はてなキーワード: パパとは
男が一人で生きていくといってもあんまり非難買わないけど、女がそうするというと同性からも異性からもなんか色々言われる。気がする。男には言われないけど「若いからそんな(馬鹿げた)こと思うだけ!」みたいな。「それじゃ老後一人でさみしくないの!?」とか。「あまりにかなしすぎる人生」とか。なんで女だといわれるんだろう?結婚しなきゃしないでそういう非難くらうけど、したらしたで「女はいいよな」的に若い男から非難されるわで、どうすりゃいいんだ???
ていうかそもそも、女は結婚してもいいし仕事にも生きられるしズルい、みたいな主張よく聞くけど、それは「二つ選択肢がある」というより、「どちらの選択肢も中途半端で厳しい」ってだけな気がする。だって仕事に生きられるつってもずっと独身でいられる女とか、仕事で成り上がれる女なんてまだまだ日本じゃ厳しいし、男と違っていまだ女は「結婚も生きる手段の一つ・ある種の就活」みたいなところがあるわけで。要は身売り的な面がどうしてもあるわけで(それが全てとは勿論言わないけど)。どっちもというより、現実にはほぼ「結婚せんと生きていくのが厳しい」プラス、「一応、できなくても昔よりはまだなんとかなるかもよ」ってだけで同等な選択肢が二つある、みたいな状態ではないよね。どっちも、じゃなくて、中途半端なだけっつーか。どっち選んだって行き詰るだけ。仕事じゃ女はまだまだやっていくのは厳しいから、結局身売りするしかない、というだけ。現状は。女側になってじっくり考えるとそれが分かるけど、まあ、ある意味男性がそう思うのは異性のことだから、表面的にしか見れないのは仕方ないとは思う。
寧ろ男の方が「一人で生きていく」のも「結婚する」選択肢もあっていいなと思う。個人的には。まあ、これはこれで異性のことだから表面的にしか見れていない、のだろうけど。なんか、独身男ってあんまり「さみしい」とか「かなしい」とか言われないしね。結婚したらしたで、ちょっと家事手伝いでもすれば異性から「いいパパですね!」って言われるわけだし。女の場合共働きで家事やってても特に誰も何も言わないしね。
多分こういう感想を抱くのは、そもそも自分が結婚できないからだろうとは思うけど(身体的な理由で、セックスが出来ない・子供できない、あとブス)
結婚できない女にとっては寧ろ女の人生って選択肢全然ないんだよなぁ。どう歩んでも非難されるっていうか。
男は一人でもいいし結婚してもいいし、最近じゃ専業主夫とかもいるし、なんてったって、ヒモ男も結構いるんだよね。選択肢ありまくりで寧ろ羨ましい。結局女は結婚ありきで考えられてるんだよなぁ。そのコースから外れざるを得ない女はどう生きればいいんだろう。とほほ。
「それでは、ジャッジタイムです!」
ですっ ですっ ですっ・・・(エコー)
デレデレデレデレデレデレデレ(ドラムロール)
「勝利宣言後のパフォーマンスが高く評価された、自称文系の勝利です!」
「勝者の自称文系増田氏には、記念として増田トロフィーと、副賞の亀の子たわし一年分が贈られます!」
「おめでとうございまーす」
「おめでとうございまーす」
「ということで本日の増田マッチ、自称文系vs自称理系はお楽しみいただけましたでしょうか。次のマッチは未定ですが、早ければ今夜にも自称男性代表vs自称女性代表が行われる予定です。お楽しみに!」
「それではまたお会いしましょう! さよーならー!」
誰かに聞いて欲しかったので長文になるかもしれないが書かせて頂く。
大雨だった事もあり昼間からネットに張り付いていた。
一人暮らしの雨の日なんてのはこんな事しかやることがなかった。
そして退屈し始めた15時頃携帯に見知らぬ番号から着信があった。
見た事ない番号は取らない事にしてる為に無視していたのだけど
そのあと16時頃、姉(既婚)から電話があった。
「警察から電話があったんだけど、○○(俺)何か心当たりない?」
というジョークから始まり勿論心当たりなど無いにも関わらず
内心ドキドキしながら
「あるわけねーじゃん(笑)」と返す。
そしたら急に真面目になった姉から帰ってきた言葉は
「心して聞いて欲しいんだけど…
パパが死んだって警察から連絡があったから確認してほしいって」
親父が死んだ?
