はてなキーワード: タイムマシンとは
https://dic.nicovideo.jp/a/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%94%E3%82%A2
ディストピアとは、「ユートピア(理想郷)」とは逆の社会である。
よくSFなどで題材とされ、「表面的には秩序だって管理の行き届いた世界に見えるが、その内実は極端なまでの管理社会であり言論の自由などがない」社会として描かれることが多い。ジョージ・オーウェルの小説「1984年」などがとくに有名かと思われる。
また、自由な上層階級社会の下に人間扱いされない下層階級が描かれることも多く、ディストピア小説のはしりとされるH・G・ウェルズの「タイムマシン」においては、抑圧された労働者階級が地下に潜り無知な天使と化した旧上層階級を捕食する様子が描かれる。
尚、人類が伝染病や核戦争で滅亡していなくなってしまった世界をディストピアと呼ぶことがよくあるが、これらの世界観はポストアポカリプス「終末の後」と呼ばれる全くの別物であり、誤用である。
どうしようもないね。
ならまずはタイムマシンを作らないとな
それを自分の身で実感することになるとは思わなかった、というお話。
ツイッターでわざわざ新規アカウントとって投稿することでもないしそんな気力もない、5ちゃんに書くとなると長文自分語りになる。
頭スカスカ恋愛脳クソ女と思う人が多いと思うけど、もやもやが止まらないのでここで吐き出させてくれ。
前提
発端は私自身の部署異動。入社以来総務や経理の仕事をしていたが、もともと外向きの仕事を希望していたこともあり、地域の営業職への異動希望をだし、昨年受理された。
右も左もわからない自分に新しい上司がメンターとしてつけてくれたのが相手の人だった。
その地域でもトップを争うような実績もあり、知識も豊富で面倒見の良いベテラン営業マン。多くの新人がその人の元で育っていったということらしい。
ちなみに、私の会社は組織が少し特殊で、自分とその相手の人は同じ建物で仕事をしていない。そのため毎日顔を合わせるわけではない。
ただ、営業に同行してクライアントとの話し方や提案の仕方などを学ぶ“先輩”として自分にもついてくれることになった。
相手からは本当にたくさんのことを学ぶことができたと思う。それは実務的な部分だけではない。とても楽しそうに、自信と誇りを持って仕事をしている姿は、
「営業職の楽しさ」を教えてくれているのだなと感じた。そんな姿がとてもかっこよくて、とてつもなく憧れた。
そんな日々を過ごしていたある日、クライアントとのアポイントが夕方になったため、その後お疲れ様会をしようという話になった。
もともと私は人とお酒を飲むのが好きであり、男性と2人で食事をすることに抵抗感がないことや、
(もちろん自分に彼氏がいたり相手にパートナーいる場合は配慮するが)
仕事を通して仲良くなっていたこともあったため、本当に先輩や友達と飲みに行くくらいの気持ちで、2人で飲みに行くこととなった。
先に結論を言っておくと、この時点でそういう関係になったわけでもないし、ワンナイトしてしまったわけでもない。
ただ楽しく飲んだだけ。色んな事を話して、話して、とても楽しかったことを覚えている。
ただ、不思議だなと思ったのが、“家族”の話が一切相手からでてこなかったこと。
30代後半で家庭持ちだと家族の話題って出てくることが多いから、この時点では「未婚かバツ持ちかなー」と思っていた。
ここで聞き出さなかったこと、本当に自分で浅慮で頭が悪かったなあと振り返って思う。
メンタル弱いということはこの時点で話してくれた。一時会社を休職していたこともあるらしいが今は回復しているということで特に気にしなかった。
そんな中、きっかけとなった日が訪れる。休日にプライベートで出かける約束になったのだ。
目的地で楽しみ、食事して、その後に相手から想いを告げられた。憧れていた人から自分も好かれていた事。
正直、とても嬉しかった。そしてその日から仕事のパートナーだけの関係ではなくなった。
それから真実を知るまで、とても楽しく充実していた。仕事終わりに食事したり、色々なことを話したり、セックスしたり。
仕事もたくさんのことを教えてもらって。幸せだった。でもそれは自分だけが、自分たちだけの幸せだったのだ。
ある日、とうとう相手からカミングアウトされる。相手には奥さんがいること。中学生になる子供がいること。
だけど夫婦関係は崩壊していて家庭内別居状態だということ。奥さん方の家族と同居(2世帯住宅?)しているが関係がうまくいっておらず、それがきっかけでメンタル不調が再発しているということ。
それをきいて「あー、やっぱりかー」「そりゃ家庭の話はしないわー」と思うのと同時に「不貞行為する既婚男性の常套句じゃないかーい」と心の中で突っ込みをいれた。
