はてなキーワード: セルフケアとは
はてなでは非モテ論の影響が大きいから弱者男性もその延長として捉えられやすいが、非モテ論のような内面的な観念論はここでは捨てる。
男性は年収と婚姻率がきれいに比例していることはよく知られており、年収300万円未満だと婚姻率が10%となる。
10代20代で年収300万円以下は除き、30代以上で年収300万円の男性のうち未婚の者を弱者男性と定義する。
なぜ婚姻が重要か。それは未婚男性という属性が他の属性と比べ明白に寿命が短い、つまり生存権が脅かされていると考えられるからだ。
未婚男性 | 男性全体 | 未婚女性 | 女性全体 | |
死亡年齢の中央値となる年齢階級 | 65〜69歳 | 80〜84歳 | 80〜84歳 | 85〜89歳 |
---|
参考 https://data.wingarc.com/marriage-and-longevity-29801
原因は色々考えられるだろうが、生存権という最も根源的な人権が損なわれている属性があるならそこにまずは社会として救いの手を差し伸べるべきではないだろうか。
舞田さんの記事によると独身男性の死亡年齢の中央値は66.1歳とちょうど、年金給付が始まって一年で死亡することになっている。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2020/06/post-93638.php
もちろん、独身男性の死亡年齢の中央値は年々増加しているが年金支給年齢もそれを追いかけるように高くなっている。
年収300万円で考えてみると厚生年金保険料は年間28万1820円になる。更に40歳以上になると介護保険料もそれに加わってくる。
年金も介護も受益できる見込みが無いのに関わらずに支払い義務のみある。
応能負担は支払いができる能力があるものに支払ってもらうという考え。所得税の累進課税なんかがこれにあたる。
応益負担は福祉の受益者が負担するという考え。保育園の保育料の支払いとか。
弱者男性は収入もなく、福祉も受益しないのに関わらず負担をしているのは貧しいものから富めるものへの所得移転ではないか。
未婚男性の寿命が短い原因は厳しい労働条件に追い込まれている、余裕がないために飲酒などに溺れる、病院を嫌うなどが言われているが
彼らも年間28万1820円の余裕があればもう少し丁寧な暮らしでセルフケアができるんじゃないかと思わないでもない。
※追記(2021/05/06)
弱者男性を福祉の枠組みから外すと読まれたことに驚いた。もちろん、社会福祉はすべての人に必用なのは言うまでもない。
年金の事例をあげたのだから当然、専業主婦(主夫)向けの第3号被保険者のような掛け金を払わずに福祉を受益できるようにするべきと考えている。
男性が受けている差別として重要だと私が思うのは、警戒されることと、信頼という名目で粗末に扱われることです。
男にも女にも、男は警戒すべき存在だという感情がうっすらとあります。
同時に、男性だったらほっといても大丈夫だろう、という肯定的な信頼の形をとって、男性のことをろくに気遣う必要はないとされがちです。
だから、世間話でもマスメディアでも、男性への警戒や、過度の信頼による雑で粗末な扱いが平然と行われています。
それが積み重なった結果として男性は、敬遠されて孤独な人生になりやすく、自尊心も低く、自分たち男性自身への嫌悪も生まれ、自分の事すら粗末に扱い、次世代男性もそのように扱うので引き継がれる、などの被害を負っています。
「保護と抑圧は地続きなのでバランスが大切だ」という話をよく目にしますが、同じように、信頼と放置も地続きなのです。
家父長制は、自立したい女性にとっては抑圧という差別だけれど、自立を望まない女性には保護を受けやすいというメリットとしても働く。
それを裏返したように、男の自由放任は自立できる強者男性にとってはメリットだけれど、弱者男性にとっては助けてもらえないし悲鳴も無視される差別として働いています。
若者が遭遇しやすい実例として、バイトやサークル活動が長引き、夜になってしまった場面を考えましょう。
これを、男性の方が不安や心配事が少なく生きられるというメリットととらえることは確かにできます。
