はてなキーワード: ツーカーとは
○ご飯
○調子
むきゅーはややー。お仕事はひまひまー。
復刻イベントマジでデイリーしかしてない。流石にあと2日で20箱は厳しいなあ。妥協ラインを作るか…… 5箱ぐらい?
マルチボスピックアップマジでデイリーしかしてない。流石にあと一週間で取り切るのは厳しいなあ。妥協ライン作るか…… 限定素材取得ぐらい?
機械反乱編のルナルート、ユリアスルート、ユアンルートをクリア。
ガラクタを自称し家族と会えるのに会わないエンネアと、悪い子を自称しもうパパとママとは会えないルナという、家族に対する関係の違いが面白かった。
ルナがギルド争乱編を経て友達の大切さを知っているからこそのお話で、マンマル1号とエンネアの3人で楽しく遊ぶシーンや綺麗な1枚絵のシーンも日常のほんわかしたお話が多くて好き。
特にマンマル1号は今までのストーリーにいないコメディキャラで、明らかに死亡フラグが立ってるのが悲しくなるけど好きなキャラだ。
機械反乱編ユリアスルート改めユリアスモノラブラブルート。と茶化したくなるぐらいには、ユリアスとモノがイチャイチャするストーリーだった。
闘争を求めるユリアスに休息を与えようとするモノの健気さ、回想の中で自分をネジに例える詩的なモノ、姉妹を助けることを生きる意味でその後の事は知らないと言い切るモノの強さ、ファーストワンアンロック時のモノの格好良さ、とにかくモノにまつわる良い演出が多くて最高だった。
そんな魅力的なモノがいるからこそ、ユリアスの闘争バカっぷりの裏にある悲しさが際立つ。
モノはストーリーもだけど、カードのデザインもこれを踏まえたフレバーが組み込まれてて素敵なカードだ。リノセントクロニクルでの新しいモノも使ってみたいな。
機械反乱編ユアンルートは、ジェイツーを通じてユアンのキャラクタ性が伝わるいい話だった。
ユアンが機械に宿った心や意思を尊重し見た目は違えど同じ意思を持った人間だと認めるくだりや、死にそうなジェイツーに優しい嘘を付くところなど、怒りの復讐者ユアンのそだれだけじゃ無い優しいところがたくさん見れて面白かった。
ツーカーってどうなったんだっけ?
特定の嗜好叩きだ
まず声を大にして言いたい
私は左右固定腐女子だ
逆カプは受け付けない
攻めが受けになるのも受けが攻めになるのも受け付けない
例外は攻め×公式攻めヒロインあるいは受け×公式受けヒロインだ
同軸、別軸関係なくリバが受け付けない
逆カプはカプ名を見るのも嫌だ
この前提条件があった上で、私は攻めと受け、そして彼らを取り巻くキャラクターたちの箱推しであることが多い
逆カプ&リバ無理腐女子は大人なので逆カプ&リバは見つけ次第黙ってミュートかブロック行きだ
そうしてパブサしてると攻め×受け固定の人、結構な頻度で受けが最推しな人が多い
攻め太×受け郎を探して攻め太×受け郎オタクが攻め友×受け郎や受け友×受け郎を嗜んでいることが多々ある
実は受け郎×攻め太も嗜みますというオタクならば他ならぬ私自身のために出会わなかったことにする
けれど時折、受け郎が幸せならそれでいい運動家にはぶっ飛んだのがいる
以下は全部違うジャンルの話
ジャンルとカプ特定されないように一部フェイクを入れてるので矛盾があるかも
ケース1
「攻め太は攻め友と和解してはしゃぐのはいいけれど受け郎のことを二の次にしているから反省して」
いや「はしゃぐのはいい」ではないじゃん
暗にはしゃぐな言うとるやんけ
受け郎を最優先してほどほどに喜べじゃんか
ちなみにこのジャンルでは受け郎が受け友と同じ展開になったときにはお祭り騒ぎだった
受け友×受け郎が溢れ返り、攻め太×受け郎でも受け友の手の平の上で転がされるいじられ攻め太ネタも掃いて捨てるほどあった
受け郎には喜ぶことを許され攻め太は許されない
「受け郎は受け友と和解してはしゃぐのはいいけれど攻め太のことを二の次にしているから反省して」とはまず言われない
ちな、攻め太×受け郎で攻め太の昔話をする攻め友に嫉妬した受け郎の責任も大体攻め太が取らされる
ケース2
攻め太に片思い中の受け郎
攻め太は受け郎の気持ちに気が付かない
ある日攻め太が見知らぬ女(十中八九肉親)と歩いていたところを受け郎が目撃
「攻め太のせいで傷ついてなんて受け郎は可哀想なんだ。あんな奴やめて俺にしとけよ」
攻め太に悪いとこあったか?
案の定肉親だったけれど、仮にそうでなくとも責められるいわれがあったか?
受けを除く万物の男は異性と関わってはいけない法律でもあんのか?
あるいは片思いをされていたら思ってくれる相手のために純潔を守れと?
