はてなキーワード: ハウスとは
昔のパンティーはよかった。
夢があった。
男を興奮させるためのものだよ。
パンティーの歴史を知らないものはパンティーは女性を守るためのものだと思っている。
そうじゃない。
原人が始めて服をニ枚履きした時、肌に接していた側が今で言う下着となり、それが今でいうパンティーになったのだろう。
最古のパンティー、それは確かに身体を守るためのものだったはずだ。
だがそれらはパンティーというよりも、二枚目の補助的な服であったと言える。
我々の考える本当にパンティーらしいパンティーとは違ったパンティーだ。
19世紀においてスカート文化の発展と共に用いられるようになったこのパンティーは人々にチラリズムという発明をもたらした。
社会が豊かになるに連れ人々はより即物的なチラリを求めノーパンを持て囃した時代もあったがあれは大いなる間違いだ。
女性が男にその秘密を全て曝け出すのはベットの上であるべきであって、道行く人々に見せていいのはその直前までだ。
たとえそれが接待に使われる鏡張りのしゃぶしゃぶハウスであっても、不特定多数の目に晒すべきではない。
隠すべきものは隠されているから美しく、それでいながらも身近であって欲しい。
そのバランスを維持するのがパンティーという絶対的境界線なのだ。
だが現代社会は用意に手に入るエロに溢れパンティーは力を失っている。
パンティーのありがたみ、パンティーとの距離感、パンチラのロマン、あらゆるものが失われていく。
バッドエンドの向こう側。
ハッピーエンドの失われたあと。
パンティーをまた楽しめると、いいよな。
なるほどね。
それ言ったら、最もミンシュニクシー達が否定したい鳩山由紀夫を称賛しなきゃいけないから、できないって推測になるかな。
ちなみに麻生太郎が歴代2位だったのは、国境なき記者団のランキング。
麻生政権時は、国境なき記者団が17位、フリーダムハウスが33位。
2位って、どこの順位よ?
本書は、3年毎日に連載されている「これはあれだな」の中から選ばれた文章を集め、過失したエッセイです。
「これはあれだな」とはどのようなコンセプトのコラムでしょうか。
何か気になった事件や本、作品などがあったら、それについて書くのが普通ですよね。それだけじゃ面白くないので、過去に同じようなことがなかったかと探し当て、その二つを比べて何が変わって何が変わっていないかを考えるというのがコンセプトです。
つまり、例えば文学作品であれば、文学作品と何かの映画とか、100年前に同じようなことがあったとか、こういう事件があったけど、50年前に全く同じようなことがあったよね、といったことです。だから、ジャンルが違う場合もあって、例えば映画と最新作のアニメでは、これどこかで見たことあるなと思ったら、80年前のあの映画と同じことをやってない?ということです。
パッと5、6個思いついて「これならできそう」と思って始めたんですが、途中で「大変だ」ということに気づきました。少なくとも二つは見つけなければならない作業であることに10回目くらいで気づいたんです。普通は一つの話題で済むところを、必ず二つ見つける必要がある。多ければ多いほどいいんですよ。例えば今と大正と明治で同じようなことがあった、とか。
時代は変わらないね、というのは面白いんだけど、めちゃくちゃ手間がかかる。読み直しを結構確認しなければならないですからね。一応記憶に頼って「こんなことあったな」と思い出しても、記憶も曖昧になってきます。でも、本当にこれ面白いんだと。途中からは大体ストックがあって、これは似てる、逆に今のこれがあれだけど、あれから発想する場合もあるんです。昔こんなのあって、こんな面白いものって今にはないかな、と。
そうやって見ていくと、最近の若い人の旅に出た記録が1000年前の元神尚の記録に似てるとか、1500年前のものとそっくりだ、とか。そういうふうにしていくと、結構いろんな時代に似たものがある。特徴性が被るものがある。だから、時代にそういうものを生み出す必然性があるっていうことを考えると、話としては面白いんで、ただ手間がかかる。
今回本にまとめられたのも、別に今回が初めてではないです。これで3冊目です。毎週締め切りがあると憂鬱になっちゃう。まずこれを見つけるでしょ?で、あれがなきゃダメなので、どんなに面白くても「これ面白いんだけど、ペアになるものがいないよね」ってなると、できない。
そもそも、ご自身の文学作品を作るっていうのも、アイデアを出さなきゃいけない。アイデアはひねり出すんですけど、あれを見つけるっていうのはなかなか難しい。でもやっぱりコンセプトが光ってますね。やっててうまくいったときは「これ、よく見つけたな、自分でも」って思います。
あの、本書の前半では、2022年9月13日のフランスの映画監督ゴダールの死について書かれています。高橋さんにとってゴダールはなぜこれほど特別な存在なんでしょうか?
