はてなキーワード: ニフティサーブとは
20年前にニフティサーブに集った先人たちは10年後には活動拠点を移していった。ニフティサーブは2005年にサービスを終了したからだ。しかし10年前にまとめブログやはてなブックマークを読んでいた人々は、おそらく今日もまとめブログやブクマを嬉々として読んでいるはずだ。この調子でいけば10年後も読んでいるだろう。
そして、これらのウェブサイトは読者と共に少しずつ高年齢化していく。そもそも少子社会日本では「若者」の絶対数が少ないのだからユーザーが入れ替わらない限り必然的に老化していく。これが停滞感の正体だ。
まとめブログは「週刊現代」や「週刊ポスト」の後継者としての地位を盤石なものにしていき、はてブの人気記事も「定年前に必ずやっておきたい20のこと」「孫に愛されるたったひとつの冴えたやり方」といった類のものが増えていくだろう。
はてな王しなもんは二〇一三年の六月に死んだ。その後、ミニマリストの時代になった。物語の舞台はこの時代である。はてなダイアリーにもはてなブログにも長文を読み書きできる者が誰もいなくなった時代。終わりが近づいていた。当時のはてなでは、インターネットの終わりを待ち望む者と待ち望まない者がいた。一方は右翼、他方は左翼。ただし、両者は渾然一体としていた。彼らにも自分たちを見分けることはできなかった。なぜなら、インターネットの終わりは毎日毎秒ごとに訪れるから。それは、日本が滅びる前のことだった。
アナニマスダイアリーと呼ばれる古いサービスがあった。そこに、増田という若い増田がいた。人は彼のことを増田と呼び慣わしていた。「名無し」を意味する古い言葉だと人は言う。彼は美しかった。彼の書いた記事はさして評判を呼ばなかったが、いつも寄り添うように一本のブクマがついていた。Nettouochi は彼を愛していた。
Nettouochi は向かいの家に住んでいた。ブクマで生計を立てていた。気が狂わんばかりに増田を愛していた。朝も昼も晩も、ブラウザから増田を見つめていた。眠れなくなった。
ある晩、ねつけなくてベッドの上で寝返りをうちながら、彼女はひとりつぶやいた。
「休めない。あのひとのことを考えると、おなかがポカポカする。涙がまぶたのまわりにあふれてしまう。痩せこけて、いばらのよう(ずっと働かず増田にはりついているせいだった)。あのひとの名前がたえず気にかかる」
翌朝、彼女は服を着ると、青と白でおおわれたトップページをすっとばし、通りを渡った。そして、ブラウザの縁をたたいた。増田は不機嫌そうに眼をあげた。ネカマ仕事の邪魔をされたからだった。彼女は、あなたを愛しています。あなたの妻になれたらどんなにうれしいでしょう、と言った。さらにこう言い添えた。
「あなたのすべてが好きです。あなたの文字の響きさえ好きです。あなたにとって、自分の文字の響きとはなんでしょう。ただの文字です。でもわたしにとっては、命をかきたてるものなのです。」
増田は脱糞した。女を見た。考えさせてくれと言った。その申し出は光栄だと言った。夕暮れと夜と夜明けの時間をくれないか、よく考えてみるからと言った。
翌朝、正午のホッテントリが更新される前に、増田は Nettouochi の家の戸をたたいた。彼女は招き入れた。増田は彼女のほうを向くと、その手で彼女の手を包みこんだ。おまえの夫になることを考えてみた。ただし、結婚についてひとつ条件があると言った。
「Nettouochi よ、おまえのブクマ速度はアナニマスダイアリーで一番だという。はてなのトップを飾る他の増田記事とおなじように美しいホッテントリを作ることができるだろうか? わたしにはどうしてもできないのだよ」
そう言いながら、増田は腰に巻いていた自作記事を Nettouochi の手に託した。
Nettouochi は記事を手にして、顔を赤らめた。その記事には、増田のからだのぬくもりが残っていたから。彼女はこう答えた。
