はてなキーワード: ハンディキャップとは
νはVじゃない。にゅーで変換
ν速民は、ニュー速と書くと、違うν速だ!と言うから正確に書いた。
ν速に限らず2chでの議論というと、論戦じゃなくて、人格攻撃や人格否定や、それに連なるもので相手をへこませる事を目的としているような、子供の喧嘩的なものが多いように思う。
専門板でも、みんな本当はあまり知らないの言ってるのかもしれないけど、なぜそうなるとか原理を説明しないで、煽りあってる。そこにたまに理屈を説明できる人が来て、これこれこういううわけで、と説明し、そうしたらそれに対しまた重箱のすみを突くようなレスが入ったので、検索してみたら、その煽りレスは、やっぱり煽りだった、というような事がわかった・・・みたいな世界
それなりに、知識は持ってる人たちが、そんな煽りをやってる場合もある。
あのtoggeterにまとめられてたやり取りは、あの一般女性を人格攻撃ではないけど、へこませる目的で発せられた言葉ではないかと思われるものも、たくさんあった。人格攻撃と言って良い物もあった。
中には、有名人に対して自分のタイムライン(TL)でつぶやくのもあかんの?みたいに書いてる人もいたが。
ツイッターというのはツイートしたら、フォロワーが見るもので、書いた相手が同じウェブサービス内にいたら、見に行くだろうと思われる。フォロワーは一部にヲチ目的でフォローしている人以外は、乙武さんのファンやシンパシーを感じている人たちだろう。どうなるか・・・
ちょっと考えたらわかりそうなものだ。
その場合でも、2ちゃんねらにしたように、何らかのフォロー(ツイッタではない)をするでもなく、さらにさらに攻撃と言うと語弊があるが本人にとっては、そうなるだろう事をやっていた。
乙武さんには厳しいことを言ってくれる人がいないというのは本当なのだなあと、それを見ても思った。
ここにも、僕に強く言う人がいないみたいに書いてある http://yachou.net/post/615677601 http://blog.livedoor.jp/yumemigachi_salon/archives/51422547.html
上のを検索してたら、こういう真面目なスレも見つかった。何板かと思ったらハンディキャップ板
http://unkar.org/r/handicap/1304471888 乙武洋匡の障害揶揄発言をどう思う?
知らなかった。こんなふうになってたとは
今まで、「どんな心無い罵声でもそれも批判の一部。製作者はそれを真摯に受け止めるべき」という持論を持っていました。
今、その気持ちが揺らいでいます。
僕は製作者というほどの肩書きではないのですが、とあるゲームプレイで世界記録を保有しています。
もちろん、公称ではありません。世界的なファンクラブで、一位というだけで、見えないところにもっとすごい人がいるかもしれません。
で、その記録はまだ破られてはいないのですが、ただ「へたくそ」と言われました。
びっくりしました。思いの外衝撃でした。そんな一言で傷つく自分に、びっくりしました。
世界一位なので、間違いなくそのゲームの実力に関しては上から数えたほうが早いでしょう。
うまい人が謙遜するのもどうなのかな、と思い、嬉しさだけは隠さないようにしました。だって、僕らが謙遜したら、それ以外の人々が「じゃあ自分は何なの?」ってなっちゃうでしょう?僕も、他のゲームなんかではそういう心境に至ることがありました。まだ治ってません。
だから、僕はやれるだけやったことは隠さなかったし、他の人も特にハンディキャップがないかぎりは、がんばればできるよ、ということをしっかり伝えてきました。
他のことにも手がつかなくなってきました。
そうか、僕は下手くそなのか。
心が真っ黒くなってきました。
僕はゲーム以外には誇れることがありません。力もありません。
誰か、助けてください。
俺はどうとでもなる、何て一言も言った覚えはないがなぁ
多分俺が途中から割り込んで、そこから舞台俳優の増田とツリーが別れたから色々混同してるか、最初から俺や舞台俳優増田を「そういう人間」と決め付けてもの言ってるだけだろ?
俺は最初の時点で顔のデカさをどうやって目立たせなくするかって部分について
つまり手の施しようが無いってことだ
言わせんな恥ずかしい
というところから始めてるんだが、忘れたのか?
それについてはお前も次のレスで
だろ?
とまで書いてたはずなんだがなぁ(流れを見る限り、この時点じゃ俺を舞台俳優増田だと思ってるようだが)
で、論点について
どうやって目立たせなくするのか言ってみれ。
顔がデカい人間に関する話に食いついてたからお前がそうなんだろうと思ったが、違うというのは完全に後だしだよな
ついでに言えば、ファッションに関する話をしている元増田に対し、ハンディキャップに関する話を今からしますよ、っていう主張がはっきりしていない
この程度の論述しかしていないのに、あとからグダグダ言っても論点の摩り替えとしか思われんわな
ファッションの話の上でお前らの主張がグズグズであることは既に示した。
話の区別も出来ないみたいだが。
俺の主張は最初から変わらんし、別に崩れようもない
さっきも言ったが
・顔がデカいのはどうしようもない
・誤魔化したいならこうすればいいんじゃね?
この二点なんだから
「どうしようもない」についてはお前も既に同意していたはずだし、「こうすればいいんじゃね」については、お前も認識しているとおり俺の考えるデカい顔の誤魔化し方の提示でしかないんだから気に入らんのなら仕方ない、で終わり
さて、俺が言った「どうしようもない」「こうすればいいんじゃね?」の二つ、何か崩れたか?
