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はてなキーワード: パイセンとは

2018-10-01

見える範囲10本以上木を折った21号パイセンに比べて24ちゃんときたら

2018-09-02

マンガワンの『不死身のパイセン』すごすぎる

わずか8話でここまで面白い漫画あるのかよ…

2018-08-09

anond:20180809125127

パイセン、何言ってんすか?

数年前は、皆、当たり前のようにそう呼んでたじゃないすか。

ニコン

Binikon

ニコンとは、コンビニエンスストアのこと。

年代平成時代   【種類】 若者言葉

 

『ビニコン』の解説

ニコンとは長時間営業(1日14時間以上)で小規模(30㎡以上250㎡)な小売店コンビニエンスストア”の略称コンビニ”の倒語である。「ノド乾いたし、ビニコンでも行こうか」といった形で、コンビニと全く同意に使われる。

2018-07-10

料理パイセン教えて

肉って、すき焼きとかロースでもないかぎりくしゃくしゃに折れてるじゃん。

あれって、1枚1枚剥がす?そのまま投入する?

豚汁みたいなとき、ぐしゃぐしゃかき混ぜてほぐさないとそのまま固くなっちゃうけど、少しずつ投入するのが正解なのか?

2018-05-30

糖質と脂質を増田抑える絵竿出す魔を津市刺突し宇土回文

ジャスティビーバー

ジャスティンヒーハーって言うと

なんかものすごい辛いものを食べた人みたいよね!

おはようございます

最近全私の中で話題沸騰の

難消化性デキストリン!!!

入手したのよ!

テテレテッテテッテー!!!

ってそれはドラクエのレヴェルが上がる音だったわ。

パイセンパイセン!なんか変な粉が先輩宛に届いてますよ!」

わず届け先を事務所にしちゃってたわ。

「あら?バスソルトかしら?

ところでパイセンって言うとおっぱい専門みたいに思われちゃうから

ケツセンにしなさいケツセンに!

尻は良いぞ!尻は!!!わはは」

って後輩を上手くあしらって手に入れたそれは

難消化性デキストリン

俗に言う水溶性食物繊維よ!

よく今流行ってる、

糖質脂肪の吸収を抑える系の飲料に入ってる主要成分で

要は、からだすこやか茶Wが自分で作れちゃうってわけ!!!

しかも色々なお茶に混ぜて使えるの

それに味もさして変わらないから、

変な味付いたりしないし一緒に溶かして飲んだら効果てきめんよ!

へーって感じでしょ。

まあただそれだけの話なんだけど、

粉系の物を事務所に届くようにしちゃうのは

ちょっと誤解されかねないなと思っちゃったわ。

うふふ。


今日朝ご飯

ミックスサンドタマサンド

実は昨日お夜食に食べようと思ってたヤツ食べ損なっちゃったの。

でね、

誰かが気を利かせて冷蔵庫に入れてくれてたんだけど、

おかげでパンがカチカチね!

ご飯とかパンとかは冷蔵庫に入れちゃダメ!!!

すぐ食べるならの場合だけど。

まあそんなカチカチパン

デトックスウォーター

その難消化性デキストリン

グレープフルーツウォーラーに混ぜてみても何の支障もない感じのウォーラー

からだすこやかになるって寸法よ!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2018-04-21

駆け出し

わい、社内システム部門の下っ端雑用事務

ちょこちょこバッジファイルかいう黒魔法使えるくらいの下級メイジ

講義でかじったことがあって、記憶を頼りにググりながら下級なりに呪文を覚え中。

隣席は上級メイジパイセン

コードすごい。複雑。

1人で何人ぶんもの仕事してる。すごい。

師匠様、弟子入りさせてくだせえ。

2018-01-20

から見てBLって

「フェアな関係性」の美しさ、みたいなところが魅力なのかなって思ったんだけどあってる?

リアルの男女関係だとすぐ性別役割外食はどっちがおごるとか家事はどっちがやるとか)とか、その他の権力関係が発生してフェアな関係が築きにくいじゃん。

いやBLのなかの恋人同士でも、どっちかのパワーが強い弱いみたいなところにドラマが発生するのはわかるんだけど、でも現実の男女関係ほど深刻なパワーバランスのズレになっていなくて、関係性の機微を味わえる範囲のなかでズレているぐらいの気がして。

主語がでかい素人考えでクソ単純化しちゃってるかもしれないのだが、パイセンたちの意見が聞きたくてですね。。

2017-08-20

僕たちがやりました」の音楽はこれで良かったのか問題

OP曲とED曲。

Mrs. GREEN APPLEDISH//

この2つのバンドアイドルバンドかと思いきや、ライブパフォーマンスも凄い巧い、人気があるの納得!と、僕やりナイトに行って感じた。

普段聞かないタイプ音楽にも関わらず実際めっちゃしかった。

ただ、このドラマに本当に合ってるのか、というと、?んー?って思う。

受注者側(バンド)としてはコンセプト通りにバッチリ作ってるんだろう。

問題はその「発注そもそも」が果たして正解だったのかどうか。

インターゲット層は高校生ではなくもっと上の層が正解だったんじゃないのか。

なにしろやらかししまった人」たちの罪と罰物語だ。

やらかし真っ最中」または「これからやらかす」層ではなく人を傷つけて自分も苦しんだ経験をした人たち…、30代以降の大人ターゲットにするべきだったんじゃないのかなと。簡単に言うと、カルテットを見ていた層で良かったんじゃないのかなと。

あとこのヤンキー校の感じ、今もあるの?

荒れたヤンキー校設定の漫画はおそらく80年代ごろに発生して色んな作品が作られて、90年代以降も松本大洋青い春」、ドラマにもなった「ごくせん」とかあったけども、今、ヤンキー存在ってリアル存在なんだろうか、教えて高校生

まぁ、今30代〜50代は自分の周りにリアルヤンキーがいたはず(地域性もあると思うけど)なので、やはりターゲティング大人にするべきだったんじゃないかと(しつこい)。

まぁ、走り出した後のプロモーションを見て勝手にやんややんや言うのってダサいしほんとに勝手なんだけど。

ドラマOPED曲は、じゃあ何が正解だったのか私なりに考えてみた。

30〜50代がぐっときて、もっと苦悩を感じる音楽。泥臭くて汗臭くて、なんなら血の匂いもするような音楽

OP曲をINU「メシ喰うな」(俺の存在を頭から否定してくれ♪)、ED曲をザ・スターリン「メシ喰わせろ」(俺の存在を頭から輝かさせてくれ♪)か「ロマンチスト」(何でも良いのさ壊してしまえばお前はいつでもアナーキスト壊れていくのはテメエばかり♪)なんてどうだろう。

年齢層少し下げて、大森靖子の「私は悪くない」(私は絶対悪くない生きていて本当にごめんなさい♪)、アーバンギャルドノンフィクションソング」(生きろこれは命令形死ぬなこれは命令形だ消せないノンフィクション♪)なんてのも良いのではとひとしきり妄想…してみたけど、

うん、違うね。

違うわ。

違うよねー!

9時台のドラマですもんね。

やはりこの2つのバンドで良かったんや…と思い直す。

ED曲はドラマをそのまま歌詞にしたど直球、曲調もヒリヒリしていて心地いい。キャストとのコラボMVも緊張感のある仕上がりでやたらかっこいい。窪田正孝の歌の巧さ、今野浩喜の声の良さにもグッときた。

疾走感ある爽やかなOP曲も、人の心の黒い部分に触れるドラマゆえに、逆に視聴者気持ちを軽くする役割を担ってくれているように思う。

もしこれが映画だったら違う音楽にしたのかもしれない。

9時というメリットデメリットの中でいろいろ葛藤した結果の最適解。

シナリオエロ暴力表現キャストの演技も9時というメリットデメリットの中でめちゃくちゃ闘っていると思う。

窪田正孝映画東京喰種見てきた。この映画主人公自分の背負った罪に苦しむという共通点があるんだけど、(僕やり単体で見ると分からなかったが)明らかに演技の「トーン」を変えてる。狙って変えている印象で、狙って変える事ができる窪田の実力ハンパないっすね。

川栄とのエロシーンも制約があっただろうに、窪田と川栄の表現力で相当エロかった。男性の言う着衣の方が寧ろエロいというのが良く分かった。

各所ですでに言われているがキャスティングが良い。

特にメインキャスト4人が完璧だと思う。暴力とか人の狡さとか胸糞な内容をこの4人が苦い薬の糖衣のように「魅せる」ものにしてくれている。個体でいうと、マルがダントツ。どクズ胸糞キャラなのに葉山の可愛らしさが「憎みきれないろくでなし」と視聴者に思わせて、感情移入らすることも。川栄もバッチリハマってる。そして、パイセンドラマ全体を糖衣で包む。これは今野しか演じられない、というか今野ありきでこのドラマ立案されたんじゃないのかと思うレベル

視聴率イマイチのようだが、単純に「親と見れねー!」「子供と見れねー!」って人が多いのだと思う。録画視聴率は高いのでは。

もうすでに折り返し地点だが、今シーズンドラマの中で、抜群に面白いし深い。

【9時台の制約】と闘うスタッフキャストの志にも注目しています(イヤな視聴者だなオイ)。

映画化して、この制約を取っ払った状態の僕やりも見てみたい。

2017-03-25

フミコフミオについて教えてほしい

アイツの話って創作っすよね?