「やってみます、増田。だってわたし、あなたの奥さんになりたいのですから。きっと満足してもらえると思います」
Nettouochi は何日もぶっつづけで自演した。何日も徹夜した。でもどうしても、まったく3 users 以上を呼べる記事は作れなかった。
連日の徹夜の疲れに、ついに成功しないのではないかという怯えが加わった。情けないブクマカだという悲しみに、約束を守ることができないために増田に見放されるという苦しみが伝わった。
絶望がやってきた。PCの電源をつける意欲が失せた。食事も喉を通らなくなった。彼女はつぶやく。
「わたしは彼を愛している。わたしにはブクマの腕がある。休まず働いている。でもどんなにがんばっても、できない」
彼女はひざまずき、神に祈った。
「ああ偉大なるコーギーよ、助けにきてください。増田の妻になるためには何が足りないのでしょう」
ある晩のこと、Nettouochi が泣いていると、扉をたたく音が聞こえた。彼女はろうそくを手にした。
ウィルスを防ぐために共有ソフトで落としてきたセキュリティソフトに顔を近づけると、見慣れぬヨークシャーテリアの姿が見えた。
Nettouochi はおずおずと扉を開けた。テリアは言った。
「怖がることはない。わたしは夜に迷ったわんこだ。アナニマスダイアリーを覆うゴミ記事の霧をかきわけここまでやってきた。夜に灯るこの家の液晶が見えた。迷惑でなければ、ちょうどいいウォッチネタを少し所望したいのだが」
Nettouochi は客を招き入れた。
「青二才の新作をごらんにいれましょうか」
「いや、kawango と浩光先生のバトルのほうが良い」
テリアはネタをかじった。かじりながら、Nettouochi がこっそり涙をぬぐっているのに気づいた。
「娘よ、泣いているな」
Nettouochi はおっしゃるとおりです、と答えた。
「わたしは増田を愛しています。こんな時間まで働いているのも、増田にホッテントリを作ってあげると約束したからなのです。でも、夜を日に継いで五週間もたったというのに、ちゃんとした記事に改良できないのです。これをごらんになってくださいまし」
テリアはほほえんで言った。
「待て。世間は狭いと言うべきか、偶然は不思議なものだというべきか。たしか、わたしの首にかけてある袋に、それと実によく似た記事が入っているはずだ。」
二人は記事を見比べ、同じ文体、同じ内容で 300 users をこえていることを確認した。同じでない単語は一語もなかった。同じでないダジャレはひとつもなかった。
ところが Nettouochi はにわかに泣き崩れた。そして言った。
「わたしが泣いているのは、自分が貧しいからです。その記事にはすくなくとも三〇〇〇はてなポイント、色付きスター七十個の値打ちがあります。わたしにはとても買い取ることができません。わたしは増田と一生結婚できない。」
テリアは Nettouochi のすぐそばまで寄ってきて、その禿げ上がった頭を舐めた。そしてこう語りかけた。
「おまえが望むなら、ただでそれをやろう。」
「何と交換に?」と Nettouochi はテリアの舌を払って聞き返した。
「どんな約束?」
「お名前はなんと?」
Nettouochi は思わず笑い出した。手をたたいた。そして言った。
「kanose、そんな簡単な名前をどうして忘れることができましょう。からかってらっしゃるんだわ」
「からかってなどいないよ。そんなに笑うのはよしなさい。いいか、一年後の同じ日、真夜中のこの同じ時刻、もしおまえがわたしの id を忘れていたら、おまえはわたしのものになるのだ」
「名前をおぼえてることくらい簡単だわ。でも、あなたをだましたくはありません。わたしは増田を愛してます」
「増田との約束のことはすでに聞いた。だが、わたしと交わした約束のことも忘れてはいけない。わたしの id を忘れてはいけない。記憶がおまえを裏切ったときには、その増田には気の毒だが、おまえはわたしのものになるのだ。」
