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はてなキーワード: トレンドとは

2024-03-26

大谷声明文で、マツモトの声明は一瞬でトレンドから消えたね。。

もはや過去の人


トーヨコでもマックJCも「松木?それ誰?」

2024-03-25

Xは終わった

トレンドクリックすれば青バッジインプレゾンビ。元のポストを見つけるのも一苦労。

もう意味がない。

anond:20240325105849

 なにより凄いのは、「日本おかしい。なぜ連日、トップニュースWBCなのか?」とメディアへの義憤かられる女友だちですら、「オータニは好きだけどね」とひとこと言わずはいられないことだ。ふだん「信用できるオトコなんていない」と、男性への不信を語るフェミ友ですら、恐る恐る「オータニってどう思う?」と聞いてみれば、「いいよね!!!」と顔が明るくなる。もちろんそれは「野球の腕が凄い」ということではなく、「何だかからないけど、あの人凄い」という称賛である。いったい、これはどういう現象なのだろう。

大谷翔平凄さとは何なのか……なんてことを考えていたときTwitterトレンドに入っていた言葉に膝を打つような思いになった。

大谷翔平のただしさと息苦しさ」だ。

 思わず声をあげて笑ってしまう。その瞬間にスルスルと理解する。野球に関心などなく、プロ野球特に苦手で、マッチョな男集団を怖いと感じる女ですら(私です)、オータニへの好意を語らずにはいられない理由について。

 そもそも、これはTwitterで、オータニは「高校生みたいでキモい」「ネオテニー(幼形のまま成熟した状態)っぽい」とか、「欠点がない=人間的魅力がない」「無機質だ、男性メス化だ、中性化だ」など、オータニの光を前にした男たちが「僕はオータニを認めない」というようなことを口にしたためにボコボコにされる様を見た男性ライターの有料noteタイトルである

まり、オータニは一部の男たちにとり「正しく」、それ故に「息苦しい」存在ということのようだ。ライター意向は他にあるのかもしれないが、Twitterでは思い思いの解釈でバズったのだろう。なかなかの島国発言ホモソ(男性中心社会ですね)の日本男子的な正直な感覚に私には見える。そしてそれ故に……オータニの正しさと、その正しさで焼かれている男たちの存在が見えるからこそ、女はオータニに希望未来を見いだしオータニを語りたがるのかもしれない。

 ある種の男性たちは、オータニが「男というだけでは連帯しないタイプの男」であることを繊細に敏感に見抜いているのだ。どこかで目にした記事だが、オータニは男どうしの下ネタに交わろうとせず、女性性的嘲笑する仲間をたしなめたことがあるという。そのエピソード事実かどうかは分からないが、「そういうこと、オータニさんならあるだろうな」と思わせる説得力がオータニにはなぜかある。根拠はないが、なぜか、ある。それが先の男性たちの「オータニが性的な成人男性に思えない」発言につながるのだろう。この場合の「男」とは、間違ったことも、キモいことも、不正義も、男どうしならば……と互いに目をつむり許しあえる、ぬるい男湯で生きられる日本の男ジェンダーのことである。オータニはそのぬるま湯には入ってこない、そもそもそのぬるま湯が嫌なのでは……というのが伝わるからこそ、ある種の男たちはオータニに傷つくのかもしれない。

(略)

そんな世界から自分の心を取り戻すために、今月はオータニが必要だったのかもしれない。ミソジニーホモソーシャルな空気をまとっていない(ように見える)オータニさんの“正しさ”に、ようやく深い呼吸ができた。男どうしの「な?」が通じそうもない男に、ある種の男たちが感じる不安の正体を知ることもできた。そして、そんな男どうしの「な?」の通じない世界の風通しの良さを私は心から願っていて、その象徴にオータニさんがいたのかもしれない。女虐めを悦楽にする男たちの下卑た笑いをオータニの最強の光で燃やしてくれればいいのにな。