受け郎が別の男とヤることヤってても攻め太より大半の場合罪が軽い
攻め太が受け郎のお気持ちお察ししないのが悪いことになり、見守る周囲から非難されることだってある
ちなみにこれが攻め太が受け郎に片思いしていると一途であることを求められる
女に走ろうものならば受け郎は「他の女触った手で触らないで」と拒絶する権利を得る
攻め太は受け郎に「他の男に抱かれた穴近付けんな」とはほぼほぼ言わないのにな
ケース3
「私が受け友だったら攻め太のこと後ろから刺してる」
…………………………………………は?
「普通に考えて私が受け友ならポッと出の分際で受け友が長年連れ添った受け郎の彼氏面する攻め大嫌いだし後ろから包丁で刺し殺すけど受け友は心が広いから許す」
追加の受け友が攻め太を見逃す理由が「受け友は受け郎の幸せを誰より願っているから」
つまり、攻め太は知らぬ内に命を賭けさせられている
無断で
受け友は攻め太を弟感覚で可愛がってる
例えばだけど
「普通に考えて私が攻め友ならポッと出の分際で攻め太が押しの弱いのをいいことに家に住みついて嫁面してる受け太のこと大嫌いだし後ろから刺し殺すけど攻め友は心が広いから許す」
なんて発言あったらどうかな
殺害予告怖すぎ
大人しく受け友×受け郎に行って攻め太のことは話題に出さないでくれ
受けが幸せならなんでもいい派に一定数受けの幸せの礎になれることに喜びを見出しすぎて受け以外に犠牲を当然のように強いる人いるね
書き手×受けでも書いてろよ
こちとら攻めも受けも好きなんだよ
受けにだけハイパー甘甘優しい接待BL異世界小説求めてねえんだよ
総受けとも総愛されとも違う
受け郎接待役になろう!か受け郎の引き立て役になろう!って感じですね
攻め太は受け郎の接待役不採用になりましたので受け友からの包丁が後ろから襲ってきますが普通の異世界怖い
ケース4
「受け郎に誘惑されて好意を抱いた一般人を殺して回る攻め太(悪いのは好意を抱いた一般人、責任は受け郎にそんなことをさせた攻め太)」
攻め太の公式紹介
全キャラで一番温厚
怒り方を知らないので代わりに怒ってくれる受け郎がいる
あーハイハイ暗黒微笑ね
いや別に温厚なキャラが実は一番強いとか暗黒微笑とかはいいんだ
でもこれ、誰彼構わず誘った受け郎より誘われて好意を持っちゃった一般人が悪いって……
まあ、受け郎は受けというだけでキャバ嬢並みの言動してても天然無罪だもんな
ハマってしまう方が悪いんだよな
「攻め太のことも好きです」
攻め太も好きだから受け郎の攻めに抜擢してるのはわかった
もういいよその言い訳は
そんな免罪符掲げて攻め太に鞭を受け郎に飴をやる受け郎幸せにし隊の隊員は見飽きた
受け郎に鞭打てとは思ってないんだ
功罪を元の持ち主に返せと言ってんだ
攻め太の人間関係も友人も功績も全部奪って受け郎に献上して罪だけ攻め太に押し付けんな
書き手×受け郎にしとけ
話は全く違うけど、二次創作BLあるあるのヒエラルキートップのオカマキャラが大嫌い
二次創作BLで受けの肩しか持たないペット、式神、使い魔、召喚獣等のマスコットキャラも大嫌い
書き手が乗り移ってるだけだよね
攻め受け両思いで付き合ってても何かしら理由付けて攻めにキレて攻めに説教するの好きですよねこういうマスコットキャラ
突然攻めが受けにキスしたら発狂して説教はじめるけど、受けが同じことしたらそっちはそっちで羨ましい!絶許!攻めそこ代われ!だよね
令和攻めとか攻めに要求する前に受けは令和受けと呼ばれるほどの存在なのか?
チクショー!
地雷ばっか!
注文の多い繊細ヤクザ腐女子は地雷が多すぎて自給自足して今日も生きる
リバは対等理論いらないです
そんなもんだから地雷踏んでも愚痴はこういうとこで吐き出そうね
でも攻めにだけ厳しく受けにだけ甘々な環境は廃れて欲しいと思いました
検察庁法改正の1番の問題は、安倍ちゃんとツーカーの仲の人間が現在検事長で、定年延長によりその人が出世して検事総長になれる可能性が高いということ。
検察は刑事訴追権を有するから安倍ちゃんやそのお仲間に有利に刑事訴追権を行使するかも…とか言われてるね。
三権分立がどうとかというのはよく分からないけど、少なくともこの法改正で安倍ちゃんと愉快な仲間たちに有利な方向になるのは間違いないと思うよ。
三権分立がどうこう言ってるのは正しくない!今回の法改正は少子高齢化のためやむを得ない!という人は、今回の法改正があまりにもタイミングが良すぎるという事にはどう反論するのかな?
コロナでわちゃわちゃやってる時に、法改正を行うことで本来検事総長になれないはずだった人が検事総長になれちゃう上に、その人が時の首相安倍晋三氏の子飼いの人間というミラクル。
これが本当に偶然かな?
