はてなキーワード: トレーディングカードとは
そのグループはよくグッズでランダム(中身が見えずメンバーの人数だけ種類がある)のものを出す。
交換に毎回苛立ちが止まらず、ここで吐き出すことにした。
グループの中には人気のメンバーがもちろんいる。これをAとする。
一番人気ほどではないが、交換がまあまあ難しいメンバーをBとする。
好きな人も比較的多いが、2推し(メインの推しではないが、二番目に好きな人が多かったり、推しとのカップルで好きだったりする)にしている人も多いメンバーをCとする。
ファン数は少ないけれどコアな人気を誇るメンバー、グッズやその時期のビジュアルがよかったらついでに集めるかなぁとなるメンバーをDとする。
まず、私はトレーディングカードはコンプリートしたい。缶バッジなどのグッズは推しのなかの2人集まればいいかな、推しが自分で引けたら多めにとっておこうかなというタイプです。
交換してほしい!と申し出る前に、自分がほしいとBとあなたが欲しそうなCかDを交換するよ、と申し出てくれる方がいます。
何度も言うように、Dは交換がしやすい。
そういう人に限ってほかの人からは見られないtwitterのDMやLineで連絡してきがちです。
断る労力…と毎回思います。
交換してください、と声をかけてもレート考慮してください、や条件の良い方を優先して交換します。と言われたりします。
レートって何?わたしが上にあげたABCDのことです。人それぞれレートがあるのです。
私はエスパーじゃないからあなたの心のうちは知らないです。正直に明記してください、欲しいものを。
条件の良い方は、例えるならば私の推しはCなのでA1枚との交換はC2枚とね、ということです。もしくは手に入りづらい過去のものなどとの交換なども挙げられます。
こうやってレートを自分の中でつけてしまってイライラする自分にまず腹が立ちます。
人にランク付けをして嫌な人間だなぁ、なんでこんなにケチケチしてるんだ、バカみたいだと思い交換に挑みますが、毎回なんだか損した気分と交換できなかったDのグッズが大量に手元に残ります。
こんなのメンバーや一生懸命作ったスタッフが見たら悲しむよなぁと思いつつも、ランダムで商品を売っているのはそちらなので、と気持ちに線を引き続ける日々。
どんどん図太く嫌な人間になっていく。
私は人の気持ちにしこりを残すならば、得はしなくても損をしないで生きていきたいものです。
こちらを思ってお声がけしていただけるのは大変有り難いんですが、そっとしておいてください。気が向いたらメルカリで買います。
コンサートがなくなり、オンライン配信やCD音源リリース、グッズ販売でしか販路をなくしてしまったアイドルたち。
なぜか日本向けだけやたらグッズが多いとか、お金を回収するコンテンツが日本にだけ多様にあり、嬉しい悲鳴だったはずが近頃は恐怖となりつつあります。
ついにTwitterの通知を切りました。
毎回苛立つので、ランダムものばかりかグッズ自体を買わなくなってきました。CDの購入枚数も1/10になりました。
楽しむためにやっていることなのにイライラするなんて、そもそもオタク向いていませんね。
無料配信されるyoutubeとTwitterの写真にかじりついて「髪色が変わってる!カムバ(新譜のリリースのこと)かな!?」と小さな幸せを噛み締めて生きていくオタクになろうと思います。
ご静聴ありがとうございました。
子供の頃はそんなに課金できなかったトレーディングカード買って友人とプレイするの楽しいぞ。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 116 | 8639 | 74.5 | 35.5 |
01 | 75 | 6847 | 91.3 | 36 |
02 | 43 | 5918 | 137.6 | 49 |
03 | 23 | 5105 | 222.0 | 113 |
04 | 16 | 2519 | 157.4 | 107 |
05 | 23 | 5456 | 237.2 | 75 |
06 | 37 | 3210 | 86.8 | 51 |
07 | 50 | 4908 | 98.2 | 53.5 |
08 | 68 | 5835 | 85.8 | 45.5 |
09 | 127 | 14612 | 115.1 | 54 |
10 | 109 | 14161 | 129.9 | 56 |
11 | 137 | 12465 | 91.0 | 40 |
12 | 149 | 18483 | 124.0 | 47 |
13 | 175 | 17944 | 102.5 | 45 |
14 | 165 | 16780 | 101.7 | 56 |
15 | 172 | 14126 | 82.1 | 45 |
16 | 133 | 11780 | 88.6 | 43 |
17 | 118 | 16008 | 135.7 | 52.5 |
18 | 100 | 14168 | 141.7 | 51 |
19 | 142 | 12081 | 85.1 | 38.5 |
20 | 112 | 11783 | 105.2 | 44.5 |
21 | 95 | 6713 | 70.7 | 35 |
22 | 100 | 15620 | 156.2 | 59.5 |
23 | 79 | 11506 | 145.6 | 60 |
1日 | 2364 | 256667 | 108.6 | 47 |
⬆(6), YELLOW(4), 富嶽(6), 腹芸(3), 富岳(5), トレーディングカード(4), カンチ(3), ライゼン(3), 胃弱(3), カップ酒(3), シルビア(4), 痩せる(12), カロリー(24), 👁(8), メールアドレス(7), Mac(8), キャッシュレス(7), 摂取(15), 新型コロナ(7), モブ(6), UI(6), 運動(51), ダイエット(14), 関西(12), わるい(10), 性犯罪(17), 東京都(10), 命令(15), ファッション(12), 白人(20), 痴漢(59), 黒人(24), デブ(18), 食事(33), 走っ(15), 継続(13), 底辺(21), マウント(19)
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別にここで言い張っても仕方ないんだけど、その意見曲げないようにね
ガンプラマニアやトレーディングカードマニアより、ファッションマニアのほうが多い
って
その時の都合によって意見変えないでね
男はファッションマニアより、ガンプラやトレーディングカードマニアのほうがずっと多いよね
と解説することになりそう。
本屋が本だけ売っても儲からない、とは昭和の頃から言われていて。
書籍雑誌の販売だけでなく、ビデオレンタル(後にはDVDレンタル)とCDのセル&レンタルを併設し、それを集客と収益の柱に。
CDが売れなくなってからもDVDレンタルはまだまだ好調で、業態は安泰に見えたが。
ここ数年、地方においても動画配信サービスが普及してきたようで。
書店まるごと閉店も多いが、DVDレンタル&CDレンタルのコーナーだけ閉鎖するパターンが増えてきた。
空いたDVDレンタル&CDレンタルのコーナーの跡はリサイクルショップになったり、玩具を売ったり、デュエルスペースを備えたトレーディングカードショップになったり。
これといった決定打はないっぽい。
しかも紙のトレーディングカードと違って要らない大当たりと中当たりを山ほど持ってたところで二束三文で売り飛ばすこともできないという
まあ、紙のトレーディングカードも値段つかないのいっぱいあるけど…
ゲーム以外の娯楽がまるでなかった?