これは世代的なもので、僕の世代で芸術、音楽、映画、文学が好きな人でゴダールに影響を受けていない人はいないと思います。
当時はSNSもないし、情報だって今ほどは入ってこなかったから、例えば映画のニュースもなかった。テレビのニュースもやらないから、どこで知ったかというと、映画雑誌とか、映画芸術とか、そういうところにちょこっと載っていて、新作が出たって今だったら全部SNSでお知らせが来るんでしょうが、そういうのがなかった。だから新作が出たって言っても、日本公開がいつかはわからなかった。
僕は映画だと、アートシアターというのに入っていました。60年代、相当幼い時から、そういう会の会員になって、中学入ってすぐそういう会に入った。だから映画もクレイジーキャッツからゴダールまで一緒に見ていました。そもそもそれを分けて考えるのはダサいって感じだった。
しかも極端なことを言うと、芸術ばかり見ていると馬鹿にされるから、逆にクレイジーキャッツとかGSの映画を見ないと恥ずかしいって感じだった。そういう背景の中で、ゴダールの作品はかっこいいと思ってましたね。彼の即興スタイルが特に印象的で、シナリオを書いていかないんですよね。当日、その場でセリフを持っていく。そして基本的に編集で映画を作るというスタイル。
引用が多い。ゴダールの作品は、引用が多くて、ただ引用しているだけのものもある。それはオリジナリティに対する嫌悪なんだと思うんです。オリジナリティではなく引用で作品を作る。だから、過去の世代を否定する度合が一番強いのが彼で、その影響を受けていると思います。
最後の作品についても書かれていますが、イメージばかりが連続してくる、写真がバンバンバンと順番に来るような映画で、画質は必ずしも良くないのに、なんだか異様に綺麗な映像が印象的でした。
どうでしたか?その最終作に対する感想は?というと、ゴダールの作品が好きだなって感じですね。もういい悪いじゃなくて、好きだって感じですね。ゴダールはずっと「映画はテーマがどうとかじゃなくて、90分なら90分、じっとその映画館に座って見ていればそれでいい」と言っていて、ただ画面を見ていれば幸せ、映画ってそれでいいんだ、という考え方を持っていました。
ゴダールは、自分の映画が自殺の映画だと言っていて、主人公が死ぬ映画が多いんです。「気狂いピエロ」もそうだし、「勝手にしやがれ」もそうだし、最後に主人公が自分で目を閉じて死ぬ。あれはすごいなと思う。しかも、あれがデビュー作なんですよ。最後に自分の意思を表現する映画を撮るという意味で、彼の作品は一貫してそのテーマを持っているんです。
「映画史」という映画も撮っていますが、ゴダールという監督は、常に作品と現実の境界を取り払うことを考えていたんです。作品と現実が別々のものではなく、その境界を取っ払って、映画館で観ている観客に語りかけるという姿勢がありました。
映画の中で、主人公が観客に話しかけるというのは珍しいことではないですが、それを堂々とやったのがゴダール。アメリカでも10年くらい前に「ハウス・オブ・カード」とかで流行りましたけど、ゴダールはもっと前からそれをやっていた。それがかっこよかったんです。
また、魚くんの電気映画「魚の子」や、中村喜子の「女と刀」、植物学者牧野富太郎の「牧野富太郎自伝」などについて書かれた箇所を読むと、一つの観念や興味に取り憑かれて、非論理的であろうが、非経済的であろうが、自分の道を進む人が高橋さんの好きなタイプなのではないかと思いました。そういう方にどんな魅力を感じるのですか?
