はてなキーワード: タブロイドとは
私が言いたかったのは、「作り手に対する敬意がない状態」で悪意的に見た人の個別の内容に対する批判を、「内容に対する反論」で納得させるのは「不可能」だということ。
よくある2chでアニメアンチたちが「この脚本がクソ、寒い、ガバガバ」とか言って個別のこういう展開がダメだと言っているようなこと対して、
どんなに上手に言語化して長文で物語とはどういうものか、というレベルから説得したとしても、絶対に理解させることができないし、自分が感じた「欠点」に対して寛容な見方に変えさせることはできないんです。
それは、先のエントリで述べたように、非対称性があるからです。だから結局、どうしても、デフォルトの視聴姿勢を変えるくらいしか忠告のしようがない。
それに、主体性やウーマンパワー的なもの、巧遅拙速を再評価しよう的なイノベーション思考、自由に動いてこそ答えにたどり着く、多様性と寛容、…
そういった作品のテーマ性にかかわることがらは、個別的な部分で表現されているものではなく、全体で少しずつ積み重ねられているもの。
でも、「クソ寒いわ」と思って見ている人は、その積み重ねの部分部分をことごとくはねのけて、1ミリも積み重なっていない状態になっているので、
個別にこのシーンはこうなんだよと解説した所で、「やっぱうさんくせーわこじつけ信者乙」って気分になって感性のアンテナが反応しない。
結局、初見で運良く自分の中にするりと入り込んでこなかった表現は、他人がブログで長文で書いているようなものを読んで、視座のとっかかりを得てから全編見直すくらいの事をしないと、その良さを理解できないわけです。
人生体験は人それぞれ違うので、するりと入り込む部分とそうでない部分が一作品の中にも必ずあるから、きちんと公平に論評しようとするならそういう作業は必須。
もちろん、そこまでする気がなくても、あくまで自分の感性に従った感想をもつことは自由だけれど、
そうして至ったネガティブな捉え方をネットで発信して、悪意の感染に加わってしまうことが、いかにクリエーターにとって辛いことなのかを考えてみてほしいというのが趣旨です。
とくに、アニメというのは敏感になるべきなんです。
視聴者は若年層やASD傾向の人が多いため、その人生経験の少なさや精神気質ゆえに、著しく思慮に欠けた受け止め方をする方が非常に多い(決めつけですが、ネットをみている限りではそう感じます)。
すべて、とは言わないまでも大部分が文章で説明されている小説とは違って、映像作品は表現やその意図が曖昧になりがちだし、尺の都合または演出上の省略が多用されるので観る側が擦り寄ってある程度補完してあげる必要がある。
また、その作品が本当に自分向け(年齢・性別・文化嗜好のクラスタ的な意味で)のアニメなのか、見極めるのが難しいという問題もある。
そういった諸々を考えると、ネットで悪い(と自分が感じた)部分を書いて作品を侮蔑するのはたしかに自由だけれども、極力慎重になってほしいと強く思うんです(そのための「謙虚」を説いたのが先のエントリーです)。
そういう思いが強すぎて、つい偉そうな攻撃的口調になったことは謝ります。私も未熟で自己矛盾を抱えた30代のおっさんなんです。
こういう事を話すことで、少しでもあらゆる趣味に理解と敬意を示せる人がネットに増えてほしいし、すぐ何かをクソ呼ばわりしたり、丁寧に長文で特定方面をdisするような人やメディアが減ってほしいと思う。
私はアニメが好きだけれど、女児向け、BL系、右翼系、日常系などはあまり好まないので見ない。でも、それらの作品を内心でもバカにはしたくないし、そのファンもバカにしたくない。
はてブでもはてな有名人系、まとめブログ系、タブロイド系は非表示にしているけど、それらのメディアを攻撃はしない。ただ避ける。それらを好む人もバカにしたくない。
そういう人が増えてほしいんです。
いや、増えたところでそういう人は「見えなくなる」から増えたかどうかも分からないのですが。
ただ、そういう人、静かな怒れる人の存在を、あなただけでなく、すべてのネットユーザー、はてなユーザーに意識してほしいと思いその一心で書きました。
http://anond.hatelabo.jp/20151017172745
あ~、この記事を書いた元増田なんだけど、ちょっとはてな~民に言っておきたいことがある。
結論から言うとはてな民はまとめサイトの拡散力を甘く見過ぎだ。
「日本人はそんな人ばっかりじゃないし、少なくともブクマしてる俺は違うよ」
みたいな考えを持ってるんだろうけど、残念ながらまとめサイトを見てる人の数を甘く見過ぎだ。
大手まとめサイトに特集されると当然そのサイトを見てる人は影響されるし、また大手まとめサイトのネタをコピーして使うまとめサイトがバンバン出てくるからそこから更に
樹形図の様に大量に広がり続ける。
そうするとぼう台な数の人間に影響をあたえることになる。
それは当然日本人のある種のイメージに一定の影響を与えるものなんだ。
もちろんすべての人がそれで考え方が変わるわけじゃないけど当然影響を受ける人は出てくる。
いろんなサイトやコミュニティを見てるけど(朝日、産経、日経、BBC、2ch、まとめサイト、Reddit、Twitter、4ch、はてな etc)
まとめサイトで集中的に取り上げられる題材は有る一定期間を過ぎると明らかに影響を受ける様になってくる。
もちろんそれは、賛同意見だけじゃなくて反発的な意見も出てくる。
つまり既に日本のネットの中ではまとめサイトの影響って否応なく受けるものでどうしても無視できない。
なんだかはてな民の大多数は拡散力の強さをしらないか、あるいは過小評価し過ぎじゃないのか?