(略)

https://dot.asahi.com/amp/dot/2023032900001.html

   かなり遠方にいる一部の奴(甲)がやっていることを、それに極めてよく似ている、乙にやらせることができるか、などについては疑問や争いがある

    また、この形式の中でやってほしいというのが最近トレンドであるが、本日の今の時間帯のように、日曜明けの0時51分に何をするのかも疑問である

    今からの朝方の5時30分頃になると何かが始まることは分かっているし、極めて敏速に移動する警察車両が湧いてくるのも確認しているが

   デリバリーヘルス場合、遠方にいる甲がなしうることを、それに極めてよく似た乙にやらせることに何か意味があるか

    仮に、乙が、ホテルの部屋の中で、遠方にいる甲がなしうることと同じことをなしうるとすれば、大人社会全体に極めて悪意に満ちた強烈な力が働いているといわんとしなければならない

  消防次長によると、そんなものはないから、あるときに来てくださいとし、音巻まくらによると、このかたちの中でやってほしいと言い、全体として極めて悪質であるらしい

2024-03-24

ずんだもんのちんぽバトル…

これが日曜午前のトレンドか!イーロン・マスク!これがお前の望んだTwitterなのか!

ずんだもんがXのトレンドにいる…

最近政治的に偏った発言が多い、ショタホモAV男優が堂々とXのトレンドに乗るなんて日本のXは終わってるよ!

2024-03-20

anond:20240320175750

高音は敷居が低い

大量生産できるのが高音型

 

対して低音は声帯の長さが全て

開発の余地がない

 

なので、高音で量産型に→歌踊りトーク差別化ってのが十年くらい前のトレンド

anond:20240320093951

海外旅行好きの女性って何か特徴ってあるのかな。

そういえば旅行好きにしばしばみられる行動として、訪問場所の事前チェックがある、とふと思った。

国内海外わずだし、男女問わずだけど。

旅行に行く前の準備行為として、絶対に逃すべきではない場所食べ物を入念にチェックする。

現地でセルフィを撮って、インスタなどSNSで送る、という行動がみられる。

最近では、インバウンド来日する外国人にとてもよくみられる光景だ。

映え写真をとっては、憧れのいかにもNIPPON!な光景に興奮して即座にSNSで送る。

旅行好きの人たちにみられるこれらの行動は、スタンプラリーとほぼ同じ意味を持つ。

日常との差異体験やよその世界ちょっとだけ繋がったりできたことの証明自己顕示が欲しいのだ。

その意味で、他の人のインスタと同じ構図で撮影することが現地に到達したこと証明するうえでとても重要

このような形で消費される、「日常では手に入らない新しい体験」は、要するに、「ごっこ」であり、エコツアーにしてもアグリツーリズムにしても何しても、

現地との関係性を一瞬だけ体感できる、という意味で、旅行者が憧れていた「日常との差異」や「関係性」を消費する行動なんだろうな。

さて、それが近年の傾向なのか?というと恐らくそうではなく、これは、かつての絵葉書を送るというスタイルから変化した形で、

東海道五十三次時代からそうであっただろうし、男女にも差がなく、古今東西それほど大きな違いはなさそうだ。

日常との差異を消費し、疑似的な関係性に癒されるというのは、昔からあったのだろう。

ところで、僕は男性で、わりと旅行好きというか、仕事柄、年がら年中、スーツケースをころがしている。

そんな男性立場からみて、女性のほうが傾向として強く、逆に男性に弱いことでひとつだけ思い当たることがある。

それは、旅先で一時的体験する関係性を、その後も持続させようとする傾向だ。

旅先で知り合った人とその後も連絡を取り合ったりとする傾向は女性のほうが強い気がする。


「おもいでぽろぽろ」というジブリ高畑勲監督映画(1991)がある。

都会育ちのOL女性田舎暮らしに憧れる、というところからスタートするこの物語は、農家体験をしてゆくうちに気持ちが変化し、

最終的に田舎暮らし決断するところで終わる。

この映画場合、旅先の地に女性を迎え入れる男性やその家族という存在があるが、

いろいろふりかえってみると、必ずしも現地にそのような迎え入れるひとや団体がなくとも、旅先で憧れた現地に、そのまま飛び込んでいく女性というのをしばしばきてきた。

アジアアフリカ中南米で。かつて、「なんでこんなところに日本人」という世界の片隅で暮らす日本人を紹介するテレビ番組があったが、その番組で紹介しているのも、若い女性の活動が目立っていたように思う。