いや、面白いですよ。単純に普通に面白くないですか?ちょっと病的な感じさえありますが、頭おかしいんですよね。でも、そういう人は見ていて面白いですね。付き合いたいとは思わないけど。
でも例えば、魚くんだと、そこに書きましたけど、魚くんも面白いけど、お母さんがすごいですよね。僕も読んで「あ、そうなんだ」と思いました。魚くんの主人公はお母さんなんですよね。つまり、こういう人はいるんですよ、きっと。街を歩いても変な人はいます。変な人はいるけど、大体は困るんですよね。それが普通で、生きる人の知恵です。普通に生きてるとそうなるんですよ。
でも、時々そうは思わない人が出てくる。だから、変な人も大事なんだけど、その変な人を受け入れる人の方が自由だと思っています。お母さんがそうですね。お母さんは自分の息子だけど、そのおかしさを全面的に抱きしめる。
普通、おかしいって言っても結局排除されるか、直されちゃう。「お前、おかしいから普通にしなさい」と。でも、そのおかしさを育てるというのがすごいなと思います。それは他者とか異業のものを尊重するってことなんですよね。つまり、おかしくても存在意義がある。
これは結局、すべての人に存在意義があることにつながるんですけど、普通の人は存在意義があると認められている。でも、おかしな人とか、魚くんならいいけど、例えば身体障害者とか、知的障害者の人たちは見たくないと思うこともある。でも、それでも家族でも受け入れられない人もいる。
僕も色々調べました。障害がある子供が生まれると、受け入れられる家族と受け入れられない家族がいます。時間をかけて受け入れられるようになる家族もいます。特に父親は最初は受け入れないんですよ。でも、母親はすごいなと思います。お母さんは何でも受け入れるんですよね。
魚くんも牧野富太郎も色んな人が出てきますけど、その面白さとは別に、それを誰が受け入れたのかが重要なんです。牧野富太郎も変人だけど、奥さんが受け入れたんですよね。牧野富太郎は植物愛に没頭する変人ですが、それを受け入れるのは大変なことですよね。
でも、それを受け入れたからこそ、彼の生存が保証されたんです。だから、僕が書いた美方ククスとかも超天才だけど、あれ夫だったら困るよ。でも、受け入れた人がいたから、その生存が保証された。
でも、どうですかね。例えば、牧野さんとか魚くんとか、みんな著名になって仕事に繋がって成功しているけど、そこまでお母さんが考えていたか奥さんが考えていたかは分からないけど、魚くんになれなかった魚くんや、牧野富太郎失敗版みたいな人も絶対たくさんいたはずです。
結局、成功者の影には1000人の失敗者がいると思います。きっとそういう人たちのところにも、お母さんがいたんですよ。でも成功しなかったけど、いいんじゃない、それで。
これでも、親もすごいけど、1000人の失敗した人を見守ってた親がいて、その人たちが不幸だったかっていうと、そうでもない。そういう人たちは必要なんですよ、ということをよく考えますね。
セコさんの漫画「マダムたちのルームシェア」とか、信友直子監督の「ボケますから、よろしくお願いします」、早川知恵監督の「プラン75」など、老いと向き合った作品が多数言及されています。今、世界で最も高齢化の進む国と言われる日本で、高橋さんは何を感じていますか?
自分が年取ってきましたからね。今年で73歳です。もうやばいです。あと2年で後期高齢者です。やっぱり、身体的な衰えを感じます。確実に老いていくのがわかります。それに対して色々と体に気をつけています。
一つは、老いを新しい経験だと捉える感覚です。確かにそうですよね、経験したことないことですから、新鮮です。僕もそうですよ。ちょっと年を取ってきて体が辛くなってくると「こんなの今までなかった」と思うことがあります。
例えば、鶴見俊輔さんという哲学者の方が「限界芸術論」を書かれたんですが、90歳を過ぎて、「今日1日転ばないことを目標に生きよ」と書かれていました。「あ、そういうもんなのか」と思って、わかりました。
転びそうになるんです。僕、スクワットして足腰を鍛えているから平気だと思っていたら、筋肉じゃないんですね。バランスが悪くなっている。神経が悪くなっていて、神経は鍛えようがないから転ぶ。僕は筋力鍛えれば大丈夫だと思っていたけど、そうじゃなかったという新しい発見がありました。
そんな老いを新しい経験だと思って、余裕を持って受け入れることが大事なんです。実際、この国、これは日本だけじゃないと思いますが、68歳、70歳、72歳になると社会の窓が次々と閉まっていく。つまり、色々なことができなくなってくるんです。
例えば、家を借りようと思ってインターネットを引こうとしたら「72歳ですか、ではご家族と契約になります」と言われたんです。「70歳とインターネット契約ができないってどういうこと?」と聞いたら、「こういう決まりなので」と言われて、「おかしいでしょ」と思いました。これってちょっと差別的ですよね。
プラン75もそうですが、年寄りが不要だという考え方があるんですよね。これが寂しいです。今「シルバーデモクラシー」と言われて、年寄りが恵まれていると言われていますが、それは嘘だと思います。年を取ってみたら、社会の窓が閉じていく。シルバーデモクラシーという言い方で、年寄りが恵まれていると若い人に思わせようとしているんです。
でも実際には、全世代がそれぞれ抑圧を受けている。70代以上はこういう抑圧があるけど、20代30代も年金の支払いなど、みんなそれぞれ抑圧されているんです。だから、全世代が連帯しなきゃいけないと思うんです。分断が一番都合がいいから、それをやめるべきです。
僕は政治テーマとして、全世代が連帯すべきだと考えています。知らないかもしれませんが、70歳になったらインターネット引けないんですよ。72歳になったらローンもできないんです。なのに恵まれているなんて、ふざけているとしか思えません。
これは、土線(映画)とかでテーマになってもいい話ですよね。でもそれはなかなか声になりにくいんですよね。40代50代の時には知らなかったけど、68歳70歳72歳で新しい抑圧が出てくるんだな、と気づくんです。
社会ってさ、普通のことは知らせないようにしているんですよね。それぞれの世代とかジェンダーで、社会から抑圧されていることをお互いに調べ合って、連帯しなきゃだめです。
ジャニーズ問題と玉音放送について、高橋さんがテレビ局の幹部たちに「ジャニーズ問題を無視するのか」と質問した時のエピソードについて書かれています。昨年末にジャニーズの性加害問題が巨大なテーマになりましたが、この間、どう感じていましたか?
