」という幻想

スパコン関連の騒動を見ていて思ったんだが、コンピュータの処理能力が客観的に測れると思ってる人が多いんだね。確かにCPUの命令の処理能力等のハードウェア面の性能はかなり客観的に測定できる。しかしコンピュータの処理能力というのは命令セットや命令の処理方式によっても影響を受ける。さらに人間に理解できるプログラミング言語によってかかれたソースから最適な機械語を生成するコンパイラなんかも重要だ。極端な話、こうしたものが駄目ならいくらハードウェアの性能がよくても、処理能力が低くなる。コンピュータの性能はハードウェアの性能だけでは決まらず、客観的に測定することは原理的には困難なのだ。それなのに「スパコンでNo.1」というそれだけ聞いてもよくわからないフレーズ共感する人たちが多い。きちんとした知識があれば、具体的にはどういう点でNo.1を目指すのか疑問に思うはずだ。単にISCで発表されるランキング上でNo.1を目指すだけなのか、極端な話ランキングを無視して本当に今必要とされている用途向けに最適化されたものを目指すのか、そういったことが「スパコンNo.1」というフレーズでは見えてこない。それなのにやたら共感する人たちが多く不思議だ。多分これはパーソナルコンピュータとのアナロジーで考えているのだと思う。パーソナルコンピュータの場合、大体CPUIntel製で、OSWindowsだ。だからCPUクロック数やメモリの容量などハードウェアの性能で、ほとんど客観的に処理能力を比較することができる。このパソコンとのアナロジーコンピュータの性能を考えてる人が多いから、「スパコンでNo.1」を目指すというわかりやすそうでわかりにくいことに共感する人たちが多いのだろうなと思う。

個人的な意見としてはランキングなんて気にしなければいいのにと思ってるんだけどな。宣伝にはなるだろうけど、スパコン使うような学者技術者ならあのランキングがあまり当てにならないことぐらいわかるでしょ。正直文科省の実績作りにしか思えないんだけど。

2009-03-31

http://anond.hatelabo.jp/20090331032003

パーソナルコンピュータ」の略は日本だとパソコンだけど、アメリカだとPCになる。

そのアメリカでは、IBMが出したIBM-PC80年代初めに売れたものだから、PCパーソナルコンピュータ意味だけではなく、IBMパソコン(あと、大量に生まれたIBM-PCクローン)を意味するようになってしまった。

そしてIBM-PCにつまれていたMS-DOSWindowsに変わっていく中で、IBMパソコンだけでなくウインドウズ機全般をPCと呼ぶ慣習が生まれてしまった。

なのでアメリカではマックPCではない、はPCウインドウズ機の意味で使う限り当然正しい文章なんだけど、このPCパソコンと理解してしまった日本では混乱が生じて、アップル精神論じみたことを言う人がでてくるんだよ。

http://anond.hatelabo.jp/20090331055021

誰も書かないからずばりと書くけど、1977年誕生したApple II世界で初めての個人向けコンピュータ、つまりパーソナルコンピュータというわけです。詳細はWikipediaでもみてください。

Wikipediaにはこう書いてあるよ。

世界で初めて個人向けに完成品コンピュータとして大量生産・大量販売されたマイクロコンピュータである

ポイントは、個人向け・完成品・大量生産・大量販売、ということ。同じ1977年にはコモドールPET-2001や、ラジオシャックのTRS-80も発表されてて、こいつらも個人向け完成品コンピュータだ。それ以前のアルティアとか(それからApple I)だとコンピュータボードで、今の目でみるととてもパーソナルコンピュータと呼ぶ気にはなれないけど、Apple IIPET-2001、TRS-80あたりはどれもみな今の目でみてもパーソナルコンピュータに見える。どれが一番最初の、今の目で見てもそう見える、個人向け完成品コンピュータなのかはわからないけど、いまもパーソナルコンピュータ製品ラインが残っているのはアップルだけだから、そのせいでApple IIが最初だという認識が生まれるんだよ。三つともよく売れたのだけど(すくなくとも一時期は)、おそらくその三つのなかではApple IIがもっとも売れたのだろうしね。

http://anond.hatelabo.jp/20090330225716

誰も書かないからずばりと書くけど、1977年誕生したApple II世界で初めての個人向けコンピュータ、つまりパーソナルコンピュータというわけです。詳細はWikipediaでもみてください。