しかし同時に、「襲ってくるとしたらたぶん男だ、男を警戒すべきだ」「男の自分は、夜道で女とすれ違う時に怖がらせてしまうだろうから気を使わねばならない」「男の帰り道を気遣ってやる必要はない、男は粗末に扱っていい。自分が男なら自分の事も心配せず粗末に扱うべきだ」という認識を強めることにもなります。
実際は、男性でも深夜に一人で帰ることに恐怖を感じる人がそれなりにいるのですけどね。
でも、女性の帰り道は心配されるが男性はそうではないという現実と向き合うたびに、「ああ、俺の夜道への恐怖は認識すべきでない感情なのだ。むしろ俺は怖がる側ではなく怖がらせる側なのだ」という方向へ矯正され、やがて本当に自分でも自分の不安や恐怖に気づけなくなります。
色々な場面で、不安を感じてないことを前提とした粗末な扱われ方を重ねて、男性は自分に対しても他人に対しても鈍感にさせられていきます。
たとえばトイレ。
男だったら道端で立ちションしても大目に見られがちという自由は、性器を露出し排泄を見られたくない感情を気遣ってもらえないという粗末な扱いでもあります。
不安や羞恥を感じていた男児も、「その辺でおしっこ済ませてきな」と言われたり、仕切りのない小便器や、女性が清掃に入ってくるトイレを使ううちにその弱さを鈍麻させ忘れてしまいます。
この言葉はおおむね好意や信頼の表れですが、同時に「男の人は一人でも不安になる必要はないよね、あなた自身が男の人なんだから」という扱いでもあります。
一人で行動しても口を挟まれない自由の反面、一人は心細いという男性の感情は最初から考慮されていない。
このような扱いに触れ続けることで、「俺は男だから不安になる必要はないんだ」と自分を勇気づけ、痩せ我慢することが癖になります。
夜道にせよ、トイレにせよ、一人行動にせよ、成人男性に直接聞いてもたいてい「いや全然平気だが」と言うだけでしょう。
最初から平気な男性と、鈍麻し平気にさせられた男性と、本当は平気じゃないが痩せ我慢している男性を区別することは本人にすら困難です。…
…これは「たとえ当事者が男性差別を否定しても、それをそのまま受け取るべきではない。男性差別は存在する」という無敵論法っぽくなるので好きではないロジックですが、そう言わざるを得ない。
ここ数週間のネットでは、男性はセルフケア能力が低い、まずは自分を大切にすべきなのにそれをしようともしない、などという話も多くなっていますが、それは数十年にわたる「男性は自由に行動してよい反面、粗末に扱ってよい」という経験の積み重ねによるものであり、決して男性個人に責を負わせるべきでも、自己解決を求めるべきでもありません。
セルフケアに焦点を当てるならば、社会によって損なわれた男性個人のセルフケア能力を育て直すため、社会が反省して手厚く協力してあげよう、という話になるのが妥当でしょう。
しかし現状の男性セルフケア論では、セルフケアというスローガンと丁寧な暮らし雑誌は与えてやるのであとは自分で(せいぜい弱者男性内部で)上手くやって満足しろ、社会は手を貸す気はないぞ、という正反対の切り捨て論になっています。
男性が警戒され、気遣ってもらえない原因には合理的理由がある、という反論はできるでしょう。
腕力の強さ、性欲や暴力性の強さ、外見の悪さ(体毛が濃く皮脂が多く禿やすいなど男性ホルモンが外見に与える悪影響は多い)、コミュニケーション能力と共感能力の低さ、など。
しかし、そのようなある程度の合理性があったとしても、統計的差別であることは間違いありません。
統計的差別はどの程度まで許されて良いか、というのは難しい問題なので、別に論じる必要があります。
そして、フェミニズムと弱者男性論の共闘が難しいのはここが主要な原因でしょう。
「性犯罪は男性から女性への加害が多い(犯罪全体では男性被害者の方が多いですが)」「腕力が強くて静止が困難」「妊娠リスク」など様々な事実に基づき男性に対する統計的差別をどの程度認めるべきか、真っ向から対立しますから。
統計的差別は一切許されるべきでないと言い切る人も時々いますが、それはどの陣営であっても非現実的でよくないと思います。
