はてなキーワード: スケープゴートとは
スマブラを一言で説明すると、「バカでも勝てるゲーム」だ。これは別に蔑称ではなく、桜井雅博が言っている「スマブラはゆかいなパーティゲーム」という言葉を対戦ゲームという視点から見るとこうなる。
格ゲーストリーマーのスマブラデビューが最近点々と目立つが、そのプレイを見て共通して思うのはスマブラというゲームを根本から勘違いしているということだ。彼らが今までプレイしていた格ゲーというものは競技性を観点に入れて慎重に調整され、不用意な行動は即負けにつながる。そのため彼らは、(スマブラの標準と比較すると)異常に慎重なプレイングをする。
スマブラというゲームの格ゲーと最も異なる点はそこで、このゲームは相手の行動を咎めるということが非常に困難にデザインされていて、慎重に立ち回るより猿のようにボタンを連打したほうが強いようにできている。
もちろんこれはアクションゲームとして考えるととてもよくできている。スプラトゥーンのヒットの理由は、会敵していなくても「塗り」という大義名分のもとボタンを押せるところにあるというのはよく言われていることだが、スマブラはそれの格ゲー版と言えるだろう。だからこそ格ゲーにありがちな対戦の窮屈感がなく、自由気ままにコントローラーを操作し、オールスターのキャラクターを動かす快感がある。
「ゆかいなパーティゲーム」という言葉の意図はここにあり、このゲームはあくまでガチャガチャコントローラーを動かして対戦「のようなもの」を楽しむために作られたゲームなのだ。
ところが異常者がこのゲームに競技性を見出してしまったために、(一部の人間には)不幸なことになった。スプラトゥーンと対比するとよくわかるが、開発元はこのスマブラというゲームの競技シーンを明確に定義しようとはしておらず、アイテムありやステージランダムなど、運の要素をなるべく介入させたあくまでパーティゲームの大会としてしか主導していない。
これが何故かというと、開発元はこのゲームの競技性に対して一切責任を取るつもりがないからである。
特にキャラクターの強さのバランス、インターネット対戦機能の不十分さについては、昨今の格ゲープレイヤーからすると信じられないレベルの低さだが、これはそもそもそういう風に遊んでほしくないという開発側の強いメッセージ性が現れている。インターネット対戦のラグについては有線接続同士の対戦でなお、散々コミュニティに批判されていたストVのPS4より大きい遅延があり、元々行動を咎めづらいようにできているこのゲームがさらに振り得となっており、差し返しという概念はほぼほぼ成立しない。また、キャラクターの強さについては強力なDLCキャラが追加された後調整が終了し(この調整が「終了」という概念があるのも面白い)、そのキャラクターを使えば誰でも楽々に勝てるという状況になっている。今作では「調整班」という名目で前作までの有力プレイヤーが開発に協力していたとのことだが、最近開かれた大会ではその調整班の人間がDLCキャラクターに手も足も出ず敗北していたところを見ると、おそらく単なる批判のスケープゴートのために雇われていた可能性が大きい。
さて、ここまで対戦ゲームとしてのスマブラの未完成さを説明したが、ポイントはこの未完成なゲームに「なぜか」人々は競技性を認めているという歪みである。
今までの話を要約すると、スマブラはバカでもボタンを連打していれば勝てるようにできているのに、ほとんど全員がその事に気づいておらず、まるでゲームがうまいかのような扱いをうけることができるオアシスであるということだ。
実際強力なDLCキャラが追加されてから、今までまるで結果の出ていなかった人間が世界トップレベルのプレイヤーに勝利するということが頻繁に発生している。こんなことが他のゲームで起きればまず調整バランスの批判になるのが常だが、基本的にこのゲームの観戦層はキッズしかいないのでそういう話にはならない。
