はてなキーワード: セミリタイアとは
外に出れば、店員も荷物を運ぶ人も工事をする人もオフィスにいる人も、全員が何かしら仕事をしている。主婦だってただグータラやってるわけではなく毎日家族に貢献しなければならないだろう。誰もがやっていることが私にはできないんだなあと無力感を覚える。大学生のときも就活中に工業地帯を散歩して働く人達を見て同じように憂鬱になったものだ。新卒でたまたま運良く就職できて、人の厚意に支えられて今まで何とか生きてこられたが、私の無能さが年々加速してついに周りの人に見限られた。本当に働くことに向いていない。この世界のほとんどの仕事に対して私はトップクラスの無能である。だからほとんどの人が簡単だという仕事すら私には困難なことで、できる人が眩しく思える。
貧乏生活をすれば無収入で10年程度生きられそうな貯金はあるが、寿命があと最大10年しかないともいえる。そして貯金額と精神の安定は直結するので、1年目より2年目の方が追い詰められた生活になる。10年間同じペースでは消費できない。健康を損なえば消費のペースが上がる。それを考慮すると寿命は実質10年もない。
セミリタイアとは稼ぐことを前倒しにした人間がやることであって、宿題をダラダラやっていた者がやるのはセミリタイアではなく困窮である。セミリタイア者は使う金額を気にせずに楽園で暮らすような人生を満喫できるが、困窮者は寿命を1日でも延ばすために余計な消費をしてはならない。就活や仕事など、やるべきことが常にあるはずだからそれ以外のことをやって楽しむことは許されない。そのやるべきことが絶対に達成できないので、楽しいこともなくだんだん苦しくなって惨めに死ぬ人生しか残っていない。
ついでに私も~
あのさ、
もう気が付いたら夏って感じじゃない?
気が付かないと夏が気が付かないまま終わってしまいそうよ。
で、
夏と言えば、
地上すれすれでブロック塀なんかにつかまって羽化したセミの抜け殻なんか見つけちゃうと、
おまえ!もう我慢できんかったんかー!って
なにかしらの同情をしてしまいそうなほど、
漏れそうな勢いでもうダメだ!ってセミの心情だったのかしら?と察すると
セミ頑張ったね!って
セミの抜け殻は触れるけど、
セミ本体とセミファイナルの狭間にいるセミリタイアの本体には触ることができないのよね。
こればっかりは。
怖くて。
でもその時の
羽化の直前と終わったあとの気持ちを一度聞いてみたいものだわ。
よく目の表情が分からない生き物って、
うまくコミュニケーション取りにくいというか、
いったい何考えているのかしら?とか
まあ月刊は無理にしても7年に一度刊行するセミ雑誌ってのがあったら
たぶん七年分のセミの気持ちを1冊に綴ることは出来るかも知れないわね。
ほとんどがセミの俳句コーナーばかりが盛り上がるだけだろうけど。
ところによってはセミ料理ってセミ食べちゃうところもあるんでしょ?
そうするとまあ巻頭カラー2ページの16ページぐらいのボリュームにはなりそうなものよ。
だって7年に1度の発刊なんだもん!
って言ってる私はそんなにセミカワイイなって思ってるワケでもないしセミ好きってワケじゃないんだけど、
あーだこーだ言ってる世界があると思うので、
まあセミ出なくっちゃ夏らしくないわね!って
話しよ。
うふふ。
今日は忙しいみたいなので、
お昼行けるかどうか出れるのか問題!
おにぎりをまた鞄に忍ばせてあるので、
体力が減っても満腹度でカバーよ!
