はてなキーワード: ネガとは
もう仕事終わらせても文句言ってくるんじゃないかとか褒められないんじゃないかとか満足されないんじゃないかとか思って
モチベがどうやっても上がらない
とっとと契約切りたい
30手前の29歳にしてやっと気づきました。
オタク→根暗→ネガ→引きこもり→破滅主義者→日雇い労働者→正社員→見下し型人間→自暴自棄
美しいと感じる心も平穏を愛せる心もごはんを美味しいと思う心も
負けないぞと思う心も頑張るぞと思う心も優しくしたいと思う心も
キラキラと太陽の光を反射して光るアスファルトや葉っぱはオイラが見ている。
不思議と光と思い出とキラキラ光るものと全部をオイラは今でも持っていた。
子どものころママチャリの後をついて自転車を漕いでたときの気持ちを今でもオイラは思い出せる。
でもオイラにも誰にでも持っていたあのキラキラとしたものを受け止めるものがあった。
オイラそれがわかった。
大切な物は変わっていなかった。
オイラの心は死んでなかった。
オイラは生きる。
オイラは歩く。
オイラは、紡いでいく。
俺はスペック的には映画をよくみる一般人。アニメはディズニーくらいしかみない。そんな俺が思ったシンゴジラ面白い/面白くない論争のこと。映画は月に20本くらいはみる。平日の夜毎日見てるから多分そのくらい。うちにTVないしやることもないからいつも見てる。とはいってもみてるのはハリウッドの有名ドコロが多い。
あまりにも周りで絶賛するひとが多いもんだから、シン・ゴジラを映画館にみにいったんだけど、正直俺としては大して面白いと思えなかった。邦画にしてはいいできだな、すごい、と思ったくらい。面白くなさについて細かいところはもう挙げられつくしているからざっくりというと。
人が死ぬ描写がない。描写ってのは別に死体を見せろ、ってわけじゃなくて、主人公(級の登場人物)の同僚やら友人とか家族が死ぬ所。ハリウッドとかだとそうやって観客を感情移入させるんだと思う。次に災害の規模も小さい。東京が破壊されるのはリアリティあるけど、前述のポイントがあって感情移入がそんなに進んでないのに東京がガシャガシャやられても、そんなに恐怖湧いてこないし、災害の規模も結局東京止まりなんだよな、って。俺は東京住まいだけど東京滅んでも京都あたりに首都移せばいいんじゃね、くらいの発想になっちゃうハリウッド脳。
この映画、全体通してとにかく絶望感が少ないと思う。絶望のインフレしたハリウッドのパニックアクション映画を見慣れていると、「このままでは復興にすごくお金がかかってしまう」みたいなネガティビティじゃ絶望感全然ない。2012とか世界だいたい滅ぶ。
地味すぎわろた。
とまあ俺はあんまり好きではなかったんだけど、それに対する問題は多分俺のみかたと事前情報にあったように思っていて。みんなが「絶望する!」「ゴジラ怖い!」って煽るもんだから、俺は(勝手に)シン・ゴジラを「できの良いパニックアクション映画」だと思ってみにいった。でも、フタを開けたら全然そんなことなかった。
ここ、大事なとこだと思うんだけど、シン・ゴジラのアクション要素ってすごく地味。自衛隊がバンバンやってたけど、リアリティ出すためなのか詳細な描写で引き伸ばしててむしろダレた。あとインデペンデンス・デイ(1)ならあの時点で核使って失敗して、絶望を煽ってる。
解決策が地味なのも、すんなりうまくいっちゃうのも、シン・ゴジラって映画にとってアクション要素によるエンターテイメント性が二の次だからだよな、って思っていて。今更だけどシン・ゴジラって、ゴジラという非日常に対して政治という日常的なアプローチで戦う政治家の姿を描いているんだよね。それは3/11への皮肉なのかなあ、とか考えたりするわけだ。重要なところを人の想像力に補わせるような、ストーリーラインを重視した映画とか、日本のアニメちっくなストーリーで作られてる感じ。「なにを今更」って言う人も多いだろうけど、ここが多くの論争のポイントなんじゃないかって思ってる。
だから、そういう意識で観客自身がストーリーとか意図を深掘りする気持ちで見に行けば、楽しく鑑賞できるんじゃないかなって思う。
率直に言って映画というエンターテインメント産業の中で考えると最高ランクの出来の映画ってわけじゃないと思う。とはいえほとんどの邦画はハリウッドのB級映画に遠く及ばない出来でつまんない。そういうその他大勢の邦画にくらべればすごく出来が良かったと思う。テンポが良くて、ダラダラするシーンが少なかったのはほんとに好印象。続編を作ってこの資産を活かすべきだと思う。
盆にもなると親戚のちびっ子がやってきて本を読む。
嫌な宿題ではあるが、夏のアクティビティだと思えば腹も立つまい。
さて、親戚のちびっ子から「書き方を教えてくれ」と言われたとき用にアンチョコを書いておく。
「あら?増田くんは勉強が取り柄じゃなかったのかしら?」とかイヤミを言われないようにだ。
(盆に実家なら、結婚しろだのシャンとしろだので既にお腹いっぱいだろう)
さて、なんとか本は読み終わったとしよう。
ここで「あらすじを書けば良いよ」はアドバイスでは無い。
日曜朝のガンダムUCを見ていれば判る通り、つめ込みは超絶技巧だ。
ガンダムUCは、主人公のバナージくんが出会う女性をことごとく不幸にする物語にも見える。
でも「バナージくんは無自覚なジゴロだと思います!」とか書くと、きっと怒られる。
基準が不明確なものでダメ出しをされ続けると、大人でも壊れてしまう。
ポイントは2つ。
「読んだ感想」を書くのではない。
ただ、課題図書で考え方に変化が起きることは滅多に無い。
自分は変わらなかった、でも、たぶん本の登場人物は変わったハズだ。
ネガティブな状態から、ポジティブな状態に変わったポイントを探すのだ。
そろそろネタバレせずにTV版ガンダムUCに例えるのも限界だが、
あたりだろう。
ココが一番の難物で、うまく出来るとコンクールで賞が取れる。
そして、本の中にあるキッカケで、ポジティブな思いに変わったとする。
本当に何のエピソードもない場合もある(恨み辛みの無い子も居る)ので、
最近のニュースから似たものを探して考えても良いかもしれない。
書く内容が拾い出せたら、書いてみよう。
だいたい、コレを書いていると決められた最低枚数は超える。
「理屈では消せんのです。恨みも、後悔も」そう言ったあとにジンネマン大尉は、ずっと昔に亡くなった妻と娘に呼びかけた。それは変えられない過去への呼びかけで、自分にもその気持ちが判るような気がする。自分が飼い犬のゴローへ最後に呼びかけたのは「お前は留守番だ。俺は楽しんでくるね」だった。何の気なしにかけた言葉だったはずなのに、それから旅行に出掛けてもどこか楽しめない自分が居た。それが、ジンネマン大尉がどこか娘と重ねて見ていた、養女であり部下のマリーダから(以下略)
ここまできてやっと、「気持ち」や「感想」や「思い」を追加する。
ジンネマンの気持ちが判る、マリーダはこう考えたんじゃないか、自分はこんなことが起こったと思う。
文章の骨格(ネガ→キッカケ→ポジ)が既に書けているので、多少いじっても構成は壊れない。
最後に、文章の体裁(てにをは、漢字、人物名)を見直して、完成だ。
本を読んで「より良くなった」という報告を期待されている。
だから、本の中で変化のあった人物を探し、
強者「俺できるしお前もできんだろーが」
逆転させると
何も言ってること変わらなくなくね?
