はてなキーワード: チャリ通とは
リアルタイムでは読んでないけど、
心の中に閉まって蓋をした。
私は、何も読んでない事にした。
この土日で、その蓋が開いてしまい、
いろんな事が飛び出してきた。
中学生から高校生くらいまでの出来事。嫌な出来事。ぶわーって出てきた。
だから思い出したくなくて蓋してた。
殴られて鼓膜が破れた人がいた事。
時代遅れの不良の残党みたいなのがいて、
怖かった。
その子が、廊下でみんなが見てるなか、他の女子と取っ組み合いの喧嘩をしてた事。
とてもオシャレだと感じて、心がキラキラした事。
同級生が亡くなった事。
生前、その子のお家に行った時、本棚に「完全自殺マニュアル」があったのを
思い出した事。それは誰にも言っちゃダメだと思った事。
援助交際に誘われたけど、断った事。
卒業式の日に「この制服ブルセラに売れるから売ろうよ!」と誘われた事。
売れる訳ないだろと思って断った事。
偶然会った 中学校の時の友人が、
円形脱毛症になってて、でも、それに触れられなかった事。
「ひょっとしたら」と思ったのに
なにも言葉をかけれなかった事。
そんな事を、
この土日で思い出してしまって、
うわぁあああーってなった。
疲れた。
これも結構前の話になる。
「そういえばあの時、どんな気持ちだったっけ?」と思い返す機会があったので、折角なので文字に書き残しておきたい。
そうすれば胸に落ちるものも、もしかしたらだけど多少はあるんじゃないのかな?って感じで。
内容が内容なので、少し長くなるかもしれないけど、お暇な方がいらっしゃいましたら読んでやってください。
あんまり仔細に年月日を狭めすぎるとアレなので、時期は今から7年ほど前。
ちょうど今のような、若干寒さも落ち着いてきたかな?ってぐらいの春頃のお話だと思って下さい。
兄の方がとても優秀だったんで、随分と見劣りはするけれど、俺の通っていた高校のレベルからすれば「まあ頑張ったんじゃないの?」程度の大学へと入学。
その筋のマニアには結構有名な、二郎インスパイアの名店が近くにある登り坂の長い大学ですね。
あれは本当に数少ない良い思い出です。メチャメチャ美味かったな。店狭いし、オッサン怖いし、汚いけど。
オススメは小ラーメン・麺少なめ・ニンニクマシ・アブラマシマシです。
しかし高校まではチャリ通で10分だったところが、電車を乗り継いで1時間半になったのは本当によくなかった。
職場と学校は、絶対に自宅から近い場所を選びましょう。近い場所にないのなら、あなたが引っ越してしまいましょう。(経験則)
そんなこんなで深夜までゲームやらアニメにうつつを抜かしては、中途半端な時間に目覚めて、一限は余裕でアウト。
気付いた母親に叩き起こされて、仕方なく起床。もそもそと着替えて、遅刻前提の移動。
それで素直に大学まで向かえばいいものを、「途中で行くのも面倒くせえな」と地元のカラオケで朝割フリータイムしてたり、本屋で立ち読みしてたり。
入学当初からそんなんだから、とにかく授業内容は良く分からないし、眠くて眠くて仕方なかった。
何よりも人見知りだったもんで、良くも悪くも自由な大学形式の授業とサークル活動に、いまいち馴染めずにいた。
大学は少中高と違って、能動的に働きかけないと友達はできないもんなんです。あの頃の俺に教えてやりたい。本当に。
夢見ていた大学生活は、俺にとってはただの眠気との闘いに成り代わっていたのである……。
そんなんで仲の良い友達も全然いないもんだから、授業サボりまくって、図書施設のビデオ設備で「ロード・オブ・ザ・リング」とか「戦場のピアニスト」とか見てたな。
いや、完全に余談でした。すみません。
とにかく、こんなカスの具現化みたいな大学生活を送らないよう、新入生の皆さんは頑張ってください。
話を戻します。
俺が小学校に上がるぐらいの前に、うちの母親は一度離婚している。だから俺は種親の顔をほとんど覚えていない。
「自分はママとパパと話すけど、ふたりは全然しゃべらないなぁ」とか「やたらと関西の実家に行ったり、親戚の子がうちに来るのはなんでだろ?」とか。
そんなことを子供ながらに思ってたんだけど、今思い返せばそういうことだったんだと。
そんなこんなで気付いたら第一の父親が消えて、俺が小学校二年生ぐらいの時に、新しい父親が来た。
そりゃ向こうも腹を据えて、血の通ってない兄弟二人を抱えるわけだから、多少の上っ面は確保してくるには違いないんだけど。
一緒にお風呂に入れてもらったことが嬉しかったのを覚えてる。そんな第二のお父さんの背中には、ご立派な龍のモンモンが彫られていたけど。
仮初でも、その人は優しくて良い人で、色んな場所に連れていってくれたりした。なんかホテルが多かったな。海ほたるとかもよく連れていってもらった。
多分これまでの人生25年、その人が来てからの数年が一番幸せだったんじゃないかな?
