はてなキーワード: タラちゃんとは
タラちゃん「にぱー、ですぅ」
Twitterでフォローしてるアカウントが、サザエさん実況を趣味にしており、毎週サザエさんの時間になると実況ツイートが鬼のように流れてくる。
しかしどうもタラちゃんのことが大嫌いなようで、タラちゃんが出てくるたびに「タラヲ氏ね」だの「タラヲは海に落ちろ」だの罵詈雑言の嵐になる。
ネタで書いてるのかマジで書いてるのかも判然としないんだけど、国民的アニメのキャラクターをここまで嫌いになれるってどういう感情構造なのか気になってしょうがない。
彼がなぜタラちゃんのことをここまで嫌っているのかの理由より、どうしてタラちゃんのことをここまで嫌いになるに至ったのか経緯を知りたい。
実害が出てるとかものすごく嫌なこと言われたとかそういうのならまだわかるんだけど、国民的アニメのキャラクターをここまで嫌いになれるってある意味すごくないか?
😡タラちゃんはお返事しちゃいけないのでちゅか❓
出典は『ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判2』(2004年、洋泉社)、発言者を「町山」及び「柳下」と表記。記述形式は
[ページ数]
(初出)
です。
[p149-150]
【※】『キル・ビル』の話題から、ワインスタインとタランティーノの蜜月関係の話に。
町山:ワインスタインはファイナルカット権を監督から奪ったり、シナリオに何度も書き直しを命じるので悪名高いんだけど、タランティーノだけはノーチェックなんだって。
(中略)
【※】『キル・ビル』撮影当時、クエンティン・タランティーノが「演技指導」の名目で、ダリル・ハンナにハードコアポルノを観せたは有名な話です。
【※】その話をタランティーノから聞かされて、一緒に面白がっていたのが町山智浩です。
【※】タランティーノにワインスタインが甘かった理由も、二人に「性的強要・セクハラ体質」という共通項が有ったからではないか?と私は推測しています。
【※】「特定の人間にだけは甘い」という体質は、町山智浩ら旧体制『映画秘宝』と共通していますね。町山智浩らは、自分たちのことは棚に上げていますが。
(初出『映画秘宝』03年vol.47)
【感想】
タラちゃん3歳なんだ?! すげー流暢に喋るな
さて、なぜ話題になっているかというと、3月6日放送の「ジェラちゃんとノリスケ」の回がきっかけです。同回では、波平がジェラートをもらい、帰宅。タラちゃん(タラオ)など子どもたちは、翌日食べるのを楽しみにしていたのですが、磯野家の留守番を頼まれたノリスケが冷蔵庫を物色。「磯野家には似合わない物が入っているな」などと言い、勝手にジェラートを食べてしまったのです。
この行為に対し、ネット上では、「これからはゴミスケでいい」「外道」「カス野郎」などノリスケを批判する声が多数挙がっています。
また、2015年12月13日放送の「ノリスケ倹約術」でも、ノリスケが居酒屋で寝たふりをし、会計をマスオに任せた際に同様の声が挙がりました。
原作を読み込んで脚本を書いている雪室さん。75歳の大ベテランが怒りのこもった口調で、ネットの意見に反論しました。
——「ノリスケはクズだ」とインターネット上で話題になっていますが、これは意図的にそうしているのでしょうか?
まず、私もネットの批判を見ましたが、非常に怒っています。みなさん、何を根拠に『クズ』だの『ゴミ』と言っているのでしょうか?
ノリスケは、磯野家に居候していた過去もあり、ノリスケの厚かましく、図々しい性格を分かっていれば、それほど罵倒される行為だとは思っていません。作品の背景、ノリスケの性格を分かったうえで言っているのでしょうか?
