はてなキーワード: ソープへ行けとは
もう50も近いおっさんだけど、このエントリーにはそこそこに同意する。
もはや、性欲もほぼないんだけど、寂しくなる時がある。
そんなときに、いまだに行きたくなってしまうのがセクキャバだ。
ただ、なんとなく、甘えられる。たぶん、これはキャバクラでも、ガールズバーでも無理だ。
でも、それぐらいの使い方がちょうどいいんだ。
我らみたいな中年の、もはやなくなりつつある性欲と夢を満たすためには。
セックスの前借りもできないし、セックスもできないけど、これはこれで正解と思う。
今はそんなところにときどき行けるけれども、金のなかった若いときに行けていたら、もっと違う気もする。
話は変わるが、やれたかも委員会的な場面が、若い頃にどれだけあっただろうか。
結果的にそんな行動によって、もしかしたら、想像もしなかった人生が展開するかもしれない。
安易に、ソープへ行け、パパ活しろ、的なFinishを進めるべきではない気がするんだ。
まだ学べることはあると思うし、もっと前借りしたほうがいい気がする。
アラフィフとしてはそう思う。後借りはできないんだよ。
と、いうことで、たいしたことは言ってないが、増田は頑張っていると思う。
彼を支持したい、みんなにはわかるのだろうか。
非モテ男/弱男に対し、「風俗へ行け」「ソープへ行け」というアドバイスがしばしされる。
これは「自信をつけろ」「経験を積め」という意味では役にたつと思う。
なぜなら「男として」受け入れられているわけではないからだ。
ソープは自由恋愛という建前はあるが、金を支払ったことに対する対価としてのサービスであることは自明だ。
その人だから受け入れられたわけでなく、適正な金額を払ったからサービスを受けられるのである。
非モテ男/弱男は異性から男性として受け入れられた経験がなく、そのことで狂おしいほどの飢餓感を覚えているのだ。金銭を対価に一過性の性欲解消はできても、精神的充足感は得られない。
さて、男はしばしペニスのことを息子(ムスコ)と呼ぶ。それは、一器官にすぎない部位を、自分の分身のように感じているからだ。
金というわかりやすい対価が無いのにかかわらず、女性器――極めてパーソナルでプライベートな部分によって自分(の分身)を受け入れてくれる。
この経験が得られない男は精神的飢餓感に苛まれ続け、遂には完全に狂ってしまうのだ。
いやいや、風俗における関係性は「わかりやすい」だけで、一般的な恋人や夫婦だって容姿、年収、家柄、人柄に至るまでなんらかのものを差し出しているだろう、と思うかもしれない。
だが非モテはともかく弱男にはなにもない。なにもないから弱男なんだ。
ゆえに弱男は狂うしかない。「弱男が好き」という異常者を引き当てない限り。