しかし、その時は頭スカスカ恋愛脳クソ女だった私は、正常な判断ができなかった。
「メンタル再発するくらいひどい家庭なんだ!私が支えないと!私なら幸せにできる!」
うすっぺらな自意識とバカみたいな正義感、そして発揮すべきでないところで出てきてしまった母性本能。
「とりあえず“その時がくるまで待つ”」を選んでしまったのだ。
タイムマシンがあったらあの時の私をひっぱたいて目を覚ましてやりたい。
ちなみにメンタル不調は本当だと思う。相手は食事がとれなくなり、職場の同僚だけでなくクライアントまでもが心配するくらい激やせしてしまっていたので。
(私といるときは少しだけ食事をしてくれたため、さらに一緒にいなきゃという気持ちになってしまっていた。)
カミングアウト後も、罪悪感を持ちながらも関係は大きく変えずに過ごしていた、頭スカスカ恋愛脳クソ女の私は完全に依存してしまっていた。
この関係の中で自分が必要とされていることが嬉しかった。仕事で絡みが多いので完全に連絡をシャットアウトすることが不可能だったこともある。
しかし世の中は甘くない。悪は暴かれるのである。事件は起こった。相手の奥さんが私の家に訪れたのだ。
奥さんが訪れたのは、ちょうど仕事で私の帰宅が遅くなった日で、母が対応してくれた。
家を特定されたのは奥さんが不貞行為の証拠を押さえるために興信所を雇っていたのと、雇っていたその期間に相手の車で家の近くまで送ってもらったことがあったことから。
帰宅後、母と長い時間話をした。母は冷静だった。もともと私の家は家族仲も良く、普段から色々なことを話せる関係ではあったので、母は私の話を聞いてくれた上で叱ってくれた。
こんな関係を続けて幸せになれると思っているのか?その相手と仮に一緒になったとして誰が祝福してくれるのか?奥さんだけでなく、未来のある相手の子供も傷つけている。
お互い慰謝料も払い、子供がいるなら養育費も払いで金銭的に困った生活になるのは目に見えている。母は私に苦しい人生を歩んでほしくないし、そのためにここまで育てたのではない。
また、奥さんが来訪した際に母と連絡先を交換しており、やり取りをしていたらしい。
聞いた話だと、奥さんは子供の将来を考えて離婚はしたくないこと。また、私もまだ若い年齢だということもあり、正しい道に進んでほしいということを考えてくれていること。
おおごとにせず話を決着させたいと考えていること。
頭をガンっと打ち付けられた気持ちがした。同時になんて取り返しのつかないことをしたのか、と大きな後悔が押し寄せた。
私が見ていたのは、目先の幸せだったのだ。頭スカスカの私でもさすがに理解できる。
本当に申し訳ないと思った。自分の浅はかな考えで人を凶器よりもひどい方法で傷つけていて、かつ気を遣わせていることに、「取り返しのつかないことをしてしまった」と
ようやく、遅すぎるが気がつくことができたのだ。
それから、相手とは会っていない。仕事でも一緒になることがなくなった。
しかし、相手のメンタルがきがかりで、完全に連絡を絶つことができなかった。
やっぱり好きという感情にはあらがえず、そのままズルズルと一か月がたってしまっていた。
距離をとると冷静になるもので、やっと自分の将来について考えることができた。
多くのものを失ってでも一緒にいることが最適解なのか?私は自分の家族と友達と縁をきりたくない。それに人の不幸の上に自分の幸せを創り上げることはできない。
もし自分と相手が一緒になった場合はどうか?今も奥さんの家族と不仲でそれが一因でメンタルに不調をきたしているのに、私の家族からも同様の扱いを受けてしまう可能性が高い。
「愛があればお金はいらない」建前では言うことができるけど、本当にそういう境遇になったときに笑って同じことが言えるのだろうか?私にはきっとそれはできない。
引き際だと思った。
やっと、連絡をとることをやめることができた。そして現在に至る。
結局。
相手は結局離婚することになったらしい。メンタル不調により、休職はしないまでも営業職はおりてしまうそうだ。
私は奥さんにはこんなものでお詫びになるとも思っていないが慰謝料を支払った。
きっと自分の人生は独りで終わっていくのだろう。自分が幸せになる資格はないのだから。
こんなだらだらと書いたものを最後まで読んでくれる人は少ないと思う。
ましてや現在進行形でそういう関係を持っている人や持ってしまいそうな人がここまで読むことはないとは思うが、今回私が感じたことを最後にお伝えしたい。
ばれないなんてことは絶対に、絶対にない。不倫の先に幸せはない。自分も相手もいつかは不幸になるし、周りの人も全て壊してしまう。
全てを投げ出してでも続けるべき関係なのか?今感じているその“幸せ”は本物なのか?
