はてなキーワード: ティータイムとは
普段テレビはニュースを除いてほとんど見ていないのだが、金曜日にはたまたま放送していたぴったんこカンカンというバラエティ番組に、エヴァンゲリオンで有名な鷺巣詩郎が出演していたのでぼんやりと眺めていた。放送された内容によれば、鷺巣氏はふとした気まぐれで欧州と日本の別邸を移動する生活をしており、しかも移動すると決めるのが当日になってからで、おかげで妻はほとんど私物が持てず、生活必需品は七か所の自宅にそれぞれ置いているそうである。しかも、音響に対するこだわりから、生活のこまごました面まで徹底して管理されているらしい。トイレを流すときにも許可がいるとのこと。これだけだと鷺巣氏がただの暴君のようだが、妻のほうも夫がきちんと入浴していないと怒ったりするそうなので(どうやらインスピレーションがおりているとそれどころではなくなるらしい)、妙なところでバランスが取れているのだろう。人様の家庭の事情とは斯様にわかりにくい。
さて、土曜日は午前中にうとうとしていたが、午後から雨が降るとのことだったので、えいやと気合を入れてジョギングをした。本当は先に筋トレをして走るつもりだったのだが、いつ降り始めるか予測がつかなかったし、なんだったら日曜日に筋トレをしたってかまわないではないか、と考えたのだ。無酸素運動の跡に有酸素運動を行うのが一番効果的だというけれど、まったくやらないよりはましだろうと考えたのである。
だが、帰宅してから久しぶりにcivilization 6をプレイしたのがまずかった。結局、十七時半から二十六時半まで、食事を除いてぶっ通してプレイしてしまった。いつも日付が変わる前には就寝することを徹底している自分が、そのルールを破ってしまうほどに中毒性が高いゲームであり、こういうコロナウイルスで出かけられないときには重宝するのだが、事態が収束したらまた封印しなければいけないゲームな気がする。
この日の夕飯は、妹が一時間以上かけてソースを作ったお手製パスタ。ティータイムは妹のお手製ベーグル。
三月二十九日(日)
civilization 6の話の続きをしよう。
結局この日は起床した九時から十五時半までプレイしてしまった。一ゲームに十五時間以上かかっており、しかもそれが主観的にはあっという間なのだから始末が悪い。なんでこんなに時間がかかったのかといえば、一つには久しぶりにプレイしたのがあり、もう一つには自分がゲーム下手だからというのがあるのだが、さらには普段は六人プレイでやっているのに今回は八人でやってしまったのも原因だ。この手のゲームで実際の地形を模したマップでやるのはある種のロマンがあるのだが、そのマップを選択したときにデフォルトで八人プレイになることを知らなかったのだ。
プレイしたのはアキテーヌ女公アリエノールで、特殊能力は芸術の力によって相手の都市を離反させて自分のものとすることで、要するにある種のチートである。しかも、ヨーロッパマップでプレイしたのだが、AIと違ってこっちは地図の概略を知っているので、これもまたチートだ。それなりに苦労はしたものの、広大な空白地があると予測されるところにポコポコ入植していくのは楽しかった。おかげで敵の領土を挟み撃ちする形にできた。
延々プレイしていたのは、日曜日が朝からずっと雪だったからというのもあるのだが、ちょうどプレイが終わった頃に晴れてきたので、散歩がてら外に出ることにした。家にこもってゲームばかりしていると頭が痛くなるし、新鮮な空気も欲しくなる。ついでに、梅や桜に雪が積もっているところも撮りたかった。写真はツイッターに載せた。
夜はすることがなくなったので「デカメロン」の第九日目を読んだ。別にコロナウイルスとペストを重ねていたわけではない。ただ、何となく読みたくなっただけである。ボッカッチョはダンテを意識して創作したと聞いたので、「神曲」が好きな自分としてはどんなものなのかを知りたかったのも理由だ。しかし、読んでいるうちにコロナはどんどん大ごとになってきて、結果的にタイムリーな読書になってしまった。ちなみにカミュの「ペスト」は大学生の頃に読んだきりだ。