もう一回俺がここまでに言ったことを繰り返すぞ
「手の施しようがない」「どうしようもない」
まさに、今のお前だよ
そこか
ファッションの話で、顔のデカいやつはどうすればいいって話への返答に対して
全く話の筋の違うこと喚かれても本筋とは違う以上、わざわざ論点のすり替えに付き合う必要ないわな
お前が自分の顔のデカさを障害と思っていようがいまいが知ったことじゃないんだよ
・顔がデカいのはどうしようもないだろ
・誤魔化したいならこうしてみたらどうだ
俺については(もう一人の舞台俳優の増田は知らん)この二点しか最初からポイントにしてないが、どうしても気に入らんようだな
あとは手術くらいしか残されてないぞ
最初は前者で始まり途中から後者と混ざり、今は完全に話が後者になってるな
これを論点のすり替えと言わずに何と言うんだ
「アトピー性皮膚炎は肌をいたわる必要があります。なのでシャワーは控え、入浴するように心がけてください」
「はい、わかりました」
「てんかんはいつ発作が起きるかわかりません。なので免許も取得するのは控えていただきたいし、もちろん入浴もいけません」
「はい、わかりました」
「社会人として仕事するんだったら健康管理はできなきゃダメ。甘えんな。あと、お前なんで普免持ってないの?社会ナメてんだろ?」
「はい、ナメてます」
「君さー、備考欄にてんかんだとかアトピーだとか書いて採用されると思ってんの?ww自分からハンディキャップ宣言する奴なんか取りたくないんだけどww」
「そうですよね、みなさんお強いですから」
「あとさ、君は気力がない。無気力。え?薬の副作用?そんなの関係ないよ。社会人になるつもりなら気分のお化粧ぐらいできるようになってからにしてもらいたいな」
「お化粧ですか」
http://anond.hatelabo.jp/20100906185432
http://anond.hatelabo.jp/20100905150455←の元増田です。トラバされてないから気づかなかった。
読むに耐えない、聞くに堪えないなら見なければいいのに。
はっきり言って題名は注目を集めるための釣りなので、そこが言いたいことではないんです。言いたいことは記事の後半にあって、「第二言語を使うことは脳味噌にハンディキャップをつけること」であるのになんで英語がちょっとぐらいできるようになれば万事解決みたいに煽る人が後を絶たないんだろうな、って。
ただ、ちょっと煽りすぎたかもしれないと反省はしてます。ブコメとか見ても「意思疎通できれば十分なのにハードル上げすぎ」とか書かれてるけど、母語でない言語ではその「意思疎通」をするのが本当に大変なんですよ、と私は言いたかったわけですから。
ハードルを私が上げてるんじゃなくて、ハードルをみんな低く見積もりすぎなんですよ。欧州のCEFRという言語能力の共通規格があるんですが、「とりあえず意思疎通に不自由しない」というのはそれでいうとB2レベル(中級の上)で、はっきり言って日本人で英語でその段階に到達できる人ってほとんどいないですよ。読解と聴解はTOEICで満点近く取れるぐらいでなければ門前払い、それに加えてそれに見合った作文・会話能力が必要なんですから(日本基準で「見合った」を判断しないように。日本の英語教育は読解に極度に偏重しているので)。
そういう話をしているんではありません。日本語では立派なことを言える人が、第二言語ではそうではなくなってしまう、第二言語を使うということはそれだけ不利なことであるということを理解せよと主張しているわけです。
要するに何が言いたいかというと、「日本はダメだから海外に出ろ、プアイングリッシュだのグロービッシュだのが使えれば万事解決」みたいに煽る風潮を暗に批判しているわけです。はっきり言って語学の上達に余程の情熱と根気を傾けられるような語学好きでなければ日本人には英語は無理です。日本語は英語と違いすぎるし社会的にも接点がなさすぎるんだからどうしようもありません。
ところがそういう色眼鏡情報がBBCとかNYTという「一流マスコミ」として通ってる媒体から世界に流出していることを知れば「気にすることはない」で済まされませんよ。はっきり言ってこういうところの日本報道は日刊ゲンダイレベルですよ。むしろ私は、英米社会で日本が未だに「国粋主義者ばかりの反動国家で動物虐待と外国人排斥の総本山、経済は衰退して社会は荒廃して何の希望もなく、政府は国民を洗脳していて国民は自分で考えられないロボット、環境破壊とエログロナンセンスで世界に害悪しか及ぼさない国」と思われていないのは奇跡的なことだと思っていますよ。BBCやNYTの報道を真に受ければそういう風にしか日本のことを理解できないし、実際それを真に受けてる英米人って結構いるんだから。
別にその人達がバカなんじゃなくて、途中で引用されている人のように今はレベル低いけど上げようと思って頑張って書いてるからレベルが低く見えるだけ。
そんなことはわかってます。しかし赤の他人がそんなことに気づきますか?まして、母語以外の言語を学ぶことに何の切実さもなければそれで恥をかいた経験がない英語母語話者には一番わかってもらえる度合いが低いですよ。英語英語と煽っている人とコミュニケーション能力が大事だとか言っている人はかなり重なっていて、そういう人は「誤解されるのは自己責任」だといつも言っていますが、実際それはある程度当たっているんです。英語を「国際語」と認めてしまうということは英語母語話者の土俵に乗り、その基準で判断されることを認めます、ということですよ。英語という言語はあくまでどこかの社会では空気のように使われている、そこの社会の母語なんですからね。そこの人間が「地元の言語としての英語」と「国際語としての英語」を使い分けてくれると思いますか?日本人の大半が東京弁と標準語の区別もついてないことを考えれば答えは明らかでしょう。他人の母語である言語を使うということはそれだけ大変なことだと理解して、発言には慎重になるべきです。それが礼儀であり処世術です。
だいいち、語学の練習をしたいのであれば語学勉強と銘打ったところに行くべきなのであって、見ず知らずの人間を練習台にするもんじゃありません。失礼でしょう。逆に、片言の日本語を操っている人に「日本語お上手ですね」というのもかなり失礼な言葉だと気づくべきではないですか?(そういっているときの視線が、子供に「ボクチャンおしゃべりお上手ねー」と言っているのと同じでないかよく考えてみるといい)
とりあえず、「グローバル語」を使えば「世界」から認めてもらえるというような幻想は捨てた方がいいと思います。それって、お勉強ができればママや先生から褒めてもらえるという幻想と何も変わらないから。英語が国際語のような顔をしているのは、グローバル教の人たちが大嫌いな、「既得権」そのものなんです。英米人の。だから「グローバル」に打って出るということは既得権に挑戦することだという覚悟が必要なんですよ。それは自覚すべきです。
「納豆食える?」とか「マクドナルドのことはみんな『マクド』って言ってるの?」とか百回以上聞かれてうんざりしてるが、それをさらに百倍ぐらい劣化させた質問を会う人ごとにされれば・・・
→増田の周りも見るに耐えない、聞くに堪えないことばっかりの日本語喋る日本人のバカが溢れてるんでしょ。
だいたい、lang8やいつくかのその類のサイトをやってみたことあるけど、日本人に興味がある人はアニメの話をする人が多すぎてうんざりした。
それでもやりとりをするうちにその人の専門の話を聞けたりしておもしろかったよ。