いやいや、ゲームという娯楽がやっと完成したというのが正解だろう。
スーファミも後期でどんどんゲームが面白くなってきて、プレステサターンも出て、大作ゲームってものがバンバン出ていて、今のような完全に単体の娯楽として成立するゲームがちょうど確立した時期。そのとき一番面白い娯楽がゲームだっただろうけど、他の娯楽が無かったはないわ。
テレビじゃダウンタウンが油が乗り切ってしたし、ジャンプ漫画も黄金期で、ライトノベルも今みたいな作品群の萌芽がちょうど出てきたところ。MTGや遊戯王からトレーディングカードって遊びが知られるようになったし、アニメはエヴァの衝撃からなんやかんやあったし。まあ流石にパソコン通信やってる中学生はいなかっただろうが。
他にも単品でスキンやエモートなど売っていますがいわゆる『ガチャ』ではなく
こんな素晴らしいゲームが世の中にあるんだと感心していた所パラディンズというゲームに出会いました。
全キャラクターを使うには3000円ほど払わなければいけませんがそれでも安いです。
課金システムはフォートナイトと同じくゲーム部分にかかわらないもののみ。
バトルパスもあり、同じくチャレンジをクリアすると報酬が手に入ります。
ここまではほぼほぼフォートナイトと同じで非常に好感が持てます。プレイヤー数2500万人は伊達じゃないと関心。
最近国内でスイッチ版がリリースされましたので日本でも流行ってほしいとも思いました。
しかし、単品でスキンやエモートも売っていますがそこに落とし穴がありました。
一部手のこったものは『ガチャ』だったのです。欲しいキャラクターのスキンが手に入るかは運次第。
ただ、一般的なソシャゲはあまりやらないので間違っているかもしれませんが
低確率でしか手に入らないものや同じアイテムがかぶったりすることなどはなさそうです。
ソシャゲを沢山やっている人にとってはすごい良心的だと思うのでしょう。
しかしそういった『ガチャゲー』をやってこなかった身としては「ガチャあるんだぁ・・」と落胆
欲しいものを手に入れるのに数万かかるかもしれないし数百円かもしれないってなんだかなぁという感覚です。
こうなるとトレーディングカードやガチャポンはどうなるんだということになりますがそれを言われるとぐうの音も出ません。
プレステにもDLCが多く毛嫌いされているゲームが多々ありますが指定された金額を払えば欲しいものが手に入るという点では全然良心的だと思いました。
さて、こんな話がある。
1998年。ニューヨークタイムズで次のような記事が載る。
「“ANIME”とは、日本製アダルトアニメーション“ポルノアニメーション”を指す言葉である」
ひどい言いがかりだが、そう書かれるにはそれなりの事情がある。実際、アメリカではエロアニメが売れに売れていた。宇宙戦艦ヤマトや超時空要塞マクロスといった作品もあったが、かなり改変されていたし、市場を席巻していたのは日本から輸入されていたエロアニメだった。アメリカのキッズがヤマトに興味を持つ切っ掛けも、セックスシーンがあるとか、そういうところだったし。
1993年、CPMが『うろつき童子』の英語版を発売して以降、エロアニメは次々に売り出された。90年代の終わり頃には、エロアニメの市場は3~4000万ドルにも達していた。アメリカのバイヤーは日本のアニメ以上に、日本のエロアニメを求めたし、ニューヨークタイムズが勘違いして上のような記事を書くにはそれなりの経緯があった。
話は変わるが、私は以前、日本人より外国人の多い職場で働いていた。そこで、アニメの話題を投げてみると、「Oh, HENTAI!」という返事が返ってきた。3人ほどに話題を振ってみたが、みんな一緒だった。「日本のアニメ=HENTAI」という図式は、私達が思っている以上に世界的普遍的な認知として刷り込まれているようだ。外国のマスコミも、自分たちの認識の間違いを積極的に訂正しようとは思わない。ごく普通の外国人にとって、アニメと言えば、まっさきに思い付くのがHENTAI。その次にNARUTOだ。宮崎駿は、彼らにとって、歴史の浅い新参者でしかない。
ニューヨークタイムズは、2006年にもまたまたやらかす。再び『日本製アニメ=HENTAI』という論調の記事を書き、『ポケモン』や『遊戯王』といった作品も取り上げるが、「幼い子供におもちゃやビデオゲームやトレーディングカードを売りつけるために作られたもの」と断じる。
マスコミがクソなのは、万国共通。そのクソなマスコミによって、世論は作れ、それは歴史となっていき……。
ふと思ったけど、欧米はよく「日本は児童ポルノ大国」と批判し続けているが、ひょっとしてマスコミが原因の一つなのではないだろうか。児童への強姦発生率を比較してみても、日本は欧米より圧倒的に少ない。規制があるので、日本はすでに“あまり”児童ポルノを生産していない。いったいどんな根拠に基づいての批判だろう、と思っていたが、あちらのマスコミが喧伝した結果かも知れない。
スーザン・J・ネイピアの『現代日本のアニメ』という本がある。スーザン女史は、アメリカではかなり有名な日本文化研究の先生である。日本のアニメ研究、という分野では、第1人者とも言われている。
その著書である『現代日本のアニメ』という本を日本人が読むと「????????」となる。なにしろ、『AKIRA』と『千と千尋の神隠し』と『淫獣学園』が並列に語られているのだ。時代がまるっきり違うし、制作者も関連がないし、作品の系統もまるっきり違う。というか、何一つかすらない。日本では、間違っても『AKIRA』と『淫獣学園』を一緒くたに語る人はいないだろう。ピンクパイナップルとジブリを同列に上げて評論する人はまずいない(TMAと京都アニメを一緒くたにして語る人ならいそうだが)。読んでいると、「なんだこれは??」と奇妙な感覚に囚われてしまう。しかし、この本が、アメリカでは一番アカデミックなアニメ入門書となっているのだ。
おそらく、アメリカ社会に大きな話題として浮かび上がってきた作品を順番にピックアップしていったら、結果そうなったのだろう。実際、『淫獣学園』はアメリカでスマッシュヒットを飛ばしたアニメだ。『千と千尋の神隠し』と同列に扱われるくらい。それくらいに、アメリカではエロアニメが大きな存在感を持っているのだ。
と、いうようにアメリカ市場ではエロアニメの需要は非常に大きい。日本人が考えている以上に、アメリカ人は直線的なエロと暴力を求める。日本人がドン引きしそうな過激なものでも、アメリカ人は平気というか、むしろ好んで見ようとする。その一方で、アメリカ人達を悩ませているのが「萌え」。これが理解できず、アメリカのアニメユーザーは頭を抱えている。そういうわけで、エロチックコメディーが存在感を持つのは、ごくごく自然な話ともいえるだろう。
http://blog.livedoor.jp/toratugumitwitter/archives/45618114.html
だってさ
90年代後半からオタク論が学術的、サブカル論的に語られ始め、2000年過ぎあたりを境に徐々に下火になっていった。ネットの個人サイトにおいてもオタク史やオタク論をまとめたものはいくつも見つかるが、その多くも2005年前後で語ることをやめている(その意味では『オタク論の死について』(エフヤマダ, 2014)はオタク論の現状に対する貴重な指摘である)。
本稿は真のオタクとは何であるかとか、データベース消費や心理学がどうこうといった話には一切言及しない。本稿の目的は誰がオタクと呼ばれ、誰がオタクを自称したのか、その変遷を整理することである。
第一回コミケは1975年12月に開催されたが、この時点で彼らはアニメファンやマニアと自称しており、オタクではなかった。もっとも二人称としての「おたく」はそれ以前のSF大会から広く使われており、そうした状況から一部で彼らを「おたく」と揶揄していたという指摘は存在する(岡田斗司夫, "オタク学入門", 1996)。とはいえ、彼らを「おたく」と明文化したのは1983年、中森明夫によるものという点で見解は一致していると言っていいだろう。