id:zions その見方はちょっと古いな。最初期はそうだったんだけど、徐々に実はドイツこそがEU内で不当に利益を得ているのではないか?という悪の帝王的見方をされつつある。これは原発問題もそうだし歴史認識問題とかの点や中国に味方しているのではないかという疑心暗鬼から生まれた複雑なイメージなので簡単には語れないが。
id:festerfester その見方は俺も正しいと思うが、この話題は「日本人」が「ドイツ人」をどう思うかなのであんまり関係ないと思う。日本人もそうだったからドイツ人を責められないねみたいな論調は今のところ見られない。(あるかも知れないが)
id:mn112hr 日本国民じゃなくて日本国内だ。まとめサイト等に影響された人たちが国内前提でのイメージを徐々に下げつつ有る。もちろん影響を受けない人達もいるが(はてなはそういう人多いよね)残念ながら大局的に見た場合の影響は明らかに出つつある。
id:shibashuji BBCの好感度調査ではドイツ人は前からアジア系の人たちに対して好意の数値が低かったんだよね。日本に対してもそうで、その当時そういう片思いだ的論調が非常に多かった。面白いのが韓国の人たちも同じ事言ってんだよねぇ。
id:FTTH Yes.でも残念ながらそういう雑な見方する人は多いんだ。
id:t714431169 その件は書き忘れてたw
id:testa_kitchen 一部って感じじゃないなぁ。まとめサイトに流されてかタブロイド系も徐々に厳しくなりつつある。VW不正が決定的だった。あれはでかすぎてゴシップ誌だけじゃなくて普通の新聞とかも取り上げざるを得なかった。しかもギリシャ問題と違って(あっちは金融問題のせいもあって複雑)かなりわかりやすくVWが悪いって話だから影響力が強すぎる。
その先輩と私は同じ学部で、サークルも一緒だった。専攻は、とある文系の学問とだけしておく。
私がサークルを辞めると同時にその先輩とは疎遠になったのだが、その後数年を経て、FBで友達になった。
サークルをやめてからその先輩とは疎遠になっていたので、その後の足取りを私は知らない。だが、先輩のFBでの活動は見ててとてもつらかった。
原発絡みのデマ記事をシェアして、師事していた教授から「それはデマだよ」とツッコミを受ける。
「どうしてお金なんてあるんだろう」と貨幣経済を否定するつぶやきをして、やはり師事していた教授から「経済学をイチから勉強したらいいよ」とツッコミを受ける。
ワクチンを全否定する記事をシェアするも、友人っぽい人からは内容にほとんど触れられずに「最近元気してる?」とコメントがつく。
最近では、明治維新は陰謀だと主張している。何を言っているのか最初本当にわからなくて調べてみたが、BLACK LAGOONのファビオラ曰く「タブロイド誌のバカ記事」にでもなりそうな内容だった。
その先輩が次に何を言ってくるのかワクワクしている反面、次から次へとデマや陰謀やニセ科学を信じてシェアする姿は、見ていて痛々しいものがあった。
私個人としては、別に政治的な信条などはどうでもいいのだけれど、とりあえず先輩に言いたいのは、「デマや陰謀を信じるのはやめようよ」ってことである。そういうのに騙されないために、我々も、学生も、大学で勉強をやってきたのではないのだろうか。誰か止める人はいなかったのだろうか。このままいくのとどうなるのだろうか。知り合った時とはまるで違う先輩の姿に、戸惑いとともにある種の喪失感のようなものを覚えた。
AVのセックスはファンタジー、というのは今時童貞でも知っていることなのだけれど、知性と理性を吹っ飛ばせたセックスとAVのセックスを混同している非童貞がいるというから驚きだ。
男女300人の絡みを撮影...知性と理性を吹っ飛ばせて見えた境地とは【大橋仁 INTERVIEW】|タブロイド - オトコをアゲるスマホニュース
300人っていう人数をもってSODみたいっていうブコメが多いけれど、本質はそこではないのだよね。
上の記事に当初掲載されていた写真は今は消されているので下のリンク先を見て欲しい。
【注意】スケールが違い過ぎる。300人のセックスを撮影した衝撃作「そこにすわろうとおもう」 - EG
仁王立フェラ()に、男性と女性の身体が垂直に交わる正常位、絵に描いたような後背位。
で、女性は揃いも揃って「感じている」例の表情だ。
流石に流石に。
こういう典型的な「AVらしい」描写っていうのは、際限のない多様性を持つ男性の性欲の中から、最も多数派のものに添うように規格化されたものなわけだよね。
知性と理性を吹っ飛ばせて手堅いマーケティング戦略をトレースするってどうなの。
こういう簡単なことが見えてなさそうで怖い。
冷凍時に磁力を加えるか何かで、食品の鮮度保持が飛躍的に高まる、のキャッチフレーズで、
自分は「このCAS技術を使えば、何かできるんじゃないか?」と前から考えていた。
で、今週の水曜~金曜に、東京ビッグサイトで「アグリカルチャーフェア」が開催されていて、
最新の農業ITとか植物工場とか展示されていたんだが、その中でCASも展示されていた。
「どれどれ・・・」と見に行ったが、
そこに「CASを批判する冷凍学会はオカシイ!!」という記事を掲載した新聞が山積みされていた。
「?」と思ってみると、「環境農業新聞」という見慣れないタブロイド新聞が置いてあった。
1面、2面と、冷凍学会を批判する記事が続いていて、「・・・」と思いながら読み進むと、
最終面で「由井寅子が推奨する自然農法、ホメオパシー云々」というトンデモ記事が載っていた。
何のことはない、由井寅子のフロント新聞社が環境農業新聞だったわけだ。
この瞬間、「ウチの会社もCASを導入して・・・」という自分の構想は、瞬時に消え去った。
自分は文系なので、CAS技術が妥当な技術なのかどうか、判断する能力がない。
だから、「CASって、面白いかも」と興味を持っていたのだが、
「由井寅子の新聞でプロパガンダしている技術」「由井寅子と心中せざるを得ない技術」ということで、
自分の中の「エセ科学アラート」が作動して、一気に疑念の念に変わった。
もしCASが環境農業新聞なんかに記事掲載していなければ、自分は「CASは夢の技術だ」と思い込んで、
ウチの会社に導入して、大恥をかくところだったのかもしれない。
今日4/7、辞書アプリである大辞泉(小学館、開発:HMDT)バージョン2.0が有料アプリとしてリリースされた。以前のバージョンの大辞泉を持っている方はアップデートしないことをオススメする。
重要なお知らせ
大辞泉は、バージョン2.0からは有料アプリとなりました。2.0から購入された方は、すべての機能がご利用いただけます。大辞泉を、バージョン1からインストールされており、「利用回数の制限を解除」するライセンスを購入していない場合は、利用回数が0になった時点で、検索などの機能が使えなくなります。
『大辞泉』は、バージョン2.0からは有料アプリとなりました。バージョン1のときにインストールされた方は、無料アプリとしてダウンロードされたと思います。これにより、バージョン1からアップデートされた方は、いくつかの相違点が発生します。
すでに「利用回数の制限を解除」ライセンスをご購入済みの方は、特に差異はありません。今まで通りすべての機能がご利用いただけます。
まだライセンスをご購入されていない方は、現在の利用回数が0になった時点で、検索などの機能が使えなくなります。バージョン1では時間経過とともに利用回数が回復しました。これは『大辞泉』の大きな特徴でした。ですが、バージョン2.0以降では利用回数は回復しないことにさせていただきました。引き続きご使用になられるときは、「ストア」画面よりライセンスを購入してください。
「大辞泉」は当初、「デジタル大辞泉」の名で普通の買い切り有料アプリとしてリリースされた。HMDTが開発をし、小学館が配信していた。
競合アプリである大辞林(三省堂、開発:物書堂)の2500円に対し、デジタル大辞泉は2000円と安く、年3回の辞書データ更新を保障していた。
2013年5月、デジタル大辞泉は新アプリをリリースし注目を集める。名前からデジタルを取った新アプリ「大辞泉」はなんと無料だったのだ。26万語が無料!すばらしい!
