はてなキーワード: セルフケアとは
男性が受けている差別として重要だと私が思うのは、警戒されることと、信頼という名目で粗末に扱われることです。
男にも女にも、男は警戒すべき存在だという感情がうっすらとあります。
同時に、男性だったらほっといても大丈夫だろう、という肯定的な信頼の形をとって、男性のことをろくに気遣う必要はないとされがちです。
だから、世間話でもマスメディアでも、男性への警戒や、過度の信頼による雑で粗末な扱いが平然と行われています。
それが積み重なった結果として男性は、敬遠されて孤独な人生になりやすく、自尊心も低く、自分たち男性自身への嫌悪も生まれ、自分の事すら粗末に扱い、次世代男性もそのように扱うので引き継がれる、などの被害を負っています。
「保護と抑圧は地続きなのでバランスが大切だ」という話をよく目にしますが、同じように、信頼と放置も地続きなのです。
家父長制は、自立したい女性にとっては抑圧という差別だけれど、自立を望まない女性には保護を受けやすいというメリットとしても働く。
それを裏返したように、男の自由放任は自立できる強者男性にとってはメリットだけれど、弱者男性にとっては助けてもらえないし悲鳴も無視される差別として働いています。
若者が遭遇しやすい実例として、バイトやサークル活動が長引き、夜になってしまった場面を考えましょう。
これは、男性の方が不安や心配事が少なく、お節介な干渉もされず自由に生きやすいというメリットととらえることは確かにできます。
しかし同時に、「襲ってくるとしたらたぶん男だ。男を警戒すべきだ」「男の自分は、夜道で女とすれ違う時に怖がらせてしまうだろうから気を使わねばならない」「男の帰り道を気遣ってやる必要はない、男は粗末に扱っていい。自分も男だから、自分の事も心配せず粗末に扱うべきだ」という認識を強めることにもなります。
実際は、男性でも深夜に一人で帰ることに恐怖を感じる人がそれなりにいるのですけどね。
でも、女性の帰り道は心配されるが男性はそうではないという現実と向き合うたびに、「ああ、俺の夜道への恐怖は認識すべきでない感情なのだ。むしろ俺は怖がる側ではなく怖がらせる側なのだ」という方向へ矯正され、やがて本当に自分でも自分の不安や恐怖に気づけなくなります。
しばしば指摘される中高年男性の自分語りの下手さや、困りごとをうまく伝えられずかんしゃくを起こす傾向などは、彼らが自分の苦痛や不安を認識する能力を社会に破壊されているからでしょう。まして適切な言語化などできるわけがありません。
他にも色々な場面で、不安を感じてないことを前提とした粗末な扱われ方を重ねて、男性は自分に対しても他人に対しても鈍感にさせられていきます。
たとえばトイレ。
男だったら道端で立ちションしても大目に見られがちという自由は、性器を露出し排泄を見られたくない感情を気遣ってもらえないという粗末な扱いでもあります。(道端は許されないと思うならハイキングや海釣りや森林浴を想定してください)
不安や羞恥を感じていた男児も、「その辺でおしっこ済ませてきな」と言われたり、仕切りのない小便器や、女性が清掃に入ってくるトイレを使ううちにその弱さを鈍麻させ忘れてしまいます。
この言葉はおおむね好意や信頼の表れですが、同時に「男の人は一人でも不安になる必要はないよね、あなた自身が男の人なんだから加害者である男と戦えるもんね」という扱いでもあります。
一人で行動しても口を挟まれない自由の反面、一人は心細いという男性の感情は最初から考慮されていない。
このような扱いに触れ続けることで、「俺は男だから不安になる必要はないんだ」と自分を勇気づけ、痩せ我慢することが癖になります。
夜道にせよ、トイレにせよ、一人行動にせよ、成人男性に直接聞いてもたいてい「いや全然平気だが」と言うだけでしょう。
最初から平気な男性と、鈍麻し平気にさせられた男性と、本当は平気じゃないが痩せ我慢している男性を区別することは本人にすら困難です。
この論法は「たとえ当事者が男性差別を否定しても、それをそのまま受け取るべきではない。男性差別は存在する」という無敵論法っぽくなるので好きではないロジックですが、そう言わざるを得ない。
ネットでは、男性はセルフケア能力が低い、まずは自分を大切にすべきなのにそれをしようともしない、などという話も多くなっていますが、男性のセルフケア能力の低さは数十年にわたる「男性は自由に行動してよい反面、粗末に扱ってよい」という経験の積み重ねによるものであり、決して男性個人に責を負わせるべきでも、自己解決を求めるべきでもありません。