あの親父が?
親父とはもう14年会っていない。
勿論、姉と母だってそれ位は会っていないだろう。
だが元々酒癖が悪く店の経営が上手くいかなくなった事もあり、
DVに耐えきれなかった母は俺が中学卒業と同時に姉と俺を連れて家を出て行った。
3人で家を出た事はそれまでに何回かあるので、
多分親父も帰ってくるんだろうと考えてたと思う。
家を出て半年親戚づてに連絡が来て、
母と姉と俺で親父と会った時にはちょっと痩せて昔みたいに坊主になってたが
まだ俺の記憶の中の変わらない親父だった。
その時に家に置いてきたものを取ってきたかったので、
先に帰るといって姉と二人で家の鍵を使って家に入った。
店は運営してなかったと思う。
もともと母と経営してた為に親父1人じゃ運営出来なかったんだと思う。
家の中はほとんどそのままで十何年と飼っていた犬は居なくなってて
猫達もいなかったが、猫達は家の裏の竹やぶにいた。
「ごめんな」と姉と言いながら御飯を置いて帰った。
俺達兄弟も可愛がられてなかった訳ではなかったし、
酒を飲んで豹変する事さえなければ母にも優しかった。
ただ荒れた生活が何年と続き、
家を出る1年程前から家庭内暴力もかなり酷かった。
ある時は母が暴力に耐え切れなくなった時に
そして親父が酒を飲んで暴れたので、
俺と姉は部屋に逃げていたのだが、
呼び出され俺は頭を靴で何十回と叩かれ嘔吐が止まらず、
救急車で運ばれたりもした(呼んだのはびびった親父)
またその頃は既に体格的に親父に負けてなかったので、
暴れた時に一発ぶん殴ってやろうと立ち上がってこぶしを握ったら
包丁を持ってきて「刺してやんぞ」と凄まれた事もある。
そして家を出てから親父に会いに行こうと思った事がない。
3人の生活で完結していたからだ。
もう親父と会う事はないと決めて忘れようとしたんだと思う。
別に悪い思い出だけだったわけじゃない。
むしろ楽しい思い出も沢山あったのに会いに行くことは無かった。
長くなったので話を戻す。
母と姉と俺で警察まで行ってきた。
一度市外に移り住んでた俺達3人だけど既に1人暮らしだった俺は
まず警察の話を聞く所によると親父は市内でホームレス暮らしをしていたらしい。
市内といっても外れのほうで、河川敷近くだったという。
死んでた時はアスファルトの上で息絶えてたという事だった。
近隣住民の話だと1年前位から住んでて親父がいつからホームレスなのかは分からなかった。
親父の身元が判明したのは診察券を持っていて
(昔酒で内臓がやられて入院した事もある)
さらに万引きで捕まった履歴があり指紋が全部合致したので間違いないという。
待合室で安置室の準備が整うまで待たされる間に死因不明だったという事で、
解剖をしなければならないため母がサインをしていた。
この時までは正直実感が全くなく「早く終わらせて帰りたい」という気持ちしかなかった。
結構待たされたが30分位して準備が整い安置室へ通された。
警察の人に白い布をめくって貰い顔を見せられ、
そこに居たのは見覚えの無いやせ細った老人だった。
無理もないと思った。
最後に会ったのが46位の親父で目の前にいるのは60位の老人だったのだから。
母も俺も姉も確証が持てず何度も顔を見たり特徴を思い出し体の傷やらを見せてもらったが、
その時点ではなんとも言えなかった。