http://ja.wikipedia.org/wiki/Apple_II

2009-03-23

Macなんかは、コンピュータじゃないんや

私は少し前にとある中小IT会社に勤めていた。

その会社では、金融機関にCやらC++やらCOBOLPGやらSEやらを派遣する企業で、そこで私は管理職をしていた。

管理職と言っても、朝9時から夜18時まではクライアント出向先でのサーバ管理や社内SEを行い、

自宅に帰ってから家のPC社員管理業務を行うという生活だった。


ある日、自宅のWindowsPC故障してしまい、古かった事もあったので買い替えをしなければならなくなった。

以前から使った経験のないMacに非常に興味があった為、iMacを購入する事にした。当然、MacWinの様に使える事は確認していたし、

会社仕事を自宅で行う為にもOfficeMacも購入した。メールWindowsとのメールやりとりも非常にシームレスに行える事も確認した。

まぁ、何よりも自分でも一度はMacを使ってみたいという好奇心が強かった。

ただ、会社社員の自宅PCは全てWindowsであり「Macって、仕事で使えるの?は?」というレベルWindows信者だったので、

そんな中で自分Macを自宅で使う事にはどこかひっかかる部分があった。

だが、ここはプライベートな事、会社の都合で自分の好きなPCくらい自分で購入したいという思いが強かった。


そんなある日。

自宅から上司メールを送付した所、「ファイル名が文字化けしている」と嫌味タラタラのお叱りメール社員全員CCで返信されてきた。

その当時の会社は自宅から社員間どうしでメールファイルを添付して送付する場合は、情報保護の観点からzip圧縮でパスワードをかけることを義務づけられていた。

Macの場合でもZIP圧縮でパスワードをかけて添付する事は可能なのだが、日本語ファイル名の場合はどうしてもWindows側で開くとファイル名が文字化けしている事が多かった。

半角英字ファイル名だと大丈夫だったのだが・・。


後日、社員全員が集まる定例会議の場で自分パソコンMacであるので自宅から送付するファイル文字化けしてしまう事を告げた。

その瞬間に社員全員が「え?Mac?」「Macなんて・・」「なんで・・Mac・・」ぼそぼそ呟く声が聞え始めた。

いや、MacPCでしょ。立派なパーソナルコンピュータじゃないっすか。

「なんで、Macこうたんや?」上司が言った。

「はい、自宅のWindows PC故障した為に違うOSも触ってみたかった事などからMacを購入しました。」と告げた。

「ここでは、自宅では皆、Windowsを使ってる。それならコンピュータ買うならWinodws買うのが常識やろ!」上司は罵声を浴びせた。

「いや、しかし、Macも立派なコンピュータですが・・」

仕事を中心として考えると上司の言う意見も理解できるが、そもそも自宅のPCまで種類を制限される規約も社内にはないし、Macを購入してはいけないという

規約もない。ちゃんとExcelWordも問題無く使える。メールも問題なく使える。

これが職場PC等であれば話は別だ。自宅のPC自分の金で買うのだ、それについて文句を言われる筋合いはない。

そもそも、自宅で仕事をさせるようにしているのは会社からの指示なのに。

「うちの会社仕事場で使ってるのはWindowsや。Macなんかは仕事では使えない。Macなんかはコンピュータじゃないんや」

上司が一言。

周囲の社員も「そうだよな」「Macって・・確か・・デザインのみに使う・・」「ソースもかけないよね」ボソボソと言い始める。

いやいや、UNIXベースだし、PHPPerlも設定すればすぐ使えるし。

別にここでMacの擁護をするまでもつもりはなかった。

ただ、Macコンピュータじゃないという上司に呆れてしまった、いや自称ITと称する今の会社社員に呆れてしまった。

「じゃあ、私はどうすればいいんですか」と問うた。

「なんとか自宅でWindowsを用意しないさい。今後、自宅の仕事Mac使用する事は禁止する」と一言で片づけられてしまった。




購入したMacPPCだったのでWindows環境を構築するにはVirtualPCしかない。もう一台PC仕事の為に購入する事は考えられなかった。

泣く泣くヤフオクVirtualPCを購入して無料AVGだけ入れておいた。このVirutalPCがまた非常に使い難い。

とりあえず、会社仕事の時はVirualPC使用してそれ以外はMacを使った。



そんな会社だったからなのか、上司社員ともウマが合わず、結局数年勤務して辞めてしまった。

今となればどうなっていることやら。

2008-06-22

Macなんて使ってたまるか!と思わせる5個くらいの方法

ちょっと遅い話題ですが、いよいよMac OS X 10.5がリリースされましたねー。

世界中でどんどん売れ、今までシェアの薄かった日本でも売れているようで、凄いことだね。

(売れた数=満足している人の数、かどうかは別としても。)

でもこうなると昔からのMacユーザーにとっては困っちゃうことがあるよね。

だってMacの魅力の半分は、「それがゲイツ製じゃない」ってことであり「未来スタンダード」であり、

つまるところ「世界にはびこる悪を一掃するレジスタンス!」ってところなわけじゃないですか。

みんながみんなMac使い始めちゃったら、もう

MacプログラミングWeb制作活用して俺ってばギーク(笑)

とか

「えー!WindowsWindowsが許されるのは20世紀までだよねー」

とか言う相手がいなくなくなっちゃうんです!