教えてパイセン


by 2017年度春入村予定のはてなー

2017-03-06

C#大丈夫なんだろうか

スマホアプリ発言語の話。

SwiftとかKotlinみたいな流行りの言語パイセン呼ばわりされてる姿が目に浮かぶんだけど。

パイセンちーっす!今時簡単にnull参照例外起こす言語とかレガシー過ぎて見てられねえっすよねwww」

プロパティメソッドパスカルケースwwwつか何すかその無駄な字下げwwww」

みたいな。

でもC# (roslyn) 他.NET関係の開発はGitHubをフルに使ってオープンに進められてて一番好感度持てる。

頑張れC#、お前がナンバーワンだ。

F#はよく知らないのでノーコメント

2017-02-11

江戸川乱歩 原作 舞台「孤島の鬼」をめぐる120時間

先週日曜、舞台を観てきた。江戸川乱歩原作の「孤島の鬼」。

感想増田投稿済みだし、最終考察投稿バリバリ編集なのだけど、

先ほど、ずっと一緒に推理に付き合ってくれていた友人が、《原作真相》に1つの答えを出してくれた。

「孤島の鬼」原作に対する現在の私の解釈について

※閲覧にはTwitter連携必要ですが、誰でも読めます

私はこの解釈を読んで、江戸川乱歩まじすげぇ人なんだな、と思ったし、

舞台感想を聞いて原作を読み返した」という超間接的な位置に居る友人にまで影響を与えたこの舞台まじやべぇな、と思った。

この話は、やれBLホモだと騒がれているが、こんなにも『人と人との愛の深い部分について書かれている』ことに萌えている感想は、まだ一度も見たことがない。

腐女子の皆さま、乱歩パイセンの名作は、想像を絶する至高のBL小説だったよ……(震え声)

次の新刊ネタにできるよ……

観劇してから120時間神経衰弱するほど友人と推理を重ねてきて、友人が辿り着いたこの結末に私は本当に感動したので、記念に最後にもう一度観劇しようと決めたのだけど、観劇前に今までのことを日記として残したいと思う。

(友人との推理使用した部分以外は原作未読をまだ貫いているし、私の主観での希望的観測は友人とは少し違うのだけど、それは最終考察とあわせて観劇後にまとめたい。)

どうせ同じ高いお金を支払って観劇するのなら、楽しめた方が絶対にいい。

私はもう「視点を変えれば、世界が変わる」=「つまんなかったものが最高に面白くなる」という瞬間を短くない観劇人生で知っていたので、本作初見では何か視点を歪められてるような印象にすごくもやもやした。

今思い返すと、色々なテクニック…いや、ヒントが散りばめられていた。

作中の探偵二人が言う「常識ではトリックを見落としてしまう、視点を変えるんだ」というようなセリフが印象に残っていたり(大事なことだから2回言いましたの法則。一度だけならスルーしていた)。

ストーリーテラーがやけに観客の目をガン見してくる→目を見るというのは語りかけてくるということで。しかしその眼差しに乗るメッセージは無く、視点誘導にも思えるのに最終的にストーリーテラー非難するような印象で終わる。この矛盾

原作では『簑浦』という名前主人公が『箕浦』であったり。同一人物に別の名前が与えられ『一人二役』であったり。

いかにも裏がある風で、どうしてもひっかけられてるような感覚があった。

「結局胸糞悪いだけだった」作品結構観てきたけど、それらは完全に私との解釈違い…美意識というよりもっと恣意的な『美学』の違いで、どうにも受け入れがたいという点からくる胸糞悪さだった。

でも本作では諸戸に感情移入できてしまったし、そもそも異形とは何かみたいな問題提起の要素もあり、そんな乱歩原作が『美学押し付け』には絶対にならないという妙な確信があって。私は謎解きに踏み出していた。

推理小説は読まないけど、リアル脱出ゲームとかは好きなんです。

(一晩明けて昨日、一緒に脱出できた経験のある頼れる別の友人が、私の沼りっぷりを気にかけて舞台を観に行ってくれた。そして私が完全に見落としていた最重要ヒントを見つけてきてくれた。優しすぎるし天才すぎる。)

(そう言えば原作解釈の友人も、私にとっては自明の理すぎて結構雑に扱っていたヒントが友人にとっては盲点で、そのヒントがあったからこの解釈に至ったと言ってくれた。嬉しかった。)

(そして、盲点とは必ず存在するし、それは本当に自分には見えないだけで、他人からたらこうも軽々と見えるものなのだなと、また一つ得難い経験をすることができた。人生って楽しい。)

終演後からすぐ調べ出して、最初のヒントには帰りの電車内でもう出会えていた。検索上位だった。有り難い。

からそのまま寝ずに感想を書き上げて翌昼増田投稿したのが初見感想

なんで増田に上げたかと言うと、これが《私》の感想であると、他の友人知人に知られるのが恥ずかしかたから。お陰で普段以上に壁打ち感ぱなくて孤独だった。それを全部友人との推理にぶつけていた。この五日間付き合ってくれて原作真相にまで辿り着いてくれた友人マジで有り難う。

自分感想の反応はサッパリだけど、各所に皆さまがどんどん感想を投下されるのでひたすら読み漁っていたのですが、どうにも自分の知りたい解がそこにはないように思えてきて。(感想拝読させていただいた皆さま、失礼な物言いになってしますみません。今回が異例だったのです。通常の演劇作品感想としてはとても楽しく面白拝読させていただきました。公開してくださったことを心から感謝しています。これからも是非よろしくお願いいたします。鍵、イクナイ。)

先述の私の盲点にあったヒントを見つけてきてくれた友人との会話でも判明したのですが、私が求めていたのはどうやら『感想』ではなく『印象』だったのです。

感想とは『事象対峙した発言者の想い』である。対して印象とは『事象対峙して発言者が捕捉できた部分』である

私は自分では見えなかった作品ありのままの姿を知りたかったみたいです。

その点では、原作を読んだけど舞台は見ていない友人と、舞台は観たけど原作を読んでいない私の探偵コンビはなかなか良いバランスだったのかも。

お互い違う表現を見ているか感想だけでは語れないけど、小説舞台作品本質が同じなら、印象と事実も一緒に突き合わせることで対話が成立する。

書いていた続きが寝落ちたら消えていたので、ちょいちょい追記していく。

2016-12-03

http://anond.hatelabo.jp/20161203150206

デブ好きなのが、デブ専ハゲ好きなのが、ハゲ専

…ということは、パイセンは おっぱい好き ではないか想像ちゃうからでしょう。

センパイ」のことを「パイセン」っていうのが気持ち悪い

ザギンとかシースーからまるマスコミ用語なのか何なのか知らないけど、

センパイのことを「パイセン」っていうのが気持ち悪い。

なんでだろう。

ちょっと小馬鹿にしたようなニュアンスがあるというか、上から目線になってるというか、そういう気がするからかなあ。

ある漫画家が、妙に気に入っちゃったのかキャラに「パイセン」「パイセン」喋らせてるのも気持ち悪い。

2016-09-07

http://anond.hatelabo.jp/20160906115535

どのようなコミュニティかにもよるけれど、

・実力でパイセンを抜く。

コミュニティ内に若手の会を作って年取ったパイセンは参加できないグループを作る。

・わざと慇懃無礼に振る舞って、パイセンがっかりさせる。

2016-08-04

ストレッチ」全話公開してるな

やわらかスピリッツ - ストレッチ

読み返して思ったのは

サバサバしてるように見えて実は内面ドロドロ、意外と乙女なとこもある慧子パイセンかわいいにゃあ

ということですね

あざとすぎるキャラクター造形の蘭より断然慧子パイセン!!!

2016-06-11

エンターテイメントがしぬかもしれないはなしその2

エンターテイメントがしぬかもしれないはなしの続き。

前回は2000年2010年あたりのアイドルジャニーズお笑いジャンルでなにが起こっていたのかということをさらっと(わたしの十代の記憶と共に)振り返った

では現在虫の息である若手俳優の世界でなにが起こっていたのかということも一応書き記しておく

まさに2.5次元ミュージカル王様(なぜ若手俳優の舞台はつまらなく、客席が埋まらないのかおたく真剣に考えてみたブログ参照)であるテニミュが初めて上演されたのは2003年のことである

当時の話はパイセンたちからのお話でしか聞いたことがないけれど、はじめは客席が埋まらないのでキメ様のライブをおわりにやったりして、キメ様のおたくとかでがんばって埋めていたらしい

ちなみにみんな大好き氷帝学園、いまをときめく斎藤工が出演していた氷帝公演が行われたのは、2005年の話であるから、テニミュ(若手俳優)の世界も前述の通り、やっぱり2010年向かって右肩あがりの時代だったんだと思う

それでは今度こそ2010年以降、おたく世界になにが起こってきたのかをふんわり考えてみようと思う

現状として、大きくふたつの問題がエンタメおたく界の中に発生している

ひとつは、村社会としてのおたく世界におけるおたく高齢化社会、ふたつめは、生産的おたくの少数化である

このふたつは繋がった大きなひとつの問題である

⚫︎「おたく高齢化社会」とは

その名の通り、おたく高齢化が進んでいるという話である

変な話だと思うかもしれない。今日本は国として、ずっと偏見を持たれて消極的に虐げられてきた「おたく」という異常な世界ひとつ国民性としてピックアップしていって、それを日本の特色としてビジネスにしようとしている

そして、おたくではない人たちがおたく世界に土足で踏み込んできて、自分たちが興味を持った部分のみを取り上げて「これがおたくなんです!」とテレビ雑誌なんかで言っちゃってる

元々こういうサブカル推しの政策になるまでにおたくになっている人たち(わたし含め)は昔の閉鎖的なおたく世界の中での「みんな違ってみんなとりあえずよし」というのに慣れているからあんまり気にしてないかもしれないけれど、

新規参入してきたおたくの人たちはひょっとしたら、マスコミたちが取り上げた「おたく世界ひとつの側面」を見て、自分でなにか実体験として掴み取ることもせずにこれがおたくなんだとぼんやりと捉えているだけなんじゃないかとわたしは危惧している

おたくというのは長らく村社会である

村のコミュニティーの中に入れていようが、村八分されていようが、そこに存在する限り、とりあえず全員村民である

例外ももちろんあると思う。

例えばワンピースが好きだったとして、毎週ジャンプを買い、単行本を買い集め、アニメを視聴し、自分なりに設定についての考察を行う

これをネットなどに発表することなく、誰に見せることもなくひたすらノートに書き綴っていたら、自己完結しているので、他者から村民として認知されることはないと思う

けれど、この人が例えばホームページを立ち上げて自分なりの考察世界に発表したら、例え誰かと交流を持たなくても、わたし村民として世界に存在していることになると考えている

他のワンピースおたくは誰かしらそれを読むだろうし、感想メールする人もいるかもしれないし、リンクフリーと書いてあったら、リンクページやブログにその考察サイトのURLを貼るかもしれない

かたや、HPを立ち上げたもののアクセスがなかったら、自らサーチに登録するかもしれない

こうして、村の中へと入っていくのである

村の中には色んな人がいる。

一流企業で働いているエリートもいれば、ニートに近いフリーターもいるし、学生もいれば、子持ち主婦もいる

けれど、暗黙の村の掟というものがおそらくどのジャンルおたく世界にも存在して、もちろん可視化されたものではないので、最初はわからないのだけれど、どの村にも、RPGゲームで話しかけてくる村民みたいなやつがいて、

これはこうすればいいんだよ、これがどうなんだよ、とふんわりと村の掟を教えてくれていた

物事というものは、完全にゼロから創造されることはない

そこになにかが存在して、そして、基礎とされるルールが存在して、初めてそこからなにかが生み出される

ことにおたくという生き物は、おたくという側面においてイチからなにかを創造する生き物ではないと考える

何かが存在して、それになにかアレンジを加えて、別のなにかに変化させるのがおたくだと思う

なにが言いたいかというと、アイドルがいて、おたくがいる

漫画があって、おたくが読む、舞台が上演されて、おたくが観る

おたくというのは、創造されたなにかを完成させる上で不可欠な存在ではあるが、まずはじめは受け手

受け手として、その世界に存在するにあたって、どんな世界にもルールがある

けれど、情報化社会の中で、おたく世界の中の村という概念が何年も前から崩れている

これは、若い子に限ったことではない。

マスコミが取り上げたおたく世界を見て、おもしろそう!と新規参入してきた年配おたくも同様である

そうすると、どういうことが起こるのかというと、新規参入おたくたちはSNSなどのツールばっかりは立派に持っているのだけれど、RPGゲームで話しかけてくれるおたくがいないものだから、