草
にもやもやする。
今回彼らがM-1の敗者復活戦と本戦とで同じネタをチョイスしたことで2度見て気づいた人も多いと思うのだがインディアンスのツッコミが噛むくだり(タラちゃんのところと罵声と美声のところ)はアクシデントではなく台本に組み込まれている。
ツッコミが噛んだところをボケがうまく広げて笑いに変えてフォローするアドリブ満載の漫才のように見えて実は台本通りのアドリブ風漫才なのだ。
でもそれが間違っているかというとそうじゃなくてそもそも漫才ってめちゃくちゃ練習しまくったネタをさもその場で考えて会話しているかのように見せるものだしその点では漫才として何も間違ってないはずなんだけど、見ていてなんだか騙されたような気持ち悪さがある。アドリブかと思ったらそうじゃなくてやらせっぽく感じるというか。なので間違っているとも言い切れずただただもやもやしている。
twitterとかの感想を見てるとシンプルにアドリブだと思ってる人もたくさんいて、審査員のオール巨人ですら「相方の噛んだところをうまいことカバーできてて素晴らしい」と評してる。お前はそれじゃだめだろ初見でも気付けよと思うが…
噛む漫才といえばかまいたちのUSJとUFJを言い間違えるやつもあるけどあっちにはそういう感情は全く無いんだよなあ。違いはどこにあるんだろう。
かまいたちの場合は言い間違えることがネタの根幹部分でそれなしでは成り立たないのでアクシデントとは全く思わないが、インディアンスはボケがマシンガンのようにボケ倒して翻弄する芸風で一つ一つのボケは脈絡なくても成立するからアドリブっぽく見えるのだろうか。
もっと明確に「言い間違いをいじる漫才」としてコンセプトがはっきり伝わるようなネタになってたら受け止め方は違ったのかもしれない。でもそういうのは彼らの漫才じゃないんだよなあ。
M-1の記事のインディアンスを絶賛するブコメに星がいっぱい付いてて、えーどこがめちゃくちゃ面白いんだよあのネタめちゃくちゃ気持ち悪いじゃんと思って書いた。
子供の頃、おじいちゃんおばあちゃんに敬語を使わないと親から怒られた。もちろん年配者に敬意を払うのは良いことだし敬意を示すべきだと思うけど、部活の先輩ばりに敬語で話すことを強要するのは今思うとマジで頭おかしい。
「おばあちゃん、元気?」とかも許されない。『「元気?」じゃなくて「お元気ですか?」でしょ!』ってキレられた。わたしは別におばあちゃんに敬意がないから「元気?」って聞いたわけじゃない。親しみを込めて話すという概念がまるで分かってない。やばすぎる。おかしいよね?ちびまる子ちゃんで、まる子が友蔵に甘えてるのがいつも羨ましかった。まぁ、あの関係に「敬意」があるのかということは置いといたとしても、困った時や寂しい時はおじいちゃんにあんな風に甘えられるってすごい羨ましい。おじいちゃんおばあちゃんのことそんなふうに思えない。一緒にいるとめちゃくちゃ気使う。まる子はおじいちゃんおばあちゃんと同居してるからああいう関係なのかなぁ。でもタラちゃんは波平に敬語だよなって意見はお断り。アイツはイクラちゃんにすら敬語で話すから論外。
もし自分に孫が出来て、その孫が自分に向かって敬語しか使わなかったら距離感しか感じないし逆に生意気っぽくてウザい。皇族じゃないんだからって思う。孫が夏休みに遊びに来て、帰るときに「お世話になりました」とか言われたら笑っちゃうわよ。そんなんされたら、もうじき死ぬんかなって思うわ
うちの親って本当に変だったなって今になるとすごい思う。体育会系のノリいつまで引きずってんだって感じだし。かと思えば、孫なんだからもっとおじいちゃんおばあちゃんに甘えなさいみたいなこと言ってくる。挙げ句の果てには「お母さんには、いとこがたくさんいたから(つまり自分以外にも孫が大勢いたから)わたしなんて全然構ってもらえなかったわよ!あんたは数少ない孫なんだからありがたいことなのよ!?もっと孫らしくしたら!?」とか言ってきて超絶意味不明。
おばあちゃんに電話かけるのも未だにちょっと緊張するし、親元離れた今となっては敬語7割タメ語3割くらいで話してるけど、そのライン引きが微妙で結局ぎこちない会話になっちゃう。
野沢雅子は他にも銀河鉄道999の星野鉄郎やドロロンえん魔くんやいなかっぺ大将の大左衛門や、
ど根性ガエルのひろしをやってるんだけど、そっちのものまねはしてるとこ見たこと無い。
それはたぶん、野沢雅子の他のもやっちゃうと、野沢雅子の後任みたいになっちゃいからじゃないんかな。
山田康雄のルパンの後任は栗田貫一だけど、クリント・イーストウッドは多田野曜平だし。
特徴的な声色のキャラはみんなでものまねして後任を育てていこう、
似てる声で後任しないで、声を、絵柄も含めて新しいキャラクター作りするのもあるけど、
いまは大山のぶ代のドラえもんに寄せている、と思う(これは本当に個人的な感想だけど)。