できる/できないのボーダーを決めるのに努力値の問題だって多かれ少なかれあるわけだろ?
取り組む姿勢やネガ・ポジでその境界が前後するならどちらの意見も等価だろ?
産まれつき可能性皆無の能力ってどれだけ客観的に測定可能なの?
結局はできるまでやるっていう精神論でしか解決できないんじゃないの?
なら両者共に精神論をぶつけ合ってるだけだろ?
なんで持って生まれし者扱いで圧力かけられてるってイメージでしかとらえられないの?
PS:
ってダダこねてるだけなんだよ
世界や惑星・地球を救うレベルの努力値だと認識してるのが弱者の感覚
ポジ転向して気付いたけど、ネガ発言って相手にスゴイ負担になるんだな。フォローするにせよ、批判するにせよ。
ポジ発言というか、相手を気遣ったら自然と精神的に負担になるようなことは言えなくなったし、それで関係も良くなった。
でも、傷を舐め合うようなネガ友や、共依存だったネガ彼女との関係は急速に悪化したから、ネガ発言によって結びつく関係というのもあるんだな。
結果だけを10つ列挙する。
1. 親との関係悪化した。どうやらネガティブなのは親子関係を安定させる何かだったらしい。母は世話焼きタイプ。
2. 交友関係が劇的に変わった。周囲にポジ脳というか、ちょい意識高い系ばっかりになった。やや疲れるが別に嫌じゃない。
3. 会社でスピード出世した。「無理です」と言わなくなったので、自動的に困難なルートばかり歩むようになったので。
4. 人脈が広がった。飲みの誘いやイベントへの出席を断らないので、結果的にコネが増えた。
5. 無趣味になった。前はTVゲームが趣味だったが、仕事が忙しく休日も人付き合いで潰れるので趣味に時間がなくなる。
6. 鬱病が寛解した。高校時代から鬱っぽかったが、ネガティブ自己暗示をやめて行動力が増えた結果か。
7. 彼女と別れた。相手もメンヘラで(所謂)共依存関係だったが、俺のポジ転向で関係悪化→お別れに。
8. モテなくなった。今までは病み系の女子とばかり仲良くしてたせいか、ポジ界隈に多いキラキラ系女子からは距離を置かれる感じ。
9. 悩まなくなった。忙しくて悩むヒマがない&人付き合いに耽溺しているので寂しさを感じにくい。
10. 不安が消えた。コネが増えて仕事も順調、メンタルも改善したので、将来が前向きに考えられるようになった。
結論として言えば、現状には満足しているが、良い事ばかりではない。
人生前半の経験の蓄積が通用しなくなった分、生まれつきポジ脳の連中と比べると中途半端な感じなんだろう。直感的に見抜かれるみたいだ。
結局のところ、変化の結果は割りとどうでも良くて、結構人生って意識がけ次第で色々と変わるんだな、という方が良い経験になった。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/medium.com/mediumjp/2b0da4969e65
だいたいはここらへんのコメント
id:koiz アメリカでは、光を思いっきり入れたクリエイティブが求められることが多い(特に西海岸だし、スイムウェアは)。自分のセンスで左の方がいい!この写真家はクソ!ってなる人がrawデータを貰いたがるタイプなのだと予想
id:Memeo このレタッチ写真屋が勝手にやったんじゃなくて用途やデザイン案に従って仕上げたもんなんじゃない?/ カレー作って今からルー入れようって時に「もうそれでいいから食わせろ」と言われても困るだろう。
で言い表されてると思ったんだけど、スターを集めてるブコメでは誤解が解けてないようなので。
まず、カメラマンの仕事を理解していないひとが多い。カメラマンは写真家と違って、クライアントの要求にあった写真を撮るのが仕事なんだよね。「フレアがわざとらしい」とか「レタッチ前の写真のほうが好き」と言っている人は、カメラマンじゃなくてクライアントのセンスに文句をつけている。
次に、本文でも親切に「レタッチを前提として撮っている」と書いてあるように、レタッチは下手な写真をごまかす手段としてではなく、クライアントの望む理想的な写真を作り出す手段として使っている。「RAW現像を前提としてあえて暗めに撮っておき、現像時に明るくすることで暗部の階調を残す」というようなテクニックは常套手段。なのでレタッチ前の写真が下手という指摘は外れているし、そういう誤解があるからこそ元データを納品したくないんだよ。
元記事はカメラマンの立場からRAWデータを渡せない理由を説明し、それでもクライアントの不利益が少ないことを説明して理解を求める内容。「RAWデータは作りかけのもの。自分の名前で世に出したくはない」「そのことでクライアントに不利益が生じないようきっちりと仕事をしているので、理解してほしい」「しかしカメラマン側も事前に契約を詰めるなどの取り組みは必要」という流れ。その流れを踏まえてブコメを読むと、とんちんかんなブコメがかなり多いことがわかる。
いわゆる写真の加工に対して、アレルギーを持った人が多いんだろうなと再認識させられた。身の回りにある写真はほとんどが加工済みだし、iPhoneで撮った写真でさえ元から強烈な補正がかかってる。ここまで写真が身近になった今だからこそ、写真の現像やレタッチについてカメラマンからも発信していかなければならないと思った。
id:toksato 結局なんでレタッチ前の写真を渡さないのかよくわからなかった。
本文中に"レタッチが終わるまでは、自信を持って「自分の作品です」とクレジットを付ける気にはなりません。"って書いてある。
ただ、元記事は「レタッチ前データを渡したくない理由」「レタッチ前データを渡す必要が無い理由」「同業カメラマンへの提言」がまぜこぜに書かれていて、主旨が読み取りづらいとは思う。
id:Akamemori お前それフィルムカメラでも同じ事言えんの?