レベル上げの方法を知らずにずっとマサラタウンの横の草むらでコラッタキャタピーや同じようにそこに留まって地図を持たないおたく同士で、これがおたくなんだー!たのしー!となっている(もちろん例外もいる)(自ら見つけていけるんだから、わたしと違ってまじ天才的だと思っている)

村民おたくマサラタウンおたくとのおたくの分離化が進む中で、旧型のおたく高齢化が止まらない

⚫︎「生産的おたくの少数化」とは

どのジャンルにもいると思うのだけれど、ツイッターに常駐していて、キチガイを名乗っている若い自称おたくの子たちがわりと一定数いる

これは本当にかわいそうだ。

なぜならなんの生産性もないツイッターに常駐して時間を無駄に浪費しているということはおたくでもキチガイでもなんでもなくて、生産性の低いただのかまってちゃんだからだ

けれど、それでも時間が潰せるものだから、若い子たちはきっと常駐してしまうんだと思う

ツイッターがリアの頃に普及していなかった世代からすると、完全に異常なので、正直積極的にリプを飛ばして関わり合いになろうとは思わない(自分のことを棚に上げてこんなことを言っているがわたしも相当別のベクトルやばいヤツなので、関わり合いにならない方がいいと思う)

わたしが若い頃は、ツイッターがなかったので、ひまだったらもっぱらブログを更新するか、様々な匿名掲示板を眺めるか、仲間内でチャットメールをするか、などしか暇つぶしツールがなかったのだけれど、完全に村社会だったので、

なぜかそんなわたしを見ておもしろそうと思ってくれた色んなお姉さんが色んなことを教えてくれて、暇つぶしの中でも生産性のある暇つぶしツールを与えてくれたというか、

ジャンルおたくの先輩として、例えばこのライブはどのアーティストのどのライブの影響を受けているから、そっちも見ていた方がいいだとか、

この作品を見て、こういう感想を持つなら、きっとこの作家のこういった本が好きだろうから、読んでみたら?だとか様々なアドバイスをもらった結果、

10年以上かけて、こんな神の視点からブログを書くような高尚おたくに育ったのである

(十代の頃から3歳から10歳以上年上の友達とばかり遊んでいたので、地方の女子高生の身分で東京女子大の講義にこっそり潜りこんだりしているような変な女子高生だった)

はっきり言って、おたくおたくとして存在している時点で9割は凡である

だから、自分でなにかを創造することはできないと思った方がいいし、レベル上げの最も簡単な近道は先人に教えを乞うことである

テニミュに関してだってそうである

素晴らしいことなのか、残念なことなのか、若い子たちはどう捉えるかわからないが、テニミュというコンテンツが好きでファーストから通っているおたくはたくさんいる

DVDで当時の公演を振り返ることは不可能ではないが、ネルケは財布をしめていくことを決して許さないので、きっと過去の公演のDVDまで買いあさるなんてなかなかできることではない(それに残念ながら逮捕者がでている公演のDVDは発禁になっている)

ひとりそういうババアおたくと仲良くなって、そういう話を教えてもらって、自分の中にインプットして、そこに自分なりの仮説と解釈を加えるだけで、高尚おたくになれるのに、

ツイッターを眺めていると結局同世代同士でつるんでいるのが多い気がする

その点において、タレコミとかで叩かれているような痛いおたくの子たちの方が結局現場で昔からいるババアたちと顔を合わせて、情報戦で勝てないババアたちといかにうまくやっていくかという課題と直面しているので、

よっぽど要領がいいというか、低姿勢で吸収力があるなあと個人的には思う(ババア側の人間)

⚫︎なぜ生産性の低いおたく多数派だとダメなのか

ここまで読んで、どうして生産性の低いおたくだとだめなんだ、ツイッターで同世代で楽しくつるんでなにがだめなんだ、痛いワタシみたいな高尚おたくになる必要性がどこにあるんだ、と思った人が多数だと思う

なぜダメなのか、

まずひとつめは、マサラタウンの草むらには何年もいられないということ

ふたつめは、マサラタウンの草むらにいただけではポケモンプレイしたとは言えない

ので、布教ができないということである

例え話だとぴんとこないかもしれないので、それぞれについて解説していく

まず、ファンではなくおたくとして存在する以上、ただ消費するのではなく、消化(昇華)できるおたくにならないと、自分でなにがおもしろくて今コレに時間とお金を費やしているのか、わからなくなるとき絶対くる

おたくを自称するくらい、何かが好きなのだから、どうして自分はそれが好きなのか、それにはどんな魅力があるのか、その魅力は他のものと比べてどう秀でているのか、せめてこれくらいは言語化できた方がいい

というか、これをきちんと言語化できる人は、ロジックリーなんかに頼らなくてもたいていのことは物事の本質と原因を分析できる人になるから、生きていく上でもたぶん役に立つから便利だと思う

言語化するには、その世界を知る必要がある。

何年もおたくをやっているババア絶対たいていは厄介なので、積極的に関わり合いになれとは言わない

けれど、ロム専だとしても(もはやロム専という言葉は死語かもしれない)(黙って眺めてヲチっているという意味だと思ってください)自分でなにか発信している人は見ていた方がいい

そこには自分と異なる考えがあるので、自分の考えと比較対照することができ、自分の考えがどういったものなのか、再検討することができ、より強固なものにすることができる

なんでそんな難しく考えなきゃいけないんだろう、ただの趣味なのにと思う人もいるんだろうなあと思う

けれど、よっぽどの天才ではない限り、エンタメを作る側もいきなり完璧なものを作り出すことはできない

特に制作側の人間はおたくが少数派なので、おたくの「これがこうだったらもっと好きになれるのに」ということをことごとく外すことにおいて、才能に溢れている

自分が何かを楽しみ続けるとなったとき、舞台だったらアンケートを書くなり、アイドルだったらツイッターで運営のエゴサにひっかかるようにあーだこーだ言うなり、直接現場制作に話しかけるなりしないと、

自分の中で、あれ?と思ったもやもやは解消されない

そういうことをしないとエンタメ側もレベルアップしないんだと思う

だいたい、大きくなりすぎたエンタメが衰退する理由として、ひとつエンタメおもしろくなっていくということに関して現状のツールでは絶対限界がくるときがあるということ、

そして、大きくなりすぎたエンタメは、ビジネス化されすぎていて、「こうなったらいいのにな」というおたくの考えの届かないことろへいってしまっていることがあげられるんじゃないかとわたしは思っている

おもしろエンタメがあると、どうしてもそこにお金が集まってしまうので、ビジネス化されてしまうのは、仕方のないことなんだと思う

けれど、今の日本においてそれが悲惨なのはたまたま様々なエンタメジャンルが同じようなタイミングでピークを迎えてしまい、エンタメ世界が、大爆撃でもあったのかという惨状になってしまっていることだ

しかもその間におたく側も情報化社会の中で変形していって、おもしろエンタメを育てていく体力のあるおたくが少数派になってしまった

アイドル世界戦国時代が終わって、きっとこれからあの2009年2010年ドラマに溢れたAKBのような盛り上がりを見せてくれるアイドルはもうしばらく現れない

仕事や現実疲れたアイドルおたくを癒すために様々なハコやショッピングモールで特典券を武器に細々と生きていくアイドルたちとおたく世界になってしま

モーニング娘。ミスタームーンライト愛のビッグバンド以降ハロプロ世界に帰ってしまったように、元々アイドルおたくだったひとたちのためのエンタメとしてきっとこれからは存在していく

お笑いも今、バラエテイこそあるものの、若手が芸を披露する場がほとんどない

お笑いは漫才やコントをやって、初めてお笑いとして成立する

バラエテイでの面白さなんてその場にはまれば誰でもおもしろいので、お笑い芸人である必要性などなにもない

芸人はなんでもやって当たり前なんだから、それと比べて木村佳乃がなんでもやった方

おもしろいに決まっている

お笑いジャンルは今、現場難民(芸人側の) に溢れている結果、おもしろい漫才どころではないんじゃないかという印象だ

ジャニーズも、嵐の人気はおそらく今よりでることはないだろう

そんな中で、わたしたちの青春だった若手三組がそれこそ大爆撃を受けたみたいにメンバーが半分くらいに減っている中で、じゃあその下にくる平成ジャンプが元気なのかというと、最近伊野尾がようやくそ美少年さを世間に認識され始めたが(といっても伊野尾わたしと同い年なのでもう少年ではない)

まだ平成ジャンプブレイクするという実感はない

セクゾもメンバーが増えたり減ったりするので、正直ジャニヲタあがったババアはついていけない。デビューしたユニットでそんなことありえます?よくわからない

じゃあウェストはというと、今の関ジャニくらいになれたらいいねーくらいの認識でしかない、わたしの中では

ファンのひとは怒るかもしれないけれど、こう見えて一応彼らがジュニア時代に松竹や梅芸でお仕事していたときにそれなりに見ていたので、ブチギレするのは超古参のお姉さんたちだけで勘弁してほしい

関西ジャニーズの抱える問題と可能性と闇については触れ出すと話が終わらなくなるので割愛

けれど、上記ジャニーズたちが決して売れないと言っているのではなく、現状の悲惨なエンタメ界を今すぐ引っ張っていく力があるかと考えたときに今すぐは無理だという話なので本当に怒らないでください

若手俳優の世界はおそらく痛みを伴う革命でも起きない限り、もう無理である

アミューズドリフェスとかやり始めちゃった時点で、あー事務所もそう思ってんのかなーとわたしはおもったぜ

大したビジネスでもなかったのに、いろんな大人がよってたかってダメにした感がある

たぶんこれからたくさんの失業者が発生するというか、まあ引退する子たちがどんどん増えていくと思う

まあ若手俳優はあんまり稼げるお仕事ではないので、その点においては大丈夫かなあと思っているけれど、元ジャニヲタとしてはジュニアが引退したのちに逮捕される流れにはうんざりなので、ちゃんとそれぞれに生きていく道があればいいなと思う

それがエンタメ世界だったらどんなにいいことかとは思うけれど、今若手俳優の世界にはそんなに飯のタネがないので、なにも言えない

結局、若手俳優のあとに台頭してきた読モジャンルも、KPOPも若手俳優よりも早くマイナー世界へ帰っていってしまったので、

今どこでなにが元気で盛り上がっているのか、わたしの目には見つけられない

それがおそろしくて色んなおたくにこの話をして、今なにが盛り上がっているんだろうと聞いても、みんな首をかしげる。

広告で働いている男の子にもこの話をしてみたけれど、スポーツなんじゃない?と言われてしまった。

残念ながらわたしスポーツには一切興味がない。あとオリンピックに向けてスポーツが盛り上がるというのは、長らく当たり前のことなので、それはこれまでのエンタメに取って代わるものではないし、