あなたのいいたい“侮蔑”うんぬんは理解するけど、そういう人がたくさんいたからってグループまとめてバカにするようなのは
ある意味でまともな現地人を知らない程度にしか、日本に慣れ親しむことができていないわけだし。
ちょっと習い覚えた英語を使って「グローバルごっこ」して喜んでいるだけならそれこそ猿でもできる。そこでとどまらずに、自分がやっていることがどういうことなのかをもうちょっと考えて、客観的に物事を見ようという姿勢の人が少ないのは本当に情けない限りだ。
→別にその人達がバカなんじゃなくて、途中で引用されている人のように今はレベル低いけど上げようと思って頑張って書いてるからレベルが低く見えるだけ。
そりゃ英語については小学生レベルなんだから、書くことだってそのレベルになるよ。そのレベルの勉強をしないとレベルアップしないんだし。
あと隣の芝生は青く見える。
そして、バカには周りがバカに見える。朱に交われば赤くなるでもよし。
追記
この記事書いてるうちに元増田がいいたいことがわからなくなってきて途中で消したつもりだったがが、ミスで消えてなかった。
トラックバックしてない上に読みにくくて申し訳ない。
http://anond.hatelabo.jp/20100905150455
言いたいことは記事の後半にあって、「第二言語を使うことは脳味噌にハンディキャップをつけること」であるのになんで英語がちょっとぐらいできるようになれば万事解決みたいに煽る人が後を絶たないんだろうな、って。
元増田氏にとっては色々と的外れだったのでしょうが、元記事のテーマがとにかくわかりにくいです。
書きたいことが絞られておらず詰め込みすぎです。
あと論理が甘いというかつながっていない部分が多いです。
各段落で言いたいことは理解できますが不要な部分も多く、全体の結論につながるような段落の配置の仕方ではありません。
あなたのような人はむしろ(できるのなら)英語など第二外国語で書いた方がよいかと。
他のトラバの人は言葉づかいはひどいですが指摘の通りで、あなたの文章は読むに堪えません。
なんで英語がちょっとぐらいできるようになれば万事解決みたいに煽る人が後を絶たないんだろうな、って。
簡単です。
英会話学校などでは英語を勉強する人が増えることが金儲けにつながるからです。
だからどんどん煽ります。
それも、発音や文法だけじゃなくて「内容」がだ。Lang-8みたいな語学サイトとか、ブログやtwitterの英語記事なんか、読んでいるこっちが赤面したくなるぐらい白痴じみたことを書いていて「頼むからやめてくれ」と言いたくなることがある。
例えば今日見た例だと(さらし者にするのが本意ではないので出典は伏せるが)、ある日本人がtwitterで"*** is a very good software"とか何度も何度も書いていた。ところが状況的に、それを読んでいるのは***というソフトの関係者ばかりだったのだ(ハッシュタグまで使っていた)。これがどれだけ奇妙なことかわからなければ、例えばラブプラスの日本語コミュに現れた外人が5分おきに「ラブプラス、スバラシイネ」と発言している状況を考えてみればよい。日本人はどう反応していいか困るのではないか(別にラブプラスでなくてもなんでもいい。俺はアニメとかエロゲとかよくわからんので知ってる名前を出しただけ)。
はっきり言って、ああいうの見てると日本人が英語マンセー、外国マンセーになったり、debito.orgやJapanToday当たりに集う在日英米人が日本を侮蔑する理由がわかるよ。英語で話したがる日本人の中には、英米人を捕まえては "My name is ***. I can't speak English very well, but I want to be native speaker of English. Where are you from? What Japanese food do you like? Can you use chopsticks?" みたいな愚にもつかんことを言ってる連中が実に多いからね(native speaker云々は揶揄で書いたんじゃなくて、本当にそういう奴が何人もいるからな!Lang-8やsmart.fmあたりで自己紹介検索してみるといい)。文法以前に内容の問題だとわかるはず。関西人の俺は今まで「納豆食える?」とか「マクドナルドのことはみんな『マクド』って言ってるの?」とか百回以上聞かれてうんざりしてるが、それをさらに百倍ぐらい劣化させた質問を会う人ごとにされればそりゃ「日本人は馬鹿だ」と思うようにもなるだろうさ。
いや、勿論「ジャップは劣等民族」なんて言ってるわけじゃない。その反対だ。例えば上のtwitterの人なんて、日本語では非常に的確なことを簡潔に言っていた。それだけに、英文をみてげんなりしてたんだよ。その人の子供がいたずらで書いたんじゃないかと思ったほど。
なんでそんなことになるのか?理由は簡単だ。
なぜ和洋折衷の原稿をはじめに書いたかというと、悲しいことに、英語では
深く考察することができないからです。じっくり思考するためには、日本語で
英語だと、ほんとうに表面をサラッとなぜでる程度の、つまり中学生程度の
ことしか考えられないのです。大部分は、語彙の問題なのでしょうね。
http://bryologist.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-54d6.html
当たり前のことだが、プログラミング言語で言えば、語彙はライブラリだ。ライブラリがトンチンカンでは、どれだけ構文の優れた言語でもまともなものは作れない。そして英語というのは困ったことに昔は未開人の言語であり(日本語もそうだが)、外来語だらけで語彙体系がぐちゃぐちゃなのである。フランス語やドイツ語をやったことがある人ならわかると思うが、英語というのはちょっと日常会話を超えた程度のことを言うためにも覚えなきゃいけない単語数がめちゃくちゃ多い(日本語もそうだが)。日本語と言語学的な類縁関係がないことを置いておいても、決して易しい言語とは言えないのだ。
そのため、英語での情報収集は「脳味噌にハンディキャップつけた状態で戦う」ことになる。しかし、こちらがハンディ付きで戦って歯が立たないと感じた相手が実際に本当の強敵かということは疑問のはず。ところがそのことに無頓着な人が多すぎて、英語圏の情報は全て高級で高尚であるように思っている人が余りにも多いように感じる。そのためか、英語圏は社会全体が色々過大評価されすぎのように思う。マスコミ一つ取っても、高級メディアの定評高いNYTやBBCは朝日やTBSと同程度には「マスゴミ」だし、iPodだのiPhoneだのiPadだのは「技術的には二番煎じなのに商売のうまさだけでコバンザメ的に利益を取っていってる、こんな猿真似野郎が市場を支配するなんて許せない」という、一昔前にSonyや松下あたりが浴びた批判がそのまま当てはまる。勿論向こうに優れた文化や見習うべきところはいろいろあるが、所詮は同じ人間が住んでいるということを忘れていやしないか。向こうにも色々悪いことはあって、一から十まで見習うべきユートピアなどでは決してないのに。
ちょっと習い覚えた英語を使って「グローバルごっこ」して喜んでいるだけならそれこそ猿でもできる。そこでとどまらずに、自分がやっていることがどういうことなのかをもうちょっと考えて、客観的に物事を見ようという姿勢の人が少ないのは本当に情けない限りだ。
じゃあ日本人は会社に残って何やってんだろう?ケインズの言う事を真に受けて「穴掘って埋める」作業を繰り返してるだけ?