「男女差」という視点で、いろいろ参考情報をみていくと、例えば

海外留学の男女比も女性のほうが10ポイントくらい高いのだそうだ。

また、男女管理職別で見ると、男性は自社内のキャリアアップ意向が高いのに対し、女性男性よりも転職でのキャリアアップ意向が高いのだという。

男性女性よりも保守的で、外に関心がない、という傾向はそこから見て取れるのだが、

だが!しかし、、、、

果たして、そんなふうに男女差を単純に断じていいのか?とも思う。

それでも確証はないけれども、これらの数字が出ている以上は、それにむすびつく何かしら男女差のような背景はありそうだ。

まずは、男女共同が叫ばれつつも今をもって日本男性社会であるという事実から出発してちょっと考えてみる。

突飛な発想かもしれないけど、1970年代初めごろの歌謡曲で「瀬戸の花嫁」という歌を思い出した。

瀬戸内海小島へ嫁が嫁ぐ様・心情と、新生活への決意が歌われている。

あなたの島へ お嫁にゆくの 若いと誰もが 心配するけれど 愛があるから 大丈夫なの」

当時、女性が他の家に嫁ぐということは、程度の差こそあれ、この歌が表現しているように、

ホームからアウェイに飛び出してゆくことであり、その後一生アウェイで暮らす覚悟必要だった。

ドラマおしん」(1983年)も思い出す。朝の連ドラとしては異例の一年間の長編ドラマとなった「おしん」。

そこでは、さらもっと幼少のころから嫁ぎ先へとひたすらアウェイ過酷人生が描かれ、しまいには終戦時に夫が自殺し、どん底な半生が半年くらい描かれている。物語の後半では、敗戦後、残された子供を抱えて女手ひとつ小売店を立ちあげ、自立してゆき、やがて息子へ引き継いでゆく姿が描かれ、多くの女性共感を呼んだ作品だった。

孫までいるおばあちゃんとなったおしんだったが、おしんドラマは、事業を引き継いだ息子が無謀な事業拡大を始めたことで経営リスクに直面し、育て方を間違えたと自信を喪失したおしん過去を振り返るために旅に出るというシーンから始まっている。一年近いドラマの終盤300話くらいから、その伏線を回収し始めるという、息の長いドラマで、橋田壽賀子、すげえという感じしかない。

アウェイ世界でたくましく生き抜くおしんとは対照的に、登場する男性はどいつもこいつもダメな男ばかり、というのも印象に残った。

「嫁ぎ」に象徴されるように、簡単に引き返せないような事柄に身を投じるエネルギー、勇敢さ、芯の強さは、男性社会のなかで女性文化的に育まれものなのかもしれない。

昨今では、結婚就職になぞらえる向きもあるけれど、かつての日本社会はいったん他の家、姑の支配下に入ったら最後、そんなに生易しい現実ではなかったはずだ。

男性は芯がないくせに保守的で臆病だからこそ外の世界渡り歩いていて、仮に失敗してもギリギリホームにもどってこれる、みたいに何か安全弁のようなもの男性社会のものがもっていた。ふるさと家業を継ぐなんて選択肢が30代くらいの人生の岐路に用意されているとかね。

一方、女性は嫁ぐにしても出戻るにしても自分の居場所を確保するには厳しい世界

「嫁ぐ」という習慣、因習宿命からまれた、抑圧される女性の生きるエネルギーが、むしろ社会を変える力になってゆく。

これはなかなかパラドックスだと思った。

翻って、旅行好きの女性について思うことは、ホームグラウンドからアウェイ世界に飛び込むという意味

かつての日本によくみられた嫁ぐという宿命と旅は似たところがある。嫁ぐ行為が違うのは、それが片道切符であり、二度と戻れない覚悟必要だということだ。

若い女性にとって、日常空間から飛び出す、という旅行体験は、やがては「嫁ぐ」という運命現実世界で待ち構えていた時代には、疑似的に自分覚悟能力を試す場としてより大きな意味があったかもしれない。