もっとも「社会を運営するにはマクロ視点の統計的差別が必要なことは認めるけれど、その加減を考えましょう」とかぬるいことを言ってると、確かにそうだね考えなきゃねとは言ってもらえても実態は現状維持が続くだけであり、統計的差別を一切許すな!と極端なこと言って圧を掛ける方が新規分野の社会運動としては実を結びやすいんでしょうけどね……。
これに近い話題は、今までも男性は加害者として認められやすく被害者として認められづらいという内容でしばしば語られてきましたが、たいてい注目されるのは悲惨な女→男セクハラや暴力事件がほとんどです。
それも由々しき問題ですが、その根底にあるのは、もっと日常的でうっすらとした「男ならまあ平気だろ。ほら、やっぱり平気だった」という日々の積み重ねではないでしょうか。
特に、「男性なら大丈夫」という信頼により粗末に扱われる場面は見過ごされやすいと思います。
フェミニズムでは、「女を自立した人間と信頼して放任しろ、家父長制で口を出してくるのやめろ」というアプローチが行われていたため、その逆になっている、過度の信頼による放置という男性差別は問題視されづらいのです。
「女子供は弱いから保護して指示してあげなきゃね」という慈悲的差別に対して、男性が受けやすい「男は大丈夫だろうから心配する必要もないし勝手に自立しててくれ」は信頼的差別などと呼べそうです。
この記事は、これまで弱者男性論で強調されてきた、人間関係、恋愛、経済、ジェンダーロール、弱者男性論が不条理に否定される、などの論点と対立しません。
警戒されつつ粗末に扱われることは、親しい人間関係や恋愛関係のハードルを上げます。
経済的貧しさについては、一般的な貧困問題に加えて、男性は公的にも私的にも助けてもらいづらいし、そもそも助けを求める能力が社会により破壊されていることが困窮してはじめて露見するなど、男性特有の困難があります。
男性ジェンダーロール問題とくくられるような、男なんだから泣くなしっかりしろと言われるとか、責任を負わされるとかは、「信頼の名目で粗末に扱われる」部分です。
弱者男性論自体があまり聞く耳を持ってもらえないしミソジニストとすら言われるとか、困ってると認めてもらえなかったり、困っててもそれは受け入れるべき部分だと言われることなども、「信頼してるという名目で粗末に扱われる」ですね。
また、「男性にも弱者がいることは分かったけど、結局どうなることを求めてるんだ、要求を出してくれ」という問いがありますが、運動として歴史の浅い弱者に、的確な要求をする強さをいきなり求めないでください。
現時点では、「どうなったらいいかを、男性に肩入れしつつ一緒に考えてくれる人が増えるのが望みです」としか言えません。
少なくとも私は、男の乳首も露出NGにしろとか、男性トイレもすべて個室にしろとか、芸人のちんちんポロリシーンやハゲネタはダメだとか、「男の人がいると安心」はハラスメントだから許すなとか、そういう短絡だったり個別的すぎる議論にはしたくありません。
社会的な相互ケアがもっぱら女性ジェンダーに偏ってるのが問題だって社会観なら普通に一発で出てくる発想でしょ。
イオンに散歩行ったら(屋外スペースがでっかい公園になってるんだ)高校生や大学生と思われる男どもの三人組、四人組が多くいて、スマホゲーム?やら音楽やらを楽しみ、はたまたアイスクリームやハンバーガーを食べながら世間話をやりながら楽しそうに休日を過ごしていた。
数日前に、男は男同士の共助によってセルフケアできないよねーとか読んだあとだったので、なんだか驚いた。
そういえば社会的にも恋愛的にも弱者男性たる自分も、大学生くらいまでは趣味である鉄道やアニメファンのオタクと交流し、共助し、相互ケアしていたなあと思い出した。みんな彼女いない歴年齢だったけど、そのことを自嘲したりして楽しめていた。
「弱者男性はまずクロワッサンを読め。丁寧な暮らしをして、自分の機嫌を取れ。」
絶賛してる多くのはてな民と、ブチギレてる弱者男性擁護派に見事に別れたこの提言。
でもこれ冷静に考えると正論なんだよな。珍しくはてな民がマトモなことを言っている。
反発してしまうのもわかるが、全くの正論としか言いようがないのだ。
現代の弱者というのは結局の所、自分で自分の世話ができないことがストレスとなり
