はてなキーワード: トランスフォームとは
起きる
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枕として使っていたクッション類を退避させる
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ソファベッドの上に置いてる低反発マットレス、掛け布団、毛布を畳んで押入れにしまう
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背もたれの後ろに無駄に空間ができるので部屋が広くなるように押して移動させる(割と重い)
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退避させておいたクッション類をソファに良い感じに配置する
眠くなる
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ソファクッションとして使っていたクッション類を退避させる
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ベッドモードにする空間がないのでソファベッドを後ろに引っ張って移動させる(割と重い)
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押し入れから低反発マット、毛布、掛け布団の順で取り出しベッドメイキングしていく
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退避させておいたクッション類を枕として配置する
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布団に入って寝る
最初は毎朝夜にカチカチやって毛布をソファベットの裏に隠す/出すくらいだったんだけど
引っ越しして高い重めの掛け布団買って寝心地最適化するために低反発マットレスとか揃えて部屋全体もインテリア揃えてオシャレにしたりして、
気づいたら作業がここまで膨らんでいた
ベッドじゃなくてソファベッドにした理由は面倒くさがりでなるべくベッドの上から動かず生活できるように、だった気がするんだけどこれじゃ完全に本末転倒だよ
このソファベッド割とお高かったんだけどもうゴールしていいですか?
2020年前半、B級映画監督でも却下するような狂ったクソトラウマストーリー展開でファンを震撼させた推しも、最近やっと面白コンテンツとして復活してきた。気がする。
けれど、もう周りはすっかり疲弊している。
実際私も疲弊している。
推しが出てる配信動画を見ながら、「共演者の皆様は親しげに推しと会話してるけど心の中では『あんなダサいことした人と共演するのやだけど仕事だからしょうがない…終わったらさっさと帰ろ…』と思ってるに違いない」と邪推してしまうのはバカバカしいし何の得にもならない。が、どうしても考えてしまう。
どんなに推しが前に進もうとしていても、「でもあんな醜態晒したんだよな…」が頭を過ぎる。恐らく降りてもこの人を見るたび思い出すたび一生頭を過ぎる。
あのクソダサ醜態を経て、これから先どんな風に芸能界で生きていこうとしているのか気になる。
これから始まるのがサクセスストーリーなのか、悲劇なのか、喜劇なのかは分からない。
まず、炎上直後に生放送でベソかいてた姿から見事にトランスフォームし、開き直って元の調子を取り戻した様子がそう思わせた。
開き直らないとやってられないんだろうな。
そして、何より今までが面白かったことも展開への期待値を上げる。
ファンというよりはワイドショーを寝っ転がって見る下世話な人間として、推しという名のコンテンツを消費して楽しんでいく。
生きろ、推し。
あなたにはまだ、疲弊してボロボロ他界寸前の、崖っぷちに手がかかっているファンがいる。
這い上がろうとするファンの手を踏みにじるなよ。
新しいファンを突き落とすなよ。
可哀想だろうが、単純に。
せっかく好きでいてくれるのに。
勝手に好きになってるだけ?みんな多かれ少なかれお金出してるだろ、その対価が人を不快にさせるなんてそんなサービスあるんか。
「ズボッガ!デ!ジグドグゥス!!!」
数多の金属が衝突する。
「ズボッガ!デ!ジグドグゥス!!!」
数多の金属が衝突する。
「ズボッガ!デ!ジグドグゥス!!!」
現在この地球の車は絶対に人間を轢き殺さない自動運転車が約98%を占めている
「ズボッガ!デ!ジグドグゥス!!!」
数多の金属が衝突する。
あっ!これはやばい!これ絶対人間を轢き殺す時のやつだ・・・・
やっべ!まじ、これやっべ!
数多の金属が衝突する。
「グリズリイリリ!!」
殺した!
殺してしまった!!
ん?おれ?おれはさぁ、絶対に人間を轢き殺さない自動運転車だぜ!!
すごくね?すごくね?