中学に上がる前ぐらいの、それぐらいの間。ホントに幸せだったと思う。ボンボンもボンボンで、当時Xbox360でCOD4のネット対戦してたの俺だけちゃうかレベルで。
俺も兄貴も母親も父親も、心から「家族」を感じてた最後の瞬間だったと思う。
で、俺が中学に上がった頃に、第二の父親が手掛けていた事業が一気に傾いてしまったと。
これは直接見たわけでもなんでもないけど、父親の元同僚の方に聞いた話なんで、間違いないことだと思います。
そっからの酒乱っぷりたるや本当に凄くて、中学生ぐらいになると俺も兄貴も(特に俺は)夜更かしをするようになってるから、
ベロンベロンの状態で帰ってきた泥酔親父に、子供相手に何を言い出すねんみたいな絡み方をされだして。
うわぁ、イヤやな……って、毎日夜になる度に鬱になってたのを思い返します。寝てたら寝てたで起こしにくるし。逃げようないやん。
この一言が本当に忘れられなかった。シグルイのあの人ばりに、(この傷は二度と戻らんな)と泣きながら感じたのを覚えてます。
しかもこれ確か、母親の目の前だった気がするんですよ。なんか二人で揉めてて、俺が仲裁に入るじゃないけど、間に入ろうとしたらこうなったみたいな。
酔うと貯め込んだ本質が出るタイプの人っているじゃないですか。つまりはそういうことだったんだな、と。
それ以降、父親と心を通わすことは一切なくなった。もちろん話したりってことはあるけど、他人みたいなことで。
そんなこんなで、それでも気付いたら中学生になって、高校生になって。
第二の父親は家からはいなくなって、お金だけを入れながら、たまに連絡を取るぐらいの関係になって。
小中校まではすごい楽しかったんですよ。面白い友達もいたし。なんで急に大学でダメになったのか、不思議だなぁ。
母子家庭であんまり余裕のある生活じゃないけど、塾にも行かせてもらって、奨学金も出る。
大学にも行けるんだと思えば、ちょっとぐらいの家庭内のゴチャゴチャがあるぐらいで不幸ぶんなよ、俺よりひどいやつなんて山ほどおるぞと自分で自分を戒めたりもして。
そして母親の様子がおかしくなりだしたのは、このあたりだったと思います。ちょうど俺が大学受験を終えたぐらいの時分。
深夜、お腹すいたなーと思ってリビングに行くと、母親がワインと大き目なビニール袋みたいなんを用意してて、一人で黙々と飲んでて。
で、ちょっとなんか変な感じがして、母親の目から。据わってるって言えばいいのかな。とにかく、明らかに普通じゃないけど、普通を装うとしているのが伝わってくるような、そんな感じで。
無言でいるのも変なので、「なにこれワイン?家での飲んでるの珍しいね、いいやつなの?」みたいなことを訊いた覚えがあります。
うちは父親の件もあったので、母親とはすごく仲良しだったから。
思い返せば、極度のマザコンだったんだと思います。特に兄貴が遠方の大学にいってからは、実家には俺と母親の二人だけだったから。
とにかく変な雰囲気だったから、「お酒家で飲むの初めて見たかも!俺もひとくちもらおっかなぁ」みたいな、おどけてなんとかしようみたいなムーブをした記憶があります。
「いいよいいよ。飲んでみな」と、母親が余裕で許可をくれたことも結構意外でした。酔ってたのかな?分かんないけど。
ド深夜、テーブルライトだけつけたリビングの机、ワイングラス、謎の大きなビニール袋。
なんかすげえヤバイことになってんのかな?と。
なんでだろう、このあたりから薄々感じ取り始めたというか、そんな気がしました。今までにこんなことなかったよな?って。
そして寝て起きたら、横に母親がへたりこんでるんです。体育座りを右斜めに崩したみたいな恰好で。
俺は一瞬、本気で死んでると思った。でも慌てて抱き付いたら、ちゃんと体温も呼吸もしてたので、本気で安心したのを覚えてます。
えっえっ?ってなって、どうしたん?って聞いたら「いや、ちょっと……」みたいなことで、手元を見たらスカーフ?とハンカチを束ねて作ったような、首吊り用の縄?があって。
正直ワインのときから厭な予感はしてたから、メチャクチャ驚いたし、なんで?ってなった。
「それはだめだって、それだけはだめだよ。これからどうすんの?」って泣きながら問い詰めた記憶があります。
人間、本当に近しい人であれば、ちょっとした行動から、「なんとなく自殺しそうだ」というのが分かるものなんだって思いました。
マジでここらへんの記憶が、ずっと頭からこびりついて離れない。身体を下ろした時よりもキツかったかもしれない。
未だに良く分からない。要するに母親は、部屋のドアノブに縄を引っかけて、首吊り自殺をしようとしたんだと。
しかも俺の部屋のドアノブだった。誰のだったらいい、ということじゃないけど。この時には、兄貴はとっくに外に出ていたはずなのに。
首元を見たら、真っ赤っていうか、うっ血したようなアザになっていて、「失敗しちゃった」みたいなことを半笑い、作り笑いで言っていたような記憶があります。
未だに後悔しています。
あれだけ明確に希死念慮を見せていたにも関わらず、なにもできなかった。
母親がこのとき、俺に助けを求めていたのかは分からない。あるいは本当のショックを与える前に、「私は死ぬからね」という予告をしたのかも分からない。
兄にも周囲にも連絡をしなかった自分の愚かしさ。せめて身内だけには言うべきだった。
でも、言ってもどうにもならないんじゃないか、言われた側に負担を強いるだけになるんじゃないかと、どこかで想ってしまっていたのも事実です。
