はてなキーワード: シュシュとは
鉄道がらみの歌や踊り、芝居やコント?などをちょいちょい見かけるのだが、その中でたまに「蒸気機関車」を模したと考えられるジェスチャーやってるヤツいるじゃん。
あれ、十中八九というか99%くらい完全に間違ってるので、「あ〜、まちがった振り付けされて可哀想だねー、恥ずかしいねー」て見てられなくなる。いわゆる共感性羞恥っていうんですかw
ヒジを曲げて両手のひらを向かい合わせて左右対称で前後に動かすフリは全くの間違いですから! 残念!!
蒸気機関車は、通常、左右に1対のピストンが蒸気の圧力で往復運動するのを動輪の中心軸から少し離れた位置に連接棒で繋ぐことにより回転運動に変換する。
GIFでみてくれ https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/dc/Steam_locomotive_work.gif
ピストンが伸び切ったところが上死点、もっとも縮んだところが下死点と呼ばれていて、そこの位置ではどんなに蒸気の圧力があっても回転運動を起こせない。左右対称で(もしくは180度反対側で)ピストンが連接されていたら、上下どっちかの死点で止まっちゃったら2度と動けなくなるのだ。
蒸気機関車の走る擬音で「シュシュポッポ」というのは、90度ずれながら「上死点、上死点、下死点、下死点」の順で360度回るときに弁が開いたり閉じたりすることにより、そのような音に聞こえるのだ。
オレがテレビで見た範囲では、タモリさんだけが、このことをちゃんと表現した蒸気機関車のジェスチャーをやっていた。ホントにあの人は侮れないw
多様性だし年齢や性別に囚われず好きなファッションするのは構わんけど、ドレスコードやTPOってご存知?って感じ
オタクとか関係なく、30くらいの女ってある程度社会経験あるはずなので、予約制だろうホテルのアフタヌーンティーに下っ腹パツパツの短め丈ワンピにキャラコラボシュシュは場違いってチラとも頭をよぎらんのがすごい
雨に濡れるのが嫌ならタイトめな七分丈パンツにリボンブラウスとかじゃだめだったの?
増田って現行で精神病んでる人か学校卒業してから就職せず10年くらい引きこもりかフリーターやってた人?それならまあ…しゃーないかな?
知人にも年齢省みずミケポムチムチ体型を隠さずピッチピチの服で露出する人間がいたり、髪の毛伸ばしっぱ、ノーメイク、昭和キッズみたいな首もと伸びきった汚いシャツに作業着みたいなサイズ合ってないダルンダルンのズボンあわせるみたいな人間がいるけど、基本そういう人って何言っても響かんのよ
昨日、半年ぶりくらいに幼馴染と遊んだ。台風予報だったので、出歩かずに遊べるように、とホテルのアフタヌーンティーに行くことにした。
一杯目の紅茶を持ってきてもらって、さて何の話をしよう、という段階で、幼馴染はにっこり笑って、この後買い物に行こう、と言ってきた。こんな雨の日に何を買うの?と聞くと、私の服を買う、と言った。お金は出すから、服を買って着替えて欲しいと言われた。
私は、あなたに服を買ってもらう理由がないし、欲しい服もない、と言うと、幼馴染は、もう色んな意味で限界なので、むこう数年分の誕生日プレゼントだと思って受け取って欲しい、と言った。目が笑ってなかった。
そんなに私の服はダメなの?と聞くと、幼馴染は頷いた。それから、今日で縁が切れてもいいから、まずは思ってることを言わせてくれ、と言われた。その勢いに圧倒されて、まずは話を聞くことにした。
幼馴染は私を一瞥し、そのスカート丈はなんだ、と言った。雨で裾が濡れるのが嫌だったので、私は丈の短いワンピースを着ていた。ギンガムチェックのシャツワンピースで、胸の前でリボンを結ぶ可愛いやつだ。一方の幼馴染はロング丈のワンピースを着ていて、ホテルに着くまでに裾が濡れてしまっていた。私の服の方が理に適っている、と言い返すと、35の女がミニ丈のシャツワンピースなんて着るな、と言われた。おまけに、シャツのボタンが弾けそうで、サイズも合っていない、とも言われた。私は標準体重ではあるが腹回りに肉がつきやすく、まあ確かにボタンがぱつぱつになっている。でもボタンはとまっているし、Mサイズも問題なく着れている、と言い返すと、そのボタンはとまってるとは言わないし、Mサイズも着れているとは言えない、と睨まれた。
