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2019-07-19

anond:20190718235415

戦前結構ころころ変わっているのに戦後ほぼほぼ自民党一色なんだな。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E9%96%A3%E7%B7%8F%E7%90%86%E5%A4%A7%E8%87%A3%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7

社会党が強かったのはサンフランシスコ講和会議前夜までで、あとは自民党

1993-1996年自民党以外が政権をとるじだいがくるが、すぐに自民党が奪取。

次は2009-2012年民主党政権

戦前戦後で変わったことと言えば、女性参政権選挙権年齢の低下だな。

1925年以前と以後での変化は次第に挙国一致内閣一色になって戦争にひた走っていくという感じに見える。

黎明期だったからか、一部の男性にのみ与えていたからかわからんが、一定以上の納税をした男子にの選挙権を与えていたころのほうが政権交代はしていたね。

2018-12-08

安倍政権北方領土問題への取り組みが個人的評価できる理由

まず前提として、安倍政権歯舞諸島色丹島二島返還ロシアとの領土問題を決着させ平和条約を結ぼうとしている、ものとする。

二島返還論はそれなりの根拠がある。

1. 日本サンフランシスコ講和会議で択捉と国後を放棄している。よく言われる、「ソ連勝手宣戦布告して占領されてそのまま返ってきていない」というのは間違い。戦後処理を経て放棄している。

2. 逆に歯舞諸島色丹島戦後処理を経ていないので、未だ占領状態と言える。なので1955年から平和条約交渉とその予備交渉において、ソ連は一貫してこの二島返還するつもりでいた。

3. 上の平和条約交渉が最終的に頓挫したのはご承知の通り。最大の問題日本側が予備交渉の当初から歯舞諸島色丹島に加えて何故か択捉島国後島の四島返還にこだわったかである

4. 鳩山一郎内閣が四島返還にこだわったのは、主に国民への人気取りのため。「ダレス恫喝」は平和条約交渉間内に起こったとされる出来事であり、大した影響はなかった。そもそも事実かも怪しい。

5. 日ソ共同宣言後も日本面子を守るために北方四島日本固有の領土とする立場を堅持している。ソ連ロシアとの平和条約締結は未だならず

ここでスーパーリベラル安倍政権の出番である国内歴史的な経緯や面子無視して二島返還に舵を切ることができる安倍政権はとても評価できると思う。

## 追記

出典がなかった。

本文中の安倍政権評価鳩山一郎が四島返還にこだわった理由脆弱政権基盤を維持するための人気取りという推測は俺のものである

それ以外は「日ソ国交回復秘録」にもとづく。この本は日ソ共同宣言までの予備交渉と本交渉において全権大使を務めた松本俊一の回顧録注釈をつけたものである原本は「ダレス恫喝」の唯一の一次資料でもあるらしい。

2014-01-17

http://anond.hatelabo.jp/20140117233425

つーか、平和憲法を制定したのはアメリカ日本を非軍事化して富国強兵前の小国に戻すためで、アメリカとしては東アジア戦後秩序は米中二国でしきっていくつもりだったんだよ。

この時の中国はもちろん中華民国な。

ところが国共内戦の結果、中国共産革命が起きるわ、それ見て北朝鮮が南進するわで計画が破たんしてしまった。

そこで、軍事独裁政権韓国日本東アジア反響の砦にするために、東京裁判受諾を条件にサンフランシスコ講和日米安保体制日本を引き入れた。

植民地時代の清算が終わってない韓国大東亜戦争への反省が終わってない日本反共のために強引に手を組まされたわけで、これが冷戦終結後の歴史問題の淵源になっている。

そりゃ、反共で覆い隠してきた矛盾から冷戦が終われば焦点化するわな。

で、東アジア冷戦史の中で北朝鮮対峙している韓国がまず朝鮮半島で戦い、次いで、海外派兵ベトナム)まで行ったように前線として戦ってきた。

日本はその時は平和憲法を口実にして出兵はできなかった。たぶんアメリカ日本を本格的に再軍備化するには不安があったんだろうし、日本にとっても戦後復興期に戦争に巻き込まれないためには都合が良かった。

遠回りしたけど、結論を言うと、現実歴史におけるアメリカ東アジア戦略の中では平和憲法日米安保ってワンセットだったわけだ(びんのふたってやつな)。

もし、日米安保の時に平和憲法も変えていたら、アメリカ日本を戦力として使うだろうし、朝鮮戦争ベトナム戦争舞台日本列島であってもおかしくなかっただろうなー。

 
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