渦中にいるとなかなか難しいとは思うの、自分自身も冷静に考えてほしいと思う。
4 FX
5 仮想通貨
6 YOUTUBER
9 同人ゲー
10同人誌
11ラーメン
12乞食
21政治家
22競馬
23ラスベガス
25お笑い芸人
26徳川埋蔵金
27宇宙人
28ツチノコ
30ゴールドラッシュ
31先物取引
32商材詐欺
34玉の輿
35ホスト
37ダークウェッブ
39ゆすりたかり
40インスタ映え
41謎グッズ販売
42漫画家
43音楽
44なろう小説
45アフィ
49ホームレス
50酒に逃げる
51割り切る
53洗脳を受け入れる
54頑張って働く理由を作る
55惚れた女のために働く
56尊敬できる人の下で働く
57自分を好きになる
58両親に相談する
60イマジナリーフレンドを作る
62外国に住む
64為替で一山当てる
67今つらいのは未来に希望がないからだけどそれがもしも見つかればきっと会社に行くのも今ほどは辛くなくなるはず
68会社に行くのが辛いんじゃなくて換えの効くパーツとしてぞんざいに扱われている事が辛いし換えが効くかどうかじゃなくてぞんざいに扱われているのが辛いのだと知る
69俺は、俺を大事にしてくれるような誰かや、そういう世界で生きていきたい
70必要とされたい
72人間であることは認めるが奴隷のように働くのならばという条件をつけられている状態ではなくてだ
73俺がこんなにも金がほしいのは金があれば人として認めてもらえるからだ
74金は裏切らないなんて思っては居ないけど金が裏切る可能性は本当に低い
77それを分かっていながら俺がそれに従うしか無いのも俺に金がないからだ
78金だ金だ金だ金だ
79違う
80俺が欲しいのは温かい寝床や食事や突然誰かに殴られて全部巻き上げられずに住むような生活なんだ
81それを生み出しているのは金そのものじゃない
82金を通して手に入るものが欲しいんだ
83豊かさなんだ
84豊かさを享受する資格があることを証明するための手段だったんだ
86そうすれば俺たちはもっとずっと簡単に豊かになれるはずなんだ
89きっと誰も隣の誰かから豊かさを奪おうとはしない
90偉そうにふんぞり返って俺たちから時間や人間性を奪い取っている奴らも
91そんなに躍起にならずに済むならそこまではしないだろう
92そう信用できる奴らだけじゃないことも知っている
93でも皆が豊かになればそんな奴はただの嫌われ者でしかなくなるだろうよ
94だから俺は
96その道はどこにあるんだ
97探すんだ
98どこで
99まずは
100夢の中で
101とりあえず寝るわ
ケムリクサでは悔しい思いをした。最終話の内容を推理することは十分可能だったはずだ。種が赤霧で成長しない。にもかかわらず離脱したあとニョキニョキ生えてくるミドリの木、「たぶん発芽まではうまくいく」。そして記憶の草にはロックが掛かっていた。このあたりを重く捉えていれば、メモを書き換えた「存在しない7人目の姉」を探して時間を浪費することもなかった(むしろ6人である証拠がたくさん集まってしまった)。2つの謎は有機的に絡み合い、シンプルだが残酷な起点に至るのだが、答えを観て「なるほど!」と思ったときに初めて、伏線が浮かび上がった。すべては目に留まっていたはずだったのにも関わらず、気が付かない。パズルのピースはすべて事前に提示されていた。アニメは小説ではないから、そういうもんかと軽く流しても気持ちよく観続けられるのが気楽だけれど、しかしそういう態度でいて失うものもある。りな達がブワッと消えて一人に戻るのはコミカルでまるで手品みたいだが、ここを見落とすと桃ちゃんを手放して覚醒する「りなむ」の含意をスルーしてしまう。ありとあらゆる表現に意味がありえるのだ。この意識でもって視聴しなければならなかった。
けものフレンズ2の最終話が目前だ。同じじゃないかでは済まない。次は全力で当てに行くぞ。
今期の監督はミスリードを狙ってくるということに気をつけなければならない。俺は伏線の管理はしっかりされていると判断している。前期の細かいところまでフォローされてる。かばんちゃんが「おうち」を知ってたのはスナネコが意味を教えたからだし、サーバルに与えた砂時計は図書館にあったものだろう。アライさんが命の恩人といったのは、掛けた橋で救われた経験を受けてのこと。今期はさらに異なるフレーバーが加わる。襲ってきたセルリアンをいきなり現れて一蹴して去っていった謎のフレンズはヒーローは味方でなく実は「ビースト」。誰彼構わず襲いかかり、フレンズに怖れられる強力なバーサーカーだった。アリツカゲラが再登場したと思ったら、サーバルとも初対面の反応でかばんちゃんとも面識が薄い、すなわち別個体だった。かばんちゃんから手渡された四角い筐体のラッキービーストは、「三人での旅、楽しかったよ」とつぶやいた後沈んでいった”あの”ラッキーさんか? そうかもしれないが、ひとつの端末に過ぎないって線が濃厚だ。居なくなったヒトを想いだして月を見上げるイエイヌのフレンズ… ならば人類は月に消えたのか? なんのことはない、ただの人工衛星だった。未発掘の伏線の絡み合いの中に、ミスリードが混ぜられている。注意して潜るとしよう。
