はてなキーワード: ナイーブとは
維新の幹事長が「国会議員は公人なので、候補者が過去に帰化していた場合は公表せよ」と発言したことについて、まあ散々批判があるわけですが、
「帰化した人間は公務員 / 議員にするな」みたいな意見って、「国家に忠誠を誓わない人間が政治家や官僚になるのは嫌」という感覚としてはおかしくないんですよ。
それは当たり前のことなので。
問題なのは「国家に忠実であるかどうかと国籍には関係がない」ってことなんですよね
上記のような主張をする皆さんは「日本に敵意のある人間が政治家になったらどうするのか」とか主張するわけだけど、ちょっと冷静になって考えてみて欲しい
もし中国とかロシアが日本にスパイみたいなのを送り込んでくるとして、昨日まで外人だった人を帰化させてから立候補させたり公務員試験受けさせたりすると思います?
しないんだよな
あなたが外国にスパイを送るとして、そんな面倒くさい上にすぐバレそうなこと、します?
泥棒は皆サングラス付けて風呂敷背負ってると信じてるようなナイーブさですよそれ
実際の例を見ても明らかだけど、既に日本で働いてる官僚とかを買収するわけ。
だから「国籍」で線を引いて日本に害を為す人間を弾くなんて事は出来ないの
むしろ仕事の都合や日本に対する関心があって日本にやってくるほとんど全ての外国人に対して不要な線を引き、不要な差別や憎悪を生むことになる訳ですよ
あと「アメリカでは移民一世は大統領の被選挙権がない」って意見も多かったですね
それはそうなんだけど、逆に言えば大統領以外にはなれるってのは解ってます?上院議員にだって州知事にだってなれる。移民二世は大統領にもなれる。アメリカ人はそれを問題にしてないわけ
共和党議員でカリフォルニアの知事だったシュワちゃんはオーストリア生まれだって知ってました?
だからこの手の主張って、ようするに「とにかく外人(特にアジア人)を差別したい。でもおおっぴらには出来ないからそれっぽい理由が欲しい」にしか見えないんですわ
生活保護叩きに似てるよね。全体の0.5%もないような不正を血眼になって追求するくせに、政治家の汚職とか富豪の脱税みたいなより有害な強者の不正には同じだけのエネルギーを割かない人って沢山いるじゃないですか。
本格的になんだか肌寒くなってきた季節到来のシーズン。
事務所内で着る
パーカーこないださ買ったらさ
サイズがあわなくて仕方なくパジャマがわりにしているんだけど、
サイズとは?ってもの凄くクローズアップして特集して欲しい課題でもあるしテーマでもあるし、
解せないわー。
そう思ったの。
言っておくけど、
でもどうしてかしら?
そこで買うシャツはいつも同じサイズで1人分のから揚げは多すぎるから半分でいいジャストサイズのピッタリちゃんなのに。
厚手のものとなると
でさー
今の昨今昨日行ったお店とかで、
もしかしたら私が気にしすぎなゆえなのかも知れないけど、
今のこのコロナ禍のなか、
試着関連界隈の世界ってどうなってるのかしら?
だから、
決め打ちの角打ちでサイズ感ばっちしのこないだ買ったサイズと思って買ってみて
ペキカン!って思ってたんだけど、
サイズがあわなかったのよね。
どっちみっちどうせあっても着るに困らないから
さすがに
夜も寒くなってきたので、
お布団も夜仕様にかえなくちゃってわけで、
私疑問があるんだけど、
羽毛布団ってどこで洗濯したら良いの?
あそこにぶち込んでいいのかしら?
それを聞いて見て知って、
私が知っているかのようにお友だちに自慢したいのよ。
いやそんなことは冗談さておき、
マジ羽毛布団の洗濯の仕方は川か海かでって言うと
絶対に海では洗ってはいけないぐらいは分かる真水ってところまでは、
間違いないでしょ?
ただあの大型コインランドリーにぶち込んでもいいのか、
それともクリーニング屋さんに出しが方がいいのか?