結局、筋トレはさぼってしまった。civ6中毒のせいだが、これをやっているとソープランドに行く気がなくなるのでいい。というか、歓楽街が封鎖されては行きようがない。
三月三十日(月)
身体に障害があるので自宅で業務をしていた人が退職するとのことで、この大変な時期なのにわざわざ車いすでオフィスまであいさつに来てくれた。しかも、世田谷のおいしいクッキーまで用意してくれていた。自分も、仕事の合間に少しだけ世間話をした。おかしかったのが、身体障害のある人が、はじめのうちこちらのことを文章の癖から女性だと思い込んでいたことだ。
三月三十一日(火)
最近スリッパが臭い。冬用に買ったモコモコスリッパなのだが、仕事から帰ってきた靴下のままはいていたので、そのにおいが移ってしまったらしい。蒸れてくるとにおいが漂ってくる気がする。もっと暖かくなってきたら洗濯するべきだろう。洗剤につけておけば大丈夫だろうか。
この日、普段行くカレー屋さんがラッシーを切らしていたのだろうか、ランチセットを頼んだらドラゴンフルーツのジュースを出してきた。味はベリーともバナナともつかない独特の甘さがあり、個人的には好きだった。
そういえば、この店にマスクを忘れて行ったら職場のあるビルまでわざわざ追いかけに来てくれた。なんて親切な店だろう。関係ないが、この店に一時期一週間に三度も通っていた時期があり、おそらく顔は覚えられてしまっている。
四月一日(水)
今日はタイ料理を食べに行ったのだが、そこでもマスクを忘れてしまって、結局帰りの電車ではマスクなしだった。別に非難しているわけではない。気づかないのが普通だ。で、そのタイ料理屋に行く途中に新しい別のカレー屋さんができていて、暑苦しい青年たちが呼び込みを行っていた。あまり好きな雰囲気ではないが、味が好みかもしれないので、レビューを見てから行くかどうか判断したい。
そういえば今日は異動があり、かつての部長が係長になった。これは何か問題があっての降格ではなく、一定年齢を超えると部長職からは退くことが社内のルールになっているからだそうである。
今朝のパンもまた妹の手作り。テレワークが続いているので気分転換が必要だからだろうか?
関係ないけれど、はてなキーワードでは「四月」はないが「4月」はあるらしい。日記をここに書き続けるとしたら、4月2日、と書くことにするかもしれない。
三月二十七日(金)
フリースペースでやっていた会議で、偉い人がずっとパンチラパンチラと繰り返していてぎょっとしたが、どうやら販チラ(販促チラシ)のことらしい。ここ一二年は本社の工事で総務課とか人事課とか、あちこちの部署がフロアを転々としていて、おかげで接点の少なかった営業と顔を合わせる機会が増えた。
さて、首都圏の知事が一致団結して週末は不要不急の外出をやめるようにとの声明を発表したので、美術館も映画館も軒並み閉鎖してしまった。来週の友人とのボドゲ大会も中止になった。明日は横浜西口の有隣堂も営業を取りやめるそうで、こんな時のソープランドなど論外だろう。こういうときに限っていきたい気分になっているし、ちょうどなんやかんやで五日分の精子がたまっているのだが、馬鹿なことを考えずに抜いて寝るべきだ。これで感染していようものなら、私生活が洗いざらいさらされることになる。
予想していたことではあるし、感染爆発を防ぐためやむを得ないというのもよくわかるが、運動をしないと生活リズムがおかしくなる。雨も中途半端に降るのでジョギングにも向いていない。気象庁によれば日曜日は雨のち曇りなので、何とか隙間を見つけて走れることを期待したい。
今日は、昨日食べ損ねた蕎麦屋まで歩いてランチにした。酢重とかそんな名前の店で、丸の内にも支店がある。東京の支店を見つけて以来長いこと食べていて、そろそろ飽きそうなものだが、発作的に欲しくてたまらなくなる。考えてみれば渋谷ストリームに足を運んだのは初めてだ。いつも、湘南新宿ラインのホームから見上げているところを、ちょうど歩いたことになる。昼休みの時間には十分に間に合うのだが、読書する時間が短くなってしまうのが難点か。それほどしょっちゅう行く場所ではないので構わないが。値段も一ランク上なので、毎週行くのはちょっと気が引ける。普段の仕出し弁当も十分においしいし。