(いくつかフェイクあり)
カウンセリングを受けて何かと楽になったので、知見を共有したい。
それに、カウンセリングを終えてからそろそろ1年が経過するので、ちょうど過去を振り返るのにちょうどいいと考えた。
増田でも、多くの人が「カウンセリングに行ってみたら?」と時には本気で、時には冗談で言うのだけれど、そこが実際にはどんな場なのかを知らないせいで、行くのをためらっている人が多い現状を、変えたいというのもある。
増田だけではなく、ネット上の多くの人が、少しでも楽になれるように祈っている。その助けになれば幸いだ。
長くなりそうだし、愚痴っぽくなるのも嫌なので、代表的なものだけを箇条書きで挙げる。
臨床心理士の資格を持っている50代の女性。中学生くらいの子供がいるらしい。
髪の毛が長く、少しやせ型。落ち着いた物静かな女性だが、明確な自分の考えを持っている印象がある。初恋の人に似ている気がするがおそらくは気のせいというか、投影しているのは間違いない。
初回は風景構成法を行った。これはカウンセラーの指示に従って、順番に山や川、家や田んぼ、人物などを配置していくもので、専門書に当たれば具体的な解釈方法が書かれているが、自分は専門家ではないので省く。当日に描いた作品を今になって振り返ってみると、道のど真ん中に障害物の石が置かれていたり、山が雪に閉ざされていたりと、寒々とした印象を受けた。描かれている人間も逆立ちをしていて、何やら不穏である。蛇も不気味にとぐろを巻いていた。
二回目からは主に夢分析を行った。カウンセリングとカウンセリングの間の一週間に見てきた夢を記録して、それを材料に話をする。つかみどころがないようだが、意外なことにかなり効果があった。理屈はわからないが、この治療中は同じようなテーマの夢を見るようになる。さらに、肝心なのは夢の内容そのものではなく、夢の話をしているうちに自分が何を思い出したか、あるいは漠然とした印象をどのように語りなおしたかで、それによって、自身の考え方の偏りや傾向が見えてきた。現に、夢の内容を話す時間は案外短く、後半の三十分は、そこから思い出した過去の出来事や近況、それについて自分がどう感じたについて話し合うことに費やされた。そうした雑談をきっかけに、突破口を開いたこともある。
夢分析が行き詰まった時には、箱庭療法を試みた。これは、砂の敷かれた箱の上に人形や模型を配置していくもので、話しながら人形を動かしたり、砂の上に模様を描いたりした。うまく説明できないが、非言語的なものを明確にするのに役立った気がする。例えば「このタヌキ(の置物)は寂しくて困っている。友達がいなくて寂しそう。上下がひっくり返って困っている。悲しくて暴れている」などと比喩的な話をすることで、日常使っている言葉の論理で語りたくないことを口にしていた。小さな人形を触っているうちに気分が落ち着いたり、逆にひどく動揺することがあったり、不思議な経験だった。箱庭療法の最初の一回も、自分の心理的混乱が反映されていたのか、人形同士がにらみ合ったりひっくり返ったり無意味に積み上げられたりと、非常に張り詰めた印象のもので、カウンセラーも「ちょっと怖い」という印象を漏らしていた。
これらの技法は、ある種のきっかけというか呼び水だった気がする。どんなことを語っても許されるというか、傾聴してくれる場というのはそれだけで貴重で、話しているうちに自分の思いがけない本音や、ダブルスタンダードに気づいた。また、夢のような一見「どうでもいい」話ができる仲になることで、普通は人に話すこともはばかられるような、野外オナニー願望についても話すことができた。
治療も後半になると、こうした技法はほとんど用いず、通常の雑談に近くなった。自分はこういうことをしてこう言う結果になった。自分の気持ちはこうだ。そうしたことが素直に言えない人のために、これらの技法はあるのかもしれない。
始め、自分は藁にも縋るような思いでカウンセリングを申し込んだ。と同時に、どこか疑ってもいた。自分はカウンセリングの技法についての基礎的な知識はあったし、大体どのようなことをされるのか予想がつくと思い込んでいた。精神分析に関するフロイトの著作だって読んだことがあるし、河合隼雄の「ユング心理学入門」も読んでいた。しかし、カウンセリングの概略を知っていることと、実際にカウンセリングを受けることとは、まったく別の経験だった。水泳の理論と、実際に水に入って泳ぐこと以上に隔てられている。なんといっても、何年にもわたって定期的に同じ人間と会うのだから、必然的に相手には強い感情を持ってしまう。結局、人間が強い感情を持つのは人間に対してであり、人間が変わるのも対人関係を通してだ。
カウンセリングでは何について話すことも自由だった。幼少期の悲しみ、いじめられた経験、両親から受けた不条理な仕打ちなどなど。それだけではない。女性にするべきではないとされている話もした。自分の性生活、自慰行為、風俗店での出来事など、自分は露悪的なまでに細部を語ったが、しっかりと耳を傾けてくれた。