そもそもエンタメではないんじゃないかという疑念が拭いきれない

だいたい女ヲタ世界において、あの人どこにいったの?という話をすると、二次元だと聞くことが最近は多い

けれど、二次元絶対すぐ今の異常な熱は終わるんじゃないかと思っている

なぜなら今の二次元の盛り上がり方はグッズ収集だが、グッズの収集という盛り上がり方は、これ以上の発展があるんだろうかとハタから見ていて思うから

わたしは本当に理解できない、これだけお金をかけるくらいこのキャラが好きなんです!みたいな競争をするくらいだったらホストじゃだめなんだろうか、きっと何回か寝れる

若手俳優のおたくをやっていて同じことを何十回も言われるので、もちろんそれじゃだめなことはわたしもよくわかっているが、俳優と違って二次元キャラ特別扱いしてくれないし、そもそも概念でしかないので、非常に難しい盛り上がり方だと思っている

しかし、その一方でわたしみたいな変なタイプじゃない女子の欲求を満たしていることも理解している

みんなでこアニメならこのキャラが好き!みたいに推しを分けてみんなで朝から池袋やらスカイツリーやらTSUTAYAやらに並ぶのが楽しいんだろうなというのは知識としては知っている

団体行動好きの女子にはたまらない「みんなで一緒になにかをしている!」感なんだろうなと思う

だからかなり前の記事になるが日経MJとかはグッズ収集女子を特集する際にもっとそのへんに重きを置いて取材をするべきだったと思ったよ

そもそものそういった子たちの行動心理ってたぶんそこなんだから。

現地で交換したりとか、そういうのが楽しいんだと思うよ。

表面上はキャラへの愛でこんなことになっちゃうくらいこのキャラが好きなわたし!ということになっているが、実際半分くらいはグッズ収集に付随する様々なことを楽しむタイプの女子が大多数のはずだ、女の子は自分を思い込ませるのがうまい

でもそれはもはやアウトドア的な楽しみ方であって、エンターテイメントではない

水道橋に行けばいつでも誰かしら友達がいる!みたいなテニミュなどのアウトドア的側面がピックアップされた趣味だと思う

このままエンターテイメントはなにも新しいものが生まれることなく、これから冬の時代を迎えて、大勢がなにかに熱狂することがない時代になるのだろうか

わたしはそういった大盛り上がりジャンルに身を置いているタイプではなかったけれど、このままなんの盛り上がりもない状況というのはとても不安になる

そして、なによりエンタメを作ってきた側のひとたちが、この危機的状況に気づいているのかしらと非常に不安になる

おたくからするとこれは結構やばい状況である

わたしエンターテイメントがなかったらこの年まで生きてこれなかったかもしれない。

本当にどこかで尽きて死んでいたんじゃないかと思う

今の若い子達にわたしエンターテイメントに救われたようになにか別の救いがあるんだったらいいのかもしれないけれど

ストレス社会と呼ばれて久しい日本で、現実逃避ツール代表であるエンタメがしにそうだ

そして、みんな違ってみんないいという考えを浸透させたせいなのか、国民が多様化すると見せかけて、思考停止した人たちを量産しているだけな気がする

若い子たちと働いていて本当に思うのだけれど、「どうしてこうなんだろう」ということを考える力に欠けている子達が多すぎる

このままだと日本のエンタメどころか、日本自体がいつか沈没するんだろうなと思う

このままだと日本は確実にヤベエ

そんなもうすぐアラサーババアのつづった生産性のない、エンターテイメントがしぬかもしれないはなしでした。ちゃんちゃん

エンターテイメントがしぬかもしれないはなし

エンターテイメントが死ぬかもしれない話

⚫︎前提

・元々自分のfc2ブログからの転載です

・とにかく長い

・とにかく辛口

・怒らないでください

おたくも長く続けていくと色んなジャンルに友達が散らばり、色んなジャンルに対する浅い知識が増えていく。

なんとなく今どこのジャンルに活気があるのか、雰囲気でわかるようになる。それはツイッターがあるからだろうし、昔では考えられない量の情報を簡単に手にすることができるからだと思う

そんなわたしひとつの仮説としてわりと真面目に考え、色んな友人に話していることがある

それが「エンターテイメントが死ぬ話」である

自分の年齢をはっきりと明記するのがそろそろ嫌な年なので、ぼかした表現にするが、わたしゆとり世代であり、就職すればゲッという顔をされた平成生まれであり、ジャニーズで言えば八乙女世代、堀越で言っても八乙女三浦春馬世代、アミューズでいうところの三浦春馬戸谷公人水田航生あたりの世代のそろそろしっかりクソババア世代である

だから、エンターテイメントが死にかけているように感じるのは、わたしアンテナが腐って倒れそうになっているからなのかもしれないし、わたしの知らない世界で新しいエンターテイメントが誕生しているのかもしれない

けれど、わたしの目の届くところにあるエンターテイメントはみんな死にかけている

具体的にどういったことが言いたいかということをわたしが若手俳優のキチガイヲタになった2010年あたりを軸に色んなジャンルのことを考えていきたい

2010年、若手俳優の世界は非常に盛り上がっていたと思う。

テニミュファーストの最後のドリライがあった年だ。身内がDDでドリライに行っていたから知っている

その年のゴールデンウィークは、戸谷公人誕生日イベントがあり、新宿御苑サンモールではたしかDステが行われていたように思う

当時の身内に誘われて遊びに行くとサンモールにものすごい数のおたくがいた。

わたしはというとバースデーイベントチケットを両部合わせて5枚余らせていたので、その場にいた子達を誘ってみたが、Dステの千秋楽だから無理だと断られた

2010年はそんな年だ。

アミューズでいえば宝石シリーズ及び黒白シリーズが始まった年でもある。

赤坂ボーイズキャバレーに夏を費やしたおたくが何人いたことか。

特撮で言えば、丁度2009年平成ライダー10周年記念のデイケイドの放送年で、一区切りついたところで、今をときめく菅田将暉が初々しく日曜8時で戦っていた年だ。

とにかくお祭り騒ぎだった。どこの現場も非常に盛り上がり、頭のおかしおたくがたくさんいた

他のジャンルにも目を向けて行こうと思う

例えばお笑いでは10年連続で開催していたM−1が一度幕を下ろしたのも2010年のことであった。ずっと優勝できずにいた笑い飯がようやくM−1王者に輝いた年である

アイドルではAKB48の第二回総選挙が行われた年である。このあたりがわたしは国民的アイドルという視点でAKBを評価したときの最高潮に盛り上がりを迎えていた瞬間だと思っている

2010年は、エンターテイメントを時の流れで区分したときに大きな区切りとなる年であると考えている

では今度は2010年以前の10年くらいのことを考えてみたいと思う。

わたし小学校低学年の頃に一斉を風靡したSPEEDが電撃解散をして、その数年後に現れたのがモーニング娘。だった

しかし、ザ☆ピース以来、モーニング娘。は国民的アイドルというポジションを離れ、ハロープロジェクトというジャンルの中に入っていってしまった。

そしてそれ以来、AKBが大学の頃に国民的アイドルと呼ばれるようになるまで、特にアイドルらしいアイドルわたしの視界には入らなかった

むしろモーニング娘。のあとは、いわゆる巨乳グラドルが台頭してきた時代のように感じるが、残念ながらあんまりわたしグラドルに興味を持つ性別でも年頃でもなかったので、あまり記憶がない

小池栄子は気付いたら女優としてもタレントとしても非常に大成していたのでまじですごい巨乳お姉さんだと思っている)

中学校の頃(2000年代前半)は芸人の黄金時代だったように感じる(わたしは芸人のおたくをしていたことがないので実際にいつが黄金時代と定義されるのかはわからないのだけれど)

イメージとして、このあたりから盛り上がって2010年お笑いの盛り上がりのピークと捉えている

思えばわたしエンターテイメントに恵まれた世代だったと思う。

小学校のときには体育大会でモーニング娘。のザ☆ピースが流れ、組立体操をした。

高学年のときには笑う犬の冒険を熱心に見て、それがいつのまにか水10になり、中学校文化祭では先輩たちに目をつけられながらも、有志でゴリエミッキーを踊った

やんちゃな子たちはごくせんに憧れ、みんなで文化祭クラスの出し物でごくせんをやり、最後にはスマスマキムタクたちが踊り流行っていた恋のマイアヒエンディングで踊った。

週末をこえて学校に登校すれば、みんなエンタの神様の話をしていた。誰がおもしろい、誰のネタがどうだ、誰がかっこいい

ジャニーズも、いわゆる若手三組と呼ばれるNEWS、関ジャニ∞KAT-TUNが立て続けにデビューした頃で、みんな通学鞄に好きなジャニーズメンバーの名前をポスカで書いていた

(ここで一度力つきた)

エンターテイメントがしぬかもしれないはなしの続き。

前回は2000年2010年あたりのアイドルジャニーズお笑いジャンルでなにが起こっていたのかということをさらっと(わたしの十代の記憶と共に)振り返った

では現在虫の息である若手俳優の世界でなにが起こっていたのかということも一応書き記しておく

まさに2.5次元ミュージカルの王様(なぜ若手俳優の舞台はつまらなく、客席が埋まらないのかおたくが真剣に考えてみたブログ参照)であるテニミュが初めて上演されたのは2003年のことである

当時の話はパイセンたちからのお話でしか聞いたことがないけれど、はじめは客席が埋まらないのでキメ様のライブをおわりにやったりして、キメ様のおたくとかでがんばって埋めていたらしい

ちなみにみんな大好き氷帝学園、いまをときめく斎藤工が出演していた氷帝公演が行われたのは、2005年の話であるから、テニミュ(若手俳優)の世界も前述の通り、やっぱり2010年向かって右肩あがりの時代だったんだと思う

それでは今度こそ2010年以降、おたくの世界になにが起こってきたのかをふんわり考えてみようと思う

現状として、大きくふたつの問題がエンタメおたく界の中に発生している

ひとつは、村社会としてのおたく世界におけるおたく高齢化社会、ふたつめは、生産的おたくの少数化である

このふたつは繋がった大きなひとつの問題である

⚫︎「おたく高齢化社会」とは

その名の通り、おたく高齢化が進んでいるという話である

変な話だと思うかもしれない。今日本は国として、ずっと偏見を持たれて消極的に虐げられてきた「おたく」という異常な世界をひとつ国民性としてピックアップしていって、それを日本の特色としてビジネスにしようとしている

そして、おたくではない人たちがおたくの世界に土足で踏み込んできて、自分たちが興味を持った部分のみを取り上げて「これがおたくなんです!」とテレビや雑誌なんかで言っちゃってる