親父の実の兄弟に連絡して、そちらに引き取ってもらう事になった。
親戚付き合いが元々そんなになかったので連絡先が一切分からなかったためだ。
(警察の人は「こういっちゃなんだけど」と付け加えて
奥さんは他人かもしれないがお子さんは血の繋がった親だからと
引き取るのを薦めていた)
警察の人が「最後に線香をあげてください」という事で
確証が持てないその老人の最後に顔を見て線香をあげた。
線香をあげてる時ですら俺は他人事のように思っていた。
最後に警察の人が「持っていた物があるので見ますか?」
という事で遺留品?を見せて貰った。
そのノートを若い警官が持ってきてさっきから説明してくれていた年配の警官に
指示されて無理やり最初の1ページをめくると自転車の車体番号と
親父の実家の住所が書かれてた。
母は「間違いないです、そうです、○○の田舎の住所です…」と泣いていた。
「なんて書いてありましたか」と俺が聞くと自転車置き場に案内して貰って自転車を見せて貰った。
自転車は見た事ないものだったが自転車にはしっかりと寿司屋の屋号と
あの家の住所が記されていた。
俺の名前と姉の名前がしっかり書いてあったと聞いた時、俺は泣いていた。
ああ、親父が最後まで忘れず心の依り所にしていたのは俺と姉だったのかと。
俺の人生の半分を一緒に過ごした親父。
その俺も親父が居なくなって人生のもう半分が過ぎようとしている。
貴方は何を思って冷たいアスファルトの上で逝ったのだろうか。
恨んでいるのだろうか仕方ないと諦めていたのだろうか。
惨めな生活を送っていたのだろうか。
それなりには生きていたのだろうか。
俺と同じくらいにはあの頃の生活を思い出していたのだろうか。
包丁を突きつけた貴方も夜中車で飛ばして海へ連れて行ってくれた貴方も
お使いにいかない俺を叱り飛ばした貴方も
沢山全部今となってはあったかどうかもあやふやな程実感のない
貴方との懐かしい思い出です。
今となってはもう何も話せない親父。
親父は今日火葬され叔父に引き取られていったそうだ。
長文すまんせん。
日本にはまだまだ底力があると私は思う。
しかし、それが発揮できていないというのを漠然とであるが感じる。
なんというか、みんな心がギスギスしすぎていて、全く心に余裕がない。
そんなこと言うと
「余裕を持ってられるような情勢じゃねーんだよ!バカ!」とケチョンケチョンにけなされるくらい余裕がない。
どこかずっとピリピリしている感があり、それがともすると足の引っ張り合いのような牽制状態を作り上げていて、
それがさらに心のストレスの蓄積を生んでいるかのような悪循環に見える。
「俺は頑張ってるんだー!」とか「地道に努力してます」っていうのも何か違う。
隣の奴より下になりたくないから頑張るなんてみっともない心の持ちようじゃ全力なんて出せっこない。
「余裕がなくて家庭が持てない」とか、「親の言うことはおかしい」じゃ前には進めない。
大切な家族の暖かい支援がさらなる心のゆとりを生んで「よし、明日から頑張ろう!」とさせてくれるのではないか。
もっと頑張れ!やれば出来る!なんて言うつもりは無い。
ゆとりある心を持って、身近にあるささやかな幸せを見つけてみてほしい。
そんな幸せを見つけてみんなで「よーし、パパ、ホームラン打っちゃうぞー!」くらいのハッスルを生み出してみないか?