実はさ、絶対に人間を轢き殺さない自動運転車の中にも2%の不良品があるんだよね!そいつが俺さ!
↑
途中めんどくさくなったけど、わずか2%のイレギュラーな「絶対に人間を轢き殺さない自動運転車である宇宙人の主人公」の今後の活躍に期待できると思います!!
ソファベッドonマットレスon俺&ノーパソ(寝る前や寝起き遊ぶ用)&クッションon掛け布団みたいな感じで今寝てるんだけど
朝起きる
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マットの上に置いてある掛け布団とクッションを床にどける
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ソファを畳んで押入れに
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って手順を毎回毎回踏んでる
最初は家も狭くて物も少なかったし飯食うのもネットやゲームやるのもソファベッド上で全部完結させてたから手順もシンプルだったし割と快適だったんだが
ソファベッドの上に乗せる用のマットレス買ったり引っ越して広くなったスペースに専用のダイニングやPCデスク環境作ったりする度に手順が増えてこんなんなっちまった
冷静に考えてみると毎日2回もよくこんな面倒な手順踏んでるなって
実際これどう思うよ?万年床化するのは甘えか?
残業徹夜勤務バッチコイ30歳年収700万クラス(残業込み)の都内企業所属。
子ども産む前は、仕事大好きで同期の男性たちからも「働きすぎ!倒れるぞ」と心配されてました。自分でも働きまくったと思います。
責任が重い仕事はストレスがあれど楽しく取り組みました。何度も言いますが仕事大好きです。
女が責任が重い仕事を避けるとか、楽な仕事を好んでするという話、よく見てましたが自分はピンと来ませんで、
「また女を武器にした人がズルしようとしてるのか」くらいの感覚でしたよ。ええ。そんな彼女達はワタシの事を、異端と思っていたようで結婚したときも「仕事と生きるのかと思ってた」と言ってましたし、産休前も「子ども持とうと思ってたの?」と驚いていました。
ええ、こちらも女を武器にするズルい女は軽蔑していましたし、大嫌いでしたけど。
しかし、子どもを産んでワタシはトランスフォームしました。身体も心もです。
ああもう元の社畜に戻れない。
だって、子どもと一緒に居たいんです。心の底からこの子の成長を見守ることが喜びになってしまった。
もちろん、仕事は好きですから続けたいです。でも1番は子どもになってしまった今、仕事は子どもの生活費を稼ぐ最低限でいいや、と思ってしまう自分がいます。
ああ、これまで女であることを利用せず生きようとしてきたのにここで、、と思うけど、それでも楽な仕事に落ち着きたい自分がいます。悲しい。
マキナフォンヤ・ク…当時の末端価格で3万ギル…は欠陥だらけの試作機。
この間…その命の灯火尽きるまで預言書を信じてたので、凄絶のフォルトゥーナオンライン辞書を引きながら異界文書を訳してたんだけど、めんどくさくなって偉大なる兄弟達<ビッグ・ブラザー>トランスフォームに波動が満ちて集束し、解き放たれたら意外に優秀でバックアタックだ! 太陽言語の文章も俺……いや、俺たちよりきれいでなんかちくちくちくちくちくちくちくちく、ちっくしょー!!
