大陸間弾道弾(ICBM)の開発の副産物にすぎません。
ですが、副産物とはいえ
国のメンツをかけた平和的な宇宙競争になったのは、
政治家のおかげというよりも
素晴らしい宇宙バカどもが、ソビエトとアメリカに生息していたからです。
宇宙に行きたい!
という願望にとりつかれた宇宙バカどもは
軍部や政府に利用される形で
実質上、逆に彼らを利用しまくったのです。
ソビエトの宇宙計画をすべて取り仕切っていた
セルゲイ=コロリョフと、
アメリカの宇宙開発の中心だった
フォン・ブラウンが、その典型的な宇宙バカです。
もちろん2人とも、政治の醜さはよく分かっていました。
フォン・ブラウンは元々ドイツの科学者で、
深刻な宇宙バカでした。
そのためナチスの命令で、V2ロケットを開発させられています。
ですから、
戦後、アメリカが彼をチヤホヤ優遇してくれるのは、
ナチスと同じく兵器開発を求めているからだと分かっていました。
一方ソビエトでは、革命前からツィオルコフスキーという偉大な宇宙バカがいたため
(ツィオルコフスキーは、宇宙ロケット理論のほとんどを考え出した人です)
革命後の科学振興政策とあいまって、宇宙バカが次々と出現します。
そのバカ軍団の中で
グングン頭角をあらわしていたコロリョフは、
スターリン時代に強制収容所に送り込まれ、あやうく死にそうになりました。
(ピンとこないでしょうが、スターリン時代のソビエトでは
どんな分野でも、優秀で目立つ人は
「あいつ、外国のスパイだよ」とウソの密告をされて殺されました。
スターリン時代の密告制度は、
大衆の嫉妬にもとづいた民主主義制度という意見もあるのですよ)
さて、過酷な労働で内臓を悪くし、歯のほとんどを失なったコロリョフは
もうマジで死ぬ寸前でしたが、
本当にギリギリのタイミングで、政府によって研究所に呼び戻されました。
ドイツとの戦争がはじまったから、
さっさとロケット兵器の開発しろ!と命令されたのです。
こんな政府に協力なんかしたくね~よ!というのが人情ですが、
コロリョフは黙って働きました。
そして苦節十数年、黙って働いたコロリョフは、
ついに人類史上画期的な仕事をなしとげます。
彼は、R-7ロケットを作り上げたのです。
ソユーズロケットの原型となったこのR-7は
現代の基準でいっても
おそろしく優秀なロケットでした。
コロリョフが作り上げたのは、史上初の実用的な宇宙ロケットだったのです。
ただ、R-7は大陸間弾道弾として開発されており、
宇宙に打ち上げるという考えは、政府にまったくありません。
けれど、
コロリョフはスタッフに人工衛星の制作を命じます。
政府の指示でなく、ほとんど独断で
コロリョフは、世界最初の人工衛星「スプートニク1号」を宇宙に打ち上げました。
もう全世界は、大騒ぎです。
有名なスプートニク・ショックです。
あまりの世界的反響に、ソビエト政府はビビりました。
いちおう、コロリョフも書類は出していたのですが、
「人工衛星?まあ、核ミサイルに役に立つ実験ならいいけどよ」
と政府はえらく冷淡な反応で、
まったくスプートニク1号の意味が分かっていなかったのです。
こんなに騒ぎになるんなら、宣伝に使えるぞ!
と気付いたソビエト政府は、
この後、真剣に宇宙開発にのめりこみます。
アメリカ政府も、真っ青になりました。
当時のアメリカのロケットは人工衛星を打ち上げる能力がなく、
ミサイル技術でソビエトより圧倒的に劣っていると気付いたからです。
そして、アメリカにいた宇宙バカ、フォン・ブラウンにも
いよいよバカを発揮できるチャンスが回ってきたのです。
コロリョフとフォン・ブラウン、
この宇宙バカ2大巨頭のその後の激しい競争が
軍部主体だった核ミサイル開発を
宇宙ロケット開発へシフトさせていったのですよ。
バカは偉大ですね。
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