そのカラクリはこうだ。
簡単に説明すると、利用可能回数の上限が決まっていて、検索すると1減る。画像を表示すると3減る。動画を再生すると10減る。回数が足りなくなると、機能が一部使えなくなる。減少した回数は、時間が経つと回復する。
大辞泉がソーシャルゲームになった理由 | HMDT Blog(645はてぶ)
なんでこうなったかというと、まず背景としてあったのが、App Storeにおいて有料アプリが売れないこと。たとえば、今日のApp Storeのトップセールスランキングを見ると、100位までの中に有料アプリは、、、0!100位を超えるとかろうじて有料アプリがポツポツと出てくるものの、ほんの一握りだけ。つまり、売り上げを立てているのは、ほぼすべてアドオン課金タイプのアプリ、ということだ。
「いや、有料アプリだって売れているものはあるよ」「逆に言うと、有料アプリランキングの方が手薄だからランキング上げやすいよ」という意見があるのも知っている。85円のアプリを10,000本売る、というビジネスモデルだったら、それはありだ。でも、辞書アプリはどうしても単価が高い。この戦略はとれない。
とにかく、アプリはユーザに触ってもらえないと話にならない。うちで作るアプリは、触ってさえもらえれば、気に入ってもらう自信はある。だけど、2,000円のアプリでは、このハードルがとても高い。だから、無料にした。無料にするしかなかった、と考えている。
今度からは、HMDTが企画、開発、配信まで全部やることになった。アプリ名も、そのものずばり『大辞泉』でいく。これを国語辞典アプリの決定版にする、という気概を込めた。
配信元がHMDTに移った事で、いままではやりにくかった大きなチャレンジをいくつもてがけることができた。
すべての辞書機能を無料開放しつつ、その使用に回数制限を設け時間回復するという画期的な手法がソシャゲ風だなんだと少し騒がれた。
まるでソーシャルゲーム? 一定時間ごとに「利用可能回数」が増える、基本無料の辞典アプリ【大辞泉】(40はてぶ)
[iPhone, iPad] 大辞泉: 無料で2000円分の辞書機能が使えます!ユニークなシステムで新登場! - たのしいiPhone! AppBank(38はてぶ)
「大辞泉」アプリが基本無料で再登場 ソシャゲ風課金システム採用 - ITmedia ニュース(10はてブ)
ソシャゲっぽい無料モデルを導入した『大辞泉』は辞書アプリ界のパズドラとなれるか? | TABROID(タブロイド)(22はてぶ)
新アプリリリース時、利用可能な回数上限は15ポイントだった。減った分は15分で1ポイント分回復する。待てない場合は85円で1回だけのフル回復ができ、2000円で回数制限そのものを解除できた。
旧アプリである「デジタル大辞泉」を購入していると、「大辞泉」も無料で全機能が使用でき、歳時記などの追加コンテンツも移行できた。
(ちなみに「デジタル大辞泉」は今もAppStoreに顕在。公約である年3回の辞書データ更新は未だに守られ続けており、iOS7にも対応した。)
利用可能回数の最大値を5に変更しました。
当初15ポイントだった利用可能回数制限が5ポイントに減らされた。それに伴い、10ポイント消費だった辞書内の動画再生が3ポイントに減り、新たに600円で「利用回数の最大値を50に拡大」が追加された。
理由はこうだ。
この最大値の切り下げには、色々な議論がありました。ライセンサーからの強い圧力があったのも事実です。ただ決定的だったのは、利用回数の調査結果です。実際にユーザが、連続してどのくらい検索を行っているのか、調査してグラフにしたのが下の図です。
1回しか利用していないユーザは55%、半数以上にのぼります。5回以内のユーザをカウントすると、92%になり、大部分のユーザは5回以内で問題ないんですね。それとは逆に、15回全部使い切るユーザも一定数いることが分かります。
ここから、多くのユーザの使い勝手はそのままにして、ヘビーに使ってくれているユーザに新たな選択肢を与えたい、ということを議論した結果、最大値のデフォルトを5にして、最大値拡大のアドオンを追加する、という落としどころを見つけました。これでさらに利用してくれるユーザが増えてくれると嬉しいです。
ライセンサー(小学館?)からの圧力とあっては仕方ないが、残念な改悪だった。
「利用回数の制限解除」通常2,000円→セール価格1,400円
その内容は冒頭にも載せた通り、アップデートすると利用可能回数制限の時間回復がなくなり、0ポイントとなると辞書機能は使えなくなった。
理由はこうだ。
有料化へと至った経緯
『大辞泉』は無料アプリとしてリリースすることで、14万を超えるユーザにダウンロードしていただきました。また、時間経過とともに利用回数が回復する、ソーシャルゲーム的な手法を取り入れる事で、大きな注目を集めました。この手法は、スマートフォンアプリ市場において、ユーティリティタイプのアプリの新たな活路を見出す事を目的としたものでした。
しかし、この成果を収益に結びつける事はできず、事業の継続が困難となりました。さらに、ライセンサーからも現在の状況を憂慮した、強い働きかけもありました。このような状況のため、無料アプリとしての展開は終息して、有料アプリとして再出発させていただく事となりました。ご理解のほどをお願いします。
ほぼ同じ文章が大辞泉アプリのフェイスブックにも掲載されている。HMDTのツイッターは去年12月の1度目の改悪(バージョン1.6)以降、バージョン1.6.1.や1.6.2リリースの際も今回もツイートがない。普段リリース報告をしたり、上記のようにアプリに対して説明(釈明)していたHMDTのブログも未だ沈黙している。
私が知る限り事前予告はなかったと思う。残念だ。
幸い、都内の区立図書館から徒歩数分の場所に住んでいるので、毎週通って、1週間で7冊[1日1冊]のペースで読破している。
だが、自分もいいオッサンになっていて、今のペースだと、死ぬまでに読める本の冊数は、せいぜい1~2万冊だろう。
徒歩数分の図書館は中央図書館じゃなくサテライト図書館だが、調べてみると蔵書は9万冊らしい。
つまり、自分は死ぬまでに、この図書館の本をすべて読破することは不可能。
逆に言えば、この図書館で、生きている間に読むことができるのは、1~2割の本でしかない。
「この本は、生きている間に読むべき1~2割の本に該当するか?」ということを、常に意識しながら借りている。
「右隣の本より、左隣の本より、上隣の本より、下隣の本より、魅力的を思われる本」を厳選して借りるようにしなきゃ、「間に合わない」のである。
そう考えると、若いころにゲームにハマったり、通勤途中に日刊ゲンダイみたいなタブロイドを買って暇つぶししていた過去が、
「勿体なく」感じてしまった。
せめて大学生の頃までに読書週間を身に付けておけば、人生で読破できた本の総量は、1万冊程度上積みできたのに・・・
現代みたいな「本も溢れている、ゲームも溢れている、ネットは指数関数的に溢れている」時代においては、
むしろ「あなた方は、人生の間に摂取できる情報は、全情報量の1%もありません。なので、厳選した情報を摂取しましょう」という
「情報を厳選摂取する教育」あるいは「人生の時間の有限性を説く教育」というのが、重要になってくるのでは?