ブコメで多数指摘されてるけど、銀塩時代も加工の技術はあった。現像やプリントの段階で、色味やコントラスト、シャープネス、粒状性は変えられるし、覆い焼きで部分的な明るさを変えることもできる。デジタルで幅が広がったのは確かだけど。
id:atoh 契約時にきちんと詰めろってだけの話だった。
id:aromabird 契約次第としか。中間制作物も納品義務のある契約なら納めるし、無ければしない。別料金。ただそれだけ。
本文で"撮影の前には、契約が成立しています。""これは、プロのカメラマンである以上、事前にしっかりと内容を詰める責任があります。"ときっちり書いてある。このコメントに星が集まってるのが理解不能なんだけど、みんな本文最後まで読んでないの?
id:nasuhiko レタッチっていうかほぼRAW現像の話だろこれ。翻訳者がわかってないのか、それらも含めて原文がレタッチって言ってるのか。プロでさえ1枚のベストショットの背後に何十何百という失敗ショットがあるのは同意。
海外の"retouch"は現像も含めた写真の加工全体を指す。"no retouching"なら、撮影後いっさい手を加えていない写真のこと。
id:kazoo_oo 追記でぐだぐだと契約だなんだ言い訳してるけど、前段ではそのrawファイルが自分より優れた現像者に出会う可能性を潰すことの理由を説明できてないよね。 </bockquote>
これは文章の読み取り方の問題。自分よりも優れた現像者に出会う可能性は潰しきれないが、カメラマン側の能力で相当小さくしている。カメラマンの被る不利益との天秤で、原則RAWデータを渡すことはできない。ただし信頼関係や契約次第で対応することはできるというのが本文の論。
IT業界でクライアントが「あとで使うから作ったソースコードや旧バージョン全部ちょうだい」って言ったら普通に断られると思うんだけど、それと同じ話。
id:jassmaz jpegだけ送られてきたらキレるわ。rawファイルもいらない。psd + pngを送るのが常識では?
psd+pngが常識というのには同意。その上で、クライアントが求めるものはまちまちなので、契約をしっかり詰めておきましょうというのが本文の内容。
id:oscdis765 これ右がレタッチ後なんだよね?左のが良いのが沢山あるんだけど
id:mfigure 上手けりゃ、原版渡せとは言われないでしょ。加工後の方が上手いといえない写真が多いんだけど、よく言うわ。
id:kantei3 思いあがっている。あと、左の方が良い写真が多いので、都合のよい例すら選べない低能なんだな、と。
id:paradisemaker いやー、商売が成立してるんならいいけど、元々のカメラの腕が良くないし、レタッチもそれほど上手くない。デジタル時代のカメラマンって感じだなぁ。
この手のコメントが多いのが本当に悲惨。使用イメージが頭にあるクライアントがカメラマンと話しながら詰めた結果、右みたいなタイプの写真が希望にあったというだけ。あなたたちがどっちがいいと思おうがまったく関係ない。仕事で右みたいな写真が好まれがちだからこそ、private workもそういう味付けにしてポートフォリオとして公開しているんだろう。
「デジタル時代のカメラマン」ってのがよくわからない。フイルム時代、大多数の人が見ていた写真は加工の入ったプリントと、よくて現像済みのネガぐらいで、RAWデータに相当する未現像ネガは見られなかったはずなんだけども。
id:zheyang う~ん、今でも撮影時に設定を絞り込んで、レタッチを最小限にしてる人もいるんじゃないか?/作例のレタッチ(フレア)がわざとらしくてCGくさい。この人の写真家としての腕がちょっと怪しい。
写真家とカメラマンは違う。「写真道」でも極めるならともかく、クライアントの希望に適う写真を納品するという立場において、レタッチを忌避する理由はどこにもない。最高の成果物を納品するためには、「撮影時に設定を絞り込んでレタッチを最小限にする」より「撮影時に設定を絞り込んだうえでレタッチで仕上げる」のほうが良いというだけ。フレアがわざとらしいとか、クライアントに言うべき。
id:xevra くだらんこだわりだ。写真家とカメラマンは違う、カメラマンならとっとと出せ。単に現像スキルに自信がないってだけなんじゃないの? 面倒臭い奴に発注するのはやめたい。
5000枚の未選別データを欲しいならそうするけど、それには相互の信頼関係が必要だし、契約段階から要求しておいてほしいという話。
id:aceraceae いらないとこ白飛びさせるの好きな人なんだなってことがわかった。
この人の好みもあるかもしれないが、クライアントの希望にもあっているからこそそれで納品されたんよ。あと向こうの雑誌や広告をちょっと見ればわかるけど、こういう派手でやり過ぎっぽい写真はかなり好まれてる。
「なんでそんなことするの?かわいそう・・・」
こんなんばっかで要約すると喜怒哀楽のどれかを主張しているだけで、
しかもネガで非合理的なものでさえ1万以上の「そう思う」を獲得している。
それが不可能だったことも考えないし、
読むものにとってメリットとなる情報が書かれているわけでもないのにいつもトップに居座っている。
一体これはどういうことなのか?
一度押したら解除できないのが後押ししているだけで実際は深く考えずに押しているのだろうか?
どちらにせよ国内最大規模のニュースサイトの利用者の大半が馬鹿ばかりって危険じゃないだろうか?