絶対世の中良くなるよ。
あんまりにも悲しい顔をしてる人が多すぎる。
「政府が悪い」とか「会社が悪い」とか言う前に自分も変わってみよう。
上から下へ変えるんじゃなくて、下から上を変える。
まずは明日から笑う回数を増やしていこうぜ。
そんなことは分かっている。増田でもよく議論されることだし。
ある男性外国人に、「愛のないセックスはしたくない」と断った。
後述するけど私は男性の性欲に対してこの上ない猜疑心を持っている。
風俗なんてビジネスモデルが存在しうるこの世の中自体、私の希死念慮を煽る。
冒頭の彼は
と私に聞いた。
そんなんじゃない。別に私はPRADAのバッグが欲しくてセックスするわけじゃない。
好きだからするんだ。
だから彼氏以外の人とセックスはしたくないし、物質的な見返りも期待したことはない。
最近割と仲のいい人に求められて、彼氏以外とセックスをした。初めてのことだった。
セックス中はそれなりに楽しかったけど、そのあと猛烈な鬱が襲ってくる。
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自分の中であまり気にしてないことだけど
そのほとんどは痴漢というありきたりなものだけれど
2度ほど稀有な経験をしている。
二十歳になる前に知らない人にレイプされた。
「レイプされて自殺」という事例があることが信じられないくらい
私はその経験に対して冷めていた。
むしろ第三者的な私が、相互におびえている私たちを見て噴出しそうになっていた。
レイプされて本当に悩んでる人には申し訳ないけど、どうでもよかった。
「もっと自分を大事にしよう」「むやみに人を信用するのはやめよう」
その程度のことしか考えなかった。
一緒に住んでいた親戚の当時小学生に、興味本位だったんだろう。
よくある「パパとママに言ったら悪い子だって嫌われちゃうよ」という脅しとともに
触られたり指を入れられたりしていた。
雑菌が入って病院にかかってばれるまでそれは続いた。
いくら気にしていないと言っても、多少なりとも人格形成に影響してるんだろう。
セックス=いけないこと という刷り込みは今も続いている気がする。
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寂しいもの同士がお互いを慈しみ合うこと自体を愛と呼ぶことができるなら
そういう意味では、あるいは愛のあるセックスだったのかもしれない。
また、不用意に人を信用してしまった悪い癖。
前述の仲のいい彼と連絡がとれなくなったり遊べなくなったりしたら嫌だけど
セックスがしたいだけの軽い気持ちなら、こんな面倒な女はやめたほうがいいと思う。
一方で、どうせ汚れてしまったこの体、
誰に抱かれても同じようなものだと投げやりな気持ちもあるから
それでいいなら抱けばいいと思う。
「そうね失うものなどないわ」とそういった私をあなた抱いたわ
でも大丈夫ばいばいサヨナラ
後を追うのは嫌なの無様だから
お菓子は嫌いなのよ もうたくさんよ
ケーキの味をやっと忘れたと思ってた それなのに
自分の気持ちを殺せたらどれだけ楽なんだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20090112025822
どちらの相手にも悪いことなので止めた方がいいですよ。
結婚相手を騙すだけでなく、子どもの本当の父親にも負担になります。
僕は大学生の時に10歳上の女性と付き合ってました。不倫でした。
その人は自分のことを不妊症だと言っていて、セックスする時は中出しでした。
ある時、彼女の方から別れを告げてきたんです。
「えっ、それって……」と思いましたが深く追求することはできませんでした。
そのまま順調に出産したとしたら今は2歳になっているはずです。
そのことを思うと僕はちょっと、胸が痛くなります。
ADSLにしてから7年近く経つ。
「ピピピピ」
「ピポプペプポポ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ピー・・・・・・・・・ピー・・・・・・・・・ピー・・・・・・・・・