戦前みたいに「図書館の蔵書数もたかが知れていた」時代であれば、(特に厳選作業を経ずに)行き当たりばったりで読書していても
そんなに問題はなかった(=人生を費やせば、大体の本を読破できた)のだが、今みたいに蔵書数が指数関数的に増大した社会では、
それから一番の問題は、
これらは、少なくとも作ることにかなり大きなリスクが伴うんだよ。
だから、バカがいきなりテレビ局作ったり週刊誌作って売ったりすることは不可能。
既存のメディアが作るゴミは多いけども、それでもクズが何も考えずにゴミを量産することは出来ない。
一方、ネットではクズが何も考えずにゴミを量産することが出来る。
しかも、法的にも整備がまだ行われてないので、クズみたいな行為もほとんどがやったもん勝ち。
ネットに限らず昔からこういう法整備前のやったもん勝ちみたいな事は行われてきたから、ある意味同じ道といえば同じ道なんだけど、
・承前
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20120820/235791/
・要約
1ヶ月の訪問件数を4倍にしたら不可能と思われた目標達成したでござる
・感想
・補足
断っておくと、これは頭の悪い記事ではあるものの、頭の悪い人が書いた訳ではない
タブロイド誌のヨタ記事のようなもので、頭の良い人は頭の悪い人を騙すために書かれた記事である
この記事を書いた目的は
であろうが、真に受けた99.9%の社長は「自己努力でなんとかしよう」と思うだろう
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1550289.html
こことか見てるとそんなこと抜かしてる奴が多いが、どれだけ英語メディアに幻想持ってるんだって思う。賭けてもいいが、こいつらは継続的に英語メディアから情報を得ようとしたことなんてないだろう。そうでなければ、欧米のやることは何でも正しいと思う白人崇拝主義者、英語マンセー主義者であるかのどちらかだ。
英語メディアの報道、なかんずく日本関連報道がどれだけ客観的かは、この辺知ってからにしてもらいたいね。
これらはどれも、夕刊フジや日刊ゲンダイみたいなタブロイドの記事ではなくNew York TimesやBBCあたりの高級メディアに見られるものだ。要するに、根も葉もないとまでは言わないが、日本に関する「不都合な真実」には尾ひれ胸びれ背びれあたりがつきまくっているのである(念のためカタカナ云々に関して言っておくと、漢語が外来語であることが完全に忘れられているのと、分かち書きのない日本語では文節・単語区切りを文字種の変化によって示す必要があることが見落とされている)。米英豪あたりの人間が「俺たち西洋人はススンドル」ということを自己確認するためのものとしか言いようがないのだ。日本の中国報道なんかにもかなり眉をひそめたくなるものがあるが、それが可愛く見えてくるほどの惨状だ。
というか、「リテラシー」がどうこうとか抜かしているお前らは「また大西か」という言葉を聞いたことがあると思うのだが、こういうときになると忘れてしまうというのが本当に不思議だ。所詮、英語圏だろうと日本語だろうとマスゴミはマスゴミだぜ?だったらまだ、明らかなトンデモは書けない国内報道の方がずっとまともだと思うのだが。例のWaiWai騒動のことをもう忘れてしまったのかね?あれこそ氷山の一角にすぎなくて、英語圏では本当に日本に関してはトンデモ情報がまともな情報を圧しているのだよ。一部の日本マニア(Japanphiles)たちの地道な草の根努力(たとえばJapanProbeをぐぐれ)があってどうにか日本は評判を保っているなんていう悲観的な見方もできるぐらいだということはもっと知られてもよい。
From Creating Passionate Users
By Kathy Sierra
私はTwitterが怖い。これだけ人気があるサービスだけれど、私は少なくとも三つの問題点を見て取れる: 1)Twitterは心理学にいう「間欠的不規則報酬」のほとんど完璧な実例である。これはスロットマシンが人を惹きつける仕組みと同じ。 2)Twitterを使うことで得られる強力な「人とつながっている感覚」は、脳を騙して「何か有意義な社会的交流を行っている」と思わせてしまいうる。その一方で、脳の別の(古い)部分では、そこに人間の生存にとって重大な何かが欠けていると「分かっている」 3)Twitterは「常時マルチタスク状態」の問題を悪化させる要因の一つであるーーもしかしたら他のものよりもっと強力かもしれない。Twitterをしながら(もちろん、emailでもチャットでも同じ)、深く考え込んだり、フローの状態に入ったりすることはできない。
[注意: 私はこの問題について本当に少数派みたいで...ほとんど100人中99人がTwitterを支持している状態だから、たぶん私が間違っているのでしょうね(でもとりあえず書いてみるけど)。それと、この記事の大部分は、関係するテーマについて私が書いた様々な記事を混ぜ合わせて作ったものです]
この三点についてもっと詳しく見てみましょう:
スキナーの発見の中でも最も重要なものの一つは、間欠的に強化された行動は(継続的に強化されたものとの対比において)、最も消えにくいということだ。言い換えると、間欠的な報酬は予測可能な報酬より優れているのだ。これは大抵の動物トレーニングの基礎となっていて……人間にも応用が効く。スロットマシンがあんなに人の心に訴えるのはそのためで、別に中毒にならずともこのことに気がつくことはできる。
テクノ心理学者のパトリシア・ウォレスは〔中略〕Emailがーー十代の子供のみならず成人に対してもーー持つ魅力の一部はスロットマシンの持つ魅力に似たものだと主張している。「間欠的変動強化を受けているのです」とウォレスは説明する。「毎回報酬をもらえるのか、またどれくらい頻繁にもらえるのかがはっきりと分からないがゆえに、ハンドルを引き続けるのです」
多くの人にとってTwitterの最大のメリットは、他の人とよりつながっていると感じられることにあるようだ。カーソン・システムズのリサは、Twitterを擁護するテラ・ハントの記事へのコメントの中で、これを次のように表現している。
「Twitterは友達の感情や地理的な場所、動作を記録することによって〔中略〕このギャップを生めてくれる。まるで私たちが本当にそこにいるみたいにね。このおかげで『本当に』つながっているって感じになるの」
これは本当に良いことなのだろうか?