今期最大の謎は「キュルルちゃんは何者か、どこから来たのか、どこへ行くのか」ということだ。ここに焦点を絞って推理する。
キュルルちゃん一行の旅路は「復路」だろうか。パークの廃墟の施設の中で目覚めたこども、キュルルちゃんは、カラカル・サーバルを連れて施設に戻る。「ボクは長い間ここで眠っていたみたいなんだ」。温かい「おうち」を思い浮かべ、「帰りたい」という。キュルルちゃんは自分が眠っていた岩の殻のようなものの中にあった自分の持ち物のスケッチブックを開く。最初の一ページ目には施設の前の池の様子が描かれていたーーただし、池のモニュメントは健在で周りには風景にない建物が建てられている。「ボクは獣じゃないよ、たぶん」というキュルルちゃんに対して、カラカルは「この子もヒトなんじゃない?」と言い切る。3人はモノレールの駅にたどり着く。キュルルちゃんは言う「ここ来たことあるような気がする、あの乗り物、多分ボクもあれに乗ってきたんだと思う」。ここまでの描写で、キュルルちゃんはパークに来た観光客で、何らかの理由で施設でコールドスリープし、いま目覚めた。そう読み取っていたが、よくよく考えると違和感がある。最初の1ページが池だったのはよく考えるとおかしい。
まっさらなスケッチブックを思い浮かべてみて。そこに旅の風景を絵に次々に描いていく。だけど突然に旅は中断してしまう。さてこのとき、最後に描いた絵はスケッチブックのどの位置にあるだろう? キュルルちゃんのスケッチブックには以前に描いてきたと示唆されるたくさんの絵があった(一連の絵の最後のページは破られていて、その先は白紙が続いている)。もしパーク内の施設に至る往路の過程で絵を描き連ねて来たというのなら、最後の絵の先は白紙のページが続くはずだ。最初のページにはならない。スケッチブックの表紙は裏表とも同じようなデザインだが、キュルルちゃんはページの片面にだけ絵を描いていたので逆さにめくっているという可能性はない。これにより、キュルルちゃん一行の今回の旅路は、実は、おうちに向かう復路ではなく、二度目の往路であるという推測が成り立つ。
最初の往路をなぞるように、旅をする。ケンキュウセンター(廃墟の施設をそう呼ぼう。モノレールの次の駅は「アズアエン」だが、列車の行き先表示が切り替わるときに表れた直前の駅の表示が「ケンキュウセンター」だった)を出て池を描き、花畑に囲まれた風車を描き、竹林の中で公園の施設を、海に浮かぶ観光施設、闇夜に輝く蟻塚、ジャングルの奥で玉座に座るゴリラのフレンズ、荒野をかけるなんだかよくわからない影、ステージでショーをする5人のアイドルたち。最後に、観覧車のある遊園地の風景。絵に描かれた風景を順に追う道のりで、キュルルちゃん一行は最後にジャパリホテルにたどりついた。ホテルの窓からは今は水没した観覧車が見えていた。ホテルの支配人によると、”うみのごきげん”が悪くなったときに、遊園地は水没してしまったらしい。ホテルも半分は水浸しである(ところでホテルの最上階にはヘリポートがある)。
つまりこういうことではないか。観光客だった女の子はケンキュウセンターの池を描くために新しいスケッチブックを開き、モノレールに乗ってパークを旅した。しかしセルリアンが止められなくなる流れで、観光客はまず退避しなくてはならなくなり、ホテルでヘリに乗り込む。セルリアンは宙に浮くものがいる。離陸時に襲われてヘリの飛行能力に障害が出て、荷を軽くするために物を捨てなければならなくなった、女の子はスケッチブックから最後に描いた家族の絵だけをちぎり、バッグもろとも泣く泣く海へ投げ捨てた。時がたって、防水のスケッチブック(今期の11話より。スケッチブックは海に落ちても平気だった)は海流に乗って海底火山へたどり着く。海底火山からは大量のセルリウムとサンドスターが流出している。サンドスターに包まれたスケッチブックは溶岩に飲み込まれ、そこで海底火山が大噴火する。噴石となった岩は遠くサバンナちほーのケンキュウセンターに落下し、廃墟となりかけていた施設にとどめを刺す。