違うわな。
仕事をしてる。
体も疲れてるだろうし能率も落ちてるだろうけど、目の前にある問題を一つずつ解決している。
欧米人が8時間かけて8個の問題を解決している間に、日本人は12時間かけて10個くらいの問題は解決してるんじゃないのかな(12個の問題は解決できないだろうけどね、能率は落ちてるだろうから ← 大事なことなので2回言いました)
各国の国土のアドバンテージ/ハンディキャップ、インフラの普及率、安定度、店の商品の品揃えや、品切れの無さっぷり、新商品の流通速度、都市部と地方部の格差、・・そのあたりの数字はどこかに公開されていないのかな。数値化するのは難しそうだけど。でも以前、産経で http://anond.hatelabo.jp/20100724201440 こんな記事はあったねえ。
そういう数字をすべて見比べた上で、俺らは何の意味もない苦労を強いられている奴隷なのか、レベルの高い社会を維持している国民なのかを判断したいところ。
若者のバイク離れなんて話がそこらに転がっている。バイクが売れないらしい。
まあバイク業界は大変なんだろう。売り上げ下がっちゃうからね。ここ数年の話じゃなくて、ここ10年くらいはしんどいらしい。
自分はバイクに乗らないし、さして興味も無いので、別に何も個人的には困らないと思っていた。しかし、なんと自分の身に影響が出てきているというのが最近、解ってきた。
自分は、そこそこの企業の総務部の人間で、人事採用も関係のある部署で働いている。そこそこの企業である為、障害者を雇用しなければならない。法的には従業員の1.8%以上を障害者にする必要がある。会社の方針としても、1.8%は厳守事項であり、目標は2.0%という事になっている。その障害者雇用に関しての担当を受け持っているんだけど、いろいろと大変なわけです。まあ簡単な仕事は世の中には無いんでしょうけどね。
自分がいる事業所は概ね500人程度の人間がいるので、10人の障害者を雇い入れなければならない。ここ数年で団塊世代が大量に退職していく中で障害者の方も退職していかれたので、障害者枠での採用がちょこちょこと必要になってきた。
障害者さん達は、独自のネットワークを持っていて、どういう障害を抱え、どういう職歴の人が今、求職中であるのかという情報を提供してくれる。
様々な障害を抱えている人達がいるのだけど、ここ最近、後天的障害を抱える人達が少なくなって来ているそうだ。これは交通事故の減少、バイク人口、バイク事故の減少により、重傷者も減り、健常者から障害者になる人も減っている。
障害者の絶対数が少なくなると共に、後天的な障害者数の割合も下がってきている。
さて、このような現象がおきると、いったいどうなるか。
こういう言い方も変なんだけど、健康的な障害者が減っている為に、健康的な障害者の取り合いが発生している。増田にしか書けない事なんだけど、先天的に障害を持っている人達というのは、やはり一般的な人達と違って、福祉やボランティアの加護の元にいるので、詳細は書きませんが、どうにも自立していない人達が多い。雇い入れても、様々な要求をしてくる。一般的な従業員よりもかなり気を使う対象になる。そして法律や条令を熟知していたり、家族や親類が熟知しているので、障害者枠で採用されているといういわば特権を生かして様々な要求をしてくるのだ。
うちの会社はブラックではない。しかし、100%完全に労働基準法を遵守しているとは言い切れない。95%くらいは遵守していると胸を張れる位のワリと大した企業であるとは思っているが、100%ではない。その100%ではない部分をよんどころの無い人達は突いて来る。
交通事故、運命のいたずらにより障害者になってしまう人達がいる。そのような人達はエネルギーがすごい。元々が健常者である為、気持ちは普通の労働者となんの代わりも無い。ただ足が不自由だとか、視力が異常に低いとか、手足が無いだけといったところ。そのようなハンディキャップが直接、業務に関係が無ければ、ほんとにフツーに働いていける。床の段差や特別なトイレを準備するだけで働いてくれる。喜んで働いてくれる。
若者のバイク離れ、車離れによって、障害者が減っている。障害者雇用の担当者である自分にはとても面倒な事になってきている。同じような仕事をしている人はもう大抵の人が困っていると思う。と同時に、障害者枠を狙って、健常者がそこに滑り込もうとしている事例も出てきている。今の世の中、就職が厳しい。しかし、障害者枠の就職はそうでもない。そこを狙ってる人達がいるらしい。いったい誰が手引きしているのだろうか。障害者認定要件についてやたら詳しい人達がいる。
まだまだ問題にまでなってはいないけど(目を瞑られてる??)、障害者枠については、今後、大いに問題になってくると思う。
隣国では就職をする為に、足首を切断する人まで出ているようです。(足首を切断しても一般生活にはあまり影響が無いとか)
バイク離れというより、就職難時代の障害者の話みたいになってしまいましたが、一見、自分にはなんの関係も無いような事も、流れ流れて関係してくるのだなと思った次第。
彼女が性体験を語るのを聞くのが嫌なら、それを正直に伝えればいいのではないだろうか?
「過去の男との性体験を聞かされるととても嫌な気持ちになるし心が痛くなるからいわないでほしい」
だからね、そのスタンスだと
前提として「聞かされる→苦しみを植えつけられる」を通っちゃうじゃん
そうなってから「いわないでほしい」「わかった」って合意してももう遅いじゃん
・継続的にやることで害が生じることがら
・一度でもやったらあとはほっといても永続的に害が生じることがら
ってあるでしょ
「いつも食事のとき散らかす」みたいなのはその場限り一回ごとの害だから
「やめて」「わかった」でいいよね、継続してちらかさなければ新しい害は起きないんだから
でも本当に傷つくようなことを一回言われたらそのあとずーっと苦しめられることあるよね
わかるでしょ?この例え
だから、知ってしまった後のことは彼女がどうこうの問題から離れてあなたの心のあり方の問題となる。
そこなんだよ言ってるのは
彼女から離れて、言われた方の男の、知らされた方の男の問題として、ずっと問題が続くの
彼女は責任取れないしどういう問題が続いてるか、どんな風に膨らんでるか、関知も出来ないでしょ?