おそらく、答えはイエスなのでしょう。たぶん、ほとんどの人にとっては。けれど、「人とつながっているということは常に良いことだ」という反射的な回答は批判的に検討してみる価値はあると思う。UCSFの神経生物学者であるThomas Lewisさんは、「注意しないと、たとえ実際はそうでない場合であっても、人は脳の一部を騙してーーはるか昔より人の生存にとって不可欠なものであるーー本当の社会的交流を行っていると思わせてしまう」と主張している。これは不快な(しかし無意識の)認知的不合致、つまり脳が必要だと思っているものを取っているのだけど、「科学的に完全に分かっているわけではないけど、おそらく嗅いで感じられる何か」を満たすには足りないという状態につながる。彼はこれをTwitterについて言ったわけじゃないけど……Conference on World Affairsで彼の講演を聞いた時には、emailやチャット、さらにはテレビにまで言及していた(脳は「人々」を見ていると認識して、社会的関係を持っているに違いないと考える(GOOD)、けどそこには何かが欠けているとも気がついている(BAD))
Lewis先生はとても多くの研究を引いていたけど、私はそれを書きとめなかったので、このことは割引いて聞いてもらってもいい。加えて、私は彼がemailやチャットについて述べたことをTwitterに拡張していることにも注意。けれど、Lewis先生が言うことには、私たちがこのようになる理由の一部は、私達の脳が体の身振りや顔の表情や声の調子などを解釈する先天的な能力を発達させていて、こういう情報のチャンネルを予期していることにあるのだという。だから、社会的交流があるように見えているけれども、この先天的な、昔ながらの脳の機能の一部が働いていない状態になると、ストレスを感じるのだ。
繰り返すけれど、だからといってそれに見合う価値がないというわけじゃない。これは遠くに離れた家族や友達とつながっているには非常に有益なものだ。私が言いたいのは単に、これが一部の人々に「私はつながっている」という誤った感覚を与えていて、現実のつながりを犠牲にさせているかもしれないと問うてみる価値があるということだけ。
隣の人とコーヒーを飲むのは、千のTwitterの投稿より脳に多くを与えてくれるかもしれない。
これと同じような議論はずっとなされてきたし、テレビにだって同じことはいわれているけど、それだからこの話が間違っているということにはならない(孤立したカナダ人の村にケーブルがようやく開通すると、集団のIQが下がってしまったという研究がある...とルイス先生は講演のなかで述べていた。私はこの研究への引用をウェブで見つけることができなかったけど)
皮肉なことに、Twitterのようなサービスは同時に、仲間の輪の中に入っていないのではないかという心配を一部の人たちに植え付けて、「つながっていない」という感覚を起こさせる。「常に更新している」ことの重要性を高めることで、十分頻繁にtwitterをチェックしたり投稿したりしていない人たちの「何かが欠けている」という感覚を増幅させてしまうのだ。
前の私の記事より:
最悪なことに、この押し寄せる投稿は、私たちのほとんどを最も幸せにしてくれる「あること」から引き離してしまうということだ...つまり、フローの状態にいることから。フローの状態に入るには深く考え込み、意識を集中させる必要があるけど、この種のコンテキストを切り替えるものはそのどちらも妨げてしまう。フローの状態では知識やスキルを意欲的に使う必要がある。これはマルチタスクで(食べながらや、テレビを見ながらなど)できるような頭を使わない仕事とは全然違う。フローでいるには、ある程度の時間を使って知識とスキルを脳のRAMにロードする必要がある。そして、それが大きいものであれ小さいものであれ、より多くの邪魔が入るにつれて、ますますフローの状態にはたどり着き難くなる。
しかも、フローの状態に入れなくなるというだけではない。およそ何かについて熟達するということもなくなってしまい、エキスパートにもなれなくなってしまうのだ。脳科学者に尋ねてみれば、エキスパートとなるのに重要なのは天才かどうかではなく、物事に集中できるか否かなのだと教えてくれるだろう。
情報過多という現象に対する反動はもう見えている。Web2.0 VC はかなりの額を、情報を整理(されたままに)する サービスを約束する会社に注いでいるみたい。43 Foldersがトップ100のブログに入っているのにはそれ相応の理由があって、それは単にMerlin Mannがカッコいいというだけではないの ; )
たくさんの人がこのことについて語っている。でも、たぶんLinda Stone以上に雄弁な人はいないと思うけど:
継続的な注意散漫状態とは、半端な注意を払うということーーそれも絶え間なくね。これはネットワークのライブノードでいたいという欲求に基づく行動だ。別の言葉で言えば、私たちは人とつながりたいし、つながれた状態でいたいの。どんな時でも、チャンスを見逃さないように効率的に目を見張らせようとし、最も良いチャンスや行動や関係のために最適化しようとしている。忙しくすること、つながっているということは、すなわち生きているということ、他者から認識されること、そしてなにがしかの存在となるということなの。
絶え間なく部分的な注意を払うのは、何一つとして見落とさないため。常時つきっぱなしで、どこへでも、いつでも、どんな場所でも働くもので、人為的に作出された慢性的な危機感もこれに含まれる。この人為的で慢性的な危機感というのは、マルチタスクというより、継続的な注意散漫状態に典型的に見られるものよ。
Twitterを使うことにメリットがあると思う? もちろん。Teraはこのメリットを本当によくまとめている(その全てがメリットであるとは考えない人もいるけれど、その人たちもテラの主張には賛成の立場に立っているのであって、大事なのはその部分)
人々がTwitterを責任を持って使えると考えているの? しっかりコントロールしつつ、twitterを使うことで注意散漫になりすぎたり、(タブロイドニュースやTVがアメリカでこれほどまでに広まった原因たる)覗き見のたぐいを避けて?
