はてなキーワード: パチスロとは
まずパチスロで倍にしようぜ
私40代、個人事業主で月15〜100万くらいの稼ぎ。国民年金と国民保険に入ってる。任意保険は掛け捨ての共済。贅沢は特に求めてない。趣味は読書、本はたくさん買う。
夫50代。元経営者、無職。体を壊して障害手帳持ち。自己責任と言われる種の病気ではない。旅行好きだが、障害手帳とは別の理由で歩けない。国民保険・年金に入ってる。年金は任意保険は入れない。私の収入が下がると障害年金が少し出る。
子どもはいない。貯金は1千万くらい。借り家。今すぐには詰まないけど、私が働けなくなったらすぐに詰むだろうという状態。
問題は、私が仕事をしていると夫が嫌がること。夫は仕事がしたい。人の役に立ちたい。けど雇ってくれる人はなかなか見つからない。そりゃそうだ、歩けないし、体弱いし。ボランティアだって、こんな当てにならない人は困るらしく、やらせてもらえない。前にやっていた仕事も、歩けなければできない。何も人様に役に立たない負い目が強い。男子たるもの、って呪いが強い。
そういう奴はパチスロで稼げ
ギャンブルの一番難しいところは金の事だけ考えると時間を掛けるのが一番という身も蓋も無い結論が出る所だなぁ。
試行回数が少ないとブレが出るのがギャンブルたる所以であり、安定して稼ごうとすると期待値ある時は張り付いとかないといけない。
ポーカーのガチ勢は月250時間はマストで稼働するらしい。300時間以上稼働してる奴だって少なくないという。
国内のギャンブルも同じで、毎日毎日開店から閉店までパチスロ打って月20万程度って、時給換算したらいくらだよって話。
まあ世の中にパチスロより簡単な仕事なんか無いから、時給悪くても他の仕事出来ない社会不適合者や引きこもりが社会復帰の足掛かりとして生活費稼ぐにはうってつけなので一概に否定出来るもんじゃないが。
結局、ギャンブルで稼ぐって自分の時間を金に換えてるだけで、極めた所でそこらへんの学生バイトと本質が変わらないってのがむなしい。
私の知人はパチスロに入り浸っている。彼はまるで海賊船の船長のようだ。パチスロは彼の海、そして彼はその海を航海し、確実に財宝を手に入れている。
彼の話を聞いていると、私は自分自身が不運な人生を送っていると感じた。彼の成功は私の敗北のように感じられた。私が泳いでいる間に、彼は水上バイクを駆っているかのように見えた。彼は人生の大きな挑戦に立ち向かい、それを成功に導いたかのような達成感に浸っている。彼がスロットマシンを回し大金を手に入れたという驚異的な出来事は、周囲の人々をいつも唖然とさせた。彼は栄華を極めた王様のように扱われ、その大勝利によって得た金を使って、夢のような贅沢な体験を楽しんでいる。私が魔法の杖に頼らざるを得ないのに対し、彼はその杖を手にすることなく、まるで天に昇るかのように勝利を手に入れた。
彼は私を高級焼肉に誘ってくれた。彼からの連絡はまるで現実に起こる予言のように、彼の神秘的な勝利の兆しを感じた。私は常に自分が誰かにとって重要な存在でないと感じていた。私が何かをすることは誰かにとって必要ではなく、私の存在は単なる空気でしかない。知人からの連絡も、私がいなくても全く問題ないことばかりだった。私がふとした瞬間に豪華な焼肉屋で彼と共に過ごすシーンが頭をよぎると、私は卑屈になってしまった。彼の背後に隠れた不可解な力に私は翻弄され、ただ飛び交う言葉の中で混乱していた。
そして、私は豪華な冒険の一端を共有し、豪華な焼肉屋で最高の料理を味わっていた。高級焼肉店で、口に入る肉の味は言葉に尽くしがたいおいしさだった。しかし、食べ終わった後、心はいつものように空っぽで、自分が本当に求めているものを知らずにいた。彼をまねするようにサーロインステーキにわさびをのせても、満足感は得られなかった。自分が、空虚の中にいるような感覚だった。焼肉の油と一緒に心が溶けていくような気持ちよさはあったけれど、それだけでは満たされなかった。自分が本当に欲しいものは何なのか、分からなくなってしまった。
彼が輝くように成功する一方で、私はまるで泥沼に足をとられるように毎日を生きている。私はただの流れ者であり、幸運は私から遠く離れている。私が水に飛び込んだとき、私は溺れるだけだ。私は幸運を追いかけようとしても投げやりな泳ぎ方しか知らない。生きることも既存の自分の繰り返しに過ぎず、自己完成への努力をせずに、波の間に間にブイのように漂っているだけだ。
彼が幸運を手に入れているのは、彼がそれに値するからだ。彼は勝利を追い求め、自分自身の運命を作り出すことができる。私はただ浮かんでいるだけであり、ただの観客でしかない。私の人生は、脆く壊れやすいものであり、私はの運の犠牲者にすぎない。幸運な人生を送ることができるのは、私のような人間ではない。