「母親が自殺をするかもしれない。どうか助けて下さい。」この言葉を俺はいったい誰に伝えればよかったのか、いまでもわからない。
救い方があるとしたら、それは俺がどれだけ母親が好きで、愛していて、感謝しているかということを、心変わりするまで何度でもいうことしかなかったんじゃないかと。
ちょっと早めに授業が終わったのか?サボったのか。正直どっちでもいいけど、俺は家に帰った。
なんだかすごい胸騒ぎがしてた。兄も俺も家にはいない。家にいるのは母親だけ。
ただいまとドアを開けた瞬間、やはり自分の部屋の前で、足元に椅子を置いて、スカーフで作った縄を首にかけて、うなだれて扉にもたれかかる母親を見つけた。
凄まじい衝撃と同時に、「やっぱりこうなった」とどこかで思う自分がいた。
首にかけているスカーフは素手では取れなかったので、キッチンからハサミを持ってきて、片方の刃で切り落とした。
抱き抱えた母親の身体は、思い返せば想像よりもずっと軽かった。
「誰か、誰か助けてください」と今までにいったことのような言葉を金切り声で叫びながら、居間の上にあおむけにさせて寝かせた。
兄は大学二年生で、本来なら学生寮にいたはず。この日はたまたま里帰りをしてきて、何かを読みに本屋にいってくるといっていた記憶がある。
もしかすると母親は、この日を待っていたのかもしれない。兄弟が揃う日じゃないと死ねないと思ったのか。分からない。
「ママが首を吊ってた。いま俺が下ろしたけど、意識がない。救急に連絡するから、すぐに帰ってきてほしい」
と言って、すぐに電話を切った。兄は「わかった」とだけ言っていたような気がする。
家の場所を伝えて、どうか助けてくださいというと、すぐに救急車と救助隊の方々が来た。
俺は人命救助の方法とかがまったく分からなくて、もしかすると心肺蘇生とか、胸骨圧迫とか、本当はいろいろなやりかたがあって、
待っている間にそれができていれば、母親を助けられたんじゃないかと思う。
でも本当に現実を現実として受け止められてなかった。頭がヘンに冷静だったのは、「こんなことになったけど、きっと助かるよな」と無根拠に信じ込んでいたからだと思う。
ハサミで深く切った指から血が流れていることに気付いた。痛みはまったく感じなかった。
俺「こんなんなっちゃったな」
兄「俺、これからどんな顔して顔あわせればいいかわかんないわ」
俺「そうだなぁ」
こんな会話を、兄弟で悠長に会話していたのをハッキリと覚えています。
ここまではすごくハッキリ覚えているのに、ここから先があいまいなのが不思議で、不思議で。
確か夜の病棟に運ばれて、「自意識が戻る可能性はない」と言われたこと以外は、実はほとんど覚えてないんです。
翌日の病室の面会で、意識のない母親を前に過呼吸になるぐらいに泣いてしまったことを覚えてます。
そして「自意識が戻る可能性はありませんが医療を続けますか?」というような旨を医師の方に伝えられて、「もういいです」と伝えたことは覚えてます。
そしてずっと病院に居るわけにもいかないから、家に戻って、母親のいない家で過ごして。
三日後か四日後、電話の連絡で「お母さんは亡くなりました」と同僚の方から連絡をいただきました。
母親の死に目に会わなかったのは、自分にとって幸運だったのか、不運だったのか、未だに分からずにいます。
わからない、本当に今でもわかりません。
あのワインの日から、自分に何が出来たかをずっと考えています。
間違いなくサインとなっていたあの日、ちょっとでも行動を起こす勇気が自分にあったのなら、もしかすると母親は今も生きていたのかと。
この前セブン・イレブンで購入した高級傘(1100円)を二ヶ月も経たんうちに紛失した!と思って落ち込んでたんだがよく考えたら近所のスーパーに忘れてたな、と思って、雨模様の日に安いビニール傘持ってそのスーパーまで行ってさ、無事発見、安堵、そんで傘置きの同じグリッドに高級傘とビニール傘を同居させてさ、帰りに二本ともひっつかんでミッションコンプリートや!と思ったはずなんだけど、今見ると二本とも家にないのはなぜか?二本とも置いてきたからだ、どうして置いてきたのか?俺が致命的に鳥頭でバカで愚かで無能なクズのゴミカスだからだ
いやいや、俺はそんなにクズではないですよ、悪いのは傘のほうだ、というか、俺と傘の相性が悪いんです
考えてみると昔っからそうだ、小学校6年で使った傘は12本?15本?田舎のガキだから出かける先は学校だけしかないんで傘をなくすことはなかった(翌日に回収できるから)んだけど、そのかわり年に二本は壊す勢いでバンバン壊してた
杖みたいについて歩いてたら骨組みが崩壊した、側溝にうっかり突き込んで取り出せなくなった、風にあおられて回復不可能な形で裏返った……とにかくまあ壊しまくっていた
中学はチャリ通学だったから傘を壊す機会は減ったんだが、その代わりなのかなんなのか少し傘を手にすると瞬間的に壊れる、なかば異能めいた力を持ってたんだよな
家庭訪問に来た先生を外で迎えるために折り畳み傘を持って外に出て、手持ち無沙汰でちょっと傘の持ち手のストラップを持って振り回したら、持ち手が壊れて本体がヤブに飛んでいった
友達から傘を借りてちょっと近くの案内所で道を訪ね、友達のところに戻ろうと思ったらいつのまにか持ち手が強力な力を加えたみたいにひしゃげてた時はマジで理由が分からなすぎて恐怖を覚えたな、5分そこらで気付かないうちに傘がひしゃげることあるか?