「運動が全くだめで、休み時間なんかも教室の中に閉じ込もって、日陰でウジウジと将棋なんかに打ち興じてたりする奴ら」「栄養のいき届いてないようなガリガリか、銀ブチメガネのつるを額に喰い込ませて笑う白ブタ」「女なんかはオカッパでたいがいは太ってて、丸太ん棒みたいな太い足」「クラスの片隅でさぁ、目立たなく暗い目をして、友達の一人もいない、そんな奴ら」(中森明夫, "『おたく』の研究(1)", 漫画ブリッコ(1983))
中森はこのように「おたく」を形容する。この時「おたく」に知識量や購買力などは一切要求されておらず、現代で言えば非モテのコミュ障ブサイクへの侮蔑の言葉であった。この連載は批判意見の殺到により早々に打ち切られるが、一方、オタク達は自虐を込めて「おたく」を自認するようになっていく。
ほぼオタク界隈の内部でのみ使われてきた「おたく」は、1989年、宮崎勤の連続幼女殺人事件で一気に世間に知られることとなる。宮崎は6000本のSF、ホラー、アニメを録画したビデオテープを所有しており、この点からマスコミは「宮崎のような非コミュでインドアなブサイク」の代名詞として「おたく」を用い、バッシングを展開した。
「オタク、かっこ悪い?」
そういう問い自体出なかった
「オタクは格好の悪い生き物だ」
侮蔑され諦観し
故に侮蔑され故に諦観し
数珠つなぎの輪がぐるぐると回っていた気がする
(中略)
おい あれ
プッ
ぎゃはははは
オイロリコン部ーッ
ぎゃははははははは
世間は宮崎のような人物をオタクと呼んだ。宮崎のような気持ちの悪い見た目をしているならそれは宮崎であり、あるいはアニメが好きならロリコンであり性犯罪者である。全て一括りに扱われた。
当時の高校生オタクにこうした罵声に反論する公の場など当然無く、家族からも白い目で見られ、彼らはひたすら耐えるしか無かった。その意味で、当時彼らにとってオタクであるという自称は「同じ迫害に耐える同志」という意味だったと言ってもいいだろう。
岡田は現代でいうところの作画厨と考察厨を兼ね備え、またアニメに留まらない広範な知識、教養と分析力を有する者を「おたく」と呼んだ。世間からの白眼視に耐えてなお「おたく」であった連中であり、加えて当時は今よりはるかに娯楽の少ない時代であり、情報収集と理論武装に傾倒した者が少なくなかったことに不思議はない。
80年代後半からパソコン通信が、そして95年以降でインターネットが徐々に一般家庭へと普及を始める。同人誌即売会と異なり時間的空間的制限無しに、そして同人誌制作に比べてはるかに手軽かつ安価に意見交換できる場は、不特定多数のオタク間の相互交流を可能にし、各自の知識差が広範に意識され始める。
そして『新世紀エヴァンゲリオン』(庵野秀明, 1995)が大ヒットを記録する。これにより宮崎勤を知らない世代である中高校生を中心にオタク人口は大きく増加し、終盤の難解な展開の考察や解釈を求めてネットが活用された。ネット黎明期、オタクの集う場所はごく限られたこともあり、高度な知識と分析力を備えたオタクの存在はより多くのオタクの目に触れることとなり、各オタクの「濃さ」が相互に自覚されていった。翻って「自分はあれほどの知識を有しないからオタクではない」といった謙遜も生まれ、こうしてネットとオタク人口の拡大によってオタクと呼ばれる者とオタクを自称する者のズレは拡大していくことになる。
エヴァ以降、『カードキャプターさくら』(浅香守生, 1999)のようなロリコンアニメから『serial experiments lain』(中村隆太郎, 1998)のようなカルトアニメ、あるいは『カウボーイビバップ』(渡辺信一郎, 1998)など幅広いジャンルで今なお名作とされるアニメが相次いでTV放送され、無垢な若者のオタク化を助長し続けた。
他方、オタクをPCに向かわせた要素として95年以降のエロゲにおけるカンブリア爆発的な状況の影響は否定できないだろう。『雫』(Leaf, 1994)に始まるビジュアルノベルの勃興と「泣きゲー」の流行など、現代エロゲのベースはこの時代まででほぼすべて確立したと言っていい。
コミュニケーションツールとして、コンテンツ再生機としてPCはオタクの必需品と化していった。これと同期して、それまで家電製品の街であった秋葉原は90年頃からPCパーツの街へと変化し、来店するオタク率の高さからトレーディングカードやフィギュア専門店が相次いで秋葉原に出店、秋葉原はアキバと化していく(森川嘉一郎, "趣都の誕生 萌える都市アキハバラ", 2008)。
そして2005年、TVドラマ『電車男』が視聴率20%を超えるヒットを記録する。オタクには「アキバ系」という新たな名前が与えられ、アキバは一般観光客がオタクと呼ばれる気持ちの悪い珍獣を生で見ることの出来る動物園として扱われた。
珍獣としての要素については、モーニング娘。に端を発するアイドルオタクによって発展したオタ芸にも言及してしかるべきだろう。視覚的にわかりやすい「気持ち悪さ」を有したそれらの振る舞いは、オタ芸という名前を含め、何をオタクと呼ぶかにおいて一定の影響力を有したと考えられる。
2006年に登場したニコニコ動画は、2007年発売のVOCALOIDの登場などを通じて非アングラユーザ、中高校生といった若年層のユーザを多く取り込み、違法合法問わず大量のアニメやゲームといったオタク系コンテンツを抱え込んでいく。
アニメは放送時間が限られ、視聴時間をあわせて見るか、わざわざ録画予約しなければならない。ゲームも安くない金額を支払ってプレイする必要があり、多くの場合プレイ時間は数十時間以上を必要とする。これに対し、動画サイトに投稿された動画に必要な手間はクリックするのみである。オタク系コンテンツの視聴にかかるコストはかつてと比べ著しく低下した。
またアフィブログの影響も否定できまい。2chのログをまとめて整形し、見やすく要約する形で作られたゲーム系、アニメ系アフィブログは人気を博し、その読者は当のアニメを実際に見たことがなくともその内容を大雑把に把握し、売上情報やスキャンダルを把握する。その情報はあくまでアフィブログに書かれている内容に留まるが、彼らが一定のオタク的知識を有していることはまぎれもない事実である。
こうした層はアニメやマンガを多少知ってはいるが、深く傾倒しているわけではない。オタク系コンテンツの情報収集に必要なコストが高かった時代、身だしなみ等、オタク趣味以外にコストをかける余裕は無くて当然と言えたが、しかしコストが下がるにつれてオタク趣味以外へ投資をすることは普通になり、まともな容姿で一般的話題も把握した「オタク的な知識を有する何か」が徐々に増え始めることになる。
「非モテ」という単語が使われ始めるのは2006年以降であるとのことだが(松谷創一郎, "〈オタク問題〉の四半世紀", どこか〈問題化〉される若者たち(2008))、中森がかつてオタクと呼んだ人々は、こうして「おたく」という乱暴な括りから非モテ、コミュ障等と細分化し始める。
誰をオタクと呼び、あるいは誰がオタクと自称するかは、各々が自分の周囲にいる自分がオタクだと思った人を参考に決定するのだとすれば、ヤバい容姿のいかにも濃いオタクがかつてはどのサークルや同好会にもいた(黎明期は全員そうだったと言ってもいいだろう)時代と比べ、2010年に近づくにつれてそうした人物は減少し、あるいは絶滅していったと言え、こうして当人の周辺環境によって誰をオタクと呼び、誰がオタクと自称するかの個人差が拡大していったと考えられる(SNSの発達により、小さく仲の良いコミュニティが大量に分散して存在するようになった、という点もあるだろう)。