私お手製のけんちん汁を片手に飲みながらマジみんなの見知を知りたいわ。
けんちん汁片手にってで思い出したんだけど
大型トラックのさ
後ろの荷台のところが仮眠室みたいになっていて、居住空間としてマジ充実しているタイプの長距離走るトラック野郎網走菅原文太星一番みたいな感じのトラックの運転さんが
今のもう一度プレイバック!って
巻き戻したいぐらい緑の森を走り抜けていったのよ!
でもさ、
パクッと食べてる隙に口にほおばっている瞬間ギア変えたりとか、
なかなか器用なものだと思うけど
あれもよくよく考えたら、
きっとお巡りさんに見付かったら怒られる案件濃厚事案かもしれないわね。
味が濃いったらありゃしないわ。
濃厚案件とおにぎりの具の昆布の味が濃いのは関係ない気もするけど、
あんまり飲み食いしながら運転するのは本当はよくないかも知れないわね。
真っ直ぐな道だと手放しで膝でハンドルキープしてってのも絶対しちゃダメだからね!
しかも私の目指すところは
食べやすさと食べきり易い大きさといかに手を汚さずにってのが目標なの。
手を汚さずに食べきる完全犯罪よ。
さすがに運転中にポテチをアスファルト刻み走りながら箸で食べたりしないけど
ファストフードのお持ち帰りの車のレーンで並んで買うタイプのファストフードってあるじゃない?
私あれは一番ダメだわ。
あれ全部手が汚れてしまうじゃない。
映画館のポップコーンの甘い香りがするキャラメルマキュアージュ味の
あれはあれで美味しそうには見えるけど、
私絶対映画観てるとき手がベタベタになったらそれが気になって物語のストーリーの話の筋をあらすじで書いてもらえないぐらい
気になって気になって入ってこなくなるのよ。
それと一緒。
猫ちゃんによっては
自ら好んで粘着テープのじゅうたんなんかをささっと掃除するコロコロに自分から突進してきてくるタイプのコもいるけど、
やっぱり手がベタベタになるのが私苦手だわ。
どうしても手がベタベタになる食べ物系を食べなければこの先生きのこれない時ってあるじゃない、
あらかじめさきに手が洗えるところを確保しておいてからいざ挑むから
まったく手がベタベタになるのが完全にアウトのタイプの人間でも無いのよ。
だから手がすぐ洗えない状況だと、
私をもし弱らせるんだったら
あれが一番私の嫌なステータス異常ね。
手を洗うしかない!って
私何の話ししてたんだっけ?
トラック野郎の後ろの荷台のところの
充実した居住空間もあこがれるけど、
きっとあそこでは自炊できないだろうし
いくら充実していようが暮らせはできないのよ、きっと。
違う、
トラック野郎のうしろの居住空間の充実佐野ケンチを求めているんじゃ無くて、
いやそう言う話聞きたいけど、
あれってさー
キャピングカーとかも憧れるじゃん、
スポーツカーの後ろに牽引するタイプのキャンピングカーって想像したらへんてこりんよね。
キャンピングカーにも憧れるけど走りがね走りがって
イニシャルディーみたいなことを言ってみたりしてるけど、
私が一番知りたかったのは
すっかり忘れて
もう話を閉じようとしていたけれど
羽毛布団の洗い方よ、羽毛布団の洗い方よ!
自分で出来るやり方の見知が知りたいわ。
うふふ。
ずっとそれ?って思うけど
これが美味しいんだなー。
話し変わるけど、
緊急事態宣言が終わって緩く規制されている飲食店の閉まる時間がもうすぐ平常運転になるってことで、
腕をぐるんぐるんして準備万端にしていると思うんだけど、
私の好きな夜たまに寄りたいお蕎麦屋さんも
ちょっと復活してくれたら
早く緩和緩んで欲しいわ。
つまりいつ食べても格別!