嫁ぎ先である日本社会日本人男性漠然失望している場合

希望がもてなければ、いずれにしてもアウェイ世界で生きる宿命ならば、

いっそのこと、旅先の現地でとどまって残りの人生を過ごすことも選択肢としてはあり、くらいの感覚深層心理にあるのではないか妄想する。

一方で、男性のほうは、ホームグラウンドである故郷というもの概念として存在していた時代都市に何世代も定着した人口が急増したここ四半世紀より前の20世紀)は、旅というのは、違った意味を持っていたと思う。

かまやつひろしの歌で「どうにかなるさ」というフォークソングがある。

「見慣れた街の明り 行くなと呼ぶ」

この世界観は、瀬戸の花嫁のようなアウェイ世界で生きる覚悟は感じられない。アウェイでもどうにかなると思っているのだ。

なおかつ、ホームグラウンドを出て行ってもなお、温かい視線旅人である自分に向けてくれていると信じているのであり、「男はつらいよ」のフーテン寅さんとほぼ同じ世界観だ。

そういえば、寅さん映画も、旅先での関係性を持続できないということがひとつの大きなテーマになっていることに気がついた。


民俗学者宮本常一は、故郷を捨てて放浪する旅人考察した文章のなかで、そうした旅人

地元を去って放浪した末に、やがてひょっこりと故郷に戻ってきて、旅先で得た経験や新しい知識を広め、地域活性化寄与する機能果たしていたことを、

世間師という言葉表現した。そんなことも思い出した。

世間師というのは、故郷側の人間が出戻りの人間に対して名付けた呼び名で、一種の敬意が込められている。

嫁ぐということが待ち構えておらず、ゆくゆくは地域社会リーダーシップをとっていかなければならない男性潜在的意識として、旅は武者修行であったり、広く見聞を広め、世の中の解像度を上げるための行為だったのかもしれない。会社組織が全国各地の赴任経験を重視しているのも同じ価値観といえる。

かつて東南アジアへのセックスツアーなどがあったように、赴任先、旅先で恥をかき捨てるのも主に男性だ。

男の旅というのは、ちまちましたもの火遊びのようなもの。家から離れて外の空気を吸いたいというものだ。近所のスナックだったり、家庭が壊れないようにという不安があるからまり大きなことはできないが、脇が甘いから夫が捨てたラブホテルマッチを妻がゴミ箱から発見してしまう。やまだ紫の「しんきらり」という漫画では、そんな情景が描かれていたのを思い出した。

しかし、この四半世紀、女性社会進出や、結婚観は大きく様変わりし、嫁ぐということを前提としない将来像を女性模索する時代になった。

テレビドラマも、90年代以降、女性社会進出を反映して、トレンディドラマ代表されるように、キャリアウーマンがオシャレなレストラン食事する、みたいなシーンが増えた。

東京ラブストリーとか。憧れのロールモデルが描かれるようになったということだ。ドラマ世界にあこがれる、ということが90年代まではあり得た。

しかし、現実女性社会的地位はどうだったかというと、総合職課長以上に登れるのは一握りで、相変わらず賃金格差があり、お茶くみやらと男性社会における旧態依然とした女性役割押し付けられていたのが現実だ。その現実90年代ドラマショムニ」でよく表現されていたように思う。

しかし、時代は変わって、憧れの東京に向かって、急速に人が流入しつづける時代は終わりつつあり、受け入れるキャパもなくなってきた。

中長期的には東京一極集中トレンドは変わらないものの、それは不動産価格トレンドに連動したもので近隣県から流入が中心。一方で、田舎というベースをもち帰省必要な人というのは減っているのではないか首都圏の人は首都圏世代を重ねるし、地方の人は地方価値見出し仕事をみつけ、結婚し、次世代を育てる、という人口流動の安定期になってきたようにも思う。帰省という形でつながっていた地方ふるさとホーム)との関係が途切れてきているといってもいい。

そうなると、都会の人間地方に見出す価値というのものというのは、失われた関係性そのものに重きがおかれるようになるのは自然なことだ。

その結果、その後に続くドラマの傾向としてみても、女性理想像ではなく、もっと実態に即した現実を映し出す、自分探しのようなドラマが増えていったように思う。

一昨年のドラマファーストペンギン」とか「ユニコーンに乗って」なども、スタートアップ企業テーマ女性自画像模索した作品で、近年の傾向を象徴しているように思えた。

ファーストペンギン」のように地方移住テーマにした作品は、アウェイ環境女性ポテンシャルを試そうとするという意味では、「嫁ぎモデル」の延長線上にあるような気もするが、都会との関係性が交錯しながら物語が進むところに、考えるヒントを与えてくれるドラマではあった。