あそこにも書きましたけど、僕がちょうどBBCが放送した直後に番組審査員を辞めて、最後の番組で「これはダメだよ」と言ったんですが、沈黙がありました。その後、某テレビ局が漫画問題で騒ぎになって、それを良かったと思って続けました。
でも、やっぱりテレビ局は商業放送だから、視聴率が下がることが怖いんですよね。だから、視聴率が下がる可能性があることはなるべく避けたい。僕は怯えすぎだと思うんですけどね。もうそんなに怖がらなくても、普通の常識でやればいいのに、忖度している。忖度しない方が視聴者の指示を得るんじゃないかと思いますが、なかなかそうはならないんですよね。
今と昔を比較して、昔の方が保守的だったかというと、そんなことはなく、テレビ全体は進化している。ただ、メディアが動画サイトやSNSに壊れていく時にどうするかを同時に考えなきゃいけなくなっているので、やることも多いんです。
だから、僕も言ったんですが、面白い動画サイトの番組はテレビより面白いですよ。テレビのバラエティなんてやめたらいいと思います。個人で作っているものでも、ものすごくよくできた動画番組があるんです。それを見たら、テレビはお金も人もあるんだから、もっとできることがあるはずなんですよね。
Netflixのドラマなんかも面白いですよ。コンテンツの中身も含めて、やれることがあるのにやっていない。同じようなラブコメばかり作って、誰が見るんだろうって思います。
江戸川乱歩の「芋虫」を現代では取り上げることがかなり難しいということについて書かれていますが、以前、マルキ・ド・サドの作品を絶賛されていた話もあります。今の時代の言論の空気感についてどう感じていますか?
メディア、テレビ、ラジオだけじゃなくて、小説も含めて、僕がデビューした頃に比べると、だいぶ書きにくくなっています。例えば「ピエロ」って言えないじゃないですか。今では「ピエロレフ」って言われることがありますが、検索しても出てこない。
一番怖いのはこれですよね。こういう名詞ごと削除されること。ポリティカル・コレクトネスで、こういう言葉を使いなさいというのは一つの考え方としてあるかもしれませんが、元々あった言葉が使えないというのは、歴史の捏造じゃないですか。
今、「ジプシー」って言葉も使えないんです。「ロマ」とか言いますが、これは歴史の捏造であり、存在させないという方向に進んでいるんです。例えば、ゴダールの「気狂いピエロ」も、僕はそれを見ましたからね。でも、「ピエロレフ」って言われてもわからない。
ポリティカル・コレクトネスについては、理解できるところもありますが、理解できないところも多いです。多分、それを推進している人も、やっていて変だと思っているんじゃないかと思います。定義や限度が確定していないのが問題で、空気みたいなものだから。
ポリティカル・コレクトネスの一つの問題点は、日本が元々空気社会だから、空気で決めるというのはやばい。ポリティカル・コレクトネスが空気で決められるようになっているのが、日本の事情なんですよ。
上辺だけの議論が多く、社会的な不正義の問題は見ないで、言葉だけで物事を判断する。ポリティカル・コレクトネスは、社会的な問題を言葉だけで覆い隠そうとしているだけです。
その辺が、日本という国は忖度する社会だから、空気を読めということがずっと言われてきて、変わらなかった。変わるかと思ったら、ずっと空気を読んでいる。片方では多様性を唱えているけど、それは言っているだけで、実際には何も変わっていない。
大杉栄についても言及が複数見られます。思想、生き方、性格、私には高橋さんと似ている印象を受けましたが、大杉栄をどのように見ていますか?