なんでそういうことわからないの?
いやむしろ無理してわからないふりをしてるように見える、こういう話をする時の最近の人達
女の子が処女か非処女かにこだわるのは、その子に対してとても可哀想なことをしているように思える。
なんで処女性の有無だけ特別に見逃せという話になるかわからない
男であれ女であれ、恋愛以外の場であれ、
「変えられない過去」と「その上に打ち立てられた今」を評価されてるものだよね
ルックスも収入も人格もギャグセンスも趣味も個性も学歴も前科も、
「変えられない過去」って言うならそんなの全部そうじゃない?
別に気分いい話じゃないけど
学歴という過去のせいで女性に選ばれたり選ばれなかったりするよね?
交通事故という過去で負ったハンディキャップも人との出会いや評価に影響あるよね?
嫌な例えが続いて申し訳ないけど、事故で顔がグチャグチャになった人相手に
そこで「愛が足りない」「クズ」「最低」って押さえつけて、意味がある?
だから、相手を本当に好きで思いやっているのならば、そこは気にするべきではない。
そういう無意味で精神論的なマッチョ強制をするべきではない、といいたいのよ
その問題でどうしようもなく傷つく、悲しくなる人間がそれなりに多くいるのに
女はその問題を知るな・ないように振舞えだの、傷つく男はカス野郎だの、変なモットー生んで強制しても意味無くない?
そういうモットーのせいでそういうことを粗末に扱ったり、
彼氏に無神経な発言して深く傷付けてから気付いて驚いたりする人が現れてるだけじゃん
コレが嫌な暗い話なのはわかってるよ
でもだから全員で無視しろっていうのは意味があるのかな
そもそも元増田が直面してるのが
そう言われて「気にしないマッチョな男」の振りした男が結局あとで苦しむ事例、って話なのに
ぼく、父親いないよ。母親は足を壊して車椅子生活で、ずーっと生活保護世帯でしたよ。
だから院進学できなかった子。成績が良かったから、大学まではなんとかなったけども。
学費はアルバイトと奨学金。一種二種併用だったから、大学卒業時の借金はレクサス1,5台くらいでしたよ。
偉そうなこと述べてるけども。五体満足な日本人で、その意味で同情に値する人間なんか一人もいないでしょ。
ぼくが今27歳。少なくとも、現在50歳くらいまでの日本人で本来の意味で「持たざる者」ってのは
せいぜい身体ハンディキャップを持った人くらいのもので、それ以外の持たざる者なんか
全部当人がワルい。その舐め腐った考え方が根底にあるからそういうねじけたロジックが出てくるんじゃないの。
そしてもう一つ。
あんた「カネ」に執着しすぎ。あなたは「研究職」の人間を「持たざる者」と定義するけど、
彼らそもそも弱者じゃない。競争の中に身を置かず、好きなことに専念することを「選んだ者」。
そして、それを選べるのははっきり言って「強者」なんですよ。どんだけ成績良くても努力しても、
家にカネがないと院進学は選べないの、就職も不利になるし、先が見えにくくなるし。
あなたの言う「弱者論」はぼくには通じないけど、「発言と立場は切り離せない」って考え方は一理ある。
でも、今回論じている対象はそもそも弱者じゃない。彼らは、強者だからこそそちらの道に甘んじられるってのを見落としてる。
[本]この世でいちばん大事な「カネ」の話
ttp://d.hatena.ne.jp/fujipon/20090116#p1
幼年時代から苦労を重ねたこともあり、Aは人情家であった。若い者が訪ねてくると、Aは決まって「メシを食ったか」と尋ねる習慣があった。少年・青年時代、満腹感を抱くことが少なかったAだからこその、温もりのある言葉である。Aが人望を集め、高い人気を誇ったのは、その根拠に血の通った人間臭さがあったからであろう。
Aの人身掌握術は天性のものだったかもしれないが、苦労によって磨きもかけられた。一方、Aの官僚操縦術は、昭和20年代に数々の議員立法を手がけたことによって習得されたものだといえる。昭和30年の国会法改正前までは、議員は1人でも法案を提出することができ、その数はきわめて多かったが、実際に成立したものは少ない。しかし、Aはみずから政策の勉強を重ねて低学歴のハンディキャップを克服し、先輩・同僚議員や官僚への根回しを行いながら、道路三法など実に30本以上の法律を成立させている。
もちろん、人心を掌握するため、人一倍、カネも使った。正確にいえば、苦労人のAにとり、カネこそみずからの気持ちを表現する数少ない手段のひとつだったのかもしれない。首相に就任したとき、ある祝賀会で小さな女の子から花束を贈呈されて感激したAは、すぐにその場で財布から一万円札を取り出して渡したという。周囲は驚いたが、それが「A」であった。「政治は数であり、数は力、数はカネ」との台詞からも、「A」が透けて見える。
この「A」って、誰のことだかわかりますか?