ガー・・・・・・・・・ゴー・・・・・・・・・ゴー・・・・・・・・・
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(つながった!)」
の響きが恋しくなったので書く。
その時はNiftyをやっていた。
いわゆる「パソ通」ってやつだ。
「インターネット」って言葉がテレビにポツポツ出始めた時期だったと思う。
結局ネットに繋ぐのもNifty Serveに繋ぐのもモデムが必要だった。
55.6kbpsとか言ってたっけな。
親父は「昔のモデムと比べて滅茶苦茶高速になってウケる」なんて言っていた。
それ自体が今となっては笑い話になってしまうけども。
本題。
ダイヤルアップの話をしよう。
要は繋いでる間は、通話してることになってるんだ。
オートパイロットっていう巡回機能でパパっと繋いでパパっと切ってたから、
そんなに大した料金はかからなかった。
で、1998年。
始めてWebに繋いだ。
果てしない海の広さを知ってしまった。
長い時間繋いでると当然通話料金がかさむ。
NTTのサービスに関する知識が皆無な当時、何ヶ月かは通話料金1万円を超えていた。
ひどいときは2万円くらいだったと思う。
これはなんとかしないと、ということで色々調べるとあった。
そして僕たちの強い味方だった「テレホーダイ」だ。
最初の二つは、まあちょっとした通話割引だったんだけどね、
テレホーダイっていうのが超強力だった。
(特定の番号に対して)夜11時から朝方にかけてなら、
いくら通話しても月1800円。
畜生もっと早く知っていれば。
で、考えてることは皆同じなんです。
夜11時、クソ重い。
今考えると、それだけその時間はネットも賑わっていたんですがね。
11時こえるといつも見てる掲示板に書き込みがガガっと増えてたり。
「オ、やってるやってる!」って感じでしたよ。
そしてテレホに入ってから、翌月の請求書で浮いた額を見てニンマリするの。
当時は実家住まいだから別に俺が通信料払う訳じゃなかったんだけど、
やっぱり
「テレホーダイ1800をご利用にならなかった場合、10000円になります」
とか見るとテンション上がるよね。
「おっしゃ得した!」って。
当時の請求書があったのでアップロードしておこう。
http://www.lightbluesky.net/uploader/src/0405.jpg
(この月はあまりネットやってなかった月だな。)
あと当然、テレホ以外の時間帯も(少しぐらいは)ネットをやるため、
InterConnecterとかRasWatchを使っていた。
使い放題だ。
一日中使い放題だ。
そりゃ勉強もしなくなりますよ、ええ。
始めてNiftyに繋いだ日。
あの時、モデムが発した音。
何もかもが懐かしい。
当方20代後半です。
両親:やっと安心できる
嫁:やったー
嫁両親:わたしらも安心やわー
友人1:おめでとう!
友人2:ついに動いたなー。おれも動かんとなー
すでに退職した元同僚1:おめでとう!栄転だろ?
すでに退職した元同僚2:私も実は公務員受けたんですけど受からなかったんですよー
同僚1:羨ましい!
同僚2:抜け駆けやー
偽装派遣先の社員:私も辞めようと思ってるんですけど、いろいろ教えてもらっていいですか?←この人、超優良企業の正社員…
偽装派遣先の社員(派遣)2:どうやったら受かったのか私にも教えてください!
偽装派遣先で上司だった人:おめでとう!良かったじゃん。奥さん安心できるね
偽装派遣先でパワハラ上司だった人:まぁ公務員も幸せかどうかわからんけどな
個人的には、ちょwwwおまえらwww潜在的転職願望多すぎwwww という感じ。誰もが不安をかかえながら働いてるってことですかね。
あとは、こちらが精神的に病むくらパワハラを続けてくれた奴だけが呪い?的なコメントをしてたのは予想通りというかなんと言うか。どんな転職先にせよ、普通は快く送り出すもんじゃない?