そんなことをおもった。そもそも旅行の話からはかなりズレてしまったけれど、女性が旅に何を見出しているのか、というのは女性人生観ということと絡めて考えてみると、興味深いテーマだとは思う。

とりとめもないメモです。

平成女が昭和アイドルに思いを馳せる

アイドルといえば、私(25歳女性)が小学生の頃にAKB流行っていた。

学校で嵐とAKB話題を挙げない日はなかった気がする。私もFCに入っていたとかではなかったけど、あっちゃんが好きでCD買ったり絶対Mステをチェックしていた。小学校卒業式では、AKB衣装風のブレザーとスカートを着た。

今考えると謎だけど、ハレの日にそういう格好をした小学生女子は多かった。体感で6-7割の女子は、近所のデパートで買ったよくわからんチェーンが腰に付いてるチェックのスカートと胸元の謎ネクタイという組み合わせだった。(セット売りだった)

今は大学生と同じく、はいからさんスタイルが主流らしい。絶対そっちの方がいいと思う。

大人になって、テレビが必需品ではなくなった。テレビ番組を観ることが少なくなった。逆にYouTubeなどの動画サイトを暇さえあれば開くようになって、ある日動画おすすめ欄に昭和の大アイドル松田聖子動画が流れてきた。ふーんって感じで動画を開いた。親がよく「赤いスイートピー」をカラオケで歌ってたか名前は知っていた。

で……気づいたら聖子ちゃんほとんどのシングル曲を聴いていた。歌っている動画を観あさっていた。(昔のオタクの皆さま映像を残してくれてありがとう

それでふと、昭和アイドルって凄いなーとしみじみ思った。備忘録として、私が思う昭和アイドルのすごポイントをゆるく3つ挙げる。




(1)歌うますぎんか?!?


けっして、今のアイドルが下手という意味ではない。

なのでこれは私の好みだが……なぜ歌が上手いと感じたのか少し解説したい。

専門家ではないので発声理論(?)はよく分からない。

けれど、昭和アイドル歌声は「ミュージカルの声」のような印象がある。音に芯があってお腹から出してる感じがする。対して、今アイドル歌声は「ライブハウスで聞く声」な印象がある。声の芯を残しつつ、喉で息をコントロールしている。(違ってたらすみません

歌唱の違いが生じたの理由の一つに、音響技術の向上がある。

昭和アイドル動画を観ると、マイク歌手の声を拾ってくれない場面がたまに見られる。きちんと音を届けるために、舞台に似た歌唱をする→その歌唱法が当時のトレンドとなったと思われる。

平成以降では、テレビコンサートで使うマイクは非常に高性能になった。生放送で観客に音が届くかを心配しなくなり、曲に合わせてさまざまに歌唱法を変えることが出来る→今の歌唱トレンド、となったのかな。

昭和的な歌い方は、それこそ某番組の歌のお姉さんが使っている歌い方で聴いていて気持ちがいい。歌声が伸びやかに聞こえる。

同時に、昭和的な歌い方で今の曲を歌うのはすこし難しいかな?とも感じる。感情の細かい機微などを早いテンポ表現するには向いてない歌い方かも知れない。


(2)ブリブリ衣装かわいい!!!


昭和 アイドル 衣装」と検索すると、パステルカラーの姫みたいなドレスを着たアイドル画像が沢山見つかる。もちろん他にも色々な衣装を着用していたのだが、私の中では昭和アイドルお姫様ドレスの印象が強い。

ドレスを着用するアイドルは今もいるけど、昭和ドレスはまるでリカちゃん人形衣装のような夢夢しいデザインで、はちゃめちゃ可愛い(例: 『センチメンタルジャーニー』の赤ドレス、『風は秋色』の白ドレスなど)

すこし表現を変えると、デザインがめちゃくちゃブリブリしている。フリルと大きなリボンハートが付いていたりして、いかにも母親世代が好きそうなデザインなのかも?