この仮説を裏付ける証拠がある。一話のケンキュウセンターの描写でキュルルちゃんの居た岩の卵のようなものの周りには同じように前面が破壊された同じ大きさの卵のような物が並べてあった。これらをコールドスリープ装置と捉えてしまっていたが、これがミスリード。並べてある方はよくよく見ると表面がツルツルで、サンバイザーのような覆いがあり、中には椅子が備え付けてあった。いわゆるゴンドラのような見た目だ。キュルルちゃんの岩はそれと異なり、表面がゴツゴツしていて、中はサンドスターと思しきキューブで満たされていて、そして床が砕けている。ゴンドラの方は台座に載っている。この二種類はじつは違うものなのだ。暗い施設のなかで岩の卵は陽の光で照らされていた。つまり、天井は空いている。ケンキュウセンターは遊具の研究施設だった。コールドスリープではなく。噴石としてケンキュウセンターに落下した岩の卵は殻が崩れ落ちる時を待つ… なかでフレンズ化→飢えて死亡→フレンズ化→飢えて死亡… を繰り返しながら。まあそれは残酷だが、あるいはサンドスターは空気に触れて初めて機能する、のようなことがあるかもしれない。
以上が仮説「スケッチブックちゃん説」である。研究施設やスケッチブックのめくり方などを伏線としての帰結としてフィットしていて、破られた最後のページに説明がつけられた。キュルルちゃんは絵をフレンズに渡すとき、丁寧にページを切り取る。最後のページが破られていたのは火急の状況下で焦っていたからです。皆さん納得できましたか? ボクはできません。なぜなら「ペパプが5人いる」から。
一連の絵の中でライブステージで描かれたものを思い出してほしい。そこにはステージで歌う五人のペンギンアイドル、ペパプが描かれていた。しかし前期のペパプ復活祭ライブの話によると、初代ペパプは4人、二代目は3人、三代目が5人になった。三代目を結成したフレンズ、プリンセスは以前に居なかった五人目であることを気にしていたんだった。だからパークに来ていた観光客がペパプを見ていたとして、その人数が5人なのはおかしい。かつて観光客で賑わったジャパリパークは廃園し、パークガイドのミライさんも職員を引き連れパークを去った。時が流れ、彼女が遺した帽子にサンドスターが降り注ぎ、かばんちゃんが生まれた。そんな時代になって初めてペパプは5人になった。実はペパプはコピーバンドだという可能性はありうる。開演時代にはオリジナルたる5人のペンギンアイドルがいて、閉園後に彼女らをパクってペパプが結成された、でもコピーバンドを人数減らしてやる意味があるだろうか? あるいは初代ペパプは5人だったということもありうる。プリンセスがパークの異変の中で夭逝し、だがその後の4人で長い期間頑張っていたので後世の記録には4人として残った。期せずしてプリンセスが救われる結果になりましたね。でもこの仮説、理屈は通るが、当たっていたとしても些末すぎて、説明されないだろうことが予想される。
時代に幅のある絵の内容。これを説明するうまい理屈はないだろうか。キュルルちゃんは過去の世界から来たのではないか。前期でミライさんが説明した、山頂のサンドスターロウ・フィルタリング装置の「四神」は説明の感じからすると、パーク職員が作ったものではないらしい。四神を作った古代人がそのサンドスター制御技術を応用してタイムトリップ装置を作った。これがケンキュウセンターの岩塊である。キュルルちゃんはそれに乗って過去からやって来た。しかし… なんのために? かばんちゃん一行は四神の位置を直すことでフィルタの機能を正常化した。だが海底火山から漏出するセルリウムを制御する装置は、おそらくあったのだろうが機能をなくしてしまっている。もし四神的装置の修理のために過去からキュルルちゃんを派遣したとすると、かばんちゃんの奮闘のときに何もしなかったのはおかしいし、未来を幻視できるレベルの古代文明が、将来の位置のズレを考慮して装置を保全するつもりなら、修理要員を派遣する前にまず固定装置を充実させるべきだろう。というかキュルルちゃんはエンジニアには見えない。年齢が低いし、そも記憶を失ってしまっているではないか。ならばキュルルちゃんは未来から来た。しかし… なんのために? 考古学者にも見えないので、パンフなどの資料を読んで好奇心をそそられたキュルルちゃんがタイムトリップしてきた線は考えられるが、タイムマシンのセキュリティが気になる。強固に利用者が制限されているなら、キュルルちゃんはどうやってセキュリティを突破したのかということが引っかかるし、逆にガードがゆるいなら、なぜ一人しか来ないのかが疑問になる。並行世界から来た可能性はどうだ。しかし… なんのために? 絵に描かれていたペパプは楽しそうで、パークの様子には廃墟感はまったくない。なぜわざわざ廃墟の方の世界線に移動してくるのだ? 納得行く説明はつけられそうにない。