朝飲んでも夜飲んでも
いつ飲んでもいいらしいわよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
子供を産む/産まないで長年付き合った恋人と別れた、産みたくない方の話。
結論、マッチングアプリで良い相手は見つかりそうにない。なぜ無理なのかという話。
女性/ 29/ 首都圏在住/ 在宅勤務/ 年収600万/ 外見は武器にも足枷にもならない程度(だと思いたい)
「本と映画が好きです」系インドア無趣味。子供を望まない人にはなにかしら変わったところがあると思っていて、私のそれは多分欲求のなさ。
むかし書いた「無趣味」というエントリ(https://anond.hatelabo.jp/20180704200955#tb)を見返して、ああ無理だと思った。
...この条件を満たす人はPairs上に70人。アクティブじゃない人(プロフに休会中と書いている人やほとんど何も書いていない人)を除き、自分が相手の好みでなさそうなケース(私はお酒が飲めない、食べ物とスポーツに興味がない、旅行が苦手)を除き、理解できない自意識を持つ人(気取りすぎ/気にしなさすぎの写真とか、文字での表現の仕方とか)を除き、気づく、ああ私別に、この残った人たちの誰のことも好きじゃない。彼らだって別に私のこと好きじゃない。話して、共通点を見つけて、沈黙を分け合えるように支えあえるようになるかもしれないけど、そこにはなにもないなと。無理だ。
先日、Vtuber犬山たまきが結婚報告配信を行うことが発表された。その瞬間、私の頭は真っ白になった。別に彼女のガチ恋勢だから、そうなったわけではない。
ではなぜか? それは彼女の結婚報告によって、いかに自分の人生がゴミ同然かを再確認させられたからだ。
なぜそのように感じたかを書く前に、筆者のスペックとVtuber犬山たまきについての説明をしようと思う。
筆者スペック
・27歳男
・年収350万円
・金融資産800万円
・コミュ障
・彼女いない歴=年齢
・持病持ち
金融資産が少し多いと思うかもしれないが、これは絶望的にむいていない「労働」というものから逃れるため、必死にセミリタイア代金を貯めているからにすぎない。基本的には、典型的な弱者男性だと思われる。
彼女は中の人を公開している珍しいタイプのVtuberで、実際は「佃煮のりお」という女性同人作家が犬山たまきを演じている。つまり今回の結婚報告は佃煮のりお氏の結婚報告ということになる。
佃煮のりお氏は、人気同人作家で以前からコミケで大金を稼いでいた。その後、同人作家では初のVtuberデビューをし、元々の知名度と突飛な企画が相まって人気Vtuberとなった。
「Vtuber業で広告配信料と知名度を稼ぎ、コミケでVtuber犬山たまきの公式グッズを売る。」という手法がうまくいき、さらに荒稼ぎするようになり、今では年収ウン千万だとか(本人申告)。
最近ではVtuber事務所を立ち上げ、さらなる稼ぎの強化を行っている。また、現在は東京の高級タワマン住みで優雅に暮らしているとのこと。
ここまででわかるように、佃煮のりお氏は類まれなる商才がある。
稼ぐ力のない弱者男性の私は、ただただその才能に嫉妬するだけである。だが、嫉妬はしていたものの彼女の配信を楽しく見ることができていた。彼女の結婚報告を聞くまでは。
今回の結婚で彼女は、元からの美貌、莫大な年収、それに加えて愛するパートナーまで手に入れたのだ。彼女は自分と同年齢ということもあって、この事実はひどく私を傷つけるものであった。
自分は日々の暮らしも、将来への貯えも、人間関係も何一つうまくいかないのに、同年齢の彼女は既にすべてを手に入れている。その事実がひたすらに悔しくて悲しくて、少しばかり泣いてしまった。
また、彼女が「結婚相手の理想が高すぎて、結婚できないキャラ」なのに結婚できたことも、私の悲しみを増幅させるのに一役買っていた。彼女は配信内でたびたび理想の結婚相手像を語っていたのだが、
・顔が三浦春馬似
・自分と年齢が近いこと
・身長180cm以上
・自分を甘やかしてくれる