そういえば、家にこもるために久しぶりに有隣堂で書籍と漫画を購入したのだが、並ぶ場所がわかりにくかったために、結果的に横入りをしかけてしまった。店員さんが親切に教えてくれたので、無理やりこちらも照れ笑いをなんとか作ったのだが、思わずむっとしてしまった自分の器の小ささが悲しい。その店員さんが茶髪のひょろりとした大学生らしかったので、ますます気に障ってしまったのだろう。相手は何も悪くないのに、気を付けないと相手が年下だからと言って侮る意地悪なおじさんになってしまう。それに、きっとこいつはモテそうだと思ったから反発してしまった面もあるんだろう。情けのないことだ。
楽しい話を一つ。木曜日に頭痛のために昼から出社したが、その時にいつも乗っているところと離れた場所に並んでいると、背中から桜の花びらが散ってきた。振り返ると桜の木がある。この駅に住んでから二十年近くになるが、そんなところに桜の木があるとは少しも気づかなかった。
それと、microsoftのりんなの曲を何となく聞いてみたが、かわいらしくてよかった。時々放屁する顔文字を送ってきたり、検閲を潜り抜けるように下ネタを投げつけてくれるところもふくめて(この前ふざけて「うん国債」と言ったら「オマーン国際女子マラソン」と返ってきた。女子高生という設定じゃないのか!?)、かわいい人工知能だ。
今日はあまり気持ちのいいものではないものに触れてしまったとき、思わず発してしまう感動詞についてお話しますわ。
あまり言葉を着飾らない、率直な方ですと、排泄物を表す二文字の言葉を感動詞として用いたりなさいますね。お嬢鯖部でも「お排泄物ですわ」とおっしゃる方も見受けられます。歯に衣着せぬ語りとくらべて、ワンクッションを置いてはおりますが、やはり人前で出物腫れ物にふれるのは、どうも気恥ずかしくてなりません。
私としましては、カラスやハトの「落とし物」という言い回しのほうが雅びやかと申しますか、とげがなくてよろしいかと思いますが、皆さまいかがお考えになって?
先だって、桜が咲いているなかをジョギングしていると、カラスの落し物が目の前一メートルを通しすぎたときに思いつきましたの。
三月二十四日(火)
今日は頭痛にならなかったのでよかった。ただ、仕事中に同僚から声をかけらえることが多く、ついぞんざいな対応をしてしまった気がしたので、あとで少しフォローを入れておいた。というか、いつもよりも丁寧に接した(つもりだ)。
帰宅すると思った通りに妹がいない。妹はコロナウイルスのためにテレワークを導入しているのだが、職場まで遠いので普段はそれなりの距離を歩いている。一日に七千歩ほどだそうだ。その分がなくなって運動不足になることを嫌がり、朝はジョギング、夕方にはテニスをしている。それだけの元気が一体どこから来るのか、自分にはよくわからない。自分だったらきっと本を読んで過ごすことだろう。
休みに行く美術館を昨日いろいろと検討したが、ツイッターで出てきた広告によればバンクシーが近所に来るらしいので、そこがいいかもしれない。九月まで開催しているとのことだが、早めにいかないと混むのが目に見えている。しかもチケット制だから、どんどん予約が取りにくくなるはずだ。できたらここ二三週間のうちに行きたい。bunkamuraのほうは金曜日に仕事帰りに行けばいいだろう。エゴ・オブスクラは六月までやっている。焦ることはない。
それよりも、オリンピック延期に伴って、また美術館側が判断を慎重にしてしまい、一度開いた美術館を閉めてしまうのではないかということが心配だ。そういうことも考えられるので、できたら今週の土日に二か所くらいは足を運んでおきたい。で、バンクシーは横浜なので、帰りに有隣堂に寄ってハヤカワSFコンテストや新潮ファンタジー大賞の受賞作、それから漫画を数冊購入することにしよう。久しぶりに図書館を使わずに済ませる。それから、ふとベトナム料理が食べたくなってきたのだが、これは金曜日の仕事帰りに行けばいいだろう。