「人工ミルクよりも母乳が赤ん坊の健康にいいなんて、母乳の出ない母親を追いつめるようなことは言わないで欲しい」
これがなんとなんとの16000以上のそう思うを獲得、そう思わないは2000程度だった。
例えコーヒーカップに3時間突っ込まれても回され嘔吐しかできなくなっても、
それなりの良識のある人間なら決して出てこないようなトンチンカンなこのコメントがなんと16000人以上からいいね!されてる。
この16000人が気が狂った母乳の出ない母親ならいいのだが。
いや、良くないな。
このような母親に育てられた娘はまた母親と同じように何かあるごとに追いつめられていると被害妄想を募らせるに違いない。
1億総活躍よりも世論が感情的になりすぎていることに対して何らかの政策を打つべきだろう。
この毒ともいえる意味の分からない正義意識の暴走した怪物をほっておくと将来的に東日本大震災よりも大きな損失をもたらすと思う。
日本の漫画や映画などの創作物ではあまり格好いい大人主人公を見ない。冒険活劇の主人公は高校生までの少年少女が多く、大人はサブキャラの役割が多い。一方洋画はアクション物などのジャンルはかっこいい大人がニヒルなセリフを放ってる場合が多い。漫画だって古くはスーパーマンといった大人のヒーローが主人公として活躍している。勿論ハリポタとか子供が主人公の創作物もないわけじゃないが、日本では圧倒的に大人が格好良く活躍する創作物が少ない。特に近年。
それは何故か?日本では大人は格好良くも希望に満ち溢れてもいないイメージが定着してしまっているからではないか。特に近年。
日本では大学生までが楽しい期間であると考える人が多い。対照的に社会人以降は40年間社畜として生きなければならない…人生の墓場…なんてイメージだ。日本ではバリバリかっこいい仕事して自己実現なんてイメージは弱い。大体不況とかブラック企業とか精神病が認知されてきたとか就職難とかその辺のせいなんだろう。勿論楽しく働いて成果も出しまくってる人もいるだろうが、大多数の人が仕事をイヤイヤしてる人ではなかろうか。
後日本の社会人はルールを偏重とかしきたりとかを気にする。それもまた堅苦しいイメージに繋がっているのだろう。
日本では大人はかっこいいものではない。だから大人、特に会社員が活躍する物語は作られにくい。(探偵、刑事が活躍する物語はあるがあれは大人でないと出来ない話だからなー、その探偵物も少年探偵のコナンや金田一少年が強いし)現実とかけ離れ過ぎて皆がイメージしにくいからだ。
子供は自分と年齢の近い主人公に想いを馳せる。大人は逆に自分遠い存在であるが故に感情移入することが出来る。自分と近い立場のキャラの活躍なんて身につまされてしまうのだ。
勝手な妄想を殴り書いたから検討外れなことを書いた気がする。でもこれからの世代がかっこいい大人として働ける社会になればいいと思う。
だから
家に帰って寝ろカス。
「借金背負ってどうしようもなくなったから負け犬として死にます」って文章にしてみろ。
それを1時間でもいいし丸一日何回も読み直せ。
「俺こんな理由で死なないといけないの?」
実際借金で死ぬとか馬鹿でしかないからそもそも死ぬなって話なんだけど。
世界を救うわけでもない、たった一人の女の子を助けるために死ぬわけでもない、
「難病に苦しむ人を救うために研究していたが自分も病気にかかり死んでしまった」
「人類の宇宙進出のために飛び立ったがロケットが爆発して死んだ」
これはいいよ。
もし成功してれば英雄になってただろうし、その志は後世に受け継がれるよ。
夢に人生賭けて叶わなかったとしても夢中で死ねたらそれはそれで満足だろう。
命賭けてまでやりたいことがない方がむしろ不幸だろ。
何が楽しくて生きてるの?
って
あの世が仮にあってそこで閻魔様や事故で死んだ人や病気で死んだ人の前で
無理でしょ・・・
そもそもそんなショックで精神的におかしくなるなら最初からリスクを取るなよ。
被害者面すんな。
つーか自己破産どうした。
終わりじゃなくて行動に対する答えである結末が死なんだよ。
そこまで死まで含めて長い長い目で見た行動なんだよ。
畳の上で死ぬこと、電車に飛び込んで死ぬこと、夢をかなえて死ぬ、夢やぶれて死ぬ。
全部着地点は死だ。
なのにわざわざクソみたいな理由で
電車の走るレールに向けて着地しにいくやつが馬鹿としか思えない。
なんで何十年生きてきて最後に死ぬ理由がレールの上にジャンプなの?
勿体ない。
本当にそう思う。
生きる理由は無い。
追伸:
ブコメついたから調子にのって「PS」とかやるの正直クソダサだから嫌だけど誤解があるのだけは勘弁ならんから言っとくけどよ。
これが理由。
これで泣いて鬱になって電車に飛び込もうと毎日思ってホームセンターで練炭キョドりながら買ってたわ。
それで自分でもおかしくなってるの分かりながらこのままじゃまずいと思って
俺が自分でどうしたらヤバい精神状態から抜け出せるのか歯を食いしばりながら当時考えましたわ。
そりゃ死にもの狂いで考えたわ。
そのときの必死さ考えたらメンヘラの自殺なんてもう一回追撃で殺してやりたいくらい
何の努力も無くクソダサで死にやがって・・・それはもういいか。
とにかく朝昼晩必ず1回は状況報告を親と教授にしたよ、無かったら電話かけまくってくれって。
自分ひとりで考えると碌なことにならないって客観的に思ってるなら考えるのをやめて他人に依存したらいい。
そのために信用できる他人とつながりを常に取り続ける仕組みを考えたらいいだけだったから。
結局留年したし就職うまくいかなかったし夢は破れたけどそんなもんもうどうだっていいわ。
留年したから自殺したみたいなクソダサで死ぬより100倍マシだから、
歯食いしばって枕や布団噛みながらウンウン苦しんで学校行って卒業しましたわ。
これ全部クスリでもなんでもなく自分の意志でやったことだからな。
こんなクソダサな理由で死ねるかよっていうガソリンを俺は用意できたから自殺しなかった。
これは理由はなんでもいいが自分で否定しきれないロジックをくみ上げておけば防止できるってことだ。
甘えてロジックを組み上げもせずに無気力に自殺して被害者ぶるんじゃねえよ。
頭の臭いした枕の味知ってんのかお前は。
知らずに死んでも、被害者ぶるのか。
何様だ。
ここまで書くとドヤ顔(正義感)が「それは気力の無い人には~」とか言い出す馬鹿がいるけど、
俺も気力なかったっつーの。
何もしたくなかったっつーの。
でもそれでも行動起こしたのはこのままじゃヤバいって思わないとヤバいって頭で思ったからだからね?