他人のリソースを注入せざるを得ないのに加害性が高く、コミュニケーションも高コストになる、というところに本質がある。
おとなしく機嫌の良い弱者ならなんとでもなるが、暴力的で不機嫌な弱者は支援もしづらく、相互扶助のリターンは小さく、支援者にも避けられ、ますます弱者になっていく。
社会関係資本という最も重要な資本を自ら失ってしまう。たとえば公的支援も後回しになり、金銭でサービスを受ける際にも追加でコストを取られる。
私的関係なんて当然言うまでもなく壊滅していく。それが弱者たる所以。
だから、「まず自助努力で丁寧な暮らしで自分の機嫌を取れるようになり、そこから支援を受ける」というのは理想的な流れと言える。
とはいえ、これを弱者に向かって直接いうと当事者や、同情している人々に激怒されるのも確かだ。むしろそれこそが真の問題である。
答えはわかっているのに、納得したくないというケースが非常に多い。
最近の別の典型例は車椅子クレーマーで、あれは弱者が敵対的コミュニケーションによって周囲に加害していた例だろう。
一般人の反感を買ってますます支援と理解を得られなくなるのだが、「あれが戦略的に正しい」という意味不明な擁護が左派の中で多かった。
もちろんそんなわけないのだが、当事者に寄り添うと、認知が歪んでしまい、客観的に物事を見られなくなるのだ。これ自体は仕方がない。一般的な話で、左右の問題ではない。
今回の件で言えば弱者男性擁護派もブチギレていた。全く同様の心の動きだろう。
そこにさらなる正論で反論しても、ますますヒートアップするばかりで、納得が得られる可能性は低い。
忠言耳に逆らう、というのは普遍的な話だ。最も重要な提言ほど、正面から言うと理解が得られない。
だからこそ、様々な弱者に対して「弱者はまず黙って丁寧な暮らしをしようよ」という正論を投げかけるのは有効だと思う。
障害者、マイノリティ、弱者男性、いろいろな弱者がいるわけだが、その全てに同情している人間はそれほど多くないだろう。
自分がまったく同情していない、あるいは嫌悪している対象ならば、「弱者はまず黙って丁寧な暮らしをしよう」という正論の合理性が簡単に理解できると思う。
もちろん同情しているとか、実際に当事者なら怒るだろうが、その場合にはまた別の対象を持ってくればいい。
弱者男性擁護派も他の弱者に対しては同様の論理を持ち出していることは多い。
そこからはじめて繰り返していけば、弱者一般に対しても全く同様の論理が成立することも、最終的にはみな理解できるだろう。
実際に今回、はてな民の大多数は理解できた。地道にやっていくことが大事だ。
そうすればだんだんと加害性の高い弱者が減っていき、協調性の高い社会にたどり着くことができるだろう。
今回の提言は図らずも多くの学びを得られた。
余談だが、以下のような論理は全く空転しているといいたい。
今まで言っていたことと矛盾している人間がいたからといって、今回の反応が間違いだ、というのはレトリックにしてもあまりにも短絡的だ。
むしろ、今までが間違っており、今回正しい結論に至ったと見るべきであろう。
https://anond.hatelabo.jp/20210503143456
(追記)
ブコメに明らかに文意が読み取れていないはてな民が見受けられる。
私は福祉を否定しているわけではない。弱者に助けが必要なのはそのとおりだ。読めばわかるだろうが、共助や公助を受ける「ために」自助努力が必要だという話をしている。
世間は体調が悪い人ばっかりになったよね。
コロナもひとつのきっかけだと思うんだけどここ最近の世間の流れとして
「心身共に健康になりましょう」みたいなライフスタイルが流行ってる。
ビーガンとかオーガニック、ヨガや筋トレ、サウナ、メンタルヘルスとか。
そんでもって何がおきたかというと世の中に体調が悪い人ばっかりになった。
やれ生理がツラくて仕事ができない、低気圧なので頭が悪い、睡眠時間が短くて調子が悪い
ファスティングで体調が良くなった、サウナでリフレッシュだのお前らどんだけ体調悪いんだよと。
みんな健康になりたいがために不健康な面ばっかり探して必死に何かをやってる気になってる。
そりゃ低気圧で頭が痛くなることもあるだろうけど、低気圧アプリのスクショを毎日貼らなくても大丈夫だよ。