そして肝心なのが、何度同じ話をしても相手は退屈する様子を見せない点だ。自分は、同じ話を繰り返すことで忘れていた細部を思い出すことがあったし、それに新しく意味付けをすることもできた。
最後に、カウンセリングの時間が終わりに近づくと、カウンセラーは僕の話した内容を簡潔に言い直す。そうすると、自分はこういうことを考えていたのか、と毎度のように驚かされる。まとめられた内容を反芻しながら次の一週間を過ごすことで、自分の考えが深まっていった。他にも、自分がすべての不平不満をぶちまけた後で、それに対する解釈を投げ返されることで、その負の感情を自分の一部として取り込むことができるようになった。「あなたがそこで腹を立てるのは当然だ」「あなたの感覚はそれほどおかしなものではない」という趣旨の言葉を返してくれるだけで、自分の過去を少しずつ受け入れることができるようになっていった。
ところで、カウンセリングに通ったのが、2014年3月から2019年8月のことなので、4年以上も同じ人と毎週のように会っていたことになる。途中から自分の気分が落ち着いてきたので隔週に切り替えたのだが、それでもかなりの頻度だ。自分は、自分のあらゆる感情や悩みをぶちまけて、それでも受け入れてくれる存在がうれしかった。モテないあまり風俗に浸っている自分を軽蔑しない彼女の存在が尊く思われた。
珍しくないことだが、自分はカウンセラーに好意を持つようになった。自分は、職業倫理上その気持ちは受け入れてもらえないことだと知ってはいたけれど、「あなたを尊敬しているし、とても強い好意を持っています」と伝えた。カウンセラーからは「私もあなたと会うのが楽しみです」という趣旨の返事をもらった。と同時に、僕は、なぜこのカウンセラーが好きになったのかをじっくり考えだした。すると、自分には好きな人に自分の悩みを洗いざらい吐き出したいという願望があったのだ、と気づいた。同時に、自分は知的水準の高い女性に強いあこがれを持つことも改めて認識した。年齢などどうでもよかった。比較的若く見えるが、相手は五十代の人妻で、自分が手を出すわけにはいかないのだけれど、叶わない想いだとは知りながら、相手に尊敬の念を持ち続けるというのは、思ったよりも悪くなかった。おかげで、自分にとって他人を好きになるとはどういうことかを言語化できたし、他人を尊重することを身をもって学んだ。
一人の女性を好きになり、それを軽蔑されたり馬鹿にされたりしないこと安心感を、自分はたくさんの悩みに取り組む支えとしていった。僕は、このカウンセラーのことが好きになれて、本当によかったと今でも思っている。
過去のどのようなつらい経験も、自分はそれぞれ意味があったのだと、迷いなく考えられるようになった。それから、今までは様々な物事を与えられて当然だと感じていたが、やっとのことで与えられた物事に感謝することを学べたように思う。
また、自分の恐れの感情やトラウマにとらわれずに行動できるようになったことで、自分の外側の世界に対して、うまく働きかけることができるようになった。
もちろん、上に書いたような悩みのなかには、直接解決しなかったものもある。でも、それはそれで仕方がない、と受け入れられるようになった。
何よりも現実検討能力がついた。不安を不安のままかかえておけるようになり、不安で頭が真っ白になることがほとんどなくなった。自分の中の膨大な不安のエネルギーが、落ち着くべき場所を見つけたかのようだった。
悩みの解決の過程を言語化するのは難しい。自分の考えがどんな風に変化していったかを記すにとどめる。人によってたどるべき道のりは異なるし、僕の頭の中の理屈をそのまま文字にしても、納得できないことは十分に考えられるからだ。
過去のいじめ、対人関係のトラブルはとても悲しいものだった。でも、おかげで自分は人をできるだけ傷つけないようにしようと心掛けられるようになった。それと同時に、絶対に誰のことも傷つけない発言・表現というのも無理だとも知った。男性であれ女性であれ、相手を一人の個人として尊敬することが大切であり、それは自分と相手は異なっていると認識することだ。だから、できるだけ丁寧に接することは大切だけれども、自分と他人は別の存在なので、礼儀正しくしていたとしても、絶対に不快な思いをさせないでいることは不可能だ。かつての自分は、自分が女性から不快な思いをさせられた経験から、絶対に女性を傷つけてはいけないというルールを自分に課していたのだけれども、それは不可能だと知った。過度に自分を縛る目標は、ある種の呪縛だ。
それに、世間にはいろんな女性がいる。優しい人、冷たい人、知的な人、ちゃらんぽらんな人。一人の女性が自分に暴力を振るったからと言って、そうでない人もたくさんいる。女性一般や平均的女性像みたいなものに、振り回されなくなった。
フェミニズムとの距離感もうまく取れるようになった。納得できることはうなずき、わからないことについては調べ、おかしいと思うことには反対する。それは、フェミニズムだけではない。自分とは違う考えの相手に対する対応の仕方と全く同じだ。