そこで、とにかく周囲の人にMacを使うのを思いとどまらせ、

自分の先進ユーザーっぷりを自慢できる相手を確保しておくための例をまとめてみました。

基本的なやり方は相手のためではなく、自分の優越感のためにMacを勧めるってことです。

ちょっと難しいけど、既に色んな人が実践してるから、頑張ってみてね。

相手の使っているOSを見下す

日本では超重要。もう基本中の基本ですこれ。真摯なmacユーザーの多くはこのスキルを既に取得しています。

「君の使っているOSダメセキュリティーだよ」

「そんなOSじゃあ、処理速度もダメでしょ」

「こんな機能も無いようじゃあ、もう今の時代ダメだねぇ」

行間に「そんなOSを使っている君もダメダメ人間だよ(笑)」っていう感じを込めるのがすごく重要Macの話題を振るたびにイラっとさせることで、Mac=「なんかイライラするもの」という刷り込みができるはずです。

そういう意味ではあのPVなんか素晴らしいと思うんですよね。

選民思想的な宗教団体の勧誘っぽいニュアンスでもOK。「君もパーソナルコンピュータの新しい段階へ行こう!」とか。

あと、他のOSMacに勝てる要素など無い!って態度も重要です。「それ、Macでも出来るよ?」とか言ってやると、凄くいいです!

欠点をまったく挙げない

良識のある人間なら、おいしい話には罠がある、ということを知っています。

そういう用心深い人間を狙い撃ちにするなは、欠点を提示せず、Mac完璧超人っぷりをアピールしまくっちゃうのがいいです。セキュリティ完璧で、機能が完璧で、スキン完璧で、UI完璧で、どうして君がこのOSを使わないか理解できない!言えば言うほど、疑り深い人間を及び腰にできるね。

さらに、聞かされていない欠点について本人が自分で発見した場合の、失望感を高める効果が期待できる。「セキュリティ完璧と聞いてたけど、なんか発見されてるじゃん!」とかなったら、これはもうMacに対する信頼はガタ落ち。

これがもし予め、「公開直後だから、まだセキュリティ完璧じゃないかもねー」などと話してしまっていては、この失望感は出せないよね。

分かりにくい言い回しを使う

分かりにくい言い回しなんて難しそうだけど、意外と僕らにとって一般的な言葉が、ライトユーザーにとっては謎の単語だったりするんだよね。

たとえば

みたいな単語を並べてやるだけで、非常にうさんくさいコア向けOSということをアピールできるし、なんか凄いことを言ってるギークだ!というイメージもついて一石二鳥

実際にどう凄いのか分からない数字を例示する

なんか数字だけ大きいだけで具体的にどうなのか分からない表現はうさんくさい上に、話している側としては非常に理性的理論的なつもりになれるので多用しましょう。

例えば

Mac OS X 10.5では、なんと300以上にも及ぶ新機能が搭載」

とか。(小数点があると効果的。)相手は、「へぇー、凄いねぇ」とか言いつつ、むしろMacがこれだけ眠い話題を生み出すことに関心します。

OS使用には関係のない逸話について語る

これは、よく訓練されたMacギークでないとちょっと難しいですが、適当に拾ってくるだけでもそれなりに効果があります。特に過去のこととか、開発人の人柄とか、抽象的なコンセプトがいい感じ。 ジョブスの追放から復帰にいたる至る経緯とか、CPUIntel製に変更した経緯とか。

Macユーザーには興味があるけど、そうじゃないユーザーにとってどうでも良い話を上手にチョイスしよう。

最後に

最後にやってはいけないことをあげておきましょう。平等で客観的で謙遜したことを言うのはやってはいけないですね。

「それぞれのOSに良いところがあって、君も色々使って自分に合ったOSを試してみたらいいよ」

とか言うのは危険すぎます!