なぜそんなに不健康自慢をしたいのか。
挙げ句の果てに医者でもないのにやたら処方薬に詳しくなってんの。
持病でもありゃ別だけど痛み止めの種類や成分にそんなに詳しくなってどうする。
他者を外部から「インセル」と認定することはナンセンスであると考える、と最初に書いておく(そもそも誰かの独身性がvoluntaryなのかinvoluntaryなのか、当事者以外には判断できるまい)。
これはインセルフォーラムに入り浸ったある一定の期間から得た知見の共有である。
インセルフォーラムでは、一般的な欧米社会での名前とそれにまつわるイメージからいわゆる「強者(白人)男性」はChadやTyroneと呼ばれ、一方女性はほぼ純粋に見た目によって分けられ、最も上位がStacy、いわゆる平均以上〜平均がBeckyと呼ばれることが多いようだ。人種による表記揺れなどは数多くあるが今回は割愛する。
フォーラム利用者の多くは「すべての女性は、彼女自信の見た目に関わらず、現実的な恋愛相手を見つけるよりもほんの一握りしかいないChadやTyroneと寝たがっており、また女性の性的解放やインターネット・デーティングの発達がそれを可能にしている。仮に今ChadやTyroneではない男性と付き合っている女性がいてもそれは金目当て(betabuxなどと呼称される)等の理由であり、彼女らもまたチャンスがあれば迷わずChadらと寝ることを選ぶ。現代社会において自分たちには結局チャンスはないのだ」と信じ、主張している。
彼らがこう語る時、彼らはChadを憎まない。IncelからChadへ注がれる視線はむしろ尊敬や連帯に近い。嫉妬ですらないことも多々ある。女性がChadと寝たがるのは、Chadが悪いわけじゃない。Chadが多数の女性と寝るのも、Chadが悪いわけじゃない。全ては身の程を弁えず、Chadらと寝たがる女が、そしてそれを許すべく変化してきた社会が悪いのだ。
彼らはlooksmatchという言葉も用いる。訳せば「自分と同程度の容姿レベルの異性」といったところで、一昔前であれば自分たち(インセル)にも同程度の見た目の異性=looksmatchが最終的にはあてがわれ、結婚し家庭を築けていた、「普通に幸せ」になれていたはずだ、しかし自由恋愛・社会の変化・フェミニズム等々がこれを崩した、というわけだ。
これは非常に面白いポイントで、彼らの多くは「自分は女とは違い、なにも絶対にStacyと付き合いたいわけじゃない、誰でもいいから誰かに愛されたいだけだ」と主張する。一方で、彼らの語る恋愛はカップル成立で終わることが非常に多い。「めでたしめでたし」的な、「そして二人は末長く幸せに暮らしました」調のイメージを彼らの多くが抱いていることが観測できるのである。月並みな言葉で言えば「恋に恋する」と言ったところなのだが、この非常にセンチメンタルながら切実な「愛されたい」という願いと、その内容物として見て取れる「異性として肯定されたい、性的に欲求されたい」という直球の願いを彼らが裏表として(意識的にせよ無意識的にせよ)使い分けていること、これがとても興味深いのだ。
彼らの「性的に欲求されたい」の奥にあるのは、「性的に欲求されている自分を見て欲しい」なのではないだろうか。だから誰でもいいのだ。恋愛における「相手は誰でもいい」は現実的には美徳でもなんでもないのだが、彼らにとっては真にどうでもいい。惚れた相手に愛されたいわけではなく、誰かに愛される自分を見ている誰か(理想を言えばやはりChadだろう)による尊敬・承認の獲得によって自分を愛せるようになりたい、というのが「誰かに愛されたいだけ」という主張の正体だからだ。だから彼らは、自分は異性に愛されないと苦悶しながらも、女性はすべからく浅く表面的で、そんなものをパートナーとして獲得することに意義を見いだせない、とも毒づくのである。この二つは彼らの中で矛盾しない。
インセルは自分を愛したいのではないか。もちろん、自分を愛したくない人などいるのか?という話にはなるが、彼らの多くは性愛を介さない形のセルフケア、及び自己愛に非常に懐疑的・嘲笑的である。彼らにとって自己愛とは異性からの性的関心の獲得によってのみ得られるものであり、自己愛とは人間に必須のものなのだから、「女をあてがえ」、となっているのではないか。
