はてなキーワード: パレードとは
そりゃいいことではないかもしれんが、それを行政が治安維持のためって大義名分で盛り下げて無理やり縛るってのもなんかきな臭い感じ。
年に数度くらい統制取れない民衆の群れが街を圧倒し無秩序を楽しむくらいのことすらできないなら、いざというときのデモや反乱も瞬時に鎮圧されてしまいそうな不安を覚える。
まあそんなきな臭い意図は恐らくなく、お役所が仕事やってる感出して目立ちたいがためにハロウィン禁止キャンペーンを大々的に打ち上げてる感じだろうが、
それにしたってお前らはもっと根本的で致命的な近い将来の社会問題を見つめなきゃならないのに、たった一夜の下らん暴動とも言えないような珍奇なパレードをそんな危険視することない。
「税はどこに行ってるのか」「税はいくらあって何に使うのか」を毎年決めてるのが、国会である
国会は基本ホームページで公開されてるので議事録や録画を誰でも見られる。
君には大きな勘違いがあって、増税議員とは、君たち国民に奉仕する人たちである。それは法律にも記載されていて、彼らは君たちに行動を起こされたり強く求められた場合、奉仕しなければならないルールがいくつもある。彼らは君たちを無視できない。
大抵の議員というもの、国というものは、そもそも予算を適正に運用しようとは思っていない。次も議員になれるだけの票をくれたり政治活動支援をしてくれる「支持者」に、来年も支持してもらわなければ、次も議員になれないから。
いくら高潔な政治思想があってもなくても、議員になれなきゃ意味がない。
普通の国というのは、上のルールを使って、本来は支持者のためにしか動かない議員に圧力をかけて、国民全体のために行動させようと要求しまくる。税を適正化させる。ブラックボックスにして言いたがらない議員に、透明化させる。デモやストライキは分かりやすい。100万人パレードとかも聞いたことがあるだろう?
支持できる思想の議員を選び、票を入れ、投票率や政治への関心が高い高リテラシーの国民によって選挙が正しく機能すれば、支持者よりも一般人に向けたまともな政策を打ち出す方が議員になりやすくなる。
やり方は色々。
日本はダメだと言いながら、行動しない勉強しない政治的怠慢をし続ける国民は本当にダメだと思うね。
素晴らしい政治家がいても活躍できないのはバカな国民のせいだよ。国民が政治をしないせい
2,3年に一度の愉悦
ギターが印象的
退廃的でもリズム隊が躍動しているのが良い
2.Fifty's map
melody+i'm lovin
Cメロのガレージバンド感は新しい この路線を突き詰めたミスチルが見たい
3.青いリンゴ
サビはギターが弱いので、音源だと迫力不足の意見もわかるが、このサウンドのスカスカ感を許せるようになったのは大きな一歩
4.Are you sleeping
音源の方が映える曲
5.LOST
クラップをうまく曲調に合わせた
Bメロが良い
サビはベースがいい味を出すが、Cメロではいったん消える。この緊張と緩和が良い。
6.アート
数年後にはブラッシュアップして韻を踏みまくっているのかもしれない
挑戦することが大事
7.雨の日のパレード
アートとの対比でこの曲が活きている
これでいい
ライブでの常套句、リフレクのデモ音源を聴いて、常々弾き語り曲をリリースしてほしいと願っていた。
この路線本当に今後も見たい
天頂バス+跳べ
I♥Uに入っても違和感がない
コード進行がこのアルバムでは珍しくシンプルなのでサウンドのいい意味での荒ぶりが際立つ
「トカオモッチャァ~ウ」「ワキオコッチャァ~ウ」のコーラスとか新しすぎ
個人的にこの曲も弾き語りで聴きたかったが、party is overが弾き語りだったので2曲はいらないかな
ただストリングスは完全なるオーバープロデュースで、このアルバムで珍しくアレンジの意図が理解できない
ただアルバムの流れで聴くと、このデカいストリングスも悪くない気がしてくる
歌詞のLINEをメールに変えればHOMEに入ってても違和感がない
さりげなく入る田原ワウギターが実家感(いつものミスチル感)を生むスパイス