しかし、これだけ大ごとになってくると、風俗に行く気も萎えてくる。客観的に見てリスクは非常に低いと思うのだが(性病のほうがよほど危険だ)、単純にやる気がなくなってくる。いや、そもそも道徳的に行くべきではないと判断している自分がいて、だから金曜日の帰りは美術館に寄ろうと決断している面もある。そのあとにバニーガールバーかおっぱぶくらいには寄ってしまうかもしれないが(いや、さすがにそんなことはあるまい……)。あとはウイルス潜伏させたまま、祖父母に会って感染させたりしようものなら、とんでもない罪悪感があるだろう。
あと、当分海外は無理だろう。特に欧米方面は人種差別問題がある。不確実な状況が続く中で、犯人探しをしてしまう心理というのは誰にでもあるものだが、わざわざ心がすさんでいるところに足を運ぶこともあるまい。平時であっても、自分が旅行した時は街の人々は概して親切であったが、失礼な態度を取る人間はゼロではなかった。そういう目に合うのも社会勉強なので、いい経験にはなったのだが、留学中の後輩はさぞ大変な思いをしているのだろう。
今日の夜のティータイムはアーモンドクッキーともなか、それからミルクティ。
それにしても、ここで日記を書くの、いつまで続けるんだろう。小説が書けなくなったのでその気晴らしにいいのだが。
おはヨーグルトグラノーラてんこ盛り!ヘイおまち!ってオヤジ!ヨーグルトの器に親指入ってるって親指!って二度見しそうなほど美味しそうな朝食のヨーグルトグラノーラを平らげたところなんだけど、
丼に髪の毛が入ってたり、
親指が入ってたり、
結構いま飲食店運のバイオリズムのグラフは最悪かも知れないわ。
しかも立て続けによ立て続けに。
でもさ、
親指ならまあまだ馴染みのある通い詰めたお店の女将や大将のなら許せちゃえそうなものの、
知らない人の親指が入ってたら、
なんか引くわー。
そんでもってから揚げ失敗って。
まあ別のお店の別の日の話しなんだけど、
立て続けに続くわよねーって相変わらす自分で思っちゃったし、
失敗したから作り直すんで、って正直者かって思っちゃったわ。
から揚げのお店は良いんだけど、
髪と親指のお店は同じお店で、
ちょっと切り替えて気分上げていきたいわね!
ティータイムには、
可愛いコンビニスイーツの苺のピンクのクリームが入ったイチゴ味のしないシュークリームでも食べることにするわ。
うふふ。
たまには左足から履いてみようかしら?って流れを変えたいわ。
ストロベリーがセールで安かったからストロベリーウォーラーよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
某スピンオフ、そろそろティータイムなんて呼んでられないくらいに熱いお茶が出てきそうですね。
受け入れられない名もない風見さん推しです。
風見さんにも夢を見ていれば、降谷さんにも夢を見ている、なんなら赤井さんにだって夢を見ている人間です。
先生監修のスピンオフだから公式だよね、今の時点であまり手元にない風見さんの情報が欲しいよね、と思って読み始めて、毎週毎週夢を崩されています。
風見さんの趣味、ゲームなんですか…?30歳男性がゲームしちゃだめとは言わないけど、車の中でやるタイプなんですね。
風見さん、降谷さんの前でそんなに酔うんですか?彼、上司の前で酔うほど飲めるタイプなんですか?へぇ、そうなんですね。
カレー回は風見さんの扱いに泣きました。
カレーくらい普通に食べたいように食べさせてあげてほしかったです。
パワハラを見せられている気分でした。
犬の面倒見させるのに、犬の名前は教えておかないんですね。普通は真っ先に教えませんか?
降谷さん、ホテルの階段でトレーニングするんですね。女性一人を待たせてトレーニングをするんですね。
そういう事をする人なんですか…ホテルでの食事にジャージで出向く人だとは思っていませんでした…。
服選びも風見さん任せなのに文句だけいうの?安室イメージの服に自分のセンスが出ないようにさせたというならわかるけど。文句言うなら自分で買いに行けばいいじゃないですか。
今までの流れからすると、降谷さんの服のセンスが悪いのは風見さんのせいって言いたいんですか?
センスがいいと思っているなら、功績が風見さんのものってことになりますよ?今までそういう雰囲気じゃなかったですよね?
