はてなキーワード: スケープゴートとは
そういう思いは自分も常々抱えてるけど、多分それは自分に何かが欠落してるせいなんだろうなって結論になった。人の需要を汲み取る能力とか、いわゆる「空気を読む」とかいうバズっこいスキルとか。
自分の場合はそこそこのリアクション、できればノーリアクションが欲しくて何かするんだけど、過剰に持ち上げられて、何かスケープゴートっぽいポジションになるパターンが多い。えっ何そんな注目されるならもっとまともなもん出すよって思ってちゃんと練ったもの出すと、今度は一斉スルー。そしてその横で淡々と、誰かの何かが良いね悪いね楽しいねなんてレスが続く。
最初は自分も運なんだろうなって思ってたけど、それどころじゃない 経験数/場数 になってきて、ようやく自分に原因があるんじゃないかって思えてきた。正直遅過ぎた。
今のとこ何が欠落してるかをしっかり突き止められないし、突き止めたところで即直せそうもない類のものっぽいから、とりあえず今は特定の評価を狙わないもの、狙う気の起きないもの、どんな結果になってもあーそうだねって思えるようなものしか出さないようにしてる。作るのに苦労したものとか、思い入れのあるものは出さない。匿名のとこに限らずネット全般で。そういうのを出して幸せになれる人は一定の水準に達した一部の人達だけなんだとセルフ言い聞かせしてる。
そしてこの文はめでたく増田に出ることに。
マスコミがアホみたいにオタクを叩くのは叩いても文句を言われないていのいいスケープゴートの素体だからか。いまさらだけど。
往々にしてこの手のコンテンツで、「無関係なうちの商品と犯罪者を関連づけてんじゃねえぞゴルァ」とマスコミにねじ込める立場にある企業って少ないからね。
逆に言えば、そういう立場であれば業種に関係なくメディアに叩かれる事も無いわけだ。マスコミも最近ガンダムをネガティブに言わなくなったでしょ。
オウムが事件起こした頃は宇宙戦艦ヤマトとか引き合いに出されてたし、日本の音楽業界の重鎮が関わってるドラクエとか、
芸能界や広告業界にコネがある有名なコピーライターが手がけたMOTHERシリーズとか、
テレビ用のコンテンツとして未だに賞味期限を過ぎていないドラゴンボールとか、マスコミはそういう所をきっちり避けてるもんね。
弱者男性の共通のスケープゴートが欲しいだけなんじゃないかと思う。ナチも利用した古典的手法だけど、人間が結束するのは共通の敵を持ったときって言うよ。本来の敵(既得権者)に攻撃の先が向かわず、都合がいい矛先なんじゃないの。大体、女(若く美しい女だけでブスと年増は目に入ってない)をチヤホヤするのは男性の欲望のせいなのに、自分達の欲望のためにそうやっておいて、優遇は許せないとか吹き上がっているのはなんなんだと思う。とことん女は蚊帳の外で、なにが来ても受け身でしかいられない世の中だと思う。そりゃ利用するだけしてやろうって考えでもしないと、やってらんないわ。
最近の中国叩きをみていると、一世代前の日本叩きを思い出すわけですよ。1960年代生まれとしては。
日本叩きのピークあたりで二十代だったので、いろいろ反発・反論している中国人学生の気持ちの流れはわからないわけではないんです。
ただ、一つの違和感は、あの無邪気なまでの世界への信頼感でしょうかね。
日本叩きのときには、在外日本人には我が身の安全に対する不安があったように思います。もちろん、日本のメディア経由なので、真実はどこらへんにあるのかはわからないんですけどね。日本叩きが飛び火して被害をうけるんじゃないか、スケープゴートにされるんじゃないか。なるべく身を低くして嵐が過ぎるのを待とう……。
第二次世界大戦の時の事を覚えている世代も現役だった時代なので、歴史的経験の違いでしょうかね。
相手に恐怖や不安を持たせることは、自分自身の安全にとっては大きな脅威になる。
それから、どんなにこちらの事情を説明しても理解してもらえるとは限らない。ついでに、こちらの事情を理解してくれた相手でも味方になるとも限らない。
第二次世界大戦前から少し前の日本叩きにいたる歴史によって、ようやく日本人が会得した外交感覚でしょう。
ひるがえって現在の中国人学生のあの無邪気さ。ある意味ではうらやましくもある、その自信。
いったい、どこの誰の何を信じて、ああも無防備でいられるのか。
真実が自分たちを支持すると疑わず、他人の国で不用意に集団の力を誇示すること(オーストラリアで一万人以上を集めたのはさすがにやりすぎではないのか?単純に喜んでいていいのか?)に無自覚でいられる、あの感覚はなんなんだろう?
