はてなキーワード: ハゲタカとは
ポケットモンスターに出てくるキャラクターの中で、言葉の意味からして全く分からなかったトレーナー「かじばどろぼう」。
泥棒をするのにどうして火事場を選ぶのか、ずっと理解できなかった。
でもコロナのおかげでよく分かった。
世の中が荒れ狂っている時こそ金の稼ぎどきだと捉えているハゲタカが沢山いるんだ。
はだしのゲンに出てきた闇市みたいに、皆が困っているからこそ儲かる人達が居て、それが商売ですらないクズが実在するって。
火事場では皆生き残るのに必死で、だから泥棒が捗るんだってね。
そして、そういうことをする奴は昔々め組が存在するような頃は、それはそれは重い罪を受けたらしいよ。
でも現代の火事場泥棒は、そういう状況を利用して本当に逃げ切れるほどの地位を持っている人達がやる職業らしい。
酷い時代だな。
非研究者にとっては、どの雑誌がまともかハゲタカかなんて分からないから、まともな業績なんだろうとスルーしてしまう。
あるいは研究者自身も無知で、まともな雑誌と思って投稿している。(あるいは研究者ネットワークがなくて「それはハゲタカだ」と教えてくれる人がいない)
「ハゲタカジャーナル」という言葉がアカデミアに現れて数年が経つ。
「査読あり論文」を「国際英文誌」にどのくらい出版したかが研究者の「業績」で最も重要視されるものであり、競争的資金の獲得も、大学や研究所でのポジションの獲得も、一にも二にもどのくらい業績を持っているかが左右する。
競争が苛烈だという問題はあるものの、研究という活動に、競争的要素がある以上、競争があるのはやむを得ない面もある。
しかしながら、10年程前よりこの業績評価の穴を突くような商売が現れた。
それが Predatory journal、通称『ハゲタカジャーナル』と呼ばれる粗悪学術雑誌である。
身もふたもない言い方をすれば「金さえ払えばお前の論文を『査読付き国際英文誌』に載せてやるよ」という商売である。
オンライン上にしか存在しない「国際誌」を創刊し、「査読がある」と謳う。
投稿された論文は、実際には査読などされない。内容にかかわらず規定の金額を支払えば、雑誌に掲載される。掲載料は数万円から20万円くらいと聞く。
研究者は研究費(そのかなりの割合は公的機関から出ている。つまり原資は税金である)から掲載料を支払えばいいので、自分の懐は痛まない。
対価として得られるのは、「査読付きの国際誌に論文が出版された」という業績である。
上手いことを考えたもので、「業績が欲しい研究者」と「金が欲しい業者」の思惑はピタリと一致し、この商売は流行りに流行っている。
日本では2018年ごろに新聞で問題が報じられたことで学界においても良く知られることになり、ハゲタカジャーナルへ出版することは悪だという認識が広まった。
もしかしたら、多くの研究者はそんな問題は過去のものだと思っているかもしれない。
しかし、未だに数多くの日本人研究者がハゲタカジャーナルとおぼしき雑誌に論文を掲載し続けている。
(ここでは具体的に雑誌や個人名に言及することはしない。実際、普通のオンライン雑誌とハゲタカ雑誌の境界はあいまいである)
どのような研究者が未だに論文をハゲタカジャーナルに掲載しているかは、簡単に調べることができる。
恐らく多くの研究者は、怪しい雑誌からの論文投稿勧誘メールを受け取った経験があるだろう。
試しに、そのメールに記載されている雑誌のサイトを見てみよう。
多くの場合、そのような雑誌のサイトには、膨大な数の姉妹雑誌も掲載されている。
試しに「Japan」と入れてみよう。
思ったより多くの日本人著者の論文が出てくるだろう。もちろん2020年出版のモノもゴロゴロ出てくる。
その論文PDFを開いてみよう。もちろん著者名が載っているし、著者の所属が明記されている。
ほとんどの場合、著者はちゃんとした大学や研究所や病院に所属している。
どれどれ、著者の名前でResearchmapで検索してみよう…おお!ちゃんと出てくるではないか、確かに実在の研究者だ。