保険屋が作ってきた提案書の裏表紙に書いてあった。
『願いを短冊に』
私には四歳になる娘がいます。
その娘が最近、文字を教えてほしいとせがむので簡単なものを教えました。
それから何日かたったある日、
「いいこにしますから、おとうさんをかえしてください。」
と書いたそうです。
私は去年、交通事故で夫を亡くしています。
私はそれから、パートの仕事をはじめ、生活費の一部に充てています。
私の場合、夫が生命保険に入っていたので、なんとか生活できますが、
もし、夫が生命保険に入っていなかったらと考えると、ぞっとします。
夫は私にお金のありがたみを教えてくれました。
色とりどりの短冊を笹の葉に結んである竹は短冊の重みでしなっていました。
私は一番目立つところに、夕べ書いた短冊を結びつけました。
これって。
泣けるコピペでよく見るヤツの改変じゃないか。
って思ってちょっとググって見た。
この「エッセイ」は2003年のものらしい。エッセイコンテスト最優秀賞。
http://www.seiho.or.jp/activity/essay/h15/2003-1.html
で、よく見るコピペは、日付が確認できる古そうなところで2002年3月。
105 名前: 名無しの心子知らず 投稿日: 02/03/12 02:10
4歳になる娘が、字を教えてほしいといってきたので、
どうせすぐ飽きるだろうと思いつつも、毎晩教えていた。
「○○ちゃんから、神様に手紙を届けてほしいって言われたんです」 こっそりと中を読んでみたら、
「いいこにするので、ぱぱをかえしてください。おねがいします」
と書いてあったそうだ。
旦那は去年、交通事故で他界した。
受話器を持ったまま、私も先生も泣いてしまった。
「もう少ししたら、パパ戻って来るんだよ〓」
娘の心と、写真にしか残っていない旦那を思って涙が止まらない。
まぁ、ホントにコピペのほうが古いのかとか、「エッセイ」はコピペを改変したものなのかなんてのはわからんのだが、
私の旦那は女装子です。
そのことは結婚前から知っていました。いや、正確に言うと、知らなかったけど違和感がありませんでした。もともと顔立ちがたいへん可愛らしく、背もそれほど高くない華奢な骨格。私服はスカートこそはかないもののとてもユニセックスで、実際女性に間違われることも日常茶飯事でした。
私はそんな彼とまるで姉妹のように仲良くなり、やがて付き合うようになりました。その時の私にとって、彼と一緒にいることがとても自然なことだと感じたからです。それが恋愛感情だったのかどうか、今となってはわかりません。
風変わりな彼を、でも、私はちょっと自慢に思っていたのです。決して男らしい人ではない。でも、男だからって彼を好きになったんじゃない。私はそういう垣根を越えて彼を愛している。…そんな風に、思っていたのかもしれません。
そうして年齢的なものもあり、私と彼は結婚しました。彼は変わらず可愛らしく、姉のように母のように私を慕ってきました。私も自分なりにかいがいしく彼を支え、2人の生活はとても楽しいものでした。
ある日、彼が言いました。
「子供が欲しいね。」
私も答えました。
「そうだね。」
でもそこで、私は想像することができませんでした。私と彼の間に子供がいる風景を。幼子に向かって彼を指し「ほら、パパだよ」と呼びかける姿を。
ようやく気づいたのです。結婚とは、「父」と「母」になる可能性をもたらすものなのだと。最初から「子供は要らない」と明確な意図がある場合は別として、自分と共に「父」となってくれる人を伴侶として選ばなければいけないのだということを。
私の中の「父」のイメージは、男らしく、いざという時に身体を張って妻と子供を守れる強さを持った人。子育てによってその強さを得るのでしょうが、可愛らしい妹であり娘である彼は、あまりにそのイメージからかけ離れていました。
自分があまりにも典型的な「男親」を求めていることにショックを受けましたが、気づいてしまって以来、彼との将来を考えることができなくなりました。彼の長所であった女性らしさがすべて、伴侶としての欠点にしか見えなくなってしまいました。
彼は何も変わっていない。それは悪いことじゃない。自分の事が何も見えていなかった私が悪いんです。結婚とは何か、そこに自分が何を求めているのか、真剣に考えないまま前に進んでしまった私が。
( ゜Д゜)パラマシー! ダシテ プラーイテルタニーヤ ロギ
( ゜Д゜)アーガロディーヤーナ セプタ カーヤアディーヤ!
( ゜Д゜)パラマハー! ケスカ プーマラッタシーヤ カシキ
( ゜Д゜)スワーナカトリルクサ セプタ ケーヤラシーヤ!
( ´3`)ラーステー チーユー ヌーステー!
( ´3`)クースコー セーフー トゥワイエー!
( ´3`)ラーステー チーナー ラーステー!