元々こういうサブカル推しの政策になるまでにおたくになっている人たち(わたし含め)は昔の閉鎖的なおたくの世界の中での「みんな違ってみんなとりあえずよし」というのに慣れているからあんまり気にしてないかもしれないけれど、

新規参入してきたおたくの人たちはひょっとしたら、マスコミたちが取り上げた「おたくの世界のひとつの側面」を見て、自分でなにか実体験として掴み取ることもせずにこれがおたくなんだとぼんやりと捉えているだけなんじゃないかとわたしは危惧している

おたくというのは長らく村社会である

村のコミュニティーの中に入れていようが、村八分されていようが、そこに存在する限り、とりあえず全員村民である

例外ももちろんあると思う。

例えばワンピースが好きだったとして、毎週ジャンプを買い、単行本を買い集め、アニメを視聴し、自分なりに設定についての考察を行う

これをネットなどに発表することなく、誰に見せることもなくひたすらノートに書き綴っていたら、自己完結しているので、他者から村民として認知されることはないと思う

けれど、この人が例えばホームページを立ち上げて自分なりの考察を世界に発表したら、例え誰かと交流を持たなくても、わたしは村民として世界に存在していることになると考えている

他のワンピースおたくは誰かしらそれを読むだろうし、感想をメールする人もいるかもしれないし、リンクフリーと書いてあったら、リンクページやブログにその考察サイトのURLを貼るかもしれない

かたや、HPを立ち上げたもののアクセスがなかったら、自らサーチに登録するかもしれない

こうして、村の中へと入っていくのである

村の中には色んな人がいる。

一流企業で働いているエリートもいれば、ニートに近いフリーターもいるし、学生もいれば、子持ち主婦もいる

けれど、暗黙の村の掟というものがおそらくどのジャンルおたくの世界にも存在して、もちろん可視化されたものではないので、最初はわからないのだけれど、どの村にも、RPGゲームで話しかけてくる村民みたいなやつがいて、

これはこうすればいいんだよ、これがどうなんだよ、とふんわりと村の掟を教えてくれていた

物事というものは、完全にゼロから創造されることはない

そこになにかが存在して、そして、基礎とされるルールが存在して、初めてそこからなにかが生み出される

ことにおたくという生き物は、おたくという側面においてイチからなにかを創造する生き物ではないと考える

何かが存在して、それになにかアレンジを加えて、別のなにかに変化させるのがおたくだと思う

なにが言いたいかというと、アイドルがいて、おたくがいる

漫画があって、おたくが読む、舞台が上演されて、おたくが観る

おたくというのは、創造されたなにかを完成させる上で不可欠な存在ではあるが、まずはじめは受け手

受け手として、その世界に存在するにあたって、どんな世界にもルールがある

けれど、情報化社会の中で、おたく世界の中の村という概念が何年も前から崩れている

これは、若い子に限ったことではない。

マスコミが取り上げたおたくの世界を見て、おもしろそう!と新規参入してきた年配おたくも同様である

そうすると、どういうことが起こるのかというと、新規参入おたくたちはSNSなどのツールばっかりは立派に持っているのだけれど、RPGゲームで話しかけてくれるおたくがいないものだから、

レベル上げの方法を知らずにずっとマサラタウンの横の草むらでコラッタキャタピーや同じようにそこに留まって地図を持たないおたく同士で、これがおたくなんだー!たのしー!となっている(もちろん例外もいる)(自ら見つけていけるんだから、わたしと違ってまじ天才的だと思っている)

村民おたくマサラタウンおたくとのおたくの分離化が進む中で、旧型のおたく高齢化が止まらない

⚫︎「生産的おたくの少数化」とは

どのジャンルにもいると思うのだけれど、ツイッターに常駐していて、キチガイを名乗っている若い自称おたくの子たちがわりと一定数いる

これは本当にかわいそうだ。

なぜならなんの生産性もないツイッターに常駐して時間を無駄に浪費しているということはおたくでもキチガイでもなんでもなくて、生産性の低いただのかまってちゃんだからだ

けれど、それでも時間が潰せるものだから、若い子たちはきっと常駐してしまうんだと思う

ツイッターがリアの頃に普及していなかった世代からすると、完全に異常なので、正直積極的にリプを飛ばして関わり合いになろうとは思わない(自分のことを棚に上げてこんなことを言っているがわたしも相当別のベクトルやばいヤツなので、関わり合いにならない方がいいと思う)

わたしが若い頃は、ツイッターがなかったので、ひまだったらもっぱらブログを更新するか、様々な匿名掲示板を眺めるか、仲間内でチャットメールをするか、などしか暇つぶしツールがなかったのだけれど、完全に村社会だったので、

なぜかそんなわたしを見ておもしろそうと思ってくれた色んなお姉さんが色んなことを教えてくれて、暇つぶしの中でも生産性のある暇つぶしツールを与えてくれたというか、

ジャンルおたくの先輩として、例えばこのライブはどのアーティストのどのライブの影響を受けているから、そっちも見ていた方がいいだとか、

この作品を見て、こういう感想を持つなら、きっとこの作家のこういった本が好きだろうから、読んでみたら?だとか様々なアドバイスをもらった結果、

10年以上かけて、こんな神の視点からブログを書くような高尚おたくに育ったのである

(十代の頃から3歳から10歳以上年上の友達とばかり遊んでいたので、地方の女子高生の身分で東京の女子大の講義にこっそり潜りこんだりしているような変な女子高生だった)

はっきり言って、おたくおたくとして存在している時点で9割は凡である

だから、自分でなにかを創造することはできないと思った方がいいし、レベル上げの最も簡単な近道は先人に教えを乞うことである

テニミュに関してだってそうである

素晴らしいことなのか、残念なことなのか、若い子たちはどう捉えるかわからないが、テニミュというコンテンツが好きでファーストから通っているおたくはたくさんいる

DVDで当時の公演を振り返ることは不可能ではないが、ネルケは財布をしめていくことを決して許さないので、きっと過去の公演のDVDまで買いあさるなんてなかなかできることではない(それに残念ながら逮捕者がでている公演のDVDは発禁になっている)

ひとりそういうババアおたくと仲良くなって、そういう話を教えてもらって、自分の中にインプットして、そこに自分なりの仮説と解釈を加えるだけで、高尚おたくになれるのに、

ツイッターを眺めていると結局同世代同士でつるんでいるのが多い気がする

その点において、タレコミとかで叩かれているような痛いおたくの子たちの方が結局現場で昔からいるババアたちと顔を合わせて、情報戦で勝てないババアたちといかにうまくやっていくかという課題と直面しているので、

よっぽど要領がいいというか、低姿勢で吸収力があるなあと個人的には思う(ババア側の人間)

⚫︎なぜ生産性の低いおたく多数派だとダメなのか

ここまで読んで、どうして生産性の低いおたくだとだめなんだ、ツイッターで同世代で楽しくつるんでなにがだめなんだ、痛いワタシみたいな高尚おたくになる必要性がどこにあるんだ、と思った人が多数だと思う

なぜダメなのか、

まずひとつめは、マサラタウンの草むらには何年もいられないということ

ふたつめは、マサラタウンの草むらにいただけではポケモンプレイしたとは言えない

ので、布教ができないということである

例え話だとぴんとこないかもしれないので、それぞれについて解説していく

まず、ファンではなくおたくとして存在する以上、ただ消費するのではなく、消化(昇華)できるおたくにならないと、自分でなにがおもしろくて今コレに時間とお金を費やしているのか、わからなくなるときが絶対くる

おたくを自称するくらい、何かが好きなのだから、どうして自分はそれが好きなのか、それにはどんな魅力があるのか、その魅力は他のものと比べてどう秀でているのか、せめてこれくらいは言語化できた方がいい

というか、これをきちんと言語化できる人は、ロジックツリーなんかに頼らなくてもたいていのことは物事の本質と原因を分析できる人になるから、生きていく上でもたぶん役に立つから便利だと思う

言語化するには、その世界を知る必要がある。

何年もおたくをやっているババアは絶対たいていは厄介なので、積極的に関わり合いになれとは言わない

けれど、ロム専だとしても(もはやロム専という言葉は死語かもしれない)(黙って眺めてヲチっているという意味だと思ってください)自分でなにか発信している人は見ていた方がいい

そこには自分と異なる考えがあるので、自分の考えと比較対照することができ、自分の考えがどういったものなのか、再検討することができ、より強固なものにすることができる

なんでそんな難しく考えなきゃいけないんだろう、ただの趣味なのにと思う人もいるんだろうなあと思う

けれど、よっぽどの天才ではない限り、エンタメを作る側もいきなり完璧なものを作り出すことはできない

特に制作側の人間はおたくが少数派なので、おたくの「これがこうだったらもっと好きになれるのに」ということをことごとく外すことにおいて、才能に溢れている

自分が何かを楽しみ続けるとなったとき、舞台だったらアンケートを書くなり、アイドルだったらツイッターで運営のエゴサにひっかかるようにあーだこーだ言うなり、直接現場で制作に話しかけるなりしないと、

自分の中で、あれ?と思ったもやもやは解消されない

そういうことをしないとエンタメ側もレベルアップしないんだと思う

だいたい、大きくなりすぎたエンタメが衰退する理由として、ひとつエンタメおもしろくなっていくということに関して現状のツールでは絶対に限界がくるときがあるということ、

そして、大きくなりすぎたエンタメは、ビジネス化されすぎていて、「こうなったらいいのにな」というおたくの考えの届かないことろへいってしまっていることがあげられるんじゃないかとわたしは思っている

おもしろエンタメがあると、どうしてもそこにお金が集まってしまうので、ビジネス化されてしまうのは、仕方のないことなんだと思う

けれど、今の日本においてそれが悲惨なのはたまたま様々なエンタメジャンルが同じようなタイミングでピークを迎えてしまい、エンタメ世界が、大爆撃でもあったのかという惨状になってしまっていることだ

しかもその間におたく側も情報化社会の中で変形していって、おもしろエンタメを育てていく体力のあるおたくが少数派になってしまった

アイドルの世界は戦国時代が終わって、きっとこれからあの2009年2010年ドラマに溢れたAKBのような盛り上がりを見せてくれるアイドルはもうしばらく現れない

仕事や現実に疲れたアイドルおたくを癒すために様々なハコやショッピングモールで特典券を武器に細々と生きていくアイドルたちとおたくの世界になってしまう

モーニング娘。ミスタームーンライト愛のビッグバンド以降ハロプロの世界に帰ってしまったように、元々アイドルおたくだったひとたちのためのエンタメとしてきっとこれからは存在していく