そして都会に出てきて傘を持ち歩くようになったら、今度は壊れない代わりになくなりつづけるときた
1週間に3本傘を買ったことすらある
傘に呪われてるのか?俺
つか、壊れると傘と俺の双方にダメージがあるから痛み分けの感じがあるんだが、なくすと逃げられた感じがして不快なんですよね
破壊するべきなのか?傘をなくすと直感した段階で、逃げられる前に破壊すればいいのか
https://anond.hatelabo.jp/20200530164357
便乗企画。
そこの学生諸君!不動産業界に煽られて就職したら家を出ようとか思ってないか?
今日は世間の白い目にも滅気ず子供部屋に住んでいるおじさんのリアルを教えよう。
33歳男、独身、都内在住、年収700万ほど。正直言うと年収把握してなかったんだけど、先日東京マラソンのチャリティ枠還付のために源泉徴収見たらギリ700超えてた。
住民税の通知書と源泉徴収に書かれてる総額って違うんだね。知らんかったわ。
なお頑張って家賃を払っている皆さんを煽るために書いた記事かと言うとだいたいそんな感じで、こどおじの内面のリアルを伝えるために書いた記事である。
Zero.It's very important, so I'll say it again: Zero.
23区内にある4LDKのマンション。築17年だったかな。最近最初の大規模改修をやった。
諸般の事情で今この家には私一人しか住んでいない。なので無駄に広い。掃除面倒。
最寄りの駅まで700mほどあるのが唯一の欠点かな。
でももともと通勤はチャリ通だったし、最近輪をかけて使わないので駅までの道歩くと新しい店できててびっくりしたりする。
9割自炊。
弁当はあまり買わない。複雑なものは作らないが料理するのは好きだ。
食事は家に家族が揃っていた頃からわりと担当していたが、その頃と比べると品数が減った。
自分の分だけと思うと栄養バランスと総カロリーしか考えなくなるね。餌だ。
普段の贅沢品はコーヒー。全国の好きな店から豆を切らさないよう買ってる。
職場の飲み会嫌い。職場の飲み会は自分の歓送迎会以外は全スルーを決め込んで5年位になる。
だいたい2ヶ月に1度くらいは一人頭1-3万円くらいの食事をしている。
ミシュランガイドとか白本を眺めながら次行く店を考えるのが好き。
一人でいく贅沢として、ミシュランに載ったラーメン屋は北は利尻島から南は九州まで全国ほぼコンプリートした。他の旅行のついでではあるけど、旅費込みだとなかなかの贅沢だ。
美味しいお酒は好きだけどなきゃないで平気。何かの機会がなければ、家でアルコール飲むことはない。
ウィスキーのボトルは幾つか家にあるけどなくなるまで1年以上かかることもある。
仮想通貨でちょっと儲けたときはその年のDRC全銘柄飲み比べ企画に参加した。20万円弱くらいだったかな。
その時は流石に酔いが冷めてから何やってんだろ俺、と思った。
イオンに行くと会計が2割くらい高くなるね。なので多少贅沢したい気分のときに行く。
特にイオンのチーズコーナーを覗いて新商品があると1000円くらいしても躊躇なく買う。意識してやってる贅沢。
休日はだいたい体動かしに外出するので、いわゆる街着の消耗速度がガタ落ち、まだ着れている。体型変わってないし。
下着類とか消耗品はアンダーアーマーとか。ユニクロの下着はすぐへたると悟ったので買わない。
部屋着は使い切れないほどもらえるマラソンの参加Tシャツ。だいぶ減らしたんだけど、まだ20枚以上ある。
スーツは就職時に気合い入れて仕立てたもののここ数年は年に10回ぐらいしか着てないな
こどおじに女なんぞ寄ってくるわけがない。
女性との食事は全額出してもいいと思ってるけど機会がねえよ機会が。
親父の置いていった車がある。近場への旅行なんかにはよく使わせてもらっている。
タクシーは使わない。というか、都内の移動は9割方ロードバイク。
1000万の人のテンプレに沿って書いたら何が言いたいのかわからない感じになってしまった。
こどおじなので広がりがねーんだよ広がりが。
こどおじやってると、年収がどうこうと言うより、お金そのものに無頓着になると言いたかったのかもしれない。
俺と同じ沼に落ちろ!