人のお金で遊んでいるようにパン屋さんをプロデュースしてそうなタイトルの店名のパン屋さんでありそうな「いつ食べても格別ハムタマゴサンド」ってネーミングのサンドイッチがあったらいいわね。
朝本当に寒いのよね、
温めに沸かしていただいたわよ。
歌でもあるじゃない
絵もない花もない歌もない飾る言葉もない、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
だいぶ議論が落ち着いてきたみたいだから、あえて書いてみたいと思う。
あれって、極論的な話で、絶対ないかって自分で考えればたいていの人はあるって答えるよ。
少なくとも現代のモラルを内面化していれば、そう答えざるを得ないよ。
そこまでの極論を聞いているわけじゃないんだけどなって言われたって、現代の常識的理性をインストールすればそう答えるに決まっているじゃない。
それはいいことだと思うよ。
だって、そういう感覚をもって問題があるかもしれないと自己チェックしているってことだから。
そのうえであて行動したりする人も、そんなこと言ったってそうしないと恋愛に発展しないよと考えている人もいたりするけれど、少なくともチェック能力はあるんだよ。
それはフェミニズムに限らない、女性たちの活躍の成果であって、単に男性たちの中だけの価値観でそう答えていると思うのは違うよ。
チェック機能がないか、そういうチェック機能が働かない感性を持っている人ってことなんだから。
で、ここら辺の感覚って男性は大抵思春期の頃に悩むものなんだよな。
自分の男性性について、そういう感情を持っていると悩んだ経験があるから、雑な意見でも総論としてあれに同意する人が多いんだよ。
「経済学的な正論」が好きな人に共通しているけど、政治的な考え方があまりにナイーブだと思う。もう少し政治的な駆け引き、交渉、妥協のプロセスというものに関心を持ったほうがいい。
総裁選を見ても確かに政治家の間で財政緊縮論は退潮しているけど、それは大震災、安倍政権の誕生、海外の反緊縮ポピュリズムの動向、そしてコロナ禍という様々な事件や政治的偶然が重なった結果であって、経済学的正論を愚直に訴え続けた結果ではない。
世間一般の人はもちろん、国会議員や経済学者ですら同じ「経済学的な正論」を共有しているわけではないので、そうした政治社会学的な事実を踏まえて、政策論というのは構築されなければならない。とくに「減税」を旗印する場合、社会政策や政治哲学では対極的な勢力とも組む必要を考慮する必要があるが、減税派の人は果たしてそこまで考えているようには見えない。
右側は普段から「我々の所属する共同体のために」という主張してて、何ら手のひらかえしてないけれど
困窮しているわけではないが、十分には足りずギリギリやってる人たちに
困窮している人たちを救済するために 自分たち(お前ら)も負担すべきだと言っている人たちが、
いざ、十分には足りてない側になったときに困窮している人たちより 自分たちを優先すべきなんて言って手のひら返してる様が
リムジンリベラルの駄目さ加減が遺憾なく発揮されてるんだけれど
右側~中道~多少左寄りあたりまでの人たち大部分の日本人は 自身の所属する共同体を第一 とするのを是と考えてて
左側の手のひら返した「もっと我々日本国民のために早くとってこいや」の声も 同じ共同体の仲間たちの 声だと思ってるだろうし
左側でも普段から一貫性のなさや矛盾を指摘されても無視しているような厚顔無恥な人たちはやはり今回も気にせず手のひら返すだろうし
左側でも普段言っていることと行動の整合性を気にする一部のナイーブな人たちしか そんな議論を望んでないんじゃね
あるいは、共同体内にワクチンが十分にいきわたり、リムジンリベラル側になった厚顔無恥な人が増えたら そんな議論も増えるんじゃね
[B! 教育] 「母はこの問題の意味を理解できませんでした…」小学3年生の子どもが解けなかった算数の問題は大人でも回答に詰まってしまう - Togetter より引用
daitokai1980 「もとにする数」は授業で踏まえたあとの宿題だろうからなんとも。ほんと「自分がわからなければ相手が無能」扱いの空気の蔓延はどうにかならないか
2021/09/21 リンク yellow262yellow
youichirou 問題自体の是非はさておき、こういう問題は授業でやってるはずだから、答えられないのはその授業を受けていないか(大人)、ちゃんと聞いてなかった(子供)からだよね。