うまくいかないが、一連の絵は風景を実際に目で見たものではない、というアイデアはまだ活かせると思う。ジャパリパークの世界に、エリアを超えて通信する無線技術はなかった。そういうものがもしあったなら、かばんちゃんがキョウシュウエリアを出立するときに、ボスが先の情報を教えてくれただろう。イエイヌが見上げた月を背後に人工衛星が浮かんでいた。この衛星は最近に打ち上げられたものだとしたらどうだろう。これを使って、ある職員がパーク内のラッキービーストネットワークに侵入し、パーク内の写真を入手した。父のディスプレイの映る写真を見て、幼い娘はスケッチブックに絵を描いた。写真に今昔が入り混じっているのはそのためである。この想像は面白いが、写真があの道のり上に並んでいたことが解せない。ネットワークから引き上げたパークの風景写真を見ていたなら、それは時系列に並ぶか、ランダムになっているかするのではないか。なんでケンキュウセンターを起点とした特定のルートにそった並びになる? だめだ。わからない。
しかしわかることもある。けものフレンズ2はイエイヌの物語でもあった。探偵の二人、センちゃんとアルマーさんはイエイヌの命を受けてヒトを捜索していた。捜査が強引なところもあってイエイヌは悪の黒幕のように描写をされたことがあった。キュルルちゃんとイエイヌちゃんのストーリーラインは二人が邂逅することで交わり、しかし結局二人は別れてしまう。別れは両者の納得したものではあったがすれ違い感は強かった。これが「おうちにおかえり」回である。最終話のタイトルは「ただいま」だ。イエイヌはキュルルちゃんの元へ向かうかばんちゃん一行に加わってはいないが、ポッと出のゲストフレンズではない。
イエイヌはキュルルちゃんを見送ったあと、夜空を見上げ、ひとりドアを開けて自室に戻った。ドアには耳を模した飾りがついており、まごうことなきイエイヌのための部屋であることが明示される。このシーンは驚いた。これは一体全体、どういうわけだよ? 「イエイヌの自室にドアノブがある」だと?
(続く)→ anond:20190318002745
オレってばその道にめっちゃ詳しいんで
正直最近のキモオタクたちがバイブルとか叙事詩とかネタにした作品に「史実と違う💢 捏造するな!💢」とか怒ってんのマジでウケるっていうか冷笑我慢できないっていうか…
そういうのネットの外で言うの辞めた方がいいよ() まじで馬鹿にされるから() 低脳乙()
とここまで半分嘘で半分本気くらい。まず本気で言ってるところは全部自分が経験した事で、神話や伝説の出来事を歴史上の事実であるかのように人前で話すのは、特に何の裏付けもないと馬鹿にされる場合がある。僕がそうで、正確な言い方をするなら「空想上の話をなんの下調べもせず鵜呑みにして人前で得意げに語るような、特別にアホな人間が」「裏付けがまったくない空想の話をまるで真実かのように語るのが決して許されない環境で」やらかしたから、二重に特別だったので馬鹿にされたという話。
つまり、低脳は僕の事なので本当に気にしないで欲しい。でもひどい言い方をしたのでどんなひどい放置をされても何も文句は言わないから思うようにして欲しい。
本題に入る。
まだこの時代にはタイムマシンがないので、大昔の出来事を目で見て、耳で聞いて、本当かどうか確かめるという事はできない。状況証拠を可能な限り探し出して、どうやらそういう事があったらしいと限りなく真実に近い推理をするのが限界である。ただまあ、古代エジプトのファラオの木乃伊が見つかって、パピルスにはどこそこのファラオの胸には北斗七星並びの傷跡があったとされている…ならこの木乃伊はそのファラオ本人で、この木乃伊が発掘された遺跡は古代エジプトの特にいつの時代の…とここまで研究されているなら、このナントカのファラオが神話上の人物であっても実在した事は認めるしかない(このナントカのファラオは喩え話で、完全に僕の中の空想上の存在であるが)。ここで「よって神話は真実だ!」とまで言われるとやはり少し渋りたい気持ちになるので次は神話に登場した超テクノロジーの産物が発掘される日を待つばかりである。
まあようするに、荒唐無稽な神話や伝説の話を歴史として実証する為にはエジプトの砂漠で穴を掘り続けるような途方もない労力が本来なら必要という話なのだ。その途方もない労力が前提とされる場でそれ無くしてそんな話をしはじめると失笑されてしまうという「何を当たり前な」というそれだけのお話。
もちろん、場にそぐわなかったから顰蹙を買ったという失敗談である訳だから、同好が集まって好きなアニメや漫画の話をする場なら特に問題ないと思われる。逆にここで「古代エジプトの架空のファラオが古代エジプト拳法によって諸国を統一した話が元になって現在のエジプト神話が形成された」設定のアニメの話をしている時に「でも冥界の神とかオシリス神とかいる訳ないじゃん…世界史で習わなかったもん…」と発言すると白けられる可能性まである。そういう設定のアニメの話をしているので、歴史上実在した根拠が無くとも本人たちすらその設定を事実として真に受けていなくとも、ここではとりあえずそれらが実在している事にして話が進む。つまり「実在している事にしてもいい」「それが史実であるかのように語ってもいい」場というのがあり、そこでは各々好きに夢や空想を思い描き口にしても許されるのである、たぶん。もし誰かがここまで読んでくれたなら、ありがとう、そういう場をぜひ見つけて欲しいし、もう既にそういう場所にいるならそこを大切にして欲しい、とても得難いものだから。