私は幼い頃から自分は可愛くないんだと本気で思っていた。今考えてみれば父親が外国人のような顔立ちをしており、それに似ていた私は割と良い方ではあったのかもしれない。ただ、当時私はそれが嫌だった。
中途半端な奥二重、思春期特有の汚い肌。しょーもないベタさだけど好きだった男の子にそばかすのことをつっこまれて本当に嫌になっていた。こんな私なんて、と自己肯定感はどんどん低くなって、生身の人間と交流するのが怖くなってアニメや男アイドルに現実逃避してのめり込んでた。男性アイドルに夢を見まくっていたから、身近の男の子たちが苦手で、気軽に男の子とお話できる女の子たちが羨ましくて妬ましかった。それが小学生から中学生までの話。
中学3年後半あたりからある程度お化粧とかおしゃれに興味は持つようになった。アイドルとアニメは相変わらず好きなまま。高校生になってちゃんと美容室に行って髪の毛をボブにして、アイプチで二重にしてみたり、部活とチャリ通学で少し痩せたりもした。そうしてみるとある程度自分にもほんの少し自信がついた。相変わらず生身の男と話すことは怖かったし、こんな私なんての気持ちは消えなかった。それでも大変ありがたいことに2人の男の子に告白してもらえた。ハーフみたいで可愛い。そう言って貰えることが増えて、昔コンプレックスだったものが少しずつ自分の良さであることに気づき始めていた。時代の流れもあったのかもしれない。とはいえそれでも拗れた性格は治らず、アニメと男性アイドルに全てを捧げていた。そして大学生になって、YouTubeなどの動画でメイクや綺麗になれる方法が具体的に知ることができるようになった時代とかさなって、私もそれなりに綺麗になれるようになった。
小顔マッサージの仕方、美肌になる方法、眉毛の書き方、髪の巻き方、自然なデカ目にする方法、
何もかもを試してやった。
そうすると自分の顔まあいけるんじゃね?そう考えるようになって、男性とも積極的にお話するようになった。相変わらずアニメと男性アイドルは好きだったけど。でもアニメが好きな男性を好きになったから共通の話題があってそれもまた功を奏していた。気がする。他には授業中に私を見かけて話しかけてくれた後輩の子や、友達の紹介などでも出会いがあったし、合コンでは自分の顔のクオリティはある程度自分の及第点をクリアしていたから、顔を気にせずお話に積極的になれたし、コミュニケーションも取れていたから何人か声をかけられることもあった。それでも私の拗れた性格は本当にしつこくて、付き合えたところで私なんかよりもっといい人、可愛い人たくさんいるだろと本気で思っていた。結局上手くいかない、セフレ止まりばかりだった。私の美意識を上げてくれていたのは大学での出会いの為というよりは、アイドルに認知やファンサをもらいたいがためのものだった。大学生で時間だけは無駄にあったから、毎日1時間のウォーキング、ストレッチ、マッサージ、ヨガ、筋トレ、全身浴で体を温める、野菜中心の生活、何もかもに気を使っていた。
運動の効果もあってか、気持ちも前向きになったし、生理の諸々の辛さもなかった。同時にメイクの技術は上がっていく。それもこれもネットで情報が気軽に手元ですぐ見れる環境もあってこそでもあると思う。この時代に生まれてよかったなと今でも感じてる。
大学生の時は自分磨きの方法を模索して(勉強もちゃんとしてたけど)、外見における自分のコンプレックスの解消方法を見つけることが出来て、気持ちもポジティブ、もはや武器になるとすら思っていた。社会人になってその武器をフル活用して、職場の人やお客様にも綺麗な人と認知されたり、連絡先も聞かれたりして、本当に嬉しくて完全に自信になった。
同期に誘われた合コンで念願の彼氏もできた。趣味嗜好の理解があって、優しい人。今は結婚も考えていて、順風満帆とは言えないけど、楽しい毎日である。
自分の見た目をとても気にしていた過去は、究極に自信がなくて、凄まじいほどに自己肯定感が低かった。
こんな私なんて相手にされないから、恋愛なんて馬鹿げてる、と外見にかけるお金をアニメ男性アイドルに費やして現実逃避しまくってた。
そこから少しずつ自分のできることを懸命にしていったら、自分の顔が好きになって、余裕と自信が生まれて、コミュニケーションに積極的になれるようになった。コミュニケーションが取れるようになると、自分はこんなことも出来たんだって気づいてもっともっと自信がもてて、自分が好きになれる。そうなると、そんな自分のことを大切にしたいと思ってくれる人と出会えて、承認欲求がとっても満たされる。
あの頃そばかすで泣いていた自分に大丈夫だよと言ってあげたい。
そう本気で言ってくれる人に出会うために努力した自分をほめたたえてあげたい。
正直まだ気になるところはあって整形もする予定。ある種醜形恐怖症な感じもあるけど、現状である程度欲求は満たされてるから、何事もやりすぎないように気をつけないとなとは思う。
顔での差別が顕著だなと感じた余談。
職場の窓口に小さい女の子が親御さんと一緒に別々で来た時。1人目が橋本環奈ちゃんばりの可愛さの子で、もう1人が普通の子だった。環奈様似に対して私たちはテンションが上がって、窓口に置いてある飴を積極的にあげようとしたり、かわいいね〜と声をかけたりもした。その後に来たもう一人の子に対しては、親御さんの手続きが終わるまで特に何もしなかった。その一連の流れがあって、そのあと職場の人達と対応差に思わず苦笑してしまった。