セルフケアに焦点を当てるならば、社会によって損なわれた男性個人のセルフケア能力を育て直すため、社会が反省して手厚く協力してあげよう、という話になるのが妥当でしょう。
しかし現状の男性セルフケア論では、セルフケアというスローガンと丁寧な暮らし雑誌は与えてやるのであとは自分で(せいぜい弱者男性内部で)上手くやって成長しろ、社会は手を貸す気はないぞ、という正反対の切り捨て論になっています。
男同士で友人を作っても、それは楽しさや得意分野を分かち合うには向いていますが、弱みを見せ合い癒し合うことには向いていません。「今日はパーっと遊んで嫌なことは忘れちまおうぜ」のような会話がその典型です。
男性が警戒され、気遣ってもらえない原因には合理的理由がある、という反論はできるでしょう。
腕力の強さ、性欲や暴力性の強さ、外見の悪さ(体毛が濃く皮脂が多く禿げやすいなど男性ホルモンが外見に与える悪影響は多い)、コミュニケーション能力と共感能力の低さ、など。
しかし、そのようなある程度の合理性があったとしても、統計的差別であることは間違いありません。
統計的差別はどの程度まで許されて良いか、というのは難しい問題なので、別に論じる必要があります。
そして、フェミニズムと弱者男性論の共闘が難しいのはここが主な原因でしょう。
「性犯罪は男性から女性への加害が多い(犯罪全体では男性が被害者になる方が多いですが)」「腕力が強くて制止が困難」「妊娠リスク」など様々な事実に基づき男性に対する統計的差別をどの程度認めるべきか、フェミニズムと弱者男性論は真っ向から対立しています。
統計的差別は一切許されるべきでないと言い切る人も時々いますが、それはどの陣営であっても非現実的でよくないと思います。
もっとも「社会を運営するにはマクロ視点の統計的差別が必要なことは認めるけれど、その加減を考えましょう」とかぬるいことを言ってると、確かにそうだね考えなきゃねとは言ってもらえても実態は現状維持が続くだけであり、統計的差別を一切許すな!と極端なこと言って圧を掛ける方が新規分野の社会運動としては実を結びやすいんでしょうけどね……。
今までも男性差別については、男性は加害者として認められやすく被害者として認められづらいという内容でしばしば語られてきましたが、たいてい注目されるのは女から男への悲惨なセクハラや暴力事件がほとんどです。
それも由々しき問題ですが、男性差別の根底にあるのは、もっと日常的でうっすらとした「男ならまあ平気だろ。ほら、やっぱり平気だった」という日々の積み重ねではないでしょうか。
特に、「男性なら大丈夫」という信頼により粗末に扱われる場面は見過ごされやすいと思います。
フェミニズムでは、「女を自立した人間と信頼して放任しろ、家父長制で口を出してくるのやめろ」というアプローチが行われていたため、その逆である、過度の信頼による放置という男性差別は問題視されづらいのです。
「女子供は弱いから保護して指示してあげなきゃね」という慈悲的差別に対して、男性が受けやすい「男は大丈夫だろうから心配する必要もないし勝手に自立しててくれ」という扱いは、信頼的差別などと呼べそうです。
この記事は、これまで弱者男性論で強調されてきた、人間関係や恋愛や経済やジェンダーロール面の困難や、弱者男性の存在自体が不条理に否定される、などの論点と対立しません。
警戒されつつ粗末に扱われることは、親しい人間関係や恋愛関係のハードルを上げます。
経済的貧しさについては、一般的な貧困問題に加えて、男性は公的にも私的にも助けてもらいづらいし、そもそも助けを求める能力が社会により破壊されている点に、男性特有の困難があります。
男性ジェンダーロール問題とくくられるような、男なんだから泣くなしっかりしろと言われるとか、責任を負わされるとかは、「信頼の名目で粗末に扱われる」部分です。
弱者男性論自体があまり聞く耳を持ってもらえないしミソジニストとすら言われることや、困ってると認めてもらえなかったり、困っててもそれは受け入れるべき部分だと言われることなども、「信頼してるという名目で粗末に扱われる」の一種ですね。