いつものミスチルサウンドと思わせておいてサビ終わりもう一つアクセントを作るコード進行で意表を突く。「優しい驚き」パート2
12.deja-vu
構成はシンプルにAメロ→Aメロ→Bメロ→サビ→Bメロ→大サビなのに、サビ終わりのBメロに音を肉付けすることによって大サビに昇華させ、本来の大サビがアウトロ的な役割を果たしている
はっとした。これは「優しい驚き」
13.おはよう
歌詞の世界観がかなり現実的なのは心象風景描写に長けたミスチルでは珍しい
こんな優しい曲でも間奏でアコギソロを見せてくる。こんなミスチルは見たことがない
優しいのに乾いたアコギの演奏も珍しい。これまでだと秋がくれた切符のように高音ストリングスをこってり入れていただろう
総じて
予想外だったのは4人の音がかなりフィーチャーされていた点。
特にギターとドラムのダイナミックなマスタリングはヘッドホンで聴くと心地いい。
一方弾き語りやラップは初挑戦だが、こちらは今後突き詰めていった音を聴きたい
いわゆる売れ線を聴きたい人には全く刺さらない
そんで、パレードでは女子で作った即席のカラーガード隊が小さな旗持って踊り、6年生の男子7、8人で作ったカラーガード隊がでかい旗持ってそれを回したらしながら先頭を歩くわけ。
俺は小さい頃からそれに憧れたから、募集があった時にすぐ手を挙げたわけ。陰キャだったけど勇気を出してね。
そんで周り見たら、俺と同じような陰キャが数人手を挙げてた。人数的にはちょうどぴったりくらい。
そしたら学年主任が苦笑いして「もっと他にやりたい奴はいないのか?毎年カラーガードはすごい人気なんだぞ!」と繰り返すわけ。
人数的にはぴったりで、他に誰も手を挙げないのに教師たちは一向に決定しようとしない。
ついに痺れを切らした教師が「〇〇!お前も立候補な!〇〇!お前もだ!」とか言って、次々と地元サッカークラブで活躍してたり毎年リレーのアンカーに選ばれるようなイケメン陽キャ集団を指名するわけ。
そいつらは「えー!いやだ!面倒くさい!やりたくない!」って嫌がるんだけど、教師は「お前ら立候補決定!」とか言うわけ。
そんで立候補者が決まると「よし!じゃあカラーガード隊は…〇〇!〇〇!〇〇!…」とか言って、自分が強制的に立候補させた奴らをカラーガードのメンバーに選んで行った。
俺含め当初立候補してた奴らは誰も選ばれなかった。
そんで運動会当日、マーチングのカラーガード隊はやっぱりかっこよかった。家に帰った後に母親から「あれ私の時もあったんだよ!かっこよかったね!あんたもやればよかったのに!」と言われた。
泣いた。
https://anond.hatelabo.jp/20230912183624
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アロマンティック(他人に恋愛感情を抱かない)・アセクシャル(他人に性的な魅力を抱かない)を自認して3年経った。
わかったこととしては「カミングアウトしても損しかしない」。以下に理由を書く。
2.カミングアウトしても「無い」を証明できず、他のマイノリティからもあんまり信じてもらえない
一番危惧されるところである。「モテないから言い訳にしてるだろ」が一番反応として多い。
あまりにもそういう返答が多いので「じゃあもうそういうことにしましょう」という気持ちにすらなってしまう。
後述するが、さらにオタクをやっている時点で一気に信用ポイントが下がる。
デブ・ブス加算で「恋愛弱者」のレッテルを貼られてしまい、「違うんです」と言えばいうほど言い訳感が出てきて泥沼化する。
恋愛・性愛を持っている人から「かわいそうだね」と言われたらお手上げだ。
最近悟りを開き「まあ好きに結論づけて良い」と開き直ったが絶対「恋愛弱者の言い訳」と思われているだろう。
アロマンティック・アセクシャルは明日めちゃくちゃ恋するかもしれないという可能性がある。
「Ace(アロマンティック・アセクシャル)は死ぬまでわからない」とも言われている。
だから他のマイノリティにも「いつか好きな人ができたら変わるよ」と言われることもある。