このままじゃヤバいとすら思えないなら本当に生きる力ないから死んだ方がいいよ。
「ヤバいと思わないとヤバい」なんて脳信号は「女の子のパンチーおーくれ」レベルの信号強度しかねえよ。
その種火を必死に大きくしていくのも最初からガソリンぶちまけてるわけじゃねえよクソが。
女の子のパンチーレベルを何度も何度も継ぎ足してやって復帰したんだわボケが。
人を超人扱いすんなっていうのと自分を過小評価して特別扱いして甘やかすなボケが。
それが甘えだっつってんだよ。
俺とお前の決定的な違いは「思おうとしなかった(甘えたかった→自殺したかった)」か「思おうとした(苦痛を選択した→自殺したくなかった)」かの違いでしかない。
その選択さえ無意識に介入しようとしなかったお前には神の啓示で逃れられない宿命であり運命で、
自分は何一つ悪くなく圧倒的被害者であり弱者であると信じているんだろうな。
でもそれただの勘違いだしそれに気づくチャンスも腐るほどあったから。
こうやって指摘されても顔を背けバリアを貼ってるんだから全部故意の自殺だから。
あ、人工呼吸器付けてるなら謝る。
死が逃げるという発想も、自分で死が逃避にならないというロジックを組み上げられないせいだろ。
テクニックがないなら宗教でも何でもいいから何かに頼って依存しろよ俺みたいに。
結局はお前がお前の意志で変えようとしない限り何一つ変わらないんだよ。
この前提を否定しきれる論理も無いのになあなあで自殺に向かおうとする心の弱さとちゃんと向き合え。
理解しようとする気が無いのに数学も物理も覚えられるわけねえだろ。
言葉も同じだ。
自分自身と向き合い切れてない。
ちゃんと考えろ。
そのちゃんと考えないことがクソダサな死因に繋がってるんだよ。
とか
綴りたいか。
綴りたいのか
ならもう仕方ないな。
他人はお前にどうすることもできない。
お前は無敵だな。
そういう無意識下の行動に影響を与えるほど意識によって強く刻み込む作業ができていれば
どれだけショック受けても自殺しないやつはしないんだし
自殺するやつとの決定的違いはそこだ。
無意識を意識に対しての無意識として自覚・知覚して対立しようとしないから操作改変もできない。
無意識の行動ひとつひとつにも理由がありそれを紐解いて分析することで無意識改変が行える。
無意識の行動っていくらウンコしたくても路上で下脱いで野糞するのかよ?
無意識最強じゃねえよバーカ。
どんだけ甘えたいんだ。
そんな低レベル意識で生きる意味が、とか借金で夢も希望も、とか
どの口で言ってるんだ。
意識低いなら無意識の死にたくないって本能の声にだけ耳を傾けてろよ。
中途半端すぎるわ。
自分が死しか選択しようとしないから死ぬのに他人がどうやって助ければいいの?
屁理屈こねるのは上手いくせに自分が死なないためのロジカルシンキングできないってどんだけ雑魚ナメクジなんだよ。
それだけ頭回ることに自信があるなら自分を騙すか自分が論破できないロジックを組めよ。
それをやらずにセンチメンタルな気分に浸りたいだけだろ。
そんなやつ有史以前から腐るほどいましたから・・・今さら誰も感動せんから。
つまるところ泥臭い渦に飛び込むのが嫌なんだろ?
みんなそれ乗り越えて人格を作り上げて大人になってきたのにそれするのが嫌な子どもなんだろ?
だから同情されないんだよ。
まだ理解する気がないのか。
これも、もういいからそういうの。
俺の言ってるのは全部これだけだから。
お前の抱えてる悩みとか人類発祥してメソポタミア文明できた当たりから
というかその実益のないプライドの高さが自殺へのトリガーになってるってこと自覚したら済む話なんだけどな。
そこらへんに転がってるクソダサな理由で死のうと思ってることを
あの手この手で言い方変えてクソダサな理由で自殺すんなって言っても
案の定「衝動で~」とか「ケースバイケースで俺だけ特別」とか言ってバリア貼ってくるやつ多いな。
まさにその防衛行為が自分の無意識に向き合いメスを入れて手術することを拒み続ける末期患者なんだけどな。
まず自分が病気ってことを自覚してそれと向き合ってどうやって対策を取るのか考えるのはやって当然だし、
そこまで余力がない・・・とか言われてもなら余力のできる環境に緊急回避するだけの分別くらい付けろよ。
大人なんだから誰にも頼らなくても頼まれなくても自分の意志でやれよ。
心の病で運命づけられたものと思って兆候は絶対あるのに何も講じてこない自分の責任だろ。
いやわかるけどな。
いつまでも甘えていたいと思ってるんだろ?俺がそうだったからな。
お前は違う?違うわけねーだろ行動が同じだから分かるわ。
気力使いまくる自分の中に神を作る工程の辛さにやる前から怯えてるんだろ。
メンヘラっぽくやんでれ最悪死ねばいいからとそれをせずに甘えてるんだろ、
完全に当時の俺だわ。
でも俺の理由は俺だけの特別な理由でオンリーワンだと勘違いしてるんだろ、
完全に当時の俺だわ。
もう完全に俺のパターン入ったわ。
無意識にメスを入れることを怖がってるんだろ、
病院いかない爺ちゃんといっしょ!何も変わらないいっしょ!いっしょです!ざんね~ん!
