はてなキーワード: バイオリンとは
【追記】
ブコメ、千回聞こうが自分の中では初心者。結局CD4枚しか持ってないし、クラシックって演奏者と指揮者が違って、これ!という演奏になかなか出会えない。
てかクラシック聴いてないのか。聴いてると思ったんだが。なんか教えてくれ。伸びる増田と伸びない益田の差が激しい。
クラシック初心者のまま中年に差し掛かった者ですが、重厚すぎてガンガン来るクラシックは苦手なんだけど、
高校のときにたまたま出会った、軽やかで柔らかい数枚のクラシック音楽のCDが好きで好きで、千回ぐらいは聴いている。
けどさすがにもう少し対象を広げたくなったので、そのCDを挙げるから、そこからオススメを教えてほしい。
ここで「軽やかで柔らかい」ってのは、専門知識が無いので完全なイメージなんだけど、
・休日の午前中にリラックスしたいときに聴いたら心と体がほぐれる感じ
・品の良いパーティーや気の置けない仲間たちと喋ってるときに話を邪魔しない感じ
いわゆるヒーリングミュージックというのでもなくて、寝ながら聴いてますよりは、ちょっと椅子に深く腰掛けて聴きたい感じ。
説明が難しいけど、CDの説明文とかを見る限り、ただ癒やされるだけでなく、一定の華麗さ・典雅さが欲しいのかも。
素人でもどこにフォーカスして聴けば良いかわかりやすいからどちらかと言えば交響曲よりは協奏曲の方が好き。
あとや室内楽、クラシックギターやバイオリンの独奏とかでも好きみたいです。
① モーツァルト:ディヴェルティメント集(トン・コープマン指揮、アムステルダム・バロック管弦楽団)
https://www.amazon.co.jp/dp/B00005OOI0/
https://www.youtube.com/watch?v=MeQeHNFdvLo
これでクラシックの魅力を知った。ディヴェルティメントというのは他にも何枚も聴いたけど、結局これより好きなものはなかった。
疲れているときでも聴けて、クラシックの解像度の低い自分のような人間でも、千回以上は聴いてるけど飽きることなく、
「ここの旋律美しいなー」とか「ここ息が合っててプロって凄いなー」とか「上品な規律って最高だな」とか毎回のように思える。
それになんか元気になるっていうか。聴いたあと、さて誰かと軽く喋りたいなとか、○○は元気かなとか、美味しいランチを軽く食べるかってなる。
https://www.amazon.co.jp/dp/B002SDO1AM/
これもモーツァルトのディヴェルティメントほどじゃないけど千回ぐらい聴いてるかも。演奏自体も柔らかい感じがする。
その意味では、曲だけでなく、室内楽だと演奏者、交響曲や協奏曲だと楽団・指揮者も知りたいかなー。
他にも2枚かあるけど、とりあえずこの2枚で・・・。
地方に文化がないとは思わないのだが、特定の分野に強く打ち込みたい場合、分野によっては地方に住んでいることが非常に不利になることがある。
特に移動の自由のない子供にとって、住んでいる場所による格差は顕著に表れる。俺にとっては音楽がそれだった。
昭和末期に地方の山間部の村で育った俺は、幼少期からクラシック音楽全般、特に演奏と作曲に強い興味があり、
自分で作曲した曲を五線譜に書いて小学校の音楽の先生に見せたり、テレビで聴いた曲を耳コピして鍵盤ハーモニカで演奏したりしていた。
しかし周囲にクラシック音楽に理解のある人はおらず、ピアノ教室に通うのを切望しても通わせてもらえず、演奏会などは遠くて行けず、やりたいことがほとんどできずに燻っていた。
やがて中学校に進学した。地方山間部の中学なんて公立一箇所しか選択肢がなく、医者の息子からヤンキーまでみんながそこに通う。俺も当然そこに通った。
その中学校では全生徒が何らかの部活動に強制加入させられたが、選択肢は運動部数種類と吹奏楽部しかなく、
かつ吹奏楽部は男子の部員は一人もおらず女子しかいなかった。なので男は強制的に運動部に入るしかないような状態だった。
しかし俺は男だがどうしても音楽をやりたかったので、周囲の反対を押し切って吹奏楽部で唯一の男子部員となった。
教師すらも俺を奇異の目で見たが、俺が音楽に熱意を持つのは有名だったらしく、まああいつなら…と認めてくれたような形だった。
しかしまあ、部内で馴染むことは最後までできなかった。部内でも異端中の異端だった俺は孤立し、一人黙々と練習する日々を送るしかなかった。
部自体のレベルも低く、コンクールで良い成績を残すこともなかった。そんな環境の中で、俺の音楽への熱意はすっかり薄れてしまった。やがて中学を出て高校に進学したが、俺はもう音楽をやることはなかった。
音楽と無縁な高校生活を送った後、大学に進学した。そこで管弦楽団の勧誘が目に止まり、また音楽をやってみるかという気持ちになって管弦楽団に入ってみた。
しかしそこで俺は、他の団員たちと自分の差に愕然とすることになる。
小学校の頃からバイオリンをやっていたという人、中学生の時に全国大会に出たという人、親が音楽家だという人。
幼少期から豊かな音楽に触れて、環境にも仲間にも指導者にも恵まれた音楽エリートたちがそこに集っていたのだ。俺が生まれ育った村ではまず見ない人種の人々であった。
音大ではないにも関わらず、そこの楽団からはプロの奏者もけっこう出ているので、レベルの高い楽団ではあったようだ。
俺は初めて、自分が環境面で恵まれていなかったことを実感した。
これは住む場所の問題だけではなく、家庭環境の問題でもあるだろう。しかし小学生のうちから子供にバイオリンをやらせるような環境や、全国大会に出るような活気のある部活動などは、
俺の住んでいた村にはほとんど存在できないものだ。それらはやはり、ある程度の規模以上の都会にしか存在できない。今にして思えば、これこそが都会と田舎の格差であった。
結局俺は、他の団員たちの話に付いていけず、疎遠になり、半年ほどで楽団をやめてしまった。それ以来俺は、音楽活動はしていない。
今は都会に住んでおり、近くには楽器店やコンサートホールなどもあるが、もうどうでも良くなってしまった。
もし俺が打ち込もうとしたのが、地元の伝統芸能とか自然の中での屋外活動のような、地方にアドバンテージがあることであればこうはならなかっただろうと思う。
年収三百万円すらない貧乏人だけど、何も考えずノリで子供作った
何で皆子供を作らないんだろうな?金なくても子供は育てられるんだし作ればいいのに
まともな教育を与えられないとか言うけど、学費なんて大して掛かんねぇじゃん
習い事だってバイオリンだのフィギュアスケートだのじゃなかったら安いしな
今はスタディサプリなどのネット教材が充実しているから、年に百万円くらいかかる塾なんて要らないし
貧乏人が子供を作ると子供が不幸になる!ってのがネットの世論みたいになってるけど思い込みじゃね?
確かに遺伝子はゴミだし環境も底辺だけど、虐待せずに普通に育てれば子供は勝手に育つっしょ
歌を聴くうえで、その声質や歌い方など技術的な評価って切り離せないと思うんだよね
スポーツ見るにしても、難しいプレーをどうこなしたか見るのが楽しみのひとつみたいな感じで、難しいフレーズをどう歌うかって、歌を聴くうえで絶対気にするとこだと思うんだよ
野球選手なら、どんなタイプの投手で、持ち球は何で、どんな攻め方ができるか?を把握していないと野球観戦を楽しめないように、歌だって、その歌手が出せる音域、一番響く音域や音、そういうものを把握するのって大事だと思うんだよね
そうすると当然、男声と女声は全く違う音を出す楽器なので、歌手の性別を気にしないってそれはつまり、バイオリンもコンバスも気にしないみたいな話じゃん
歌手が歌うのは歌詞なんだから、当然歌詞の音に合わせて音を出す必要がある
増田は知らないかもしれないけど、ア母音やオ母音が比較的誰でも歌いやすいのに対して、エ母音を綺麗に歌うのってめちゃくちゃ難しいんだよ
跳躍のエとか下降音階のエをバチっとはめて響かせる歌手ってすごい技術を持っているんだけど、歌詞に着目しないって、つまり上手なエ母音も普通のア母音も気に留めないってことでしょ
大学入試に受かりたいから勉強をするというのは合理的だし、プロ野球選手になりたいからバイオリンの練習をするというのは無駄。
役に立つ、合理的/無駄、無意味という概念は手段としての中においてだけ機能する。
でも普段、目的を指さずに「それって無駄じゃね?」なんて言う人は沢山いると思う。
ギャンブルとか無駄だろ、とかソシャゲなんて無駄じゃね?とか。
それは多分「生きるにあたって」という目的、あるいはその人が生きる事と同一視している「金を沢山稼ぐ」「異性にモテる」みたいな透明な前置きがあるんだと思う。
でもそもそも人生は無意味なので(だからこそ金を稼ぐためだとか色々意義をこじつけてみる訳で)、役に立つ、立たないの目的とはならない。
リッチになる、結婚をするだとかいった具体的な目的のために役立つこと、役に立たないことはあろうけど、別に全ての人が同じ目的で生きている訳でもない。
これも他人に生き方を遠回りに強要する事になるし、役に立つ、立たないの文脈としてはいささか自分本位すぎる。
おれにとって映画を観ることはそれだけで価値のある事だし、アイドルの追っかけを推し活だなんて言って人生の中心に据えるのは全くもって理解しがたい。
でもその優先順位が揺るぎないものであるのはあくまで自分の中でだけの話だし、他人の中では真逆なんて事だっていくらでもあるのだし。
理解しがたい他人の趣味、考えについ「それになんの意味が?」なんて言葉が口をついてしまいそうになる事もあるけれど、気をつけようと思った。
社会人として働き始めて、3年経った。
いくつかの失敗も重ねたが、今のところ、それなりに順応し、馴染んでいるとおもう。
給与は身に余るほど、仕事内容も悪くない。同僚や上司との関係も良好に進んでいる。
これまでを振り返れば、今は上手く回りすぎているようにさえ感じる。
自分は、日本の公教育をほとんど受けていない。まともに通えなかった。
いわゆる「怒る先生」が怖かった。今でも大声で怒鳴る人や、怒りをあらわにする人は非常に苦手だ。
義務教育たる小中学校の9年間のうち、保健室登校を含めても、学校に行った期間は2年に満たない。
続いての高校も2か月足らずでやめた。
しかし、両親が教員だったこともあり、幸いにも、何とか勉強をする環境は与えられた。
通信教育や家庭教師、無数の本を与えてくれた。ピアノやバイオリン、習字などの習い事もできた。
いくつかの科目は両親が教えてくれることもあった。
感情表現の乏しい両親であるが、おそらくさぞやの心配をかけていただろう。感謝しなければならない。
その後、大学はイギリスの通信制大学に通った。途中から日本の通信制大学にも所属する二重学籍だった。
というのも、自分勝手に偏った勉強ばかりに加え、社交性にも乏しい自分にとっては、入学試験がなく、学生間の交流も限られる通信制大学が、ほぼ唯一の現実的な選択肢だった。
想定通り、グループワークのコミュニケーションには、社交性と語学力の両面から相応に難儀したが、あらゆる面で実りは多かった。
日本で就職活動を始めた時、自分のような学生は、面接官に奇異に映ったのだろう、これまでの学業の歩みを詳しく聞かれることが多かった。
少なからずはただの「奇異の目」で終わった。「社交性、精神的な脆さや不安定さに不安が残る」といったコメントをもらったこともある。
妥当な懸念だと思う。しかし、いまさら隠しおおせようもない。そのまま続けるしかない。
そんな中でも、いくつかの企業は「主体的な学びの姿勢」と評価してくれた。
ジッサイは、「オモシロ人材枠」として、くじ引き感覚で拾ってくれたのかもしれない。それでも嬉しかった。
この会社で働き、3年が経った。
まだまだ分からないことがほとんどだが、それでも少しずつコミュニケーション能力を補いつつ、専門性も高めてきたと思う。
とはいえ、いつ自分の不安定さが致命的な落とし穴となるかは分からない、これからだろう。
いつも不安定にふらふらとしている自分が、今にあるのは、周囲の支援と偶然のおかげだとおもう。
今の自分は、本来の自分、デフォルトからあまりに上振れしている。
いつそこに戻ることになるのかは、まだ分からない。戻ることになっても、それはそれで良い、と思っている。
でもまぁ、とりあえず、もう少しは戻らずに進んでみようと思う。
知人にすっごくいい漫画だから!と薦められて読んだのだが、アマチュア弦楽器奏者としてつっこみどころが多すぎて困惑している。
