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はてなキーワード: バブル期とは

2021-01-07

ビットコインめちゃ高騰してるの知ってる?

今日で1BTC=400万円到達。

今はその前後をうろうろしてる。

2017年の狂乱のビットコインバブルが終わって価格暴落し、

BTCを買ってなかった人がみんな「ざまぁwwwwwww」状態だったけど

そこから3年の時を経て価格バブル期超え。

一年前に買ってれば価格は8倍ぐらい。

俺は2017年暴落して延々塩漬けにして笑い話にしてたが、

この高騰で200万儲かった。

もう少しあがったら一部売却して株式購入だな。

「金が金を生む」資本主義はそりゃ金持ちけが勝つわけだよ。

anond:20210107145247

地方というか業種によるだろ

クソがつくほどの地方田舎都市だが、父親会社バブル期にめちゃくちゃ儲けて、その後一生困らんくらいの財産残してる。

なお、相続税

2021-01-03

anond:20210103114233

苗場とかのバブル期の別荘マンションとか数万で買えるぜ

誰も買い手がいないか管理費修繕費固定資産税負債になってる

住むんならいいんじゃね

2020-12-27

太郎はなぜハードマッチョだったか

太郎のなにが好きなの?やれやれだぜって言ってるだけじゃん

かつての少年漫画とい映画ハードな男が主役だった。

シュワルツェネッガースタローンバチバチ文句を言い合いながら筋肉映画に出演し、漫画といえば北斗神拳で敵が内臓破裂していた。遡ればチャールズ・ブロンソンが漢の代表として映画に出演し、梶原一騎が『愛と誠』や『あしたのジョー』、雁屋哲が『男組』の原作を務めるなど、男という存在創作においてもクールハードな像が求められてた。

中には北斗世代において『ウィングマン』『バスタード!』のようなH系のナンパ作品もあったものの、それらはメジャー作品とは言い難く、一部のファンが支えるものだった。実際その二つの作品は絵がアニメ風というだけでも当時の漫画作品の中では特異だったと思う。

ジョジョの承太郎は作者の荒木の初期作品にも見られるハードな男像を全面に押し出しもので、荒木自身ブロンソンジョン・ウェインに対する懐古主義を持っていた。それと北斗世代合致した最後の漢の時代と言ってもいい。やがてこの旧態依然とした男像はバブル期には時代にそぐわなくなってくる。

これゆえ後の荒木作品筋肉質でハードな男像より、頭脳が焼け切れるまでフル回転させてヒリヒリした状況を生き抜く情報社会マッチョへと変質してゆく。荒木マッチョイズムである理由は対談にも現れる。故・宅八郎との対談で弱い内面を発露したエヴァンゲリオン主人公シンジ全面的否定している。

anond:20201227214208

2020-12-21

anond:20201221123248

日本人基本的ケチだけど、ハレの日にはパーっと使う傾向があるからイベントをやって金を使う大義名分を用意してやるといい

GoToイベントだって、金持ってるけど旅行は一通り行ったっていう年配者が、お国のために旅行するんだって大義名分ができた

クリスマスも、カップルがディナー食ってシティホテルに泊まるなんてバブル期日本で始まった風習だけど、中国韓国台湾といったアジア諸国には広まってしまった

1月正月で金を使う、2月バレンタインで金を使う、3月ひな祭りで金を使う、4月花見で金を使う、5月ゴールデンウィークで金を使う、6月ジューンブライドで金を使う、7月七夕で金を使う、8月夏休みで金を使う、9月月見で金を使う、10月ハロウィンで金を使う、11月七五三で金を使う、12月クリスマスで金を使う

相手がいないか蚊帳の外って言ってるやつは金の使い方が足りない

使う金がなければ、働いて金を稼ごう

2020-12-19

日本半導体産業年代記

以前にこんな日記を投下した半導体業界人増田です。

https://anond.hatelabo.jp/20200813115920

https://anond.hatelabo.jp/20200813164528

久々に日記を書きたくなったので、今回は方向性を変えて年代記風の記事を投下してみます

私自身は業界の全盛期である80年代~90年代前半を経験しておらず、当時の状況を記述するのに十分な知識がないため、その時代については省いています

ということで、私がこの業界に入ることになる少し前の90年代半ばから物語を開始します。

工場呼び名企業の再編によって変わる事が多々あるので、原則立地で表記している。

1990年代半ばごろ 時代の転換点

80年代後半に栄華を極めた日本半導体産業であったが、日米貿易摩擦の影響で一時に比べて勢いを失っていた。

また、韓国企業の台頭により得意分野のDRAMの雲行きが怪しくなり始めたのもこの時期である

(余談だが、日本半導体衰退の原因としてよく話題に上がる韓国での週末技術者バイトさらに昔の話である。このころにはすでに強力な競合に育っていた。)

とはいえ世界的にみると日本の電機メーカー資金力・技術力ともに上位であり、一時的不況を乗り越えさえすれば再び繁栄が訪れると誰もが信じていた。

そんな時代背景の元、日本企業貿易摩擦に対抗しつつ、さらなる勢力拡大を図るため、自動車産業成功例に倣い世界各地で現地生産を進めることで変化に対応しようとしていた。

北米進出歴史
企業進出設立
NECカリフォルニア州ローズビル1981
富士通オレゴン州グラシャム1988
三菱ノースカロライナ州ダーラム1989
日立テキサス州アービング1990
松下ワシントン州ピュアラップ(National Semiconductorより買収)1991
東芝ヴァージニア州マナサス(IBMとの合弁でドミニオンセミコンダクタ設立) 1996
欧州進出歴史
企業進出設立
NECリビングストン1982
日立独 ランツフルト1990
三菱アーヘン1990
富士通ダーラム1991
アジア進出歴史
企業進出設立
NEC中国首鋼集団と合弁工場設立1991
三菱台湾力晶半導体(Power Chip)と提携DRAM技術供与1994
東芝台湾華邦電子(Winbond)と提携DRAM技術供与1995
沖電気台湾南亜科技(NANYA)と提携DRAM技術供与1995
日立新日本製鉄及びシンガポール開発庁と共同出資シンガポール工場建設1996

1998 ~ 2002 終わりの始まり

Windows95ブーム終焉による半導体のだふつき、アジア通貨危機後の韓国メーカーのなりふり構わぬ安値攻勢、ITバブル崩壊による半導体需要の激減と、短期間で何度も悪化する半導体市況。

次第に半導体産業は将来性を危ぶまれるようになり、成長分野から社内の『お荷物』とみなされるようになっていった。

かつて半導体事業の中核だったDRAMは、優位性を失い韓国企業覇権を譲り渡してしまった。

資金面でも徐々に脱落するメーカーが現れ始める。はじめについていけなくなったのは、バブル期事業多角化を進めて半導体新規参入した鉄鋼メーカーだった。

続いて総合電機各社も規模縮小に向かう。世界中に作った半導体工場投資の回収ができないまま次々と閉鎖されていった...

工場の現地化の試みは失敗に終わり、10年程度という短い期間での工場立ち上げ・閉鎖はマンパワー資金の浪費に終わった。

こうして各社は体力を削られ、余力を失っていくのだった。

1998

新日本製鉄館山半導体工場台湾UMCに売却

三菱北米拠点ダーラム工場を閉鎖

日立北米拠点アービング工場を閉鎖

松下北米拠点ピュアラップ工場を閉鎖

富士通欧州拠点ダーラム工場を閉鎖

1999

新日本製鉄シンガポール半導体工場株式日立に全額譲渡

NKK綾瀬半導体工場キヤノンに売却

富士通DRAM撤退

NEC日立DRAM事業統合を決定。エルピーダメモリ設立

2000

神戸製鋼、米TIと合弁の西脇半導体工場を米Micronに売却

日立台湾UMCと合同で初の300mmェハ(従来の主力の直径200mmのウェハから2.25倍の面積になり、ざっくりいえば同じ工程数で2倍程度のChipが取れてコストを削減可能現在に至るまで主流のウェハサイズ。)を使用する工場トレセンティテクノロジを常陸那珂設立

2001

東芝DRAM撤退北米拠点ドミニオンセミコンダクタを米Micronに売却。

ソニー熊本に300mmのイメージセンサー工場建設

2002

NEC欧州拠点リビングストン工場を閉鎖

富士通北米拠点グレシャム工場を閉鎖

NEC、非メモリー半導体事業分社化NECエレクトロニクスを設立

2003 ~ 2007 反転攻勢

繰り返す半導体市況の激しい変動も落ち着きを取り戻し、待ち望んだ好景気がやってきた。

90年代後半から不況で体力を消耗した日本企業だが、いまだ技術力は健在。

からブームとなっていた『選択と集中』を合言葉に、各社の得意分野に集中投資だ!

パソコンではアメリカ企業に後れを取ってシェアを失ったが、液晶プラズマをはじめとするテレビDVDレコーダーデジカメ等、日本お家芸である家電デジタル化が進展する今こそ最大のチャンス!

さらに、世界中で規格が共通化された第三世携帯電話が普及すれば、圧倒的な先進性を誇る日本携帯電話が天下を取れるのだ!半導体復活の時はついに来た!!!

製造業国内回帰の波に乗り、生産性に優れる300mmウェハの工場をどんどん建てて再起をねらうのだ!

2003

日立三菱ロジック半導体事業統合世界三位半導体メーカールネサステクノロジ誕生

富士通、米AMDNORFlashメモリ事業統合Spansion設立

エルピーダ三菱電機からDRAM事業譲渡日本の残存DRAM事業が集約。新社長を外部招聘し、反転攻勢開始

東芝四日市に300mm対応NANDFlash工場四日市第3工場建設開始

東芝大分に300mm対応の先端ロジック工場建設開始

NECエレ、鶴岡に300mm対応の先端ロジック工場建設開始

ソニー長崎に300mm対応の先端ロジック工場建設開始

2004

ルネサス三菱時代から欧州拠点アーヘン工場を閉鎖

エルピーダ東広島に300mm対応DRAM工場建設開始

東芝大分の300mm工場が稼働

NECエレ、鶴岡の300mm工場が稼働

富士通桑名に300mmの先端ロジック工場建設開始

Spansion会津若松に300mm対応NORFlash工場建設を発表

松下魚津に300mmの先端ロジック工場建設開始

ローム浜松に300mm工場建設

2005

エルピーダ東広島の300mm場が稼働

東芝四日市第3工場稼働

ルネサスUMCからトレセンティテクノロジの持ち株を買収。完全子会社

ソニー長崎の300mm工場が稼働

富士通桑名の300mm工場が稼働

松下魚津の300mm工場が稼働

2006

東芝四日市に300mm対応NANDFlash第4工場建設開始

富士通桑名に300mm新棟を建設開始

エルピーダ台湾力晶半導体と共同で台中DRAM工場建設

2007

Spansion会津若松の300mm工場が稼働

東芝四日市の300mm第4工場が稼働

富士通桑名の300m工場新棟が稼働

2008 ~ 2015 暗黒時代

2000年代日本企業の反転攻勢は、リーマンショックで終わってしまった。

日本の電機業界が成功を夢見たデジタル家電韓国勢との競争に敗れ、携帯電話でも海外展開に失敗した。

90年代から繰り返し計上してきた赤字と、2000年代の大規模投資を経た今、半導体工場への投資継続する資金的余力はもはや残っていなかった。

不採算部門とみなされるようになった半導体事業設備投資が止まり建設されてからわずか数年で時代遅れとなってしまった。

これ以降は、東芝NANDFlashメモリや、ソニーイメージセンサーといった競争力を維持している分野、また旧エルピーダDRAM工場といった外資資金を得た分野のみが投資継続されることになる。

2008

ルネサス日立時代から欧州拠点、ランツフルト工場をLファウンドリーに売却

日立シンガポール工場シンガポールチャーターセミコンダクタに売却

ソニー長崎の300mm工場東芝に売却

ローム沖電気半導体事業を買収

2009

Spansion倒産

2010

ルネサスNECエレが合併世界第三位半導体メーカールネサスエレクトロニクス発足。フィンランドノキアからモデム部門を買収。

東芝四日市に300mmのNAND製造第5工場建設開始

米TI、Spansion会津若松の300mm工場買収

2011

ルネサスエレ、NEC時代から北米拠点ローズビル工場を独テレフンケンに売却

ルネサスエレ、1400人リストラ

東芝四日市の300mmの第5工場が稼働

ソニー長崎の300mm工場東芝から買戻し

オン・セミコンダクター三洋電機半導体事業を買収

2012

エルピーダメモリ倒産。米Micronが買収

ルネサスエレ、7500人リストラ

富士通岩手の200mm工場デンソーに売却

2013

東芝四日市の300mm第5工場2期工事開始

ルネサスエレ、ノキアから買収したモデム事業から撤退さらに2300人リストラ。またNEC時代中国の合弁を解消し撤退

富士通マイコンアナログ事業を再建したSpansionに売却

2014

東芝四日市の300mm第5工場2期分稼働。200mmの第2工場を300mmに建て替え

ルネサスエレ、年2回のリストラで約1000人削減

Panasonic半導体工場をまとめてイスラエルTower Jazzに売却

ソニールネサスエレから鶴岡の300mm工場を買収

富士通桑名の300mm工場台湾UMC出資受け入れ

2015

ソニー東芝から大分の300mm工場を買収

ルネサスエレ、1800人リストラ

富士通PanasonicSoC設計部門統合、ソシオネクスト設立

2016 ~ 再編ひと段落?そして現在へと続く道

この時期に至ってようやく主要半導体メーカー工場再編が一通り完了し、現在につながる枠組みがほぼ出来上がった。

リーマンショック後の大規模再編で日本企業世界地位はかつてないまでに低下し、国内工場においても外資系の傘下に入るところが増えた。

現在半導体の先端工場継続投資できる日本企業は、イメージセンサーに強いソニー東芝メモリ事業を引き継いだキオクシアだけである

はたして日本半導体産業は今後どうなるのだろうか?再び世界に飛躍する日はやってくるのだろうか?

2016

東芝四日市の第2工場建て替え完了大分岩手の200mm工場分社化ジャパンセミコンダクターを設立

2017

東芝本体粉飾決算あおりを受けてメモリ事業分社化東芝メモリ設立四日市に300mmの第6工場建設開始。さら北上市に300mm新工場建設

ルネサスエレ、米intersilを買収

2018

東芝メモリ四日市の第6工場が稼働。多国籍連合ファンドパンゲアから出資を受ける。

富士通桑名の300mm工場台湾UMCに売却。また、会津若松の200mm工場も米オン・セミコンダクターに売却。

2019

東芝メモリ、キオクシアに社名変更北上工場稼働

Panasonic、残ったマイコン等の事業台湾Nuvotonに売却して半導体から撤退

ソニー長崎に300mm新工場建設開始

Micronエルピーダから買収した広島工場拡張

ルネサスエレ、米IDTを買収

2020

キオクシア、北上に300mm第2工場建設開始

東芝本体SoC部門撤退で770人リストラ

2021

キオクシア、四日市に300mm第7工場建設開始予定

2020-12-16

意識高い系の究極形態のオジサン

立場の弱い若手相手にさんざんキレちらかして

「俺がお前だったら辞表を出している」とか言って

若手を何人も病院送りにしたあげく

有力者子弟新入社員へのパワハラ労組含めて大問題になって

社長が「こんな人間管理職にした会社責任があると認識している」と団体交渉の場で発言するレベルになり、その発言労組が書いて社内で配布しても

まったく辞めないし悪びれないおじさん

しかもここにいたるまでも行政事件になるような不祥事を何度も起こしてるし、オマケベンチャー時代に人事だったの悪用して女子高生ホテルに連れ込んだり未成年淫交と誘拐逮捕歴まであるのだが、それでも辞めない

ツラの皮が戦車の装甲並みに厚いと思ったが、単なる凄まじい世間知らずの意識高い系スーパーバカ老害

たまたまバブル期あたりのいい時期にIT業界就職してて会社の金で有り余るほどの経験知識を積む機会があって教育投資されてるので、技術だけはあるという、意識高い系の究極形態のようだった

増田技術さえあれば上と喧嘩できるとか金も女も好き放題できるというが

こんなのにまでなりたいのかと思う

2020-12-03

anond:20201202225911 「趣味同人誌赤字であるべき」という人間オールドタイプなんだよな。

趣味赤字であるべきというひとって、オールドタイプなんだよな。

それ古い。

一体いつの時代の話をしてるんだろうか。

今の時代趣味が高じて金儲けにつながるケースは枚挙にいとまがない。

youtuber同人作家イラスト描き、なろう作家、日曜漫画家動画作成ゲームクリエイター趣味が高じて金儲けをやることが何らおかしくない時代突入している。

二次創作だってそうである趣味はカネを使うことが当然、赤字であるべきという考えは「道楽」であり、今の時代、そんな巨額の道楽をできる趣味人がどれだけいるんだろうか?