( ´3`)クイエー ティーワー!トゥワイエー ティーワー!
( ゜Д゜)シッタセー! ラクサ キーマワッシュダンナ ロギ
( ゜Д゜)トゥーラアディーヤーガ ルクサ ワーヤカシーヤ!
( ゜Д゜)シッタプラー! ガシテ クーワプラーマドゥーワ ネプタ
( ゜Д゜)クァーカロイーヤーナ セプタ ワーヤドシーヤ!
( ´3`)ラーステー チーユー ヌーステー!
( ´3`)クースコー セーフー トゥワイエー!
( ´3`)ラーステー チーナー ラーステー!
( ´3`)クイエー ティーワー!トゥワイエー ティーワー!
( ´д)(´д`)(д` )パラマシー ダシテ プラーイテルタニーヤ ロギ
( ´д)(´д`)(д` )アーガロディーヤーナ… セプタ カーヤアディーヤー…
(`Д´)イー! ゴ-ナ シープラーヤー!
(`Д´)クステン インワー! シープラーヤー!
(`Д´)イー! セプタ セープラーヤー!
(`Д´)トゥワイエー インワー! シープラーヤー!
(`Д´)イー! ゴ-ナ シープラーヤー!
(`Д´)クステン インワー! シープラーヤー!
(`Д´)イー! セプタ セープラーヤー!
(`Д´)トゥワイエー インワー! シープラーヤー!
現在、NOKIAを使ってるけどiPhoneに変えようかどうか検討中。
今まで、「.Mac」を利用してメールも頻繁に利用するし、予定なんかも全部Macのスケジュールで
管理してた。NOKIAを使っていて一応Email受信も可能だったんだけどやっぱりiPhoneの方が
色々と.Macを利用している以上相性が良い。
iPhoneに変えようかどうか検討しているのだが・・。
だけど、周囲をよく見ると、iPhoneって何故か極端に若い世代が面白がって使ってるか
今までPDAやスマートフォンも利用した事がない世代のリーマンのおじさんが使ってるんだよね。
この間なんか満員電車の中で「iPhone買ったら最初に読む本」とかなんとかを必死で読みながら
操作覚えてた、40代後半のおじさんがいた。
「よーし、話題のiPhone使ってみるか。」と意気込んで今までのDoCoMoを解約し、家に帰って「パパはiPhoneを買ったんだぞー」とか
娘に自慢して父の威厳を勝ち取る。会社では部下に見えるように机の上に置き「部長!iPhone買ったんスか?凄いですよねー」と脚光を浴びて
にやにやしてるおじさんの姿がその煤けた背広から想像してしまった。
なんだか、そういうのを見てしまうと買う気が失せた。
そしたらなんか強い人がめちゃくちゃいっぱいで座れないんです。
で、よく見たらなんか黄色Xレアとか使ってて、マジック発動時コスト不要、とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、マジックコスト不要如きで普段使ってないXレア使ってんじゃねーよ、ボケが。
なんか大きいお友達とかもいるし。転売狙いでマジック連発か。おめでてーな。
よーしパパマイコンでコアをトラッシュに送っちゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、エンジュやるからその席空けろと。
ロの字テーブルの向かいに座った奴といつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっと座れたかと思ったら、隣の奴が、シェンペラでスピリット一掃、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
得意げな顔して何が、シェンペラで、だ。
お前は本当にシェンペラで一掃したいと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、一掃って言いたいだけちゃうんかと。
バトスピ大会通の俺から言わせてもらえば今、バトスピ大会通の間での最新流行はやっぱり、
竜人デッキ、これだね。
偵察兵突撃兵マグー。これが通の頼み方。
マグーってのは竜人多めに入ってると強化。そん代わり軽減が少なめ。これ。