大杉栄は、日本でも代表するアナキストですが、やっぱり感じがいいですね。友達になりたいなと思う。問題はいっぱいありますが、女癖が悪いとか、迷惑な部分も多いけど、その一方で愛すべき点がある。だから、あの人は人たらしなんです。
例えば、子育てをしていたんです。普通、政治的な人は政治活動はするけど、家のことは見ない。でも、大杉栄は、伊東のと結婚して子供が生まれたら、赤ん坊の選択をしたり、オムツを変えたりしていた。嫌じゃなくて、それが好きだったんです。
彼の中では、夫婦や男女の形は形式じゃなくて、対等であって、子供だから自分が Permalink | 記事への反応(1) | 08:25
読み返すとめちゃくちゃ偉そう。
そんな駄文です。
ファンフェスあたりで見切りをつけはじめたんですが、今回の中国のファンフェスを見てさっぱり見切りをつけました。
資本がどうとかの前に、プレイヤーが何を求めてファンフェスにきているのかわかっているなあと。
日本ファンフェスを擁護している意見に、「施設の問題」「消防法の問題」など並べている方がいまいしたが、ただたんのアイデア不足と「開発チーム」だしとけば良いだろ的な。
あとはもうその他トークは運営の自己満足の域でしかなく、これ2万とか払ってくるイベントか?って。
いや、開発陣が生で見たい!って人は良かったかもしれないですが、ffxivを遊んでいて開発陣の人重視じゃない人間にとっては、なんとも安っぽいトークショーだな。て感じでした。(配信だけでよかったかもってちょっと思ってしまった。)
ファンフェスの前月にコミコンとか行ったせいもあるかも。コミコンは規模が違うので比較にはなりませんが。
中国のファンフェスと同時に某ソシャゲのファンフェスも日本で行われてましたが…
パネルや映像化など「ゲーム」としての要素が多く、なるほどコレは行きたいな!となっていました。
立体物が使用不可にせよ、三国の風景パネルにしてグリダニアエリアとか作れば良かったのにね。
なんなら、アイデア募集!とか一般からアイデア募ったらよかったのに。
いま、たぶん、会社として開発チームをアイドル化しすぎていると思うんですよね。
ただ、ffxivはファンよりプレイヤーを大事にして欲しいなあと思いました。
あとグッズ展開がヘタと言うか…
万単位のグッズ等が売れるので、とりあえず出しときゃ売れるみたいな感じでしょうか。
グラフィックアップデートについては、自分のキャラに関しては文句はないんですが、今後新規顧客を掴んで行くのに向いている顔つきかちょっと疑問です。
昨今のナンバリングのリメイク時のリアル寄りの顔つきが、そこまで好評じゃない気がしているのにそっちいってしまったか。と…
いやでもミドラン男性の間延びしちゃった顔がどうにも耐えられなくて、メインストーリー中にわりと気になりすぎてセリフ入って来なかったや。
今後はプロモーションを中国・欧州に絞っていくんだとおもうんですが…そっち向けにこの顔にしたの?いやでもどうなの?好かれる?
ってなってる。(○神とかデフォルメ顔だしなあ)
そろそろグラフィックアップデートの報告がきますが、十中八九開発陣の泣き落とし報告書でしょうね。
色んなもやもやを抱えながら昔ならこんなこと思わなかったのになあ。って思って、ハッとしました。
最初に語ったようにまさに「夢からさめた」ような感覚を覚えたんですよね。
それからはグッズ見ても欲しいともおもわず、ゲームはなんとなく続けてはいるもののこれと言って、熱中する事もなく。
ストーリーは好きな感じだったんですが、もしかしたらこのちょっと冷めた感じになった自分にはちょうどよかったのかもしれないです。
あとはもう続けるのは「ここまでやってきてもったい無い」精神だけかもしれない。ハウスとか。
もうあそこに夢見る場所はないんだな。
ので難しい。
-
10年以上自炊をしてきた。一人暮らしを始めた当初は、レタスとキャベツと白菜の違いもわからない体たらくだったが、試行錯誤の末に、自分を適度に満足させる料理は作れるようになってきた。わたしの場合、「沢山作ったちゃんとしたおかず」と「適当なおかず(豆腐や納豆、カットサラダ)」をループしつつ、コメや果物で隙間を埋めるというものだ。「おかずとごはん」がわたしの自炊の基本であった。「毎日台所に立つのはめんどう」だけど「四日に一度くらいなら料理をするのは楽しい」ので、自然とこういうかたちに落ち着いたのである。