2021/09/21 リンク yellow131yellow
mobanama 確かに問題文はわかりづらいが、そもそも授業で説明したものではないのか?意味を考えればその答えになるだろうし。 教育
タイトルと本文の画像だけ斜め読みしてるアホの多さが分かるねえ。
元のツイート主が
①100000
②100
と言ってるんだから「授業で教えていたはず」「答えられない奴がバカ」は当てはまらないよね。
漠然とこの辺が答えかな~~ってのは見えるんだけど「これが答えだ!」って確証をこの問題文から持つのは無理かな。
これで「答えは一意に決まる(難しい概念だから分からない人はググって勉強してね)」と言い切っちゃう人こそがヤバいよ。
もしもこの問題に対して「テストって答えが一意に決まる必要があるんですか?」とか言い出しちゃうならそれもヤバイよ。
もし上の文に「答えが一意に定まらないテストはある。たとえば美術の試験なんかは~~~」とか言い出すなら超ヤバイよ。
算数のテスト、それもこのレベルの簡単な計算や公式の確認のテストであるなら答えは一意に定まるべきだよ。
この問題だけ例外的に回答のストライクゾーンを広く取るのならば「この問題の答えは多少曖昧でも許されます」と例外規定を書くべきだね。
少なくとも相手が小学3年生という時期であり、「テストで間違いを書くとさらし者にされかねないから恥ずかしいよぉ(T_T)もういっそ白紙にしよ(T_T)」と考えちゃいがちなナイーブな時期であることも考えるとね。
ああだこうだ言ったけど結局の所はてなーって「本文もロクに読まずに脊髄反射で相手に殴りかかって論破して調子に乗りたい」ってだけなんでしょ?
普通じゃないよね。
普通の日本人は「相手を批判するなら、自分の側が間違っている可能性を考慮してもう一度じっくり相手の意見を隅々まで確認する」よね?
いや凄いよ。
桜庭一樹さんの「少女を埋める」を今頃読み終えて、いろいろ心を揺さぶられる思いがして、この作者の著作を初めて読んだので、どんな人なんだろうとネット検索をしていて、鴻巣友季子さんの評をめぐって議論が発生していたことを知り、ここにたどり着きました。
お二人の「論争」(?)、ざっとたどってみました。一応決着見たようですが……モヤモヤが残りました。
このモヤモヤ感についてこの場を借りてちょっと書いてみますね。
あなたも指摘されているとおり、桜庭さんは、「テキストにそう書かれていたかのようにあらすじ説明として断言して書いた」ということを強く主張されていますね。
でも、そもそもこの言い方が間違いだと思うのです。
鴻巣評の問題のくだりは、「テキストにそう書かれていたかのよう」に「断言」しているかと言うと、そうは断言できないかな、と。
だって鴻巣評のうち、「テキストにそう書かれていた」部分は「 」で括られていて、問題の部分は括られていませんからね。
そもそも評者の解釈だと読めなくもない。もちろん桜庭さんが言い、あなたが代弁するように、客観的にこんなお話だ言っているようにも取れる。
これは絶対どっちかだとは言えない書き方ではないでしょうか。
だとすると、桜庭さんの「テキストにそう書かれていたかのようにあらすじ説明として断言して書いた」という、この言い方が悪手だったかなーと思うんですよね。
鴻巣さんは、この主張にうまく乗っかって、「あらすじとは解釈だ」みたいな誰にも否定できない話に持っていった、
桜庭さんにとっては、持っていかれちゃった、ということになったかと。
それを踏まえてこの二人のやりとりを見ると、「論争」の決着点としては、鴻巣さんが大人の対応をしたってところに収まっちゃいましたね。
二人して朝日をちょっと悪者にして、桜庭さんも手打ちにしたのかな?と。
鴻巣さんは、桜庭さんが本当に言いたいことは何か、わかっていたと思うんですよね。
わかっていて、そこには対応しなかった。
むしろ相手の言い分の、言わば言葉尻をとらえて反応してみせた。だから「大人の」対応です。
そう、「不誠実な」対応でした。
なぜなら、そもそもあの作品をあの評文のなかにああいう形ではめ込むことが、あの作品にとって圧倒的に不当だからでしょう。
あの作品はあんなものではない力を持っているのに、弱々介護の話ってことにしちゃった、ご自分の読みの甘さ、いや読みじゃないかなー、表現力の至らなさかな?
鴻巣さんは、自覚していたと思います(だって鴻巣さんですよ)。
鴻巣さんは、あの作品を読んで、深く心を動かされた、でもそれを直ちにはうまく言語化できない……でもすごいことはわかる。
評言のなかの「不思議な」という言い方にもそれが感じられます。「不思議」を言葉にするのが評者の役割なのにね。
で、心のどこかに引っかかってて、弱々介護の話を書いているときに、「そうだそうだ」って桜庭作品を取り上げちゃったんじゃないかなー。
「みんなー、頼む、百回読んで」ってことを時評全部使って素直に書けば良かったんですけど、締め切り迫って言葉にできなかったのかな。
どこを切り取ろうと、とにかく取り上げて世に知らしめるだけでも、この作品の助けになる、助けてあげる、応援してあげる、みたいな驕りもチラチラ透けて見えます。
この作品にいち早く注目した私、読み巧者よねーみたいなのもあるかも。
(いや、鴻巣さんぜんぜん嫌いじゃないんですよ、私は)。
私は、あの桜庭さんの抗議は要するに、「そんなふうに読み取らないで!ぜんぜん違う!」ってことだと思うんです。
問題の本質は解釈のなかみなんでしょ。桜庭さんご自身も、ツイッターで、そういう怒りを垣間見せていますよね。
「わたしの懸念は、私小説として発表されたこの作品の評で、……」
でもこの作品は私小説としては発表されていないんですよね(鴻巣さんは「自伝的随想のような」って勝手なこと書いてますけど)。
『文学界』の当該号のどの頁にも「私小説」って書いてないもんね。
で、まあ、百歩譲って「私小説」だとしたらどうだと言うんでしょう?
西村賢太さんがどこかで、私小説だからって、書いてあることが全部事実だと思う読者はバカ、って言ってた。
でも、あんなふうに、とてもナイーブな書き方をしてしまう桜庭さんの思いもジンジンと伝わるんです。
何かこう、わが身の血と肉を自分で食って吐き出すような、そういう格闘の末の作品なんだろうなー、
そういう格闘を、あんなふうに一つの作品に言葉で築き上げるってすごいなー、
それを「私小説」って言ってるんですよね、きっと。
そしてその格闘の焦点である母親との闘争/和解(?)のギリギリの物語の、
その当の母親についてあんな切り取られ方をしちゃうとなー、そりゃ怒るよなー、って思う。
でも、怒りの焦点は、自分の母親が虐待人間って大マスコミで公言されたことじゃないよね
(私小説と自任して書いているなら、こういう反応に対する覚悟は少なくともできていないとね)。
なにその読み方、バッカじゃないの? ぜんぜん違うし、って、桜庭さんはそれだけ言えば良かったのでは?
立憲民主党を批判して、「政権交代を現実的な選択肢として考えられるようなレベルの政策を出せる野党第一党が欲しい」という人が多いけど、政治についての考え方が明らかにナイーブだと思う。なんかいい政策をつくれば政権を取れるのに、という野党批判が多いけど、そんなわけない。野党が政権を取れないのは、「野党のなかでもまとまってないのに、国の運営なんかができるのか」という、政権運営能力に対する根本的な疑問であって政策とかじゃない。
典型的なのが消費減税。消費減税策を打ち出せば世論の支持が高まるという幻想を振りまいている愚かな人が多いが、全くそんなことはありえない。野党から消費減税と言われても、「またできもしない甘い政策で私たちをだまそうとしている」としか受け取ってくれないからである。減税派は「国債を発行すればいい」などと無責任なことを言うんだろうけど、霞ヶ関や国会議員にはそれに強硬に反対する人が現に膨大にいるのであって、それを説得して回るのも政治である。結局、財務省や厚労省などとの予算の調整のプロセスのなかで、代替財源として歳出の大幅削減が求められることになる。かつての民主党政権が実際に直面したことである。そういう「政治のめんどくさいこと」が野党は出来ないんだろう、というイメージを払拭できていないから支持が伸びないのであって、個別的な政策自体が支持されていないわけでは決してない。
ではどうすればいいいのか。それは、野党は無理に対決姿勢をとることはなく、政権与党のなかに意見や政策が同じところがあれば素直に評価して協力すること。政権与党の中で働いている官僚や感染症の専門家、社会保障の実務家などから謙虚に学び、外側から支援して「今の自民党よりも野党の方が仕事がしやすい」という印象を地道につくっていくことである。
そして、野党議員もSNSやメディアで自民党との違いを無理やりアピールするより、「与党との強力で懸案だった法案が成立しました」というアピールを頑張ったほうがいいと思う。時間はかかるけど、政権担当能力があるという小さな実績を積み上げることで、長い目で見れば政権奪取につながる。そもそも政権獲得など手段でしかないわけだから。
うわつまんね…
主人公の本郷沙織は今まで5作の小説を出したらしい。まだ26で5作も出版させてもらえたのはすごいことだ。自室らしき場所も大きなソファのある広い部屋で(実家が太いか副業で儲けてるのでなければ)印税収入の多さを伺わせる。不満轟々の濡れ場シーン込みでこれだけ売れるなら他のところに大きな強みがあるはずだ。
それなのに本郷とその小説がちっともすごく見えない。小説はすごいかすごくないか以前にどんなものか全くわからない。純文学かエンタメか、現代ものか歴史ものかファンタジーかSFか、客層はどこか、推理ものか職業ものか……そしてなによりその強みが1mmも出てこない。本郷自身も編集も同窓生たちも揃いも揃って不出来な恋愛描写についてしか語らないからだ。
本郷は恋愛描写以外のシーン、読者から高評価を受けてるシーンへの情熱をひとかけらも見せない。
同窓生は面白い部分への感想も言わずにいきなり「でもさ、初々しいよね」をぶち込むなかなか無礼な人。
そして肝心の編集。編集は最初の読者として作家を客観的に評価し強みを生かし弱みをカバーするのが仕事なのに、こいつは本郷の真面目な相談に「処女乙とか書かれてたんでしょ」「無理っすよ」と素人でも言えるような煽りから入る無能。本郷先生の強みはこれこれだから恋愛小説よりもそれを生かせるようなジャンルにしましょうとか、濡れ場描写に得意分野を組み合わせて独自性を出しましょうとか、そういうことを言うのが仕事だろう。仕事だろう。
仕事だよ。何もったいぶって無駄に溜めて溜めて、本郷が追い詰められてからようやく青筋立てて叫んでるんだよ。それぞれの作家に合った提案をするのは編集の基本業務だろ。最初から普通にやれ。
無能がついにちょっと仕事をしただけのシーンで何を感動すればいいんだ?
この物語は「普通という王冠」からの脱却を描いているようだが、作家ともあろうものがナイーブに普通を目指すのか。小説家は個性的なものだと思われてるけど実は私には普通の生活への憧れがあって云々、とかそういうセリフも挟まれていない。
それでも本郷がそういう人間なのはまあわかる。現実にもそこそこいるかも。しかし編集さあ…「普通の恋愛小説は書けない」って恋愛小説舐めすぎ。世の中で百花繚乱に咲き誇る恋愛小説たちを雑に普通で括るなよアホか。
増田は、男女不平等の解消・男女同権というのが、権利をどちらが多く有するかせめぎ合うゼロサムゲームのように捉えていないか?
社会全体における均衡点としての50:50がどこかで見出され、双方からの権利拡大意思が打ち消し合う結果、危ういバランスが保たれるような印象を受ける。
その見方も理解は出来るのだけれど、分断・対立の構造自体を解決しないことには価値観としての男女同権は実現しないんだろうな。
「たまたま男に産まれた」だけで女性は他人事と割り切る人に、社会問題を真面目に考えるのは難しいんじゃないかな。
何というか、中学生がナイーブな理性主義で現実感の無い言葉遊びをしているような内容なので、他の事で頑張って欲しいと思います。
コロナで大変なことになってる中でよ、わざわざ東京の都心で大学の同期が結婚式挙げるって言うんだよ。
いやまあ、日取り自体は半年前に決まってたことだし、あれから感染状況がここまで悪化するとは俺らの誰も思ってなかっただろうし、仕方ないんだけど。
中止しろよ…と正直思ってるけど言えない。向こうだって嫁さん待たせてるし、結婚式って何百万もかかるんでしょ、そりゃ中止できないよね~
なにが厄介って俺受付やらなきゃいけないんだよね。半年前引き受けちゃったから。
俺結婚式とか行ったことないからわかんないんだけど、受付って一番人と接する役目じゃないの?大丈夫?みんなワクチン打った?聞いた感じだと俺ら20代、あんまり打ててなさそうだけど…
ほかの同期に話聞く限り一応打った人もいたけど、式の日までに2回目を打って、かつそれから一週間以上経過してるっていう括りで言ったらほぼ居ないっぽかったぞ…
あとお前、会社の上司とか親戚も呼ぶんかい、高齢者に差し掛かってるような世代がこんな集まり来て良いのか?しかも県境跨いでるやろそれ…今更こんなこと気にする俺がおかしいんか…?
