はてなキーワード: ノワールとは
そうさ諸星きらりPだよ 最後のSSRは2018年9月のハロウィン限定
待って、言わせてもらうけど、総選挙全圏内アイドルで、SSR待ち期間1000日突破はきらりだけだよ?
小梅とかみくとかも昔長期間干されてたというけど、もはや次元が違うよ
そしてきらりを押しのけてきた依田芳乃はなんだよ?
最もノワールが与えられるべきだったアイドルはきらり、2番目は藍子
その次に仁奈や莉嘉が続く形かな。5周目ノワールならば、この4人が許容される存在
今のノワールの優先度は
5周待ちブラン弱スキル>5周待ちブラン強スキル>6周待ちブラン弱スキル
こうだと思ってたから(6周目解禁までは5周目アイドルに廻される)
待機期間の長さ・ブランのスキルからきらりは文句なしだったよ。
3月ノワールのみりあはさ、4周目出たのがきらりと3ヶ月しか違わないし
ブランも弱スキルだったしで、「みりあノワールも分かるよね〜」って感じだった
芳乃は5周目Paノワールアウトオブ論外なPaノワール。考えうる中で最悪のパターンw
それはきらりP以外もみんな思っているはずだよ
今本気で芳乃が嫌いになりましたよ 運営が全て悪いんだけどさ、芳乃見るとイラッとするんだよ
ごめんね芳乃P
今月のノワールに関しては誰もが「にょわーる」と思っていた
デレステのガシャ予想大会って大概いつも「○○だ!」「△△だろ!」と有力候補が複数人いるものだけど
今月に関しては「きらりノワール一択、他の子はありえないだろ」という珍しい状況だったんだよね
きらりが大嫌いだからと、本来きらりが出るはずだった枠を捻じ曲げ、芳乃を割り込ませるようなゴミ運営はさぁ
だからアクティブ20万割るんだよw 来年にはアクティブ10万割ってるだろうねw
ガチャの出番が全てなの?ってあるけど
スターリットシーズンとかいうウマから逃げて10月に延期になったグダグダなゲーム?
俺は中坊の頃からポルノ小説を読んでいて好きな作家は結城彩雨とジャック=ケッチャムでどのジャンルでも徹底的に露悪的なものを求めていた。
悪が跳梁跋扈し無垢なるものが破壊されていく様を眺めては歓喜雀躍していた。
嫌いなものは恋愛と勧善懲悪、特にスパロボみたいな絆(笑)の力で鬱フラグが折れるようなやつ。
しかしゲームオブスローンズの拷問シーンを見て以来、好物がまったく喉を通らなくなった。
それもまったく落ち度のない人物が理不尽な目に合わされているものが大好きだったのに。
かといって今更スパロボ的な価値観を受け入れることはできない。
これから何を消費して生きていけばいいんだ。
シロノワールの上にかかっているトグロが通常はミルクソフトクリームである所が話題の💩に置き換わった代物である。
コメダにいたったことがない人のために説明すると、通常のシロノワールとは「やたらデカイデニッシュをソフトクリームの力を借りて*攻略*する」食べ物である。
でかいでかいと噂を聞きつけた人間が試しに頼むと、想像よりは小さいことに一度は安堵するものの、半分ほど食べた所で腹の溜まり具合に違和感を覚えるという二段トラップを売りとしているのがこのシロノワールだ。
今回はこれのソフトクリームが💩に置き換わっているだけで下半分に変化はない……だがショコラノワールとシロノワールは黒と白の外見通り正反対の食べ物なのだ。
ショコラノワールは「大きくて濃厚な💩をデニッシュパンの力で†攻略†する」食べ物なのだ。
なぜそうなるのか……それはショコラワールに載っている💩が見た目の柔らかいイメージとは全く違った💩であるからだ。
この💩はチョコ味のソフトなクリームではない……💩状に固めた濃厚なチョコレートの集合体なのだ。
温度によって僅かずつ溶けてはいくが、それでなお確かな噛みごたえを最後まで保つほどにこの💩はヘビーな💩である。
もしもこの💩が単体で皿の上にあったとして、コーヒー抜きで最後まで食べることは不可能だろう。
http://lty.hatenablog.com/entry/2019/05/02/135439
一言で言えば創作物に対して現実の社会規範をもって批判していること。作品の巧拙にはまったく関係がないし、ポリコレ的にアウトだから「描いて、そのおかしさに気づいてほしかった」「描いて、修正すべき表現を見つけてほしかった」とか言い出すのは表現の自由の侵害につながる。
