ダッチロール
]]>そう報道されていたのを覚えている
つか流行語大賞の話だと思ってたけど
調べたら流行語大賞自体が1984年からだった
機長やめてくださいもダッチロールもそれ以前の話だから、大賞に選ばれたって訳じゃなくて単に当時流行してたってだけか
それならポアだって十分に流行してたし同じ事だろうね
東日本大震災のぽぽぽぽーんとかも同じ枠か
]]>ポア(殺人指令)そのものじゃなくてショーコーショーコー(歌)とかのほうなら
やっぱり罪の深い部分、人の死からすこしずらしている分、
比較的、はやしたてやすかったのではないかと思います。
ちょっと迂遠な技術用語の「ダッチロール」などを選んだのも同じ心理だとおもいます。
「機長…」は、働く大人にとっては、深かったのかな。
遺族よりもそっちの心情のほうを深く考えさせられた部分はあったのかもしれませんね。
自分はまだ就職も進学もしていない幸せな子供だったからほとんど記憶にないけど。
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リアタイ昭和人だよ。
身のまわりでは「いわれたら、毎日ニュースが言っているから、よほど疎くなければ気づく」程度のもので、
一般人がネットとくにツイッターみたいなところで書いたりする行動がなかったので。
そんなに有名でなくても、
「マスコミ人にきいたらこれしかないっていったから」とか
「事件名そのものよりはちょっと捻って頭よく見えるから」みたいな理由で
現代用語の基礎知識にのったので、流行語。ということになったわけ。
その年のインパクトある語録だっただけで採録されたといってもいい。
別に流行も定着もしてはいない。
どちらかというとあのあたりから「ブラックボックス(航空記録装置)」は一般化したなあとおもうけど。
ダッチロールは航空分野の技術用語なのでそれを使わずに事故の要因を解説することはできない用語として必須なのは
昔も今もおなじだね。
おすたか山なんて地名もみんな全く知らない山だったから、
一時的に流行した語だというならそっちのほうだとおもうけど
さすがに事故地名だけじゃ意味がわからないから採録はなかったんだろうな。
今だとセンテンススプリングくらいにも口頭(ライン、ツイッターがなかったときにコミュニケーションをつかさどった場所)に
のぼせてはいなかったとおもうよ。
まあでも、日航ホテル火災のときのとか、けっこう不祥事・人身事故由来の流行語枠があって、
必ず一つは採録する習慣があるのは、ちょっとコワイっちゃコワイとおもうかもしれないけど。
でも政治家の舌禍ニュースも事故じゃない意図的な分、
ひどい差別意識が透けて見えて、生きてるだけで傷つきそうになるようなのが
そりゃもういっぱいあったけど今は上品でやんわりしてて無能なのかなーとおもうよ。
ムネオハウスとかでネットでのめされたから。
別に擁護してるんじゃなくて、集計手段があって、のめす言葉もいっぱいできて、ネット民主主義すごいねー。
くらいです。
]]>昔のエピソードとかを見たり聞いたりすると、本当に荒々しくて粗雑で野蛮だと感じることが多い。現代に生まれてよかった。
]]>はてなブックマークで内田樹の参院選についての感想記事が人気を集めている。
参院選の総括
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.tatsuru.com/2013/07/23_0850.php
現に、今回の参院選では「ねじれの解消」という言葉がメディアで執拗に繰り返された。それは「ねじれ」が異常事態であり、それはただちに「解消されるべきである」という予断なしでは成り立たない言葉である。だが、そもそもなぜ衆参二院が存在するかと言えば、それは一度の選挙で「風に乗って」多数派を形成した政党の「暴走」を抑制するためなのである。選挙制度の違う二院が併存し、それぞれが法律の適否について下す判断に「ずれ」があるようにわざわざ仕立てたのは、一党の一時的な決定で国のかたちが大きく変わらないようにするための備えである。言うならば、「ねじれ」は二院制の本質であり、ものごとが簡単に決まらないことこそが二院制の「手柄」なのである。
国会には「ねじれ」があって然るべきという意見のようだ。
さて、このような記事を書いた内田は、3年前、つまり2010年の参院選によってねじれが発生した際に何を書いていたか見てみよう。
フリーズする政治
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.tatsuru.com/2010/07/16_1531.php
鳩山前政権の支持率をあそこまで下げておいて、鳩山前政権の「居抜き内閣」には法外な支持率を与え、世論調査では消費税率アップに賛成しておいて、消費税率について踏み込んだ政策提言をしたとたんに「消費税導入反対」に切り替え、有権者の意向に配慮しないと不満を言い、有権者に媚びるとは政治家としての矜恃がないと非をならす。
これはダブルバインド・セッティング以外の何ものでもない。
そう考えると、日本の有権者が何をしようとしているのかを伺い知ることができる。
彼らは政治過程を「フリーズ」させようとしようとしているのである。
政治家たちを「黙って嵐が過ぎるのを待つ」ようなマインドセットに追い込むことを目指しているのである。
もちろん、個々の有権者に訊ねてみれば違うことを答えるだろう。
けれども、総意としては「政治過程のフリーズ」を求めているのである。
衆院与党が3分の2に達しない「真性ねじれ国会」とは、多くの識者が指摘するとおり、「何も決まらない国会」である。
ダブルバインドの呪縛にかかった国会である。
この記事において、内田がねじれを生み出した「ダブルバインドの呪縛」を良いことと捉えているのか悪いことと捉えているのかは一読した限りでは判然としない。
だがよく読めば、内田はダブルバインドという機序を
仕掛ける方を「主人」に、仕掛けられる方を「奴隷」に、政治的に非対称な関係に固定化するための装置
と述べていて、さらに
人を支配する方法としてメディアは「菅直人のダッチロール」を論難するが、私はむしろ「有権者のダッチロール」が問題であると思う。
とも述べている。このことから、内田はこの呪縛を基本的に悪いことであると捉えていると言えるだろう。
では、内田はこの3年間で「ねじれ」に関する認識を180度転換したのだろうか?
それとも単に、自分が気に入っている集団かそうでないかで意見を変えているだけなのであろうか?
追記
ブックマークコメントより、2007年の参院選のときの記事を示していただいた。
福田政権の無為と女性的資本主義について
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.tatsuru.com/2008/02/12_1607.php
メディアは「ねじれ国会」でさっぱり政策が物質化しないことに文句をつけているが、「ねじれ国会」というのはそういうものである。有権者の総意は安部内閣時代のあまりにばたばたと法案が成立し、このままでは改憲にまで突っ走りそうな情勢に不安を抱いて、参院選での自民党の歴史的大敗を選択したわけであるから、法案がさっぱり成立しないのは国民からの要請に応えて、「代議制が正しく機能している」ことと見るのがことの筋目であろう。
なるほど。
ちなみにこのときの政権与党は自民党であった。
偉大なる先増田様
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