下手したらMac使ってしまうかもしれません。

でも、平等で客観的に見せかけて、実は主観的なことを言うのはとても良いです。

「それぞれのOSに良いところがあるけど、Mac以外を使うなんてことは考えられないね」

とかは、信者っぽくてグッドです。

なんか、こういうのもあるよ!ってのがあれば追加するんで、教えてください。

ちなみに、これらのノウハウは「はてなブックマーク」ってサービスでも応用可能だから試してみてね。


元ネタ:「FireFoxなんて使ってたまるか!と思わせる6個くらいの方法

読んだ瞬間これはFireFoxじゃなくて、Macのことだと思った。FireFoxってそんなに熱心に薦める人はいないし、IE使ってるからって馬鹿にする人なんていない気がする。「相手の使っているものを見下す」「欠点をまったく挙げない」っていうのはむしろこれはMac信者だろう。例えば

Q35:Windowsしか知らないプログラマーはどうですか?

DanKogai:ご愁傷さまです。UNIXなどを知ってしまうと、あまりにムカつくことが多いよ。タダならともかく、Windowsを使うくらいなら、Mac OS XUbuntuでもいいんじゃないのかな。同様に、インターネットという技術に毒されていないようなプログラマーネットにつながっていないゆえにすごい発想をするということもあるかもしれないが、それは1000のうち1つくらいで、ネットワーク意識しているかどうかは近代戦闘における空軍の有無と同じくらい決定的といえるかも。

小飼弾――35歳からのプログラミングこそ無上の至悦 (4/9)

とか。元ネタ読んでなぜはてなでいくらMacが持ち上げられようが、胡散臭くて買う気にならない理由がわかった。

ちなみにMacユーザーでないので上記の5個の内容は適当

2007-11-13

http://anond.hatelabo.jp/20071113184545

http://ja.wikipedia.org/wiki/PC

パーソナルコンピュータのうち、狭義にPC/ATPC/AT互換機を指す事もある。その場合Macintoshの対義語として用いられることがある。

だって。ふーん。

2007-10-16

アップルの変化

2000年から2001年

アップルについて】

アップルApple II1970年代パーソナルコンピュータ革命に火をつけ、80年代にはMacintoshによって、再び、全く新しいパーソナルコンピュータを創出しました。アップルは、世界中学生教育者プロフェッショナルクリエータそしてコンシューマに、革新的なハードウェアソフトウェア、およびインターネット関連の製品・テクノロジーを通じて最高のパーソナルコンピューティング環境を提供しています。


2002年から2003年

アップルについて】

アップルApple II1970年代パーソナルコンピュータ革命に火をつけ、80年代にはMacintoshによって、再び、全く新しいパーソナルコンピュータを創出しました。アップルは、世界中学生教育者、プロのクリエイターそしてコンシューマに、革新的なハードウェアソフトウェア、およびインターネット関連の製品・テクノロジーを通じて最高のパーソナルコンピューティング環境を提供しています。


2004年から2005年

アップルについて】

アップルApple II1970年代パーソナルコンピュータ革命に火をつけ、80年代にはMacintoshによって、再び、全く新しいパーソナルコンピュータを創出しました。数々の賞に輝く革新的なデスクトップおよびノートブック型コンピュータMac OS XオペレーティングシステムiLifeデジタルライフスタイルアプリケーション、そしてプロ向けの各種アプリケーション業界リードし続けています。これに加えて、ポータブルミュージックプレーヤー市場リードするiPodファミリーと、オンラインのiTunes Music Storeにより、アップルデジタルミュージックの分野でも先頭に立ってその革命を推し進めています。


2006年

アップルについて】

アップルApple II1970年代パーソナルコンピュータ革命に火をつけ、80年代にはMacintoshによって、再び、全く新しいパーソナルコンピュータを創出しました。数々の賞に輝く革新的なデスクトップおよびノートブック型コンピュータMac OS XオペレーティングシステムiLifeデジタルライフスタイルアプリケーション、そしてプロ向けの各種アプリケーション業界リードし続けています。これに加えて、ポータブルミュージックプレーヤー市場リードするiPodファミリーと、オンラインのiTunes Storeにより、アップルデジタルミュージックの分野でも先頭に立ってその革命を推し進めています。


2007年

アップルについて】

アップルApple II1970年代パーソナルコンピュータ革命に火をつけ、80年代にはMacintoshによって、再び、全く新しいパーソナルコンピュータを創出しました。数々の賞に輝く革新的なコンピュータMac OS XオペレーティングシステムiLifeデジタルライフスタイルアプリケーション、そしてプロ向けの各種アプリケーション業界リードし続けています。これに加えてアップルは、ポータブルミュージックおよびビデオプレーヤーiPodと、オンラインのiTunes Storeにより、デジタルメディアの分野でも先頭に立ってその革命を推し進め、さらに本年、革新的なiPhoneによって携帯電話市場にも参入しました。

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