お笑いも今、バラエテイこそあるものの、若手が芸を披露する場がほとんどない

お笑いは漫才やコントをやって、初めてお笑いとして成立する

バラエテイでの面白さなんてその場にはまれば誰でもおもしろいので、お笑い芸人である必要性などなにもない

芸人はなんでもやって当たり前なんだから、それと比べて木村佳乃がなんでもやった方

おもしろいに決まっている

お笑いジャンルは今、現場難民(芸人側の) に溢れている結果、おもしろい漫才どころではないんじゃないかという印象だ

ジャニーズも、嵐の人気はおそらく今よりでることはないだろう

そんな中で、わたしたちの青春だった若手三組がそれこそ大爆撃を受けたみたいにメンバーが半分くらいに減っている中で、じゃあその下にくる平成ジャンプが元気なのかというと、最近伊野尾がようやくその美少年さを世間に認識され始めたが(といっても伊野尾わたしと同い年なのでもう少年ではない)

まだ平成ジャンプブレイクするという実感はない

セクゾもメンバーが増えたり減ったりするので、正直ジャニヲタあがったババアはついていけない。デビューしたユニットでそんなことありえます?よくわからない

じゃあウェストはというと、今の関ジャニくらいになれたらいいねーくらいの認識でしかない、わたしの中では

ファンのひとは怒るかもしれないけれど、こう見えて一応彼らがジュニア時代に松竹や梅芸でお仕事していたときにそれなりに見ていたので、ブチギレするのは超古参のお姉さんたちだけで勘弁してほしい

関西ジャニーズの抱える問題と可能性と闇については触れ出すと話が終わらなくなるので割愛

けれど、上記ジャニーズたちが決して売れないと言っているのではなく、現状の悲惨なエンタメ界を今すぐ引っ張っていく力があるかと考えたときに今すぐは無理だという話なので本当に怒らないでください

若手俳優の世界はおそらく痛みを伴う革命でも起きない限り、もう無理である

アミューズドリフェスとかやり始めちゃった時点で、あー事務所もそう思ってんのかなーとわたしはおもったぜ

大したビジネスでもなかったのに、いろんな大人がよってたかってダメにした感がある

たぶんこれからたくさんの失業者が発生するというか、まあ引退する子たちがどんどん増えていくと思う

まあ若手俳優はあんまり稼げるお仕事ではないので、その点においては大丈夫かなあと思っているけれど、元ジャニヲタとしてはジュニアが引退したのちに逮捕される流れにはうんざりなので、ちゃんとそれぞれに生きていく道があればいいなと思う

それがエンタメの世界だったらどんなにいいことかとは思うけれど、今若手俳優の世界にはそんなに飯のタネがないので、なにも言えない

結局、若手俳優のあとに台頭してきた読モジャンルも、KPOPも若手俳優よりも早くマイナーの世界へ帰っていってしまったので、

今どこでなにが元気で盛り上がっているのか、わたしの目には見つけられない

それがおそろしくて色んなおたくにこの話をして、今なにが盛り上がっているんだろうと聞いても、みんな首をかしげる。

広告で働いている男の子にもこの話をしてみたけれど、スポーツなんじゃない?と言われてしまった。

残念ながらわたしスポーツには一切興味がない。あとオリンピックに向けてスポーツが盛り上がるというのは、長らく当たり前のことなので、それはこれまでのPermalink | 記事への反応(0) | 11:26

エンターテイメントがしぬかもしれないはなし

エンターテイメントが死ぬかもしれない話

⚫︎前提

・元々自分のfc2ブログからの転載です

・とにかく長い

・とにかく辛口

・怒らないでください

おたくも長く続けていくと色んなジャンルに友達が散らばり、色んなジャンルに対する浅い知識が増えていく。

なんとなく今どこのジャンルに活気があるのか、雰囲気でわかるようになる。それはツイッターがあるからだろうし、昔では考えられない量の情報を簡単に手にすることができるからだと思う

そんなわたしひとつの仮説としてわりと真面目に考え、色んな友人に話していることがある

それが「エンターテイメントが死ぬ話」である

自分の年齢をはっきりと明記するのがそろそろ嫌な年なので、ぼかした表現にするが、わたしゆとり世代であり、就職すればゲッという顔をされた平成生まれであり、ジャニーズで言えば八乙女世代、堀越で言っても八乙女三浦春馬世代、アミューズでいうところの三浦春馬戸谷公人水田航生あたりの世代のそろそろしっかりクソババア世代である

だから、エンターテイメントが死にかけているように感じるのは、わたしアンテナが腐って倒れそうになっているからなのかもしれないし、わたしの知らない世界で新しいエンターテイメントが誕生しているのかもしれない

けれど、わたしの目の届くところにあるエンターテイメントはみんな死にかけている

具体的にどういったことが言いたいかということをわたしが若手俳優のキチガイヲタになった2010年あたりを軸に色んなジャンルのことを考えていきたい

2010年、若手俳優の世界は非常に盛り上がっていたと思う。

テニミュファーストの最後のドリライがあった年だ。身内がDDでドリライに行っていたから知っている

その年のゴールデンウィークは、戸谷公人誕生日イベントがあり、新宿御苑サンモールではたしかDステが行われていたように思う

当時の身内に誘われて遊びに行くとサンモールにものすごい数のおたくがいた。

わたしはというとバースデーイベントチケットを両部合わせて5枚余らせていたので、その場にいた子達を誘ってみたが、Dステの千秋楽だから無理だと断られた

2010年はそんな年だ。

アミューズでいえば宝石シリーズ及び黒白シリーズが始まった年でもある。

赤坂ボーイズキャバレーに夏を費やしたおたくが何人いたことか。

特撮で言えば、丁度2009年平成ライダー10周年記念のデイケイドの放送年で、一区切りついたところで、今をときめく菅田将暉が初々しく日曜8時で戦っていた年だ。

とにかくお祭り騒ぎだった。どこの現場も非常に盛り上がり、頭のおかしおたくがたくさんいた

他のジャンルにも目を向けて行こうと思う

例えばお笑いでは10年連続で開催していたM−1が一度幕を下ろしたのも2010年のことであった。ずっと優勝できずにいた笑い飯がようやくM−1王者に輝いた年である

アイドルではAKB48の第二回総選挙が行われた年である。このあたりがわたしは国民的アイドルという視点でAKBを評価したときの最高潮に盛り上がりを迎えていた瞬間だと思っている

2010年は、エンターテイメントを時の流れで区分したときに大きな区切りとなる年であると考えている

では今度は2010年以前の10年くらいのことを考えてみたいと思う。

わたし小学校低学年の頃に一斉を風靡したSPEEDが電撃解散をして、その数年後に現れたのがモーニング娘。だった

しかし、ザ☆ピース以来、モーニング娘。は国民的アイドルというポジションを離れ、ハロープロジェクトというジャンルの中に入っていってしまった。

そしてそれ以来、AKBが大学の頃に国民的アイドルと呼ばれるようになるまで、特にアイドルらしいアイドルわたしの視界には入らなかった

むしろモーニング娘。のあとは、いわゆる巨乳グラドルが台頭してきた時代のように感じるが、残念ながらあんまりわたしグラドルに興味を持つ性別でも年頃でもなかったので、あまり記憶がない

小池栄子は気付いたら女優としてもタレントとしても非常に大成していたのでまじですごい巨乳お姉さんだと思っている)

中学校の頃(2000年代前半)は芸人の黄金時代だったように感じる(わたしは芸人のおたくをしていたことがないので実際にいつが黄金時代と定義されるのかはわからないのだけれど)

イメージとして、このあたりから盛り上がって2010年お笑いの盛り上がりのピークと捉えている

思えばわたしエンターテイメントに恵まれた世代だったと思う。

小学校のときには体育大会でモーニング娘。のザ☆ピースが流れ、組立体操をした。

高学年のときには笑う犬の冒険を熱心に見て、それがいつのまにか水10になり、中学校文化祭では先輩たちに目をつけられながらも、有志でゴリエミッキーを踊った

やんちゃな子たちはごくせんに憧れ、みんなで文化祭クラスの出し物でごくせんをやり、最後にはスマスマキムタクたちが踊り流行っていた恋のマイアヒエンディングで踊った。

週末をこえて学校に登校すれば、みんなエンタの神様の話をしていた。誰がおもしろい、誰のネタがどうだ、誰がかっこいい

ジャニーズも、いわゆる若手三組と呼ばれるNEWS、関ジャニ∞KAT-TUNが立て続けにデビューした頃で、みんな通学鞄に好きなジャニーズメンバーの名前をポスカで書いていた

(ここで一度力つきた)

エンターテイメントがしぬかもしれないはなしの続き。

前回は2000年2010年あたりのアイドルジャニーズお笑いジャンルでなにが起こっていたのかということをさらっと(わたしの十代の記憶と共に)振り返った

では現在虫の息である若手俳優の世界でなにが起こっていたのかということも一応書き記しておく

まさに2.5次元ミュージカルの王様(なぜ若手俳優の舞台はつまらなく、客席が埋まらないのかおたくが真剣に考えてみたブログ参照)であるテニミュが初めて上演されたのは2003年のことである

当時の話はパイセンたちからのお話でしか聞いたことがないけれど、はじめは客席が埋まらないのでキメ様のライブをおわりにやったりして、キメ様のおたくとかでがんばって埋めていたらしい

ちなみにみんな大好き氷帝学園、いまをときめく斎藤工が出演していた氷帝公演が行われたのは、2005年の話であるから、テニミュ(若手俳優)の世界も前述の通り、やっぱり2010年向かって右肩あがりの時代だったんだと思う

それでは今度こそ2010年以降、おたくの世界になにが起こってきたのかをふんわり考えてみようと思う

現状として、大きくふたつの問題がエンタメおたく界の中に発生している

ひとつは、村社会としてのおたく世界におけるおたく高齢化社会、ふたつめは、生産的おたくの少数化である

このふたつは繋がった大きなひとつの問題である

⚫︎「おたく高齢化社会」とは

その名の通り、おたく高齢化が進んでいるという話である

変な話だと思うかもしれない。今日本は国として、ずっと偏見を持たれて消極的に虐げられてきた「おたく」という異常な世界をひとつ国民性としてピックアップしていって、それを日本の特色としてビジネスにしようとしている

そして、おたくではない人たちがおたくの世界に土足で踏み込んできて、自分たちが興味を持った部分のみを取り上げて「これがおたくなんです!」とテレビや雑誌なんかで言っちゃってる

元々こういうサブカル推しの政策になるまでにおたくになっている人たち(わたし含め)は昔の閉鎖的なおたくの世界の中での「みんな違ってみんなとりあえずよし」というのに慣れているからあんまり気にしてないかもしれないけれど、

新規参入してきたおたくの人たちはひょっとしたら、マスコミたちが取り上げた「おたくの世界のひとつの側面」を見て、自分でなにか実体験として掴み取ることもせずにこれがおたくなんだとぼんやりと捉えているだけなんじゃないかとわたしは危惧している