「ベビーカーは見栄」という発想があること自体に驚いた。
やってみればわかるけど、圧倒的に楽なんだよねー。手に入る道具で楽ができるならした方がいいじゃん。我慢して肩や腰を壊したり、駐車場で一瞬目を離した隙に事故に遭われるよりはずっといい。楽をする=手抜き、と短絡的に考える人もいるけど、育児なんて体力勝負なんだから、そこで温存した体力を子供と過ごす時間に向けられるじゃん。移動に疲れ切って相手できないより、楽に移動して毎日外で遊んでやったほうがいいじゃん。あとまあ、安いのから高いのまで色々あるけど、高いのは確かに作りがしっかりしてたり細かいところに気が使って作ってあったりするよ。どっちにせよ子供の成長とともに酷使される道具なんで、消耗品みたいなものだけどね。だからなおさら見栄とかいう話が出てくるのがわからん。たかが道具じゃないか。
まあ、日本の都会の人ごみにうまくフィットしないのは確かなんだけどね。あれはベビーカー自体のせいというより、みんな余裕が無くなってるせいだと思うな。周囲はスケープゴートを探してるし、親本人もベビーカー使用時の周囲への気の使い方を自然に学ぶ機会がない、とかね。
無意味に規制されてしまう可能性がある時期にだから性質が悪い・・・
ありきたりだろうけど考えを整理するためにもつらつらと書いてみる。
なぜこういうときにゲームが問題にされるかというと
「事件の発想の元になったから」と
「欲望を刺激したから」の二つが思いつくわけだけど、
殺傷の場面はいくらでもあるわけだから、
ただ単に選んだ発想が多くの人を傷つけるものであっただけで
その発想自体に非を問うことはできない、というのが順当な考えに思える。
例えば性表現でも「寝た子を起こさない」という言葉が用いられることがあるが
発想を規制することは大人に対しては想像など内面の自由の侵害でしかなくなる。
仮に発想そのものを人類から規制し消滅させるSF的な仕組みがあったとしたら
次に「欲望を刺激したから」について考えると
人は誰しも程度に違いがあれ欲望を抱くもので
重要なのはそれを実行に移すかどうかということになる。
コストもリスクもほぼ無いといってよく社会的にもポジティブな要求と評価される。
行動はそれらリスクの認識よりも欲望が強くなったときに行われるわけだが、
ゲーム単体にそこまでの欲望の強化作用があるとは考えにくい。
むしろそれができるならゲームにまた違った可能性が開けるといってもよさそうだ。
(シリアスゲームで米兵の初陣で戦える率が向上したという話はあるが
それは慣れであり、欲望の強化ではない )
つまり、この事件で本来一番最初に考えるべきは
自暴自棄になることで欲望より認知したリスクが低い状態になっていたことと思える。
希望がない、死んでもよいという状態であれば
あらゆるリスクが0に近くなりゲームの模倣に限らず犯罪を起こしうる可能性は飛躍的にあがる。
ゲームを規制するよりもそういう状況にある人を減らすほうがよほど効果は大きいはずだ。
それを踏まえずにスケープゴートとしてゲームやゲームを遊ぶ人を叩くのは
同じような状況にある人をさらに追い詰め、逆効果であるとすら考えられる。
事件の背景として日本がいまだ年3万人の自殺大国であることも忘れるべきではない。
規制はそもそも下策であり、初めに考えられるべき上策は
上記の自棄になってる人に生きる希望を与える、ということも含めて
なぜ人を殺してはいけないかなどの感性の強化や
欲望を自分自身で制御する考え方の伝達、
欲望を抱くこと自体を理解・許容しての事前のカウンセリングの普及などで追い詰めない、
といったことだと思えるんだけれどなぁ。
そして自分と同じ価値観を持った人間とだけ集まり、「そうだよな」「そうだよな」と確認し合い、四六時中愚痴を吐き、自分では何もせず、ただただ世間が悪いと呟く。彼女ができないのはメディアに踊らされる女が悪く、自分がこんな待遇なのは中国のせい。そんな調子で吐き続ける。