一方で2007年以降、AKB48が握手券商法を本格化させたことにも言及しておきたい。ファンにとって投資金額は熱意と情熱を表すバロメータとして機能した。彼らは自分がどれだけ投資したのかを示し、それによって同じファンから一目置かれるようになる。かつてネットによってオタクの濃度差が知識差として可視化されたと述べたが、投資金額の多寡としてもそれは可視化されるようになっていった、と言ってもいいだろう。
細田守監督の映画作品は『時をかける少女』(2006)を筆頭に非ジブリアニメながら広く世間に受け入れられ、『魔法少女まどか☆マギカ』(新房昭之, 2011)、あるいは『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』(長井龍雪, 2011)のヒットはアニメを見るというオタク的行為に手を出す敷居を下げ、アニメを見ることは異常ではないという空気を作っていく。
2011年、アエルラ、アイムシングルの2つのオタク向け婚活サービスが開始される。このオタクの定義を見てみると、アエルラは「一つの趣味を愛し、共有したいという気持ちがあれば、それはオタクである」と定義し、アイムシングルでは明確な定義こそないが、「マンガ・アニメ・ゲーム好き」をパーティ参加の必須条件としている。
筆者が数回体験した範囲に限られるが、実際にこうしたパーティに行ってみるとかつて中森が嘲笑したような「おたく」を見ることはない。いささか一方的な会話を展開する男性は多少いるが、慣れない場に緊張したことの影響も少なからずあるだろう。一方、岡田がオタクと呼んだような広範な知識教養を有するオタクを見ることもまたほとんど無かった。面白いことに30代の参加者でも90年代後半のアニメの話題に反応する例は少なく、良好な反応の得られるアニメは概ね2010年以降であった。こうした点から彼らのオタク的趣味の範囲はここ数年に限定されており、もともとオタク的であったのかもしれないが、オタク的趣味を実際に楽しむようになったのは最近であると考えられ、10代の若者に限らず、幅広い年代でオタクと自称、あるいはそうと意識する人口が増えているという認識を抱いた次第である。
他方、携帯ゲームの課金要素の充実や2010年以降のアイドルアニメの興隆などから、グッズその他のオタク的趣味への投資金額の多寡がオタクとしての熱意の度合いを示すバロメータとして意識されるようになっていく。2015年、TVニュースにて「リア充オタク」が特集され、その「リア充オタク」のオタク趣味への投資は年間2万5千円であると報じられた際、その金額の少なさへの揶揄が主にTwitterで取り沙汰された点は、その意味で興味深いものがある。
アイドルオタクとアニメオタクを絡めるなら声優のアイドル化への言及は本来必要不可欠だし、女性オタクへの言及が明らかに足りていない、ゲームオタクについてなど全体的に漏れが多い点は自覚している。申し訳ない。
また整理の都合上、いささか恣意的に流れを作った部分があることも否定できない。例えばネットの普及+エヴァによるオタク人口の増加→知識格差の可視化、という流れは自分でも「本当にそんな単純な話か?」という疑問を抱いているが、ざっくりした傾向というレベルではまぁ嘘ではないだろうと考え記載した次第である。
ただ、ある人が誰かをオタクと呼ぶ時、あるいはある人が自らをオタクと称する時、その内容から当人がどういう時代背景を前提としてきたのか、あるいはどういうコミュニティに所属してきたかを推測できることは、会話の食い違いやすれ違いを修正する手助けになると筆者は考えている。
20代前半の男です。大学のとき就職活動をやる気が起きず内定を取らないまま卒業して派遣で働いています。
私は今までなにひとつ成し遂げることなくここまできました。とにかく意欲がないのです。小学校のとき野球やボーイスカウトなどをやっていましたが、自分からなにか進んでやろうとすることはなく覚えるべきことやるべきことなどせず怠けており周囲に溶け込めず嫌われがちでした。
面白そうな遊びの計画を聞きつけては誘われてもないのに駆けつけたり、トレーディングカードを盗んだりしていました。
言ってはいけないこと、言ってはいけないタイミングでなにかを言ってしまうことがあったようで、例えば担任の先生が学校の裏の遊具は老朽化していて危ないので、といったような話をしている最中に先回りして「だから使っちゃいけないってことですよね」なんて言ったりして、「そうだけど話は最後まで聞きなさい、それがあなたの悪い癖だ」と注意されたことがあります。
スポーツが苦手で歌を歌うのも苦手でした。合唱などが嫌いで小学校から高校までずっと口パクをしていました。明らかに気付かれていても、注意されても歌いませんでした。音痴だと思っていましたから。高校のクラス対抗の合唱コンクールでは、放課後に練習があったのですが全然歌わないのに参加だけはしていて、歌わないならそんなもん行かなきゃいいのにと自分で思いながらも、ただそこにいるだけみたいな感じでした。
中学、高校の部活や大学のサークルやゼミなど、とにかくなにか進んで頑張るということが一切なくただそこにいるだけという感じで周りにも溶け込めず、なんでそこにいるんだろうと自分で思っていたし他人からも言われたことがあります。
小学校高学年から中学1年ぐらいのときは、相手の気持ちを考えず、でも構って欲しいので大人しい人や人間ができている人に対してうざ絡みをしていました。そんな感じなので中学1年の夏からあからさまに周囲から嫌われるようになり、以来10年以上にわたって、自分から他人に話しかけることがほとんどできなくなりました。
なにもはなすことが思い浮かばず、話しかけなきゃいけない用事があってもどういっていいかわからない感じです。
なんとか大学には入学し一人暮らしを始めましたが、人に話しかけられず、なにか有意義な活動やアルバイトもせず、レンタルDVDをみたり小説を読んだり、電車で20分の都会の映画館に行って街をうろついたりするだけでした。洗濯や部屋の掃除などは一応できていました。
講義には一応出席しており、卒業のための単位はなんとか4年で取り終えましたが、就職活動はろくにできませんでした。なにをどうしていいのかわかりませんでした。志望動機や自己PRをまったく考えて書くことができませんでした。なにか頑張ったことややりたいこと、できることがまったくない、どうしようといった感じで面接もほとんど受けませんでした。大学に入る程度の勉強はできていたので、警察官など簡単な筆記試験を通れば面接までたどり着けるようなところはいくつか受けましたが、明らかに向いていないし、面接や面接の際に提出するカードの内容がボロボロだったので、採用にはなりませんでした。
日常会話程度の人付き合いもできず、業務的な連絡すらも億劫というか中々言い出せないような有様で、まともな人付き合いや就職など出来そうもなく、現在の派遣先の工場の単純作業の最中は「これからどうしよう」「俺になにができたっていうんだ」「恵まれた家庭に生まれだからまともな性格さえ備わっていれば人並みにはなれたはずなのに」といった考えてもしょうがないことが頭に浮かんできて辛いです。
周りの人の話し声の断片に「臭い」といったワードを聞きつけると自分のことを言っているのかと不安になります。まあそれは自分の気にしすぎだと思うのですが。
今までのことを振り返って、自分勝手に甘えてきただけのような気もするのですが、自分ではどうしようもなかったんだとも自己弁護してしまいます。
ところで希死念慮というのはどのくらいのレベルのものを言うのでしょうか。本気で死のうと思ったことはないのですが、こんな人生しょうもなさすぎるしどうにもならないんだから死んだほうがいいんじゃないか、でも痛いのとか汚いのは嫌だしな、なんて考えてしまいます。まとまりのない文章ですみません。
■その1。