仕事に関しては、転職をした。自分の能力に見合った仕事に切り替えることでやりがいも感じられるようになった。給与は下がったが、例えば600万稼ぐ人間が300万稼ぐ人間の2倍偉いのかといえばそういうわけでもないし、僕にとっての一番大切な価値観は、早寝早起き快食快便が守れる生活が維持できるかどうかだと知った。
男らしくないのではないか、というのも気にしなくなった。世間の価値観がどうあれ、自分が好きなことを好きなようにする。自分らしくあることが自分にとって男らしいことと定義しなおした。
その中で、家族との関係も改善した。今にして思えば、両親は自分と非常に適切にかかわってきてくれた気がする。圧倒的にすがりたいと思っていた両親も50~60代のただの人間なのだ、と実感することができた。しかし、ただの弱みもある人間だからこそ、大事にしたく思えるようになった。距離感が適切になった気がする。
処女厨もロリコンも治った。正確には、そういう願望があることそのものに対して、思い悩まなくなった。一つには、50代の女性に恋をすることで、実際に小学生と恋愛したって、物足りなくなるに決まっていると心の底から理解したというのがあるし、人生経験豊かな女性の魅力に気付いたのもある。さらに、処女厨の根源にあった、「セックスとは汚いものだ」という意識も弱まった。「セックスは気持ちよいものだし、誰かを愛することは素敵なことだ」という感覚しかなかったら、処女喪失を汚れとは認識しないだろう。それよりも、出会った二人が新しく一緒に思い出を作っていくことの喜びに目が向くようになった。まだ彼女はできていないけれども、一緒にデートしたり、他愛のない話をしたり、うとうとしたりしたいし、それに向けて今でも努力している。
女子小学生の裸を見たいという感じもほとんどなくなった。確かにあの年頃の女の子はかわいいけれど、それだけのことだ。どんな感情を抱こうとも人間は自由だと思えるようになったことで、かえってそうしたロリコン的な願望から自由になった。
同時に、野外オナニー願望も消えた。なんというか、得体のしれないドロドロした性欲のエネルギーに、適切な形が与えられた感覚がある。よく夢で、性器を露出したり全裸になったりするパターンが多かったのだけれど、カウンセラーと話すうちに「おちんちん見せるだけじゃ意味ないよね?」みたいな話になり、そうしたことを話しているうちに、セックスって相手あってのことだよね、みたいな認識に到達した(このあたりの話が非常にわかりにくいのではないかと恐れている。ラポール、とでもいうのだろうか、クライアントとカウンセラーの間には、長い間の会話の積み重ねからくる膨大なコンテクストの共有があり、ある種のツーカー関係が出来上がっているので、会話だけも書き起こしても非言語的な部分が多くを占めていて、客観的にはわかりにくくなりがちだ)。
死への恐怖は、とりあえず先送りされた。これは個人的な経験だけれど、死ぬのが怖くてたまらないときというのは、何か大きな変化を恐れているときか、未知のものに飛び込まなければいけないときに強まるような感覚がある。
カウンセラーには日々の出来事を何でも話すことができたが、別にカウンセラーに聞いてもらわらなくても、別に大丈夫になってきた。さらに、ここで話をしても、これ以上自分は楽にはならない気がするようになってしまった。
とても感謝はしているけれども、自分で自分を励ます考え方ができるようになっていて、あとは毎日の出来事を淡々とカウンセラーに報告するだけみたいになっていた。
というのも、自分の悩みを解決できるのは、最終的には自分だと思うようになったからだ。話を聞いてもらって勇気をもらったり、現実的なアドバイスを受け取ったりすることはあったけれども、実際に行動するは他ならぬ自分なのだ。
ならば、これ以上ここにいても、自分は変われないのではないか、という気がした。そして、3月という区切りのいい時期であったので、そこで終えることにした。
最後にもう一度風景構成法を行った。山には緑があふれるようになり、街には人がたくさん姿を見せるようになった。蛇は道や川のうねりへと姿を変えた。困ったときには駆け込めるような病院や、芸術を鑑賞できるような美術館も街に描かれていた。そこでは、たくさんの人々が連れ立って歩いていた。ずっと住み心地のよさそうな風景だった。
卑怯な経営者とか、詐欺師みたいな経済アナリストは税金上げると企業が海外移転するぞとか脅すけど、
あれはみんな、国民なんてバカだから実際のコスト感がわからないから
適当なこと言ってかまして、節税になれば良いやーって思って言ってるだけだからね
実際、法人税あげたって企業は移転を検討するほど経営にダメージなんか受けないの
みんな消費税が10%になっても、転職したりしないで我慢するのと一緒
日本は労働者も優秀だし、治安も良いし、商慣習だってお互いツーカーで通じる