まず、コンクールでトップとるような子は普通の高校の部活オケには入らない。
音高にいくか、普通の高校に進学したなら放課後は個人のレッスンに明け暮れる。
……まぁでも漫画だからね。なんらかの事情で「コンクールでトップとるような子が、普通の高校の部活オケに入った」とする。
すると、そこで彼/彼女が感じることは……自分の音がどうこう……より、正直まず「周りの初心者との圧倒的なレベル差」をどう受け止めるか?ということだと思う。
はっきりいってコンクールでトップとるレベルの子と、高校から初心者ではじめる子のレベル差は歴然……というかもう雲泥の差で、
彼/彼女はその「素人」に囲まれての全員の演奏で「どう高みを目指したらいいのか?」ということに少なからず頭を悩ませるはずだ。
悩ませない、一切気にならないならサイコパスすぎ、他人に興味なさすぎ、というかもはや音楽にも興味なさすぎなのでは???と言わざるを得ないが、本作の主人公は一切気にしていないようだ。
というかライバルポジの天才バイオリニスト少年もその点を一切気にしてなさそうで、「サイコパスが2人」みたいな状態にしか見えない。
個人的にはもっとファースト(バイオリン)の他のメンバーの面倒みるなりなんなりしてあげたほうがいいのでは……?と思うが、彼らは自分(とせいぜいヒロイン達)にしか興味がなさそうである。
しかもそのオケで「まわりの楽器の音を聞く」とか当然も当然のことをやって「なるほど…!」みたくなっているが、
初心者はともかくこのレベルの子が「しらなかった…!」みたいになるのはあまりにも今更感がすぎる。今まで何やってたの????
さらにオケでは個人個人がそれぞれの表現ばっかやっているようにみえる(優雅に…とは…妖しさ…とは…怒りを…とは…みたいなことの追究)が、そんな音色の抽象的な議論には普通時間かけない。
そこには指揮者の思想が色濃く反映されるはずだし、しいていえばコンマス、パートリーダーがガッと決めて、音量から弓の位置から弾き方から、もっと具体的に指示を出すところである。
あと席順でそんなに一喜一憂しないよ……一番うしろに実力者を置くことも全然あるし、いろんなバランスで決まっていくから、前がいい!表がいい!てそんなに気にしない。
小説や漫画においてキャラクターの欠点要素として「音痴」がある。
例えば、完璧なキャラなのにこのちょっとした欠点によって親しみやすい雰囲気になる、といった具合に使いやすい欠点要素のように思う。
ジャイアンは有名だし、音痴とはちょっと違うが、しずかちゃんもバイオリンが下手だ。作品を作るうえでこの手の欠点は使いやすいのだろう。
うちには8歳の子供がいる。
最近、テレビだけじゃなくて学校の友達やらからも流行りの歌を仕入れてくる。それを家でそれを楽しそうに歌う。
音痴は、笑えない欠点だった。現実世界において音痴がこれほどにつらいとは。
いや、正確に表現すると、「音痴な人が歌う傍にいることがこれほどつらいとは」か。
1年ほどでやめたものの4歳のころはヤマハに通わせた。そのころは、そこまで音痴だとは思っていなかった。その歌を一度も聞き続けたいと思うことは全くなかったが、4歳の子供なんてそんなものだろうと思っていた。
うちには今4歳になる下の子もいる。この子は全く音痴じゃなかった。こんなに音がとれるのかと驚いた。
思えば下の子の音程がおかしくないことと比較することで、彼女のそれが、年齢によるものではないということに気づかされた気がする。
気付いてからは、なんとか改善する方向に持っていこうと意識するようになった。ヤマハをやめた事は真剣に後悔した。
辛い思いをしながらも気になっていたことがある。本人はその音痴を最も身近で聞いていてつらくないのだろうか…自分の歌声に疑問はもたないのだろうか。これは音痴の人全般に言えることかもしれないし、ひょっとすると音痴で悩んでいる人には失礼な質問なのかもしれない。これは知っていれば誰か教えてほしいものだ。
様子を見ていると、そもそも曲を聴こうとしていないように思う。気持ちよく歌うことを優先しているのか、声色だけまねたり歌詞を覚えたりといった私から見たら二の次のことに注意がいってるのだ。