「やばい!太平洋だ!」……プレイした感想は、まさにこれだった。休業しているとはいえ、商業誌の編集者である筆者は、ゲームの題材として同人誌を扱うのは、やはり抵抗があったし、おたくである自分の状況を俯瞰的に扱うということを、美少女ゲームで表現するとは……という気持ちもあった。まあ、ありがちな先入観を抱いていたのだ。
で、実際にプレイしてみたら、「ゲームとして良くできている」のだ。確かに、題材の違和感は拭えないのだけど、『こみっくパーティー』はゲームだ。ゲームとして面白ければそれでいいのだ。その驚きが冒頭の台詞に現れているんだけど、まあ、元ネタは分かるまい(笑)。
さて、『こみっくパーティー』というゲームは、特別な思想性を見いだすことはできないけど、最大公約数の娯楽性を持った作品だと思う。実際、主人公に関する事柄以外は、かなりのバランス意識を持ってテキストが作られており、現在の同人誌状況のプラスもマイナスの両極を無難に取り込んでいる。これは、正月のオールスター映画を作るようなもので、それ故に「無難」というのは、この場合、最大限の褒め言葉なのだ。
そして、最大公約数故に、どのような批評も内部に取り込んでしまうというか、あらかじめ批評を予測された構造になっている。だから、ユーザーはゲーム中の事象にいちいちツッコミを入れつつ楽しんでいるし、批評にしても、思想的な根幹は特に存在しないので、どうしても些細な設定に帰着してしまう。そういう意味ではライター泣かせというか、誰もが批評家然として語ることで楽しむ作品でもあるし、このゲームを語るのは、筆者の場合、自分の半生を語るようなものでもあり、正直言って、気が重い。つまり、このゲームを語る事は、ユーザー自身の同人誌観を語るのと同じなのだ。これは非常に恥ずかしい。
■その2。
前号の「美少女絵師列伝」での、リーフ東京開発室インタビューにもあったけど、同人誌即売会という現象がそれほど普遍的なものになったのかと思うと、正直言って、また別の感情もある。筆者は同人誌の世界に足を踏み入れて8年、その半分はまんが雑誌の編集者として、絵に描いたように、おたくメディアと密着した生活を送ってきたけど、こうした俯瞰的に自己言及するメディアが発生するあたりは、言葉は悪いが、同人誌の世界が成熟し、おたくのイニシアチブを取る=経済的に勝利した状況になりつつあるのだな、と思い知らされた感がある。
あと、『こみっくパーティー』には思想性が無いと書いたが、特定の思想があったら、こんな広範な題材は取り扱わないし、結果として、一つの市場をめぐる噂話(都市伝説)の集合体という構成になるのも当然の事だろう。そして、このゲームは、善悪全てごちゃまぜにして、同人誌をめぐる状況を極力そのまま取り込んでいるし、登場人物がどれも清濁併せ呑む存在であることにも気づくだろう。特に、前半に関しては、主人公の視点があくまで素人として設定されているので、出会う人々がどれも過剰な存在に見えるのだ。また、冒頭で「主人公に関する事柄以外は~」と書いたのは、同人作家として成長するスピードと素人の視点が、後半になるにつれ、やや噛み合わなくなってくる為で、この辺で違和感を感じた人はいると思う。
ところが、みつみ美里氏や甘露樹氏といった作画陣の流麗な絵柄のフィルターを通すと、清濁併せ呑んだ部分が届かなくなるという現象が起こってしまう。最近のユーザーの傾向として、ビジュアル的な構成要素だけで全体を判断するので、本来、皮肉になるべき箇所が皮肉として通じないのだ。ユーザーはフィルター上の表層(ビジュアル)しか見ないので、キャラクターの内面まで踏み込むことはない。この微妙なズレというか、奇妙な皮膜が形成された結果として、特に何の問題もなく『こみっくパーティー』は、美少女ゲームという商品として成立している。本当は、もう少し微妙な立場にあるはずのゲームなのだけど。
古参のユーザーは、シナリオも含めたトータルを見た結果として、自分の同人誌観を語るのだが、最近のユーザーはビジュアル的な要素だけで判断するので、必然的に「キャラ萌え」といったベクトルへ向かう事になる。まさに、パソコン用語の「オブジェクト指向」ならぬ、「オブジェクト嗜好」といった所か。また、このタイプのユーザーには、全肯定と全否定という二つの判断しかない為、批評という概念自体が成立しなくなる傾向もある。
批評の介在しない、言論の一定化という状況で、他人との差異を何処に求めるかとなると、信仰心の強さを競う、という一点に帰着していく。信仰対象への愛情がイコールで消費した金額に換算される為に、トレーディングカードが流行したりもする。けれども、その信仰の強さが物語性を妨げる弊害も起きる。物語は信仰対象を疑うことから生まれるものというか、強烈な信仰は、自己の内面を相対化する心理機制を内包していないので、内面の葛藤の結果としての物語は生まれにくいのだ。
そして、信仰対象を次々と消費する現在のおたく産業に於ける経済システムは、物語よりも情報を重視している為、物語の需要は失われていく傾向にある。
【ネコミミ】【ロリぷに】【眼鏡っ娘】【妹】【メイド】といった、快楽原則に忠実な根本要素に、作画技術(画力・技法)や、ブランド(描き手のネームバリュー)が絡みあった結果、萌えられるかどうかを判断する……このように、価値の基準を情報単位で捉えていくパターンが、先に述べた「オブジェクト嗜好」なのだが、そういった表層的な要素のみで判断すると、物語や思想性は余計な要素=ノイズ以外の何物でもなくなってしまう。
例えば、とあるゲームのタイアップまんがで、元々、オリジナルの作品を描いていた作家を起用したりすると、アンケートは絶好調で、単行本もバカ売れしているのに、巷にはそのまんがに対するブーイングが溢れるという、パラドックスな状況が起こったりもする。
これは、「ゲームの関連商品」として単行本を買ったんだけど、描いている作家の作家性がノイズと判断されたからだろう。いわく「ゲームのイメージを壊す」と。この場合、その作家の絵柄(ビジュアル)だけで起用するから、そんな事態になるのであって、ゲームやアニメが主導する形でタイアップまんがを作るときは、キャラクターグッズに徹する、思想性の無い作家を選ぶ必要があるだろう。実際、最近のまんが業界周辺にはこういった、メディアミックスの悲劇といえる現象が、日常茶飯事になりつつあるのだが……話がずれた。
筆者は古いユーザーなので、エロの含有率で美少女ゲームを判断する癖がどうも抜けないのだが、現在の美少女ゲームユーザーは大きく二つの属性に分けられると思う。「キャラ萌えできるか」「心の琴線に触れられるか」……しかし、両者は結局、コインの裏表で、どちらも表層の情報、つまり、あらかじめメディアによって価値判断処理が施された情報だけを消費しているという点では五十歩百歩に過ぎない。
おそらく『こみっくパーティー』は、前者に属するのだろう。だが、萌え~なキャラがいるからプレイする、感動できないからプレイしない、というレベルでは割り切れない懐の広さも、このゲームが持っていることは知っておいて欲しい。
……筆者は、ゲーム(物語)の内部と自分の内部を相対化できるゲームが、良いゲームと考えているのだが、『こみっくパーティー』は十分、その条件を満たしている。題材が良いのか悪いのかに関しては、未だに判断し難いのだけど、ゲームとしては、まさに予想外というか、嬉しい誤算だったと言えよう。
握手券付きCDを3枚買った。なぜ3枚かというと、CDが3種類あり、収録されているカップリング曲とがそれぞれ若干違うのと、おまけDVDがそれぞれ異なるからである。
会場は京都パルスプラザというところ。最寄駅は近鉄奈良線、もしくは地下鉄烏丸線の竹田駅。
13時頃会場到着。AKB48での握手会襲撃事件を受け、入口でボディチェックがある。手荷物確認、飲み物の試飲、金属探知など。空港の保安検査をざっくりやってるような感じ。チェックのレーンが5~6か所程度あるので、特に待ちはない。