それから、幼馴染は私のピアスとシュシュを今すぐ外せ、と言った。どちらも推してるゲームのコラボグッズで、推しキャラをモチーフにしている。髪が湿気でペシャンコになるのでシュシュでまとめているだけだし、ピアスだってちゃんとシルバーでできてるやつだと言い返したが、35の女がでかいリボンのついたシュシュや、星とハートのついた大きなピアスをするな、と言われた。
全否定もいいところだったので、私は何でそんなことを言われなければいけないのか、好きな服を着させてくれ、とほとんど泣きながら言い返した。幼馴染はため息をついて、アニメのイベントやアニメイトに行くなら好きな服を着てアニメとコラボしたアクセサリーでもなんでもいいが、ホテルのラウンジでアフタヌーンティーをすると決めていたんだから、相応の格好で来てほしかった、と冷たく言い放った。
窓に向かい合うような席で、外が暗いので窓は鏡のようになっていた。よく見ると、確かに私と幼馴染は全然違う格好をしていた。幼馴染の外見は落ち着いていて、シックなホテルのラウンジという場にも馴染んでいた。それに比べると、私は確かに女子大生みたいな格好をしていた。
私は童顔で小柄だから大人っぽい服が似合わないし、だから可愛い服が着たい、と食い下がると、幼馴染は、あんたは別に童顔ではなくて普通に35歳に見える、とため息をついた。背が低いだけで小柄でもないし、なんなら体格だっていいよ、とも言ってきた。
私はしんどくなって、お茶も飲まないでラウンジを飛び出した。ホテルのトイレにこもって20分くらい泣いて、そのままラウンジには戻らずに家に帰った。お金も払わなかったけど、あんなに私を傷つけたんだから幼馴染が困ればいい、と思って、連絡も入れなかった。
一日経って、幼馴染からLINEが来た。悪かった、あなたが何を着ようとあなたの勝手で、私に口出しする権利はなかった、と謝られた。その通りだと思ったけど、何となく突き放された気持ちにもなった。
今まで、自分が好きな格好をすればいいと思ってた。他人が自分をどう思うかより、自分が着たい服を着ればいいと思ってた。年齢に縛られるよりも、欲しいものを買った方がいいと思ってた。
私のクローゼットの中には、ミニ丈のワンピースやフリルのスカート、キャラクターもののTシャツ、推しとコラボしたバッグなんかがたくさん詰まっている。アクセサリーボックスにはアニメイトや通販で買ったピアスやブレスレットが入っている。持っている靴にもリボンやレースがたくさんついているし、スニーカーだって、そういえばアニメコラボのピンクのものだ。確かに、私は10年前と、なんなら20年前と同じような格好をしている。もしかして、幼馴染がいうように、私の服っておかしいのかな、と思い始めた。
同居している母に、私の服ってダサい?と尋ねた。あんたダサいとかそういう感覚あったんだ!もうそういうの気にしてないんだと思った!と言われた。1番側にいる親が、私のことをそういう風に見てたのも、こたえた。
今日は一日家にいて、youtubeとかインスタとかで「30代 ファッション」をずっと検索していた。検索して出てきた服は、スカート丈が長くて、色味も抑えられていて、柄も無地だとか小さいものが多かった。あと、リボンとレースとフリルがついているものはほぼなかった(どれかがついているものはあっても、全部盛りみたいなのはなかった)。
さっき、母に、私どんな服着たらいいかな、と聞いたら、普通にユニクロで買えば?と答えられた。ユニクロで全身揃えるなんてダサい人がすることだと思っていたけど、今の私はそれ以下らしいので、明日ユニクロに行こうと思う。昨日、幼馴染の言うことを聞けば、服も一式買ってもらえたし、ユニクロよりいい店を教えてもらえたかもしれないので、ちょっと失敗したな、と今更ながらに思っている。