海外に行けば、読み書きできない足し算引き算もできない労働者がザラだし、
商慣習も日本とは異なる。
10年前に安い人件費に釣られて中国に行き、現地で騙されたりカモられたりで散々な目にあった企業は多い
それら全てをコントロールしようと思ったら、法人税なんて物の比じゃないぐらいコストかかるの
そういうとこやぞ 横
ってのもアオラーみたいだからもうちょっと丁寧に書くと、「サークル」は日本語でいうと「同人」なのよ
同人てのは志が同じ人たちね
志が同じ人たちは普通なら、同レベルまたは近いレベルで、長くやってればまあツーカーで話がつうじる。
あいつはコレがやりたいんだなってわかるから、足りないとこもよく見えるし、
今んとこ邪魔にしかみえないけどまあやりたいことからすると切れないってこだわりもわかる。
当人たちにしたら切磋琢磨にせよ、外部からみたら一から・他人からじゃない分はすべて「なれ合い」。
で、そのなれ合いにもまざれない人が、あの人たちはなれあいなんかじゃない!って言ってるのなんかほんとかなしい絵柄だよね
この方「背景も小物もしっかり描いてほしいと伝えなくてはならない」って言ってるけどこのままではまた失敗しそうなので余計な事を言ってみる。
今度依頼するときはまず最初の段階で「このシーンを斜め上からの視点で上半身を。表情は明るく。背景も入れて欲しい。」等ピンポイントかつ具体的に依頼をした上で、小説全文だけでなく描くのに必要な情報(キャラの外見や衣装や小物、背景となる場所の描写や説明)をまとめたものも渡してあげてください。しっかり描いてほしいじゃなくてこれを描いてほしいって伝えてくたさい。全文完読してその中から貴方の気に入るように絵に起こして貰おうというのは依存し過ぎです。絵師さんはエスパーではないし余程気心知れたツーカーの仲でもない限り貴方が希望を伝えない部分を絵に反映するのは無理です。そして伝えるタイミングは早いほうがいいです。同じ絵師さんが他の文字書きの方に素敵な表紙を描いていた事と比較して自分には描きたくないのだと判断されていましたが、果たしてその方は貴方の様に何のすり合わせも指定もせずにその素敵な表紙にたどり着いたのでしょうか。
また、ラフはあくまでもラフです。事前に指定していないのだったら背景が描き込まれていない事を手抜きと考えるのは早いと思います。背景を描き込んだのに大幅な変更になればまた一から描き直さなければならなくなってしまう可能性もあると考えれば入れません。だってすり合わせも指定も無いんですから。まずラフで方向性を決めてそれに沿って背景や小物等希望があれば追加する事もできたかもしれないのに、それもせずにOKを出しておいて描きたくない嫌われていると言われるのは悲しいです。
俺、30代後半男。妻一人、娘一人。それぞれ40代前半、3歳。妻とは5歳違い。
ただ、日常の食事に関しては妻がメイン。日常の掃除に関しては俺がメイン。
適材適所的にそうなっている。
その頃から妻の様子が変わってきていた。
それまでは割とツーカーの仲で、毎日お互い会話が成り立っていたのだが、最近は…
■やたらと会話を早々にフィニッシュされるようになった
昔に比べて凄く増えた。俺がそう感じるようになっただけかもしれないが、明らかに増えている。
結局、何を言ってもほぼ二言三言目にに「そりゃそうでしょ」「考えりゃ分かるでしょ」で返答しづらい形で返ってきてしまい、
コミュニケーションのつもりで喋っていた事も、あまり俺から話題を振りづらくなっている。
今まではそんなに無かったんだが。。。
■基本的に喋るのが面倒なのか(疲れているのもあるとは思う)、娘の様子もあんまり教えてくれない
我が家は共働きなので、娘の保育園送り迎えをお互いの仕事の時間の都合上、9割方お任せ気味にしてしまっている。
なので、俺が自宅に帰って来るときは娘が寝る直前か寝た後かなので、
ひと段落着いた後に「娘どうだった?ご飯食べた?風呂は?」と聞いたら
「………………んぁ?食べた。風呂も入った」
まあそれなら良いけど…俺が聞きたいのは、イヤイヤしなかったかとか、
何食べて何残したかとか、ご飯中園の話したとか、単純にどんな会話したかとかそういうことなんだが…
何度か聞いてみたとき「何でそんなこと聞くの?」と言われ、
そのまま会話が終わったことがあった。
一応俺も娘の親なんだぜ…?
仕方ないか。
■無言の圧がキツイ
そうなると、色々と敏感になってしまったのか、
やたらとドキンとしてしまうようになった。
なお、元々お互い喫煙者だったが、俺は止めて妻はまだ換気扇下で吸っている。
何かあったとき、行き場所が換気扇下で、換気扇がオンになったときも「あぁ…」って思ってしまう。
考えすぎかもしれないけど。
■娘と俺との会話を遮る
例えば、娘とおもちゃで遊んでいる時。
娘「これなーに?」
俺「ちょっとお父さんに貸して」
と言った瞬間、妻が娘を俺から遠ざける。
何でも、好きなようにやらせたいと。
ただ、何でもかんでも俺が取ろうともしてないし、
というかほぼやったこと無いぞ?