研究室を主催している人間のようだ・・・当たり前のように科研費取得の経験もある。
業績欄を見ても、見知った雑誌名が並んでいる。…あぁ!そんな中に先ほどPDFを見たハゲタカ雑誌に載った論文もあるぞ…「査読あり」と明記してある…。
…そのようなことが当たり前に起こっている。
粗悪雑誌から距離を置き、誠実に業績を積んでいる研究者も、競争的資金やポジションの獲得で競争相手が、このような粗悪雑誌を利用して業績を水増しした研究者である可能性がある。
じゃあ、
4日目 | (あと96日でワニ死なすけど売れねぇかなぁ) |
16日目 | (あと84日でワニ死なすけどそろそろ売れねぇかなぁ) |
26日目 | (あと74日でワニ死なすけどなんか話題になってきた) |
49日目 | (あと51日でワニ死なすけどやべえめっちゃ売れてきてる) |
66日目 | (あと34日でワニ死なすけど色々連絡きて忙しくなってきた) |
88日目 | (あと12日でワニ死なすけどウヒョ~ワニ最高~) |
作者はこんな感じか?と思ったらひと晩寝たら最初からゴリッゴリの電通マーケティング案件みたいになってて草
俺が醜いのも認めるけど、こんなタイトルつけてる時点であいつらの心の中もこんな程度たと思うぞ。
こんなこと書いたら妄想乙そんなわけない、おまえほど醜くないとか言われるんだろうな。
じゃあおまえらはこんな死ぬ死ぬ詐欺みたいな愚劣で気を引くタイトルでなくてもあんなフニャフニャのワニを100日間見届けたのか?
たとえば死ぬって聞いたからどれどれと野次馬のごとく屍肉を漁りに集まってきたハゲタカかハイエナのような一面がおまえらに無いか?
それとも出来合いの作られた死にたいしてスナック感覚でシンパシーを寄せるあたしカワイーみたいな感覚があったんじゃないのか?
そしてそういう連中が寄り付くこと見越して売れてほしいなという微かな願いをもってこんな見世物小屋みたいなタイトルにしたんじゃないのか?
SNS上で毀損された生死についての何かというのは上手く伝えられないがこういうことだ。
100日かけてSNS上のなにかが少し薄まったんだ。
自分がなんでこの件ここまでカロリーが沸いてくるのか、わからない。そこに売れた嫉妬も多少はあるのかもしれない。でもなんか違うんだよ。
過去に作者がこの世の誰かを失ったことがきっかけだとしてもだ。
実際に良くない傾向が生まれている。
SNS上では”ワニ 早く死ね”、”ワニ どうでもいい”、”ワニ 興味ない”といったSNSやってて近いうちに本当に死んじゃうかもしれない人が見たら気絶するようなフレーズを無邪気に呼び起こしてるんだよ。
これは本当にいけない。
危機の出始めにはよくあることだが、ニュースやSNSを見ているといまだに妙な楽観論が支配している。4月にはウイルス騒ぎが収束し、日経平均株価は20500円前後で底入れし、間もなく景気も回復するなんてことを言う専門家も少なくない。だが、そんな可能性は万が一にも無くて、少なくとも東日本大震災級、悪くてリーマンショック級の不況が来るのは確実なのだが、企業業績や経済指標などに具体的に反映されないと私たちは危機として認識できないものなのだろう。
コロナショックは、超グローバル社会と感染症とが組み合わさった未曾有の事態だが、今後の日本経済で展開されるシナリオは過去の経済危機の経験からだいたい想像はつく。リーマンショックの時は、金融機関へのショックを起点として、不動産→耐久消費財(自動車など)→消費財→小売り・外食へとショックが伝播していった。今回は実体経済にまずショックが起き、人とモノの流れが国内的、国際的に滞り、そこからいろいろな過程へ伝播していくプロセスとなっている。
3月上旬の今、飲食店、ホテル、テーマパーク、スポーツジム、イベント、旅行業、ホテル、百貨店といった個人消費分野がすでに深刻な打撃を受けている。