まるで何者かの意思が介入したかのように弦を文字列と誤訳するあたり、主に使役(スレイヴ)していてはるのがどういうリージョンなのかが窺えてほっこりして封印を施す。
昔から、勝手に顔だけで近しさのような何とも言い難い感情を抱いてた人らが、こんなに普通の顔だったっけか、と新聞のインタビュー写真二度見してしまうようなことがここ最近立て続けにあった。
平野氏、別に島田雅彦みたいなんではないけど穏やかでとっつきやすそうな丸顔になってたし、世耕氏はどことなしすっきりしてオタク感薄れてるし、ケラ氏はアク強いカエルのイメージが優しそうなおっさんに後退トランスフォームしてた。
ベニントン訃報から久しぶりに洋楽ニュースをスクロールしてたら気のいい兄ちゃんといった風情の黒髪、誰これ?うおっピート・ウェンツぅ?フォールアウトボーイの。ゴスって絶対顔面にコンプあるよなー、デブの方はよく見りゃイケメンだもんなと失礼にも思っていた10数年前から遠くここまできて、近所の三十路の善人感をスナップされたその笑顔をしばしぼんやりと眺めてしまった(その後引っ張り出して聴いた、シュガー、ウィーアー…)。
イケメン見てあーあ!と思う怒りのないまぜになったやっかみと同様に、才能も努力もあまりに及ばないであろうこの人らに、顔面は同じようなもんなのに!という嫉妬感じてたのだろうか?いやむしろハラハラしていたんだと思う、この顔を出して、非難されないだろうかという、それこそ自分の強迫的容姿コンプの内面を勝手に投影した思いで。メディアで顔見るたびちょっとドキっとしてたもんな。
そして非難されてほしいという、再矯正か自罰みたいな気持ちもあったんだと思うわ、今にして思えば。誰も彼をも自分の中で基準を容姿だけにおいて、知らず可・不可に選り分けていたんだな。
容姿ディスが日常の親の下でだいぶん強迫観念的に自分を卑下してて、無駄に卑下してるのは分かってたけど、周りの反応見るにそれが不当なものとも思えず、鏡の前、電車の窓に映る姿でいつまでもうだうだ己の顔を眺めていた10代、20代だった。髭と眼鏡と髪型で誤魔化し隠して防御して、今じゃいつの間にか気付けば鏡を見るのは顔洗う時と歯磨く時ぐらいに減っていった。ヒゲ可の職場でよかった。
もし今自分が高校生なら年中マスクしてる自信がある。ガエル・ガルシア・ベルナルの顔に生まれたかったと今でもふと思う。
宇多丸氏の映画評論が下品で、本人ごと嫌いなタイプだったんだが、CSのミニ番組で、10代の自分について、不細工で運痴で冴えない俺は映画館に座ってこの暗闇にこのまま溶けていきたかったという回想独白してたの聞いたとたん急激に好感度が上がったし(だが評論は好かんまま)、変態仮面の人、誰だっけ、鈴木亮平か、俺は顔で勝負するタイプじゃないんだと若いころ悩んだ末に悟ったとインタビューで語ってたり(いやいや明らか男前っしょとは思うが)、こう自信ありげな人が容姿について自覚してる過去を吐露してるの見ると誰であっても切なくなってしまう。
年取るとみなよい顔になるということもあるのか?人前に出ることが多いから顔がキリッとしてくるのか?写真に写るからには美しく撮るためのお膳立てにたけた様々な人が周りにいるのか?いろいろ謎。
社会的成功も、人を魅了する才能の生んだ果実の数も、美しい伴侶(世耕氏は知らん)も自分にはないが、単に彼らも自分も同じ分だけ年をとって、努力の多寡はあるかもしれないが足掻きはして、美醜より他に考えないといかんこと山のようにあって、人生でいろんな人間の顔を見てきて、皆よい顔に見えるようなここに立っているのか?まあこんなことたらたら書いてる時点で自分はコンプ吹っ切れてはないんだが、10数年前の、今よりずっとずっと悩んでたことと、他人を無闇に顔だけでジャッジしてたことを思い出して、なんかしんみりしたので書いた。いや違うな、「思い出す」ほどには離れてたのかと思って、そこにしんみりしたんだ。
この人らの仕事も性格も知らずに顔面だけうんぬんするなとか、この人らは別に不細工ではないでしょとか、偏見内面化を上乗せしたルッキズムの極みとか、能力があれば顔は関係ないなら能力ない不細工はどうやって尊厳保ってんだよとか思われるかもしらんが、それでも持ってる自分なりの自尊心とコンプとの長い葛藤というか、言及するために挙げてしまった、許してくれ