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幼馴染には昨日電話して、勝手に帰ってしまったこと、アフタヌーンティーの代金を踏み倒したことを謝った。お金を返す、と言ったが、傷付けたのはこっちだから、と受け入れてくれなかった。こういうところも含めて私は子供っぽいんだなと思った。服を買うのに付き合ってほしい、とお願いしたら、まあ、そのうちに、と濁された。
TPOについては、なんならホテルを意識して襟付きのワンピースを選んだつもりだった。ただ、買ったのが池袋のサンシャインの中の店で、学生時代から通っている店だったから、それがまずおかしかったのかも、と今更ながら思っている。
体重もずっと標準体重だから、ダイエットとか運動とか考えたことがなかったし、太らない体質くらいに思っていた。でも、よく考えたら人生で一回も細いとか華奢とか言われたことはなかったから、痩せてはいないんだと思う。化粧も最近はマスクをすることもあり、適当だった。
会社は制服があるから、Tシャツとショートパンツとサンダルとかで普通に通勤してた。自分より若い子がいないから、みんな私の服についてコメントしてこなかった。
好きな服を着なよ、というコメントもたくさん見た。それはその通りだと思う。けど、私は好きであの可愛いギンガムチェックのワンピースを着ていたのか、学生時代からの惰性で選んでいただけなのか、今となっては分からない。
ミモレ丈の人の記事も当時読んでた。あの人はお金の使い方も荒いし服もカジュアルだったと認識しているが、私は貯金もしてるし服も(サンシャインでだけど)こまめに買ってるから、自分の方がまともくらいに思っていた。
とりあえず、自分が色んな意味でかなり幼いことは分かった。服に限らず、誰に何を言われても構わない、私の好きにするって思っていたけど、もう少し年相応というか、世間体みたいなのを意識して生きていきたい。
OSK日本歌劇団のレビュー「春のおどり」を見てきた。こういうの。 https://enterminal.jp/2022/03/osk100th-harunoodori-tokyo/
かげきしょうじょとかスタァライトとかでアニメでも宝塚っぽいのが最近よく出てくるから、ここらで一丁レビューってのはどんなものなのか見ておくのも悪くないかなという気持ちで見に行った。なお自分は、かげきしょうじょもスタァライトも序盤だけ見て合わないなと思って投げた。
OSKの存在自体よく知らなくって、宝塚以外のなにかが存在するらしいというのだけはうっすら知っていた程度。今年創立100周年らしい。調べてみるとだいぶ紆余曲折というか艱難辛苦を乗り越えてきていて、一度は完全に潰れたりもしていた模様。そもそも少女(女性)歌劇というジャンル自体が絶滅危惧種で、宝塚は相当に特殊な事例らしい。
今回の場所は新橋演舞場。ここは銀橋はもちろんないけれど、その代わりちゃんとした花道のある舞台。花道あるなぁと思っていたらレビューでガンガン花道活用しててびっくりした。渡辺さらさはこっちに来ればよかったのでは。
レビューは2部構成で、前半が和風、後半が洋風になっていて、特に前半の和風レビューは印象が鮮烈。日本舞踊から始まって吉原を舞台に歌舞伎の名場面をモチーフにした殺陣。集団での群舞と続く。舞台も衣装も歌舞伎のようなしつらえなのに、かかってる音楽はわりとロックで、しかも当然全員女性。なんだかとても不思議なものを見ている気がして面白かった。花道ではしごを二つ組んで脚立状にして、その上に登って見得を切るのとか派手で良かったし、途中で「しゃらくせえ」が口癖の写楽が出てくるのだけれど、そのあたりはちょっとストーリー仕立てになっていて飽きさせない工夫を感じた。