また、「男性にも弱者がいることは分かったけど、結局どうなることを求めてるんだ、要求を出してくれ」という問いがありますが、運動として歴史の浅い弱者に、的確な要求をする強さをいきなり求めないでください。
現時点では、「どうなったらいいかを、男性に肩入れしつつ一緒に考えてくれる人が増えるのが望みです」としか言えません。
少なくとも私は、男の乳首も露出NGにしろとか、男性トイレもすべて個室にしろとか、芸人のちんちんポロリシーンやハゲネタはダメだとか、「男の人がいると安心」はハラスメントだから許すなとか、そういう短絡だったり個別的すぎる議論にはしたくありません。
男女平等に近づけることには合意されるとしても、男性も女性くらいに保護する方向と、女性も男性くらいに放任する方向では、目指すものは大きく変わるでしょう。
細かな調整が必要な問題ですから、今はまだ最終要求を問われてジャッジを受けるほど議論が深まっていません。
あくまで私の主観的な意見としては、消極的自由を重視して積極的自由には疑問を持っているので、保護よりも放任、安全よりも可能性を男女ともに重視する方がよいと思っています。
人間に限らず生物が「男性的な物、強そうな物、醜い物」へ抱く警戒と嫌悪は途方もなく根深いので、男性もケアされる男女平等の実現可能性は絶望的であり、女性も雑に扱われる男女平等の方がまだ実現可能性があるだろうという予想のせいでもあります。
本エントリの書き方だと皆が保護される平等を求めているように見えるかもしれませんが、私個人はそれが実現しそうにないと絶望しているので、皆が放任される平等を目指した方がマシだと感じている、ということです。この絶望感をぬぐえるならぬぐっていただきたい。お前にサン(son)は救えるか!
【追記】
母親と妻、そして「女をあてがえ論」についても書きました。
『男性が母と妻にだけ弱さを晒そうとするのは、皆に原因があります(anond:20220909191646)』
女性社員に面と向かって「化粧しなよ」って言ってくる男。
彼らがいるせいで、社会人女性は化粧に金銭的時間的コストを強いられているらしい。
もちろんセルフケアの意味合いでメイクを楽しむ面もあるでしょう。
しかし女性にばかり美を要求する理不尽な圧力は確かに存在する。
と、そのように言われていた。だが妙だ。何かが引っかかる…
頭をひねっていたのだが、先ほどおかしさに気付いた。
テレビでもYoutubeでも、パッとしない容姿を下に見て嘲笑する芸は廃れて久しい。
そんな時代に、化粧しなよ、って言う男性がいるわけがないじゃないか。
だってそれって「キミにはメイクが必要だ」って言ってるのと同じだ。容姿いじりだよ、それは。
(前回のご報告)https://anond.hatelabo.jp/20220602124912
拾ったねこなので誕生日とかもわからないのだけど、ボロボロのこねこを9月に拾った時に多分生後3ヶ月くらいだった。ということで毎年6月をお誕生月にしているのでこないだ22歳になったばかりなのですが、たいそう老いたねことの生活は毎日がおなじことの繰り返しである一方で、こねこにも負けない速さでうつろっていくことを身にしみて感じています。日常と非日常が並立する中で感じたことを文字にしたく思い、ここに駄文を記します。
あいもかわらぬねこ一匹ひと一人の生活ですが、どうもお食事を召し上がる際に飲み込むよりもお口からぽろぽろと落としてしまうことが多くなりました。幸いなことに食欲はもりもりとあるので、そのもどかしさを晴らすような勢いでお皿の中にお顔を突っ込むような食べ方をされるようになりました。お皿をかつかつと鳴らしながら勇壮に召し上がる姿はなかなかに晴れやかなものですが、お食事後はお顔から喉にかけてでろでろになってしまいます。もちろんできるだけお拭きするのですが、ねこも汚れが気になるのかグルーミングしたいけど肩のあたりしか届かず、そこだけが禿げて痛々しくなってしまいました。そこで、良さげなねこ用スタイを見つけたのでお召しいただいています。
https://item.rakuten.co.jp/tissue/10000020/
増田は彼女のくび周りがはげるのがちょっと悲しくてずっと首輪は付けないようにしていたのですが、このスタイはあまり気にならないご様子ですし、こころなしか可愛さも増したようにも感じます。