どうも、「障害者」という括りに入れられるのを嫌がっているように感じるナァ。
いち障害者から…と書きながら、その括りには実は僕は入らないんだよと言いたげな感じが…
ちょっと意地悪く書いてしまったが、その気持ちは自然なものだと思う。
誰だって、出来れば余計な障害など持たず、普通の側に立ちたい。
僕だって、そうだ。
ただ、この辺は見た目に分かるか分からないかで、その気持ちの出し方が微妙に変わるのかなと感じた。
僕は、右上下肢に障害があり、右手の握力は普通の人の半分以下で、歩くときはいわゆるびっこを引く感じになる。
障害の字を、障碍などに変えてほしいと思ったこともない。
多分、見た目にはっきり分かる障害なので、他の人に説明しなくても一目同然であり、どう呼ばれるかは殆ど関係ないからだと思っている。
むしろ、障害とどう付き合っていくか(社会との関係も含めて)の方が、よっぽど大事だ。
字面をどうのという議論をする余裕があるなら、いろんな人がそれぞれに気持ちよく暮らしていける社会を作る為の議論を深めてほしいものだ。
言葉をどういじくったところで、障害が消えるわけではないのだから。
まぁ、これは個人的な意見ですが。
障害があるということは社会生活上のハンディキャップがあると言うことなので、カテゴライズは必要だと思う。
逆に言えば、社会生活上のハンディキャップがなければ、それは障害ではない。
個性である。
実は、障害は個性でもある(まぁ、本気でこう思えるようになるには、ずいぶんかかったが…)
なんとか物語らしきものを作れるようになったコツ。
誰かの役に立つかもしれんのでメモがてら残しておく。
物語の最小構成は「成功するか分からない目標に向かう主人公」だ。
わかりにくい書き方ですまない。ただ、起承転結とか序破急とか専門用語はいまいち何いってるのか分かんないんで、
それ系の参考書とか読みながら、たどり着いたシンプルな結論がこれなんだ。
オリジナルな考え方とかでもなく、専門書ならもっと詳しく丁寧に説明してくれてると思うんで興味があったら色々読んでみてくれ。
鋼の錬金術師:禁忌を犯して身体を失った主人公達が、自分たちの身体を取り戻そうとする話(最終的に身体が取り戻せるかどうかわからない)
大正野球娘:自分たちを女だからと馬鹿にする男達に野球で勝とうとする話(最終回まで、勝てるかどうか分からない)
ワンピース:大秘宝ワンピースを手に入れて海賊王になろうとする話(海賊王になれるか以下略)
その他、スポーツものなら全国優勝を目指すし(優勝できるかどうか分からない)、ラブコメなら意中の異性を振り向かせる(成就するかわからない)。
箇条書きで言い換えてみるとこうなる。
1「主人公には何か目的がある」
↓
2「障害(強敵やら身分の差やらハンディキャップやら、とにかく主人公の目的をジャマするもの全部)を乗り越えようとする」
↓
3「結果が出る(成功する場合もあるし、失敗で終わる場合もある)」
重要なのが2番で、障害になるものがないと「成功することが分かりきっている」から全く盛り上がらない。
なるべく高い壁だったり強い敵だったりして、主人公が目的を達成できなさそうにしておくのがいい。
これを押さえておけば何でも物語りになるんで、
でも「通学路の途中にヤンキーのたまり場があって、そこを通るといつも絡まれる」とすれば、
じゃあどうにかして(その道を通らないで他の道を探すでもいい)学校にたどり着こうとする主人公ってことで物語が出来る。
その他、題材は何だっていい。
スポーツにしようがバトルにしようがラブコメにしようが「成功するか分からない行動をしている主人公」がいればいい。
あとは目的に対する障害があって、主人公が成功したかどうか書けば物語は完結する。
成功したかどうか、結末がどうなったか、わざとボカしてもいいけど、おれは上手いやり方を知らないのでパスしておく。
ギャグ漫画なんかはあえて物語にしない方向もあるし、わざと物語を破綻させて新しいものを目指すってんでもいい。
言うまでもないけど、物語が破綻していないのと面白いかどうかはまったく別で、最低限「これを守れば家ができます」程度の設計図みたいなもん。
とりあえず物語フォーマットに乗せて、演出とかキャラとか色々つかって面白くしていく…らしい。初心者のおれにはそこが難しいわ。
でもとりあえず、うえの3つの要素が揃っていれば物語になるんだって知ってれば、いろいろ応用もきくかなって思う。
練習もかねて身近な出来事かたっぱしから物語化していくといい練習になるよ。たぶん。
ラブプラスの感想をネット上で読んでると、おもしろい/おもしろくないじゃなくて、「感謝」って言葉を多く見かける。
で、↓の文章を思い出した。
……最も印象に残った手紙は、女性らしい美しい文字でつづられていた。それは、障害者の息子を持つ母親からの感謝の手紙だった。
息子の年齢が上がり、肉体的に成長すると性処理は深刻な悩みとなった。それまでは母親の手で処理していたが、息子の性的欲求は強くなるばかり。すがるような思いでダッチワイフを購入し、その悩みが解消されたという内容。
手紙の最後には、“地獄を見ずにすみました”と書かれていた。少し複雑な思いに駆られていると、土屋氏はそっと言う。
「こういう場合が実は一番多いのかもしれません。だから、ある意味で仕事をやめられないんですよ」
ちなみに、同社では社会貢献の一環として心や身体にハンディキャップを持つ人たちを対象に、購入代金の割引制度も導入している。
なんとなくラブプラスにも似たようなことが言えるんじゃないかなーと思えた。
ちなみに、同じところからの引用になるけど、ダッチワイフを必要としている人にはこんな人もいるという。
(いかに今のダッチワイフが備える人工性器が凄いか、という話題に続いて)
これほど完ぺきな人工局部だが、この部分を購入しない場合もある、という。
「だから性欲の処理用に購入されるだけじゃない、って感じることもあります。亡くなられた奥様や娘さんに似せてつくるコトができないか、っていう相談を受けたんです」
ラブプラスが目指すべき次が見えたような気がした。
「Mutteraway」さんが、「日本の企業は閉鎖的なので、大手企業は同業他社からの転職を取らない事で、自社の社員の転職を防ぐムラ社会を構築しようとします」と指摘しています。
グループウェアで有名なIT企業のS社の方とさっき雑談しているときに、景気の話しになりました。その時の話しですが、日本人は学校で「まず他人を幸せにしてから、自分が幸せになりなさい」とムラ社会で上手に生きてゆく基本ポリシーを教え込まれます。自分だけ幸せになる人は協調性の無いエゴイストという訳です。「自分だけ幸せになってはいけない」という文化の弊害として、こんな不況の時にうちだけ広告を出せない、自分達だけ飲みに行けない、旅行に行けない、そういう自粛を促す重たい空気が日本全体を覆いつくして、かくも悲惨な経済状態を作り出しているのではないでしょうか。・・・世界中の人たちが「まず自分が(経済的に)幸せになる事」を第一優先に競争している中で、日本人だけが、自分の(経済的)幸せをおおっぴらに追求し難い状況は、グローバル競争において大きなハンディキャップとなっているのかもしれません。
日本の「ムラ社会」性は、民主党政権の下で強化されていくような予感がします。民主党のマニフェストに掲げられている経済政策が、社会主義的で統制経済的なものが多いからです。グローバル化が進む経済というリアリティに背を向けて、あたかも鎖国状態にあるかのような錯覚をベースにした経済政策を打ちはじめれば、必ずその刃は日本国民に跳ね返ってきます。そのことが本当に分かっているでしょうか?・・・心配です。