とあまりにも高望みな理想像から、視聴者や共演者からネタにされていた。しかし、会社経営者の男性と結婚したということで、これらに該当する(少なくとも年収はクリアしているだろう)男性を見つけ、結婚までこぎ着けたのだ。
かたや、彼女いない歴=年齢で、孤独死を覚悟し、せめて自分ひとりが不自由なく生きれる資金だけは貯めようと、少ない給料と副業による雀の涙ほどの資金を必死に貯金に当てる男。かたやお金も愛するパートナーも手に入れ、幸福な人生を歩む女。この圧倒的な差はなんだ。
彼女が芸能人やスポーツ選手、大人気漫画家などであればここまで嫉妬しなかっただろう。しかし、同人作家でVtuberという、少しばかり一般人にも近しい属性だったからこそ、ここまで嫉妬してしまうのだ。
彼女の結婚報告を通して、見ないふりをしていた自分の人生のゴミさを再確認した私は、もう彼女の放送を見れなくなってしまった。なぜなら彼女の放送を見るたびに、自分の人生がいかにくだらなく、価値のないものかを嫌というほど思い知らされるからだ。彼女の姿を目に入れるのさえ怖くなってしまった私は、彼女のチャンネル登録とTwitterのフォローを解除した。近いうちに、グッズや漫画も処分するつもりだ。
彼女は全く悪くない。悪いのは稼ぐ能力もないのに、嫉妬だけは一人前でプライドの高いゴミな私だけだ。
今まで楽しい配信を届けてくれて、本当にありがとう。そして、ご結婚おめでとうございます。旦那さんとの幸せな結婚生活が末永く続くことを願っています。
旦那さん、セミリタイアして田舎に引っ込んでどういう暮らしがしたいんだろうね。子供が独立していなくなり、女性として愛していないと言った妻と新しい場所でスタートできる気なのかな。うちの夫も同じような夢を語るから、どこまで現実にそれを考えてて、どこまで夢物語なのか判断に苦しむ。「現状に不満、でも何をどうしたらいいのか自分でも分からない」みたいな気持ちの表れなのかな。
吐き出し。以下フェイクあり。
子ども、2歳。
私、4人兄妹の長女。兄弟仲は割と良い。
夫婦共働きで、世帯年収は30代の中央値くらい。転職は考えてないから年収が大きく上がることはない。
家は首都圏郊外の持ち家で、物価は普通〜やや高め、周りは3人以上の家庭も多い地域に住んでる。実家はそれぞれ遠方。
本題。
我が子を産む前は、2人は欲しいね〜なんてきゃぴきゃぴしながら話し合っていたのに、いざ産んだ後、生理も再開した頃になって、旦那から「一人っ子でいい」と言われた。
理由は「生活レベルを落としたくないし、子どもの大学費用まで出そうと思うと、このままの経済力では2人育てるのは厳しい」「私に性欲を見出せなくなった(妊娠中から営み皆無)」「一人っ子の方が愛情たっぷりに育てられるし、やりたいことができたときに手もお金もかけてあげられる」「兄弟仲良く育つとは限らない、親族トラブルがあったときに悲惨」「子育てを早めに終えてセミリタイアして田舎に引っ込みたい(最近芽生えた願望)」あたりらしい。
私は多子世帯ばかりの地域で育ったし、長女だったのもあって人生で子どもの面倒を見る機会が多く、旦那と付き合い出した時も、冒頭の2人欲しい発言もあって当たり前に4人以上の家族を想定していた。
だから今いる我が子を迎えた後も、例えばこの肌着は次の子に取っておこうとか、玩具は次の子のために大事に使おうとか、そういう未来に気持ちを遣って毎日生きていたのに、その横で旦那は、付き合い出した頃とは全然違うことを考えてたなんて全く気付かなかった。
何回か説得しようとしたけど、旦那の意思は固く、そもそも向こうが頑なに夜を拒否してくるようになった時点で私にも問題がある気がして、最終的には言いたいことを飲み込んでしまう。
普段はとても仲が良いけど、この点になると頑として意見を曲げない旦那が、妊娠前とは別の人に見えてしまう。。
元から多子世帯も多い地域柄、一人を抱っこ紐、一人をベビーカーに乗せて、一番上の子と仲良く歩いてるパパママを見ることも多い。周りに2人目妊娠中のママ友も増えてきた。
うちも両実家が太ければ良かったのにとか、専業主婦で3人目って旦那さんの手取りはいくらなんだろうとか、身なりに頓着のない方でも5人目を産むほど旦那さんに求められているんだなぁとか、ふと気づくと浅ましいことを考えている自分が本当に嫌だ。