個人的には踊りだけをずっと見続けるのはちょっと飽きるので、多少お芝居的な要素がある方が好きだなと思う。後半はほぼ踊りだけだったので、少し退屈さも感じてしまった。
お客さんはわりとご高齢の女性が多い印象。ただこれは行ったのが平日だったからかも。あとは本拠地が関西だから、そっちではもっと若いお客さんも多いのかも知れない。
100周年のチラシで昔の写真見ると、若い子をたくさん並べて当時にしては露出多めな感じのショーも見せるような雰囲気もあって、昔はちょっと前のAKB(ポニーテルとシュシュとか、ヘビーローテーションとか、下着みたいな衣装でMV作ってた頃)みたいな雰囲気だったのかも。実際、浅草に本拠があったSKDなんかはセクシー路線に傾倒した結果、女性人気が獲得できずに解散したってウィキペディアには書いてあったりしたし(youtubeで探してみると、こんな感じ https://www.youtube.com/watch?v=-kfAuAzmG_Q)。ラインダンスは今回もやっていたけれども、あれって本当に今でもやる意味があるものなのだろうかとも思ったりした。まあ、バニーガールっぽい衣装で踊る人たちは迫力があって、それはそれでよかったとは思う。
こんな感じやろ。
「魔法使いサリー」「ひみつのアッコちゃん」から始まる古典的なシリーズ。
「変身」に限らずさまざまな魔法を使えることが多い。
ヒロインは「大人に変身する」ことが多く、特にアイドル要素が強い。
追記。
「魔法少女ちゅうかなぱいぱい!」「美少女仮面ポワトリン」「有言実行三姉妹シュシュトリアン」などの実写特撮ドラマシリーズ。
戦闘要素もあり、特にポワトリンはセーラームーンに影響を与えたと言われる。
シリーズとしては、同じ東映の「スケバン刑事」のヒットを受けて制作されたものである。
「魔法少女」と「変身ヒロイン」の2つの流れが合流し、魔法少女にがっつり「戦闘」を絡ませた作風を確立。
フォロワーに「ウェディングピーチ」「りりかSOS」「カードキャプターさくら」など。少女漫画原作が多い。
ほのぼのコメディの「赤ずきんチャチャ」までアニメ版では変身して戦う羽目に。
「男性オタク向け魔法少女パロディ」の始祖的な作品で、いわば「リリカルなのは」の大先輩。
さらにパロディ要素が強い「邪道魔法少女」として「ナースウィッチ小麦ちゃん」「大魔法峠」「ぷにぷにぽえみぃ」などがある。
シリーズとしてはそこそこ続いたが他への影響は薄い。
「暗黒魔法少女」的な作品としてまどマギの直接的な先祖と言える。
セーラームーンよりも肉弾的な戦闘が特徴。現在まで続く長期シリーズに。
ラノベ作家・西尾維新が描く、魔法少女の設定を下敷きにした「暗黒魔法少女」的なバトルもの。
ラノベ全体でも、「撲殺天使ドクロちゃん」「おと×まほ」など、2000年代にシリアス/コメディ問わず魔法少女パロディが増加している。
エロゲ作品のスピンオフ。魔法をビーム砲のように撃ち合う描写が特徴。
オタクのあいだで人気を得て、続編が多く作られ、二次創作人気でも一時代を築いた。
(参照:「優生学について知りたいのに、誰にも聞けない」https://anond.hatelabo.jp/20220120142843)
つまり最近進撃の巨人でジークが主張してるエルディア人安楽死計画(エルディア人の断種)なんかは反出生主義というかもろ優生思想な訳ね
https://anond.hatelabo.jp/20220121151104
行為者(ジーク)が「対象(エルディア人)が苦しんでいるのは生まれてきたからで、生まれてこなければ苦しまない。対象の苦しみを失くしてあげよう」と思っているならそれはその対象について「反出生主義」(対象がそれを望んでいるという意味ではない)。
断種の対象を疾病または災禍ととらえて「対象者が今後生殖をおこなわなければ(対象者以外の)人類がより良いものになる」というのが「優生思想」。これは断種「されない側の視点」の話で実行者の真意がどこにあるかとはまた別の話。
