「スクリアビン」を含む日記 RSS

はてなキーワード: スクリアビンとは

2021-02-05

自分がどのような音に囲まれていたのかを抜き書きしてみる。その6

https://anond.hatelabo.jp/20210124182909

https://anond.hatelabo.jp/20210125165404

https://anond.hatelabo.jp/20210127120151

https://anond.hatelabo.jp/20210128145233

https://anond.hatelabo.jp/20210201193917

8歳で格差を感じて、9歳で立派にダメ男子で、10歳前には初恋を覚え、11歳でシェーンベルクを読み、12歳でメシアンを読み、スクリアビンに到達したのが13歳の4か月ほど前であった。クセナキスを知ったのと同時期である

全音楽譜出版社から安くスクリアビン楽譜が出たので、お小遣いで買えたのである。当然クセナキス楽譜なんかブージーやサラベールなので買えるわけがなかったが、日本から出ている楽譜は手に入った。同じ時期に「法悦の詩」をNHK-FMエアチェックで聞いたので、それで興味を覚えたんじゃないかと思う。

もともとスクリアビン楽譜は、ヤマハの教材に載っていたので、それでぱらぱらと知って興味を覚えた。しっかり買って譜読みをしてみようと思ったのが中学1年の時だった。

スクリアビンは手が小さく、日本人の手でも了解可能な指遣いが多かったのである。もちろん先駆者井口基成氏であるが、彼の世代ではまだ首都圏ピアニストけが弾いていた。全音から出ると同時に一気に田舎中学生に広まったと感じている。

この、スクリアビン全音から出るというのは、先輩方にとっては、相当ショックだったようだ。

なぜならスクリアビン楽譜ベリャーエフ出版社というロシア音楽を専門にしている出版社一曲づつ売っており、収集は相当な金額になった。富裕層でもバイトして買っていた。それが、田舎中学生のお小遣いで買えるのだから、そりゃへこむだろう。

最初に読んだのは2番だったが、その次にゆっくりゆっくりソナタの第4番の第1楽章を譜読みした日を、まだ覚えている。

近代和声を初めて耳ではなく指で覚えたような気がしている。ジャズピアニスト志望で耳コピする中学生も、こんな感じだったのだろうか。

で、極めつけは終わり近くの4:3。あのパッセージは本当に天国的で、あのような浮遊感をまだ自分の曲で出せていない。

第2楽章ラストになると、ずっと左手はけたたましく連打になるため、夏に窓を開けて弾けば、周囲にまる聞こえになっていた。さぞかし遠くまで私の音は飛んだだろう。中学時代スクリアビンが手にも耳にも合っていた。

合わなくなってからは、スクリアビンはさほど弾いていない気がしている。

2021-02-01

自分がどのような音に囲まれていたのかを抜き書きしてみる。その5

https://anond.hatelabo.jp/20210124182909

https://anond.hatelabo.jp/20210125165404

https://anond.hatelabo.jp/20210127120151

https://anond.hatelabo.jp/20210128145233

小4の席替えの日。担任に頼んで、初恋の人と隣同士にしてもらった。

そうなる少し前、おそらくは英語の話で盛り上がって、その流れで席替えの話になった。

そうしたら

「ねえ、ショパンエチュードって弾けるわけ?」

もちろん弾けるわけない。

「ねえ、ショパンソナタって弾けるわけ?」

もちろん弾けるわけない。

しかし、もう全国の小学校では、小4で弾ける人物が、すでに複数人いた。あきらかに田舎小学生にはハードルが高かった。

あきらめずに、なんとかショパンワルツスケルツォノクターンプレリュードまでは小学校6年までにたどり着けたが、結局ソナタエチュードまではたどり着けなかった。

たどり着いたばかりのころ。

新人ワレリー・ゲルギエフ読響を振って、ソ連最強作曲家ティホン・フレンニコフを極上の演奏で紹介したのである

その日に収録された録音はFMで流れた。よく覚えている。

ほぼパーフェクトに弾きこなすヴァイオリンレーピン

ピアノキーシンちょっと幼さがあったが、何とか全曲たどり着いた。

オンエアでは録音でフレンニコフ自作協奏曲音源もかかっていて、「この人はピアノも弾けて作曲もできるのか」と深く感動した。

なんとかして、ソ連に行ってみたいと思った。これがなければ、手元にフェイベルクアレクサンドロフ、スロニムスキーティチェンコの楽譜なんかないはずである

そのオンエアから1年以内に、全音からスクリアビンソナタ集の上巻が出版されたので買った。すぐ譜読みしたのを覚えている。

ソナタの1番はオクターブの早すぎる移動が中学生では間に合わずソナタの2番から読み始めたはずである

スクリアビンの話のつづきはその6で。

2021-01-09

何時でも女子に負かされるダメ男卒業のころ。

私はたまたま小学生対象珠算大会の某部門で6年の時に優勝してしまい、女子に大差をつけて負かされるジンクスは消えた。ただ、この時もきわどい勝負で、同着の2位は2人とも女子だったのをよく覚えている。

運が良かったことも幸いして、私はバス電車で出かけては、片っ端から楽譜を頭に入れていた。

ジェフスキーピアノ楽譜も出ている分だけは読んでいた気がする。ヴィオラ記号は悩むことがなかったが、オーケストラ楽譜を読むのはしんどく、3管編成で特殊管が出てくると即読めないといったありさまだった。「指揮者はすぐ読めるようにするんだよ」といわれても、しんどいことには変わりはない。

そのころの話である

当時の日本は埃をかぶったままの楽譜在庫が珍しくなかった。

ある鳥居の書いてある楽譜が目に留まった。

当時は楽譜の表紙にデザインを施すのが大流行りした。フランスだけではなくドイツ日本もその潮流に乗っていた。

一番デザイン流行らせていたのはLEDUCだった。

OLIVIER MESSIAEN SEPT HAÏKAÏと書いてあっても、当時の私はフランス語が読めないので何のことかわからない。

楽譜をめくると表紙の裏の値札に13800円と書いてあった。

なんでこんな薄い楽譜に13800円も払わなきゃいけないのか、小学6年ではわからないだろう。当然親は買ってくれなかった。

とにかく楽譜を開けるとびっくりである打楽器だろうがピアノだろうが、全部に右手左手指定がある。音符に比率を入れるのはこの楽譜で覚えた。

当時のメシアンは衰えていたとはいえ作曲術は健在で曲頭から数的秩序とシステムで一貫している。篳篥をまねたオーボエがあろうが、それは余技で、メシアン作品であることに変わりはなかった。

回想してみれば妙な音楽史をたどったものである。まだこの時点でスクリアビンはたった一曲知っているだけ。ベルクほとんど聴いていない。なのに、シェーンベルクメシアンは知っているのが今から考えても妙な話だ。

ロマンティシズムや強い感情表現小学6年で疑うようになってしまったのは、このあたりが原因なんだろうか。

音楽史通読するようになったのは、中学に上がってから

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん