別にドット絵はたまた記号でもいいわけじゃん?
]]>ストーリーでとくに詰まることなくサクサク進められる
前半あまりにサクサクと話が展開していき世界のスケールも小さく、これがドラクエ?感
中盤の世界崩壊は「FFかな?」
終盤のタイトル回収でエンディングを迎えて「これは歴代ドラクエの集大成でラストドラクエっぽい(でも普通に12を開発中なのか)」って感想
キャラは魅力的だが「仲間と話す」の内容が少なすぎて残念(エリア1つに付き1会話。過去シリーズのように街の人1人につき1会話でない)
昔のドラクエのようにレベル上げ頑張る必要なくストーリー進めるといつの間にかレベルアップしとる
シンボルエンカウントで戦闘回避しまくれる
でも3Dバージョンの移動が大変で、街の探索が面倒くさすぎる
2Dバージョンのほうが移動や探索がらくちんだがランダムエンカウントで戦闘が面倒くさい
今のドラクエは特技がありすぎて考えるの面倒くさいから戦闘はボス以外は完全AI任せ
ザコ敵でも戦闘で逃げられず絶対に1回は回り込まれてイライラする
回復スポットが多すぎて宿屋にほとんど泊まらなかった
装備も拾ったり作ったりしまくれて店での買い物もほぼすることがないので金の使い道がなかった(Sでは鍛冶素材買うためにG使えるらしい)
一般クエストは大半は放置
攻略サイトに頼ったのは終盤のメタル狩りの場所と海ボスの出現場所くらい
メタル狩りすると1時間以内に全員レベル99になれてワラタ(ドラクエやっててレベル99にしたの始めて)
レベル99でも敵の攻撃の一撃ダメージが大きく状態異常もやられるので油断すると全滅する
人魚ロミアの分岐イベントはセーブリセットでやり直したけど、どっちにしろ先の世界でロミア生きてるらしい
ヨッチ村の冒険の書の世界が良かった。各ナンバリングのドット絵が再現されてたのがすごい
ラダトームの復活の呪文は入力するとドラクエ1が始まるのかと思ってたから残念(FC版DQ1のデータ量わずかしかないんだから入れられるよね)
時をテーマにして歴代シリーズ全てをつなげるってライダーや戦隊シリーズではすでにやってるけどドラクエでナンバリングでやるって最後の手段だから次の本当のラストドラクエになりそうな12はどうすんだろね
]]>朝:チャハーン。昼:ナポリタン。コーンスープ。夜:柿の種。チョコ。間食:柿の種。チョコ。
○調子
むきゅーはややー。おしごとは、おやすー。
○グランブルーファンタジー
周年生放送を見てた。
ディレクターの福原さんがワーフリモチーフのドット絵のお洋服を着られてて、ずっとワーフリが復活するのかとドキドキしてた。
まあ何もなかったけど。
]]>
絵師しか騒がないのは、AI絵の実力がまだぜんぜん大したことないからだよ。
ぜんぜん人の心を動かすフィールドに立っていない。
人の心を動かさないという点では、スーファミのドット絵にすら劣るのだ。
美しいだけの絵と、人の心を動かす絵が異なる、なんて段階は、人類は写真とピカソが登場した時代にとっくに乗り越え終わった。
ぜんぜん実力の大したアートについて、一般人は話題にしない。
AI絵は、アンチ以外に反応されていない。
騒がれないのは、受け入れられたんじゃなく、関心を失われている。
で、人の心を動かすことのできない、まだ実力のぜんぜん大したことない人間の絵師だけが騒いでいる、という訳。
楽に同レベルのことされたら嫌だからね。
]]>※ゲームシステムより、シナリオ面にフォーカスしています。
FF16をクリアした。わくわくと予約して発売当初にプレイしたので、クリアしてもう7ヶ月くらい経つんだが、いまだにもやもやする。もやもやというか、悲しみと怒りというか……。「何だったんだよコレ」というか。
いや正確にいえば、プレイ序盤は「おお、面白いかもしれない」と思った。それがちょっとずつ「ん?」と思うことが増え、中盤のバハムート戦が長すぎるあたりから完全に「アレ?」となり、終盤はちょっと盛り返してきたけど、ラストの米津玄師をバックに「あ、終わった……あと少しの工夫で名作になったけど……ちょっと塩気が足りないような……?」と狐につままれたような気分で終わった。まだサブクエストは残ってたけど、やりこむ気が全く起きずそのまま一度もプレイしてない。
思えばプレイ中、ずっと「面白いと思わなきゃ」という強迫観念に駆られてた。だって久々のFFナンバリングじゃん?予約してたしものすごく楽しみにしてたし、映像めちゃくちゃ綺麗でリアルで、鳴り物入りでものっそお金もかかってそうじゃん?周りも「今ハマってて〜」とか言ってたし、ずっと悪く言っちゃいけないと思ってたんだよ、いいところ探そうと思ったんだよ。
だけど日が経てば経つほど冒頭のようにもやもやが広がってきて「やっぱあれおかしかったよね」とか、恋人と別れてから洗脳に気づいてずっとそのことについて考えてしまうみたいな。FF16クリアしてからいろんなゲームやったりアニメみたりしたけど「FF16よりずっと面白い!」「FF16よりこの点がいい」とか、謎にずっとFF16と比べてる自分がいる。
ここまで心囚われてしまうのは、何かあるんじゃないかと。裏を返せば、FF16の何が面白くなかったかを深掘れば「面白いコンテンツとは何か」を考えてみるきっかけになるんじゃないかと。
本当はFF16の悪口言う飲み会やりたいくらいだけどそんな友達はいないので、こうして増田にしたためてみる。以下はエンタメ業界でもなんでもない自分のど素人の私見なので、いろんな方のぜひ意見を聞いてみたい。
以下は要素を出すためにとりあえず箇条書きで気になった点を挙げていく。
この項目は細かい話なので、要は何?を先に知りたい人は読み飛ばして次の項目にいっていただいて構わない。
悪い点ばかり挙げていてもフェアじゃないし、心を落ち着けるためにも、まずは良い点から挙げていきたい。
【FF16の良かった点】
・映像がきれい
・サブキャラの人間味がよい(ベネディクタ・フーゴ・ディオンあたり)
・先代シド「誰もが人として死ねる場所」を引き継ぎながら、
主人公がさらにその先の「人が人として生きられる場所」を掲げて言葉にし続ける(ちょっとFF10っぽい)
・終盤の今までの召喚獣全部出すRPG感(ちょっとFF10ぽい)
・ラストのクライブの清濁併せ呑む決断|<
じゃあ悪かった点って何なの?
【FF16の悪かった点】
1.緩急がない
・クスッと笑えるようなネタがほとんどない
・チョコボの音楽流れない(なんだよあの♪チャララララララーンって、よく分かんないところでオリジナリティ出すな)
・ていうか音楽が終始暗め
・ミニゲームない
・ほぼ同じような景色ばかり、マップ移動が自動でシナリオも基本一本道、自由度が少なく冒険感がない
2.シナリオの細部に矛盾や都合のいい展開が多い
・テーマの根幹である、ベアラーが奴隷格という設定に無理を感じてしまった。魔法がある分科学は発展してない以上戦闘力は彼らが遥かに上だし、生活も彼らに頼りきり。抑え込める武力もロジックもないので反乱起こされたらかなりやばい、この状況であればむしろ優遇されるはず。ジルみたいに「人質にとって脅してる」だけじゃあまり説得力がなかった。
・ジョシュアがなんで主人公に自分の生存を隠していたのかが意味不明。物語の核心を知ってるんだろうなあ〜と再会シーンを楽しみにしてたら「僕もアルテマのことは詳しく知らない」?!は?!
あの意味深な隠密行動はなんだったん?中二病??だったら逃げずにさっさと共闘してくれよ
・アルテマもバルナバスも主人公に甘い。ディオンはあんなに狡猾に精神的に追い詰めたのに、主人公に対してはジルをさらうくらいで殺しもしない。
思念を断ち切りたいなら、もっと主人公の大切な人や場所を壊すなり目の前で殺すなりやり方いくらでもあるでしょうに
・召喚獣を吸収されても、暴走でもう1回召喚獣になれるのなんで??無理やりでもいいからなんか説明ほしい(その人の心の奥底に召喚獣の魂が根付いていてそれが心の刺激で一度だけ解放されるよとか、それくらいでいいから)
3.メインキャラの設定がペラッペラに薄すぎる
・主人公のキャラが真面目すぎて魅力を感じない。いかにも主人公らしい言動しかしない。もっと人間らしい葛藤とか弱さとか欲しかった
・主人公とジョシュア、再会してあっさり打ち解けるけど、あんなに羽むしって殺しかけたことはお互いもうちょっと思うところがあるんじゃ……
・主人公が飼い犬(トルガル)に興味なさすぎ。あなたの犬青く光ってるけど何当たり前のように受け入れてるのおおおお?!最近おやつ食べないのに飼い主以外の人が気づいて忠告してるけどおおお?!犬に対してぞんざいすぎる、いや狼だけど、生き物はちゃんと愛情深く飼ってくれ
・ヒロインのジルが戦わない。いやシステム上は戦うんだけど、精神的に戦わないように見えてしまう。
愛する主人公がピンチの時も見てるだけのことも多いし、何度「いや今命削ってでもシヴァに顕現しろよ?!」と思ったことか……。
性格的に自己犠牲っぽい割に基本的に受動、お姫さま扱いで時代に逆行。ベネディクタの方が好きだよ私は……
本当はもっともっと細かいところいろいろあるんだけど、呪詛みたいになってしまいそうなのでこれくらいにしておく。(既に呪詛)
悪かった点のまとめ、1〜3について振り返り、「いいコンテンツとは?」について考えてみたい。
いいコンテンツには緩急がある。
例えば同じFFでもFF7。ゴールドソーサーがあったりそこでバレットとデートできてしまったり、 戦いの日々の中にも思わず笑ってしまうセリフがちゃんとある。メテオ無視してスノボしまくることもできる。
FF7リメイクのエレベーターの中でのバレットとクラウドの会話 バレット「お前いくつだ?」クラウド「ファーストだ」 バレット「ちげーーよ!歳聞いてんだよwwwwwなんだよファーストって」みたいバカにして笑うシーンとかめちゃくちゃ笑った。 クラウドの自意識過剰とバレットの調子に乗りがちな性格を上手く扱ったやりとりだと思う。
FF16は音楽もキャラもシナリオもシステムも、ずーーーーっと暗くて一辺倒。明るくて楽しいの叔父さんくらい。(砂漠の叔父さんはめちゃくちゃジョセフ・ジョースターにみえたが)周回するのも辛い。
お願いだからチョコボの曲くらい流してくれ!チョコボの曲すらなかったらもうアレはチョコボという名前だけの別の鳥だよ!! メインシナリオ以外の遊び要素がほぼサブクエストだけっていうのは、ただ面倒なだけだし相当シナリオが面白くないと無理ある。
語り部システムとかあって国際関係とかキャラ設定とか読み込めるようになってるのはいいんだけど、それ読んでも「結局あれは何だったん」って回収されない矛盾が多い。 1つ2つなら許せるけど、続くと キツい。
好きなコンテンツって設定集買って読み込んで「うおーーアレは実はアレでアレにつながってたのかああ!!」って本編だけでは回収されない細かい設定まで知るのも醍醐味で、それでもまだ分からないものはネットで考察みてこれはそうかもいやこれは違うやろとかあーだこーだするのも楽しいけど、FF16は設定集買っても絶対そんな深い裏とかないと思う。(そもそも買う気も起きないが)
なんというか、シナリオもキャラも自然に動いてない感じがある。
作り手が見えすぎてしまうというか、先に都合のいい展開・見せ場がつくってあって「この展開にしたいから、あなた(キャラ)はこう動いてくださいね」って指示されてるような感覚。その展開に至るまでの階段がない。
RPGならありがちなことではあるけれど、ここで映像がきれいすぎることが裏目に出る。映像がリアルな分、リアルでない展開がものすごく目立って見えてしまう。これがドット絵だったらそういうもんって思うこともできたけど。
もう、一番はこれ。薄い。クライヴ・ジョシュア・ジルという中核3名のキャラが圧倒的に薄すぎる。
全員いい子発言しかしないし、発言が全く面白くない。コンプレックスも葛藤もない(うっすらあるけど浅い)。
クライヴは騎士気質でベアラーにも弟にもジルにも尽くす、ジョシュアは弟キャラで兄大好きで病弱でニンジン嫌い。以上。
クライヴは幼い頃に神扱いされてた弟への嫉妬とかないんか。そんなに弟が大切なのに、弟を殺してしまった(そのあと殺してなかったことが分かるけど、あれだけ傷つけてしまった)ことはシドに鞭に打たれたくらいで消化できるものではないだろ。聖人君子か。
ジョシュアは健康な兄への嫉妬とかないんか。羽むしられたこともうちょっと怒ってもいいだろ、聖人君子か。唯一怒ったのがなんか「兄さんはもっと人を頼れ!」とかで殴った気がするけど、どんなシーンだっけ?とググったらYahoo!知恵袋で「正直ゲームでよくある殴るシーンを入れたいが為に無理やりねじ込んだように思えます」って回答があってその通りすぎて笑ってしまった。
ジルに至ってはどんな人間なのかがさっぱり分からん。自己犠牲で戦う人なのかなー?と思ったけど、その割には自分が石化することを案じてなのかなんなのか、「今は助けに入った方がいいよー?!」ってところでもなかなかシヴァに顕現しない。
そして(重い腰あげてようやく)鉄王国滅ぼしてクライヴを守る的なことを言ってたくせに、なに裸で抱き合ってシヴァが吸い取られることを受け入れてるんだよ。同意なく自分の生き様・決意を奪われて強制的に守られることを許すなよ、もっとブチ切れてクライヴと戦うべきところでしょ。しかも裸で。裸ならいいんか?クライヴの自己満な身勝手も彼の優しさとして涙流して感動して受け入れるんか?
ただその場の雰囲気に流されやすいだけの人では??なんで替わりにこの件でジョシュアが殴ったん??
一言でいうと3人とも「こんな人間いねーよ」なのである。
良いところでも書いたように、サブキャラはちゃんとキャラがあるんだよ。ディオンは父親に認められたいコンプレックスを上手く突かれて暴走、以降は国を壊してしまった自責の念で生きていくのも分かるし、ベネディクタは何も持たなかった出自から奪われる恐怖で力に固執、力を失ったうえにこの上ない陵辱を受けて精神的に崩壊するのも分かる。
「この生い立ちならこういう性格と結果になる」がサブキャラにはあるのに、なんでメインキャラにはないんだ。あんなに15歳〜28歳〜33歳まで生い立ちに尺使ってるのに。最終的な年齢は今までのRPGの主人公よりずっと私に近いのにそれでも全く共感できない。
ここでも映像がきれいすぎることが裏目に出る。人間の見た目はリアルなのに、そこにインストールされてるソフトは作り物のペラッペラ。映像技術にキャラの厚みが追いついてない。ただのイケメン展覧会、ひたすらPVをみてるだけの気持ちになる。
キャラさえしっかり練られていれば、実は「1 緩急がない」も「2 シナリオの細部に矛盾や都合のいい展開が多い」もクリアできるのである。 1は性格設定に基づいたコント的な会話で緩急はいくらでも作れるはず。同人誌があれだけ発達しているように、メインのシナリオライターでなくても、設定さえしっかりしていれば他の人でも作れる。
例えばだけど、FF10のメンバーでクレープ屋に行ったとするとリュックがどれも食べたくて選べなくて、ティーダがそれをバカにして、でもユウナが「うーん、確かにバナナかイチゴか選べないなあ」って言った途端にティーダが「俺のもあげちゃう!」って言ってリュックが「何そのえこひいきー!」とかとか、面白いのが書けるかは別としてある程度会話が想像できる。 FF7なんて、どん兵衛のコラボCMみたいなめちゃくちゃな世界観にキャラを置いてもちゃんとキャラが動くからすごい。荒唐無稽な舞台なのに、「確かにこのキャラはこういうことやりそうwww」という説得力がある。
が、FF16のメイン3人でクレープ屋に行っても「俺はチョコバナナで」「僕も兄さんと同じので」「私はイチゴ」くらいで会話が終わってしまいそうなのである。シーンにキャラを置いても全然イキイキと動き出さない。
2も性格設定に基づいてキャラが自然に動くなら、都合のいい展開もなくなる。世界設定に多少の矛盾があったとしても(あくまで多少での範囲だが)、キャラが魅力的ならシナリオも魅力的になって多少のことは目をつぶれる。
荒木飛呂彦先生が『荒木飛呂彦の漫画術』の中で、以下のように語っている。
> 実際に漫画を描くとき、常に頭に入れておくべきこと、それは、僕が漫画の「基本四大構造」と呼ぶ図式です。
重要な順に挙げていくと、①「キャラクター」 ②「ストーリー」 ③「世界観」 ④「テーマ」ということになります。
この四つは、それぞれ独立して存在するのではなく、互いに深く影響を及ぼし合っています。そして、これらの要素を増補し、統括しているのが「絵」という最強のツールで、さらにセリフという「言葉」でそれを補う図式となります。
つまり、読者の目に見えているのは絵ですが、その奥には「キャラクター」「ストーリー」「世界観」「テーマ」がそれぞれにつながり合って存在しているのです。この構造は、いわば、ひとつの世界の営み、宇宙とも言えるのではないでしょうか。
(2015年 荒木飛呂彦『荒木飛呂彦の漫画術』集英社新書 第二章 押さえておきたい漫画の「基本四大構造」より引用)
漫画はこれを1人でやらなければならないけれど(漫画家さん本当にすごい、、)、ゲームやアニメにおいても同じだと思う。
FF16はまさにこの裏返しで、まずは何よりメインキャラクターの作り込みが弱い。キャラクターが弱いからストーリー展開が不自然な点が多いし、緩急なくて苦痛を感じると世界観に没入しきれなくて、細かい設定の矛盾がどんどん気になってきてしまう。結果的に「人が人として生きる」というせっかくのテーマの説得力がなくなり、ただ言葉として置いてるだけのように感じてしまう。
で、それらを統括している絵だけが突出してめちゃくちゃ綺麗・リアルでそれ以外の厚みが追いつかず、宇宙のチグハグ感がすごい。
漫画でもゲームでもどんなメディアであっても、①〜④を作り込み、絵とセリフで統括して、これ以上ないくらい絶妙なバランスで宇宙をつくっているのがいいコンテンツ。コードギアスだったらCLAMPだし、ニーアオートマタであればゴシック調の耽美的な雰囲気と音楽だし、進撃の巨人だったら諫山先生のあの絵以外今やもう考えられない。
別の言葉でいえば、魔法にかけ続けられるかどうか。「このキャラはこんなこと言わないよね」とか「作業が多くて飽きてきたな……」とか「この設定矛盾じゃない?」とか、何か苦痛を感じる度に、魔法は少しずつ剥がれていってしまう。 完全に魔法が解けたあとは、全てがしらじらしく見えてしまう。
ジョシュアが殴るシーンにしても、Yahoo!知恵袋には「いいシーンですよね。何度も見返してます」と言っている人もいれば、「正直ゲームでよくある殴るシーンを入れたいが為に無理やりねじ込んだように思えます」って言ってる人もいた。前者は魔法が解けなかった人だし、後者は魔法が解けてしまった人。私は後者だった。FF16はどこかで魔法が解けてしまう危うさが多かった。
なんでこんな長時間かけてコンテンツ摂取するのかっていったら、魔法にかかりたいからなんだ。ジェットコースターみたいに上下して揺さぶって、時に笑って時に泣いて、続きが気になって仕方なくて睡眠時間削ってしまって、最初の頃に匂わせてたこの伏線はここにつながるのかーーー!!!!!ってあっと言わせてほしいんだ。 特に、FFみたいな巨大タイトルのナンバリングなら。頼むよ!!FF17頑張ってくれ。
さ、これでようやくずっとくすぶっていたFF16に対する気持ちの供養が終わったので、FFリバースやります!!!!!
]]>状況が許せれば布教したりしている
その御蔭で子がドット絵が興味を持つようになったり
当時の知識を教えた子が学校でジョーセンやらミニ四駆やら流行らせたりするのを聞くのは少し面白い
逆にあわないものもある。PSの時のゲームだったり、初期ポケモンは割りと評判が真っ二つだ
それはそれで一切問題ない。
スマホが生まれたときからある子供がどう昔のゲームを捉え認識して腹落ちさせるのかを聞くのは
まるでSF小説を読んでいる気分になる。楽しい。
だがこれは流行らなくていいだという文言が近所の小学生の家から聞こえてきた
らんらんるー らんらんるー!!!(絶叫)
これは超えんでええやろ(真顔
]]>・ゲーム要素薄くない…?知識不足のせい?
主人公の夢のくだり、原作ゲームにあるの…?
なんかモニターチラチラしていつ来るか怯えるというゲーム要素が少なく割と対峙してやり合うみたいな怖がらせだった…
・現在時刻何時の表示がたくさん来るんやろうなあ!原作みがあってええなあ!と思ったら一度しかなかった
・昨晩の眠剤が残った状態で観る眠剤夢映画や〜なかなか貴重な映画体験だなあいやこれ眠剤残ってるんじゃなくてシンプルに映画が面白くなくて眠くなってるだけやったわという気付き
・色々ガバガバじゃない…?
絵で「こいつは敵」って伝えるとことかもうガバすぎて白けた
・その年齢差で妹は無理があるだろ!!が最後までちらつき続けた
・もし弟誘拐夢のくだりが映画オリジナルだとしたらそのテーマ単品で映画制作にこぎつけなかった作成陣がゲーム原作のガワだけ借りて作った感あるな…と思いながらみてた
・opのドット絵回想は目茶苦茶分かりやすいかつオサレかつゲーム原作感出してきてよかった
・寝る気マンマンで出勤すな〜
・ウサギ被ってる
・フレディ達の表情はよかった
・しょうもねえジャンプスケアしやがって…
3回も…(初回目茶苦茶ビビった)
もっとビビりちらかしたかった
・基本うっすら女(ショッピングセンター店員さん・この人はギリ死なないんじゃいやダメだったネキ・警官おねえさん)に好かれる主人公くん、子供は持つのは重いけど子供キャラ要るから目茶苦茶歳の離れた妹を配置等陰のものにやさしい設計
]]>人が死んでも天使になるわけじゃない、キリスト教的世界観においても
この表現を多用している一番有名な漫画はおそらくドラゴンボールだろう
どこかで発想の飛躍があったのかな
気になるねえ、ぐぐりましょうねえ
天使に限らず聖人などを描いた絵画にも、聖人の後ろに光が差す表現が用いられたのだとか
天使に限らないのであれば以降は天使の輪じゃなくヘイローとここでは書くようにしておこう、ブルーアーカイブ風の呼び方
発想としては仏教の後光と同じか
まだ足りない
天使や聖人を描いた絵画→???→漫画的表現の死者を表す記号としてのヘイロー、間に挟まるものを探さないと
なんかこれだ!って情報がなかなかヒットしないな
勘だけど風刺画が間に挟まる気がするんだよな
天使や聖人を描いた絵画のパロディで、天使を例えば政治家に差し替えた風刺画みたいなのがどっかにあるんじゃないか
それが転じて死者の頭上にヘイローを用いるのが一般化したとか?
うーん、あくまで根拠のない憶測
こういうのは英語圏の情報を探さないといけないな
一応、英語圏のイラストで死者の頭上にヘイローがあるイラストはまあまああるっぽいが……
日本でもなんかドラゴンボール以前に死者の頭上にヘイローがある表現をした漫画無いかな
……手塚治虫がやってる気がする
あの人だいたい何でもやってるからな、あとで探すか
ってことはディズニー作品でもなんかあるような気がしてくるな
うーん、探し方が下手
wikipediaの「光輪 (宗教美術)」の「大衆文化における使用」の記述が少ないな
英語版だと……英語版の「Halo (religious iconography)」には大衆文化の項自体無いのか
うーんアメコミにもヘイローの使用あるかもだが、アメコミに詳しくない
調査が頓挫する予感
ここまで調べたというメモ
なんかコレ!っていう本があれば読みたいんだが、この疑問をずばっと解決する文化史本は無いかもなあ
今週の『サチ録』、番外編15を読んだ結果
日記
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「ポップカルチャーと宗教序論」という論文を読んだ
こういう路線で調べていくのがよさそうか
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なぜ亡くなった人の頭上に「天使の輪」を描くようになったのでしょうかよろしく... - Yahoo!知恵袋
漫画の記号的表現としては昔からある定番スタイルですよね。 ディズニーのアニメにも、ヨーロッパのカートゥーン(cartoon)にも良く死者の記号として使われていますね。
ふーむ、やっぱり古くから定番なんだな
この回答者によるとディズニーでもやはり使用されていると
人間は死ぬと天使になりますか | ものみの塔 オンライン・ライブラリー
人間は死ぬと天使になりますか
アリーロという,まだ7歳の幼い女の子が亡くなりました。悲しみに打ちひしがれた両親は,柩に横たわる白いドレス姿の娘を前に,ぼう然としています。慰めようとして,神父がこう言います。「神様は,天使をもうひとりお望みになって,アリーロちゃんをお召しになったのです。幼子の魂は,今ごろ,神様のみそばで翼を広げて飛んでいますよ」。
死んだ人間の魂が天使になる,と信じている人は少なくありません。公式の教理として教えられることはまれですが,映画やテレビの連続ドラマでは,死んだ人が翼のある天使になって,生きている人を守る,という話がよく取り上げられます。
あなたはいかがですか。愛する人が死後に天使になると考えておられますか。聖書は何と教えているでしょうか。では,天使の本質について,また死んだ人の本当の状態について,聖書そのものが何と述べているかを調べてみましょう。
うーん、「死んだ人間の魂が天使になる」という発想は無いわけではないのか
それが転じて天使ではない死者の霊魂的な何かの頭上にもヘイローが描かれるようになった?
ドラゴンボールの影響がどのくらい大きいか、気になるな
っていうかドラゴンボールつまみ食い的にしか読んだこともアニメを見たこともないんだよな
何より先に原作コミックを読んだほうがいいのかもしれん
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『天使とは何か キューピッド、キリスト、悪魔』
『天使と人の文化史』
ここら辺の本があるいは参考になるか
だいたい最終章は「現代における天使がどのような姿で描かれているか」みたいな話題だから、そこに期待が出来る
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英語圏の情報を探そうとしてもゲームの『HALO』ばっかり引っ掛かってやりにくいったらありゃしない
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そうだ、『トムとジェリー』で爆死したトムが雲の上でヘイローつけた状態で不満そうな顔してるってオチのエピソードがあった気がする
『ネズミ取り必勝法』か、これ大好き
プレゼントボックスに入ったトムが針でめった刺しにされるシーンは涙なしでは見られない
オチはやはり爆死で……天使になってるな、これ
やっぱり「死んだら天使になる」って発想がポップカルチャーである程度一般的に表現されていたようだ
翼とヘイローがあってハープを持っている
『ネズミ取り必勝法』は1944年11月23日に公開
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ってことは
天使や聖人を描いた絵画→死後に天使になる認識、またそれを表現したイラストやアニメ→天使ではなく単なる死者にもヘイローがつけられた
……か?
まだ足りないぞ
「死後に天使になる」って発想がどこから来たんだって話
キリスト教の教義だと死んでも天使になるわけじゃない、それはカトリックだろうがプロテスタントだろうがエホバだろうが他の何かであろうがだいたい同じだろう
ヘイローは聖なるものの加護を表すからどんな死者でもヘイローは頭上に表れる?
でもトムは爆死して天使になっとるじゃろがい
まだまだ調べないと納得できないな
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ひょっとしたら演劇やミュージカル側の文化が関係している可能性もある
死者を表現する記号として頭の上にヘイローをのっけた衣装を着ていた……とか、あるかもしれない
一応留意して調べる事
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「池にコインを投げる風習はいつから始まったのか?」みたいなテーマでおととい調べて日記書いたときは、その風習を有名にした「Three Coins in the Fountain」っていうアカデミー賞受賞作品を見つけたんだよな
これも同じパターンの可能性がある
聖者の記号としてではなく、単なる死者の記号としてヘイローを使った何らかのヒット作品があったので一般化したみたいなキッカケがひょっとしたらあるかもしれない
しかしあんまりこの仮説に固執するのはよくないな、気長に探そう
あるとすれば19世紀後半以降くらいのはず
---
そうか、調べるポイントが二つに分かれちゃったんだなあ
①「死後に天使になる」という考えの源流を辿るルート
②漫画的表現で死者が天使となった描写→漫画的表現で死者に(翼など他の天使的要素抜きで)ヘイローのみが付与される描写となった転換点を探すルート
こりゃ大変だ、いったん追加調査ここまで
---
次にやる事
:守護聖人の絵画での描かれ方を確認する
→実は守護聖人の頭上にヘイローだけでなく、翼がはえているなどあったりするかどうか
:積んでるキリスト教入門みたいな本をさっさと読む
→なんもかんも体系的な知識が欠けているのが悪い
→でもなー、自分の興味の向き先は「キリスト教の教義はこういうものです」って知識じゃなくて「人々はキリスト教をこのように解釈して信仰していました」という知識なんだよなあ、基礎の勉強ってどうしても飽きちゃって
→だとしても体系的な土台の知識が無いと何も始まらないだろ!
→はい、おっしゃる通りです、すみません……
:第一次世界大戦の風刺画でヘイローの描写が無いか探す
→第一次世界大戦は1914年7月28日~1918年11月11日、ちょうど探したい年代
:キリスト教的素養がない私がヘイローの描写を見たとき、それが宗教的な性質を持っているのかそれとも記号化したものなのかを区別できるのか?という点について考える
→やっぱり基礎の勉強しましょうね~
:そもそもヘイローがあって翼があったらそれは天使とみなしていいのか?「天使」って何?「御使い」って何?何もわからない、調べる
→基礎(略
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②についてだが「ゲームのドット絵でキャラが死んだことを表現するのにヘイローが便利で、ドット絵で翼を描くのが大変だったから省略された」という仮説を思いついた
流石にお話として出来すぎな気がする、この仮説は最終的に棄却することになりそうだ
しかし調べるとっかかりとしては魅力的
ヘイロー関係ないけど「ゲームで戦闘不能をどう表現するか?」というテーマを調べるのめちゃくちゃ楽しそう
棺桶、幽霊化、ヘイロー付与、etc……
また別の機会に調べよう
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「Heaven Cartoons」というジャンルの風刺画があるらしい
画像検索してみるとなるほど確かに天国で天使がなんやかんやする種類の一コマ漫画
いつ頃から描かれているかをちょっと調べてみたがなかなか難しい
Wikipediaの「カリカチュア」のページの「主な作家」の項に載ってる人の代表作を一つずつ見ていくしかない
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星新一がアメリカの一コマ漫画を蒐集してそれについてエッセイを書いた『進化した猿たち: The Best』をkindleで購入
これにアメリカの一コマ漫画の挿絵が掲載されて……いない!
権利関係の問題のせいかほとんど掲載が無くなってしまっているようだ
しかし天国ものについてのエッセイは変わらず掲載がある
数少ない挿絵の作者は……Sidney Harris
漫画家としてのキャリアは1955年から
うーん、トムとジェリーのほうが時代が古い
もっと挿絵を見たいから挿絵が載ってる物理書籍のほうを読まないといけないなこれは
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やっとひとつ見つけた
ざっくり言うと政治家が天に召されている様子の風刺画が1868年?1869年?に描かれた、ってところか
翼があり、ヘイローもしっかり完備
トムとジェリーの1944年よりだいぶ古い!
しかし余談だけれど死後4年後たってから風刺画が描かれていて不思議だ
なんか「天使になる」ってのは語弊があって「昇天するときに天使と同じ装いをする」という言い方の方が正確なのかもしれない
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トムとジェリー以前のオールドカートゥーンを片っ端から観ているが、天に召されるシーン自体を全然見つけることができていない
ところでチャップリンの『キッド』に天使が登場するシーンがあった
翼だけ背中にあってヘイローなし
実写映画も調べる範囲に含まないといけないか
オールドカートゥーンの本当に初期の初期は紙の漫画をそのまま映像化したようなやつだったから、漫画の文脈だと思うんだけどな……
うーん、難航している いよいよ調査が行き詰まりそうだ
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『マーク・トウェインの天国建設の旅』という論文を見つけたが、これは読む価値がありそうだ
天国観の変遷について言及がある
絵やイラストとして描かれていなくても天国に行くとヘイローと翼とハープが通行証かのように与えられる認識は当時の人々視点で昔からあったようだ
18~19世紀の文学作品で天国を描写しているものを探すべきだな
ここらへんは先行研究の論文を探しやすそうだ
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Elizabeth Stuart Phelps Wardという人が書いた『The Gates Ajar』という宗教小説がアメリカで1868年に刊行されめちゃくちゃ売れたらしい
当時の人々の天国観に影響ありそうに見える
その小説で語られた天国観は
In contrast with traditions of Calvinism, Phelps's version of heaven is corporeal where the dead have "spiritual bodies", live in houses, raise families, and participate in various activities.
カルヴァン主義の伝統とは対照的に、フェルプス版天国は、死者が「霊的な身体」を持ち、家に住み、家族を養い、さまざまな活動に参加する身体的なものである。
とのこと(『The Gates Ajar』のwikipedia英ページより引用しdeepl翻訳)
うーむ、おぼろげに流れが見えてきた気がする
カルヴァン主義の事よく知らないからそこは調べないといけない
『マーク・トウェインの天国建設の旅』という論文の序文あたりに19世紀半ば以降に天国ものの小説が流行ったみたいなことが書いてあったが、その一因はこの小説な気がする
なぜ流行ったかというと南北戦争の影響やろなあ
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そういえばこの日記メモには記述をしていなかったが、宗教美術におけるヘイローは写実主義の高まりによって19世紀までにほとんど衰退しているらしい
なので宗教美術において死者(例えば聖人、殉職者など)にヘイローが描かれたものがあったとしても、カートゥーンのヘイロー描写がその影響を受けているとはちょっと考えにくいのではないか
一度断絶しているのでは?という疑問を持っている
ヘイロー描写は一度衰退し、再び風刺画やカートゥーンなどで記号として便利なので復活したという前提で調べている
あー、いや……この前提本当に大丈夫か?自信ないな
記号として復活させたとしても参照元は必ずあるわけで
19世紀のアメリカで人々が見ることが出来た美術や絵画はどのようなものだったのか?というのがわからないと正確なことは言えないな……
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自分が確認した限り、カートゥーンアニメで「死んだら天使の装いをして天に召される」表現をやった一番古いものは『トムとジェリー』の『ネズミ取り必勝法』
オールドカートゥーンを全て総ざらいして確認したわけではないからもっと古いのがあってもおかしくはない(アカデミー短編アニメ賞受賞作品すらすべて確認できていない)
キャラが死ぬ描写がそもそも全然ねーんだわ
トムとジェリーがどんだけ過激なことやってるかって話ですよ
幽霊は沢山出てくるんだけどねえ
『ネズミ取り必勝法』はアカデミー賞とる程度には人気だったので、カートゥーンにおける元祖でなかったとしてもビジュアルイメージ固定に大きく貢献したといっていいかも
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キリスト教の教義では死者は天使になるわけではない、という認識があった(今でもそうではある)
→19世紀半ばにスピリチュアルな小説が流行り、人々の天国観を変えた
→それは死後に霊的な体を持った死者が天国で現世と同じような生活を営むものだった
→死後に天使のような装いになる認識が生まれる
→たまたま印刷技術の発展とタイミングが同じで新聞の挿絵、風刺画、漫画などで聖人でもなんでもない普通の人の死者の絵が多く描かれるようになった
→死者に天使の装いをさせた風刺画、紙の漫画、カートゥーンアニメでビジュアルイメージが固定される(この時点ではヘイローと翼はセット、あくまで天使など聖なる魂的な存在(専門用語を適切に使う自信が無いので曖昧な表現)と同じ装い)
→日本でキリスト教の文脈が無視された記号的な描写がされ、ヘイローのみで死者を表す記号的表現となる
……という流れだという仮説を立てることが出来た
うーん、自信ない
「18世紀以前に普通の死者も天に召されるときは天使と同じ装いをするという認識があった」と言える材料を見つけることができていない
印刷技術が生まれる以前だと絵画にそこらへんの人が天に召される絵なんて描かれないんだよなあ
探すとすれば厳格な宗教者が教義通りに書いた本でなく、人々を慰撫する目的で教義からすれば不正確な内容が書かれた本みたいなのがあればあるいは……(というか、それが『The Gates Ajar』なのよ)
また、『The Gates Ajar』などの天国観を変えるイベントによって死者が天使の装いをするようになった、とある程度の自信をもって言えるような材料は正直見つけることができていない
しかし、とりあえず一定のレベルで納得は出来たからこの疑問はクローズ
18世紀~19世紀の米英のキリスト教史を調べないともうちょっと正確な認識ができるのだろうけれど、それは今後の宿題だな
西洋世界の文化史とキリスト教の歴史は不可分だから体系的に勉強したい
]]>基本的には英語の勉強も兼ねて英語のVtuber(guraとかの有名どころ)を見てるんだけど、たまに日本のVtuberの切り抜きを見るとあまりにつまらなくて驚く
もうとにかくつまらないし何が面白いのかわからない
でも英語のVtuberは割りと面白いと感じる
英語なので理解度はガクッと落ちる。何を言っているのかよくわからないし本来ならつまらないと感じるはずだ
でも、割と面白い
下ネタになるが、エロゲーでも同じ状況が起きる
対魔忍の英語版をプレイしていたときのこと
対魔忍、というか基本的に凌辱系エロゲーというのはやたらに難しい表現を使いたがるので、英語もそれに応じて難しくなりがち
それに加えて致しながらだと思考が鈍るので、エロシーンを見ても正直あまり良くわからないままテキストを進めることになる
でも、よくわからないのに割りと興奮できる
日本語で読んだらきっとかなりエロいことが書いてあるんだろうな~~とやたら妄想がはかどるのだ
で、同じエロシーンを日本語版で改めてやってみると、あまりに陳腐なテキストにガッカリして萎えてしまう
そういう経験が何度もあった
思うに、よくわからないからこそ妄想による補完が起きて、本来よりも楽しく感じてしまっているのではないか
ドット絵の荒いグラフィックが最新の3Dよりもてはやされたりするのと同じような理由だと思う
だとすると、もし自分が英語ネイティブだったら英語のVtuberを見てもつまらん、日本のほうが面白いと感じるんだろうな
ということは英語力が上がれば上がるほど妄想の補完が薄れてつまらなく感じてしまうということでもあり、なんだかなあ
]]>・近所の犬猫とって動画作る
・絵日記描く
・CHATGPTで好きな動画の英語字幕を作る
・ドット絵を打つ。アイコンとか作ればはてなダイアリーにも使える
・筋トレをする
・瞑想
・散歩
・できるならプログラミング
・副業でUber系の配達業をやる。今でもそれなりのお金になる
・図書館へ行って本を読みその要約を動画で話す。
]]>あまり詳しくはないのだが。もともとあの絵柄はkeyが発祥らしく、そしてけいおんの流行で段々と目がリアルよりに小さくなったとどこかで見た。
だが、時が経ち、その目の大きさがむしろ、少女漫画と似通っていて女の子にも愛らしく感じているのだろう。世代交代により、自分も周りも元ネタを知らないからこそ気軽に使えるというのもある。例えば、猫猫をアイコンにすると逆に猫猫のキャラクターが邪魔をして自分をアピールできないからだ。
少し前にはふぃぎゅあっとの歌が流行ったし、元ネタを知らないのはもちろん、元ネタを知ってもエロに抵抗がないというか、むしろそれを受け入れているような感じも見られる。自分では病みかわいいと下品なエロは相性がいいからな~、勝手に納得している。
ちなみに今はドット絵のギャルゲー風のテンプレが流行りつつある。
レトロブームはよく聞いたが、この方向は意外だった。
]]>・ポケモンの世界観を壊さないよう平和で穏やかであること
・あまりややこしくなく簡単なこと
ポケモンを操作して進む
敵キャラを何にすればいいかわからないので穴やトゲのような障害物を使う
マリオUSAで性能の違うマリオやルイージなどを使い分けられるように、ポケモンも何種類かの中から選んで使える。ステージごとに選べるポケモンが違って、
など
ストーリーは宝探し
欲を言えばかわいいドット絵ポケモンが動き回る2Dアクションをぜひ見たい
マリオサンシャインみたいにポケモンの島民が住む島を人間主人公が訪れて探検するのもアリ(ただし冤罪はNG)
シンプルに格ゲ
主人公や登場人物をポケモントレーナーとするかポケモンとするかで迷うところ
ポケモンが言葉を話して文明社会を営むポケモンだけの世界はポケダンという前例があるので不可能ではない
マインクラフトのサバイバル部分とモンハンのキャンプ部分を合体させたようなもの
水棲ポケモンとダイビングすることもできる
良い映画だった
この作品世界に行ってみたいと熱望したポケモンファンは多いと思う
製作者の愛と情熱を感じた
これをゲームに落とし込むことができるならパルワールドの素晴らしい対抗になるだろう
推理アドベンチャーならストーリーも作りやすい
面白い
他なんかある?
]]>https://store.steampowered.com/app/1191580/Nexomon/
背景のグラとかは3D以前(GBAくらい?)の時代のポケモンを意識してる臭い。戦闘はドット絵ではなく、アニメ調のセルルック。もちろん、モンスターのデザインはポケモンに寄せている。
元はスマホゲーらしい。言われてみればそんな感じ。続編もある。
Cassette Beasts
https://store.steampowered.com/app/1321440/Cassette_Beasts/
2x2のダブルバトルが特徴。合体もするぞ。マップはドット絵を3Dに起こしたような独特の表現になっている。バトルで描写されるモンスターはドット絵で、三角コーンだったり弾丸だったりと本家のあまり使わないモチーフで差別化を図ろうとしている。オープンワールド形式。
TemTem
https://store.steampowered.com/app/745920/Temtem/
マップからバトルまでカジュアルルックの3Dで描写される。最大の特徴はオンライン(MO?)であること。ストーリーなどの諸々の建付けはポケモンに近い。モンスターのデザインは随一にダサい。
Coromon
https://store.steampowered.com/app/1218210/Coromon/
クラシックを自称するだけあって、GBA時代のグラフィックをグレードアップしたような印象。バトル中はドット絵がぬるぬる動く。途中でモンスターの特性を変更できたりリセットして初期値に戻せたりする。モンスターのデザインは凄まじくバタ臭い。
Siralim Ultimate
https://store.steampowered.com/app/1289810/Siralim_Ultimate/
1200種ものモンスターが用意されている。ヤバい。その分、ゲーム部分はツクールに毛の生えたようなもの。
Moonstone Island
https://store.steampowered.com/app/1658150/Moonstone_Island/
ポケモンに牧場物語を足したようなライフシム。人間はスターデューバレーにANIMEのキモさを混ぜたみたいなかおだが、モンスターのデザインは良い意味で素朴。
Monster Sanctuary
https://store.steampowered.com/app/814370/Monster_Sanctuary/
ポケモン×メトロイドヴァニア。アクションにターン制RPG要素足すのって絶対テンポ阻害されるだろと思うし実際そうなのだが、それを補ってあまりあるほど戦闘がよく出来ている。3x3のバトルが基本。モンスターのデザインはポケモンというよりはファンタジーRPGっぽくて、けっこう好き。
Disc Creatures
https://store.steampowered.com/app/1083190/Disc_Creatures/
GB時代(初代らへん)リスペクトのグラフィックが特徴。日本人のクリエイターが個人で作ったもので、フリゲ版もあるとか。モンスターのデザインはシンプルめで、初代がヒットした当時に雨後の筍のごとく乱立したチープなフォロワーたちを思い出す。そういう意味でも懐かしい。
Monster Crown
https://store.steampowered.com/app/830370/Monster_Crown/
おなじGB時代でもこっちは色がついててやや細く、金銀あたりを想起させる。強面のモンスターでも丸っこくデザインされていて、こちらも由緒正しいパチモン感を醸し出している。モンスター同士の交配によって新種族を創出できるのが最大のユニークポイント。
どうじゃったかな?
好きそうなパチモンはあったかな?
ワシのオススメはMonster SunctuaryやCassette Beastsあたりじゃろうか
みんなもパチモンゲットじゃぞ〜
]]>原神スタレデザインの方もろたわ
ドット絵が一番デカいのパムで草
サンキューグッグル
]]>
ゲロゲロ最悪なキャラデザ崩壊ではなかったけど
そういう昭和な描き方って今どきやる必要ないよね
予算とスケジュールがかつかつならともかく、大ヒット原作のアニメ化でやるか?引くわ
これが許されたのは5年前くらいまでだと思う
そういうところはもう感覚がおじいちゃんなんだろうな
「アニメを崩して描くことで味が出る」というのは
人間の脳の補完能力をうまく使ってるわけだ
フレームレートを落としたほうが良く見える
ただ、令和に入ってそれは「ちゃんと描く」方がようやく上回った
例えるなら職人を汎用コンピュータが上回った感じだ
そうなってくるとこういう使い古された手法はオナニーになってくる
人気作でやるもんじゃない
ダンジョン飯が爆発ヒットしなきゃそれはTRIGGERのせいだよ
第三話なんて「アイツ、魔物の話になると早口になるの気持ち悪いよな」っていうミームの登場回だったのに
ケチついちゃったわ
せめてもっと先ならよかったのに何でよりによって第3話なん?2話くらいのクオリティを5話まで保つだけでよかったのに
あとこういうのも好きだって言ってる奴らただのおっさんだろ
____
これ、何で時代遅れと感じるかもう少し考えたが
ああいう作画って低解像度時代に最適化されてるんだよね
曲線が多く、デフォルメが強い
解像度次第で適したキャラデザというものは有る(ドット絵とか考えるとわかりやすい)
この15年くらいで解像度が高くなってきて、最初は最適化できていなかったが徐々に慣れてきたんだよね業界全体で
それで今こういうキャラデザされると「ああ、おじいちゃんの絵だ」ってなっちゃう
それが例えばクレヨンしんちゃんみたいなコミカルな作品ならともかく
ダンジョン飯って文脈としてはD&Dとかだから洋風タッチの絵が合うわけで、デフォルメとは対極にいるのよ
でもそういう作画でアニメやるのは大変だよねっていうのが、今の時代になってようやくできそうってなってきたのに
蓋を開ければデフォルメ度が前時代的なキャラデザ(これは1,2話もそう、デフォルメは思ったより強い)
で極めつけの3話
これはもう「TRIGGERはそうしたいんだ」ではなく「それしかできない」と見たほうが正確なんじゃないかな
原作者は間違えたよね
原作者が見たっていうCMたぶんこれだよね
https://www.nicovideo.jp/watch/sm35643489
https://www.youtube.com/watch?v=tGq0xtZnF1o
これはめっちゃいいんだけどね、おそらく名作になっただろうよ
でもこの程度なら他の制作でもできるよねとも思う(順番待ちになるだろうけど)
___
あと3話は光の加減も1話2話と統一できていなかったよな
意思疎通してないんだろうね
アビスとかちゃんとしてたなあ
]]>3DゲームはPS3でもまあまあきついな
3Dゲームは最新に限る
]]>Xでよく見る、子供に昔のアニメ見せたりレトロゲームやらせて
今の時代の子供もハマる!スゴい!ってやるアレ
小学校の強制参加のイベントでベーゴマとか折り紙とか教えに来る
地域のおじいさんみたいだな(子供なりに気を使うやつ)
自分が小学生の頃にハマったorまわりでブームになったことのある遊びの幅広さを考えると、
子供は最新の遊びしか楽しめないというのはかなり疑問だなあ、この人の適応力が低かっただけでは
というかベーゴマとか折り紙そのものが周囲でプチブームになったこともある
上目遣いで荒目ののドット絵で
全身像とかないのかしらん
]]>トゲトゲしたプラスチックの板にビーズを並べてアイロンをかけて固めるやつ。
Twitterでエロアカウントばっかりフォローしていて、タイムラインを眺めてムラムラしてくると同時に、そのリビドーを昇華出来る創作系の趣味が欲しいとずっと思ってた。
絵も描けないし話も作れないから悩んでて、色々試した結果アイロンビーズが丁度いいことが分かった。
絵は何度か挑戦したことあるけど難しすぎる。
一本の線を引くにしたって線の可能性が無限に存在して、その中から最善の線を見つけ出す試行錯誤をする根気が無い。
その点アイロンビーズは良い。
何しろ24×24とか24×48とか、限られたドットの中では出来る試行錯誤の回数が限られているから、その中で自分なりの最善を模索するのはそこまで負担じゃない。
ドット絵を描けるサイトがあるので、そこで下絵を作ってアイロンビーズにしている。これも楽でいい。
パソコンだと色がほぼ無限に使えるのも逆に重荷だったけど、アイロンビーズは近所のダイソーで買える色の中だけで作っているから楽。
ドット絵でいいじゃんと思われたかもしれないが、使える色数が多いという点でドット絵ではダメなんだ。
どうやら自分は目下に広がる「可能性」の爆発に耐えられないらしい。
そういう人間にとって趣味は自由度よりも不自由度の方が重要なのかもしれない。
今は裸の女をアイロンビーズで作っている。
ぐりぐりと適当に肌色のドットを描いたり消したりしてなんとなく女の身体が見えたら徐々に形を整える、もういいかなと思ったらアイロンビーズを並べる。
この「頭を使う工程」と「一切頭を使わない作業工程」に完全に分離されているのもアイロンビーズの良さだ。
丁度いい軽い負荷がかかる作業とリラックスできる作業で飽きない。
完成したアイロンビーズは投稿しても誰からも見られてないし、いつまで続くか分からないけどしばらくは続けてみるつもり。
]]>大人になるのは怖かった。小4、10歳という小さな節目で、私は少し大人ぶりたかったんだと思う。「大人と子供の狭間」そんな気分でいた。実際は10歳なんてまだまだ子供だった。そんな事に気づくこともなく少し背伸びした私は、筆箱をペンケースに変えてみたり、友達と交換日記をしたり、好きな人とゲームをしたり、いつか訪れる生理に思いを馳せてた。
それでも大人になるのは怖かった。大人って、ゲームもせず退屈そうに毎日生きてるじゃん。つまらなさそうで、楽しくなさそう。伴う責任に追われて、自分の好きな事できないじゃん。「10年後の私」は、大学生で必死に勉強してるか、必死に働いて、ゲームなんかしてないんだろうなって思ってた。
そんな事を考えてた10歳の私は、学校に帰ると3DSを開いて毎日どうぶつの森とポケモンを遊ぶ生活だった。
それまでドット絵だったポケモンが立体になって、ポケパルレで大好きなポケモンと触れ合えるようになった。新しく追加されたフェアリータイプはすんごく可愛くて、ニンフィアを常に旅パーティに入れてた。メガシンカしたサーナイトは綺麗で、何もかもが新鮮で、楽しかった。可愛いと好きで固めたパーティ。友達に弱いと言われても、それでもよかった。可愛いから。
相棒のフォッコがマフォクシーに進化して、友達のケロマツはゲッコウガになった。初めて友達とインターネット通信で遊んだ。また別の日には、みんなで3DSを持ち寄って何度も笑った。何度も、何度も笑った。
10年経った。
20歳になった私は、精神疾患を患って休学中。
こんな大人になりたくなかった、なんて思っては大泣きする日々を過ごしている。
そして昨日、久しぶりにポケモンでもするかと開いたSV。
途中で止まっていたところから再開して、ストーリーで大泣きし、友達と写真を撮り、ガチグマを出しては「でっか!?」、ウパーを出して「ちっさ!?」なんて大笑いしていた。
笑いながらみんなでレイドバトルして、写真撮って、可愛いポケモンを愛でて、ストーリーで号泣して、キャラを好きになって…………。
気がついたら、全力で楽しんでた。余裕で楽しかった。手持ちにフォッコもニンフィアもサーナイトもいない。あの頃とは全然違うけれど、一目惚れしたミニーブやデカヌチャンが私の今の相棒。
もう草むらからポケモンが飛び出してくることはなくなったし、料理次第で割と簡単に色違いが手に入るようになった。オープンワールドで自由になった世界では、かいりきもいあいぎりも重宝しなくなった。ストーリーは3つあるし、DLCで新たな場所にもいける。あの頃のポケモンとは全然違う。けれども、楽しさは何も変わらない。
10歳の私へ
10年経っても私はポケモンを全力で楽しんでるよ。楽しみのない大人じゃなかった。大人になればストーリーに感情移入したり、楽しみが増えるんだよ。大人になるのを恐れないでいてほしい。
]]>去年くらいに姉妹作品の城プロから流れてきて今どちらもやってるけど面白いよね
ドット絵の職人芸も、格好いいのから綺麗なのまでバリエーション豊かでめちゃくちゃ凝ってて趣深い
音楽もミレニアム時代のゲームミュージックを思わせる壮大さで好み、公式配布のMP3をDLして聞いてる
完全ソロゲーで基本無料どころか完全無料でも楽しく遊べるのが良心的だし、よくできてるゲームだけど
立ち絵やUIのガワがレトロすぎて人に勧めづらいのがもったいないなと思う(これは城プロもそう)
やっぱりビジュアルの印象って大きいもんなー
でも昔からやってる人は見た目が当世風に変わると嫌だろうなとは思う
]]>始めたのはちょうど、サービスが始まって間もない頃だ。
当時は艦これが大ブレイクしていて、2匹目の泥鰌を狙わんとばかりに、いくつものブラウザゲームが次々とリリースされていた。
そのゲームもそんなうちのひとつだったのだが、遊んでみるとこれが意外にも真っ当に面白かった。
ガチャを回さなくても、しっかりキャラクターを育て、頭を使ってプレイすれば、難しいステージもクリアできる。
自由度が高く、プレイヤーが10人いれば、10通りの遊び方が生まれる。
ドット絵で動くキャラクターも、スーファミ世代の自分にはむしろ馴染み深かった。
もっとも、世界観はいかにもありがちなファンタジーで、見た目はいかにも地味だ。
キャラクターには声もついておらず、きっと、そう長くは続かないだろうな、と思っていた。
そんな自分の予想と裏腹に、そのゲームは1年、また1年と歳を重ね続けた。
その間、ほかのゲームに手を出したりもしたのだが、どれも長続きしなかった。
唯一、そのゲームだけが続けられたのは、フレンド機能やランキングのような、人と関わるシステムがなく、自分のペースでのんびり遊べたからかもしれない。
地味だった見た目も、少しずつ改善されていった。
5年、6年。次々に新しいタイトルが生まれては消えていく中、サービスは続いた。
7年目にはとうとう、当初の目的だった魔王を倒してしまい、第2部とでも言うべきストーリーが始まった。
長く続いた弊害で、古臭く不便になっていたシステムも、ひとつひとつ、丁寧にアップデートされていった。
あの日、早晩終わるに違いないと思ったゲームは、気がついたら、立派な長寿タイトルになっていた。
これだけ長く遊んでいると、もはやプレイが生活の一部になってくる。
どんなに忙しくても、朝晩2回のログインは欠かさない。
今となっては、大抵のステージは鼻歌交じりでクリアできるし、ガチャの結果に一喜一憂することも少なくなった。
それでも、毎週のアップデート情報が、起伏の少ない毎日にちょっとした楽しみを与えてくれる。
10年。決して短くないその間、自分の人生にもいろいろなことがあった。
仕事がいくつか変わり、共に人生を歩む人ができた。
どれだけ周りの環境が変わっても、そのゲームはいつも自分の隣にあった。
今となっては、そのゲームのない日常は想像がつかない。
そんな日常にも、いずれは終わるときが来るのだろう。
いつかかならず来るとわかっていながら、ずっとその日が来ないでほしい、と願う自分がいる。
できることなら、この先もずっと、自分がいなくなったあとも続いていってほしい。そのタイトルにふさわしく。
人生で最も長く遊んだゲームが、明日、10周年を迎える。
千年戦争アイギス、10周年おめでとうございます。
]]>朝:お椀で食べるチキンラーメン。昼:カロリーメイト。玄米ブラン。夜:人参と大根のスープ。目玉焼き。ナポリタン。間食:チョコ。プリングルス。
○調子
むきゅーはややー。お仕事は、おやすみー。
○和階堂真の事件簿 TRILOGY DELUXE
抽象化されたドット絵で謎解きの雰囲気を演出する短編ミステリアドベンチャーゲーム。
スマートフォンで展開していたエピソード3作に加えて新作エピソードを追加した移植版を遊んだ。
まず目を見張るのがドット絵のビジュアル面。
昭和の世界観なレトロな雰囲気を演出するためだけでなく、この作品独自の演出やストーリー展開のためにもドット絵の表現が生かされているのが面白かった。
タバコの煙が醸し出す昭和の空気感に、キャラクタの顔がわからない程度のドットなど、なるほどこの作品はこのビジュアルじゃないと成り立たないなと腑に落ちるのが心地よかった。
システム面はオーソドックスな探偵もののADVらしく、人への聞き込み、証拠品や現場の調査を繰り返してキーワードを集めていき、それらから正しい選択肢として選んでいくお馴染みのそれ。
かなりサクサク進み、とんとん拍子に証拠品証言が集まっていくので、いっさいだれずに捜査を進めることができた。
ほとんどミスリードや捜査が空振りする展開がないため、悪く言うと遊びがないとも捉えれるが、僕は無駄なく綺麗にまとまっていると感じた。
とはいえ文量のボリュームは少な目なので、ある程度は、そういうものとして前提を飲み込まないといけない部分もあった。
それが欠点ではなく、物語に良い意味で余白を残していたからだと思う。
表情がわからないほどに荒いドット絵ながら演技の表現が入るため、そこに見入るような熱があったのが余白を感じれた理由の一つ。
そして何より、今作最大の魅力である捜査終了後のサプライズ要素。
4作品全てでこのサプライズ展開が徹底しているのはお見事だった。
短編だからこそ“お約束”として触れないと思っている部分に容赦なく触れていく、どんでん返し系の構図は驚かされた。
流石に3作目や4作目になると身構えるので、ネタ自体は予測できたものの、魅せ方の工夫が効いていて面白かった。
どのエピソードも良かったけど、あえて一番を選ぶと、2作目の「隠し神の森」。
狭い村の人間関係を調査するパートが楽しいし、恒例のサプライズ展開もそこをズラすかあ、と感服した。
あと孫がいる年齢の男女が老いて尚お盛んな描写がエッチなんだけど、ビジュアル面がドット絵なのでイヤラしくないのも抑え目な表現がいい味。
勿論他のエピソードも面白く、1作目ながらシリーズの魅力が詰まっている自己紹介的な「処刑人の楔」、虚構と真実の境目で迷う主人公を俯瞰する楽しみがある変格っぽさもある「影法師の足」、オーソドックスな館物ながらシリーズを通して遊んだ後のご褒美的な側面も嬉しい「指切館の殺人」と、どれも楽しかった。
どのエピソードも、短編ながら捜査の楽しみと、謎解きからのサプライズ展開と、文量という意味ではなく、体験という意味でのボリュームはしっかりあるので、プレイ時間(4時間ほど)の割には満足度は高い。
ただ、謎解き部分はかなり真っ直ぐな構成であり、謎らしい謎が少ないところは、少し僕の好みではなかった。
道中の捜査の楽しみも、勘所は抑えられているとはいえ、流石にボリューム的に遊びの文章が少ないのも惜しかった。
どんでん返し的なサプライズパートが優れていたのは間違いなく、この辺のバランスは好みの問題だと思うので難しい。
1作品1時間ほどのプレイ時間の縛りが良い意味でも悪い意味でもどう評価するのかの基準になるポイントだったかも知れない。
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