おたくというのは長らく村社会である

村のコミュニティーの中に入れていようが、村八分されていようが、そこに存在する限り、とりあえず全員村民である

例外ももちろんあると思う。

例えばワンピースが好きだったとして、毎週ジャンプを買い、単行本を買い集め、アニメを視聴し、自分なりに設定についての考察を行う

これをネットなどに発表することなく、誰に見せることもなくひたすらノートに書き綴っていたら、自己完結しているので、他者から村民として認知されることはないと思う

けれど、この人が例えばホームページを立ち上げて自分なりの考察を世界に発表したら、例え誰かと交流を持たなくても、わたしは村民として世界に存在していることになると考えている

他のワンピースおたくは誰かしらそれを読むだろうし、感想をメールする人もいるかもしれないし、リンクフリーと書いてあったら、リンクページやブログにその考察サイトのURLを貼るかもしれない

かたや、HPを立ち上げたもののアクセスがなかったら、自らサーチに登録するかもしれない

こうして、村の中へと入っていくのである

村の中には色んな人がいる。

一流企業で働いているエリートもいれば、ニートに近いフリーターもいるし、学生もいれば、子持ち主婦もいる

けれど、暗黙の村の掟というものがおそらくどのジャンルおたくの世界にも存在して、もちろん可視化されたものではないので、最初はわからないのだけれど、どの村にも、RPGゲームで話しかけてくる村民みたいなやつがいて、

これはこうすればいいんだよ、これがどうなんだよ、とふんわりと村の掟を教えてくれていた

物事というものは、完全にゼロから創造されることはない

そこになにかが存在して、そして、基礎とされるルールが存在して、初めてそこからなにかが生み出される

ことにおたくという生き物は、おたくという側面においてイチからなにかを創造する生き物ではないと考える

何かが存在して、それになにかアレンジを加えて、別のなにかに変化させるのがおたくだと思う

なにが言いたいかというと、アイドルがいて、おたくがいる

漫画があって、おたくが読む、舞台が上演されて、おたくが観る

おたくというのは、創造されたなにかを完成させる上で不可欠な存在ではあるが、まずはじめは受け手

受け手として、その世界に存在するにあたって、どんな世界にもルールがある

けれど、情報化社会の中で、おたく世界の中の村という概念が何年も前から崩れている

これは、若い子に限ったことではない。

マスコミが取り上げたおたくの世界を見て、おもしろそう!と新規参入してきた年配おたくも同様である

そうすると、どういうことが起こるのかというと、新規参入おたくたちはSNSなどのツールばっかりは立派に持っているのだけれど、RPGゲームで話しかけてくれるおたくがいないものだから、

レベル上げの方法を知らずにずっとマサラタウンの横の草むらでコラッタキャタピーや同じようにそこに留まって地図を持たないおたく同士で、これがおたくなんだー!たのしー!となっている(もちろん例外もいる)(自ら見つけていけるんだから、わたしと違ってまじ天才的だと思っている)

村民おたくマサラタウンおたくとのおたくの分離化が進む中で、旧型のおたく高齢化が止まらない

⚫︎「生産的おたくの少数化」とは

どのジャンルにもいると思うのだけれど、ツイッターに常駐していて、キチガイを名乗っている若い自称おたくの子たちがわりと一定数いる

これは本当にかわいそうだ。

なぜならなんの生産性もないツイッターに常駐して時間を無駄に浪費しているということはおたくでもキチガイでもなんでもなくて、生産性の低いただのかまってちゃんだからだ

けれど、それでも時間が潰せるものだから、若い子たちはきっと常駐してしまうんだと思う

ツイッターがリアの頃に普及していなかった世代からすると、完全に異常なので、正直積極的にリプを飛ばして関わり合いになろうとは思わない(自分のことを棚に上げてこんなことを言っているがわたしも相当別のベクトルやばいヤツなので、関わり合いにならない方がいいと思う)

わたしが若い頃は、ツイッターがなかったので、ひまだったらもっぱらブログを更新するか、様々な匿名掲示板を眺めるか、仲間内でチャットメールをするか、などしか暇つぶしツールがなかったのだけれど、完全に村社会だったので、

なぜかそんなわたしを見ておもしろそうと思ってくれた色んなお姉さんが色んなことを教えてくれて、暇つぶしの中でも生産性のある暇つぶしツールを与えてくれたというか、

ジャンルおたくの先輩として、例えばこのライブはどのアーティストのどのライブの影響を受けているから、そっちも見ていた方がいいだとか、

この作品を見て、こういう感想を持つなら、きっとこの作家のこういった本が好きだろうから、読んでみたら?だとか様々なアドバイスをもらった結果、

10年以上かけて、こんな神の視点からブログを書くような高尚おたくに育ったのである

(十代の頃から3歳から10歳以上年上の友達とばかり遊んでいたので、地方の女子高生の身分で東京の女子大の講義にこっそり潜りこんだりしているような変な女子高生だった)

はっきり言って、おたくおたくとして存在している時点で9割は凡である

だから、自分でなにかを創造することはできないと思った方がいいし、レベル上げの最も簡単な近道は先人に教えを乞うことである

テニミュに関してだってそうである

素晴らしいことなのか、残念なことなのか、若い子たちはどう捉えるかわからないが、テニミュというコンテンツが好きでファーストから通っているおたくはたくさんいる

DVDで当時の公演を振り返ることは不可能ではないが、ネルケは財布をしめていくことを決して許さないので、きっと過去の公演のDVDまで買いあさるなんてなかなかできることではない(それに残念ながら逮捕者がでている公演のDVDは発禁になっている)

ひとりそういうババアおたくと仲良くなって、そういう話を教えてもらって、自分の中にインプットして、そこに自分なりの仮説と解釈を加えるだけで、高尚おたくになれるのに、

ツイッターを眺めていると結局同世代同士でつるんでいるのが多い気がする

その点において、タレコミとかで叩かれているような痛いおたくの子たちの方が結局現場で昔からいるババアたちと顔を合わせて、情報戦で勝てないババアたちといかにうまくやっていくかという課題と直面しているので、

よっぽど要領がいいというか、低姿勢で吸収力があるなあと個人的には思う(ババア側の人間)

⚫︎なぜ生産性の低いおたく多数派だとダメなのか

ここまで読んで、どうして生産性の低いおたくだとだめなんだ、ツイッターで同世代で楽しくつるんでなにがだめなんだ、痛いワタシみたいな高尚おたくになる必要性がどこにあるんだ、と思った人が多数だと思う

なぜダメなのか、

まずひとつめは、マサラタウンの草むらには何年もいられないということ

ふたつめは、マサラタウンの草むらにいただけではポケモンプレイしたとは言えない

ので、布教ができないということである

例え話だとぴんとこないかもしれないので、それぞれについて解説していく

まず、ファンではなくおたくとして存在する以上、ただ消費するのではなく、消化(昇華)できるおたくにならないと、自分でなにがおもしろくて今コレに時間とお金を費やしているのか、わからなくなるときが絶対くる

おたくを自称するくらい、何かが好きなのだから、どうして自分はそれが好きなのか、それにはどんな魅力があるのか、その魅力は他のものと比べてどう秀でているのか、せめてこれくらいは言語化できた方がいい

というか、これをきちんと言語化できる人は、ロジックツリーなんかに頼らなくてもたいていのことは物事の本質と原因を分析できる人になるから、生きていく上でもたぶん役に立つから便利だと思う

言語化するには、その世界を知る必要がある。

何年もおたくをやっているババアは絶対たいていは厄介なので、積極的に関わり合いになれとは言わない

けれど、ロム専だとしても(もはやロム専という言葉は死語かもしれない)(黙って眺めてヲチっているという意味だと思ってください)自分でなにか発信している人は見ていた方がいい

そこには自分と異なる考えがあるので、自分の考えと比較対照することができ、自分の考えがどういったものなのか、再検討することができ、より強固なものにすることができる

なんでそんな難しく考えなきゃいけないんだろう、ただの趣味なのにと思う人もいるんだろうなあと思う

けれど、よっぽどの天才ではない限り、エンタメを作る側もいきなり完璧なものを作り出すことはできない

特に制作側の人間はおたくが少数派なので、おたくの「これがこうだったらもっと好きになれるのに」ということをことごとく外すことにおいて、才能に溢れている

自分が何かを楽しみ続けるとなったとき、舞台だったらアンケートを書くなり、アイドルだったらツイッターで運営のエゴサにひっかかるようにあーだこーだ言うなり、直接現場で制作に話しかけるなりしないと、

自分の中で、あれ?と思ったもやもやは解消されない

そういうことをしないとエンタメ側もレベルアップしないんだと思う

だいたい、大きくなりすぎたエンタメが衰退する理由として、ひとつエンタメおもしろくなっていくということに関して現状のツールでは絶対に限界がくるときがあるということ、

そして、大きくなりすぎたエンタメは、ビジネス化されすぎていて、「こうなったらいいのにな」というおたくの考えの届かないことろへいってしまっていることがあげられるんじゃないかとわたしは思っている

おもしろエンタメがあると、どうしてもそこにお金が集まってしまうので、ビジネス化されてしまうのは、仕方のないことなんだと思う

けれど、今の日本においてそれが悲惨なのはたまたま様々なエンタメジャンルが同じようなタイミングでピークを迎えてしまい、エンタメ世界が、大爆撃でもあったのかという惨状になってしまっていることだ

しかもその間におたく側も情報化社会の中で変形していって、おもしろエンタメを育てていく体力のあるおたくが少数派になってしまった

アイドルの世界は戦国時代が終わって、きっとこれからあの2009年2010年ドラマに溢れたAKBのような盛り上がりを見せてくれるアイドルはもうしばらく現れない

仕事や現実に疲れたアイドルおたくを癒すために様々なハコやショッピングモールで特典券を武器に細々と生きていくアイドルたちとおたくの世界になってしまう

モーニング娘。ミスタームーンライト愛のビッグバンド以降ハロプロの世界に帰ってしまったように、元々アイドルおたくだったひとたちのためのエンタメとしてきっとこれからは存在していく

お笑いも今、バラエテイこそあるものの、若手が芸を披露する場がほとんどない

お笑いは漫才やコントをやって、初めてお笑いとして成立する

バラエテイでの面白さなんてその場にはまれば誰でもおもしろいので、お笑い芸人である必要性などなにもない

芸人はなんでもやって当たり前なんだから、それと比べて木村佳乃がなんでもやった方

おもしろいに決まっている

お笑いジャンルは今、現場難民(芸人側の) に溢れている結果、おもしろい漫才どころではないんじゃないかという印象だ

ジャニーズも、嵐の人気はおそらく今よりでることはないだろう

そんな中で、わたしたちの青春だった若手三組がそれこそ大爆撃を受けたみたいにメンバーが半分くらいに減っている中で、じゃあその下にくる平成ジャンプが元気なのかというと、最近伊野尾がようやくその美少年さを世間に認識され始めたが(といっても伊野尾わたしと同い年なのでもう少年ではない)