行動がすべてを物語ってる。
口よりも雄弁に。
どれだけ俺は違うって喚いても行動がいっしょ。
考えてることもいっしょ。
何もかも同じ。
バリア貼るだけのプライドはあるのに意識低くてメンテは怠るとか最初から分裂症だとしか思えん。
誤解を恐れず箇条書きにしてやるよ。
1.自分に生きる意味があると思っている目標志向があるが実力が無い、もしくは過去に失敗経験がない
2.達成不可能となり精神的不調に陥り、対処法を知らない ※A
3.目標達成不可能という現実と向き合いたくないためにあえて精神的不調の檻から出ようとしない
4.長期化すると自分がこうなったことには何か意味があり特別だと思い込み努力放棄する理由を構築し始める ※B
5.この段階で他人が助言しても「自分は特別」バリアによって聞き入れられなくなる ※C
6.現実的にセンチな気分に浸るのも限界になり、現実と向き合わなければならない段階に来る ※D
7.死の恐怖から現実に戻るか、戻りたくない場合自殺する ※E
※A 生きる意味が失われた、と思い始めるから不調を来す。メンタルダメージのある失敗経験が無いため大人になっても対処法が分からない。
※C やっと見つけた次の生きる理由を否定されたことによる過剰防衛反応。
※D 貯金が無くなる、仕事を失うなどの命には関わらないが生活と人生が変わり決断が迫られるターニングポイント。
※E このとき真面目な無能であればあるほど悲劇のヒロインになり切れているので自殺する。
1~7が短期長期どっちでも起こっていることで何も変わりない。
何も特別性はない。
人より駄目なところ
・過去の引きこもり歴、6年。(家の敷地外にはまったく出なかった)
・今年に入ってとうとう体重が100kg越えた。(高校生のころは50kgなかった)
・せっかく入った国立大を中退、というなんともおそまつな最終学歴。(てか高卒)
・もちろん、働いた経験はなし。(大学通ってたころにバイトしただけ)
人よりちょっと優れてるかもしれないところ。
・普通の人に比べると、昔から本が好きでよく読んでいる。(小説がほとんどだけど、月に50冊くらい)
・顔立ちはそんなに悪くないし、若く見られる。(痩せてた頃はもてたし、某雑誌で読者モデルをしてたこともある。ただ、薬の副作用で太ったのでどうしたら痩せるかわからない)
・家事全般がだいたいできる。(引きこもってた間、ずっと家事全部やってたから)
・性格が優しい。(単に気が弱いだけかもしれない)
・遠距離だけど彼氏いる。(ネガってばかりいるからときどき怒らせる。いつ別れを切り出されるかわからない)
(´・ω・`)・・・。
どうしたら、自分に自信が持てるようになるのだろう。
手っ取り早く容姿から改善しようと思ってダイエットしてるけど、成果でない。今は1日1200kcal、週2回プール通い、毎日家で筋トレ・ストレッチしてるけどまったく痩せない。精神系の薬(セロクエルとかジプレキサとか)飲みながらダイエットに成功した人いる? いたらどうやって痩せたか教えてほしい。
彼氏とはネットで知り合った。9年くらいの付き合いになる。でも遠距離だから、浮気されてるかもしれない。今は月に1回くらい会うけど、こんな体だから一緒に歩くの恥ずかしいんじゃないかなと思ってる。通話は毎日する。
若く見られるといっても実際にはアラフォーだし、未来ないし、どうしようもない気がしてならない。
なんとかしたい、と思いながら、どうしたらいいんだろう、と立ち止まってしまう。
「差別主義者の暴力行為を黙認し現行犯逮捕しない警察。これはレイシスト特権ですか?」(3.20川崎駅前暴力事件)
http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/952305 ←ブックマーク
とりあえず、怪我された方には本当に気の毒だったというほかない。でもって、怪我人が出たことについて、警察は、警備が不十分であったことを認めるべきと思う。原因はしっかり究明して、今後同様のことが起きないようにしてほしい。
ただ、この件について、「警察が右翼に甘い」云々と陰謀論カマす人がブックマークにも多いけど、それはちょっとどうかと思う。動画で見ている限り、警察は「殴る側(右翼)」の暴力を防ごうとして「抗議する側(左翼?)」を守ってるし「抗議する側(左翼?)」に対しては『テイチョウにオヒキトリネガッテ』いるように見えるわけで、特に対応がそれほど偏ってるとは思えない。人手少ない中で、可能な限りトラブル自体を避けようとしているように思う。トラブルを避けるのは何のためか? 後々面倒臭いから? そうじゃないでしょ。届け出のあった合法的なスピーチ活動を最後まで遂行させるため=「言論の自由を守るため」だよね。そこを踏み違えた安易な警察批判は、百害あって一利無しだと思うんだ。
この動画で個人的に興味深かったのは、デモや集会の警備というのは(自分の参加した記憶で言うと)基本的にデモの『外』を向くんだけど、今やそれが通用しないってことなんだよね。言論の自由を守るって本来はそういうこと(警察がデモを『外』の加害や暴力から守る構図)なんだが。だから、警察のマニュアル的対応としてはそりゃあーなるんだよね。基本的に「デモ・集会者」側が周囲に暴力を振るうって予測で「警備」はしないよ。つーかソレ警備じゃねーよ(笑)。首相を警備するSPが、首相が誰かを殴りつけるとか予測して警備はしないでしょ普通。でもって、たとえ「声」による抗議でも自分が警護の対象として配備されてる人に向かってくる抗議なら、そりゃ基本的には「止めようとする」だろ。これは、警護対象が右翼だろうが左翼だろうが関係ない。それは当然のことで、警護する対象の政治思想について現場の警察官が判断しはじめたらそれこそおかしな話になってしまうよ。だから、言論が言論を超えて暴力と化し始めている昨今、警察の集会警備人員はますます増員が必須で、そろそろマニュアル自体を大幅見直ししなきゃいけないんじゃないかなあとも思う。今回の事件も、怪我人が発生し事件化したということを踏まえると、マニュアル改訂のためのモデルケースにはなるのかもしれない。ただ、それでどういう方向に向かうかというと、ますますデモ側に対する管理がきつくなる方向にしか向かわないんだよ。それって果たしてイイコトなの?
ついでに。「抗議する側(左翼?)」に「?」マークをつけたのは、動画の最後で彼らが身内っぽい人らからも「もういいでしょ」みたいに止められていたから。おそらく想像だけど、あの「抗議に集まっていたふつーっぽい大多数の人ら」の中のごく一部の先鋭的な(元活動家とかそういう)人らであるか、あるいは極論だけど本当は仲間でもなく単に便乗なのかもしれない(そういうケースもゼロではない)。脅えてるようにも見える「大多数の人」と違って拡声器もって確信的にわーわーやってるとか、まあ明らかに挑発してるよね。反論が目的ではなく、自分たちの目の前でああいうことを喋ってること自体が許せない、ということなんだろう。集会自体を止めさせよう、と。でもそういう主張をし行動する人が、もし権力握ったらどうなるのかな。言論弾圧とかするんじゃねーの? 発想としては同じでしょ。もし反論それ自体が目的なら、翌日同じ場所で、同じように自分たちの主張をただ堂々と述べたらいい。その権利はみんなにあるんだよね。それがもし認められませんでした、つーなら、その経緯なりをもって「警察はヘイトスピーチ側に『のみ』甘い」と主張したらいいと思う。立派な証拠になるし、それならオレも陰謀論とか言わない。
結局、「暴力事件」が発生してしまったら、警備している警察としては集会を取りやめさせるくらいしかできなくなるけど、それを成功事例として残してしまうと、今後、左翼側の集会も同様なやり方(ムリヤリもめ事をおこして中止に追い込む)で中止させないと説明がつかなくなるよね。左翼は暴力なんて振るわないって? 分からないでしょ。極論言えば、今回暴力振るった人らは多分向こう側の人なんだろうけど、「抗議してた人ら」がお金払って人やとってアレやってる可能性だってゼロじゃないんだから。そして、その逆のことだって当然カンタンにできるわけなんだぜ?