私は何度も言う。「曲をよく聞いてみたら?」「歌い方じゃなくて音程を気にするともっと上手になるよ」「まずは鼻歌で音程をとってみよう」とかだ。
ちなみにだが「お前は音痴だ!」とは一度も言っていない。「食事中は歌ってはだめ」とか「テレビの音が聞こえないからちょっと黙って」とか「お母さんと大事な話してるから今静かにして」とかは言っているが、「おまえは音痴だから歌うな」とは絶対に言わないようにしている。
これについては、私のことを褒めてほしいと思う。面と向かって音痴と言われるのは辛いと思うし、教育上もよくないと思うのだ。楽しく歌うことが一番大事。
だだ、そう。この「楽しく歌うことが一番大事」という耳障りのよい信念が、謳い文句が、現実の耳障りな歌い声を聞いていると揺らいできそうなのだ。
強い口調で「うるさい!」と言ってしまいそうになるのだ。
2016年にキズナアイさんに出会い、2018年からはにじさんじとホロライブを熱心に追って今に至ります。基本的にずっとにじホロを追ってきたのですが、最近、個人や中小規模運営のVTuberが面白いと聞いて、ここ数か月そこそこ熱心に個人/中小規模運営のVTuberの方々を追ってみました。2018年初期からVTuberの認識があまり進歩していなかった増田による、最近のVTuberはすごい! と思ったところをまとめました。ずっとにじホロ以外もウォッチしていた方には何をいまさらと思う内容ばかりかもしれませんが。
個人や中所規模運営の方が好んで使う、Live2Dアバターを動かすVTube Studioというソフトがあり、これがすごく動きが綺麗に見える。大手企業の内部開発と思われるLive2Dを動かすソフトよりも動きが綺麗に見える(主観です)。
また、パーツごとにレイヤーを重ねる機能があるようで、通常衣装の上にかぶせる形で、首から下の部分に別衣装を乗せることで、衣装替えも簡単にできるようになっています。同様に、髪飾りをつけたり眼鏡をかけたりも自由自在。
boothを見ると、このVTube Studioで使うことを想定している、Live2Dパーツがたくさん販売されています。VTube Studioを使いこなすことで、高い表現力を得ている印象です。また、おそらく、Live2Dモデラーも、VTube Studioで動かすことを想定したモデル作りのノウハウが高まっているんだろうなと思いました。
Live2Dを動かして配信するのならば、個人でも高いクオリティを実現できるようになっていてすごいと思いました。
音響のことはよくわかりませんが、音が綺麗で聞きやすい方が多くて、このセッティングを個人でやっていらっしゃることがすごいなと感じています。うまく表現できないのですが、普通の音が球面のように広がるのだとしたら、セッティングの上手い方は平面で音がドーンと飛んでくるようなイメージでしょうか。それがすごく聞きやすくて心地よい。伸びている人は、音のセッティングが上手い印象があります(主観です)。
TikTokの使い方が上手いVTuberといえばはっかさん。会社の若手の、普段は全くVTuberは観ない、TwitterよりもインスタやTikTokを観ている女子も、はっかさんのことは知っていました。とても凝ったTikTok動画を投稿されていて、彼女の動画がTikTokのミームの源になっていることもありました。音と字幕のタイミングがばっちり合っていて、編集に手間をかけていることが推察されます。
歌が上手いVTuberのnahさんは、YouTube Shortsの使い方が上手いなと思っています。nahさんの魅力は歌声の良さにあり、ほとんどのShortsでは開始0秒でいきなり歌が始まります。これがすごく相性が良くて、サクサクとスキップされていくYouTube Shortsの中で、思わず止まって観てしまう魅力があります。
新しく出てきた機能の特性をちゃんと理解して使いこなせるのはすごいなと思いました。