まだ平成ジャンプブレイクするという実感はない

セクゾもメンバーが増えたり減ったりするので、正直ジャニヲタあがったババアはついていけない。デビューしたユニットでそんなことありえます?よくわからない

じゃあウェストはというと、今の関ジャニくらいになれたらいいねーくらいの認識でしかない、わたしの中では

ファンのひとは怒るかもしれないけれど、こう見えて一応彼らがジュニア時代に松竹や梅芸でお仕事していたときにそれなりに見ていたので、ブチギレするのは超古参のお姉さんたちだけで勘弁してほしい

関西ジャニーズの抱える問題と可能性と闇については触れ出すと話が終わらなくなるので割愛

けれど、上記ジャニーズたちが決して売れないと言っているのではなく、現状の悲惨なエンタメ界を今すぐ引っ張っていく力があるかと考えたときに今すぐは無理だという話なので本当に怒らないでください

若手俳優の世界はおそらく痛みを伴う革命でも起きない限り、もう無理である

アミューズドリフェスとかやり始めちゃった時点で、あー事務所もそう思ってんのかなーとわたしはおもったぜ

大したビジネスでもなかったのに、いろんな大人がよってたかってダメにした感がある

たぶんこれからたくさんの失業者が発生するというか、まあ引退する子たちがどんどん増えていくと思う

まあ若手俳優はあんまり稼げるお仕事ではないので、その点においては大丈夫かなあと思っているけれど、元ジャニヲタとしてはジュニアが引退したのちに逮捕される流れにはうんざりなので、ちゃんとそれぞれに生きていく道があればいいなと思う

それがエンタメの世界だったらどんなにいいことかとは思うけれど、今若手俳優の世界にはそんなに飯のタネがないので、なにも言えない

結局、若手俳優のあとに台頭してきた読モジャンルも、KPOPも若手俳優よりも早くマイナーの世界へ帰っていってしまったので、

今どこでなにが元気で盛り上がっているのか、わたしの目には見つけられない

それがおそろしくて色んなおたくにこの話をして、今なにが盛り上がっているんだろうと聞いても、みんな首をかしげる。

広告で働いている男の子にもこの話をしてみたけれど、スポーツなんじゃない?と言われてしまった。

残念ながらわたしスポーツには一切興味がない。あとオリンピックに向けてスポーツが盛り上がるというのは、長らく当たり前のことなので、それはこれまでのPermalink | 記事への反応(1) | 11:25

2016-05-25

無駄正義感蔓延ホモネタ

私はセクシャルマイノリティを自認する高校生である今日は、ただただ途方もなく疲れてしまったので増田愚痴をこぼさせてほしい。たいしたことではないので、余計に申し訳ないのだが。

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私にはスルースキルというものがない。

そもそもの愚痴を吐くきっかけであり、そして、最大の悩みの種である。本当に、スルーが出来ない。

自身セクシャリティを強く意識しているのもあってか、ネット上の些細なネタもやもやとしてしまう。淫夢と呼ばれる同性愛を扱ったアダルトビデオへのいじり、腐女子に限らないネットユーザーのズレた発言増田におけるホモオチ……。

考えだしたらキリがない。

こんなの差別じゃないかといいたくなるものは無数にあり、一方その度に感情を乱されても仕方ないともわかっている。そう。わかっている、が、必ずどこかもやっとしてしまうのだ。

それらが当たり前に受け入れられ、笑いとして溶けていく瞬間。周りに一切首を傾げる者がいないなか、一人異を唱えようとする己の気持ち。そのような無駄しかいえない流れを何度も繰り返す自分こそが嫌になってくるのである

最近でも、Togetterで「島風くんとホモセした人の体験レポートがヤバ笑える」や「ビガロパイセン処女喪失レポ」 http://togetter.com/li/978098 などが話題に上がっていたが笑えなかったしいい話だとも思えなかった。

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話は変わるが、私はTwitterを利用している。

主にセクシャリティ関連を発言するユーザーフォローし、自分もぼちぼち呟いている。といっても、フォロワー雀の涙ほどもない弱小ユーザー。何をいってもなあと呟き頻度は低めだ。

私は、そのTwitter上でもやもや正義感に置き換えている。

わざわざ差別用語検索して叩くなどはしていないが、たまにタイムラインで目に入ったりすれば正義感まるだしに意見などをするのだ。

しかし今書いている愚痴もそれの成れの果てであり、またなんの為かさえもわかっていない。

先日、Twitterであるbotを見つけた。

名前は「RTしてホモにしようbothttps://twitter.com/rt_homo_bot

固定ツイートの「チノちゃん! 上の人はホモから気をつけてね!」に始まり、「RTして上下左右の人をホモにしよう!」「RTして上の人をゴリホーモにしよう」など様々なツイートをしている。また、ホモ以外の言葉ツイートしているものもあるが、ホモよりリツイート数は少ない。

スルースキルのない私は、これを見てもう我慢が出来なかった。なにより、フォロワーが2000人も超えていることが理解できなかった。明らかに差別意識丸出しだと憤慨した私は、bot管理者宛にDMを送った。

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以下は、私と管理者のやり取りである

私「こんばんは。夜分遅くに突然のメッセージ失礼致します。

こちらのbotは、画像を加工し、キャラクターのふきだしなどに「この人ホモです」などのセリフをいわせていますが、これは明らかに差別的意図があってそうされているのですか?

また、ホモ差別用語ですがその点も意識されていますか?」

管理者あなたの考えを一般的に"飛躍"と言います差別目的とする場合差別目的であることが明確である内容が当然発生すると思いますが、画像定型文以外全くないはずです。差別に敏感なのであればより同性愛の方に差別的発言をされている方を対象にすべきです。

差別あなたのような無駄に敏感な方が発信源となるケースが多いのでよく理解しておいてください」

私「お返事ありがとうございます

私の考えが飛躍とされていますが、その画像定型文こそにホモフォビアが紛れていると私は判断したのです。

ホモ差別用語としての歴史があり、現在侮蔑的意味使用されることが多い言葉です。もし管理者様がホモという言葉差別意図がないとするなら、では何故わざわざ使用されたのでしょうか?

ホモでなくとも、これがハゲでもデブでもあっても、キャラクターが上を指差している様子は揶揄しているように見えます

そして、ホモにしようという文面がツイッター上で同性愛者の目に入った時、差別だと感じる可能性がないと断言出来ますでしょうか。

そもそも、同性愛者となることは他者によってさせられるものではありません。このbotリツイートする方は異性愛者だろうと考えられますが、それは異性愛者が同性愛者をネタにし、無意識差別していることとほぼ変わりません。

その上で、管理者様が「ホモにしよう」という言葉選択したその理由をお教え頂きたいです。

忠告ありがとうございます。また、DMのお返事に貴重なお時間を割いて頂きありがとうございます

メッセージの内容について言及するつもりはない。尚、最後メッセージ今日送ったものだ。

追記 管理者からの返信

「そこまで強くこだわりをお持ちになられるのであればこの小規模なbot程度へのアピールではなくもっと大きなものへのアピールをされてはいかがですか?

あなたのその考えは誰にも届きません

拡大解釈をされる方のようなのでこちらも同様にさせていただきますと、今の世の中どんな言葉をとっても差別ハラスメントになります。ならあなたも同様に誰かの目に入ってそういった印象を持たれてはいけないでしょうから文字を発信すべきではないですね

そもそも差別というのは差別になるであろう対象の人ではなくあなたのような無関係なのに敏感になって勝手に大暴れする人が規模を広め無関係な人がバカにするキッカケを作るケースが多いと思われます

もう1つあなたの考えをそのまま使わせていただくと、↑を使って異性愛者にしようといった内容にすれば異性愛者をネタにして笑いものにしよう差別しようという風に捉えられますでしょうか

あなたツイート差別差別と発信しておられるようですが

差別をそこまで気にしない側の意見を率直に申し上げさせていただきますと、あなたのような人が一番差別対象となる方にダメージを与えています

理由は上記に加え、頭のおかしい人がいるとあなたのような人にスポットライトが当たるからです。普通に過ごしていればいいんじゃないですか?

ホモという言葉ネタとして使われるようになったキッカケとして代表的なのは真夏の夜の淫夢」でしょう。しかし同じような「ガチムチパンツレスリングシリーズ出演者日本人作品ネタにしていることに感謝さえしています

その2つを並べた時にどのような印象をお持ちになられますかね。

誰がホモ差別の要因になってるんですかね。

わざわざ自分ホモターゲットにして差別しようと思うならこんなふざけた手段とると思いますか?ホモ以外のパターンを含めると思いますか?

あなた視野が狭すぎます。その堅すぎる頭を1度ミキサーで粉末にしてゼラチンと混ぜてもう1度固形にしたらどうですか。

そもそもですが、異性愛者が同性愛者、自分は興味など全くないのにそういった対象で見てるかもしれない人と一緒にいるのは簡単なことではないでしょう。あなたも嫌いな人から好き好きって言われたら気持ち悪いでしょう。

住み分けをすることが重要なのであって受け入れろという押しつけは返って居場所を奪うだけです。

あなたのような人は水と油がきれいに分離してる中乳化剤を混ぜようとするそんな人です。

頭のお花畑に水やりするの忘れずに。

花が咲いてもいらないので持ってこないでくださいね。」

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色々と疲れた

一時はDMの内容をTwitterで公開しようと考えた。しかし私のフォロワーは関心を示さないだろうし、セクシャリティ言論立場に立っておられる方々もこんな小さなことには興味はないはずだとして止めた。

インターネットにはそれこそ無数にホモネタがあるが、私のように無駄正義感を発揮してもおそらくなんの意味もない。自分のやっていることの無意味さにただ虚しくなっただけ。もう放置して、勉強に集中しようかと思う。

ホモネタって面白いかな。後輩が淫夢楽しいっていうんだ、全然差別じゃないって。

私が間違っているのかな。

追記

トラバ並びにコメントありがとうございます

増田を書いたことで、気づかないようにしていた自分の未熟さを強く感じさせられました。

さなことを一つ一つ意識し、そのうえ力も知識も不足している今では意味がありませんよね。固執するのではなく、物事を広く見れるよう勉強に今は集中することにします。いい諦めになりました、ご指摘くださった皆様ありがとうございました。

2016-05-13

ベッキー、おもしれーわ

真面目を装いつつぶっ飛んでて最高だったぜ!

でも、なんで金スマなんだよぉぉぉ

復活するなら、テロップとかで愛のあるいじりしてくれてたパイセンTVだろ

そういうとこ、しっかりしないと

2016-03-27

[]

今日鴨川シーワールドに行きましたわ。

そこにはマサバ先輩がいらっしゃいましたわ。

チース、マサバパイセン。こんなところでバイトっスか?、ですわ。

昔話にお花が咲いてあわや真鯖お嬢鯖部ができるところでしたわ。

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