まあどんなに理想的に聞こえる理屈をこねまわしても断種対象者以外のホンネは個人的な妬み恨み復讐メシウマ優越感または自分がその対象になりたくないという恐怖だったりするわけだ。そしてその行為の対象がマイノリティーの場合「対象者自身はどう考えているか」はあまり考慮されない。というか相手の立場になって考えられれば初めからそういう発想は出てこねーんだ、そもそも。
いや違うな。
それが対象にとってどういうことか分かってるから自分は嬉しいし自分にはされたくないし、でもそいつらにはそうしてもいいという理屈を小賢しくひねくり回すわけだ。「社会のタメですー(笑)」とか言って。
人間の中からケモノが顔を出せば理屈は喜んでシッポを振ってついてくる。
無意識にしろ意識的にしろホンネをゴマ化す(ヘ)理屈を自分で唱えてりゃまだいい方で人口のうち多数を占める愚民は「これは社会(国家・世界・人類)にとって良いことなんです。あなたに損はないですよ」と言われりゃさも自分は正しいことをしてやってるんだというドヤ顔で他人を踏みつけ自分の動物的な感情を充足させ、勘定は政府やら世間やら他人に回す。自分には何の才能もなく何の努力もしなくてもたまたま多数側に生まれただけで他人より優れていると思い込めるんだからそもそも文句はないが、ひょっとしたら何割かは「社会が良くなる」というお題目を本気で信じているかもしれない(それは自らの優越感を意識していないという意味ではない。社会のためはオレのため、二方三両得ってだけの話だ)。
「ミンシュシュギ」のオダイモクも愚民が唱えりゃただの多数決の独裁になる。「自由で平等」なのは多数派の間だけでそのうえ独裁者は「多数」だからそのうちの誰一人として自ら責任は取らない。「衆愚に生まれて安心安全」システムだ。
本当の「民主主義」は「多数決」とイコールではない。民主の「民」は多数派だけでなくすべての少数者ーー病人かタワキ違いハク痴外人アイの子こども年寄り男女女男童貞オタク売タその他ーーも含めて全員自由で平等でなければいけないし、民一人一人は全員が自分自身のそして社会の「主(あるじ)」として全てのことに責任を負わなければならない。代議士はあくまで民の「代表」でありその責任は最終的に民全員に帰する(だから代議士は民意に従う責任がある)し、少数者(マイノリティー)だけにババを引かせるやり方は民主主義ではない。
自分に都合がいいことを聞いた瞬間に思考を停止する低級な動物が多用したがるキメ文句のひとつににベンサム(1748 - 1832。イギリスの哲学者・経済学者・法学者。功利主義の創始者)による「最大多数の最大幸福」という言葉があるが、これは「個々人の幸福の総和を最大にするのが正しい行為・政策である」という意味で(愚民がそうであってほしいと願うような)「多数を幸福にするためなら少数を不幸にしてもいい(そうすれば幸福な人数が最大になる)」という意味ではもちろんないし「少数の不幸は多数のメシウマ」を肯定するものではない(当たり前だ。普通にサイテーである)。個々人の幸福の総和を最大にするにあたってベンサム自身は「個々人が幸福を追求できるように法律で私的不可侵領域を定める必要がある」としている。ようするに「たとえ多数派がそうすることで幸福を感じるとしても他人の私的なことに手出し口出ししてその人を不幸にしちゃいけませんよ」ということだ。たとえば自分が幸福になるために自分が結婚したりしなかったり子供を産んだり産まなかったりするのは正しいが、自分が幸福になる(感情的にも経済的にも社会制度的にも)ために他人に結婚させるさせない・子供を産ませる産ませない権利は誰にもありませんよ、ということである。