ところで、増田は最近動画サイトで「猫の惑星」という曲の存在を知り、それ以来お口の周りを拭いたり使用済みのペットシーツを片付けたりといったお世話の際はずっとくちづさんでいたりします。特定の運命の元で生まれた特定の人間にとっての上位種たる猫に奉仕する喜びを歌い上げた名曲だと思うのですが、増田にとっては奉仕というよりもっと自己愛に近いもののように感じます。22年間に渡るねこ一匹ひと一人の生活のなかで増田のねこはもはや増田の自我の一部分が拡張されたものになっていて、お世話と称しているものも単なるセルフケアに過ぎず、他者に対して無償の愛を捧げるような立派なものでは決してない、と思うのです。彼女にしてみれば、勝手に同一視した上で自由であるべき生活の一部を拘束しているわけですから何を言ってるんだということになりますが、それはそれでお互いうまくやってこれたと感じてほしいなどと、増田の膝の上でくつろぐねこの拭ききれなかった汚れがちょっとかぴかぴになってる毛皮をなでながら願っています。
増田にねこのことを書くようになって、このように自分のあやふやな感情を言語化する癖がつきました。正直なところ夜中の3時から2時間ごとに起こされて朦朧としながらお食事の用意をしたり、その中にお薬を間違えないように混ぜ込んだり、お水を替えたりしているときに、粗相されていたものをあやまって踏んでしまったときなど床を叩いて喚き散らしたい気分になってしまい未明にひとり気まずい気分になることもままあります。でも、それは増田が自分のために自己愛でやっていることであるならば、本質的には箪笥の角に小指をぶつけるのと何も変わりませんし、小指をおもいっきりぶつけたら床を叩いて喚き散らすくらい当然です。「犠牲厭わぬ愛の極み」に辿り着けない増田はそのように考えています。
冒頭で述べたように、これまで描いてきたような宇宙船や新幹線の中で安穏と隔離された世界は消えてしまったのかもしれません。残念ながら彼女の体重もだいぶ減ってしまいました。ねこが今まで以上に増田のお腹の上で足を伸ばして寝ようとするのもどこかしら調子が悪いからだとおもいますが、それでも抱いているとそのままぷすーぷすーと鼻息を鳴らしたり、夢を見つつまえ足あと足をぱたぱたさせたりします。そして増田はすっかり起伏があらわになってしまった背中を撫でながら「増田のねこはかわいいよいこ」と魔法の呪文を唱え続ける。そんな感じの代わり映えのない生活は続いています。こちらからは以上です。
強制されたわけじゃない、本当に完全な自由意志で化粧をしてるならいいんだけどさ。
現状、多くの化粧は同調圧力と、その内面化による精神的屈伏が動機でしょう。
どうせ強いられるなら楽しもう、っていうポジティブ思考に折伏されてしまってる。
だから誰かの為じゃなくて、自分自身の為に『清潔感』を身につけてほしい。
ダメージを与えてくる外の世界にあらがえる人は、例外なく、セルフケアの手段を持っている。
差別というなら、男性が文化的な理由によって手段を与えられていないことが差別です。
最大の武器は、『化粧』なんですよ。
でも、元々 togetter で提起された問題は、社会が新人女性に化粧をなかば強制してくることだったよね?
本当の敵はダメージを与えてくる外の世界のはず。差別的な状況に追い込む悪を叩かずに、自衛の手段ばかりを充実させようとするのは、むしろ被害者の負担を増すという意味で、敵側に利する行為だ。
ちょっと待ってよ。
有り体に言って、男性だって望まずにプリインストールされた性衝動のメンテナンスコストを負担してる。
この数字は何かわかるかい。俺がセルフケアに費やした時間だよ。
女性には知られざる性衝動による、"男性税"の実態がこちらです。
この累積時間をもっと生産的な事に使えたらと思うけど、男性なんだし仕方ない、で済ますしかなかった。
モテない男性が苦しいのは、"恋愛体験はあって当たり前" っていう常識と、それを内面化することによって生じた歪みが元凶でしょう。
誤解を恐れずに言えば、「モテなくっても良いんだよ」と声高に言う必要があるってこと。
モテなくっていい。そんな風に自分を傷つけなくてもいい。恋人を得る才能がなくても、たった一人でも、「踏み外し」ても大丈夫だよ。—— 彼らを受け皿になって包み込める温もりを、社会の側こそが、備えなくちゃいけない。
だから誰かの為じゃなくて、自分自身の為に『清潔感』を身につけてほしい。
ダメージを与えてくる外の世界にあらがえる人は、例外なく、セルフケアの手段を持っている。