なるほど。ただ、意外とつらい日常を生きていくのに必要なのは、現状認識よりもスケープゴートを探すことだったりします。もちろん女を間違った形でスケープゴートにすることが正しいこととは思いません(私も女ですしね)。でもそのおかげで誰かが救われるのであれば、それでいいのでは?寛容すぎですかね?怒られるかな(笑
前後しますが、
それは違うのではと。
「スイーツ」にはメタメッセージがあるけれど、「センター試験」にはメタメッセージがないですよね。百歩譲って当初の「スイーツ」にメタメッセージがこめられていなかったとしても、今はあることに間違いない。そして、当初からあったと私は思っています。でなければ、名前を変える必要はなくて、洋菓子や和菓子やアジアの甘味、なんかで間に合っていたはずなので。
http://d.hatena.ne.jp/Prodigal_Son/20080129/1201604111
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/Prodigal_Son/20080129/1201604111
同和対策でばらまかれる金のおこぼれは欲しいが、解放同盟にも全解連にも入るのは嫌だ、という以上の何ものでもないんだけどね。自力で何かの対策を勝ち取ったとかの実績なんてほとんどなし、「解放同盟の小判鮫」という表現がよく似合う。
だから、同和対策の垂れ流しをカットして張り付いてる本体が苦しくなる頃には、放っておいても勝手に自滅するよ。自民党側から見た集票団体としての旨味もほとんどないし、大樹会すら切り捨てるいまの状況では、むしろ「既得権益」の象徴としてスケープゴートにしたいくらいなんじゃなかろうか。
ついでに言えば、少なくとも建前としては、"自由同和会の糾弾"というものは存在しないことになってる。(実態として強要事件の類が存在しない、とは言わない) なんとなれば彼らが「解放同盟にも全解連にも入るのは嫌」な理由自体が「糾弾」と「社会主義臭」だったんだもの。
http://anond.hatelabo.jp/20071107152115
しかし、便利な世の中になったものだ。
いじめを受けても、一人で悩む必要がない。
こうやって悩みを打ち明けて、そしてそこに同じように悩む人やアドバイスくれる人がわんさといるんだもんな。
いじめってのは、自分「達」と違う誰かを徹底的にスケープゴートにして排除することで、不安定な自分自身を必死に確立したいがために発生する現象だ。あなたはたまたま、自分「達」でないところの役回りを、不本意にもやらざるを得ない状態になってしまったわけだ。
特にあなた自身に原因があるわけでもない。中学校という精神が未発達な世界で、誰かがその役割をしなければならないだけ。別にあなたでなくても良いし、たまたま何かの成り行き上、そうなってしまっただけ。
だからと言ってそう悲観することもない。いじめってのは社会の通過儀礼だからだ。雑菌とか言われたとして、それは別に真の意味で不潔というわけでもない。ただ、自分と違うものに仕立て上げたいだけ。相手が自分を必死になって守りたいから、攻撃することで自分を防御しているだけ。
別に誰かが強いわけでもなく、弱いわけでもない。だから、相手に抗議する必要もなければ、憐れむ必要もない。
今あなたがしてみればいいことを挙げておこう。あなたを攻撃する他者にとって、なぜそうすることが必要なのかを分析してみることだ。
そこには、たぶんあなたを攻撃する積極的な理由はない。大抵の場合、そこにはその人の焦りと不安と、そして他者がいじめの対象になることで、自分がいじめられないという偽りの安心感しかない。そして、そういう視点で接してみればいい。そこには実は壁なんてものはないのだ。
壁の高さを感じたなら、またここに来ればいい。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1047553.html
結論から。ジブリとか京アニとか、実力のあるアニメ会社以外はつぶれればいい。アニメ業界なんて崩壊すればいい。