逆の立場を私も経験したことがあって、お祭りの屋台に行った際に、前に並んでいたお姉さんに対しておっちゃんが「綺麗だからもう一本あげるね!」と言っていて、その次の私には無表情無言で対価に見あった分だけを正しくいただきました。悔しいと思う反面まあまあ切ない思いをしてややトラウマにもなったので、気をつけないといけないなと思った…
お兄さんお兄さん、今度はKuTooですって。
まあ、体裁を気にする芸能人や実業家、(自称)フェミ男性しか支持を表明しないだろうね。
男からすると、女は勝手に策定したマイルールに自縄自縛になっているように見えるのだ。
「洗濯物の裏返しをやってあげてる精神で~」とか言うのがバズってたが、まさにあれだね。
大半の男は洗濯物が裏返ってようが、多少シワが寄ってようがほぼ気にしてない。
あまりにも気になれば自分でアイロンかけるし、衣服へのこだわりが強いなら自分で洗濯するまでだ。
皿洗いの皿に多少油が残ってようが大して気にもならねえよ。ガーガーうるさいんだよ。
女の化粧だって、ヒールだって、服装だって、別に就業規則で強制されてるわけじゃないっしょ。
「他の人は皆やってるし、自分だけやらないのは・・・」っていう、よくわからないマイルールでしょ。
常日頃言ってるじゃん。「ファッションは社会や男の為にやってるんじゃない!」ってさ。だったら即座に止めることもできるだろ。
お局様やオッさんが「みっともない!」なんて言ってきても無視すりゃええのよ。そいつらのがお先短いんだし。
評定でも下げてこようもんなら、そんな封建的な会社なんかやめちまえって話だよ。
もし規則や慣習が不満なら直訴して様子見るなり、転職するなりすればいいだけ。
そこまで大ごとにしたくなければ、規則や慣習の範囲内で自分なりに妥協点を考え出す。
かくいう俺もスーツが大嫌いだ。なにより動きにくいし、暑がり・汗っかきだからだ。
だから、仕事でスーツが必要な局面が生まれた場合はダーク系のジャケットと濃い色のチノパン、
サイズ若干緩めのシャツ(人と会うときだけネクタイ着用)、革靴風のスニーカー、という服装にする。
一見それらしく見えるけど、一番楽な服装だ。冠婚葬祭以外ならわりとどうにでもなる。
「もうちょっと堅めの服装にしろ」と言われたこともあったが、適当にお茶濁して無視したよ。
靴ぐらい自分で好きなもの選んで履けよ。靴がペッタンコだろうが、誰も気にしてねえよ。自意識過剰すぎ。
緩い規則破りも延々続けてりゃ、周囲も慣れてそのうちその人のキャラの一部になるよ。髪型とかさ。
痴漢の問題だってそうだ、通学通勤時間ずらすなり、そもそも電車を使わないなど回避方法はいくらでもある。
男だって満員電車が嫌な奴は早起きしたり、チャリ通勤したり、地方移住・職住近接したり、リモートワークに切り替えたりしてるよ。
「被害者の方が労力は払うのはおかしい!」はいはい、ごもっとも。じゃあ、鍵を買う金を惜しんで泥棒に入られれば良いさ。
育児の問題も同様、ワンオペがキツイ?一旦地元に帰って親頼れよ。ベビーカーで満員電車?郊外に引っ越して車使え。
食事作りが大変?全部出来合いでも死なねえよ。旦那が非協力的?その旦那を選んだのはお前だ。ケツ引っ叩いてでもやらせろ。
脳味噌が付いてりゃ、不本意な状態を変える方法なんて、少し考えればいくらでも思いつくはず。
大人ならいかに楽するか、ストレスを抱えずに生きていけるか、常に考えとけってんだよ。
不満をバケツいっぱいに溜め込んで、溢れてから大騒ぎする女が多すぎる。溢れる前に頭使えアタマ。
みんな自分で頭使ったり、それ相応のコストや労力を払って生きやすいように工夫してんだよ。
「困った事態に陥ったら、ぎゃんぎゃん泣き喚けばそのうち誰かがやってくれるだろう」という子供のような考えを捨てろ。
自分のケツくらい自分で拭け。ケツが拭けなくなったら代わりに拭いてくれるような器量を持つパートナーや友人を見つけろ。
そのかわりそいつらが自力でケツが拭けなくなったら、代わりに拭いてやる手間を惜しむなよ。互助精神を忘れるな。
大学入試で弾かれてた、みたいな明らかな差別じゃなければ男はあまり共感できませんよ、って話。
信頼できる奴が一切いない、もしくはその相談内容を聞いても
今は人手不足だから行動さえすればなんとかなる。自分をもうちょい大切にしろ。
そうそう。
女が抗議行動を起こす時のモチベーションって自分が「ズルい」って感じたかどうかなんだよな。
「男だけズルい!」「若くて可愛い娘だけズルい!」「外国在住者だけズルい!」って妬みメンタリティがスタート。
だから、そもそも「その抗議をおこなうことで何を獲得したいのか。」が、何だかよう分からんことになる。
「私も同じように扱え!」「あいつだけ抜け駆けできないように、私と同じ位置まで引き摺り下ろしてくれ!」ってとこだ。
その一見したところズルそうに見える奴らだって、なんらかのコストを払ってるからその利益を得ているんだって。
女のトラブルは八割方これだから相談受ける気も失せるってものよ。なんでも他人と比較して妬むようなその性根を改めろ。
あと主語がでかいとか一括りにするな、とかうるせえし、知らんから。俺がエビデンスだから。
是非とも、男を全員性犯罪者呼ばわりしてる同胞たちにも言ってやってくれな。
と二回だけ会話したことを突然思い出した。
私は陰キャブスのど底辺でクラス内の関わりはゼロ、その二回以外で話した記憶は無い。
1回目は遠足かなんかのバス内で、何が起こったか隣の席になったのがきっかけだった。私はその時死を確信したが、その子は実はとてもいい子で私にも差別せず沢山会話をしてくれた。