ここからは蛇足。「神話や伝説を史実と言って欲しくない」というのは完全な建前で、「このアニメは〇〇神話を元ネタにしているが、ウィキペディアに書かれている〇〇神話の説明と違う!」みたいな事を言われると僕が結構白けているというかぶっちゃけ傷ついているというのを主張したかった。流石に「坂本龍馬は女じゃない」「江戸時代の日本人が抗生剤を開発してる訳ない」という批判なら、写真や文字記録から確かめられる当たり前の事実なので甘んじて受け入れたい。それでも面白いアニメなんだよ…と内心思っているだろうけど。
ただまあ神話や伝説となってくると本当にそういう事が実際あったかどうかは確かめようがないし、それを話題にする人によって微妙に内容が違ったりするので、ウィキペディアに書いてある説明文だけを正式な記述扱いにされると寂しいなぁと。大国主がシヴァ神と同一視されていたりされていなかったりしていいし、お爺さんが川に洗濯に行って桃を拾ってくる桃太郎とかあってもいい。ようは受け取る僕か誰かがその話を面白いと思うか思わないか、と。アニメの話だし、空想の話だし、この話はフィクションで実在する人物・団体とは関係ありませんし…生前の大国主や桃太郎が写ってる写真とか残ってないし…。もちろん、これから実在した証拠が見つかって、空想上の話だと思われていた事が本当にあった事だったんだと周知されはじめたら、それはそれで面白いと思う。そういう話したいよね…シュリーマンっていうトロイア戦争の話の大ファンで実際に歴史的発見しちゃった人がいるし。でもゴッドハンドはダメ。
いくつもの原因が積み重なって、
いくつもの偶然が積み重なって、
思い切って別居した。
別居ってすごく大変で辛いことだらけのように思ってたけど、わりと楽しいことも多くて、当然だけど辛いことも多い。
一緒に住んでる時とは別のベクトルで忙しい。
でもトータルで考えればハッピーなんだろうな、というくらいには落ち着いたと思う。
別居して世界が変わったなんて大げさだけど、別居しないとわからないことがたくさんあったなと気がついたことは確かで。
当たり前のことだと言われそうだけど、半年前の自分とは変わったのを感じる。
まず一番は、家族がいないとさみしいかと思ったけどわりと平気なこと。
子どものいない私たちは仕事以外はべったりで、そのくせセックスレスだったりしたんだけど、ひとりぼっちになってしまうことがすごく不安で踏み切れなかったことが何度もある。
でも、1人になるのがさみしいと思う時点で、そばにいてくれる人なら誰でも良かったんだろーな。
やることがない週末を持て余すこともあるけど、2人でいてケンカしたりモヤモヤしてたことを考えるとずっとずっと心は平穏。
さみしいかと言われたらさみしい。でも私はもっと強いさみしさを彼といて感じてたんだと知ることになった。
あの頃に比べたらまし。簡単に言うとそういうことなんだろうな。
次に、別居するのは簡単だけど、別居してしまうと離婚の重みを感じにくくなるということ。
あれほど離婚しかないと決意して飛び出したのに、不思議なもんだ。
あーこれからどうしよっかなって帰り道にふと思ったりもする。
でも彼の思いはわからないけれど、もう何ヶ月も連絡を取っていないと、いくら旦那でもその存在は軽くなっていく。
乱暴な言い方をしてしまうと、離婚しようがしまいが、私の苗字が変わるくらいで今の生活には変わりがないのだ。
2人でよく聴いていた歌や、彼が好きだったものを見るとふと思い出す。
あ、そうだ私結婚してたんだ、って。
あんなに毎日悩んでいたのに、忘れてしまう日が来るとは思わなかった。
彼と分かり合えないのなら生きている意味なんてないような気がしていたのにな。
いつかははっきりしなきゃいけないんだろうなぁと思いつつ、なんでも問題を先延ばしにしてきた私たちは籍を入れたまま別々に生活をしている。
私たち夫婦にはセックスレスだけが問題ではなく、その他にも問題はたくさんあったのだけど、別居当初の話し合いで彼はいくつもの解決策を提示してくれた。
その内容は、たぶん私がこれから先どんな手を使っても手に入らないような、私にとって都合の良い条件だった。
軽々しいことを言わない彼の性格から、本当にその条件を飲むつもりで提示したのだというのも想像できた。
今戻れば、私にとっては都合の良い楽な生活が待っている。
打算的だと言われようと、生活に疲れていた私には魅力的にも思えた。
でも、どうしても、
セックスレスで悩んでいたのに、だ。
望んでいたものが手に入る。
でもそれは私が望んでいたものではないような気がした。
今さらどんな顔して抱かれればいいの?