著作権を錦の御旗にしている人間は何なの? 法律が絶対だと思っている遵法主義者? そもそも、インターネットがいったん広がってしまえば、遅かれ早かれ著作権の概念を変える必要があることは当たり前。いつまでもインターネットの無かった時代の枠組みで話していてもダメだと。パラダイムシフトしちゃえよ、製作者側も。
大体、最近のアニメって地方ではやってくれないし、朝とか夕方とか、観やすい時間にやってくれない。というか、そういう時間にあってても、見る価値があるアニメかどうか分からないけれども。時代が変わってしまった。新聞のテレビ欄を観てみろ。観たいアニメがいつ放送されている? そもそもあなたの住んでいる地域で見たいアニメは放送されていますか? んで、一度も見たこと無いアニメに一話2000円(ぐらい)出せますか?(レンタルを利用すれば、最後の問題は解決できるが、見たいアニメが田舎のレンタルショップに入荷するかどうかは未知数)
どうせ、ニコニコユーザーを訴えても現状は変わらない。第二、第三のニコニコがあらわれるだけ。そもそもニコニコユーザーを訴えるほどの労力をつかう気力のあるアニメ会社が存在するのか。
いつからアニメはオタクだけのものになったのか。アニメはもっと自由であるべきだ。ニコニコがなくなればライトオタは消えるだろう。「本当にアニメが好きな人のため」の市場をつくりたいのなら、ニコニコは消えるべきだ。ようつべも消えるべきだ。あらゆる違法行為はなくなるべきだ。しかし、「本当にアニメが好きな人」だけでは市場は成り立たない。映画を観ているのが全員「映画が好きで好きでたまらない人」ではないだろう。マンガだって、ドラマだって同じ。ライトオタを締め出せば、ヘビーオタだけになる。数年はそれでもいいかもしれないが、新しい客層が参入してこないことになる。結果、DVDなどの媒体は売れなくなる。そのときは一体、誰に文句を言えばいい?
この手の話になると最終的な結論はいつも「2,3人をスケープゴートにすればいい」というものである。正論すぎて反論する気もなくなる。また、同時にその結論は机上の空論でもある。いつまでたっても実行されない、ただ議論に勝つため(正論を振りかざすため)だけの結論。
僕は高校三年生、3ヵ月後にセンターを控えたピチピチの受験生さ。
成績は中の下、顔も中の下か下の中ってところのへたれ妄想少年だ。
趣味はアニメ、ゲーム、漫画、ネット巡回、妄想、といった、いたって普通のオタク君さ。
性格は内向的、人見知りしてばかりで友達があまり増えない。
自意識過剰気味で、自分は空気を読めているのかどうかばかりを気にし、結果的に読めなかったりする。
一つのことを完璧に仕上げることを理想としているからか、ちっとも行動できない。
こつこつ物事を進める、ってことに面倒くささと嫌悪感を抱く。
自己分析では、一発でこなしてみせなきゃかっこ悪い、僕はこなせる人間だ、という根拠なき自負が「こつこつ」をさせないようにしてしまっているのだと思っている。
いいところをあげるとするなら、
誰かのスケープゴートになれる、というところだろうか。
卑屈すぎる。我ながらひどすぎる。
でも上手いこと言ったなあとも思う。
自分のいいところを胸を張って言える人はすげえよなあと改めて実感した。
好きな女の子、みたいなのはいるが、成り行き上そうなっていっただけであるようにも思い、
自分では好きなのかどうかは判らない。
でも起きている間の60%くらいは彼女のことを考えている気もするので、やっぱ好きなのかもしれない。
好きだったらいいなあとも思うのは、恋する(しているかもしれない)自分が意外と楽しいからであるかもしれない。
曖昧だなあ。
将来やりたいことなんて明確には思いつかないが、もやしもんを読んで「やべえ農大とか細菌とか面白そう」と感じたので、安直ではあるけど微生物研究とかしたいなあとちょっぴり考えている。
と、思い立ったので自分語りをしてみたけれど、言葉にすると自分って代わりがいくらでも立てられそうな存在だと思えてくる。
理想の自分を書いたら面白くなりそうだけど眠いのでここまで。
これ書いてて思ったけど自伝綴るのも楽しそうだ。
平均気温は上昇中だよね?