3時間くらい乗っていたので混み入った話、恋愛とか自分の価値観とかそういう話もめっちゃした。その子は見た目は派手で言動も目立つのにとても繊細で恋愛下手で、でも誰にも譲れないこだわりがあるという漫画に出てくる子みたいだった。
バス内で会話して終わり、それ以降ほんとうに何もなく、2回目の会話は卒業式前日、学校からの帰路で会ったことがきっかけだった。
私とその子の家は近くないけど、私が別ルートで帰ったので偶然出会った。(お互いチャリ通)
大学入学前にトイックを受けたいという話になり、お互いの塾の先生に良い参考書を教えてもらおうと別の塾を一緒にはしごした。その後本を買いに本屋を同じくはしごしまくり、隣の駅まで行ってようやく一冊見つけた。じゃんけんで私が負けてその子が買うことになったが、優しいその子は購入直前まで私に買わせようとしていた。その後一緒にクレープを食べて解散した。
卒業式も特に話さなかった気がするしその後のやりとりもここ数年一切ない。
ただ私は、バスで会話したあの時から、あの子に妙な繋がりを感じていた。だから帰宅途中に会った時もそのまま一緒に帰ることにしたんだと思う。てきとーに挨拶すればかわせたはずなのに、一緒にいることを選んだ。彼女は優しいから私に合わせてくれたんだろうけど、そうではなくて、彼女も同じように私との繋がりを感じていたとしたら、それはちょっと嬉しいかもしれない。
> ああ、金ないアピールなんてしてないよ。単純に増田が、大元の増田の言ってる意味全然分かってない?お子さんいない?増田も受験とかしてない系?って思ったんだけど。
↓
↓
ワイ:国立とか私立とかあるんでそれらの区に(当然、荒川区/台東区から通える)
例:お茶の水女子大学附属中学校、筑波大学附属中学校、東京学芸大学附属竹早中学校、桜蔭中学校、駒込中学、
↓
↓
ワイ:なぜなのか?(荒川区や台東区から文京区の徒歩可能地域、チャリ通(学校としては禁止)可能地域という話をしてるのだが?)
↓
キミ:国立は入試の前に抽選があることや増田が上げてる私立は超絶賢い子しか行けないor高い金出す価値がない学校ばかりだというのは知っているのか
↓
ワイ:それは子どもが自分の選択で決めることであり、東京に夢見ている/現実逃避しているカッペ親が決める事ではないので
なお、貯金は審査対象に入らないし、住んでる区にもよるが、元増田か嫁が一時的に専業か収入抑えれば、中所得者住宅入れるぞ?
上限、689万とかなんで
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ワイ:国立とか私立とかあるんでそれらの区に(当然、荒川区/台東区から通える)
例:お茶の水女子大学附属中学校、筑波大学附属中学校、東京学芸大学附属竹早中学校、桜蔭中学校、駒込中学、
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ワイ:なぜなのか?(荒川区や台東区から文京区の徒歩可能地域、チャリ通(学校としては禁止)可能地域という話をしてるのだが?)
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キミ:国立は入試の前に抽選があることや増田が上げてる私立は超絶賢い子しか行けないor高い金出す価値がない学校ばかりだというのは知っているのか
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ワイ:それは子どもが自分の選択で決めることであり、東京に夢見ている/現実逃避しているカッペ親が決める事ではないので
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ごめんな、びっくりするほどうらやましくないんだよ…。分かってあげられなくてごめんな…。
なぜなのか?キミ金ないから公立しか選択肢がないし電車がとか言ってるのやろ?
つか、当たり前だけど、都営/区営/中堅所得者住宅、みんな調整してはいるんやぞ?良いか悪いかは別としてな
(通じてなかったみたいなので補足:付近の家賃相場考えたら、過小評価されるようにしたり、もっと稼げるのに入居するまで抑えたりしてるに決まってるやろ)
まぁそもそも住んでないっぽいけど
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/toyokeizai.net/articles/-/247146
最初に言っとくと、満員電車無くしてくれってのは完全同意するよ。全く異論の余地無いよ。そらそうだ。でもそんなのすぐ解決しないなんてバカでも分かる話しじゃん。その上でさ、今んトコ出来る工夫のひとつとして「リュック前に持ってみよ」って話しじゃん。ちょっとした行動で多少皆が楽になるんなら、やりゃいいだけの話しじゃん。おっ、そうか、やってみるか。ってすりゃいいだけの話しなのにさ、そんなちょっとした工夫をする事に対して、強めの言葉で文句をぶつけてる人って大丈夫?リュック前に持ち換えるだけだよ。そんなに苦痛なワケ?ちょっと他人の事考えて譲る行動を取る事がそんなに苦痛なの?何なの?なんか損した気にでもなるの?何か勝負でもしてるの?どんだけ消耗してんの?どんだけ余裕無くしてるの?ちょっと恐ろしいんだけど。社内が満員でかつ、そこまで余裕の無いイライラ人間が詰め込まれた車内空間って、そりゃ地獄だわ。
もうなんというか救いがない感じだね。勝手にいがみ合いなよ。自分は出社時間をまあまあ自由に調整出来るし、基本チャリ通勤だからさ。って少し煽り気味な感じで締めくくらせてもらうけどさ。マジでなるべく近寄らない様にしよっと。ああ、こわいこわい。