入場してまず驚いたのが、床にビニールシートを敷いているファンが多数いること。どうも乃木坂46トレーディングカード(そういうのがある)の交換待ちらしい。なんとかいうカードを持ってるのでなんとかいうカードと交換しましょう、みたいな手書きの札を立てている。あと、卒業が決まっている市來玲奈さんへの寄せ書きを募っているファンのコーナーもあった。この辺、主催者側とどういう折り合いになっているのかよく分からないが、随分自由なんだなと感心した。
真夏だし暑さを心配していたけれど、場内は一応空調が効いていた。ファンの男女比は9:1くらい。
さて、握手ゾーンへ入る。ゾーンの入口で最低1枚の握手券持っていることを示す。中に入ったあとは自分でレーンを選び、並ぶことになる。レーンは原則二人のメンバーで一組になっており、必然的に推しメン以外のメンバーとも握手することになる。また、レーンの序数は(推定だが)その前に行われた「個別握手会」(「全国握手会」と別に、メンバー指定握手券付きCDを買って参加する握手会)での売上順になっており、第1レーンが最も売上の大きい西野七瀬さん(と川村真洋さん)、第2レーンが2番目に売上のある白石麻衣さん(と伊藤寧々さん)、第3レーンが秋元真夏さん(と斉藤優里さんと大和里菜さん)と続く。これは随分嫌味な配置だなと思った。
自分は第11レーン(川後陽菜×高山一実)へ並ぶ。13時開始の予定だが、まだ列は動いていない。自分の前には30~40人ほど並んでいる。じきにアナウンスがあり、握手が始まる。列が進む間に隣の第12レーンの握手ブースから堀未央奈さんがちらっと見え、「えー、なんだこの美少女は!」と度肝を抜かれた。特に推しというわけではなかったが、衝撃を受けた。
握手ブースからは握手を終えた人が次々と出てくる。老若男女みな実に満足げな表情である。
いよいよ順番がやって来る。ブースの手前で、スーパーの買い物かごみたいなのに手荷物を入れ、手ぶらになる。さらに女性のもぎりに握手券を1枚渡し、さらに両手の表裏を見せる。握手ブースに入る。ブースには、メンバー一人につき剥がしの人が一人待機している。剥がしの人はストップウォッチを持っており、律儀に5秒をカウントし、肩を掴んで移動させる。高山一実さん、川後陽菜さんと握手し、出てくる。一瞬である。一瞬であるが、なるほど、みなが満足げな表情をして出て来るのが分かった。
その要因は、
です。
ちょっと腰が砕けそうになったので一息つく。しかし、メンバーの手のひらはみんなさらさらしていたけれど、ベビーパウダーでも使ってるんでしょうかね……
引き続き、第6レーンの斎藤ちはる×深川麻衣へ並ぶ。これもやはり隣のブースから見える橋本奈々未さんがめちゃくちゃ可愛い。喉を痛めて声を出せないらしいのだけど、「ありがとう」と吹き出しを書いた札を持っており、握手のたびにそれを顔の脇に持っていくのも可愛らしい。10分ほど待って、斎藤ちはるさん、深川麻衣さんと握手する。
3番目は第7レーン(樋口日奈×松村沙友理)へ並ぶ。このレーンはこれまでで一番待って20分ほど。待っている間に左隣の第6レーン(斎藤ちはる×深川麻衣)が一回捌けてしまっていた。これ、メンバーは悔しいだろうなと思う。なぜ隣のレーンであんなに行列ができているのに(しかも売上的には一歩下なのに)、自分のところは誰も並ばないのか……順番が来て、樋口日奈さん、松村沙友理さんと握手する。
持ってきた握手券を使い切った。が、やっぱり握手を続けていく内にテンションが上がるし、ちらっと見える他のブースの子も可愛いし、自分ももう大人なんだし、10枚くらい握手券を用意しておけばよかったと思った。会場内でも握手券つきCDを販売しており、ふらふらと向かったのだけど、通常価格約\1,400に対し、約\1,700で販売しており、手間賃かもしれないけど阿漕だなーと思い、我に返った。
メンバーもいったん休憩に入るとのことで、残っていてもすることないし、十四時頃に会場をあとにした。帰りに京都の錦市場へ寄り、麩嘉という店で麩まんじゅうをお土産に買った。あとでまとめブログなどを見ると、その後もちょっとしたイベントがいくつかあったようで、少々残念。
感想だけど、それぞれの握手の時間が短すぎて、ほとんど記憶には残らない。ただ、どのメンバーも顔が小さくて、からだが細っこい。太ったと時々揶揄される松村さんですら、驚くほど顔が小さかった。会場内には女性ファンもおり、その中には結構可愛い顔をした子も多かったけれど、メンバーは一つ次元が違う。なんというか、妖精さんみたい。
AKB48握手会襲撃事件後、AKBのメンバーや乃木坂のメンバーが節々で握手会を再開したいと漏らしていたのだけれど、その理由も少し分かったような気がした。我々が普段仕事をしていて「これが本当に社会の役に立っているのだろうか、単なる歯車に過ぎないのではないだろうか」とふと考えるように、勝手な想像だけど、アイドルもまたCDの売上やテレビの視聴率だけではなかなか仕事の実感が湧かないのではないだろうか。それに比べ、握手会は自分の仕事がファンに喜びを与えている、というのを文字通り肌で実感することができる(同時に、自分に握手したいという人々が門前市を為しているのは、自尊心を強烈に満たすことだろう)。ただ、我々の仕事が、社会に役立っているという実感を得るためにやっているのではないのと同様、アイドルもまた握手会だけに没入してはいけないのだろうけれど。
撮影メインな人は、写真=トレーディングカードな間隔なんだ。どっちが良い悪いではなく、それはそれで楽しいのだよ。
2013年4月26日、アーケードゲーム業界に突如現れた大型爆弾、それがけいおん!放課後リズムタイムである。
今時ケータイをいじれば無尽蔵にあるようなゲームが、アーケードに登場した。
アーケードに興味のない方、またTCAG業界に詳しくない方も居られるだろう。ここで軽く紹介しておく。
TCAGとは、トレーディングカードとアーケードゲームを合体させたジャンルである。
カードを集めて、手持ちのカードを使って何らかのゲームを行う。
分かりやすく説明すると、ソシャゲーに筐体がついて多様かつリアルタイム性のあるゲームがプレイできるものである。
TCAGと言っても戦略ゲームやスポーツゲーム、シューティングゲームにリズムゲームなど、カードを使ってどのようなゲームを行うかは多岐に渡る。
ソーシャルゲームとの大きな違いはプレイに対して課金が必須であること、そして独自のインタフェースや機能が自由に設計できることにある。
一般的にソーシャルゲームよりもグラフィック面で大きく有利であり、凝った演出や操作がウリの一つでもある。
また、大人向けの戦国大戦やベースボールヒーローズなども有名であるが、一方でアイカツ!やジャイロゼッター、ムシキングなど子供向けゲームが盛んなジャンルでもある。「カードが手に入る」というのが子供にウケるのだろう。
けいおん!放課後リズムタイムはリズムゲームを題材としている。
つまり、けいおん!の絵が描かれたカードと、けいおん!の楽曲を使って音ゲーをプレイするのだ。
なるほど楽しそうだ。きっとアイドルマスターのように名もないクラスメイトのカードがカスカードとして出てきて、初音ミクProject DIVAのようにキャラクターを使ったPVが見れるのだ。
そして「ちくしょう軽音部のメンバー揃わねぇじゃないかよ!……でもこの子かわいいな!」となるわけか。期待に胸が膨らむな。
……賢明な諸氏ならお気づきかと思うが、ここで取り上げているのだから上記のような真っ当なゲーム要素は一切存在しない。一切。
では、実際の様子を順を追って見ていくことにしよう。
まず君は筐体に1コインを投入する。
すると、あずにゃんのSDキャラクターがゲーム上の注意を喋ってくれる。
なぜあずにゃんがメインキャラクターなのかと言うと、ランキング一位のプレイヤーの推しメンだからである。
つまりこのゲームは筐体一位を取ると筐体のナビゲートキャラクターを変更できるのだ。
