はてなキーワード: ノーベル文学賞とは
増田は老いていた。小さなスマホではてな匿名ダイアリーにアクセスし、独りで日記を書いていた。
1ブクマも付かない日が、既に八四日も続いていた。最初の四〇日は少年と一緒に日記を書いていた。しかし、ブクマの無いままに四〇日が過ぎると、少年に両親が告げた。あの老人はもう完全に「弱者男性」なんだよ、と。弱者男性とは、すっかり世間に見放されたということだ。
少年は両親の言いつけ通りに自分のアカウントでログインし、一週間で三回もホッテントリ入りした。増田が毎日ブクマ0で帰ってくるのを見るたびに、少年の心は痛んだ。彼はいつも増田を迎えに行って、増田の日記をトラバしたり、ブクマしたり、はてなスターをつけたり、Twitterで拡散するのだった。増田がはてな記法で書いたつもりの日記は、記号が文字化けしていて、永遠の敗北を示す旗印のように見えた。
増田は細くやつれ、首筋には深い皺が刻まれていた。増田に関しては何もかもが古かった。ただ、その両眼を除いては。彼の眼は、パープルスターと同じ色に輝き、喜びと不屈の光をたたえていた。
「増田じいさん」少年は増田に呼びかけた。「また一緒のアカウントで日記を書きたいな。はてなスターも多少貯まったし」
増田は少年に匿名日記の書き方を教えてきた。少年は彼を慕っていた。
「だめだ」増田は言った。「お前のアカウントは運がついてる。アカウントを変えないほうがいい」
「でも僕らは前に、八七日もブクマ0だった後で、三週間毎日ホッテントリ入りしたことがあったじゃないか」
「あったな」増田は言った。「分かってるさ。お前が自分のアカウントに変えたのは、俺の腕を疑ったからじゃない」
「親父だよ、アカウントを変えさせたのは。僕は子供だから、従うしかないんだ」
「分かってる」増田は言った。「当然のことだ」
「親父には、信じるってことができないんだよ」
「そうだな」増田は言った。「でも俺たちにはできる。そうだろ?」
「うん」少年は言った。「はてなブックマークで話題の少年ジャンププラス掲載『ハイパーインフレーション』を一緒に読もう。日記はその後で書こう」
「いいとも」老人は応じた。「はてな仲間として、一緒に読もう」
二人ははてなブックマークで腰をおろした。多くのブクマカが増田をからかったが、彼は怒らなかった。年配のブクマカたちの中には、彼を見て悲しむ者もいた。しかし彼らはそれを表には出さず、自民党はダメだとか、フェミとか、表現の自由戦士とか、おっぱいが揺れたかどうかとか、そういうことを穏やかに話すのだった。
(その後の話)
その後増田は誠心誠意を込めて日記を書き、バズりまくって2000ブクマまで行った。だが、過激な内容だったため垢BANされてしまい、日記も消えてしまった。うなだれて帰ってきたところを少年が励ます。「これからは二人一緒で日記を書こうね。ぼく、いろんなもの教わりたいんだもの。」そう、老人はアカウントを失ったが、素晴らしい友人を得たのである。そして3ヶ月後、この経験を描いた日記「老人増田と海」がノーベル文学賞、いや増田文学に選ばれた。増田と少年は手を取り合って大いに喜んだとさ。
有力候補予想ってのはブックメーカー社が賭けを開催するために勝手に出してるだけのものだよ
ノーベル賞のスウェーデンアカデミーはノミネート人物を公表してない。
で、なんで村上春樹が受賞するかもって言うと、2006年に「海辺のカフカ」でカフカ賞を受賞したかららしい
というのも、カフカ賞の受賞者が2004、05年にノーベル賞も受賞したんだと
年によって有力候補扱いされたりされなかったりするのは、他にもっと受賞しそうな作家が現れるかどうかの問題。
で、村上春樹は実際世界中で大人気なんだけど、ノーベル文学賞は人気投票じゃないから果たして選考基準に合致するかどうかは何とも言えない。
ノーベル賞の理念上、社会的な意義がある程度重視されてて、村上春樹も社会派作品書いてるけど評価されてるポイントはそこじゃない気がするし。
たしか、三年ほど前に最有力候補といわれながら受賞せずにここまできている。
それまでにも度々、受賞するのでは?と予想されて
英国のブックメーカーなんかでオッズが一番低かったりしてたと思う。
それはまあいいんだけど、
どうしてある年には有力候補になって、
ある年には対象外でしょ、
って雰囲気になるんだろ?
まあいずれは受賞することになるのだとは思う。
いや、サラッと読んだでしょ?
日本でいちばん有名な文学者であると日本人に認知されているにも関わらず、
このことはわりと重要。
さらにネット民に至っては課長島耕作と同じジャンルに位置する小説だとか本気で思われてたりして、
そこはとても愉快で面白いんだけどね。
子供を持ってしまったらキャリアが台無しになると言う作家にときどき出会いますが、それはとんでもない間違いだと思います。ただ座って一定の量の文章を生み出すことだけが、作家としてのキャリアだと考えているなら別ですけど。
こういうのもよくある言い方だけど、完全に生存バイアスだと思うんだよなあ。子供とキャリアの天秤で悩む人は「子供を持ってしまったら作家の仕事を続けられるだけの最低限の結果を出せなくなる」というところで悩むわけじゃん。「作家としてのよりよいキャリア」とかいうレイヤーで悩んでるわけじゃないじゃん。
それをこのノーベル文学賞取るような超エリートが、子供を持とうと持つまいと作家の仕事自体を続けられなくなるなんていうことは絶対に有り得ない盤石のポジションから何か寝言言ってるわけじゃん。「パンが無ければお菓子をお食べ」でしかないと思うんだよな。
ノーベル文学賞獲れたらいいですね。
執筆記録とか自己レビューの類読むと半分ぐらい「実は超コンプレックスがあって~~俺を認めやがれこの世界野郎が~~~って気持ちでこれでもかって描きまくって~~~これでもし受け入れられなかったら俺は負けて死ぬ~~~だから命かけてんだマジで~~~でやんす~~~」みたいになってね?
お前らコンプレックス溜めすぎだろ。
なんで成功までして二言目に出てくるのが「俺のコンプレックスを叩きつけました~~はい俺のコンプレックスの勝ち~~」なんだよ。
もう作家や創業者のファンになるかどうかが「コンプレックスの方向性に納得できるか」になっちまうレベルやぞ。
なんなんねんほんま。
23世紀とかでは人間のコンプレックスからエネルギーが生み出されて持続的な発展のために人間のコンプレックスを
マジか。
ちくしょ~~コンプレックスの刺激がやべえぞ。