そんな、「年間100万円カメラに使いました」とか、そういう趣味ができる人間はなかなかいない。

から赤字を少しでも圧縮する方向に進んだし、時代は「金もうけできる趣味」が増えている。

時代の変化に全く無頓着だ。

今の時代You Tubeを見れば、趣味でカネを稼いでいる人なんて沢山いる。

写真にしても、写真加工のスキルを利用して副業に生かしている人も沢山いるのだ。

旅行記事にして、広告収入を集めてる人間はそれこそ大勢いる。

元増田の、趣味赤字デフォルト赤字こそ自然で、黒字を出そうとするのは趣味ではないという認識は、30年前のバブル期のものだ。

しかし、10年前にしても、ゲーム趣味人間が、そのゲームブログ感想かい広告収入を得ていることだって珍しくはなかった。

現在趣味は「赤字垂れ流しこそ格好いい」という時代ではない。

しろ赤字いくら圧縮たか?」とか「趣味が金儲けできるまで高じた」ということがステイタスになる時代ですらある。

それは趣味ではなく仕事だというが、この二つを切り分けて語ろうとすること自体がもうすでに時代に適合していない。

だって、もうその二つは切り分けられないほどに領域曖昧であり、趣味で金儲けすることが可能時代突入しているからだ。

こういうふうに趣味赤字なのが当然というほど、沢山の給料をもらってる人もいないから、赤字垂れ流しで趣味を続けること自体がもう難しいのだ。

しろ趣味の収支を安定させて金を儲けること、きちんと趣味継続させることこそが現代的な趣味の形だとも言える。

赤字垂れ流しでエンドレスにやり続けるというのは、一つの見識だが、それが全てではない。

他人趣味の財布事情にまで「こうあるべき」というのは正直余計なお世話である

2020-12-02

anond:20201201184650

そーそー。

田舎の何が嫌って、何も変化しない事なんだよね。

時間が止まってる。

バブル期かいつか知らんけど、一時期は勢いがあったんだろうな〜と思わせる建物がさみしく建ってて、

1年経っても10年経ってもそこにあって、だんだん寂れていくだけ。

新しい物が何もできない。

「そこで人生勝負をかけよう」と出店する人がいない。

かつての夢の跡だけがあって、ただ夢の跡が古びていく。

2020-11-30

anond:20201130054727

今のネットで暴れ回る日本型フェミナチ理想社会はバブル期のアッシーメッシーであることは何回も指摘されている

そんなものが許されるのはあの時代か、今ならば歩くだけで周りの男性のオナネタに即行なるようなレベルエロ可愛いティーンエイジモデルとか芸能界系みたいなレベル

家が超上級国民お嬢様くらいなもの

逆にいえば、バブルというのは誰もが王様お姫様になれた時代でもある(都内限定だが)

anond:20201130110617

ラブマシーン(2004)がバブル期のイケイケ感を表しているとかいトンデモ時代考証散見されるまでになってこういう決定的な事実誤認はせっせと潰していくようにしている

氷河期世代バブル世代と思われてたり、今の60くらいを団塊世代とか呼んでる奴がいたり、ほっとくとそのうちゆとり世代戦争に行ってたことにでもなりそうだ

anond:20201130054727

この頃は女子高生ブルセラショップなる店で自分パンツとか売っていた気がする。この辺から確か援助交際かに続いていっているのかもしれない。とにかく老若男女ブランドしか目に入らない、ブランド物が手に入らないことは恥、春を売ってでも手に入れるべき、みたいな価値観蔓延していた。

事実誤認

ブルセラショップなるものの隆盛はバブル後。バブル期は性の対象にされるのは主に女子大生までで、女子高生まだ子時代を過ごすことが許されていた。

バブル崩壊後、90年代半ばになって社会が貧しくなり、親がリストラされる子供たちが続出し、援助交際とか言って売春に手を染める女子高生が増えた。これがその時代東京で過ごしていた自分が目撃した世界

2020-11-29

anond:20201129143055

バブル期の数年に運悪く一括投資してた人はいまだに含み損だけど、長期で積立投資してるひとはほぼ含み益だと思う。

2020-11-11

30代 女 独身 ひとり暮らし

私は、今まで人生でまともに働いたことがない。

まともに。というのは

正社員で1ヵ所に3年以上。という定義だ。

なぜか。

環境に恵まれなかった。」としか言えない。

実際は違うかもしれないけど。自分ではそうとしか思えないのだ。

そもそも

世の中の社会人経済をまわしていて、税金を納めている人々はいつぐらいから「はたらく」という意識が芽生えてるのだろう?