カードが排出される。このゲームには描きおろしカードは一切存在しない。最上級のミラクルレアでも既存絵である。
画面が変わる。軽音部の五人から使用キャラクタを選ぶ。ここでカードは必要無い。今後のプレイではナビゲート役があずにゃんから使用キャラクタに変わる。
次はカードスキャンだ。スキャンしたカードが画面に表示され、合計ポイントが計算される。
もし組み合わせが良ければコンボポイントが追加される。例えば、3枚とも同キャラのカードで揃えるとか。
カードの意味はここで終わる。単にポイントとしての役割しかない。
ゲーム中に選んだカードによってスキルが発動するだとか、服装がチェンジするだとか、そういった機能は一切無い。
カード特有の要素は何もないのだ。ただ唯一、スキャン時にカードの画像が表示されるのみ。
次は曲の選択だ。2013年に出たゲームなのに、アニメ一期の曲しか無い。一応キャラソンも入ってはいるが。
ゲームを進めると追加される、と思ったら甘い。
このゲームは本当に一期の曲だけしか無いし、そもそもユーザー登録は無い。
曲のロード画面が映る。黒背景に白字で「ロードしています…」と表示される。他には何も無い。文字のスクロールすら無い。こんな殺風景なロード画面見たことない。せめてキャラクターの画像でも貼ってくれればいいのに。
ゲームが始まる。円形のライン上を赤・青・緑のアイコンが滑り落ちてくる。
同じラインで現れるのでボタン配置が分かりづらいが、1プレイもすれば慣れる。
最高難易度でもさして難しくない。長押しや同時押しが存在しないので、ゲームとしてはただ単調である。
だんだんと背景を見る余裕が出てくる。
……一枚絵だ。一枚絵がゆっくりと拡大されて、縮小して、また別の所が拡大する。
なんだこれは。3Dでダンスしたり、せめて、アニメ映像が流れたりはしないのだろうか。
百歩譲っても、スライドショーにはならなかったのか。同じ一枚絵が、ずっと、ずーっと表示されている。当然、この背景も既存絵だ。
ちなみにこの筐体はブラウン管であり今時のゲームとしては解像度が異様に低い。
というのも数年前のゲームである「めちゃモテ委員長」のゲーム筐体を流用しているためだ。
しかしめちゃモテ委員長は着せ替えができて3Dでダンスしたし、メモリーカードを利用したユーザー登録もできたのだが……。
「50コンボ!」唐突に言われて初めて気づく。このゲーム、コンボ表示が無い。
50コンボごとに声と表示で知らせてくれるが、リアルタイムのコンボ数は一切表示されていない。
選んだキャラクターがプレイ中に関係するのはこのコンボ音声だけである。
そういえば、合格ラインも無い。何点以上とか、何割以上とか、そういった基準が全くない。
かろうじてスコアは表示されている。しかし比較対象が無い状況で数字だけ見せられてどうしろというのだろう。もちろん、曲のハイスコアは表示されていない。
現れるアイコンに合わせて黙々とボタンを押す。背景も見飽きた。
…………ゲームが長い。一番が終わったかと思ったら間奏に入って二番が始まってしまった。
約4分、延々と代わり映えしない背景を見ながら、3ボタン単押ししかない音ゲーをやり続けることになる。
そもそも体力ゲージが無いのでどんなヘタクソなプレイをしてもゲームオーバーにもならない。
ハッキリ言ってTVサイズでも飽きる。それを4分。地獄である。
ようやく曲が終わる。ロード画面だ。「ポイント集計中」の表示が黒背景に踊る。いや、踊らない。ただ無機質に表示される。
ポイントは三種類の評価が下る。カード点、ゲーム点、コンボ点である。これを合算して最終スコアとなる。
「良いカード」を使って「ノーツが多い曲」で「フルコンボ」を出すことが稼ぎプレイの必須条件だ。
これはセーブがないのもあるが、「高スコアを取ってもどこにも発表されない」という意味でもある。
では得たスコアはどうなるのかというと、「使用キャラクターに」加算される。
これは軽音部五人の投票数ランキングであり、決してプレイヤーのスコアではない。
このランキングで一位のキャラクターが筐体のナビゲート役になるわけだ。
もちろん投票数は合算スコアなので、一位を追い抜くためには相当数のプレイが必要になる。
君が継続プレイするモチベーションは「自分の嫁をナビキャラにする」の一点のみ。
もしカードがほしいだけならばカードだけ買うモードがあるのでそちらで延々買われるのが良いだろう。
ただし、全て既存絵だが。
そしてプレイする動機となるランキングはスコアで決まるため、本当に必要なカードは「ポイントの高い上位3枚」に絞られる。
より高位のカードを手に入れた瞬間、これまでのカードは完全に単なる下位互換にしかならない。
さて、ようやくプレイを終えた君は立ち上がって横を見る。
アイカツの筐体と、そこで楽しそうにプレイする幼女が見えるだろう。
ここは大型ショッピングモールの子供向けゲームコーナーである。
このゲームはなぜか女児向けにデザインされており、多くの場合は他の子供向けアーケードゲームと横並びで設置されているのだ。
アイカツではスキャンしたカードと同じ衣装を着た3Dのキャラクターが画面内を所狭しと踊っている。
ジャイロゼッターは高らかに明滅しながら筐体が変形し、ロボット操縦レバーがせり出している。
最初は物凄く弱いけど、機械学習とクロールによりあちこちから棋譜と定跡を吸収。あっという間にプロを超える棋力になるも、棋譜の著作権をめぐり将棋連盟と訴訟合戦に。
普通に強いけど操作性が悪くバージョンアップのたびに悪くなっていく。更にある局面になるとセキュリィティホールが開き個人情報を流出する。
「あなたの将棋ライフのすべてが新しくなります、そうiShogiならね」とぶち上げるも、意外と普通の棋力。
棋風や棋力から「もしかして◯◯はあなたの友達ではないですか?」と対戦相手を薦めてくる。
月額課金サービスだが自動更新の上に退会できずに社会問題化。消費者庁に注意勧告を受ける。
戦法や棋士のトレーディングカードが勝つたびに貰えるオンラインゲームを開発するも、一部のレアカードは高い課金をしないと手に入らないため社会問題化。更にゲーム自体が他社のパクリ(将棋ウ○ーズ)のため訴訟合戦に。
非常に貧弱な棋力な上にCPUが行き場のない駒を打つ、王手放置など致命的なバグを抱えているにもかかわらず自信満々に有料サービスとしてローンチして炎上。バグのたびに犬が現れる。バグ報告や機能改善などの要望がたくさん上がるも、それを無視して駒や盤のデザインを変えるなどして更に炎上。
非常に貧弱な棋力な上に対局中にやたら広告が出る、おまけに対局しようとするとなぜか玉一枚しか無いという致命的なバグを抱えているにもかかわらず有料サービスとしてローンチして炎上。低い評価のレビューを消した上に社長が「文句を言っているのは一部の利用者だけ」と発言し更に炎上。
勝つごとに美少女が脱いでいく脱衣将棋。最初は弱く簡単に脱ぐが、最後の一枚になると突然強くなりなかなか脱げなくなる。対局ごとに課金のため、気がついたら相当の金額をつぎ込むことに。
夜遊びしたいアッキーナ - ニワニュース - ニワンゴ
http://niwango.jp/pc/niwanews/search.php?id=29871
タレント南明奈が4月29日、トレーディングカード「南明奈3」の発売記念イベントを行った。5月15日に二十歳の誕生日を迎えるアッキーナは、恋愛よりもたくさん遊びたいとし、「みんなと朝までカラオケをしたい」と無邪気に抱負を語った。
現在の評価は
Good![3] Bad![130]
ネットでしか粋がれないクソガキの手にかかれば、かのアッキーナも評価がうなぎ下がり。
これがまだ工作などではなくて記事の内容自体がBadだと言い張る腐った増田どもは、どのように理屈をこねるのか聞いてみたいね。
どう考えても工作でしょう。
いや、ここが簡単に無視できないんじゃないの?