-
≪余談≫好きな適当飯は「豆腐かけご飯」。ご飯の上に温めた絹ごし豆腐を載せ、鰹節・すりごま・麺つゆを掛けたもの。最近は減塩のため麵つゆの量を減らしラー油をかけているがこれがまたとても美味しい。
-
さて一人暮らしでならこれでよいのだが、家庭の台所を預かる身としてはこれでは不十分だろう。目下そこが最近の悩みである。
-
ここでわたしの家庭の話をすると、夫婦二人暮らしだがいわゆる”週末婚”であり、夫は土日のみ帰って来る(諸事情あり、平日は夫実家で過ごしている)。夫には一人暮らし経験はなく、料理趣味はない。頼めばカレーやキャベツ卵炒めくらいは作ってくれるが、とてもハードルを感じているようだ。まあそりゃそうだろうと思う。わたしだって他人が管理している台所に立つのは嫌だ。
家庭料理の話をすると、現代においては二言目には「家事の折半」「男女平等」と言われる世の中だが、少なくとも我が家にはそれは当てはまらず、5/7は実質一人暮らしなのだからわたしにはハウスキーピング責任者としての振る舞いが要される。加えて自炊経験に大きな差があるので、台所の守り人としての責任もある。「適材適所」だ。
-
というわけなので、少なくとも土日二日間はわたしには「まともな食卓」を構築する責任がある。
あるのだが……
-
めんどくさいよ~~~
-
極力努力はしているがたまに力尽きておかずが一種類しかないとか、コメが炊けていないときがある。
-
その場合、夫は気を遣って、適当に食べたり外食したり、コメを食べて納豆ご飯で済ませたりしている。だがその「食べる」の内容がものすごく不健康なので(納豆2パック食べた後フルーツグラノーラドカ食いとか、とんかつ定食大盛り+蕎麦とか、ラーメン大盛りとか)つい「さすがに食べすぎでは…」と口出ししたくなり、でも家庭の原則としては「気になる方がやれ」である以上、じゃあ気になるならわたしが献立をコントロールしろという話になると認識しているのだが、だが……。
-
はい。結論としては「じゃあ、やれ」ということになる。デモデモダッテ、と自分の中で言い訳する理由は結局のところ「めんどくさいんだもん」なので、じゃあそこは工夫と気力で改善すべきだろう。
-
でもめんどくさいよ~~~
だいたい土日はわたしも休みたいんだよ~平日しぶしぶ料理をするのはお弁当を作る必要があるからなんだよ。
ほうっておいても健康的なもの食べてよ~~。栄養学について自分で学習して摂取カロリーを自分で計算して食生活改善してよ~長生きしてほしいんだよ~その食習慣で長生きするのはムリだよ~~~いろいろ持病もすでにあるんだしさ~~~~
-
ギエ~~~~~~~~~~~~~
「インスタントハウスに移住した」=「ロケットが発射された」なんよ
H3ロケットのアレはその例で言うと「インスタントハウスに移住する前に結露の問題に気づいて移住をやめた」になる
Togetter - 「圧倒的な結露」「真夏は住むのが難しい」インスタントハウス居住者が数ヶ月で生活を断念→日本家屋が通気性を徹底している理由がよくわかる
https://togetter.com/li/2409719
学びを得る失敗
この失敗を共有してぜひ改良を頑張ってほしい
「良い失敗」だな、これ。
なんだよ!「良い失敗」みたいな表現が許されるなら、散々議論を巻き起こしたH3ロケットのアレだって「良い失敗」でよかっただろ!
変に失敗じゃないだの何だの意地張るよりよっぽどしっくり来るよ。
それとも、H3ロケットの方は安全装置が働いて止まったのだからそもそも"失敗"が起きてない、話が別だって言うのか?
問題を摘出したのがシステムなら失敗じゃなくて、人間なら失敗になる…?
日本の家屋ならどこでも当たり前にやってる湿度対策の基礎の常識が欠落してたっていう話が分かっただけの
車輪の再発明に” 極めて有用な「失敗」 ”とか” 良い失敗 ”だの言ってるブコメ、あほすぎないか?