もちろん、地域には一人っ子の家庭もいるけど、年齢的に既定路線だったご家庭や、夫婦で頑張って不妊治療しても授からなかったご家庭が多くて。
まだ身体は産める可能性があるけど今後女として求められることはなく、産みたい希望もあるのに誰からもそれを肯定してもらえない私とは、悩みの種類が違うんじゃないかという気がして、誰にも相談できない。
今の子を育てながら、次の子のことも頭のどこかで考えつつ生きてきたのに、もう次なんてない、未来なんて無いんだと突然言われたら、今の子に最初から全力投球出来なかった自分が申し訳なくて悔しくて…正直、私なんていない方が良かったんじゃないか、旦那も子も幸せになれるんじゃないかと鬱っぽい考えがよぎることもある。
ウェブ編集者の中川淳一郎さんが、ついにセミリタイアするという。著書「ウェブはバカと暇人のもの」(光文社新書)から11年あまり。たまに「ウェブはバカと暇人だけのものではない」なんて言い張るジャーナリストを見かけるけど、現実のネットはより一層バカと暇人のものになっている。
「ウェブはバカと暇人のもの」は、終わりのない進化の過程にあるのだ。そこで、肝心の本は倉庫に預けて手もとにないままではあるのだが、記憶をたどりながら(詳細は追って訂正したり肉付けしたりすることを前提に)ざっと書いてみる。いろいろ突っ込んで事実誤認を補正してほしい。
実はウェブ、あるいはインターネットが「バカと暇人のもの」であったのは、中川さんが指摘するよりずっと以前の、それこそネット誕生のころからの性質だった。もちろん、バカと暇人の性質はずいぶんと異なる。
そもそもインターネットは、ロシアからの攻撃に備えた分散型情報ネットワークとして、アメリカで軍用に開発されたものであった。それが、冷戦終結とともに商用活用が検討され、90年代の終わりに民間に開放された。
そのころには、インターネットが将来どのような姿になるか、影も形もなかったのだが、その得体のしれないものに情熱を注ぎ、いまから考えれば信じられないほどレベルの低い機材を使いながら、インフラを整えていった人がいた。
学歴は高いが身なりの汚い若者が、寝る間も惜しんで延々と何やらやっていたのである。傍からは、何をやっているのかまったく分からない、バカなことをしている暇人に思えたのではないだろうか。
商用プロバイダのインターネットサービスが始まったとき、最初に飛びついたのはインテリだった。教養とは、何もないところでの楽しみ方を自ら思いつけることなのである。教養のないやつは、出来合いのエンタメでしか楽しめない。
インターネットを最初に遊び場にした人たちは、学歴は高かったかもしれないが、好奇心と遊び心のある「バカと暇人」だった。
さらにその中から登場したのが梅田望夫さんの「ウェブ進化論」(ちくま新書)だった。要するに「インターネットが世界を変える」という主張で、そこに新しい創造性の夢を抱いた人たちが増えていった。
しばらくたつと、現実世界でイケてない非モテたちが、インターネットを新しい居場所として見出した。ネットは匿名で楽しむオルタナティブな現実となった。
参加者は好奇心が強く、知的水準も低くなかったが、STEP.2のインテリのように自分で居場所を作ったというよりかは、作られた居場所の中で傍若無人な振る舞いをしたバカと暇人といっていいだろう。
典型的なウェブは、2ちゃんねるだ。そこは素姓を隠しながら、ウンコの投げ合いのできるバトルロイヤルなリングだった。
その後、現在に至るまで、匿名での発信に対する批判が跡を絶たないが、ネットが非モテたちの限られた居場所であり、いまもそうであるという歴史を忘れるべきではないだろう。
STEP.3と並行して、一般の人たちがネットに流入してきた。「逝ってよし」だの「半年ROMれ」だの「ggrks」だのという言葉は、何も知らずに2ちゃんねるに入り込んでフルボッコにされた素人たちの存在を証明するものだ。
中川さんの「ウェブはバカと暇人のもの」は、こういう現実に対応したもので、3年前に出版された梅田さんの「ウェブ進化論」が仮想敵となった。
中川さんは少年のころにアメリカで過ごし、人間という存在がいかにバカでありうるかということを目の当たりにした。
