はてなキーワード: サンデーとは
上記の件でブクマカ達は誰も先生の連載作品について言及しないから逆に興味持ったので、軽く調べてみたんだが、よくわからん。
とりあえず名前表記が「新條まゆ@『虹色の龍は女神を抱く』連載中!」と、タイトルが含まれているので、それでググってみたら以下のような感じ。
・WEB配信漫画であり、シーモア、ピッコマ、Amazonなど主要サイトで販売している(上記エントリで言及ある「ナンバーナイン」が配信している模様)
・現在何巻、何話あるのか(現在16話? 配信場所によっては6話までの所があって混乱する)
・その他、出版予定はあるのか、どういう特徴の作品なのか、メディアミックスはどうなってるかなど作品の詳細な情報(wikipediaページもない)
つまり「新條まゆ」または「虹色の龍は女神を抱く」に関する公式サイトに該当するものがないので、どこから情報を確認して良いのか分からない不便さがある。
名前に作品名入れてなかったら本気で何の連載しているのかも辿り着けなかったかもしれない。
ナンバーナインには編集部がいるということだが、そういうサポートはしてくれないようだ。
サンデー公式サイト見ると簡単に情報把握できるし、そもそもサンデー買えば読めるという分かりやすいアクセス方法がある。
WEB配信スタイルに切り替えるなら、セルフプロデュースとかマーケティングも自身でしっかりやる必要ありそう。
バズったおかげでこの作品名はX上でも作者名ごと拡散されてるが、内容に関する言及は見かけないので、広報活動としては上手くいってなさそう。ものを売るのは大変だ。
青年向け漫画の編集者をしていた。といっても若い頃の話だ。都内にある編集プロダクションを辞めて田舎に帰ったのが36の時だから、おじさんの入り口に立った頃か。今では完全なるおじさんである。
働いていた会社というのは、講談社とか小学館とか秋田書店とか、そういう大手出版社ではない。あくまで編集プロダクションである。出版社と編プロがどう違うのかって……ざっくり言うと元請けと下請けだ。出版社が出版事業(今回だと青少年向けの漫画作りや商業展開)の企画をして、漫画家が作品そのものを作って、編プロは雑誌本体を作って、その制作過程で印刷所やデザイン事務所といった専門集団と関係することになる。
イマイチな説明になってしまった。一般社会の例で説明する。民法でいうところの委託(準委任契約)に当たる。公共建築の分野でいうと、公共機関の建築技師が新しい建築物のマンガ絵を作り、建築事務所が基本設計~詳細(実施)設計をして、出てきた成果物を元に大手建設会社が施工監理し、地元にある中小事業者が実際の土木建築作業をする。
自分が勤めていたのは、この例でいうところの建築事務所だ。受益者(国民=漫画読者)の希望に応えたい組織があって、そこから依頼を受けて動いている関係会社のひとつ。そういうアナロジーだ。
出版社との役割分担は、そこまで分離しているわけでもない。漫画編集者といえば、昔の手塚治虫ほかの自伝みたいに、漫画家とアツいやり取りをしているイメージがある。ああいう、企画経営と制作現場の間にあるような仕事は、出版社の社員が直接することもあれば、編プロが出版社(編集部)のオフィスを間借りして行うこともある。
前者の例だと、マガジン、サンデー、チャンピオンなどだ。コンビニや書店にほぼ必ず置いてあるレベルの漫画誌。大手出版社に総合職コースで入社した人が、(編集、取材、制作、資材、宣伝、マーケティング、総務経理人事その他事務)といった多くの部門のひとつである漫画編集部に割り振られて其処に居る。
後者の例だと、大手出版社が出している漫画誌でも、あなたが聞いたことのないやつもけっこうあると思う。そういうのは、編プロが出版社(編集部)の仕事を丸ごと請けて実施していることが多い。自分は、そういう会社で働いていた。職場自体は大手出版社の中にあるが、いわゆる委託先の社員だった。別の言い方をすると、親雑誌に対する子雑誌の関係。