また、世界の製造業の中枢である中国の工場稼働停止が、各国の製造業のサプライチェーンに深刻な影響を与えている(これは早晩正常化するだろう)。
これから何が起こるのか。年内ぐらいでありそうないくつかのシナリオについて、整理したものを書きおこしておく。
●リーマン・ショック時の「トヨタ・ショック(2008年11月の下方修正)」のような、代表的企業の業績下振れショックが3月下旬~4月末の株式市場を直撃する。
●個人消費の縮小に続き、春先から企業投資にもブレーキがかかる。機械受注や民間建設受注の前年比マイナス幅が大きくなる。また、広告出稿量も低迷する。
●4月初め、歓送迎会シーズンなのに居酒屋ガラ空きの映像がテレビに流される。
●金融円滑化法が事実上復活したにもかかわらず、中小の旅行代理店や飲食店、旅館、イベント会社の倒産が前年比で急増する。加えて、さらに図体の大きな業態(空運会社など)でも信用危機が取り沙汰され、金融界に緊張感が高まる。
●インバウンドによって支えられてきた地方経済の困窮ぶりが併せて問題になる。貸し倒れ懸念の高まりとともに、ただでさえ暗かった地方銀行の先行きがさらに暗くなり、再編機運がいっそう増す。
●東京五輪の中止か延期をIOCが発表する。もし予定通りの開催となったにしても来訪する観客数は想定を大きく割り込み、旅行、ホテル業界が目論んでいた2020年下半期の回復シナリオが完全崩壊する。
●日経平均株価が15000円を意識した流れへ向かう中、株価を買い支えてきた日銀やGPIFの含み損に批判の目が向けられる。
●「派遣切り」が相次ぎ、派遣労働者の活動が落ち込む。相前後して鬼女板が往年の勢いを取り戻す。
●「餃子の王将」「マクドナルド」ブームが再来する、既存店売上高の前年比増加率が2桁を超える月が続く。
●ホテルの建設中断があちこちで起きる。五輪の見込みが外れ、今やホテルは完全に供給過剰になり、経営悪化に耐えられなくなった事業者の中から、手元資金確保のためのホテル物件投げ売りが起こる。そのいくつかは財務基盤の厚い財閥系デベがマンション用地としてハゲタカのように拾いあさっていく。
●もともと薄氷を踏むようだった構造不況業種も、リストラや業界再編の動きを一段と加速させる。例えば、百貨店や百貨店への出店を主とする従来型アパレル(三陽商会やオンワード)。
●10月の臨時国会では、インバウンド依存型経済の功罪が議論になるとともに、巨大な補正予算が組まれ、消沈するインバウンド需要の埋め合わせを財政で行おうとする。消費減税や、疲弊する地方の振興、特定の市場への振興策などが景気対策の玉として注目される。
●景気刺激策として政府は新たにどんな市場を振興したがるだろう。これについては予想がつかない。ただ、リーマンショック時はエコカー補助金、家電エコポイントとして実現された。自動車や電機業界のロビーイング能力は今回も健在だろう。
●大胆な財政・金融政策パッケージによる景気回復を前面に打ち出したドナルド・トランプの再選が決まる。
●安倍晋三4選への道が険しくなる。この道が絶たれた場合、政権がレームダック化するため、「ポスト安倍」に向けた自民党各派、公明党、野党の動向が2021年政治の焦点となる。
ぶっちゃけ話をすると,私はこれまで「別に査読はなくてもいいだろ」という話を延々としてきたのだが,ブコメやらtwitterやらで文系擁護派の一部の人が「人文系の学問は査読になじまないんだ!」みたいな議論を始めてることには正直困惑している.
日本語で文学関係の査読つき論文とかたくさん出てるし,というか英文で文学を専門にした査読誌は普通にあるし,国際的な和文査読誌も存在するし,問題のおおもとになった日本社会学会には和文と英文の査読誌があるわけで,文学や社会学の論文が本質的に査読に馴染まないなんてわけはない(実定法学は知らん).査読できるならした方がいいだろう.学術的ではないエッセイにまで査読を求めるのは間違っているけれど,新規性のある学術論文を査読制度に向いてないと言い募ることもおかしいと思う.