当然、そう思っている。
私が言いたいのは、ごまかしを避けて、「常に注意をそそぎつづける」というウサギ穴にどれだけ深く入り込みたいと思っているのかを判断してみるべきだというだけ。
私はTwitterのターゲットではなかったーー生まれながらの独り者なのよ。私はそこまでつながりあっていたいとは思わない。そして、ミステリーを残しておくという美学が大好きなの。それだけ多くの人たちについて、そんなにも多くを知りたいとは思わないし、人々にそんなに私のことを知ってもらいたいとも思わないの..それが日常のことであれその他のことであれね。だから、これは私がマイノリティたるゆえんで、私のTwitterに対する恐怖は、私独自のーーねじくれてあまり一般的でないーー個人的な性格に由来するものなの。
本文書は原文の著作権表示にしたがい、Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike 2.5 Licenseのもとで利用できる。なお、訳者の著作権は全て放棄する。
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果たして生き残る道はあるのか、と。
同社はジャネット・ロビンソン社長、サルツバーガー家が筆頭株主で、ボストン・グローブとインタナショナル・ヘラルド・トリビューンなど高級紙を抱える。
購読層が比較的裕福で、かつ知識階層であるため07年までは広告収入がよかった。インターネットとU―TUBE全盛を迎えるまでは。
2007年、NYタイムズは新社ビルをNYのミッドタウンに建て、周囲を睥睨した。工事費は6億ドルだった。
98年から2004年にかけては自社株買い。高度成長と広告費ののびを背景に自信満々おこなわれ、27億ドルを投じた。
これが完全に裏目に出た。
2003年にはワシントンポストと共同経営だったインタナショナルヘラルドトリビューンを完全に子会社化するため6500万ドルを投資した。ヘラルドトリビューンは依然として赤字である。
この結果、同社は赤字体質が恒常的となる。
09年末に9900万ドル、2010年に2億5000万ドルの長期債務の期限が来る。
短期借入金は、この他に3億8000万ドル。このため新築ビルを売却し、社員を減らし、あいたスペースを賃貸にし、そのうえでメキシコの大富豪カルロス・スリム・ヘルから2億5000万ドルを年利10%の高利で借りてしのぐ。カルロスはすでに同社の6・4%の大株主でもある。
また所有球団「ボストン・レッド・ソックス」の売却も視野に入れている。
▲多角経営は負担になってきた時代の変化
米国に限らずマスコミはネット時代になって、活字媒体ならびに地上テレビ局は極端に広告が落ち込み、どの企業も社員削減、経営効率化、不採算部門閉鎖、ネット部門強化などを打ち出したが、時間的に対策は遅かったのかも知れない。
NYタイムズは、08年売り上げが14・2%のダウン、07-08年で19・5%の減収を記録した。
NYタイムズ社の陣容は1300名の社員と2億ドルの予算、米国有数である。しかし近未来の明確な経営ビジョンを描けないのだ。
日本の大手マスコミが参考にしてきた「マスコミ産業」というビジネスモデルも地殻変動的に破綻を迎えた。
ネット配信による広告収入はたしかに増大しているが、NYタイムズ全体の、まだ12%をしめるに過ぎず、かといって一旦無料にしたネット配信のニュースをふたたび優良に戻ることは無理がある。
保守の名門・老舗ウォールストリートジャーナルとて、ニューズコープ社のマードックに買収(07年に56億ドル)されて以来、紙面をタブロイド版にし、経済ニュースばかりか社会ニュースを激増させた。
そのうえで、ネット配信ニュースを無料とした。理由はネットの広告料が増えれば、全体的なメリットがあると計算したからだった。
このような環境変化によりニューズコープは08年第四四半期に64億ドルの赤字に転落した。系列のフォックステレビさえ広告収入が劇的に落ち込んだ。
▲「USAトディ」のガネット社も大変だぁ
米新聞大手グループのガネット社は五日間の無給休暇を導入した。
同社は最大手「USAトゥデー」など85の新聞を発行し、23局のテレビを経営、総従業員はおよそ三万人強。全米マスコミ最大である。
無給休暇を2009年1―3月期中の取得を義務付けると同時に、もし休暇取得を拒否した場合にはレイオフ(一時解雇)の対象になる措置をとった。
すでにガネット社は08年12月に傘下の新聞社で約10%の人員削減を決めた。広告収入の大幅な減少が原因である。
にもかかわらず売り上げ減退に歯止めがかからないため、コスト削減を一段と進める。
一方、会社更生法を申請したトリビューンは、主力の「シカゴ・トリビューン」をタブロイド紙面として、再建を目指す。ただしタブロイド版は、駅売りに限り、宅配サイズは従来通りの方針という。
オバマ大統領の地元はミシガン州。その地元大手マスコミ、「デトロイト・フリー・プレス」と「デトロイト・ニュース」は毎週月曜日から水曜日の配達を中止し、インターネットで配信する方針を固めた。
両紙は広告が集中する木・金曜ならびに日曜版に配達を限定し、ネット版は無料で閲覧という措置をとった。
デトロイト・プレスは発行部数30万部を誇り、全米で20位の有力紙だがビッグスリー(GM、フォード、クライスラー)の販売不振など、地元の自動車産業からの広告が激減。
かくして米国マスコミ産業は急速に業界の淘汰・再編が進んでいる。
シカゴ・トリビューンは08年に不動産王のサミュエル・ゼルが買収し、創業家の経営支配から脱却、従業員による持ち株方式に切り替えていた。経営の効率化を急ぐゼル会長は本社ビルの売却も表明していた。
TIMEとならぶ全米週刊誌の雄は、NEWSWEEK(親会社はワシントンポスト)だ。
ところがNEWSWEEKも、07年末に310万部発行部数と豪語してきたが、09年2月現在、なんと260万部に激減し、09年には190万部、2010年には150万部に落ち込むと予測される。
定期購読者が120万人、これが同誌の鉄票。駅の売店では4ドル95セントだが、定期購読にすると一部たったの47セント。
NEWSWEEKは、編集方針を変更する意図はないがサイズを変更し、写真頁を増やすという路線変更を考慮中と言われる。読者対象を特化し、豪華な広告を増やしていく方針も漏れてくるが、そんな対応だけで、このマスコミの危機を乗り越えるのは難しいのではないか。
http://anond.hatelabo.jp/20081228014905 の続きです。
<インタビュー>
シェーンヘル(以下シ):どうしてカンパニー松尾と称するようになったのですか?