くだんのブログはよく創作物を批判しているが、そういった規範批評の対象になっているのは性的な要素を含んだ作品だけだ。世には犯罪者を主人公に据えたロマン・ノワールなど現実的には許されない行為を華々しく描くものが存在するものの、そういった作品は批判の対象になっていない。けっきょくのところブログ主が性嫌悪者であり、自分の気に入らないものを叩いて回っているのが実際のところだろう。
最も問題なのは、そういったいわばオナニーにすぎないものを「一人の大人として、社会をより良いものにしていきたい」とか「社会の構成員として子供が安心して安全に暮らせる社会を目指」すことに資すると考えている点にある。
(すでに消されているのでスクショ:https://i.gyazo.com/d67c7963d6021fb51b56279d0aba7b95.png)
この手の自分の嫌いなものをただ叩いているだけにも関わらずそれを正義と思い込んでいる人間がいちばん始末に負えない。
作品の是非を倫理や道徳で問うならブログ主の考える良い社会は他者にとっての地獄になりうる、というモラルぐらい持ってほしい。
なんか上記を「作品批判=表現の自由の侵害! という主張」と誤読してる(あるいはそういう主張をしてるようにしたい?)人がいるんだけどそんなことは一言も書いてないよ。
>ポリコレ的にアウトだから「描いて、そのおかしさに気づいてほしかった」「描いて、修正すべき表現を見つけてほしかった」とか言い出すのは表現の自由の侵害につながる。
って書いてるんだよね(誰かがとった魚拓:https://archive.is/af9dJ)。
元ブログには「ポリコレを目指すことで様々なコンテンツの面白さが損なわれていくとは思ってません」という文章もあって、ポリコレ的にアウトな作品は無くせという主張と地続きになってることを危惧してる。なんか言うなら最低限そこは理解してからにしてくれ。
あと、
書いた人です。好き嫌いの話じゃないんだなー。君は例えばクジラックスの作品がコロコロに載ってても問題ないと思う?抗日ドラマを流す国をどう思う?俺は創作物の「扱われ方」とその社会の在り方に関係があると思っ
http://b.hatena.ne.jp/entry/4668195090215590242/comment/lightly
いやいやいやいやゾーニングの話は全然してなかったよね!?!?!?
ポリコレ的にアウトだからそこ直せって主張だったよね!?!?!?
そこまったく違う話なんだけど自分で何いってるかわからんくなってんの?
ちなみに俺は抗日ドラマを流す国のことはなんとも思わない。フィクションだし。日本で流してもぜんぜんいいと思う。ただ俺は見ないだけ。
クジラックスの作品(ここでは『がいがぁかうんたぁ』を想定)がコロコロ(ここでは『月刊コロコロコミック』を想定)に載るのはまずいでしょ。18禁マークをつけて売り場をわけてる意味とそれによって守られているものはあるわけで、それは支持する派。
こんなタイトルを書いて、さぞアンチウルトラマンのようにみえるが、私はウルトラマンが好きである。
今放送中のウルトラマンルーブは楽しく見させてもらっている。『ルーブ』とは何者なのか、なぜロッソとブルはグルジオボーンと落ちてきたのか、愛染マコトの狙いは何なのか・・・・・・。現時点で10話放送しており、そろそろ折り返し地点である。
だけどはっきりいえば、何か物足りなさを感じる、というより、面白さに欠けている。楽しく見られているが、面白いかどうか・・・・・・と言われると、微妙だ。
この不満は実は遡ればウルトラマンオーブからある。いや、ウルトラマンオーブで感じたその不満は一部だけで、本格的に感じたのはジードからだろうか?
なにやら最近はそのルーブの登場人物である愛染マコトのおかげで、懐古厨は愛染マコトだ、なんてまことしやかにネタにされているがはっきり言わせてもらうと、最近のウルトラマンには怪獣の魅力に欠けている。
何故怪獣が出現し、何故怪獣が暴れるのか。ウルトラマンの根本的な話の主軸はそこであって、それに対して人間やウルトラマンが立ち向かうものではないか?