たしかに上昇中。
日本での過去の気温変化の一般認識は日本のwikipediaに書かれているような知識だよね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%8E%E5%8E%BB%E3%81%AE%E6%B0%97%E6%B8%A9%E5%A4%89%E5%8C%96
これがウソだというつもりもないけど統計には読み方がいく通りもある。
どこであつめられたデータなのかは知っておいたほうがいいのでつたないけど説明だけしておくね。
このグラフはさらりと1860年からデータが始まっているけれども
1860年は日本は江戸時代安政6年の話しだ。桜田門外の変の年ですよ。
このころはというと
http://homepage2.nifty.com/tsukaken/introduce/nakatsu/2003_1_12-1.htm
こんなレベル
それでも世界的にみれば江戸時代の日本は文化的には先進的で他の国ではこんな記録すら残っていない国ばかり。
そんな日本でも、いまのような方法で気温が測られるようになったのは1950年代から。
では、いったいどこの記録の平均なのか。
ずばりここ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Global_Historical_Climatology_Network
世界の平均気温を算出するための観測ステーションはここにある。
詳しくはNASAさまをおたよりあれ。確かどっかに都市名の記述もあったはずだ。
http://data.giss.nasa.gov/gistemp/
http://data.giss.nasa.gov/gistemp/updates/200708.html
一重にインパクトがあるからという理由ではないのか?
気温計測は都市部ではじめられた。
道路が舗装され車が通るようになった。
夏にはエアコン、冬には暖房、常に放熱されるようになった。
車はまるで動く火力発電所だ。
アスファルトや鉄筋コンクリートでできた建物は熱吸収率が高く、ゆっくり冷えるので夜間でもなかなか気温が下がらないようになった。
ビル群が立ち並び地表付近では風が抜けなくなった街がでてきた。
河川は護岸が整備され、ところにより地中に埋められ雨が降ってもすぐに下水に流れ込んでしまうようになった。
これらは総じてヒートアイランド現象などとよばれたりするが、
これがつまりはこれが都市化による気温上昇の実態だ。
「ほら温暖化してますでしょ?」というのに二酸化炭素がなんの関係があるというのか。
それはひとくくりに地球でいいのか?
はたして「地球温暖化」なのか?
都市計画や廃熱利用が重要であれ、二酸化炭素はスケープゴートにほかならない。
いや、二酸化炭素は便利なスケープゴートだ。でも本当の悪党ではない。
エネルギー効率をあげた結果、排出二酸化炭素が減ったっていうのならいいが、
二酸化炭素を減らすためにエネルギーを浪費したりお金をつっこんだりするんじゃ本末転倒だといいたい。
森林火災で二酸化炭素が・・・など、非難したり心配するのは本末転倒もいいところだ。
森が燃えれば若返る。若返った森の二酸化炭素吸収量は古い森のそれとは比較ならない。
木が燃えるとまるで定着した炭素がすべて二酸化炭素になるかのようないいかたが気に食わない。
二酸化炭素がそこまでわるものでない証拠はほかにもある。
平均気温は地表部の気温だ。
上空の気温がどのように変化しているか確認してほしい。
http://www.data.kishou.go.jp/climate/cpdinfo/20th/1_4_1.htm
地球から逃げていく熱をビニールハウスのように二酸化炭素が保つというのなら、
温室効果ガスが集まる上空で地表と同様の気温上昇がみられないのはなぜだろう。
二酸化炭素はそれほど悪い奴じゃないよ!