松尾(以下松):中学時代にさかのぼるんですが、自分の「会社」を始めたんです。社員はぼくひとり、ジュースや手作り弁当をクラスメイトや友人に売ってました。毎朝、20個の弁当をかかえて登校したものです。で、みんなが僕をカンパニーと呼ぶようになったと。これがぼくのペンネームになり、映像のキャリアを通して使ってます。
シ:まず最初に、ハメ撮りの歴史について少々語ってもらえますか?
松:ハメ撮りスタイルの作品は、80年代初期からありました。ハメ撮りということば自体が使われるようになったのは、88年か89年だと思います。昔はAVの小さな一角を占めるだけでしたが、それから大きくなりました。
松:はい、そうです。働きだしたのが1988年、22才の時です。
シ:そのとき、V&Rプランニングはすでに大きな会社だったのですか?
松:いや、とても小さかったです。ぼくは4人目の社員で、会社自体もまだ2年目でした。
松:はい、そうです。
シ:V&Rは最初からドキュメンタリースタイルのAVに力をいれていたのですか?
松:はい。安達はテレビ出身で海外映像の輸入エージェントとして働いていました。モンティ・パイソンとかそうですね。でも彼はおもに死体ものとかのキワモノにもっぱら興味があったようです。それが彼の嗜好だったんですね。
彼は撮影については知りませんでした。自分で会社を始めて、自分でこうあるべきだと思うやり方で彼はドキュメンタリーを作ったのです。会社自体はキワモノですが、安達は非常に真剣な作品を作ろうとしました。
シ:V&Rの意味は?
松:ビジュアルアンドリテイルです。バイオレンスアンドレイプじゃないですよ、皆さんの思うところとは違って(笑)。
シ:V&Rでは最初は助手、そして1989年に自分の作品を制作し始めます。最初の作品はどんなでした?すでにハメ撮りでしたか?
松:いえ、ハメ撮りは1991年からです。その前はドラマ仕立てでした。
シ:後期の林由美香があなたをハメ撮りに導いたという記事を読んだのですが…
松:いや、直接ではないです。林由美香とは1989年からやってました。正直にいうと、ぼくは彼女が好きだったのです。一緒にパリ・ロンドンに旅行して、ビデオを撮ったこともあります。僕の作品である、「硬式ペナス(1990年)」は彼女への愛を宣言したものです。その作品で、彼女はスターになりました(原注:林はその後すぐに松尾と別れ、他の出演作品の監督と関係を深めることになる)。彼女との作品では、自分で男優はしませんでした。でもそれは非常に不自然に思えました。彼女のおかげで、ハメ撮りが一番自然な撮影方法だと感じられるようになったのです。つまり、そのやり方だといい作品をじかに作れるし、ハメ撮りだと女の子に近づく、彼女自身がオープンになれる、本当の気持ちを見せられるといったことや僕自身の女の子に対する気持ちを表現できるのがあります。僕にとって重要なのは、女の子と緊密な関係をきずく、女の子が好ましく思えるってことです。でなきゃ、いい作品は作れません。
松:ええ。彼女は素人としてこの仕事を始めました。彼女のデビュー作はぼくが撮りました。1991年のことで、ハメ撮りが僕の撮り方の主流になってました。「私を女優にして下さい」ですね。次のシリーズものが「熟れたボイン」です。ぼくの作品で素人から有名女優になった最初の女の子です(原注:松尾自身もこの共同作業により今日知られるようになった有名監督になった)。
シ:V&Rで活躍する一方、マンガ「職業・AV監督」の原作も手がけられています。
松:はい、これ実話です。井浦秀夫が絵をかいてます。1997年から98年の作品で、全5巻で秋田書店から出ています。ぼくの仕事、ぼくの作品に関わる女の子たち、V&Rの人々、安達かおる…まあそのころのこと、すべてですね。
松:中堅どころといった感じです。AV市場では大きな会社はいっぱいあります。でもV&Rはその中には入らないですね。大会社のビデオはあんまり興味ないです。その点、小さいところの方がいい作品をだすかな。V&Rは間違いなく、変態を極めた会社のひとつです。
シ:V&Rが制作した「ジャンク」シリーズにも関わってますよね?こうしたデス・ドキュメンタリーは南米で撮影されたものですか?
(原注:「ジャンク」の原題は「faces of death」。もともとコナン・ド・シレールが1979年から90年にかけて制作した4本のアメリカ作品。V&Rが引き継ぎ、ジャンクのタイトルでデス・ドキュメンタリーを制作し続けた。同様のケースはドイツでも見られる)
(訳注: http://www5b.biglobe.ne.jp/~madison/worst/mondo/junk.html が興味深い)"
松:1989年頃のものですね。V&RはAVだけでなく、デスビデオを海外で撮影してました。カメラマンのイシカワ・タケシが両性具有者にただならぬ関心を抱いていたのです。そのためにブラジルのタブロイド新聞と連絡をとっていて、ブラジルに詳しくなりました。向こうが言うには「デスビデオを撮るならブラジルにこなきゃ」と。で、安達、イシカワ、そしてぼくがブラジルに行って、2週間ほど彼らと行動を共にしました。
新聞のカメラマンは、警察無線を傍受していて、事件が起こるや、すぐに現場に直行しました。ブラジルの警察は動きが遅く、たいていカメラマンが先に到着しました。日本だと死の現場はいつも警察が人目につかないよう隠しますが、ブラジルだとそんなことはないです。ぜんぶオープンですね。
松:両方です。何もかも。殺人はとても多かったです。撮影には何の支障もきたしませんでした。愉快なもんじゃないけど、ぼくができるのはそれしかなかったし、使命感みたいなものも…たぶん、ふつうはそういうのって撮れないと思うんですよ。たまたま機会にめぐまれて、現場に行ったと。でもぼくはだんぜん、AVがいいです。デスビデオとセックスビデオには共通点があります。どちらもひどく当たり前のことで人間の根源にかかわるのに誰もが隠そうとする。ぼくらは封を開けて、それが見えるようにしてるんです。
シ:ジャンクはシリーズものです。どのエピソードを担当しましたか?
松:6番です。
シ:どこで撮影しましたか?