インスタンスハウスに雨が侵入してきました!排水できる構造が必要なのが分かりました。とかだったらバカなこと分かるかな。
建築に関わる人間なら当たり前に知ってないとダメなことを改めて発見しましたとか言ってる話で売ってる人間は恥を知れって話だよ。
エロ界のQuizKnock
安定感がある
他のキャンネルより見やすいのと、バランス感があるのと、ゆっくりボイスに疲れた時に見る
闇子のコメントが最初嫌だったけど最近はコレで良い気がしてきた
昔はテレビでこういう事件系見てた気がするけど、10年以上テレビをまともに見てないので全部新鮮
この人も長いよね、見やすい
最近見始めたが、最近の動画は焼き増しが多いので過去のを掘ることがある
まぁまぁやな
孤独のグルメに通じるところがある
洞窟探検ブームが過去にあったというのがマジで理解できなくて草
熟カレー
こくまろカレー
とろけるカレー
箱単価はバーモントがやや高いが、パッケージサイズが大きいのでグラム単価では安い。
熟、こくまろ、とろけるの3つはコンセプトが同じなんだと思う。一晩寝かせたカレーが何ちゃらが流行った頃に発売されてる。とにかく無難。
こいつらは原材料の種類が多い。原材料の種類が多いほど複雑で美味しくなるわけじゃなく、ボケてマイルドな味になるということなんだなと。
熟カレーはプレミアム熟カレーと名前が変わって、パッケージに高級感が出て特売の頻度は減った。イメージ戦略なのだろうか。味は変わらないし、特売してないだけで価格も最下層枠のまま。
バーモントはパッと見では出来上がりがとにかく黄色い。かといってターメリックが効いてるというわけじゃない。フルーティで甘味が強い。
小学校や子供会のイベントがやたらバーモントだったせいで、不味いイメージだったけど、意外といける。バターを多めに使って華やかに仕上げてやるといい。せっかくフルーティで甘味が強いって個性があるのに、安いこま切れ豚肉とジャガイモだらけのカレーにしちゃうからダメなんだと思う。ルーじゃなくて貧乏を憎むべき。
絶品カレー
人は、松竹梅の3ランクを選ばせると竹を選びたがるらしいが、まさにその竹ランク。
安物を使ってない!
高いって言っても8皿分つくって50円や100円なんて誤差だけど。
ゴールデンは王道。これが家庭のカレーのスタンダードという印象。でも、意外だったけど記憶の中のゴールデンよりも辛味は強い。
辛さの種類が、唐辛子系のとは違った、胡椒系の尖った辛さがある。挽きたてという感じで、熟やこくまろのマイルドさの対極。
絶品カレーは、味の方向は、一つ上のランクのディナーカレーとザ・カリーを意識してるけど、ペースト別入れとかのアイツらの味に届くわけもなく。そもそもカレーって素材からエキスがでるんだから、材料ケチらなければ、肉の旨みも野菜の旨みもでるんで。
ディナーカレー
ザ・カリー
はじめに言っておくと、俺はザ・カリー中辛が1番好きだ。とりあえずこれを使ってとにかくレシピどおり作って欲しい。もしアレンジするなら、肉は牛肉を使い、肉と玉ねぎの分量をレシピより増やしてつくると至高の味。
まあ、豚でも鳥でも野菜が何でも、ルーの力でねじ伏せる旨さがあるんだけども。自分で作ると分量が難しい、しかもちょっと高いスパイスのカルダモンの量がちょうどいい。
ザ・カリーが好きすぎてディナーカレーを忘れてた。ディナーカレーはバターの香りが強い。ファンドボーを売りにするが俺はバターの香りのほうが印象が強い。そして、ザ・カリーとは方向が違うけど、やっぱりスパイスの香りも華やか。香りはディナーカレー、コクはザ・カリー。
問題は、この2つはパッケージあたり5皿分とかで、グラム単価は安売り枠の倍。俺がスーパーでザ・カリーを買おうとすると、妻は嫌な顔をする。高いっていってもだ、こんくらい贅沢していいんじゃないかと思うけど。
妻への文句もあるから匿名で吐き出しただけのクソ記事にブックマークがついてビビる。
トラバやブックマークを拝聴し、いろいろ思うところあったのでいくつか補足する。
本文でもパッケージサイズが大きいのでグラム単価では安いと書いたが、バーモントの大箱は12人用で、熟こくまろとろけるは8人用。
素直に使ったことがない。
味噌ラーメンが好きだからっていって、塩ラーメンに味噌足しても思ったとおりの味になるわけじゃないし。
ケチャップとかウスターソースとか粉チーズとか味噌とか醤油で複雑な味にしたい人は、熟こくまろとろけるを使えばいいし。
コンソメキューブとかローリエとかハーブ系が好きならザ・カリーかディナーカレー。牛スジ煮込んだ時とかは、ハーブ系が効いた欧風のルーが合う気がする。