と、擁護したところで動画を張っておく。
http://data.giss.nasa.gov/gistemp/animations/
こんなんみせられて恐怖するなってほうが無理な話しだなw
二酸化炭素はともかく人類の活動で世界的な気候変動がおきようとしているのは確かだとおもう。
そりゃ人類がこれだけ精力的に活動してたら海流ぐらい変わってもおかしくないわな。
だけど気候変動と温暖化は明確に違う。
IPCCが話しあっているのだって気候変動についてだ。
あまりこういうことを日本で声をあげていうと頭おかしいと思われる。
たぶん今だって思われてる。
普段なら増田だって二酸化炭素が悪い奴だし、地球温暖化は心配事項のひとつだ。
と、ただ同調するだけさ。
http://anond.hatelabo.jp/20070920183803
おれさ、福田さんけっこう好きなの。政治家前は丸善石油(コスモ石油)でリーマンやって課長までなって、ってのも経歴としちゃなかなかだし、「あの」小泉の下で手堅く仕事してたのも。今となっちゃ理想論すぎる「福田ドクトリン」の継承者を標榜してるのも。ネトウヨに評判は良くないみたいだけど、ホラおれ市民だから。
まあ何よりあの邪悪な知性というか、諧謔味が大好きなんですわ。
「おれ以外は全員バカ」と公言しているかのような会見の表情が。
著書の聞き手に明石散人をチョイスするあたりにそのセンスが爆発してる気がする。
asin:4584188602 (内容は……あまりに「頭のいい」回答ばかりで面白味には欠ける)
だから福田政権には複雑な思いがある。
まぁ常考、次の政権は短命に終わるわな。参院選の流れが次の選挙まで波及するだろうことは想像に難くないから。福田首相は増税のスケープゴート&影の功労者へのご褒美的ポストとされ、麻生はその次あたりの長期政権用にとっておく、という意図が見え見えな感じ。
で、まぁいくら好きだからといって、福田が一国のリーダーとしてふさわしいか、というといかにもミスキャスト。優秀なナンバー2ではあっても、リーダーシップとかカリスマ性に関しちゃ安部どころか森にすら劣るだろう。まぁ何というか、親子そろって良く言えば実務内閣、有り体に言ってしまえば敗戦処理投手の任を押し付けられるあたりが趣深いと言えば趣深い。
役人・役所をスケープゴートにすることで、民衆のストレスを解消することはできる。
だけど、これ以上攻撃をエスカレートさせるのはやめておいた方がいい。なぜなら、それにより、下げられる溜飲以外には何も生まれないから。
役人、国民に戦々恐々として、いかに効果的に「ごめんなさい、もう二度と同じ過ちを繰り返さないよう厳しくするから許して」って言って身を守るかを算段するだけだから。それに奔走するだけの役人のどこから「国民の最良の生活と国の未来のために力を尽くす」という殊勝な心が生まれると思う?
役所が徹底した規律と自律に満ちた四角四面の隙のない対応に覆い尽くされたとして、その時、そうした世界から何が生まれる?
役人がいなくなればいいって本当に思ってる?民間企業にできることは全部やってもらえばいいっていう話もあるけど、じゃあ、公の仕事を全部民間がやればいいかっていうと決してそうじゃない。また、どの仕事をどういう方針でやってもらうかを決める施策部門だけ残ればいいかというと、そういうわけでもない。結局最後まで自分たちだけ生き残ろうとして、末端の役人を切り捨てるのはそいつらだからね。まあ、末端の役人が善玉かというとそうではないのだけれど、ただ一つ、やつらが金魚が鼻上げするようにあえいでいることだけは確かだ。
それでも役人がみんないなくなればいいって思って攻撃するんなら、遠慮なくどうぞ。後は知らない。
僕の見識によると日本の経営者は現在の環境下で経営が失敗していることを棚上げして、正社員を雇うリスクを避けた結果2002年と比較すると3倍近い派遣労働市場を産み出し、結果として景気が良くなっても家計にまでそれが行き渡らず、格差を促進している、というものなんだけど。
派遣がスケープゴートになっているとは思うけれど、根本は右肩上がりの景気しか知らずにトレンドを読めずにおきた経営の失敗を下に押し付ける目的でいろんな労働の形態ができたんじゃないかと思っていたのだけどね。
http://www.jassa.jp/association/special_bk/007/index.html
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20070824_jassa_haken/