セックスしたい。
それが叶わない苦しみと恨みで、きっと私は彼への愛情を食べつくしてしまったんだろうな。
本当のところ、彼にもわからないのかもしれない。
もう少し早くに2人で向き合っていれば。
何かが変わったのかもしれない。
でももうどうやっても、私が世界で一番抱かれたくないのが彼なのだ。
セックスレスで悩みながらも、解決策が見つからないまま、一緒に住んでいるのだから、いつか解決する日が来るか、その前に欲求が枯れてしまうのかな、なんて考えていた、
最後の最後に、こうしてセックスレスが目の前に立ち塞がる日がくるなんてな。
そのほかにも、なんでも1人で解決しなきゃいけないとか、体調崩すと心細いとか、私はペーパードライバーなので遠出できないとか、別居してみて、あ、不便だな、とか、大事にしてくれてたんだな、と感じる瞬間がうんざりするほどあった。
そう強く思う反面、今の私たちではもう一緒に幸せになれないんだなと実感する。
一番抱かれたい人が、一番抱かれたくない人。
何度考えてみても揺るがないその思いを抱えて、まだ慣れないマンションのドアを開けて仕事へ行く。
泣きわめきもしないし、食欲もある。
たくさん笑えてるし、新しい環境にも慣れた。
夜眠りにつく前に真っ暗な部屋で、ずいぶん遠い場所に来てしまったのだな、とぼんやりと思ったりもする。
自分がいなくなった部屋で1人暮らす彼を思ったりもする。
それもきっと、いつか忘れてしまうのだろうな。
取り返しのつかないことが夫婦にはあるんだ。
その当たり前のような事実を私は知らなかった。
タイムマシンがあれば、私は絶対に出会った頃の彼に会いに行く。
彼は嫌がるだろうが、私はあの頃の彼に抱かれたい。
子供のころの習い事は強制的に通わされることもあり、大抵の場合それをしなかった他人と比べて抜きん出た能力を得ることができる。
そうして得られた能力は後の人生において、自己肯定感の根源であったり、趣味の分野でいかんなく発揮されたりする。
そんなメリットの多い習い事だが、僕に与えられたのは後の人生から見たら「ハズレ枠」に含まれる習い事だった。
小学生のころ僕は「硬筆・習字」と「水泳」の2つの習い事に通っていた。
まず「硬筆・習字」に関してはなぜ左利きの僕を通わせたのかまったく理解できない。
ご存知の通りすべてのひらがな・漢字は右利きを前提とした設計をされており、左利きではどうあがいてもお手本通りの作品など仕上がりっこないのだ。
当時の僕はその事実を知らないまま、ただ漫然と言われるがままに駄作を作り続けていた。
学校の習字の授業では、なぜ習い事をしている僕のほうが隣の女子より下手なんだ?と本気で疑問に思っていた。
習い事ってのは隣近所のご学友にマウント取って自己肯定感高めるためのものじゃないのかよ。なんで逆にマウント取られてんだよクソ。
っていうか「硬筆・習字」って趣味にもならないし、ペン字と比べて実務的でもないしいらんやろこれ。
「硬筆・習字」と比べて「水泳」については完全に自分の性格のせいで無駄になってしまった。
一通りの泳法が学べたのはいいと思う。でも陰キャにはそれを披露する場は与えられていない。
体育のプールで注目されるのは、体力オバケの野球少年やヤンチャしてる陽キャたちなのだ。
水泳を習ってはいても僕は普段から運動するほうではなかったので、平泳ぎでも50mも泳げなかった。
のちに大学生になり友人らと海に行っても、沖の方までついていくことはできず浅瀬でチャプチャプするのが精一杯。
(ていうか途中で体力尽きたら終わりじゃん?よく怖くないよな・・・)
結局習った水泳スキルを活かせる場は今までの人生で一度もなく、これからもきっと来ない。
ピアノとか絵とかだったら習い事をやめても、そこで培ったスキルを活かせる場はいくらでもあるしなんならお金を稼ぐ手段にすらなる。