スパイス系を足すくらいなら、好きな方向の製品を買えばいい。我が家はスパイス系が食べたい時はジャワカレーか、「印度の味」って瓶のやつ使ってる。
安い商品のほうが、万人に好かれる味を狙った商品でハズレはない。高価格帯になるほど、ニッチな需要を狙ってきてる。シャンプーとかと同じ。
実家はハウスのカレー粉を常備してたのだけど、廃盤になってた。GABANを子会社にしたからGABANのカレー粉が同じものなのかどうか知らない。赤缶、まだあんまり馴染めない。
私たぶんここで256回ぐらい書いてるかも知れない事柄があるんだけど、
仕事で事務所で使っているボールポイントペンがなくなっちゃったのよね。
いや値段的には100円とかそのぐらいの値段で
買い直せばすぐにいい話なんだけど執着しているわけでは無いけれどなんか失った物を探したくなるのよね。
そこら辺に落ちているのかなー?って思って
昨日の私を振り返ってみたの。
うーん、
そう言えば三食そぼろご飯みたいなお弁当久しく食べていないけれど、
あの黄色い玉子ゾーンとそぼろの部分のゾーンと緑のゾーンが色鮮やかなトリコロールを文字通り鮮やかなお弁当なのよね。
もうそれだけでご馳走!って感じ。
でね、
そのふと食べていたそぼろご飯のお弁当の3色カラーのトリコロールを見ていたら
ハッとして私のつ買っていた3色ボールポイントペンがなくなったことに気付いたの。
そんなに執着しているわけではないけれど
身近に愛用しているものがなくなったら寂しいじゃない?
失って初めて分かることってあると思うの。
それよそれ。
そんで私はもう1回昨日の私のゴーストデータと戦うべく同じコースを走ってみたの。
でもやっぱり私のお気に入りの3色ボールポイントペンはなかったのよね。
ちなみに
その3色そぼろお弁当を食べるときに箸が無かったからってボールポイントペンを箸代わりにしたわけでは無いから安心してね。
そこまで節操ないことはしないわ。
うーん、
って諦めかけた途端、
私が昨日電話を取ったデスクの机の机上の上のペン立てにご丁寧にも刺さって収納しまわれていたの。
涙。
ごめん、
涙拭くね。
そんで私はめでたく見つかったご機嫌な3色ボールポイントペンに再開出来たの!
マルコー!って
ハウス1社提供の世界アニメ劇場の母をたずねて三千里は見たことないけれど
たぶんそのノリだと思うわ。
今回私はその母の立場的な。
いやーでも見つかってよかったわ。
使ったらしまう!って週間を強化している習慣だったのに。
ついつい電話を取ってメモしてそのまま置いてしまっていたんだわ。
もっと私もボールポイントペンに対して大切な思いをこのインクに乗せて、
そんな感じでメモ取っていきたいと思うわ。
二本立てでお送りしたわ。
うふふ。
よくよく考えたらサンドイッチって飲み物と一緒に食べる前提だから若干塩気があんのかしら?
今日は珍しく牛乳で一緒にいただいた朝食は美味しすぎて超ショック!
なんてね。
そんな美味しくいただいたところよ。
また残り減ったら買い足しておかなくちゃね。
シュワシュワの爽快な感じが夏のレモンの香りをまたいっそうもり立ててくれるわね。
水分補給はしっかりね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
お子様がたがご自宅でフリーダムに過ごすのはどうぞご自由にって思いますけど、
そこから一歩お外に出たら、パブリックスペースなわけで、多くの人が快適に過ごすためのルールがあります
もしくは、他人様が所有するプライベートスペースで守るべきハウスルールがあるわけです
"お外ではお外のルールを守ろう"をDQN親から学べず、周囲から、元気があってよろしいとヨチヨチだけされ続けた子どもたちはどうなると思いますか?って話ですよ
えっ、公教育がきっとなんとかしてくれる?????公立校の先生にえらい無茶振りだなオイ?って思いますけど、まぁいいでしょう
いろんな環境で育ってきた個性に揉まれる方が子どもたちも学びが多いでしょうしね
ただ、重要なことなので確認しておきたいんですけど、おテレビのお出演者様とか、お大学のお先生とか、自称人情派のお政治家様・お社長様・おやじ様・おば様方は、
当然、元気があってよろしいなお子様がたが通う公立校に、自分たちの子どもや孫を通わせるんですよね???????って思う
まさか、DQN親や元気があってよろしいなお子様がたが多い学校を可能な限り避けるなんて事はしないですよね?????????って思う
本当、寝言は寝て言った方がいいですよ。子どもたちの将来ために親として不適格な振る舞いをする人にはちゃんと指摘をしましょう