だって俺同居家族いないし。無職だし。頻繁に会うような友達も恋人もいないよ。
あと俺基礎疾患がある関係でほかの奴らより早くワクチン打ってるんだよね。もう2回打って1か月経つ。
式を中止することができない以上(まあだってもう今週末だもんね)、俺が今ここでケツまくって逃げたら、ほかの誰かがやることになるでしょう。
その「他の誰か」が、会社の同僚やら家族や恋人がいる誰かがこの役割をやって感染したら大変なことになるけど、
会社辞めてて、誰とも会わないで生きてて、一応ぼんやりしてても半年は暮らせる貯蓄がある俺なら、まあ感染したっつっても俺が苦しいだけの話で…ワクチン打ってたら死にはしないってほんとかね?そうだといいんだけど、でも基礎疾患持ちは重症化しやすいらしいしなあ…
それで最悪死んじまったってなってもなあ。正直なんかそれで死ぬなら仕方ないかという気持ちよ。疲れた。
童貞で無職で基礎疾患持ちの俺が結婚式を挙げる奴の人柱になるのか…という暗澹たる気持ちは正直あるよ。これは嫉妬やない、嫉妬やないぞ。嫉妬と言うよりなんかもっと…なに…?言語化できないけど…
半年前までは普通にめでたい!って思ってたんだよなあ。祝う気持ちがあったよ。今もそりゃあるんだけど、複雑ですよ。
医療崩壊ってどういう感じなの?コロナなんですけどって言っても自宅にいてくださいねって言われるだけで病院は入れないの?いま荒川区ってどうなん?
Amazonで食料買いだめするのと別にブルーシートでも買おうかなと。なんでかわかんないけど、死ぬことそれ自体より俺の死体がこの夏場で、この部屋でぐちゃぐちゃに腐っていくことがすげー嫌だ。自分の住んでる部屋が好きだからかね?気に入ってるカーペットに俺の腐敗液が垂れるとかマジで想像したくねえ。
なんかこう、こういう「しょうがないよなあもう」っていうのが積み重なった結果みんなで崖に飛び込んでいくような事例が繰り返されてるのかなあとかナイーブになったり、
言うてもずっとマスクして会食の席に立たなければ感染しないでしょ、なにを悲観論に浸ってるんやみたいな自己批判が脳内で始まったりとか、勝手に一人で忙しいよ。
ま、しょうがねえわ!別に向こうだって俺が無職だから受付に選んだわけじゃないし、むしろなんか聞くところによると受付って会場で人とだらだら話したりしなくていいみたいな話もあるから、人と話せない俺への配慮では?という気もするし、
こんなのは全部俺の僻みこじらせた被害妄想よ。仕方ないんすよ。
会場が用意する感染対策とか全然当てにならないっぽいし、自分でできる対策を用意するだけして臨むわ。
というわけで今週末、行ってくる。
私の場合、思考や行動が行き詰まったりすると必ず見る夢がある。
それは、エレベーターのボタンが効かなくなり閉じ込められ、それなのにエレベーターは無限に動き続ける(最上部まで行くと下降、逆もそう)というものだ。
というか、その場面を想像しただけで視力が落ちて画面が見ずらくなってきた。
もともと、閉所恐怖気味(暗くて身体に迫るサイズの空間だと無理)だったのもあり、この夢を見ると、自分の意志でエレベーターの動きが止められない=一生続くかもしれない、
ってことに強い恐怖を感じて、えもいわれぬ叫び声(おーえーえーおーみたいな声、と言われたことがある)を出して起きてしまう。
傍らに居る嫁にもいつも申し訳なく思うが、自己の意志で止められないので、気晴らししてから寝るしか対策がない。
そういうわけで「夢が現実にも影響を及ぼす」なんて書くとオカルトっぽいが、私の場合、その夢だけは現実に影響を与えていて、わりと困っている。
もちろん、私はプロじゃないため、故障するかどうか正確にわかるわけじゃない。