しかし、そのブリブリデザインが「夢の中にいる女の子」「手の届かないアイドル」のような雰囲気をうまく演出していると思う。

こういった衣装が好きかどうかも個人の好みによるけど、ブリブリドレス世代に関わらず全女児の夢だったと私は思う。大人になった今見ても、ときめいてしまう。

余談だが、80年代の後半になるとテンプレ的なブリブリドレスはほぼ消える。その後のバブル期のギンギラファッションも現在レトロブームとして再評価されている。

(3) バックミュージックが良き



令和の音楽番組と聞いてパッと思いつくのが「Mステ」だろう。昭和には「夜ヒット」「レッツゴーヤング」「ベスト10」など、さまざまな音楽番組があった。

また、今の「FNS歌謡祭」のような歌謡祭系の番組豊富新人歌手登竜門だったり、その年の流行歌手などが多く出演していたらしい。

こうした番組では生演奏をバックに歌っていたのだが、このバックバンド技術が凄いと思った。

音楽は好きだけどいうて詳しくないので、何がどう凄いかと聞かれると説明に困る。

レコードに収録されていないおしゃれアレンジ即興なのかはわからない)を後ろでブンブン演奏していたりすると生演奏っていいな〜と思った。

加えて当時(80sごろまで?)のバンドが使っていた楽器ピアノトランペットクラリネットサックスフォーンやウッド・エレキベース……etcクラシック楽器が多い。

なんだかディズニーシーにあるジャズバンドアトラクションみたいで、とてもオシャレだと思った。



おわりに

アイドル業界は激しい人気レースの繰り返しだと思うが、今も昔もアイドルは「選ばれし者」なわけで、貴重な若い時間を使って観客に夢を見せてくれた(くれている)アイドルは本当にすごい。

おニャン子クラブ以降のアイドルグループデビューが多いけれど

個人的な好みで、あややとか聖子明菜ちゃんとかピンで活躍した(している)アイドルが好きだ。

もしタイムマシンがあったら、80年代に行ってみたい。岡田有希子ちゃん河合奈保子ちゃんコンサートに行ってみたい。

一重の人がトレンドに上がってた

二重の人は一重の人に対して優越感持ってんの?みたいなポストに対して「一重が勝手に僻んでるだけ」「卑屈すぎ」「二重だけどどうでもいい」みたいなリプや引用地獄になってた

でも散々二重整形しよう!とかなんでアイプチしないの?とか言われ続け、二重>>>>一重だと思わせられて二重にしようとしないのはブスの僻みwwみたいな扱いされてるの見て来たらそう思うだろうなって

あそこまでボロクソ言われるほどのポストなんだろうか

犯罪だったりモラル欠如してるわけでもない愚痴人格否定レベルにぶっ叩かれて拡散されてるの可哀想だと思った

これも批判されていない人間による上から目線なのかもしれないけどさ

2024-03-19

anond:20240319125719

東京育ちボンボンワイかな

今年も株だけで6,000万くらい生前贈与されてる

20代でざっくり資産5億くらい

給料は1,000万程度だけど

くだらない金持ち同士のマウンティングからも離れ

サラリーマン怨嗟の声をBGM今日も定時で帰って嫁子と遊びます


最近ボンボン界隈のトレンド

いかに親の家業を継がずに資産だけを継承して

ホワイト企業でそこそこのポジションについて面白おかしく過ごすこと


無駄金持ちアピールしているのは、どこか精神を拗らせてるか、半グレだけ。

まともな神経を持っていたら、おとなしく隠れて遊んで、一般市民に紛れ込む時代だと分かる。

2024-03-18

Xの炎上騒ぎ、大体Xとテレビしか騒いでない

X以外のSNSはXと非常に近いBlueSkyでも騒いでないしXソースの日々ネタ探ししてるテレビメディアしか取り上げてない

オワコン同士って感じである

Xもブルーバッジ稼ぎがついて酷くなったがインプ稼ぎは前からあり(それを使ってアカウントを売ったりアフィに使ったりする奴らがいた)

もともと異常に炎上騒ぎが起きやす場所になっていたようである

炎上は確かに正義と悪がはっきりしやすいので議論含めて一概にない方が良かったとは言わないが、100本炎上があったら2本か3本有益炎上があるくらいで、ほぼ無駄炎上な印象だ