だから彼らが正しいとか、だから彼らに女をあてがうべきだというのではない。インセルフォーラムの主張の多くは誇張され、歪み、仲間内でのノリが膨れ上がった醜悪なものであり、あなたがもし覗いてみようと思っているならお勧めはしない。ヘドが出るからである。
30代半ばでストレッチを始めたら身体の不調が大幅に改善された。
数ヶ月ごとに首が回らなくなり整骨院で治してもらうというサイクルを続けて早数年。
昨年の夏頃にはついに朝起きるときに首から背中がガチガチに固まって起き上がれなくなってしまった。
耐えきれず近くに開業した整骨院で治療してもらったところ先生に
と言われ、帰宅しても頭に引っかかり、その日からストレッチを始めることにした。
肩甲骨回しや学生の頃に部活や体育でやっていたようなストレッチ、あとはネットで調べたやつ。首〜上半身を多めに集めた。
始めて数日で何だか体調が良いことに気づく。一ヶ月経つ頃には体も柔らかくなり、全く不調が起こらないことに驚く。ただのストレッチだけで??
今では半年以上経つだろうか、たまにやらずに寝てしまうこともあるけど習慣化した。やらない日が3日くらい続くと調子が悪くなるのでやめられない。
学生の頃にはなんの効果も感じられなかったストレッチが30代半ばの今ではものすごい効果を発揮している。
30代こそストレッチしよう。
自分の問題に対処した結果が、現状のストレスを言語化してネットに書き込む事である…ってパターンもあり得る。
増田への投稿は、「流す」「投げる」「捨てる」という感覚に近いのではないだろうか。
ストレス軽減法として
●嫌な事を紙に書き出して、その紙をビリビリに破く。
●川を流れる木の葉をイメージし、葉の上に自分の苦しい気持ちを乗せる。川の向こうに流れて見えなくなるまでを想像する。
などがあるけれど、匿名でネットに書き込むのもこれの一種だと思う。
もちろん読者を想定して共感同情を求めている投稿者も大勢居るだろうけれど、「書いて投稿ボタンを押す」そのものがセルフケアの一環であり、現実に対処した結果の行動なんだとも言える。
男同士でケアすればと女から匙投げられるヤツはそもそも自分の欲求もよく分かってなくて女がセックスで体を貸したところで、これはオレの求めたセックスじゃない!俺の要求を察しない女が悪い!となるのがわかりきってるからまずは自問自答というセルフケアをして自分の本当の欲求を言語化しろ、と言っているのだが、彼らお気持ちの言語化が脳のせいなのか怠惰に気持ちを蔑ろにしてきたから気持ちに言葉がないのか知らないができないんだよな。カウンセラーに聞いてもらうにしても、その最低限のことを学ばないと永遠に救われない。
男同士でケアすればと女から匙投げられるヤツはそもそも自分の欲求もよく分かってなくて女がセックスで体を貸したところで、これはオレの求めたセックスじゃない!俺の要求を察しない女が悪い!となるのがわかりきってるからまずは自問自答というセルフケアをして自分の本当の欲求を言語化しろ、と言っているのだが、彼らお気持ちの言語化が脳のせいなのか怠惰に気持ちを蔑ろにしてきたから気持ちに言葉がないのか知らないができないんだよな。カウンセラーに聞いてもらうにしても、その最低限のことを学ばないと永遠に救われない。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 141 | 14788 | 104.9 | 56 |
01 | 112 | 11495 | 102.6 | 51.5 |
02 | 46 | 10928 | 237.6 | 62 |
03 | 23 | 3149 | 136.9 | 63 |
04 | 26 | 4167 | 160.3 | 42 |
05 | 23 | 2858 | 124.3 | 40 |
06 | 36 | 5373 | 149.3 | 51 |
07 | 59 | 4530 | 76.8 | 50 |
08 | 74 | 6544 | 88.4 | 47.5 |
09 | 93 | 7266 | 78.1 | 36 |
10 | 86 | 11035 | 128.3 | 49.5 |