ほかの長文増田の記事を見るに、あまりたくさん書けない仕様のようである。何文字までかは知らないが、文字数制限があると思う。本当は何万字でも書きたいのだが、あくまで自分が書きたいだけであって、あなたが読みたいとは限らない。一万字以内になるよう心掛ける。以下に、自分が関わった漫画家を2人だけ紹介しよう。最後に所感を述べて終わりにする。
その2人(A先生とB先生。どちらも若手)と私は、分水嶺のような関係(追記;わかりにくい表現ですいません。ブクマカのBuchicatさんのコメントのとおりです)だった。ある日、私が担当していた漫画家のA先生が新作の企画提案に来ていて、同じタイミングで別の編集者のところに持ち込みをしたのがB先生だった。その別の編集者が不得手なジャンルだったこともあり、A先生との話が終わった後で、私も一緒にB先生の作品を読んだ。
その後、編集部の責任者を交えた会議で、私が引き続きA先生の新作の担当者に決まった。新人であるB先生の担当になる可能性もあったが、そうならなかったのは、今の漫画界の一界隈にとって幸運なことだった。
A先生は、雰囲気が暗めだった。人間性まで暗いというわけではなく、心を開くと明け透けになるタイプだった。モードに入ると饒舌になる。
弊誌では、読み切りを何度か掲載したことがあった。アシスタント経験あり。小さい賞を取ったことがある。ヒット作はないが、若き漫画家としてはキャリアがあった。
画力が抜群だった。小学校や中学校で、学習ノートにフシギダネの絵とかをソラでゲームパッケージそのまんまに描く子がいただろう。とにかく天賦の才を持っていた。最小限の画量で、それでいて迫力と感情に溢れた1枚1枚を描く。そういう人だった。
難点は、マジメすぎるところか。少し前にやっていたアニメだと、チェンソーマンに登場するアキくんか(少し前……?)。とにかくマジメだった。いや、やはり『直向き』に訂正する。
A先生は、少年誌に見合わない重たいテーマに挑むことがあった。今でもそうだ。彼のマンガには『緩さ』がない。それもいいところなのだが。私は好きだった。はっきりいって。が、読者の傾向に合っているかは微妙だった。
子どもの頃から漫画が好きだったらしい。中学生の頃のイラストを見せてもらうと、俄然キャラクターへの愛に溢れる作画を見ることができた。中学生らしい、プロには程遠いクオリティなのだが、しかし見ていて違和感がないというか、自然にくっきり入ってくる。
私という人間は、具体例で物事を説明する癖がある。上の「中学生らしいイラスト」を別の事例で表現すると……「うるせ~!!知らね~!!FINALFANT ASY」(短縮URL:https://x.gd/L5cc4)だろうか。以前、いつぞやかのid=pptppc2さんのブックマークコメントがきっかけで元ネタを知ることになった。
あの時のA先生のイラストは、ベルセルクのセルピコだったと思うが、力強い表現だったのを覚えている。セルピコがファルネーゼを抱きかかえて、
「申し訳ありません 道案内を頼まれまして 少し席を外していましたもので」
と言うシーンの模写だった。
さて、そんなA先生だったが、ある時これまた重量級のテーマで描きたいものがあるという。先ほどの、編集部での新企画提案の話だ。
その際、A先生からプロットをもらい、私のデスクで拝見させてもらったところ……うちの雑誌では持て余しそうだった。作品の質が低ければ普通に打ち切りになりそうで、作品の質が高くても――弊誌の売上規模だと会社グループ全体の機会損失になりそうだった。私の前でパイプ椅子にかけているA先生は、不安げな面持ちだった。
内部の話で悪いが、例えば「甲」という雑誌の亜流の「乙」という雑誌があるとする。ビッグコミック(オリジナル、スピリッツ、スペリオール)みたいな感じだ。この時、甲と乙に明確な上下関係があった場合、乙誌に掲載された漫画が甲誌に引き抜かれることがある。その際、甲誌の編集部から言われるのが、