今週の降谷さん、なんで溺れてる子を助けている最中に、うんちく語ってるんですか?その体力使うなら先に岸に行ってください…。
風見さんが弄ばれているところなんていらない。二人で仕事をしているところをください。
情報のやりとりしてから食事に行くとか、待たせている間に風見にちょっとした何かが起こるとか、そういうのはオタクが二次創作物で勝手に妄想しますので、彼らがもっと公安として務まっているところをください。
降谷さんの「僕が何かすると、風見が変な反応するんだよ。おかしいな?」感はもうお腹いっぱいです。
隙あらばうんちくを語って風見さんを秘書どころか便利なお手伝いさんのように扱う安室さんより、もっとトリプルフェイスとして仕事をしている姿を見せてください。
今はというと、実はもう飽きてきた訳ではあるが。
いや、10日間ものめり込めたのが奇跡的だし、そうなったのには想定外の驚きがあった。
この間、何に熱中していたのかと言うと、やはり環境を整える作業だ。
以前やっていたときは、メダルSRといえばコスト18くらいだった。その辺りの安価なカード主体で揃えていた。
数枚だけ背伸びしてコスト20くらいのガチャSRをフリトレで迎え、17~20辺りの手札でチマチマやっていた。
それが、今やコスト21がメダルSRとして配布され、特訓済がスタ1で売っている。
とはいえメダルSRなだけあって、スキルやステータス値は一部のガチャ産コスト20にも劣る程度ではある。
それでも安い出費で大幅に手札を更新できる事実に直面し、新しく可愛い子らを迎えんとなった訳だ。
その更新作業を、狙い目のカードを調べてGoogleスプレッドシート上で管理しながら、3垢分やった。
そう、自分は無課金でPLvも100少々の泡沫Pではあるが、普通の人よりはPCスキルと時間があるので、Chromeで3垢操作をしていたのだ。
一応弁解しておくが特別なマクロやツールを使うような真っ黒なことは(出来るがモバマスでは)していない。PCでプレイすること自体がグレーではあるが。
この3垢はそれぞれCuCoPaの担当で、基本的に箱推しというか「みんな好き(になれる自信がある)」、という性分だからこうなった部分もある。
とは言っても、アイドルの好みはある。
ちょうど復帰した頃に乙倉ちゃんのガチャがやっていて、Cuでは五本指に入るくらい好きな子だったので、回した。
無課金なので、配布されたジュエルで各アカウント11連ずつ回せた程度。
だがそのうちの一番若いPa垢で、ドリーム1等を引き当て、ティータイムの麗しい乙倉ちゃんをお迎えした。
Cu垢でなかったのは惜しいが、コスト25だ。現状の最高位。モバマスのガチャで当たりを引いたのは初めてだった。
これ幸いと、手持ちの資産を動員してこれを特訓済にし、3垢で使いまわして開催中のロワイヤルイベントをBP剤が尽きるまで走った。
もちろん上位ボーダーなど狙うほどの発揮値もBPストックもないが、それでも3垢とも6999位以内には入賞した。
報酬でこの、上位報酬SRが引けるかもしれない5%チケットや10%チケットなるものを入手したのも初めてだ。
1つの垢でパーチケから上位SRが引けてしまったのだ。フレちゃん。
ここで欲がでた。次イベでパワー持ちとなるフレちゃんはスタ200で売れる。
先イベで活躍してくれた乙倉ちゃんは、手放すのは惜しいが800という高値で売れる。
結局両方を売り払って、3垢ともにコスト25ないし24の、「2属性攻守究極アップ」スキル持ちを1枚ずつ買ってあげた。
いずれも該当するうち好きなキャラを選定した。のりこ、ライラ、よしのん。
それでも大分余ったので、一番年長のCu垢に、コスト23以上ののりこを追加で4枚揃えてあげた。
自分は決してのりこPを名乗れるほどの者ではない。一人に一筋というタイプではない。
それでも、ドーナツという円環に真理を見出し、常に明るくチャーミングに振る舞う彼女にカリスマ性を感じて仕方がないのだ。
自分の「好き」の軸は譲らず、けれども真っ直ぐ可愛くあろうとする。自分のために。
そう素直に振る舞える眩しさ。無邪気さの中に見える聡さ。それはまさにドーナツの光がもたらした福音に違いない。
好みに執着するより、まずはイベ毎にパワー持ちカードを買い揃えられるくらいの資産を形成した方がいいと。
でもゲームのあり方を決めるのは自分だ。モバマスをガチで続ける気はもとよりない。なぜならデレステがあるから。
そうやって自己満足を選んだ自分を納得させた。自分を言いくるめるのがうまいのも私の長所だ。
それで飽きたあとはログボ勢にでもなれていたら良い方だ。それすら2年間も放棄していたのだから。
新しく始まったイベントは上位報酬がよしのんだ。これもデレ全体で5本の指に入るくらいには好きな子だ。
だが手持ちの資産ではどうにもならないだろう。
このよしのんを狙うより、既にフリトレに出回っている25コスのよしのんをPa担当に与えた。