別に良いけど、レズビアンに「男と付き合ったら男の人の良さがわかるよ」と言ったら大騒ぎになるのに、
アロマンティック・アセクシャルはそういうの言って良いんだ〜と思う。
LGBTあたりと明確に違っていて一番理解してもらえないところだと思う。
「愛(恋愛・性愛)」の自由を認めてくれというプライドパレードで、「すみません、そう言うのが無い性的指向でして」とちょっと遠慮してしまう。
恋と性愛でイキイキしている他のマイノリティ・ヘテロが羨ましい。
「無い」を主張してもあまり注目してもらえない。
この世では恋愛と性愛をハッピーに運用していくことが良いことされているので、それを持ち合わせていないアロマンティック・アセクシャルは隅で小さく生きるしかない。
ここで全員「はいはいモテないオタクの現実逃避ですね」で解散してしまう。
別にキャラクターに恋愛感情を抱いているのでは無く、二次創作を通して恋愛とはこういうものなんだろうかというシミュレーションに近い。
ミステリ作家が殺人犯の心の内面を考えたり、男性恋愛作家が女性の恋愛感情を書くイメージというとわかりやすいかもしれない。
個人的には、平井堅が色々な立場の人の心を想像して歌詞を書くイメージが近い。
平井堅は疲れたOLやどろどろの不倫をする女では無いけど、そう言う立場の歌詞を書くのが上手い。
そういうイメージで想像の恋愛・性愛を書いている。もしかしたら「正常に」恋愛・性愛を持つ人にとっては違和感があるかもしれない。
でも確かめる術が無い。
→このようなことから、アロマンティック・アセクシャル(特にオタク)はカミングアウトしても良いことが無い。
なんなら「モテないんですよワッハッハ」にした方が話が通りやすいのではないか。
アロマンティック・アセクシャルの仲間たちよ、もうめんどくさいからカミングアウトしないで言いたいように言わせておけば良いのではないか。
私たちがアロマンティック・アセクシャルを自認することから、カミングアウトして得があっただろうか?
【補記】増田について
誰にも恋愛感情を抱かなかったので、別に誰がどう付き合おうと興味関心を持たなかった。
先述のようにデブ・ブスに20代でメンヘラ属性も加わって恋愛対象として見向きもされなかったこともあったと思う。
しかし恋愛感情があるなら、一方的な片思いで「気になってたA(男女)が他の子と付き合ってモヤモヤする」などの心の動きがあるはずなのに全く無かった。
LINEで不定期にやり取りする男の子もいるが何にも発展しないし、お互い保健室の先生と生徒くらいにしか思っていない。
1人だけ付き合ったことがあるが、1年間一回もセックスしなかった。そのため32歳現在処女。
相手の性器に触るのも自分に触れられるのも苦手で、彼の性欲に一切応じることができなかった。
性嫌悪と言われたらそうかもしれない。でも恋愛感情があれば乗り越えることができたのでは、とたまに思い返す。
・32歳
・「ホワホワしている」と言われるくらいには周囲への愛想が良い。男性にも女性にも。別に男の人には口きかないとかそういうことも無い。
まず、LGBTQに対しての私の見地は「LBTQは私には無害なので好きにすれば良いが、我が身にゲイ加害が降りかかるのは困るので、TFとゲイはちょっと生理的に無理」というものである。
さて、そろそろ秋であり、各地ではなんとかパレード的な催しが企画されるところだが、レインボーの名を冠するイベントも自治体主催で検討されていたりする。
理解促進という話であるが、人手の点で自身にもボランティア依頼が届いた。社会的に優良な市民を装っているため、協力はやぶさかではないのだが、ここで一つ疑問が湧いた。
同性愛やその他特殊な性愛に理解を求めるイベントは社会的に受け入れられるのに、例えば「結婚しよう!家族を作ろう!」ということを看板に書いてパレードをした場合、昨今の世では袋叩きにあうのではなかろうか?
なぜ性的少数者への理解は私のように少なからず良識的な市民を演じることができる者は増えており、今更公費によりそのようなイベントを打つ必要はどこにあるのか?