私の中には「はたらく」とい概念があまりないように思う。

家は、お祖父さんて人がやり手の実業家?だったかなにかで、バブル期いわゆる勝ち組だったらしい。

バブル崩壊後もその遺産趣味を元に小銭を稼いで10数年生計をたてていた。

全盛期は知らないものの、私は10代前半頃まで親が汗水働いてる姿を見たことがない。

趣味の延長で始めた自営業で、幼少期からほとんど家にはいなかったものの、苦悩して働いてる様子ではなく、むしろ逆で週末には友達どんちゃん騒ぎ、2,3ヶ月いないなー。と思いきや大量のお土産なんやをもって楽しそうに帰ってきてたし、ひとりっ子の私をひとりにさせてる多い目からか、欲しいとねだったものを買ってもらえなかったこともなかった。

から、正直、私は生きる事を舐め腐っていたと思う。

そんな私も分別がつく多感な年頃になり、「家… なんか変なんじゃないか?」と思い、機能不全家族でかつもろもろの感覚おかしい事がわかった。

でも、わかったところでどうしようもない。

15,6の娘が親に「あなた達は頭がおかしいですよ。」と言ったところで聞く耳を持つわけもなく。

私だけでもしっかりしよう思いつつ、高校進学の頃になった。が、自分希望した進学先を親は納得してくれず、説得できないまま嫌々親の決めた学校に入った。

そんな気持ちで、順調に通学できるはずもなく、大人になり始めてる同級生たちの中では、私をとりま環境は異質でしかなく、自分言動思考もやはりそれなりに侵されていて、うまく高校に馴染めなかった。

今まで「家が全て」と思っていた私はそこそこな良い子認定だったため、親の奨めた学校を3ヶ月で辞めたことに親は憤慨し落胆。

そこからもともと機能不全気味だった家族はあってないものになり。私は引きこもりの道へ。

いやー。なりたくてなったわけじゃないけど、15,6歳でそこそこ治安の悪い海外に住んでるのに日本語しかできなくて、外に世界を求められず。

でも、家ではもう腫れ物のようにされるし、行き場がなかった。

でも、引きこもってるって事は親のスネかじってるって事だよなー。あのわけわからん親に養ってもらってるのは屈辱だ。って思いはあって、18歳の時には家を出る決意をする。高校中退のやつが正規ルート?で就職できると思ってなかったから、手当り次第にバイトで食いつなぐ日々。

でも、どこもかしこも続かない。

最初の頃は人の下で働くことに慣れなさすぎて、人に指図されることにイラついて上司にたてついて行けなくなり、何ヶ所か続けざまに常識が身についてないというとろから最終的には罵倒され、傷ついて、どこにいっても人間関係の悩みに心が蝕まれ挫折しちゃって、やっと長く務められそうだと思った職場派遣切り契約社員で入った職場では自分の長引く体調不良祖母帰省が重なってやむを得ず退職

あちこち転々としてるうちに、どーでも良くなって廃人してて、最近自分社会復帰する気があるのか?いや、そもそも、出だしからまともな社会参加してないのに復帰もクソもないわけで、で?これからどうするんだ?集団就活の荒波にもまれたこともないし。そもそも大中小企業正式入社方法エントリー方法?もよくわかってない。1番長く続いた仕事も1年かそこら、もう数年したら、応募できる求人も減ってくる年になる。そろそろまずいよな。