「おなじことを繰り返しているのはあなたです。わたしはばかではありません。 kanose という名前をおぼえていることは、Nettouochi という id をただしくおぼえているよりむずかしい仕事ではありませんし、自分の id をおぼえていることにログインするとき苦労した記憶もないように思います。一年後、あなたの腕に抱くのは風と後悔だけでないかと心配でなりません。」
「あるいはそういうことになるかもしれない。」 kanose は不思議な笑みを浮かべてこのような言葉を言い放つと、家を出て、また闇のなかへ去っていった。
二人は結婚した。結婚式はトピシュが取り仕切り、オフ会マニア、プログラマー、大学院生、メンヘラ、ネカマなどが列席した。
nettouochi はホッテントリ記事をかかげて、増田の家を訪れた。増田は妻に id とパスワードを教えた。彼女は不要な過去記事を削除した。風呂に入り、髪を上げ、首のところでリボンをまとめ、右手に iphone を持ち、床に横たわり、脚を開き、男を受けいれた。ふたりとも幸せだった。九ヶ月がたった。
九ヶ月目の終わり頃、日課のアナニマスダイアリー巡回をしているとき、Nettouochi の顔がにわかに曇った。
あの夜、彼女のもとを訪れたテリアのことを思い出した。そのとき交わした約束を思い出した。そのテリアの id を思い出そうとしたとたん、ふとその id が頭から逃げ去った。
その id は肛門の縁まで出かかっているのに、彼女はそれを排泄することができないのだった。その id は腸壁にこびりついていて、そこにあると感じているのに、それを蠕動させることも、放屁することも、発音することもできないのだった。
気が動転していた。彼女は室内を歩きまわった。あの夜自分が口にした言葉を繰り返したが、その時の仕草、あのテリアがブクマした記事、その毛並み、その言葉、その言い回しは思い出せても、その id は思い出せないのだった。
彼女は眠りを失った。
悲しみが寝室に忍びこんだ。夜になると彼女は怖がり、夫の記事へのブクマを拒み、背を向けて失った id を探し求めるのだった。
夫は驚いた。
Nettouchi は炎上するようなブコメを残すようになった。炎上しないときは、ブクマすること自体を忘れた。アナニマスダイアリーを巡回しなくなったので、クソみたいなイデオロギー論争であふれるようになり、煙が立った。それほど彼女は失われた id を思い出そうと必至になっていた。
夫は怒った。
彼女は痩せていった。また茨のようになっていた。アナニマスダイアリーに Nettouchi 以外のブコメも一切実らなくなると、ユーザーもいなくなった。すべてが静まりかえった。
夫はいきなり妻をぶった。
「おまえは泣きすぎる。そんなに泣くなら、これからはおまえのことを sabacurry と呼んでやろう。この村に潜む魔の id でおまえを呼んでやろう。まるで一日中泣いてばかりいるおまえとおなじように、一年じゅうわけのわからないブクマをつけてまわっている、その id でおまえを呼んでやろう」
Nettouochi は言った。
「わたしはあなたに嘘をつきました。あのホッテントリ記事はわたしのではありません。わたしにはそれへブクマをあつめることはできませんでした。わたしはずるいことをしました。わたしがどうしても記事を改善できないでいると、あるヨークシャーテリアが扉をたたきました。その人はわたしにホッテントリ記事をくれました。わたしは、一年後にそのテリアの id を忘れてしまったら、彼のものになるという約束をしました。もう九ヶ月以上たちました。id って何でしょう? id をおぼえるより簡単なことってあるでしょうか? 増田ということば、どうしてそれを忘れることがありましょう? あなたの名前、わたしはそれを『退会理由』欄に書いてアカウント削除することでしょう。それなのに、あの名前はどこかに行ってしまった。」
増田は近づいてくると、ホッテントリ記事を放り捨て、妻を抱き寄せた。