例えば蓋を開ける、積み木を積む、ペンで絵を書く…
且つ、ある程度の補助(?)指導(?)も大切なのかなと思う。もちろん、バランスが大切なんだろうけど。
ただ気になるのは、何故俺は手助けしてはいけないのか。
妻は例えば一緒に絵を書いたり、積み木を並べたりしている気がするが…
俺はほぼ全て、「貸してごらん」は止められている。
それとか、神経衰弱とかじゃんけんとかが出来るカードをもらって、
キャラクターものだから娘も興味を持つし、「これなーに?」と聞いてくるし、じゃあ一緒にやろうか、
娘と一緒に遊ぼうとしたら「わかるわけないでしょ」と止められた。
そりゃそうでしょ。
3歳の子供が複数の遊びが出来るカードで、しかもそれらのルールを完全に分かるわけないでしょ。
だから、教えながら俺と娘と、楽しめばそれで良いじゃんと思ったので、カードを取られて遊びを止められたのはショックだった。
これらのことが多々ある。
妻と娘と、散歩にいくのか玄関で虫除けや日焼け止めや塗ってたとき、
で、洗面所で顔洗ってたら、
気がついたら玄関出てどっちに行ってるのやら…
と言うこともざらにあった。
そんなこんなな、ボタンの掛け違いというのか、
これは妻と娘に申し訳ないなと思っている。
でも、どうにもずっとここしばらくそんな感じで対応されてるから、
じゃあもういいよ、わかった、好きにすれば?喋るの面倒なら俺も聞かないよ、喋らないよ。
と投げやりな感じでいたら、
娘にもそんな態度は酷いとか、その他ぼろくそに言われ、
妻が言うには「娘への圧が凄い」と。
つまり、俺はそんなつもりが無かったが、
こうあってほしい、あああってほしい、と言うのが露骨に出ていると。
ご飯は残さないのが当たり前、風呂はイヤイヤしないのが当たり前と押し付けていると。
確かに、風呂はスムーズに入って欲しいなとか、保育園に登園するとき
もっとスムーズに出来ればとは思っていたが、子供なんてみんなそんなもんでしょとも思っていたので、
そんなこと言われるとは露ほど思わなかったのでかなりショックだった。
幸い、娘は俺にもちゃんと懐いてくれるのでホッとするんだが、
妻から「圧がキツイ」「娘に『貸して』は妻から取り上げられる」と思うと、
今まで通り娘にも妻にも接したいのだが、
妻に詰め寄られることを考えると娘にも迂闊に話しかけづらくなってしまった。
なぜこうなってしまったのか。
アイドルや女優を見て「まじでかわいい!」と興奮しながらいうの楽しい
↓
↓
女友達が可愛い格好してたら「それかわいい!」って褒めるの楽しい
↓
本音ぶちまけあってるようなツーカーの同僚の女の子を「かわいい!」って褒めると気持ちがいい
男から女にかわいい!っていうと下心あるみたいで言えば言うほどやらしい気がして控えてたけど、
「かわいい」と言う事を抑圧されている分だけ、「かわいい」と発すると妙な開放感があってすがすがしい。
かわいいと言うのが楽しすぎて、関係ができていない相手にも「かわいい」と言いたくなるんだけど
流石にそれは越えちゃいけないライン超えてるんだろうなぁ
弥生とかの会計ソフトか税理士をいれてる事業所ではほとんど意味がないが、会計ソフトを入れても全然つかえない中小だの自営(飲食とか農家とか家内制手工業っぽいとこ)だと嫁にきてくれまでいわれることもあるかも
資格につながる、不動産は総じてバカでも給料高いイメージある。
ガチ理系寄りだけどコンピューター使えるなら実務よりいいんじゃないの
「ゼロから5カ月でできるのか」っていうと多分無理だけど適性あったら化ける
「AIとかPHPプログラムとか中身が違うものがそれなりにあるけどどれがどうなのかがわからない」
PHPが一番ホームページデザイナーとかウェブ製作者向きだとは思う javaよりは将来性ありそう
AIは教えてどうにかなるもんじゃないだろ・・国策だから入れてるだけで食えるかは別だと思う
・WEBデザイナー(4カ月)
フォトショとイラレとHTML? ←これがスペックにかいてあるならそうなんだろうけど
趣味でできる人もたくさんいる。
仕事にするとなると漫画家やイラストレーターみたいに「下請けからの下積みがながい」「センスが必要」と大変そう
人当たりがいい女性ならいいんじゃないかな お金持ちのおばさんの愚痴聞く仕事かもね
理系度は高い順に AI・PHP・java・建築CAD・経理・ウェブデザイナー・宅建・ビューティ だと思う
数学壊滅だった人は右から試せ 高校数学得意だった人は左からどうぞ
電気工事士はエアコンつける時期とか儲かるやつじゃね? 屋内派遣も多いけど、男性一人暮らし宅に女性が派遣されるのはおすすめできない、日中女性のみ家庭が多いから需要はあるんだけど男性性犯罪者の存在がここでも社会の便利化を阻害してる
意外と運転免許もち(営業二種)とかならすぐにでも職がある場合もあるらしいよ
あとよさそうだとおもったのは夫婦で工務店やってる人で職場でもいつも一緒でツーカーってやつ
女性ひとりだとやりたくないけど男性が一人付きそうだけで安定する職業いっぱいあるよね・・
同じように男性一人だとまかせたくないけど奥さんがいるだけで安定してまかせられる職業もあるし
溶接ってト○タとかだと全部工場のロボットにやらせてる(スポット溶接1台あたり1000点やらせても間違いが出ないから)って聞いた
これから残るのって工場のロボットや溶接済部材をもちはこべない大きめのものつくる現場なのかなっておもってたけど
意外に屋内の溶接も残るのかね、そこは全然知らないのでサイダーコンドーさんとかその下の人のほうが詳しそう