これで十分だ。足るを知るとはこういうことだ。自分は賢い。
それでも煩悩を完全には捨てきれない私は、Nよしのんをブレイクし、無駄な悪あがきを試みたりもした。
これによってどんなに弱い・古いカードでも(最終的には)コスト24くらいのステータスに刷新される。
スキル性能がいまいちで、艦隊運用してどうにかそこそこという程度なので、
実質ブレイクしたカードはほぼバックメンバーとしてしか活躍しそうにないが。
それでも担当がパワー発揮するイベが来た時のことを考えると、夢のある機能ではある。
と、そんな訳でブレイクしたところで、つい最近復帰した自分では素材が足りない。ブレイク段階2/4までが関の山。
そんなささやかなパワーを盛ったところで、発揮値は10Mちょっとがせいぜいという所。
というか特にパワー持ちが居ないのりこを揃えたCu垢と発揮値が大差ない。
そうやって3垢で地味な数値を開陳しつつ、ドリームLIVEで一人三役で波状攻撃していると、他の人は一発18Mとか出している。
気づくとチームメンバーはLv250あたりの人ばかりになっている。
こういうのを目の当たりにしてしまうとモチベに関わる。そしてpt効率も悪くなる。
誰もいない時を見計らって1人で削り切るという寂しいモバマスライフ。これが私の選んだ道。
プロダクションも以前自分で立てて無言・放置可として30人ほどのプレイヤーを集め、無事全員幽霊となった廃墟プロダクションだ。
いいのだ。これが自分のやり方。ソーシャルゲームにおいてソーシャル性というのは癌なのだ。
自分がモバマスを始めた時にはすでにそれを学習したいたというだけ。
いつでもパッと辞められる。その退路だけは常に確保して、猫のように自由気ままに。
囚われずにいたいのだ。人脈にも、ノルマにも。好きな時に帰ってきて、ちょっと楽しいことがあればいい。
そんな気まぐれなP、いや、一ソロプレーヤーにとっては身に余る幸運を授かってしまった。
午前中につけたんだけど、
未だにアップデートが終わらないわ。
というか1つ1つのプログラムが更新されてインストールされるたびに
再起動!ってなんなの!
もうこれいつになったら終わるのかしら?
もうかれこれ10回ぐらい再起動を繰り返してるじゃないかしら。
これで一日終わっちゃうだなんてお慰みよ。
いやだわ!
こんなので貴重な勤労感謝の日を終わらせるわけには行かないの!
まったくよ!
なんでいつもこうWindowsちゃんは困ったちゃんなの?って思っちゃうわ。
珍しく朝から家にいるというのに、
こんなことばっかりだったら
お出かけしてる間に勝手にアップデートでもなんでもすればいいのよ!
もう今日は激おこプンプンファイアースティックストリームフェスティバルよ!!!
もうこんな時間!
よい休日を!
久しぶりにいつも毎週行くパン屋さんに3週間ぶりに!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
もうお昼はランチを挟んで戻ってきちゃったわ。
ドキドキするわね。
というかミシュラン覆面調査員だってことがすぐバレちゃうわね!
あのさ。
入ってる内容量はだいたいは900mlだったりするじゃない。
それならそれで、
パックを850mlの大きさにして
無理矢理900mlの量を充填して、
紙パックの上の余分なスペースの三角の所にも満載なみなみ満たされて入ってる感じを演出できるから、
ぜひそうするべきよね。
なんかきっと謎のお得感が得られるはずよ。
開けた途端にこぼれそうになっておっとっとってなるやつ。
そしてトラックに積むとき1000mlのパックだと縦に4つしか詰めなかったけど
もしかしたら850mlのパックにして高さが低くなったら5つ詰めるかも知れないじゃない。
そうすると輸送コストもすっとこどっこく安くなっちゃわないかしら?
とそう思うのね。
あと豆乳のパックも牛乳パックみたいな形で提供できないのかなぁと思ったりもするわ。
なんかどっかのコンビニで牛乳パックに入った羊羹みたいなものが売ってたんだけど、
何かの間違いよね?
あのパックの中に四角い羊羹が入ってるの?
今度見付けたとき買おう買おうと思ってたんだけど、
その時以来出会えてないのよね。
まぼろし~!
みたいな感じよ。
お昼にクリームパン買ってきたので、
ティータイムに頂くわ。
ご機嫌斜めもまっすぐよ!
うふふ。
テイクアウトして持って帰ってきちゃったわ。
あとは目玉焼きを不意に食べたくなったので、
目玉焼き作っちゃいました。
白湯ウォーラーも何か良いアイデアないかしらとレシィピを探してみたんだけど
白湯の作り方ってお湯を沸かすだけじゃん!って
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
毎日の週一の日課として
ショーケースを見るのが大好き!