少し違う話をするがTwitterは昔からプログラマーが追加とリカバリ機能を増やしたり調整してきたものだとTwitterの元社員は言っているのだが(つまり積み重ね)イーロンはそこをクビにした。イーロンが機能消したり変更した影響で昔よりもエラーがどんどん増えている状態だ。

はっきりと言うが検索機能は分かりやすく「壊れている」

アニメ感想も同じ人しか出てこないし炎上騒ぎも元ネタが辿れない

AIアカウント放置しているのでトレンドおすすめ含めて)に入ったらもう壊れてるなんてものではない。破壊しに行っている

過去TwitterならAIアカウント対応をしていたのだろうが、イーロンはもう手をつけることもなくXにアップロードしたものAIに吸われることを公表している

日本人Twitterへの熱と炎上騒ぎとは一体なんだったのかというのを考えるフェーズに入ったと思う

テレビはおとなしく政治ニュースをしていたらいいのにね…

2024-03-17

anond:20240316203642

その頃Xでは不便になるわー分断されるわーサンダーバード残してよな関西人と、水さすな関西自業自得新大阪まで新幹線繋げろって北陸の泥沼分断が起きていた。

さらに鉄オタが#くたばれ北陸新幹線とかハッシュタグ作ってトレンド入りして油を注ぎタグ作った犯人見えなくなってさら戦争が、流石分断のプロXさん。

2024-03-16

アークナイツそこそこやり込んでるんだけど、コンテンツの一つの統合戦略プレイヤーが「ローグライク」と呼び、そこに更新がある度に、Xで「ローグライク」でトレンド入りして、アークナイツをやってない「本物のローグライク」をやってるゲーム好きが落胆したり、ブチギレてたりするのを見るので大変に申し訳ない気持ちになる。

我が物顔で「ローグライク」の名称を振り回してるプレイヤーを見て、「正式名称統合戦略で呼べばいいのに…めっちゃ迷惑かけてるぞ」と苦々しく思ってるけど、発信力のないゴミクズ泡沫プレイヤーなので、迂闊なことを言ったら、嫌なら止めろ棒でボコボコにされるが目に見てているので言えない。

ゲームとしては楽しいし、課金圧も低く、スタミナを消費せず、対人要素もないコンテンツ豊富にあるので、やることは尽きないいいゲームなんだけど、界隈の内輪ネタでばっかり盛り上がるところと(テンニンカへの無茶振りとか、ケルシーへのババァいじりとか)、攻撃的で排他的空気は本当に嫌。攻略Wikiプレイ人口の割にはいつもギスギスしている。ゲームに対人要素がないからって、ゲーム外で争わないで欲しい。

2024-03-14

[] 2024-03-14

箴言の「愚か者」に関する文を読むと、私自身が本当に愚か者に思えてきます

しかし「自身を賢いとみなす者」「軽率発言をする者」は愚か者以下の存在である箴言にはっきり書かれています

現代ソーシャルメディア時代をまるで言い当てているかのようです。

ソーシャルメディアSNSのこと)では、自身を賢いと思ったり、軽率発言をしている人たちがトローリングをしています

ある人は「匿名活動していたらそのせいで職を失ったので、実名活動するようになりました」と言っていましたが、匿名であろうと実名であろうと、口数が多ければ罪を避け得ないと言われます