差別というなら、男性が文化的な理由によって手段を与えられていないことが差別です。
最大の武器は、『化粧』なんですよ。
いわゆる加齢臭だと思うのだが、どうすることもできなくてつらくなっている。何かアイデアをくれないか。
夫はかなり太っている(健康のことを考えてもう少し気を配ってほしいと折に触れて伝えてるが結婚して10年ほぼなにも対策が講じられていない、むしろ血圧高いのにラーメンのスープを飲み干すタイプ)のだが、もともとはあまり体臭がないタイプだった。だからこそ結婚にも踏み切れた。
加えて自分のことに無頓着だ。例えば、まともに洗顔すらしない。そのせいかシェーバーもフェイスタオルもくさい。
昔はにおいがほぼなかったので、セルフケアは本人にやる気がなければ強制できない……と諦めていたが、ここ数年、においがきつくなってきた。
洗濯洗剤を消臭力の強いものに変えたり、布団カバーをこまめに洗ったり、洋服を新調したりしてなんとかやりすごしてきたが、最近はにおいパワーが消臭力を上回ってきているようだ。
あとできることといえば、ボディーソープを替えることくらいだろうか……。しかし以前それを提案したときにめちゃくちゃ機嫌が悪くなったのだよな。夫は基本、自身の無頓着さについて改善要望を出されることを嫌うのだ。夫婦でそれぞれ違うボディーソープを使ってるいるため、こっそり別のものに替えるのも難しそうだ。
やっぱり一番効くのは痩せて健康的になることだよなと思い、減塩したり食材や調理法に気をつけたりしてるつもりなんだが、本人にその気がないのに痩せさせるのは無理ゲーすぎる。
なんかおすすめのアイテムだったり、夫が機嫌を悪くしない伝え方だったり、アドバイスをもらえるとものすごーーーくたすかります……。
正直もう、近くにいるのも、すれ違うのもつらい。においが気持ち悪くてセックスどころがキスすらもう数年単位でしてないんだ……。
独り身でパートナーが居ない年収200万代の非正規子供部屋おじさんの弱者男性だけど、
結婚せず彼女も作ろうとせず男友達と遊んで給料を自分の趣味にだけ使っている男性は確かに居るよ
でもそういうパートナーが居らず独り身の男性ってパートナーが居る男性のみならず「男性同士でケアをしていれば良い」って主張をしている女性からも蔑まれるじゃない?
こんな主張してる男いんの?wwww
低時給の派遣社員やってると色んなタイプの弱者男性見るけど、少なくとも穏健派の弱者男性の大半はセルフケアしながら生きているし(自分のセルフケアすらろくに出来ない上に他人のこともケア出来ない人間が他人からのケアを求めること自体土台おかしな話)、だいたい自分の能力の低さに由来する生き辛さに対しては諦念を持って生きてる奴多いと思うんだが、お前そういう弱者男性どこで見たの?ネット?
女好きの性欲強い弱者男性ですら、「女をあてがえ」なんて言ってた奴一人も見たことないし、だいたいそういう奴らは実家暮らしで可処分所得のほとんどを風俗にあてて、休み時間に爆サイ見てるような奴らだったよ。
ネットの弱者男性像って身の回りの弱者男性と乖離しすぎて正直過激派のフェミによる藁人形論法なんじゃないかとさえ思ってる。
あと弱者男性だけど女性が「女性だから」という理由で不条理な差別を受けたり損失を被るのは普通に良くないことだと思うし、ネットの弱者男性像鵜呑みにしてる人たちってもっと現実と向き合ったほうがいいと思う。
ハーブティーを好んで飲む人=自然派、スピリチュアルみたいなイメージを持つ人もいると思うけど俺はそうではないし周りの人もそこまでガチガチにオーガニックライフを送っているわけではない。
麦茶とか紅茶とかと同じ感覚で気軽に飲んで、ゆっくりお茶を飲むことによって体調を崩す前にちゃんと自分に向き合おう、という感じ。
ここ数年でセルフケアや自分を大事にすることはかっこいい、というイメージが徐々に広まってきて
そのブームに乗ってハーブティーも変に信頼されすぎることなく良い形で普及しはじめたと思う。
ハーブティーを飲む人=意識高い系(笑)自然派(笑)と言われることも少なくなり、おー!いいね!やっぱり体にいいの?みたいな反応も増えた。
そこに立ちはだかったのが日本のハーブ研究の第一人者であり日本メディカルハーブ協会の理事である。
そのボスがあのトンデモ反ワクチン医師の内海聡とむちゃくちゃ仲が良く、ボスもゴリゴリの反ワクチン派であり、自分のショップにハーブと一緒に内海聡のオカルトグッズを置くレベルにズブズブ。