松:リオデジャネイロです。リオはぼくの好きな街ですけど、別に死体を撮ったからってわけじゃないです。リオは美しいところで、ほんとうに輝かしいものから暗い側面まで、すべてがあります。丘の上のキリスト像からファベーラと呼ばれるスラム、美しい町並み、そして白い砂浜まで。美しい娘からギャング、ホームレス、麻薬の売人、そして殺人犯。すべてがそこにあって、生きている、街に存在するのです。パワフルな場所です。美しく、そして同時に恐ろしくもあります。一回しか行きませんでしたが、今でも魅力的です。
シ:リオでハメ撮りは?
松:いや、まったく。アメリカやヨーロッパでは何本か撮りましたが、ほんとうにしたいようにはできませんでした。もちろん、言葉が大きな理由です。ハメ撮りの現場に通訳は連れて行けませんから(笑)。でも言葉の違いより文化の違いの方が大きかったと思います。ハメ撮りでは、女の子の内側に行ってみたいのです。何を考え、どう生活し、夢、そして現実はどうなのかと。生命の中に隠されている汚れた、感情的なものを取り出したい。外国でできるのはセックスを撮ることだけ。それじゃ十分じゃないし、ぼくは満足できない。セックスシーンを撮るだけなら、俳優を呼んで女の子とやらせればいい。ぼくなんてお呼びじゃないです。ハメ撮りだったら、なぜ彼女はこれしてあれするのか、動機、考え、そうしたことを詳しく理解できます。ぼくは女の子の個性を描写したい。欧米の娘とだと、ちょっと無理です。セックスが好きかもしれない、オープンかもしれない、でも日本の娘たちとのようには近づけない。ほんとうの性格がわからない。つまり、ぼくは彼女たちとビデオを撮れない、ってことです。
シ:他のアジア諸国だと?
松:アメリカやヨーロッパはポルノに関して長い歴史があります。スクリーンにセックスが映しだされることについてオープンです。でもアジアはかなり遅れています。厳しい規範があり、ポルノ産業において多くを語ることが難しいです。日本はずっと先を行ってますね。
シ:V&Rにはいつまでいましたか?
松:2004年までです。それからハマジム、現在の会社を仲間と始めました。
松:浜田写真事務所、略してハマジムです。みんなそう言うし、領収書も短い名前の方が便利です。今ではもっと短くなって、「HMJM」です。もともとカメラマンの浜田さんが由来です。彼はぼくらのなかで最年長、みんな尊敬しています。彼がボスです。
シ:現在、何人が働いていますか?
松:7人です。
松:たとえば、「広瀬舞、海老原しのぶ」(2004年)、あ、ふたりの女優の名前から題名つけたんですけど(訳注:ハメドリズム01?)、200万円前後ですね、DVDジャケ込みで。「アテネマラトン」(2004年)はオリンピックのときにギリシャで撮影しました。300万円ほどでした。基本的には一本、200から300万円です。
シ:「オークション01」「オークション02」(2004年)のような純ハメ撮り作品だと、旅費がばかにならないと思いますが?全国を旅して撮りましたね。
松:実際、そっちの方が安いんです。スタジオ撮影は高い。スタジオ代だけでも100万かかります。それだけあれば、ほんといろんなところに行けますからね。
シ:基本的に、彼女たちの住んでいる町、実際の生活環境で会ってますね?
松:ええ、基本的にそうしたくて。
シ:あなたは常に、親密で個人的な彼女たちの肖像を切り取っています。彼女たちの本当のやり方をつかんでます。ビデオの中で彼女たちは、ビデオ出演の動機も含めて大いに語っています。ところで、彼女たちが作品に出演する動機、これはどうお考えですか?
松:女の子それぞれというのはもちろんですが、お金が主な理由だと思います。でもハメ撮り一編に登場しても大した金にはなりません。一回会うのが5万円、つまり彼女たちがぼくに電話するのは他の理由があるにちがいない。好奇心だったり、非日常に惹かれたり、もしくは日常のストレスから抜け出したかったのかも。そして単純にセックスに興味があったというのもあります。でもほとんどの場合、彼女たちはほんとうにくつろいで、作品に出ることを楽しんでいます。ところで、あなたはドイツ人だとおっしゃられましたよね。笑い話なんですけど、実際にAVをドイツで撮ろうとしたことがあったんです。2年前に女の子ひとり連れてベルリンに行きました。ぼくのプランは、アウトバーンを時速300キロで飛ばしながら女の子にしゃぶらせるというものでした。日本は速度制限が厳しいというのもあってこの計画には非常に興奮しました。これは全男子の夢だぞ、車をかっ飛ばしながらセックスをするなんて。女の子はいるし、おしゃぶりしてくれると。ポルシェを借りてアウトバーンに出ました。最初の誤算は300キロ出なかったことです。260キロくらいまででした。で、女の子が車酔いしちゃったんです。なんにもできませんでした。ドライブだけで終わりました。
シ:でも撮ったんですよね?
松:ええ、全部収めました。衛星放送向けAVの一編になりました。
シ:これからの予定は?
松:ぼくはAVが好きで、今やっていることをこれからも続けたい。テレビや映画には興味がないし、AVを作りたい。大会社に所属したくもないし、ハマジムを大会社にする気もない。ビジネスのことは考えたくない。ただ自分の好きなことをやっていたいです。
http://anond.hatelabo.jp/20081204113724
この話自体の問題は単純で、自社で週刊誌的雑誌やタブロイド的新聞と、硬派雑誌または新聞を持っていれば、他に回る前に自社で大げさだったり飛ばし記事を書いたらすむ話。
既存のメディアがJ-CASTよりネットに乗り遅れているというただそれだけの話。
それと別に一時記事としての重要性は強調しておきたい。
昔科学朝日だったかSciasだったかが廃刊になるとき、赤字経営だったが、情報の一時ソースとしての重要性云々で、それを新聞社が持つことの重要性を言っていた。
思えばあのころの雑誌の大量廃刊以降、ニュースは警察が垂れ流す事件情報と、政府が垂れ流す情報への非建設的で条件反射的な批判、バラエティは大手プロダクションの似たような芸人や歌手が世間話をするだけの番組や記事ばかりになってしまったと思う。
学術論文も同じような立場で殆ど個別の雑誌の売り上げとしては利益に貢献していないよう(図書館の一括契約は高いけど)なので、学者(記者)の立場がある程度安定しているとはいえ、オリジナルの記事は署名記事にして、引用を明記するようにするなどして、科学ジャーナル方法を一時ソースの記事発信元にも応用できないだろうか?