11 | 155 | 14869 | 95.9 | 48 |
12 | 127 | 14765 | 116.3 | 40 |
13 | 117 | 15590 | 133.2 | 37 |
14 | 81 | 14087 | 173.9 | 45 |
15 | 87 | 8123 | 93.4 | 48 |
16 | 166 | 21310 | 128.4 | 46 |
17 | 177 | 23562 | 133.1 | 43 |
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19 | 185 | 15509 | 83.8 | 33 |
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23 | 226 | 23773 | 105.2 | 39.5 |
1日 | 2710 | 310130 | 114.4 | 43 |
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どうもTwitterとか見ていると、「男性が女性にケア役割を無償で要求するのはやめろ」「男同士、弱音を吐きあったり、ケアしあえ」「自分の機嫌は自分でとれ」みたいなのが今は正しいようだ。
「男性が女性にケア役割を無償で要求するのはやめろ」っていうのは納得する。アンフェアだなと思う。
ただ、我が身を振り返ったとき、どうしても「男性にケアされても嬉しくない」「セルフケアしても嬉しくない」って感じてしまうんだよな。自分で自分の機嫌をとってると、惨めになってくる。女性が働いててくれないと全然嬉しくならない、満たされない、って感じがする。
どうやったらこの女依存をやめられるか、どうやったら男同士のケアやセルフケアを嬉しいと感じられるようになるか、アイディアがあったら教えてください。
「どうやったら、じゃないんだよ。やめなきゃいけないんだよ」みたいなのはナシでお願いします。理由は頭で分かっているので。「こうすべき!」じゃなくて「こうしたら楽しいよ?」みたいなのがほしい。
病気の人じゃん
一時期、ブームになった「自分探しの旅」や「ていねいな暮らし」も、羨望まじりの激しい揶揄とバッシングを受けたが、どちらも女性のためのセルフケアの方法論だったからというのがあんなに叩かれた理由かもしれない。
女性も男性に追随して金星的欲望を蔑視しており、その発露の究極が韓国起源の「脱コルセット運動」である。女性たちが、家父長制に反抗するために化粧もおしゃれもやめて男性と同じ装いをする。男性と同じじゃないかといわれると、これは男性の装いでなく、装飾を抜いた、人間として標準の装いだと彼女らはうそぶく。男=人間の標準と定義している。
先に書いたように金星は生存に関係ないむだやぜいたくをも象徴する。芸術文化に関しても、ある程度人間の心に余裕がないと、つまりむだなものを許容する余裕がないと生まれないし、発展しない。もう数十年もの間、経済が地盤沈下しつづけて、貧困国に転落した日本では、その心の余裕もない。国が豊かになり時代が安定すると、無力なものや弱いもの、かわいいものをそのままで肯定し愛するポップカルチャー(=女性的文化)がさかんになるという説がある。日本はその逆をいっていて、すべてが男性的になっていると感じる。女性や、フェミニストの間ですら、おしゃれや外見にこだわることを恥でダサいとする風潮が広まっている。男ウケファッションはダメ、愛されコーデはダメ。抑圧された女性たちが自己表現のかわりに女体消費のストリップを見に行って、金星を託している。強引なイケメンに少女が押し倒される少女漫画が規制される。いまどきは、BL漫画の中ですら、受けキャラがレイプで感じるのは倫理的によくないと論じられる。だれもが金星を殺されている。
殺された金星はどこに行くのか。
金星はどこへ行くのか/フェミニズム占星術序論 - 宇宙の産み落とした私生児
https://astrotoyokawa.hatenablog.com/entry/2020/09/27/180713
私も仕事が立て込んでいた時、ぐらついた時があった。