最近では「眼を覚まそう」という直球タイトルのあかん記事まで書いている。
https://ameblo.jp/greenflask-yashiha/entry-12703985759.html
そんなハーブ界のボスが反ワクチンで過激な発言をしているとどうなるのかと言うと、ハーブを販売していたりハーブの先生をやったりしてる人が反ワクチンになってもおかしくはないよね。
で変に正義感強いから名前を隠さずにハーブについて発信してるアカウントでワクチンの危険性(デマ)を語り出すよね。
そして見てる人はオーガニックやらハーブティーやら言ってるやつはやっぱり頭おかしいってなるよね。
俺は世間には頑張りすぎの人が多いから、ハーブティー飲んでゆっくりしてたまには休もうぜーというノリで広めていきたいが
いろいろなうまい方の意見やYoutubeに上がっている霧の森の住人たちのアドバイスはありますが、本当に初心者が必要なアドバイスを3ヶ月目の初心者が教えます。
ナンシーとかケイトとかドワイトとかも良いという意見もありますが、つまらなくてもまずはクローデットを育てるべき。セルフケアが無いと持ち物は医療キットを持っていくしかなくなる。セルフケア、共感は初動にマストなパーク。レベル15まで育ててパーク枠4つを開放することをまずは目指す。
共感、セルフケア、血族、猫。慣れてきたら共感か血族の代わりにデジャブをつけても良い。
共感が良いのは、最初に傷がついた人がわかること。つまりその時点でキラーはそこにいるということがわかる。絆だとみんなの動きが見えるため、初撃をもらって人を追いにくい。
初心者は怖くて走れないので無意味。最初はいらない。したがって全力疾走とかデッドハードとかは後回しで良い。
上手い人からは怒られそうだが、最初に見つかってすぐに死んでしまうことが続くとやる気が失せる。最初はしゃがみ歩きで遮蔽物の裏に隠れながら、キラーが誰かがわかるまではコソコソしておいたほうが良い。
その例外として、近くにいるサバイバーが発電機の修理を始める場合。その場合は一緒に修理しよう。見つかっても一発もらう確率は半分に減る。猫が2秒光ったら仲間を見捨てて走って逃げよう。
キラーのパークを無効化するチャンスなのでリスクを負ってでも破壊すべき。ただし近くに心音が聞こえる場合は隠れる。光っているトーテムは壊すと大きな爆発音とともに通知が行くので、すぐにその場を離れる。心音がしないようであれば歩いて身を隠すのが良い。まれに光っているトーテムが罠で、それを壊すと1分間1撃でダウンする状態(無防備)になってしまうものもある。キラーがそのパークをつけている可能性は低いので、当たったら運が悪かったと思い積極的に壊そう。
ダウンしたらその位置が人形で表示される(キラーのパークによって例外はある)。心音範囲外でそれが持ち上がったり、その人のアイコンが微妙に点滅しているならすぐに近くのロッカーに隠れよう。キラーの大半が装備しているバベチリというパークは、サバイバーを吊ったときから5秒間マップ全体のサバイバーの位置がオーラで見えるようになる。ただしロッカーにいるとわからない。心音範囲であるほどに近くなら見えないためそのまま隠れていれば良い。
非常に遠くであり、現在発電機の修理中であればそれを継続する。近くだったり、他のサバイバーが切られたりする(アイコンでわかる)なら助けに走る。
発電機は全部で7台ありそのうち5台を修理するわけなので、最後の3台が近い位置にあるとそこでキラーは待っているだけで勝ちになる。そのためバランス良く修理するのが望ましい。最初の1台は目の前ので良い。1台、2台くらいが直ったなら、その位置からみてマップの反対側かマップの真ん中のを修理しないと最後の3つが固まってしまう。誰かマップの端っこで追われているのが共感でわかったなら、真ん中付近を優先して修理しよう。デジャブをつけていると、固まっている3つの遠くの発電機の位置がわかるので、発電機を散らすために便利。
サバイバーでやりたいという方が多いと思うが、キラーをやってみないと足跡がどんなふうに見えているのかとかわからない。サバイバー5回やったらキラーを1回はやるべき。最初のおすすめはレイス。透明状態で高速で動ける、特技が透明化だけというシンプルさがとっつきやすい上にそこそこ強い。