査読になじまない型の研究としては,たとえば史料校訂とかそういうのが挙げられるかもしれないけれど,それだってやろうと思えば外部チェックは入れられる.論集だってもし余裕があれば査読をした方が質が高まるし,選書系や新書系ではない単著も査読をした方がいいだろう(このへんは出版社の体力との相談になってくる面もあるので,今すぐに査読制度を取り入れろとは言えないことがもどかしい.twitterではOxford University Pressで査読つき単著を刊行した人が議論していたけれど,OUPと日本の出版社は体力違いすぎるんで……).
私が査読なしの論文を業績として認めるべきだと主張するのは,現在査読がなくとも良質な論文や著書が多く存在しており,それらを形式的に査読されていないという理由だけで無価値であるかのように扱うのは間違っていると考えるからだ.だが未来永劫査読すべきでないと主張するつもりはない.
もちろん査読という制度には様々な問題があるので,全面的な導入に慎重になるのはわからないでもない.文系分野での査読制度の拡大は止められない趨勢だろうが,一方で「査読されていないものの良質な文献」も産出され続け,全面的な査読制度の導入まではかなり遠いだろう.そのあいだにじっくりと議論をすればよいと思う.査読がないから文系は無価値だ! と絶叫するのでも,文系に査読はなじまない! と拳を振り上げるのでもなく.
id:hogefugapiyox 「査読がないから文系は無価値だ! と絶叫するのでも,文系に査読はなじまない! と拳を振り上げるのでもなく」ほんこれ/ 査読が実質なしという事で近年問題のpredatory journalについての考えも聞いてみたいかも
英語じゃないと業績として認められない分野のことはわからないけれど,和文論文が業績として通用する分野ではpredatory journalの話はあまり聞かない.
というのは,和文査読誌を出してる主体は,学会もしくは大学・研究所などの機関にほぼ限られるから.
学会が出している査読誌の多くは,投稿資格を会員に限定していて,多くの学会は年数千円の会費(院生や非常勤と常勤では価格に差をつけている学会が多い)を払いさえすれば誰でも会員になれる(推薦者が必要な場合もあるが,指導教官とか先輩とかに推薦してもらえばよほどのことがない限り会員になれる).つまり査読誌は会費で維持されており,こういう雑誌では投稿も掲載もふつう無料だ(流石に抜き刷りとかは金を取ることが多いだろうが).会員は会費を払い,見返りとして論文投稿の権利と雑誌を頒布される権利を得る(余談だが,日本の学術誌のOA化にあたっての障害の1つがこの「会費で学術誌を維持する」システムだった.会員は会費を払って雑誌を受け取っているのに,会費を払っていない者にまで無料で公開するなんて何ごとだ! というわけ.今でも,CiNiiやjstageで無料公開してるのは発行から○年過ぎた号だけです,みたいな運用をしている雑誌はある.
大学や研究所は言うまでもなく自分たちの研究費で雑誌を維持しているので,投稿料や掲載料を取らないことが多い.それって紀要じゃ,と言われるかもしれないが,投稿資格を学生や教員に限定していない場合があり,下手するとそのへんの学会誌よりも査読が厳しく良質な論文が載ったりするので,研究機関が出している=紀要というわけじゃない.これは外国でも割と見るんだよね.
もちろんごく稀に出版社が商業で出している学術誌もあるのだが,そういう奇特な出版社は文系の学問に理解があり非常に良心的なので投稿料を取らないことが多い.少なくとも私が知ってる雑誌はそうだ.
そして,日本語のアカデミアは豊かではあるが英語ほど広くないので,predatory journalが参入しようと思うほどの旨味がないし(全世界から微妙なデキの英語論文をかき集めてくるから商売になるわけでしょ?),たいてい自分のレベルでも投稿できる雑誌が探せばどこかにあり,場所を選ばなければ発表できてしまうわけで,わざわざ悪徳業者にカネを払うインセンティブがないんですわ.最近は学内紀要にも査読つきが増えてるから,紀要に出して「査読つき論文です(キリッ」というのも可能.ただ学会誌か紀要かは下手すると雑誌のタイトル見れば判別つくから,「あ,こいつ査読論文いっぱい書いてるとか言ってるけど全部紀要だわ」みたいなのはそれこそ業績リスト見るだけでわかったりする(まあ,学内紀要でもガチ査読していることはあるので,紀要だからといって低く見られるのも可哀想なのだが.うちの大学では学内紀要に落ちたという悲鳴もちらほら聞こえます).