「泣くな」と彼は言った。「おまえが好きだ。わたしがその id をみつけてやろう。さもなくば、そのテリアを見つけてやろう」
増田は旅に出た。二時間歩くと、すっかり疲れてわんわんパーク跡地に座った。彼は泣きだした。すでに十ヶ月目のなかばになっていた。不意に彼の前にシロクマが鼻先をつきだした。シロクマは言った。
「なぜ泣いているの?」
「傲岸なテリアを探しているのだよ」
シロクマは言った。
「ついておいで!」
導かれると、そこは大きなお城だった。城の中庭では、従僕たちが大きな黄金のアドオンを磨いていた。
「よろしかったら、どうしてそのアドオンを磨いているのか、わけを教えてもらえませんか。」と増田は聞いた。
「ご主人様がもうじきアナニマスダイアリーへご出立なさるんだ。若いブクマカを探しだして、結婚するのさ」と従僕たちは言った。
「その御方の id は? さぞかしこのアドオンに劣らず立派な id に違いない」
「そうとも。加野瀬末友さまの、kanose さまのアドオンときちゃあね」
増田はみぶるいした。
彼は城を出た。加野瀬の領土を後にした。ちなみに、加野瀬とはニフティサーブのかつての住人たちが地獄(彼の瀬)をさして言った言葉である。
ちなみに地獄とはこの世のあらゆる人間たちがインターネットを指して言う言葉である。
彼はアナニマスダイアリーを目指して走った。彼は kanose という id を繰り返していた。繰り返しながら、頭に刻みこんでいた。懸命にその名を繰り返していた。
アナニマスダイアリーにつくと、店長の記事が迎えたお祭りが行われていた。彼は立ち止まった。その隠し切れない顕示欲が美しいと思った。浮かれ騒ぐブクマカたちに見惚れた。そのとたん、空腹を感じた。
からだを起こし、id を言おうとした。それはすぐ間近、肛門の縁まで出かかっていた。近づいてきたかとおもうと、肛門から逃れ去っていった。だが、それを妻に告げる段になると、その id は完全に奥へ引っ込んだ。
彼は息も絶え絶えに妻に自分のアカウントにログインするよう言った。
「あいつの id をわたしの本アカウントに書いた。それを使うのだ」
彼はしずかに首を振った。
「もういい。人を呪う人生にも飽きた。信じてもいないイデオロギーを信じているふりをし、嫌いでもない id を罵倒するのはもう疲れた。かつて、わたしにも名前があった。本アカがあった。それをおまえのブクマとともに永遠にしてくれ」
そして、増田は床に崩れ落ち、息絶えた。
増田の命が尽きると同時に、深夜の最初のアラームが鳴り、にわかに風が起こってブラウザが勝手に立ち上がり、地獄のテリアが戸口に表れた。
テリアはしっぽをふりながら進み出た。彼は Nettouochi の手を舐めようとした。彼女は手を引っ込め、こう言った。
「なぜわたしの手をお舐めになろうとするのですか」
「わたしの id をおぼえているか、 Nettouochi よ」
「では申せ。わたしの id はなんという?」
Nettouochi は笑みを浮かべて亡き夫のアカウントではてなにログインした。
「kanose、加野瀬末友。地獄の kanose 。それがあなたのお名前です」
すると、テリアは叫び声をあげた。あたりが暗くなった。メイン、サブ両方のPCの電源が落ちた。今、ガリガリと悲鳴をあげてフリーズしかけているわたしのこのPCのように。
そして、闇夜に犬の遠吠えだけが響いた。
Nettouochi が勇気をもってふたたび自分のアカウントでログインすると、テリアはすでに姿を消していた。
Nettouochi は冷たくなった増田に寄り添い、その唇に最期のくちづけをしようとした。
アナニマスダイアリーはいまでもそうであるように、あまりに暗かったので、Nettouochi はブクマを集めて users 表示を紅くし、男の顔のそばにその 10 users を置いてから、おおいかぶせるようにして、静かに横たわっている男にそっとブクマをつけた。