活動休止されてしまいましたが唯恋ひなさんは、デビュー前にTikTokで「100日後にデビューするVTuber」として、アバターができる過程などを毎日投稿されていました。唯恋ひなさんの後から、デビュー前から〇日後にデビューするVTuberをやる人が増えた気がします。100日後手法ではなくても、YouTubeでの初配信の1~2か月前からTikTokやTwitterを熱心に更新し、初配信に向けて人を集める手法は珍しくなくなりました。こういうことを個人で分析して動けるのはすごいなと思っています。
イラストレーターや歌手がVTuberとしてデビューするのは珍しくなくなりましたが、ほかにも一芸に秀でた方が多くいました。
特に衝撃的だったのは、バイオリンの生演奏を披露するStar☆Ringの天羽音みらんさん。YouTubeのコメントでリクエストを受け、その場で見事に引きこなしています。めっちゃ上手い。Live2Dにもバイオリンを弾いている姿があり、本人としてもバイオリンを売りにしていこうとしているようです。もちろん歌も上手く、話し方も品があります。
専門知識がしっかりしていて、ついにはJAXAのH3ロケット応援サポーターとなった宇推くりあさんもすごい。各国のロケット打ち上げを生実況し、英語の実況をその場で日本語に訳して解説してくれます。ほかにもH3ロケットの報道用の資料を読み解く配信をしたり、H3ロケットについて先日の記者会見の内容を詳細に解説したりと、とにかく知識がすごい。おまけに声がとても可愛く、工学系オタク(含む筆者)の妄想が具現化したかのようです。ちなみにラブライバーであり歌配信もやっています。
趣味の電子工作の配信が多いライヴラリの図月つくるさんも面白い。電子工作系YouTuberのおじおじジャパンや熊五郎お兄さんのDIYを観ている人ならハマると思います。赤月ゆにさん・餅月ひまりさんと同じ事務所の方で、先輩か学んだと思われるテンポの良い構成も見どころです。
最近、多くの配信で、YouTubeライブのアンケート機能を使って「高評価押してくれた?」のように聞かれることが多いです。選択肢は
・した!
・もちろん!
みたいな、意味のない2択なのですが、これはいい手だなと感じています。
iPhoneでYouTubeを観ていると、配信に入ってから高評価を押すまで、まずチャットをいったん閉じて、それから高評価ボタンを押すという手順になります。実はこれが地味に面倒で、高評価を押し忘れることも多いです。ところが、ここでアンケートという形で画面をタップする動きを促されると、せっかくだから高評価も押しておくかという気分になるわけです。ユーザーの行動心理のハックと言ってもいい。こういうノウハウに気づいて取り入れてくのは下手なプロマーケッターより上手いのではないでしょうか。
動画やライブ配信のアーカイブにコメントが増えると、YouTubeのおすすめに乗りやすいらしいという話がまことしやかに囁かれています。真偽のほどはYouTubeのみぞ知るところではありますが、アーカイブにコメントをしてもらいやすくするように促すのが上手い方は多いです。
よく見られる手法としては、ライブ配信直後だけでなく、数時間後にも「今日もありがとうございました。〇〇なことが起こって面白かったですね。アーカイブで見た人もぜひ、こちらにコメント残していってください」といった感じで、TwitterやYouTubeのコミュニティ機能を使って告知することです。数時間の間を開けることで、リアルタイム視聴はできなかった人にも呼びかけることができ、コメント数が増えているようです。
こういうちょっとしたテクニックをとくに誰かに教わるわけでもなく駆使できるのはすごいなと思っています。
YouTube登録者数が伸びているVTuberさんを見ていると、YouTubeは万単位の登録者がいるのに、Twitterは3000人くらいしかフォロワーがいない、という人が散見されます。こういった方々は、YouTubeのおすすめの仕組みをよく理解していて、いわば「YouTubeのAIに働かせる」ことが上手い。YouTubeのおすすめに上手く乗っているからYouTube内でどんどん登録者が増えていき、結果としてTwitterのフォロワー数との乖離が生じているのだと思います。