そして広告代理店で働いたり、ネットでウンコの投げ合いを見たりして、匿名のネット空間で露わになる人間のバカさ加減に呆れたのだと思う。
言い換えると、ここからはネットだのウェブだのは関係なく、リアルの世界のある要素がネットによって視覚化されたという段階になる。ウェブ以前に、人間はバカで暇人なのであって、ウェブはそれを可視化したに過ぎない。
現実の人間は、梅田さんがいうような利口で立派な人ではなく、いかにそう見えたとしても、一皮むけばエロや美人や芸能人に目がなく、匿名のネットメディアでそういうコンテンツがウケるのは当たり前――。そういう身も蓋もない現実をあらためて提示したわけである。
ここまでは、ネットにリアルが侵食してきたときに、匿名という要素が、もともとあった人間の愚かな面を可視化したという段階に過ぎなかった。
次に現れたのが、ウェブあるいはネットが、人間のバカと暇人を加速する段階である。
中川さんの本に「インフルエンサー」という言葉が出てきたかどうか忘れたけど(ブロガーという言葉は出てきたような気がする)、インフルエンサーがなぜ成り立つかというと、そこに集る「バカと暇人」たるザコあるいはハエが存在するからである。
インフルエンサーは、自分に魅力があるから人が集まり、影響力を行使していると勘違いしているが、あれば「バカと暇人」がたかっているだけなのである。
だから「インフルエンサー・マーケティング」とか言ってるけど、そこで捕まえることができるのはウンコに集るハエのみであって、ハエを顧客にするビジネスでしか成り立たない。
試しに見てみればいいが、インフルエンサーの投稿に「なるほどです」「そうですね」「さすが」などと応じている“囲い”たちは、すべからくバカだ。そういうハエどもに集られて喜んでいるインフルエンサーは、ウンコにすぎない。
もうひとつネットが加速したのは、エンタメとしての反権力である。
反権力は、もともと一大娯楽、エンタメではあった。朝日新聞が市場にしていたのも、反権力を生きがいとする人たちであって、新聞の内容も取材によって「問題の真のありか」を突き止めるジャーナリズムとは無縁のものだ。
反権力エンタメ市場は、ツイッターなどのSNSと非常に親和性が高い。中川さんはその点について「非常に意見が鋭いもの」「モラルを問うもの」という言い回しをしていたけど、ダイレクトに「正義」や「義憤」がエンタメになるとは指摘していなかった。
60~70年安保のころからそうだけど、反権力とか義憤をエンタメにするのは、バカと暇人だった。普通の人はそんなヒマもなく働いてるし、正義だけで世の中わたっていけるわけがないことを知っている。
まあ、主義とか理念とかを持ち出して、現実を問題化しなければ生きがいを感じられないというのも、ある種「バカと暇人」な人間の側面なのかもしれない。
ということで、他にもあるかもしれないが、きょうはこんなところにしておこう。
言いたいことは「ウェブはバカと暇人のもの」(タイトルは天才編集者・柿内芳文との共同制作なのだろうけど)には、中川さん以前~中川さん以後の歴史があり、これからも進化を続けていくのだということだ。
41歳男、既婚子供2人、都内在住、年収 2300 万円ほど。
1000 万越えから 9 年しか経ってないので、金融資産は 3000 万円ほど。学資保険・貯蓄型生命保険・投信・株。これは買った順。低リスク低リターンからはじめて、徐々に高リスク高リターンへという意図。
1600 万円の人とだいぶ似た暮らしをしているのでそれと見比べながら読んで欲しい。違いは以下で言及がない部分は一緒。
2000 万円を超えると生活レベルの向上を感じる。金銭的な意味での将来の不安は大分無くなった。ただ、元々の金銭感覚が突然変わる訳でないので、松屋で食べるし、割引シールは大好き。その一方で、妻と二人でお一人様一万円くらいのランチにたまに行く。QOL 高い。
高校以降の子供の進路を自由に選ばせてあげることは出来ると思う。年収 1000 万円くらいまでは、酔った勢いで友達に年収を言う事があったが、もうどんだけ酔っても言えない。妻も母友の間でお金の話になると聞き役に回ると言っていた。