私もでした。整形する前は凄い可愛いと男女から言われてました。
一ヶ所したらバランス悪くなり…
さらに補うために別のところを整形をくりかえし、猿顔の類人猿ブスになってしまいました。今は40代ですがなんてことでしょ、ほうれい線とかなく肌だけは張りがあり白髪もありません…
ブスで若くみられるのはほんと最悪です。なぜなら田舎で徒歩、チャリ通勤の
私はブスすぎて目立つからです。
せめて実年齢にみられるおばさんならブスでも周りは気にもとめないと思うからです。老若男女からニヤニヤ、時に爆笑されます。共通するのは皆、嬉しそうな目をしています。優越感からなんでしょうね?若くてブスが優越感くすぐるんでしょうね。しかし17年以上住んでる田舎、時には驚いた顔でみてくる人もいます。きっと顔がいつまでたっても30前半にみえるからいったいいくつだと?思われているのか?なんて思う私も自意識過剰なのかもしれませんが。だけど実年齢を伝えると皆目をひんむきます。
ブスでオシャレもしない(おしゃれには美人の頃から興味なし)から驚くのか分かりませんが。マスクして美人なら羨ましいです。私はマスクしても目がブスだしアイメイクで少しよくなってもマスクしてるのに、ニヤニヤする男がいます。たぶんマスク外している私を知っているから猿顔思い出すのか、猿顔隠してマスクしているんだと思ってるのか。
私は冬は防寒対策の為にマスクするだけでブスを隠しているわけではないのですがね。なんだか自分の思っていることをダラダラ書いてるだけのまとまりのない何が言いたいのかも分からないコメントで、ごめんなさい。ただ、マスク美人ならまだ私よりはましかと思いました。
それと口が猿顔といってますが、私みたいに鼻下が長いわけじゃないんですよね?鼻と口の距離は短いんですよね?それは猿顔にあたるのかな?小鼻が広がったからですか?
しかし急に世界がかわってしまって辛いですよね、気持ち分かりますよ。
そのうちに今の世界に慣れてその世界の幸せみつけてほしいと思いました。
私は、やはり笑われるのはムカつきます。笑われても気にしないようにする事が私の課題です。見なければいいのですが、ついみてしまうんですよね…汗
風景にふふん!と気分よく歩いていてもニヤニヤ、ニコニコしている顔をみてしまったら殺意わきます。
台無しです。。
大好きな散歩が嫌になりました。なんで私は老けないのかな…早くおばさんになりたいです。ですが主さんは仕事ができるのですよね?私は見た目にはわかりませんが、発達障害もあるので単純作業しかできないしコミュニケーションもとれないのですよ。でも上手く言えませんが不幸とは感じてません。それに10代の頃にブスじゃなくて良かったと思っています。
私もでした。整形する前は凄い可愛いと男女から言われてました。
一ヶ所したらバランス悪くなり…
さらに補うために別のところを整形をくりかえし、猿顔の類人猿ブスになってしまいました。今は40代ですがなんてことでしょ、ほうれい線とかなく肌だけは張りがあり白髪もありません…
ブスで若くみられるのはほんと最悪です。なぜなら田舎で徒歩、チャリ通勤の
私はブスすぎて目立つからです。
せめて実年齢にみられるおばさんならブスでも周りは気にもとめないと思うからです。老若男女からニヤニヤ、時に爆笑されます。共通するのは皆、嬉しそうな目をしています。優越感からなんでしょうね?若くてブスが優越感くすぐるんでしょうね。しかし17年以上住んでる田舎、時には驚いた顔でみてくる人もいます。きっと顔がいつまでたっても30前半にみえるからいったいいくつだと?思われているのか?なんて思う私も自意識過剰なのかもしれませんが。だけど実年齢を伝えると皆目をひんむきます。
ブスでオシャレもしない(おしゃれには美人の頃から興味なし)から驚くのか分かりませんが。マスクして美人なら羨ましいです。私はマスクしても目がブスだしアイメイクで少しよくなってもマスクしてるのに、ニヤニヤする男がいます。たぶんマスク外している私を知っているから猿顔思い出すのか、猿顔隠してマスクしているんだと思ってるのか。
私は冬は防寒対策の為にマスクするだけでブスを隠しているわけではないのですがね。なんだか自分の思っていることをダラダラ書いてるだけのまとまりのない何が言いたいのかも分からないコメントで、ごめんなさい。ただ、マスク美人ならまだ私よりはましかと思いました。
それと口が猿顔といってますが、私みたいに鼻下が長いわけじゃないんですよね?鼻と口の距離は短いんですよね?それは猿顔にあたるのかな?小鼻が広がったからですか?
しかし急に世界がかわってしまって辛いですよね、気持ち分かりますよ。
そのうちに今の世界に慣れてその世界の幸せみつけてほしいと思いました。
私は、やはり笑われるのはムカつきます。笑われても気にしないようにする事が私の課題です。見なければいいのですが、ついみてしまうんですよね…汗
風景にふふん!と気分よく歩いていてもニヤニヤ、ニコニコしている顔をみてしまったら殺意わきます。
台無しです。。
大好きな散歩が嫌になりました。なんで私は老けないのかな…早くおばさんになりたいです。ですが主さんは仕事ができるのですよね?私は見た目にはわかりませんが、発達障害もあるので単純作業しかできないしコミュニケーションもとれないのですよ。でも上手く言えませんが不幸とは感じてません。それに10代の頃にブスじゃなくて良かったと思っています。