なので、故障しそうかどうかは直感的に、エレベーターが古いかどうかで判断する。だから、古いエレベーターに乗れなくなってしまったのだ。
例えば、田舎のビジネスホテルにありそうな、ボタンが丸くてしっかり押すようなやつで、階数が白い文字で掘ってあるようなタイプのエレベーターとかは無理。
それで蛍光灯が暖色で、少し光量が足りないとかだったら、客室が5階とか6階とかでも確実に階段を使うと思う。
そう、このエレベーターのイメージも実際に見た記憶が無いんだが、夢でよく現れる。
ここまで書いてもたぶん、この恐怖感ってなかなか共感してもらえないと思うけど、良い具体例を最近みつけた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/0bbc47afd0de432ebb3f72aaabbaf0d347149c3a
エレベーター側が無限に回り続けて、利用者はこれに飛び乗るというものらしいけど、それに感じる恐怖感が、
私がエレベーターに持つ根元的な恐怖感に近い(まだ、いつでも降りられるという点で救いはあるが)。
これ、最下部とかどうなってんの?とか考え出すと、特に下り方向(落ちる方向)とか乗るのは、個人的には無理に感じる。
あとはおまけ。
これ書いてて、行き詰まったときの夢はもう1パターンあるの思い出した。
古さは、男性小便器が個別便器じゃなく壁に放尿して下の溝に流れるタイプ、大の便器は周りに個別壁の無いタイプぐらいの古さ。って、昭和前期か。
いや、私は平成ギリの昭和生まれなんで、そんな光景を実際に見たわけじゃないんだけどね。映画かなんかの影響か?
とにかく、放尿された壁と覆いの無い便器から来るひどい臭気に圧倒されて具合悪くなるという夢なのだ。
もちろん夢だから、本当に臭気を感じるわけではないのだが、その夢を見た後は鼻先に不具合を感じる。
その臭気になすすべがないというのは、閉じ込めエレベーターの夢に通じるものがある。
きっと、その無力感が、自己の思考や行動の行き詰まりを抽象的に表しているのだろう。
そうそう、そういうわりとナイーブな感覚の持ち主なので、迷走神経反射もひどかったりする。
普通の注射でも、ふくらはぎとかつねって、意識を保持するよう頭に思い浮かべていないと、目の前が真っ白になって立ちくらみする。
採血なんかは寝ながらじゃないとできない。そのことにいつも申し訳なく思うが、実際に目の前が真っ白になること数回で、
初めての採血(就職用の健康診断の際だった)は本当に気を失って倒れてしまったので、事情を話してお願いしている。
私の場合、自分が迷走神経反射に至る思考プロセスはある程度わかっている。それは先のエレベーター無限移動にも繋がる話なんだけど。
注射でも採血でも、自己の身体に血を吹き出しうる穴が空いていたら、そこを早くふさぎたくなる。
今すぐ塞ぎたいけど採血が終わらないので、どんどん血が吹き出す(当たり前だが)→私には止めることができない無力感→あーもうダメ→自分のヒューズが飛ぶ、って感じ。
ドラえもんに「いやになったらヒューズをとばせ」って話(自己にヒューズをつけておいて、イヤなことがあったらヒューズ=意識を飛ばす、という話。
意識が飛ぶだけなんで、道具としてはあまり意味がない)があるんだけど、あれはまさに迷走神経反射の比喩だなって、個人的には思う。
私の場合、迷走神経反射は出血という恐怖に対し、ヒューズを飛ばす行為なんだと思う。
まあ、そうやって理解できてるなら、その迷走神経反射による意識飛びも理解力で防止しろって話ではあるんですが。
私の場合、子供の頃も、転んで膝から血を出したりすると、「傷テープ~」って何回も大声で繰り返して泣き出す子供だったらしいので、