しかし、クリニックにいったところで、ゴールが見えないし、薬の副作用も気になる
ニュースでは、クリニックを増やして気軽に行けるように、と言っていた。
それもいいだろう
けれども、どうしたら、自分のメンタルをコントロールできるか、悪くなる前に、こうなれば危ないと教えてあげることも大事ではないだろうか
一人で抱え込む状態
生活習慣の乱れ
こうなると人はメンタルのバランスを崩すと、もうすでに原因はいくつもわかっているのに、どうしてそれが起こりかねない社会構造を放置して、ダメになった時の対応を強化するのだろうか
予防するほうが効果があり、楽なのに
患者が増えている、というのは、医療機関にかかる人数が増えたというだけであり、純粋に患者が増えているのか?というのはわからないけれど
ふと、一般に女性が男性(の身なり)を評価するときによく登場するとされる「清潔感のある人」というフレーズは、ある意味ではパートナー選択において非常に優れた選別基準なのではないかと思った。
男性における「清潔感」という語については、顔の良さを範疇に含めるべきか否かなどいろんな意見があるとは思うが、今回は顔の良さは清潔感には含まず、ざっくり以下のような定義をする。詳しい清潔感の定義に踏み込みたいわけではないので、私の主観的な印象が中心となるがご容赦いただきたい。
頭髪について
・形状の整ったカットがされている
・毛先の痛みが少ない
・伸び放題ではなく、整えられる長さ
・寝癖などは整えられ毛先の無駄な遊びが少ない
肌について
・ひげがきちんと剃られている、またはお洒落
・ニキビが少ない
・唇が荒れていない
・爪が短く整えられている
・極度の乾燥または脂性が見られない
・目の下のクマなどが極端でない
においについて
・定期的な入浴
衣服について
・着衣に着崩しがない、または遊び程度
・衣服のほつれ、ヨレ、シミなどが目立たない
・靴の汚れや履き潰した跡が目立たない
体型について
・極端な肥満体型でない
・極端な痩せ型でない
・猫背や側湾症が目立たない
・肩の左右の高さの差異が目立たない
例えば体毛や仕草など、並べようと思えばまだあるだろうが、この程度で今回「清潔感」がある面では一定の効果のある選別基準であるように思った理由を述べるには十分なので、ここで一旦ストップとしたい。
本題に入るが、これらの「清潔感」を構成する要素を眺めていると、自分に対するケアをきちんと行っているか否か、というのが透けて見えてくるのではないか、と私は考えた。つまり、自分自身のことを大切にできているかを大まかに捉える指標が「清潔感」なのではないか、ということである。
無論、これらが満たされている背景には様々あって、セルフケアの重要性を理解して自身の習慣として実行しているパターンもあれば、一定の裕福さの家庭に育って躾の一環として身につける人もあると思う。
逆に、満たさない理由にも様々あって、経済的な理由もあれば、趣味や別のことに投資したい場合、ケアの方法を知らない場合などもあるだろう。
ただ、どのような理由があるにせよ「清潔感」を実現する過程で自分を労り大事にするということをある程度達成できているように思う。
自分を大切にする、自分を好きだと思えるように努力する、自分を愛する、といった自己受容ができていないことから思い悩んだり、不適切な行動(身体的・精神的自傷や暴力など)に至るケースも少なくはない。
清潔感がある程度自己受容を表現しているという仮定の下で、パートナー選択においては清潔感実現を通して自分を愛せる人を選ぶのは平和で円満な関係性のためには合理的だし、男性においても清潔感を心がけることで自分を大事にし、心身の健康を得られるのではないかと思った。
いつもはサボってしまう肌のケアをした後にふっと思ったことを書き連ねただけなので、恐れながら本文に登場する考え方にはエビデンスは無い。それでも、私はある程度これは正しいのでは、と思うし、今回は男性という視点で書いたが男女問わずこうした側面はあると思う。
自分のためだけに食べたい物自分で料理するとか、マッサージに行くとか、なんでもいいのだけれど、忙しくて蔑ろにされがちな自分にもお金、時間、手間、心を割いてあげて、自分を大事にする暮らしを心がけたいですね。