とりあえず、動画見てもまとめ見ても、申し訳ないけど「このやり方じゃなー」っと、あまり説得力を感じなかった。少なくとも、「明らかに不当な証拠」を揃えて言うのでもない限り、闇雲に警察叩いても一般人の理解も協力も得られないということは、学んだ方がいいと思う。
私は剛力彩芽の大ファンだ。彼女にはいろいろ批判がある。ネット何かを見ているとごり押しだとか不細工だとか範馬バキだとか言われる。
半ば暗澹たる気分になることもあるが、そんな批判は抜きにして、彼女のことを応援している。
そんな私が、彼女を応援しているがゆえに気になっているのが、彼女が日常的にどの程度ランチパックを食べているのか? という問題だ。
山崎製パンが提供するランチパックは長い歴史を有するパンで、初代のピーナッツは1984年に販売されている。
基本の六種類に加え、訳のわからない抽象的で特殊な味を提供することでも認知されている。
ランチパックのCM。剛力彩芽の魅力を56000%くらい最大限に発揮した素晴らしいCMだ。
ランチパックの手軽さ、ポップさと彼女のイメージが最大限にマッチし、火星圏を含めたCMの歴史の中で、個人的には最大の素晴らしいCMと言えよう。
ランチパックと剛力彩芽は、譬えるならば、シュワルツェネガーとコマンドーとの相性だ。
さて私は如上のように考えるから、剛力彩芽が普段どの程度ランチパックに親しんでいるか? という問題は切実だ。
別に食べていなくてもいいのだが、この剛力彩芽とランチパックとの関係性・程度を知ることで、私のランチパックと剛力彩芽との関係性への認識を深めることはまったく相違ない問題である。
そこで私はそれを知るために未来へのタイムワープを繰り返した。
かつてのSFではないが、未来へ行く可能性と過去へ行く可能性がもし五分五分だったなら、私はどんなに良かっただろう。賭ければいいだけのことだったのに。
そうそう。なぜ未来に行くかと言うと、剛力彩芽がランチパックをどの程度食べるか? という問いを解決するためだ。
未来においては、空間の成分や空気の振動をネットやテレビなど電子製品の電子から検出する技術が確立されていよう。
剛力彩芽の自宅や楽屋、近くのコンビニに、電子的に接続されたネット環境やあるいはカメラなどがない、全く無い、と言う可能性は低い。
未来のデバイスをもってすれば、剛力彩芽の挙動を様々なデバイスから検出することが出来るだろう。そこからランチパックと彼女との親和性を追究する、というわけだ。
それを求めて私は未来へと旅して、半ば当然のごとく2070年代の標準的なネット探知デバイス(新聞やカメラの情報を析出できる装置)を手に入れることが出来たわけである。
さてランチパックをめぐる旅は折り返し地点だ。
私は過去に行く方法を求めて、逆説的と思うがさらに時を進めた。
西暦でいうと225845年、私はいよいよ、解りやすく言うと不老不死の境地になり、継続して思索することになった。
やがて西暦でいう145290352年に、ほとんどありとあらゆる思索を繰り返した結果、過去に戻ることは不可能という認知に達した。
これは私に対して悲観的な感情をもたらしたかと言うと、全くそうではない。絡め手を考えていた。
ちょっとした挫折のあと、過去のあらゆるシチュエーションをシミュレイトする装置を23年かけて(取るに足らない年月だ)発明した。
これは円周率の応用だ。円周率は無限につながるので同じ数列が必ず無限回登場する。例えば1087という数字の並び。無限回。
これと同じことを剛力彩芽がランチパックをどの程度? に置き換えるわけだ。
答えはわかった。簡単なことだった。私はついに、過去には戻らずとも過去の完璧な様態を再現することを可能にした。
再現された剛力彩芽とランチパック、と周囲の環境。完璧な再現だ。
いわば過去に戻れたのだ。そこで剛力彩芽は・・・ランチパックを・・・
しかしこの結果ででた強力菖蒲とランチパックの関係は、はたして西暦2010年代の剛力彩芽とランチパックとの関係と全くイコールなのだろうか。
シミュレーションで再現されたシチュエーション。科学的には完璧だ。完璧に剛力彩芽はランチパックをああしていた。なるほどね~、という感じ。
しかしこれは・・・。西暦でいう145290300年代で再現したこれは・・・同じなのか?
シチュエーションを完璧に同じにして完璧に再現した。実験ではこれが望ましい。何度も試した。何度も同じ結果。正しい。正しい。科学的だ。再現性の問題。
しかし実験1と追試は同じなのか? 円周率で初めに現れた1087と次に現れた1087は同じなのか?
私は今でも、この時代にあっても、超企業山崎製パンのランチパックをコンビニで食べる。伝統の味だ。
そして終わらぬ思索を続ける。
キチンとホワイトのメディアで金にならなかったのは、一昔前までで大きく稼ぐのは難しいかもしれないが最近はサラリーマンぐらいは食えるようになってきた。
ブラック的なのはやりたいが、やっぱり揺り戻し(主に法律関係で)がかなりの確度で近い将来来ると思うので、大きくカネガ欲しくても一応手を出さないようにしてる。
これからやってみたいと思っている人(ブロガーじゃないよ)は、広告単価が安定するジャンルをキチンと選ぶことが大事だと思う。
例えばPVは稼げるだろうがゲスいニュース、ショッキングな話題は、最初は見逃されるが、チェックが入るのでどこかで必ずカットされるので…仮によくても、もうそれだけやってゲスい広告だけを扱う気がないのであれば、手を出さないほうがいいと思う。
広告単価が安定するジャンルは…、まぁ自分で調べてください。でもちょっと調べればすぐに検討はつくから。競争は厳しいけど、自分に編集や企画力があって、且つ会社行くのがメンドーだなと思うのであれば、そこそこはいけるよ。将来は知らんが。
ちょっとざわざわしてるCCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ)の個人情報の件。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/yamamotoichiro/20151119-00051607/
自分が担当してる客先にTポイントの加盟店がいくつかあって、加盟検討してるところもあるんだけど、さてどうなんるんだろう。
どちらもいわゆる大企業で、普段依頼をうけて仕事している限りではかなり厳格なラインで個人情報保護法を運用してる感じがある。
つかやまもといちろう情報を見る限りだと、組む相手としてはアウトになる可能性のが高い。
客先や上司の決定権を持つおっさんどもは、ちょっと前までツタヤ図書館も代官山TSiteもいいじゃんいいじゃんとバカが無防備万歳でほめそやしてたんだけど
さすがに、小牧の住民投票あたりで潮目が変わった感じあるんだよなー