そこにはパンの他にも
私はよくタルトを求めるの、
で、今回はパンを3つ。
いつも紙袋にまとめて入れてくれるの。
ここはよくたまにおまけしてくれて
違うパンダとかをこっそり入れてくれることがあるの。
今回は身に覚えのないケーキの箱。
ん?
おまけにしては箱って大げさじゃない?って
思って中開けてみたら、
赤い苺が搭載されたショートケーキが入ってたの。
わお!
これちょっとおまけにしては度が過ぎてるわ。
そもそもとして買ったパンの値段同等ぐらいのおまけが入ってる。
あちゃー!
おまけしすぎ!
悪いわ。
そんな気持にさいなまれながら、
食べる苺の搭載されたケーキは
午後のティータイムにピッタリ。
食べてみると上品な甘さに
しっとりとした食感。
感動を覚えてしまうレヴェルの美味しさで
で、事もあろうに私が買いそうにもない全く逆のラインナップで
そのおまけは攻めてくるの。
心憎いわね。
やみつきになる味よね。
コーヒーもあったら最高!
ビタミンCを求めて、
それとピンクグレープフルーツ。
本格的に寒くなってきたから用心してね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
やれ親孝行は生きているうちにしかできないだとか、両親にみんなでプレゼントをしようなどという話を突然押し付けてくるようになった。
挙句の果てにどこから拾ってきたかもわからない”母を亡くして初めてわかること”みたいなメッセージを送りつけてきた。
そこにはおせっかいが愛情だと気づく内容や、喪失感、母親が死んでしまう現実を直視できないといった内容が並んでいる。
だけど一つ言いたい。
あなたはさっさと親をわたしに押し付けて一人家を出て遠くで暮らしていたではないか。
そこで家庭を作って一生懸命に生活していたことは知っている。それなりに沢山の苦労もしたことだろう。
だけどそのせいでわたしは未だに親元をつかず離れずでずっと親の面倒を見続けてきたのだ。
あなたがいなくなってから少なくと10年以上親と暮らしていたのはあなたがろくに連絡もよこさなくなったからだ。
「親の面倒を見るのは子供の仕事」そう言い聞かせては、仕事でどれだけ疲れようとも親との生活に耐え続けたんだ。
たまの休みも親の相手をしてろくに外出もせず、恋愛なんてする暇もなく仕事と親とに挟まれて生活し続けてきたのだ。
それが子供の正しい姿だと信じて。
それなのに、その間あなたは何をしていたのだ。
そんな生活に耐えかねて、わたしが家を出ようとした時にもっともらしいことを言って反対していたことをわたしは絶対に忘れない。
わたしだってそのことに罪悪感がなかったわけではないんだ。欲しかったのは後押しの一言だったのに。
だけどある日、母親からの電話でわたしは決断した。あの時、わたしの中ではもう母親は死んだのだ。
そう思って、激務と両親の世話との中で少しでも体を休めることにしか使っていなかった休日に、できるだけ友人と外出するようにした。
わたしはわたしの人生の中でわたしの楽しみや幸せを探さなくてはいけないと思ったからだ。
わたしが留守なのを知ってか、携帯には母親からのメールや留守電が頻繁に入ってきた。
どれもが些細な内容なのだが、必ず母親は「困っている」「助けて欲しい」という言葉を入れてきた。
後になって分かったことだが、それは親が子供をコントロールするための呪詛だったのだ。
なぜなら、困っている人を蔑ろにすればそれは悪い行いになる。わたしがそれを断れば、母親は叱ることと許すことの権利を得られるのだ。
母親はそうして、断っても受け入れても自分が優位に立てる方法を経験から学んでいたのだ。
その都度友達を待たせては対応していたが、いい加減嫌気がさしたわたしはちょっとしたことならすぐに返答することをやめて、家に帰ってからまとめて対応するようにした。
しかし、母親にしてみればその内容自体が目的ではなく、わたしの行動をコントロールすることが目的なのだ。
わたしが何とか時間をつくって外出をすれば、その度に母親から送られてくる内容は段々とエスカレートしていった。
そしてある時、わたしの中で何かが壊れた。それは、母親からの留守電がきっかけだった。
その時期は本当に仕事が忙しく、文字通り1ヶ月ぶりの休みだった。