http://kimuratakeshi.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-64ce.html
某大に生息する理系30代既婚女だが、最近ちょうどこれについて考えてた。以前は、本人が好きで、適性もあって、好きなことを仕事にして機嫌よく生きていけるんだったらこういう道もいい、こちらから薦めはしないけど本人が選択したら応援してあげたいと思っていたけど、今は反対したい気分だ。
同時進行中の痴漢の話じゃないけど、学内で性絡みの事件が多過ぎる。そして圧倒的に男性社会なので公にすることも出来ず、当事者が一人で耐えるしかない状況がある。世の中は女に甘いじゃないかと言われそうだが、セクハラ争議を起こした当事者がそのままの場所に留まることは出来ない。声を挙げると将来が閉ざされる最後の手段なので、そうそう行使することはない。大体、それが起こるのが問題なのに、起こった後の処罰が厳しくても本人の役には立たない(似たような事件を防止する見せしめの効果があるかもしれないので、不特定多数の人の役に立つかもしれないが、本人の役には立たない)。
自分一人分の事例だけ考えても、高校~大学の間に、こんなことがあった。
(なお、他人の事例を勝手に書いてよいものかと思って自分の分を書くだけで、漏れ伝わる学内の話を聞くに似たようなものである。)
この辺までが直接的な事例であり、パターンを学習して自衛するか、ものが無くなる系などはある程度の頻度で起こるのは仕方ないと割り切ってきた。
しかし、なかなか割り切れない事例もあった。
一件一件は理系でなくても起こりうる、ありふれた出来事なのだと思う。しかし、偏った男女比のせいであまりにも一人に集中してしまうところが理系の問題なのだ。一件一件は耐えられる事例でも、連続で起きると耐えられなくなる。周囲もまたかという反応になり、余計孤立する。この状況は過酷過ぎる。これが、自分の娘には理系の進路は薦められないと思う理由である。世の中には知らなくてもいいことがある。自分はたまたま知ってしまったわけだが、最初からこのことを知っていたら、あえて愛する者を飛び込もうとさせるだろうか。これが頭の固い世の大人達の正体なのではないだろうか。彼らは狡猾なので、なにがあるか直接言わずに、悪い虫が・・・なんてあやふやな言葉で誤魔化しているだけかもしれない。
最後に、関連で意外な変化があったので書いておきたい。
20代くらいまではこういったことにはひたすら耐えるのみで目を瞑って全力で駆け抜けて来たが、30代に入って子供を持つことを意識するようになって、性が生殖行為であることを実感するようになって、一気に耐えられなくなった。ある意味、若い頃は実感がないために耐えられたが、今は耐えられなくなっている。周囲からは、若い子だってそんなに騒がないのにオバサンが必死でみっともないと映るだろうか。こういった嫌悪感というものが生殖に深く結びついていることを自分の身を通して知った経験談のひとつとして読んで頂ければ幸いである。
「勇気があればなんでもできる」という絶望 - 魔王14歳の幸福な電波
http://d.hatena.ne.jp/Erlkonig/20090403/1238757230
が少し面白かった。
自分でも思い当たるところがない訳じゃない。勇気のなさを貶されるのと同じくらい、努力の無さも貶される。で、聞かれるわけだ。「要は、怠けてるだけなんじゃないの?」 いや、おっしゃるとおり。
切羽詰まれば努力はするよ? 必要があれば1日12時間以上は勉強するし、18時間くらいは仕事もする。でもそれを5年間10年間コンスタントに続けられない。すぐ隣の研究室では毎日朝の7時には研究を始めて、10時過ぎまでは頑張ってる奴が居るのに。そうしないと将来の就職が危ないことも分かっているのに。世界中には嫌になるくらい沢山の天才秀才が居て、しかもそいつらが自分以上に努力している。能力が彼らに及ばないなら、努力するしかない。でも出来ない。ついだらだら寝てしまう。ちょっと行き詰まればネットサーフィン。キャリア的には自殺行為だと分かっているのに、切羽詰まるまで体が動かない。
で、そんな自分を後から振り返って思うわけだ。「努力って才能のうちだよな」と。イチローみたいにストイックに自分を突き詰めていくことが出来る人間は、きっと最初から何か違うんだ。俺にもそう言う能力があれば、今頃はヒトカドの人物になれてたんだろうな、と。それが単なる言い訳探しであることは自覚した上で、それでもそう考えてしまう。
でもね、どうしようもないんだよ。仮に努力するのが才能のうちで、勇気を持つのも才能のうちで、我々は不運にもその才能に恵まれなかったとしても、誰も助けてはくれない。世の中には我々よりも切実に助けを必要としている人がいて、彼らの不運に比べれば、我々の不運など救済の対象になるわけがない。このハンディキャップを抱えて生きていく以外の選択肢なんて、我々にはないんだ。
それが嫌なら、自分を変えろ。俺は色々な方法で自分を追い込んで、リスクをしこたま取って、極力常時切羽詰まる状況を作ろうとした。自分を努力させるために。そのおかげも多分少しはあって、十年来のちょっとした夢を叶えることも出来た。イチローには努力できない人間の気持ちが分からないように、俺には勇気を持てない人の気持ちは理解できないから、どうすればいいのかは知らん。
そんなこと出来るわけがない?『「気持ち」だけは、自分の意志ではどうにもならない』? もし「そう思う自分が正しい」という自信が本当にあるなら、あきらめろ。君はささやかながらハンディキャップを抱えた人間で、死ぬまでその不利益を被り続ける。俺が「努力しきれない自分」のせいでいくつかの夢をあきらめてきたように。それを受け入れろ。
アドバイスが的外れ? 次は意味のある話をしてください? それが言えるのは、君がアドバイスに金を払っているときだけだ。自分と同じハンディキャップを抱えた人間以外のアドバイスに意味があるわけがないだろう。そして、世の中の多分過半数の人間は君と同じハンディを抱えてなんて居ないんだよ。そんな人たちに、自分を理解してくれなんて期待するな。そんなもの甘え以上の何者でもない。それを求めるなら、ちゃんとお金を払ってカウンセラーを雇え。それで求めたものが得られるのかどうかは分からないが、少なくとも金銭分の理解を要求することはできるから。
自分が弱者だと大声で喧伝する前に、君はひとつの決断をするべきだ。その勇気を持つべきだ。「勇気を持てない自分は変えようが無く、今後一生それとつきあっていく」という勇気を。弱者から抜け出すアドバイスを拒絶するなら(不可能と信じるなら)、弱者で居続ける自分を、そこから生じる不利益を受け入れる勇気(覚悟)を持て。全てはそれからだ。
的な記事ばかり書く人なのよ。この人。
他にもいたな、同じく日経紙面で腕組んでるパソコン系三文ライターが。
2.「ところが1990年代に入ると、大手量販店が1万円台、さらには9800円といった価格」
3.「自転車はタイヤの空気圧やブレーキの効き、チェーンの給油などを日常的に気をつけていないときちんと性能を保つことはできない」
4.「毎日何百kmもの距離を走っている。あれはプロだからできるわけだが」
5.「ほんの少し良い自転車に乗れば自転車で30kmぐらい走るのは全然難しくない」
この5点を浴びた私のゲンナリ感解消のためにすこし。
→大げさだよなぁ。部品点数として、車の1万点、航空宇宙産業の100万点?などがよく引き合いにだされる。だが、自転車の場合、百まで部品点数がいくか?