そう思っても懸命に職探しせねば!働かねば!と思えないの頭おかしいな。って思う。

2020-11-06

オタク的な物の流行を頑なに認めないおじさんおばさんって、「流行」という概念認識バブル期の頃から変わってないんだろうな。

現代そもそも前提として「みんなそれぞれが違うもの勝手に楽しむ」時代なので、「流行」と呼ばれるものでも全く知らない触れたことがない層というのもザラにいる。

韓流流行を認められずに「捏造」と騒いだ人たちと同じようなアレ。

anond:20201106085515

線引きはあるし、今でもあるよ。

線は消えたのではなく、社会情勢の変化に伴って位置が変わっている。

昭和のころと平成バブル期と令和じゃあもちろん、許容されるラインが変わった。

でもじゃあその位置を誰が正確に把握しているかっていうと誰もしていない。

 

アツギ公告企画した女性はこれはオッケーだとおもった。

アツギのメイン購買層のおばちゃんたちはクソだとおもった。

そこにあるのはディスコミュニケーションであって、線引きの消滅とかゾーニング無視とかではない。

2020-11-01

神様になった日の麻雀はひどいけど、バブル期麻雀もひどかった。

ワレメとかひどい。それを芸者というのもひどい。

2020-10-27

anond:20201027124956

これ

バブル期もっとしかったし現在もこの調子なら向こう十年はこのままだろう

2020-10-26

anond:20201026024704

大阪市の半端な権限を取り上げて大阪府大阪都)と一緒にすることの何が問題なんだ?

コストをかけてまでやるほどのメリットを先に示せよ。

しかも初期コストでなくて永続コストからな。

「半端な権限」なんて主観しかないし、二重行政の解消とか抽象的なお題目ばっか言って具体性がないから反対が増えるんだよ。

例として挙げられてるのがWTCとりんくうだけど、あれはバブル期無駄箱物作りが問題であって、全国どこでも起こっていたことだよね。

たとえ府市合わせがなかろうが、バブル期雰囲気なら両方作られてた可能性もあるよね。

そしてその程度しか挙げられないんだから、他の二重行政なんて大したことないんだろう。

ぶっちゃけ今の権限でも誰も困ってないからな。なのに数百億のコストをかけて無駄に変える…

anond:20201026200943

韓国中国台湾買春ツアーに行ってたバブル期から全く変化がない。

日本人男性って買春痴漢で済ませてあんまり強姦はしないから偉いよね。

多分性機能が劣ってるからそうなるんだな。

2020-10-21

令和版カチカチ山を考える

平成ではカチカチ山でたぬきが改心するという終わりになったが令和ではもっと教育に良いように変わっていくだろう。

 

まず舞台昭和になる。当たり前だ。昔話といっていつまでも室町だとかの時代設定していたのでは前に進めない。

昭和と言えば第二次世界大戦であるがそこはデリケートなので避けて、結果的バブル期ぐらいが舞台になるだろう。

おじいさんは既に退職しておりおばあさんと二人暮らし

そこに土地転がし屋のたぬき野郎悪徳手法でおじいさんの財産土地や家)を奪おうとするわけだ。

結局うまい話に載せられたおじいさんは自殺、もしくはなんらかの病気悪化入院。おばあさんは悲しむ。

それをみた兎がたぬきに仕返しをする。

 

ある日兎は狸に「一緒に土地転がしましょうよ」と持ちかける。

狸はうまい話だと思って一山当てたいと思い兎とオフィス街を練り歩く。

兎がやたら「価値価値」と言っているので「おい兎。なにの価値だ?」と聞くが兎は「やだなぁ、この山(案件)の価値でしょ」という。

狸はそんなもんなんだなぁと思っていたが実はこの「価値」という声が火打ち石で火をつける音だった。

狸のスーツに火が付き狸は全身にやけどを負ってしまう。

 

狸は兎に仕返ししようと兎を探すが兎は新規事業の立ち上げを行っている最中だった。

「狸さんこのまえはすみません新規事業を立ち上げようとおもってるんですが共同経営しませんか。」と持ちかける。

資料を見せられ狸は聞いてみる限り悪くない案件だと思い船に乗りかかるが、その資料は兎の罠で全くのデタラメデータと実績で作られたものだった。

泥舟にのせられた狸は助けを求める。

そこにおばあさん(もしくは退院したおじいさん)がやってきて出資。なんとか機転を利かし事業を立て直す事に成功

狸はおじいさんにした仕打ちを謝るのでした。

 

めでたしめでたし

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