また、そんなに強いなら(ストVのルークのように)そのDLCキャラに使用が集中するのでは、とも考えられるが、そういう事もあまり起きていない。それはこのゲームのプロプレイヤーのほとんどが最も強いプレイヤーになるためではなく、あるキャラクターの全1という看板を得て配信業を成立させるためにやっているからである。そのため、一見大会のリザルトを見るとキャラがばらけてバランスが取れているように見えるが、なんのことはなくそこに載っている人間の殆どが真面目に勝ちに行っていないからである(そういう意味ではメタな視線で「ゆかいなパーティゲーム」が再現されているのかもしれない)
よって、このゲームは(幻想の)競技シーンで勝つことが最もイージーなゲームとしてコスパがよく、またプレイヤーの民度も低いので常識的な言動のラインを守ることさえできれば人気も得やすい最もプロゲーマーになることが優しいゲームとなっている。そのため、プロゲーマー志望は全員スマブラをやるべきだ。
ただ、このゲームのプロになることが幸福かどうかは別の話ではある。基本的に賞金は国外の大会でしか出ないし、その額も他のゲームに比べると信じられないほど小さい。スマブラというゲームのバランスが取れていなくても、結局この程度のゲームで勝っても対して稼げない、という世の中全体のバランス調整はちゃんとされているということなのかもしれない。
yamazoehitoshi こういうの見てもまだ「創作も現実も両方取り締まるべき!」と言うつもりか。創作をスケープゴートにして現実に被害者を出してるじゃねえかよこいつ。n=1なんて言い訳は許さんぞ。被害者の人生はひとつしかないんだ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4729599852996525796/comment/yamazoehitoshi
ですよねー
https://www.zakzak.co.jp/soc/news/180214/soc1802140017-n1.html
検察官「強姦しても女性は快感を感じると思っていたんですか?」
星島「そのように思っていたフシはありました」
星島「と思います」
https://withnews.jp/article/f0210824001qq000000000000000W0fp10101qq000023477A
例えば震災が起きた時、自民は迷わず自衛隊派遣というけど共産党は反対する
その状況がわかっていると第三党の決断が実質最終判断になるため第三党の精神的負担が重くなりなかなか決断しなくなったりする
まぁ震災の派遣くらいなら賛成票入れるだけで終わるかもしれないが、もうちょっと判断に困る微妙な案件があった時、第三党の見かけ上の政治的負担、責任が重くなりそこの判断が遅れて意思決定のスピードが大きく遅れそう
自民がそうするのはわかる、共産党がこう言うのもわかる、問題は自民/共産に乗っかった第三党の奴だ!みたいな印象を持たれて割を食う
更に熟考しないといけない立場になるので判断も遅くなり更にイメージ悪化
で、毎回変わるのは元凶の自民/共産じゃなくて印象の悪い第三党になる
第一党、第二党は第三党をスケープゴートにすることができ、ずっと好き勝手できる
って感じになりそう
人間の意識のどこかに、「最下層がいないと困る」という思いが潜んでいる。
米国でもインドでも、第二次世界大戦下のドイツでも、最下層のカースト集団こそが、社会を見舞う災難の責任を一手に引き受けるスケープゴートの役割を果たし、社会の構造上の問題から人の注意をそらす役割を果たしてきた。
そしてどのカーストに所属していても、多くの人は別のカーストより上にいることに誇りと安心を見出してしまうし、その階層の中での最下位にはなりたくないという思いから、ヒエラルキー内でも仲間を階層化し始めてしまう。
このようにカーストというものは、支配階層と隷属階層の間だけの話ではなく、あらゆる階層に所属する普通の人の心の中に形成され、維持し続けられているのだ。
俺が言ってるのは山上がどうのこうのではなく、
今回のこの不幸な事件の本質を、宗教のせいにして、宗教に全部押し付けて規制や
弾圧をしようとすること、その宗教=悪の図式、風潮をスケープゴートにしようとしてるって
表現してるの
言ってることはわかるけど、俺はその風潮自体が間違いをはらんでると思う
思考停止の安易なスケープゴート探しになってる部分があることは否めない
火も使う人が使えば暖を取れるけど、誤ると火事になる