なのでpredatory journalに関しては,うちらには関係ないね程度の感覚.id:min2fly氏の指摘は本当にそのとおりだと思う.
(……)査読は英語で“Peer review”,同じ分野の研究仲間(“Peer”)による評価を指すが,国際化が進み,大量の研究者・雑誌・論文が存在する状況において,果たしてある雑誌の投稿者,査読者,読者が一つの研究コミュニティの「仲間」となっているのか,ということになるだろう。互いに見知ったコミュニティであれば,でっちあげられた架空の研究者に査読を依頼するなどありえないし,不正に査読を通過して論文を掲載したところで,内容が稚拙であればむしろ評価を下げることになる。また,ある程度雑誌数が限られていれば,聞いたこともないハゲタカOA 誌に掲載された論文は不審に思うはずである。(……)査読はある程度限られた規模の研究コミュニティにおいて問題なく機能する仕組みであって,現状の国際化・巨大化した研究者集団の規模に適用するには限界があると言えるだろう。
投資の自動化が進み、人間が入り込む余地はほとんどなくなった。
インサイダー取引ですらAIは瞬時に嗅ぎ取って裏をかき上前をかっさらっていく。
電子の海を行き交う機械仕掛けのハゲタカを前に、生身の人間が投資市場で出来ることは何も知らない老人を捕まえて金融商品の手数料で稼ぐことぐらいになった。
資本の本体はAI開発者達が握るようになり、財布と金庫の中身だけが自慢の資本階級たちは、極々一部を除いて次々にその神通力を失い、もはや投資などに手を出しても損をするだけとなり、ただ積み上げた札束を細々と使っていくだけの金のある無職へと成り下がっていった。
「AIが仕事を奪った世界では、資本家階級が労働者階級を不要のものとして扱うようになる」という聞き慣れた預言は見事に外れたのである。
AIによって操られだした市場そのものが資本家階級を不要のものとして扱いだしているのだ。
シンギュラリティは既に始まっているのだろうか。
ハゲタカってドラマ知ってるかな。10年位前のNHKドラマなんだけど。
外資のファンドマネージャが日本企業を買い叩いて再生する話で、その主人公が尖ってたんだ。
この度、綾野剛を起用してリメイクするそうな(当時は大森南朋)
10年前の自分はこのドラマにものすごくハマってた記憶がある。
企業買収やら札束で他人の顔を殴るやら、裏工作やらほんとドラマめいた話でものすごく面白かったけど
自分の人生とは違うもの、つまりドラマの世界の話なんだなあと、エンターテインメントとして評価してた。
でも、リアルで10年経ったいま「あの会社買っちゃえば」とか「買収したあとに社長は変更して彼を置こう」とか、
そう思えばハゲタカは私にとって非常に印象深い作品だったと思う。小説の出来も良かった。
知人の超エリートイケメン男集団が普通にナントカ村利用者だった。実家も金持ちで収入も良くて顔も頭もいい、何にも困ってないくせにナントカ村ユーザー。
なんかいろいろ考えてしまった。彼らは、罰せられる可能性が極めて低いってか、ないといっていいところに「ちょうどいいもの」があったら、違法だろうが普通に利用している。罪の意識とか対価とかそういうのはあんまり重要ではなくて、リスクと効率がよいかどうか。そういった態度をハゲタカと言う人がいるかもしれない。村は彼らエリートの時間という対価を投資するのに最適すぎるツールだった。だから利用した。そうやって最小限の労力でエッセンスだけ抜き取り、手軽な気分転換の時間を過ごし、おまけにサブカルにも詳しい引き出しの多い男になる。ずるいけど頭いいなあって思う。