この「他人」がマイノリティーであっても当然全く同じことでたとえ「同性カップルは結婚しても子供が生まれない。税収が減る年金が高くなる国が(:読み:「オレが」)損する」と思っても自分が結婚したい時に結婚して制度上の優遇を受けられるなら他人に同じことを禁止する正当性はない。「結婚はするが子供は作らない」のは同性カップルに限った話ではないし、それでも制度上の優遇が不当だと思ったら結婚に付随する優遇措置は一律に廃止すればいいのである。少子化が問題であるなら公的な扶助、優遇措置は既婚未婚ジェンダー性指向等いかなる属性にも関係なく実際の出産または養育の実態に対して行うべきだ。
生殖というのもまた自らの生存に次ぐ(どちらかと言うと結婚制度よりもなお)私的な不可侵領域であるがこれを本人ではなく誰か他の人が「おまえは生殖してもいい。おまえはダメ。社会のタメだから(笑)」とやるのが優生思想である。特定の人たちを(未来の)社会から「居なくすれば」社会はもっといいものになるらしい。しかし居てもいい人間いけない人間を本人の都合以外で選ぶ社会はすでに民主的な社会ではない。
社会のメンバー全てに平等の権利を認めた結果として社会に何らかの不利益が生じた場合、民主的な社会ではその不利益は全てのメンバーに平等に配布されなければならない。利益は多数派だけに分配し不利益はマイノリティーだけに分配(またはその逆)してはいけない。個人の幸福の総和は全ての人の幸福を高め全ての人の不利益を削減することで得られなくてはならず、不利益を一部少数者に集約した上で「[その少数者の属性]なんてこの社会には存在していない」ことにして残りの幸福だけを勘定してはいけないのである。それが「民の一人一人全員が社会の『主(あるじ)』として責任を負う」ということである。
もちろん「民主主義」というのは人間の価値観のひとつであり宇宙の絶対法則ではないので他者に由来する不利益に対して責任を負うことを一切拒否するのも個人の自由であるが、その場合民主主義社会によってもたらされる幸福の方も全て自ら辞退するのがフェアな態度であろうと思う。民主主義社会において多数派に属することの恩恵は(本人が自覚しているいないにかかわらず)計り知れず、本来数的にもその影響力も取るに足らない少数者・社会的弱者にイジワルするためだけにその恩恵を手放すというのも到底得策とは思えないが、けだし度し難きは小人なり。生まれつき享受している恩恵というのは本人には認識できないものなのかもしれない。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/135244
プリキュアは性的視線から意図的に遠ざけられている。主な視聴者層は未就学の女児。キャラクターは自分より年上のロールモデルだ。もしそのキャラが性的に消費されてしまったら、保護者はもとより、これから羽ばたこうとする女の子の翼を折ってしまうからだろう。
現在の女子大学生は、ちょうど初代プリキュアを見た世代だ。私が授業でコンセプトを紹介すると、「当時プリキュアを見て、強くてかっこいい女性になりたいと思った」「アニメを通して固定概念がなくなるのは良いこと。自分もそうした流れに参画していきたい」という感想が出てくる。戦隊ヒーローものの「ごっこ遊び」では、ピンク役(1人だけしかいない女性キャラ)をやるしかなかったが、「プリキュア以降は好みのキャラが選べるようになった」という学生もいる。プリキュアのメッセージが若者に確実に伝わっていることが、とても頼もしい。
こういうジャッジをされるとき、一番プリキュアを「汚された」と感じる。「女の子にも暴力のカタルシスを」というテーマで始まったやつを「正しさ」で評価するのなんなん。
普通に濃縮されたビビッドカラーの女の子の性的イコンそのままじゃん。プリティーシリーズやアイカツとかもそうだけど
キュアブラックが最初へそ出してたのを続編で隠されてその後またへそ出しプリキュアも登場してくるのはどう解釈すれば
強くてかっこいい女キャラならリボンの騎士も峰不二子もキューティーハニーも居る。ポワトリンやイパネマ、シュシュトリアンなんかも観ていた自分としては、フェミ的な持ち上げ方をされるプリキュアは苦手。