で、それに大隊長3積み。これ最強。
しかしこれを頼むと次から相手にダイヤモンドの月を貼られるという危険も伴う、諸刃の剣。
まあお前らド素人は、緑単ウィニーでも組んでなさいってこった。
どう見ても初心者です本当にありがとうございました。
まず起床は午後1時ごろになります。起きてまずすることはパソコンを起動すること。家には時計を置いていないのでこの時初めて時間を知り「あぁ、今日は寝すぎたな。そういえば頭が痛い」と後悔したり「なんだまだこんな時間か。今日はたくさん時間があるな」とワクワクしたりします。
パソコンを起動してすることはRSSリーダーを見ること。たいてい未読は500くらいでしょうか。それを一時間ほどかけて見ていき最新情報に強くなります。そしてニコニコ動画を見ながら朝食(?)&ビール。最近はゲームの実況プレイ動画にハマッており、特にホラー系のサウンドノベルがお好みです。朝食はたいていパン二枚とジャンクフード一袋。カールがお気に入りですが気分によってポテチになったり未開の新ジャンル(最近なら焼きプリンなど)に挑戦したりします。食べ終わり、菩薩のように寝転がりながらビールをチビチビ飲む。俗世間の喧騒から離れた世捨て人のみが堪能できる至福の時間です。
その後は日によってまちまちです。夏ならプールに行きますし、コンビニで雑誌を立ち読みしたり、友人が訪ねてきて馬鹿話に花を咲かせたりします(たいていは『ムー』などの超神秘な話題です)。いきなりの来訪を私は断りません。それが世捨て人の役割です。私の家は社会の荒波に揉まれて日々戦っている人間がつかの間の「世捨て人感覚」を味わうためのオアシスでなければなりません。まぁ、一番多いのは図書館に行くことですかね。ここで最近気になる本を借りたり、雑誌のバックナンバーを読みふけったりします(ここなら女性誌を手にとっても恥ずかしくないのが不思議です。『ハナチュー』を読んでいます)。働き盛りな年代であろう人と毎回顔を合わせるので他人事ながら心配になります。ここの司書さんがなかなかの美人ぞろい。加藤夏希を髣髴とさせるモデル系美女や、学生さんだと思われる目のパッチリしたロリータ顔の子、ふくよかな身体のラインがセクシーな美人熟女など選り取り緑です。どの子にしようか、毎回悩みます。しかし、話しかける機会がない。仕方ないのでわざとわからないふりをして質問をしたりしますが発展はしません。
夕食を買って帰宅し、ネットでダウンロードしたラジオを聴きながら自炊します。しかし、まぁ独身男の手抜き料理なので大したものではありません。カレーを作ったくらいで「今日は頑張ったな」って感じです。そうそう、以前友人がいたときに二人でカップラーメンを食ったんです。私はパパッとテキトーに作ったんですが、そいつは一向に作ろうとしない。何やってんだカップラーメンも知らんのか田舎物が、と思ったのですがそいつは側面に書かれている作り方を読んでいたんですね。なんて慎重で注意深い人間なんだと感心してしまいました。私はと言うとお湯を入れ完成させてから入れる具があったようで今ひとつな味でした。
冬なのでしなくなりましたが「散歩飯」というのもよくやります。少々行儀悪いですがコンビニで買ったものを自然公園などを歩きながらむっしゃむしゃ食べるんですね。何だかDNAに刻まれた原始時代の記憶がよみがえるようで非常に乙なものです。昔はみんな外で食べてたんですよね。
飯を食うと再びニコニコ動画か、書き物をします。この書き物が私の収入源なのでもっと力を入れなきゃいけないのですが、如何せん面倒くさいのです。そして、それが終わると再びネットを見始め、今度は増田でアンチのフリをして火種の延焼を狙ったり、煽ったり釣ったり差別発言をしたりします。一番イキイキする時間であり、やっぱり文章を書くのは楽しいことなのだと、有村悠などのアルファブロガーをボロクソに言った後に再確認するのです。
ところで、私をこの底無し沼にどんどん沈んでいくような生活から助け出してくれる人を募集します。加藤夏希似の社長令嬢で六本木ヒルズに住まいを持っている方が良いですね。同棲から始めましょう。