最近だとウルトラマンXの「怪獣は動かない」だとか、ウルトラマンジードでも「ココロヨメマス」が面白かった。ちょっと紹介がてらどこが魅力的だったのかを説明する。
ウルトラマンX第10話「怪獣は動かない」には、不動怪獣ホオリンガが登場する。1か月前、山々に囲まれた坂根村に突如として出現したところから物語が始まり、それまで全く動かず無害であることから村のマスコットキャラクターとして売り出そう、という話を村人たちがしている。しかしホオリンガが栄養失調に陥っていることが分かり、Xの世界の防衛チームXio(ジオ)は治療弾を注射する計画をするが、一人の少女がそれを止めようとした・・・・・・。
ネタバレになっても構わないのであれば話すが、実はホオリンガは坂根村に伝わる神様で、ホオリンガは現れると次第に新たな山に生まれ変わる怪獣だった。地面に根付き、栄養を大地に送り、自らが山に変わることがホオリンガの怪獣としての使命だったのだ。そうとはしらず栄養を無理やり注入し、あろうことがホオリンガを動かそうとしたことで、ホオリンガは激怒、花粉をまき散らして暴れ出してしまう。そこで本作のウルトラマン、ウルトラマンXが戦うのである。
次にウルトラマンジード第10話「ココロヨメマス」。例に挙げたタイトルがすべて第10話なのは偶然なのでご容赦願いたい。
突如として地球に、怪獣ザンドリアスが飛来した。なぜザンドリアスが地球へやってきたのか。本作での防衛組織に当たる、犯罪をはたらく宇宙人を取り締まる機関AIB(エーアイビー)の愛崎モアは、相手の心を読むことができる宇宙人、ゾベタイ星人のナビア(地球での偽名はサトコ)と協力してその真意を確かめる。
オチだが、実はザンドリアスは恋煩いを患っており、好きな女の子に告白できず、勝手に玉砕して地球に飛来したのだった。ゾベタイ星人は嘘をつかない性格らしく、このザンドリアスの気持ちを「くだらない」と言うが、モアがそれを一蹴。誰かを思うことにくだらない事なんてないと啖呵を切り、本作のウルトラマンであるジードと協力しているゼロに、ザンドリアスを宇宙に返してくれるよう進言したのだった。
今回あげたタイトルの共通点はまさしく「なぜ怪獣が現れ」そして「暴れるに至ったか」という、怪獣の生態であるとか、怪獣の心象であるとか、怪獣そのものをドラマの中心においている。ウルトラマンらしさを語っているわけではないのだが、怪獣が出現する以上、こういった意味付けは重要だと思う。
だがジード本編における大多数の話と、現在放送中のルーブはどうだろうか。基本的に怪獣は、作品内の悪によって召喚されたものか、悪人そのものが変身したものである。
ジードに登場する伏井出ケイことストルム星人は、ウルトラマンベリアルに心酔し、ジード=朝倉リク同様、ジードライザーを使い怪獣を召喚したり、自らベリアル合成獣として変身したりしている。野良怪獣が現れたのは、ザンドリアスとギエロン星獣の回くらいではなかったか? そして現在放送中のルーブは、愛染マコトが怪獣を召喚し、そして自らも『ウルトラマンダークオーブノワールブラックシュヴァルツ』という真っ黒なウルトラマンオーブになったりする。怪獣が物語にアクセントを足す調味料程度でしかないのだ。
いや、ウルトラマンルーブは世界観として「怪獣が存在しない世界」だから、理由付けとして怪獣を召喚するしか方法がない、という意見は分かるのだが、それにしたって「その怪獣が出現する意味」が無さすぎるのである。第10話に登場し、おそらくそのまま第11話でも出るであろうルーブ由来の新怪獣、豪烈暴獣ホロボロス。狛犬のような見た目の神聖な怪獣っぽいのに、結局は登場は愛染マコトがホロボロスのクリスタルを使って召喚させたに過ぎない。しかも召喚理由は、ウルトラマンルーブことロッソ=湊カツミとブル=湊イサミに、ウルトラマンとしての適性テストと称して召喚されたのだ。これじゃあせっかくの新怪獣もただの試験官だ。これだったら別の怪獣でもいいじゃないか。
別に宇宙人が怪獣を使役したり、召喚することが悪いとは言っていない。遡ればウルトラセブンだってピット星人がエレキングを飼っていたし、帰ってきたウルトラマンではナックル星人がブラックキングを用心棒として使役していた。だが、ただ無意味に召喚させるだけの今のウルトラマンには、話としての物足りなさが露出していて、見終わった後特別何も感じない。
ウルトラマンAだってヤプールが超獣を作っていたじゃないか、それと同じじゃないか。という意見が出る前に一言いえば、ウルトラマンAだって超獣の個性をふんだんに使い、その超獣が話の主軸になっていた。最近の平成作品でもよく出るアリブンタは、地下鉄を襲って人を蟻酸で溶かすシーンは恐怖そのものだったし、二次元超獣ガマスは撮影した時のカメラのネガに潜み、焼き増しすればするほど増えるというとんでもない超獣だった。きちんと怪獣の能力が物語の中心となってストーリーが展開している。でも今のウルトラマンは、人間ドラマにほとんどを費やし、怪獣は結局最後に出現させて倒されて、はいおしまい。これじゃあんまりじゃないか?
過去の怪獣を出すなとか、そういうわけじゃないのであって、さっきも言った通りザンドリアスやギエロン星獣、オーブならまさかの戀鬼やラゴン、Xだとバードンや宇宙化け猫・・・・・・。過去の怪獣でも、何故現れたのか、何故暴れるのか、何をしたいのかを描くことは可能じゃないか。人間ドラマも嫌いじゃないが、そろそろ怪獣がメインの脚本を見てみたい。
ウルトラマンルーブ。おそらくこれまで通り予定では全25回。残りの15回で、見終わった後に清々しくなれるような話が来てくれることを願う。
抜けてた。