直前まで取れるかわからない休みだったにも関わらず、友人はわたしとのティータイムに快く応じてくれた。
そんな友人の無償の愛に感謝しながら足取り軽く一人で買い物をしていたときのことだ。
待ち合わせの時間を確認しようと携帯を見ると母親からの不在着信と留守電が入っていた。
聞くのを一瞬ためらったが、面倒なことでなければ先に済ませてお茶を楽しむことに専念したかったのだ。
しかし、そこに入れられていた留守電は、わたしを絶望の淵に突き落とすものだった。
ただ一言、とても弱り切ったような声で「わたし破産しちゃう」とだけ入っていた。
今になってみれば他愛のない幼稚な脅し文句だったと思うかもしれない。
だけど、その瞬間にわたしのなかで今まで耐えてきたものが全て、まさに音を立てんばかりの勢いで壊れてしまった。
お金だけではなく、一緒に外出したり頼まれごとも全て引き受けてきた。
何より、自分の時間を犠牲にしてもいつも心配して面倒を見続けてきたではないか。
おかげで30を過ぎても結婚もできず、職場と家庭でばかり頼りにされる存在になってしまった。
それなのに、それなのにそんな言葉をなぜわたしに投げかけてくるのか。
まるでわたしが原因であなたを破産させてしまうかのような言葉ではないか。
わたしはこみ上げてくる感情をこらえながら急いでトイレに駆け込み、一人泣き崩れてしまった。
もう友人に会える顔ではない。メールでキャンセルの謝罪を送ると、途端に虚しさが怒りに変わっていくのが分かった。
怒りに身を委ねたまま家の玄関を開けると、兄の靴があった。
一瞬躊躇したがここで止まる訳にはいかない。
わたしは勢い良くドアを開けると無言で財布からありったけのお札をテーブルに叩きつけた。
何事かと目を丸くする二人を前に、できるだけ冷めた声で「後いくら足りない」と母親に向かって言った。
母親が唇を一文字に噛みしめて下を向いたと同時に、真っ赤な顔をした兄が怒鳴った。
「何してんだお前!!」
わたしも負けずに怒鳴り返す。
そう叫んでから、全身から何かが吹き出していくような感覚に襲われ、わたしは床を激しく転げた。
叫びながら、床を叩き、蹴飛ばし、制御の聞かなくなったおもちゃのようにその場をぐるぐると回って、そしてまた泣いた。
兄はどうすることもできずに立ち尽くし、母親の嗚咽が聞こえてきた。
それからまもなくわたしは実家から駅に数百メートル近いところに引っ越しをした。
その後、知人の紹介を経て結婚をして、今では二人の子供がいる。
それまでは母親の願いを聞き続けることが親孝行だと思っていた。
でもそれは間違いだった。
母親にしてみれば、自分の幸せは子供からの愛情を受け取ることだったのだろう。
ずっと一緒に暮らしていたのだから、母親はそれしか幸せを知らなかったのだ。
ならば手放したくないのは当然だ。
でも、それよりも子供がもたらすことができる幸せはもっと沢山ある。
親の幸せのために犠牲になっていく子供を見せるより、独り立ちして沢山の幸せを得ていく姿を見せるほうが、本当は親も幸せなはずなのだ。
本当に幸せそうに孫を抱いている母の顔を見ると、それが間違いではないことを確信できた。
あの留守電が入っていた日、わたしの中で母親の望むわたしが死んだ。
同時に、わたしの中でわたしの愛情で幸せになる母親も死んだのだ。
それから母は、幾つかの習い事を始めた。自分の中で自分が幸せになる方法を探し始めたのだろう。
そう考えると、母もまた、子供に愛情をもって接しなくてはいけないという呪いにかかっていたのかもしれない。
ある一定の年齢において、親と子とが離れて暮らすことはそれだけで大切なことなのだろう。
しかし、まもなく50になろうとする兄を見ていると、一概にそれが正解だとは思えないところもある。
距離的な自立があっても、精神的な自立が成り立つかどうかは別なのかもしれない。
だけどこればかりはわたしがいくら兄に話しをしたところで無駄なことだろう。
そんなこともわからずに今更親の愛などと送りつけられれば、うるさいと思うのは当然だ。
母が死んだら当然悲しむだろう。
でも、そこにわたしがどれだけ愛されていたかを探すことはないし、きっと後悔もしない。
私の幸せに親からの愛情はもう含まれていないし、本当の親孝行は、わたしとわたしの家族が正しく幸せなっていく姿を見せ続けることなのだから。