別にその特典を貰った側もテレカとしての価値を求めていたり実際に使ったりするわけはないんだろうけど。
ただのトレーディングカードだと相場として1枚せいぜい数十円だろ?
それが「特典」じゃありがたみってのは発生しにくいんじゃないかな。
おはこんばんちわ。上記のエントリを書いた17で子持ちになった増田です。思いのほかはてブ等で反響があったので、誰も気にもしていないのに17歳で子を持つに至るまでの4半生についても勝手に自分語りを始めます。前エントリで最初で最後といったくせにね。17歳以後と比べるとたいして特殊でもないDQNのつまらない話です。
親が転勤族だったこともあり小学校では転校を三回経験。その経験のせいで「人間関係をあまり重要視しない」という性格を形成するようになったんじゃないかと思いこんでいたりする。そのため自分の子供には転校をできるだけ経験させないであげたいなと思っているんだが、、、まぁ考えすぎなのかな。
やはりこれだけ転校すると今だに連絡を取るような小学校時代の友人は一人もいなかったりする。でも当時は転校に対してネガティブなイメージはなくて前の小学校で失敗した小さなことを次の小学校ではこう直そうとか考えたりしていた(大学デビューみたいなもんか)。やっぱり「人間関係をあまり重要視しない」ってのは天性のものだったのかもね。
学校の成績とかは苦労はまったくしなかったが、単に塾に通っていたからだと思う。「勉強しなくても特に苦労することはなかったなぁ」とかいっている天才とは多分頭の作りが根本から違うんだろう。
中学は都内の私立男子校に入学することになった。いわゆる御三家に落ちた人たちが集まる滑り止め校で、自分もそのパターン。
入ってから半年ぐらいは成績も中の上ぐらいなもんだったけど(試験の全順位発表する学校でした)、次第に成績は落ちていって1年の終わりぐらいには最下位グループに固定化されてたと思う。
そういえばそのころ初めて「いじめ」みたいなのも経験した。こういう進学校もどきの特徴なのかは分からないが基本的にターゲットは成績の悪いやつなんだよね。成績がそれなりだったころは仲も良かったクラスメイトが急に自分を攻撃してくるようになったのだ。といってもうしろから消しゴムを投げてくるとか漫画を持ってきているのを先生にチクられるという些細なもんだけど。
もうひとつそのクラスの特徴と言えるのかもしれないけど、自分以外の例を見ても基本的には「攻撃する奴」「攻撃される奴」の1対1というのが多かった。いわゆる同調圧力なんかはなかったように思う。だから集団シカトとかそういった類のものは発生していなかった。他の人間はそれを積極的に止めたりもせず「あーあいつらまたやってらー」ぐらいの感じで眺めていたように思う。
そして2年生になり、ますます成績は落ちていくんだけどまったく勉強はせず学校帰りにゲーセンに寄ったりしてそれが見つかって反省文みたいなことを繰り返していた。そういえばそのころ流行っていたNBAのトレーディングカードを持っていっただけで反省文だったなぁ。
「お前は腐ったミカンだよ」
担任にそう言われたのはそんな反省文を何度目かに命じられた時だったと思う。正直その時はそれが金八で使われていたというのも知らなかったけど。金八先生のファンなんだろうかあの先生は。
そんなこんなでいろいろとやさぐれて中間試験や期末試験をさぼったりするまでになって2年の終わりに留年勧告。いや、本当のところはよくわからないけど。親が呼び出されて話をしたので。そしてそれを親が断わり自主退学。
別に自分は中学留年でもいいんじゃないかなぁとも思っていたけど、まぁどっちでもいいかと思って了承。
親の都合もあり東北地方に引っ越して3年は普通の公立中学に転入。でも3年の授業は前の学校で終わらせちゃっていて、つまらなくてほとんど寝てばっかだったとおもう。試験も相変わらずさぼったり白紙提出したり。でも公立はそれでも卒業させてくれるんだから楽なもんだよね。
試験が白紙ばかりだったんで内申点で落ちるよと担任に脅されながらも一応その地域の進学校を単願で受検。落ちたら東京にいって働くかなんてことを考えていたりした。ところが進学校のくせに倍率0.99倍とかになったせいか合格。
これを機会にやり直してみるかーと思ったのは最初だけで、燃え尽き症候群的な態度は変わらず授業は寝てばっかで試験は白紙提出を繰り返していた。(そういえば燃え尽き症候群ってのは中三のときの担任にいわれたんだったっけか)
一方そのころとあるネット上のコミュニティサイトにはまっていて。誰でも知ってるようなサイトですが。で、そこの東京でのオフに足を運ぶことになる。そうすると高校落ちていたら東京に戻るはずだったという思いが再燃してくるんですよね。2年弱東北にいたせいで東京コンプレックスみたいなのを持ち出していたんだと思う。その時に会った人にそんな自分の思いを伝えていたらじゃあ東京に出てきて単位制の学校に通ったらと勧められることに。まぁ学校に行くってのは親へのポーズであってとにかく東京にでたいんだという気持ちだったんだと思う。今思い返しみてもその時のその情熱はちょっとよく分からない。
なんとか親を説得して高校を自主退学。その単位制の学校を受験するんだけど落ちました。やっぱ都立って内申点重視するのね。で、急きょ同じ学校の通信制と他の私立の夜間定時制の学校も受験して一応合格。学校あまりいきたくないという思いもあったので通信制に入学。土曜日だけスクーリングがあったんですが、校内に生徒用の喫煙所がある変な学校でした。
で、入学して2か月ぐらい働き先を探したりもせずに彼女の家に転がりこんだりしていたら、妊娠発覚。前エントリに続くという感じです。
(学年的には2年生)とか書いていた理由も分かりましたかね。小学校4つ、中学校2つ、高校2ついったというのはちょっとした自慢だったりもします。
ときかれて
「花のお江戸に御旗を立てるんです。学校にいきながら働くつもりなんです。」
といったら
「ププッ。何かスキルでもあるの?」
「いえ…。でもプログラムをこれから勉強しようと思っています!」
「あのねぇ、そんなに簡単に世の中はいかないんだよ。まずは学校でしっかり勉強しなさい」
みたいなことをいわれた。その1年半後には400万弱の年収で子供が離乳食を食べ始めていたわけなんだが。
あれから8年、まだ御旗は立っていないけど。