かに彼は実名活動することによりたくさんのフォロワーに囲まれることとなりましたが、彼のマウンティングに傷つく人はたくさんいるようです。

私が嫌いなのは、知性で張り合おうと考える人たちのことです。

議論というのは、内容を見て判断するべきものです。それを、「低学歴が何を言っても無駄である」といったことを言う人がいます

まるで高学歴自分は賢いか議論する価値があるとでも言いたいような、そういう人たちがいるようなのです。

肩書が何であろうと、神の前ではみな一人の証人です。

その証人が正直なことを言っている限り、知性で張り合う必要はないのです。

ところで、私は最近、「ユーモア」というものがなんなのかわからなくなりつつあります

例えばちびまるこちゃんで、山田おちゃらけているときに、「ははは、馬鹿臭い」と笑うのは、嘲りに基づいています

あるいは芸能人ネタを見るときも、基本的には馬鹿らしさに対する嘲りではないでしょうか。

たくさんの「笑い」が、実は嘲りに基づいていたことを認識すると、何が良い「笑い」なのかわからなくなってきたのです。

一言えるのは、私が犬と遊んでいるときの笑いは嘲りではないということです。

そしてソーシャルメディア上の「笑い」の多くが嘲りに基づいていることを認識したので、「ソーシャルメディアを楽しむ」というのが、一体どういうことなのかわかりません。

単に情報を共有するのが目的であるなら、怒りを誘うような「おすすめ」も必要ないし、トレンドタグ必要ないでしょう。必要情報をくれる人をフォローすればいいだけです。

しかしこの「必要情報をくれる人」というのも厄介で、必要性に基づけば99%はノイズなのです。

すると、ソーシャルメディアの使いみちはもはや「仲のいい友人と連絡を取るためのツール」ぐらいで良いような気がしてきますし、知性をひけらかすために他人を煽る必要はないと思うわけです。

要約すると、「愚か者以下の存在」がソーシャルメディアユーザーには多くいますインフルエンサーがその例でしょう。

歴史的に培われてきた、箴言のような倫理観は、現代において軽視されているように見えます

ソーシャルメディアに保存された情報は今後何十年と経っていったときにどうなるのか。恥ずかしい黒歴史を溜め込むだけのものになっているかもしれませんね。

Xのインプレゾンビ爆ぜろ

気になるニュース単語トレンドにある→覗いてもインプレゾンビばかりで生体のポストが分からないの繰り返し

本当にインプレゾンビ邪魔だし燃え尽きてほしい

検索でもミュートキワードが効いたら楽なんだけどなぁ

マイナス検索は面倒くさい

どうでもいいけどインプレゾンビって単語考えた人天才だと思う

別に収益化は気にしないけど頑張ってトレンドワードくっ付けた内容がないよう(笑)文章インプレゾンビが湧くのが嫌

anond:20240226154807

なんかこう

インターネットが広まって一気にオタク趣味に脚光が当たったからか

こういう「自分オタクだと勘違いしてる人」がすげぇ増えたよな

その反動が「コンテンツを愉しめなくなった自分」とか「グッズに執着を失った自分」みたいにして定期的に放流される

そもそもオタクじゃなかった人間が、オタクとして振舞っていたんだから、そりゃ当然に興味を失うんだよ

でな、典型的なのが「価値を論じるようになる」事

そういうもんじゃないだろ?

例えば押し花趣味にする時にさ、家にストックした押し花は「価値があるから取って置いた」のかい?って話

勘違いしてる人は、そういう境界認識できないんだ

だって本当は好きじゃないんだもの

紛い物なの、似非なんだよ


オタク的にガルパンアンチョビが好きだって場合

他人にとって価値があるかどうかとか関係ないのよ

一般人には全く価値がないだろう缶バッチでも、好きだから入手するわけ

「これは価値がある」とかで保有するのはチガウんだよ


キョロ充と言う存在もそうだけど

自分に合わないコミュニティにしがみ付くの

悲劇しか生まないから止めた方が良いと思うんだよ

特に、そこを抜ける事をポジティブに書く人は、完全に人生無駄にしたよね

知り合いにトレンドや界隈での評価値ばっかり気にして

人気のあるコンテンツを消化

ドールもグッズも、人気のあるものを買って

一定の時期が来ると「高く売れた」と喜んでた奴が居たけど

こういうのを「おたくだなぁ」って思うか?

2024-03-13

anond:20240313233108

自決なんてしてもなんも変わらんで

氷河期世代があれだけ自殺しまくっても何もかわらなかったやろ?

今のトレンドサイレントストライキ

子供を産むと経済的に困窮する、親が老いると経済的に困窮する、何もしなくても困窮するし助けてはくれない

ってネガティブキャンペーンをしつづけることで、日本回復不能経済ダメージを与えるってやり方

気づいてももう手遅れってのが今

anond:20240313142952

よし、みんなで力を合わせてエレファントモシモシをXのトレンドにしよう。

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