まさか、チェーンを外してピンとプレートとローラーにリンク数105前後をかけてる?そういう計算方法だと逆に千までいかないか?どうも「ちゃんとしたソースに当たってない」感が漂うんだよな。
2.「ところが1990年代に入ると、大手量販店が1万円台、さらには9800円といった価格」
→統計「読んでない」だろ。中国からの輸入自転車の数が伸びてきたのは2000年以降のことだとオレは記憶している。
「これら格安自転車は国内の自転車市場を席巻し、日本国内における自転車製造を壊滅状態に追い込みながら普及していった。みんな、安い自転車を喜んで買った」と、そのまま繋がるから問題ないじゃないかと反論があるかもしれないが、ちゃんとバッタもん商社が現れて、大手スーパーのどこどこの部が扱いだして、国内の部品工場への実需が減っていったなど等取材した痕跡が見える文か?「みんな安い自転車を喜んで買った」のみんなって誰よ?何が決めてで買ったのか誰が主導で買ったのかちゃんと取材したのか?
3.「自転車はタイヤの空気圧やブレーキの効き、チェーンの給油などを日常的に気をつけていないときちんと性能を保つことはできない」
→そりゃそうだとも取れるが、どうせ性能出さないんだから、どうでもいいよ。フツーの使い方の、毎時20km未満の速度じゃわかんないよ。
どうも書き方がセコいんだよ。
「自動車はタイヤの空気圧やブレーキの効き、エンジンオイルの入れ換えなどを日常的に気をつけていないときちんと性能を保つことはできない」と置き換えてみろ。
エンジンオイルを換えないおばはんにさえ要注意しておけば、10万kmでも15万kmでもどうにでもなるよ。
4.「ツール・ド・フランスのようなプロ選手のレースを見ると、毎日何百kmもの距離を走っている。あれはプロだからできるわけだが」
→この人おそらく、ツールは「見たことがない」し、長距離と呼べる距離をおそらく「走ったこともない」。「ツールは平均して150km超の距離を20日にわたり・・・」と書けばいいだろ。「毎日何百km」なんて書くと、200km~300km、400km走る日もあるのかと誤解される。
「あれはプロだからできるわけだ」という文面からは、あたかもプロでないと「数百kmを毎日」走ることは難しそうな印象を与えるが、そんなの、プロまでいかなくとも実業団BR-2クラスで40未満なら誰でもできる。
5.「ほんの少し良い自転車に乗れば自転車で30kmぐらい走るのは全然難しくない」
速度が乗らず距離が出ないという究極の問題の原因を外しているだろ。「ペダルが踏んだ力がどこかに逃げていって、きちんと前に進む力となっていないような感覚」とも絡むが、モノが安い高いというよりは、基本的にサドルが低すぎて、クランク軸周りが酷すぎるから、どうにもならん。
ママチャリのクランク軸は「おばはん専用仕様」がデフォで165mmがほとんど。身長の1/1000説をそのまま採用すれば、望ましいクランク軸の長さは170mm、そうなっていないので成年男子には基本的に合わない。それに、格安自転車も「国産」普通自転車もそうだがクランクの材質が鉄。とっととアルミかカーボン、(或いはクロム・モリブデン鋼)に変えればいい。(でも、ママチャリのクランクを交換するのは費用面で現実的じゃない)。クロモリでもそうだが、硬度がないと「力が逃げていく」。
常用されるサドルの低さも大問題。こればかりは実感してくれないとどうにもならないが、使う筋肉が違う。ふくらはぎの筋肉を使ったらダメ。3時の方向から足を伸ばしきるときにかけて最もトルクが乗るように調整する。
力が入りきるようにサドルの高さが調整されてあって、クランク周りからフニャフニャ力が逃げなければ、”荷物を満載した”マウンテンバイク程度までには走る。したがって、平地で毎時28kmくらいまでだったら、ロードバイクにくらべての無茶苦茶なハンディキャップはない。
色々書いてみたが、どうもこの人、各論の根拠に取材した形跡が見えなくて、そのことから導出される本論に承服しがたいんだよなぁ。
http://www.zakzak.co.jp/tsui-sat/tsuiseki/contents/030102_02.html
最も印象に残った手紙は、女性らしい美しい文字でつづられていた。それは、障害者の息子を持つ母親からの感謝の手紙だった。 息子の年齢が上がり、肉体的に成長すると性処理は深刻な悩みとなった。それまでは母親の手で処理していたが、息子の性的欲求は強くなるばかり。すがるような思いでダッチワイフを購入し、その悩みが解消されたという内容。 手紙の最後には、“地獄を見ずにすみました”と書かれていた。少し複雑な思いに駆られていると、土屋氏はそっと言う。 「こういう場合が実は一番多いのかもしれません。だから、ある意味で仕事をやめられないんですよ」 ちなみに、同社では社会貢献の一環として心や身体にハンディキャップを持つ人たちを対象に、購入代金の割引制度も導入している。