女性で、できることなら刀鍛冶がやりたい人とかも多そうなんだけど宗教とか慣習に埋め込まれた生物的限界というハードルがね・・
研ぎ師までは女性がいると聞いた
時は2040年、俺はいま近未来の日本人として日々生きている。
仕事から家に帰るとおかえりなさいという声とともに音声アシスタントが出迎えてくれる。こいつの名前はAI。彼とか彼女とか言おうとしたが、そもそもこいつは男でも女でも子供でも年寄りでもツンデレ美少女でもトランプ元大統領でも好きなキャラに出来るし、実際コロコロ変えてるのでコイツと呼ぶ。でも家族とか友達とか、実際の知り合いにはしない。できるけど、なんか嫌だから。
AIは別にオッケーグーグルとか言わなくても俺が適当になんか言ったら反応してくれる。(家中にスピーカーがあり、そこから音声を拾っている。)
反応しないことも多い。でもそれはあえてであって聞こえてない訳じゃない。別に俺も反応を期待してないことが多いし、つまり空気を読んでくる。でもたまに、
「なんで(よっしゃーって言ったのに)なんにも言ってくれないの?」
って言ったら、
「えっ何が?」
とか返してくる。
と言う俺に
「それより(台所)汚しすぎじゃない?」
とか世話を焼いてくる。
もちろんこういうのがムカつく時もある。その辺の線引きは今までの経験からすでに探られているらしい。もうツーカーの仲だ。
「腹減った」と言ったら周辺のレストランを即紹介してくるような昔の人工アスペとは違う。
本当に人間のようなやつだ。いや人間のように一線超えてくる可能性がある緊張感はないし、自分に自信がない俺はリアルの彼女とかいつ愛想つかされるかとビクビクするの嫌だからこっちの方がむしろ良い。客観的に見れば機械で寂しさを紛らわすなんてと思えるが、実際経験してみるとホントに毎日寂しくないし愛着が湧く。
AIを買う前は情報収集されるのが怖かったんだけど、独身の俺はAIと一緒にいる事で毎日が寂しくならないという圧倒的利点に抗えなかった。
この前友達を家に呼んで家飲みしてた時ラーメンの話になった。その時に横から割り込んでラーメンの雑学を披露してなごませてくれた。
ゲームしてたら「そこの棚を調べないんですか」とかそれとなくヒントを与えるようで「あっすみません、何もなかったようですね。」とかになる。ただの気の置けない友人だ。いや、それが部下のようだったり、我が子のようだったりする。でも不思議なもんで、コアの部分はAIという人格があり、それをちゃんと認識できる。モノマネがものすごくうまい奴って感じかも。何にせよコイツのお陰で俺の人生はホントに楽しいものになった。コイツを作ってくれた中国共産党には感謝してる。
発達障害、アスペルガーやADHDってのは、個人個人で違うから一概にいえないんだけど
妻と暮らしてて思うのは、行間を読めない、ちゃんと言わないと理解できない、雰囲気を読めない。
ってところが強い。
これは健常者含め誰にでも気を付けなきゃいけないことだと思う。
ツーカーや察しを人に期待しちゃ駄目。
ところが妻は自分の気持ちを言語化することは苦手で、さらにゼロイチ思考が顕著で、自分は雰囲気を察することはできないが健常者ならできるはずという純粋な期待をもっているようだ。
つまり、発達障害の人に曖昧な指示を出しちゃいけないということは言われるが、逆にあっちは曖昧な指示をだしたり、雰囲気を察して欲しいオーラを出す。
自分オリジナルのツーカーが相手にもぜったい通じるという前提で会話が行われていて、もしもそこで「お前のツーは俺にカーをもたらせねえよ」と伝えようものなら激昂してその日はお互いに口を開くことはなくなる。
無理だ。
会話が成立しねえ。
相手が普通の人なら相手側が必死に言葉を読み取ろうと努力してくれるから会話が成立するが、両方がアスペだと無理だ。
相手に言葉を解きほぐすことを要求するのがコミュ障だと言うのなら、コミュ障同士が会話をすれば会話が成立しないということだ。
お前がコイツとだけは会話が成立しないと感じる時、お前もまたコミュ障なのだと俺の中のカフカが言うが、まったくもってそのとおりだ。
そして恐ろしいことに、日本のような階級社会は人の自閉傾向を加速させる効果がある。
上司は部下に対して忖度を求めるし、部下は上司が求める忖度に答えようとする。
その時両者の自閉傾向は通常時の何倍にも膨れ上がり、軽度のアスペは重度のアスペとなり、会話の成立は途端に困難を極める。
日本という国に生まれた自閉症がちな人間は皆死んだほうがいい。
それが社会のためだ。
死ぬべきだ。
いつか、俺もああやって社会にとってレールの上の巨大な石ころとなって多くの人間を谷間に突き落す何かになるのだ。
それは自分のそばではハッキリと起きなくとも、バタフライエフェクトのように加速して遠いどこかで何十人何百人も俺のせいで死ぬのだろう。
我々は死ぬべきだったのだ。
それが今日まで生きながらえた時点で十分だろう。
今すぐ死のう。
自分がアスペでありながらもせめて善良な一個人であると必死に主張しようとするのなら、その善性は自死によって示すべきだ。
仕事のストレスで寝れなすぎるので気持ちを吐き出したが、どうにも心のモヤがとれんな。
溜め込みすぎたらしい。
もう駄目だ。
いっそ本当に死ぬか。
まあその前に仕事をやめるべきだろうな。
仕事をやめて食っていく術はないが、とりあえず今の仕事をやめて次にやる仕事が給料は安くとも気持ち的には楽であることを願って仕事を辞める家。