逆に、キャリアが長いわりにあまり伸びていない人は、ファンに「Twitterでの拡散をよろしくお願いします」というのが口癖になっている気がします。Twitterでバズることが必ずしもYouTubeにつながるわけではないところ、そこがあんまり分離できていないのかもしれません。
ただ、これって割とよくある話で、マーケッターの人と話しているとぼんやりとした企画でとにかくSNSでバズりたいのである、みたいな話になることがあります。ところが、一口にSNSといってもユーザー行動や数字の取り方はサービスごとに全然違います。だけど、そこを分離して議論できない。その辺、VTuberさんのほうがよっぽど理解している印象です。
そのYouTubeを伸ばす方法として、先述の高評価を押させることや、アーカイブへのコメントをしやすくすることなどがあるのかもしれません。ほかにもきっと、様々なノウハウがあるのでしょう。そこへの探求心がしっかりしている人が多そうで、感心するばかりです。
5年前に比べると、少なくとも筆者のTwitter周りでは、明らかにリスナーが「こんな面白いVTuberがいた! みんな見て」みたいな投稿をすることが減った気がします。理由の一つとして、オタクという生き物は悲しいかな「その人は〇年前から活動しているのに何をいまさら」とか「それはすでに〇年前にxxさんがやっていた」という知識マウントをやりあってしまうところがあります。筆者はそういう突っ込みを受けるのが割と面倒に感じるタイプで、最近は「こんな人を見つけた」「こんな面白い配信をやっているぞ」という投稿はあまりしなくなりました。
また、社会全体ではVTuber応援はまだまだマイナーな趣味ではあります。自分のTwitterはリアル交友関係の人もいますから、マイナーで同じ話題ばかりつぶやいていても鬱陶しがられてしまいそうという心理もあります。誰だって、話題豊富な人と思われたい欲望はありますから。
つまり、昔ほど、ファンがTwitterで拡散してくれるということに期待しにくくなった、とも言えるのかもしれません。同時に、最近はTwitterは時系列ではないホーム表示を出すようにもなりました。
こうした変化にも、対応が上手い人は多いです。よく見られるのが、デビュー時期が近いVTuber同士でフォローしあい、リプを飛ばしあったりすること。すると、今のTwitterのおすすめには、フォローしてなくても、フォローしている人への返信として表示されたり、関連する人物として表示されたりします。筆者もTwitterのおすすめ欄で新しいVTuberを知ることが多いです。なにかと評判が微妙な最近のTwitterではありますが、そうした変化を積極的に活用しているようです。
また、ちょっとしたハッシュタグ企画にも積極的に参加しているようです。昨日はエリス・レアリィゼさんが発起人となったと思われる、#私はダイヤの原石VTuber というハッシュタグ企画が流行っていました。自画像をはめ込む枠が配布されており、この画像を使うだけで手軽にハッシュタグ企画に参加できます。こういう企画は毎日のようにどこかで誕生しており、そういうのに乗っていくことで、結果としてTwitterのおすすめにも出やすくなっているのかもしれません。
個人活動でありながら、プロのイラストレーターに自身のLive2Dだけでなく、サムネイルイラストやグッズイラストを積極的に発注しているようで、イラストが豪華な人がたくさんいます。そんなに発注して収支は大丈夫なのか心配になる人もいるくらい。
どんなイラストレーターにどんなイラストを発注し、それを活用してどうやって収支を成立させるかというのはまさにプロデューサーの仕事です。自身がコンテンツでありプロデューサーでもあることを成立させているのはかなりすごいことだと思います。
B2Bならぬ、V2Vともいえる市場が成立しているような気がします。にじさんじの家長むぎさんや黒井しばさんが同じ事務所の仲間の動画制作を担当したり、のりプロの鬼灯わらべさんのようにそもそも動画編集を得意としていらっしゃるVTuberさんもいたので今更な話かもしれませんが、個人VTuberが別の個人VTuberに編集やデザインを依頼しているシーンをしばしば見かけるようになりました。