まだ週刊朝日読めてないんだけど、おっさんメディアの週刊誌にネガ記事出るとなると更にそっち方面になりそうだけど。
Tポイント加盟検討中だったクライアントは、ツタヤ信頼性に欠けるし俺らの顧客情報を出すのが惜しいから、と、かなり長い間検討中が続いてたっけな。
http://anond.hatelabo.jp/20151114203911
http://anond.hatelabo.jp/20151115051501
何かを批判していないとプライドを保てない人々というのは、もう脳がそのように出来てしまっている。
だから、本人は改めた気になっていても、その性分はなかなか直らない。元増田も、私も含め。
自分の発言が、非建設的で悪意的見方にすぎる事を自覚できていたとしてもだ。
すばらしい物の見方をしていて魅力を何倍にもして伝えてくる人を目の当たりにすれば、彼らも一度はそれを賞賛する。
でも、次には文句を言い出すのだ。一度欠点だと認識したものは、どう繕っても欠点としか見れないのだろう。
私は2chのアニメスレに、何度か優れた考察をするブログのURLを貼った事がある。すると毎回そういう流れになる。
「でも○○のパクリだから台無しだ」「こんなガバガバ脚本なのが悔やまれる」と。
もはや、ネットはネガティブな思考回路を増幅・拡散するための装置になっている。
とはいえ彼らも最初からアンチなわけじゃなく、むしろファンで熱心に見続けている者が多いとは思う。
しかし、作品を受け入れて楽しんで見ようという姿勢になれないから、監督や脚本を責め立て、自分の理想を延々と垂れ流す。
ひとつは、神経質すぎる、理想主義すぎる者の声が目立つ仕組みだからだろう。
そういう人格になる理由は様々だが、ことアニメに関しては「キャラクター性至上主義」を煽る文化に一因があると思える。
魅力的なキャラが何より大事だから、特定キャラをsageるような役回りが許せない。シリアスな展開を容認できない。
また、「キャラが脚本に踊らされてる」みたいなトンチンカンな発想になってしまって、ストーリーを受け入れることができない。
もちろん、アニメ化以前からキャラクターが確立している作品もあって、一理ある場合もある。
だがアニメ化にあたって、物語性の薄い日常系にするならともかく、ドラマを描くなら多少のキャラ改変はポジティブに捉えるべきだ。
なぜなら、既存のキャラに囚われてキャラに自走させていたら、一本のドラマになるようイベントを発生させていくのは難しいからだ。
なので、「常識的にこんな事になるはずないだろ」とキャラの浅慮や落ち度を批判するのも的外れになる。
常識的に起きないようなイベントが重なった世界線がドラマになるのだ。
限られた時間枠のなか、絵で表現するアニメというのは、作るにも観るにも高度にクリエイティブな行為だ。
大事なことほど明確に描かれず、テーマ上不要なシーンは大胆にカットし、必要なシーンは大げさに描くケレン味が評価される芸術だ。
だから、観る側にも、脳内補完をしてやるための想像力と頭の回転が求められる。
だが最近は、漫画ですらうまく読めない若者が出てきたという話も聞く。
そういう状況では、このアニメ的な作法を飲み込めず、説明不足・置いてけぼり・駆け足すぎと感じ憤る人も出るだろう。
そういう人にとっては、アニメを違和感なく観れている人というのは好意的に見すぎの「信者」であり、愚か者にすら見える。
だが前述のように、アニメというのは構造的に、ある程度は好意的に汲み取ってやることが求められるものだ。
アラを探すような鑑定姿勢で見ていると、好意的に見ていればケレン味として消化できる些細なハッタリにも躓いてしまう。
すると「破綻している」という印象に囚われ、世界観にも没入できず、もう「楽しむために観る」という本来の姿勢には戻れなくなる。
その状態に陥ると、感動的な場面も素直に感動できなくなるばかりか、ちりばめられた演出も見落としがちになるだろう。
作品を楽しめている人とそうでない人の差は、感動できるような美点を「見出している数」の差だ。
アニメというのも芸術の一つであり、芸術というのは、言語化できないような抽象的なところから意味を見出すからすばらしいのだ。
また、ネットでは、批判できる人間が「通」であり賢いかのように見えてしまう。
その上、「好きだからこそ許せない」と批判されると共感を呼びやすい。
それが実際はトンデモな批判でも、通っぽさが伝わるとROMのにわか層には説得力をもって伝わるのだ。
ネット世代はとくに、こうしたネガティブ思考に誘う罠にハマりやすい環境に生きている。
この手の重箱の隅批判が公益を生むこともある政治や行政への批判あたりならまだマシだ。
が、アニメ漫画なんていうのは、趣味で自分が楽しむためのもの。
こりゃダメだと思ったら「自分には合わなかった」と去ればいいだけの分野のはずだ。
それなのにネガティブ発言をする人が繋がりあい、存在感を発揮する状況は、いかにも不健全だ。
こういうネガ・dis思考はtwitterやLINEやまとめサイトのような所からどんどん伝播していく。
軽いキャラdis風だったり、「また○○(脚本家の蔑称)か」みたいな受け入れやすい形で。
もっと作品やクリエーターへの敬意があって然るはずだが、そういう感覚を持てるのは「古き良きオタク」気質の人。
大量のアニメを消化していくイナゴのようなアニメファンは、下手に知識を得ても、斜に構えたような感じになりがちだ。
結局なにが言いたいかというと、そういう通ぶって批判する人をなじりたい訳ではない。
むしろ、そういう人が目立つのは時代の必然と考えたいという話。
目の前に広がる不快な現状をみて、
その中心にいる「人」を責めて鬱憤を晴らすダサいおっさんが元増田なら、
「ネット社会」という環境を憂えて俯瞰した気になっているダサいおっさんが私だ。
どんな形であれアニメ批判に関わると、こういう泥沼にハマって闇に堕ちていく。
そこだけ見ても、「良さだけを語れる」オトナの神々しさが感じられると思う。
ネットでは、増田でくらいは、そういうドロドロした感情を出してもいいと思って今書いているが、
でもリアルやSNSみたいなところでは、なるたけ「良さだけを語れる」「馬鹿に構わない」人間でありたい。
つい、「ここは良いけどここはダメだよな」みたいな両論併記的・中立的・評論的な物言いをしたくなる時も、
それは大体抑えたほうがいいと肝に銘じよう。趣味についての話なら。
しかし、完全にそういう人間になるには、そもそもネット上の素行についても
「わざわざ下卑た場所を覗きに行かない」「そしてそこでマウントしない」を身に着けている必要があるのだろう。
一度泥沼の味を覚えた身としては、それは難しいように思える。
なにしろ、そんな場所を見に行くことを忘れるような社交的なリアルの付き合いがないのだから。
ああオトナになるのは本当に難しい。