「なぜうちの編集部に見せなかった?」
という意見だ。これは、ストレートに言われる場合もあれば、暗に言われる場合もある。だが、事前に上流の雑誌に見せていたとして、多くの場合は玉虫色の返事があるだけだったりする。
話を戻そう。この時の自分は、編集部の自分のデスクのあたりでA先生の次回作を見せてもらっている。確か缶コーヒーを飲んでいた。
自分としては、A先生のマンガを弊誌に載せたいと思っていたが、先ほど述べたとおり、後ろ髪を引かれる思いもあった。社会派の少年漫画というのは扱いが難しい。その作品が「あしたのジョー」の影響を受けているのは明白だった。「A先生であれば、きっと面白い作品にしてくれるのだろうな」という期待はあった。
うーん、大いに悩むところだ。どうしよう。思いあぐねていたところで、別の編集者から声がかかった。要約するとこんなところか。
「持ち込みに来た人がいる。私の専門じゃないので判断が難しい。門前払いにするレベルではないので、あなたの判断を仰ぎたい。上の人間は今出かけている」
要するに、自分の専門外なので判断できないよ、と言っている。ここも会社なので、編集者の上には当然上司がいる。その人達がいなければ同輩に相談するのが基本だ(余談だが私は後輩だった)。こういう原則は一般の会社と変わらない。
その『別の編集者』というのは、儚い感じの純文系が得意なタイプだった。一番わかりやすい喩えは……『はちみつとクローバー』みたいなやつだ。ああいうのが得意な人だった。
その時は、A先生との話が終わったら行くと告げた。それで、しばらくそのまま話を続けた。
「この作品はいい意味で重たいね。ちょっと考える時間がほしい」
と言って、その日は解散した。A先生は、「お願いします!」と言ってパイプ椅子を立ち、そのまま帰っていった。いつもだったら喫茶店でご飯をおごっている。
A先生は、『いい子』だった。あまり感情は出さないけれど、人間に対する愛を持っている。そういう子だった。私が当時、A先生にご飯を奢って、彼がおいしそうな表情で食べている時、私は幸せだった。A先生が幸福だと、自分も幸福だと思えた。A先生が漫画という手段で自らを表現している時、まるで自分もそれに劣らぬような喜びを得ていた。
ヘンな表現かもしれないが、例えば読者がA先生を褒めている時、自分とA先生との区別がなくなっているというか。彼のことが、自分のことみたいに嬉しかった。これは愛なのだろうか。
持ち込み部屋に行くと、別の編集者と、持ち込みに来た子が対面で座っていた(ちょこんと挨拶をしてくれた)。自分が座る席には作品が置いてあった。綴じられていない原稿用紙がある。ページ数にして30枚ほどだった。もっと多かったかもしれない。記憶があやしい。
実際、B先生の作品は面白かった。コテコテの学園ものかと思いきや、登場人物それぞれに適度な制約があって、キャラクターも立っていた。これまでのキャリアを聞き取ったところ、作品が雑誌に掲載されたことがあるようだ。アシスタント経験もある。
絵の方は、自分がこういうのも大変失礼だが、上手な方ではなかった。どちらかというと、脚本や設定、キャラ作りが得手のように映った。当人が情熱を注いでいる箇所はすぐにわかる。キャラ絵が有名漫画家の影響を受けているとか、キャラクターの台詞回しがハリウッド映画風とか、背景や小物を手を抜くことなく全部描いているとか、そんな具合に。
光るものがある作家だった。これを見抜けないようなのはモグリ――そんなレベルで輝いていた。
私は作品を読み終えた後で、「ちょっと待ってね」と自席に戻り、少し残っていた缶コーヒーを飲み干して、思案を重ねつつ持ち込み部屋に戻った(どうするのが最良かわからないケースだった……)。
それで、テーブルではこういうやりとりをした。
私「イイ作品だと思います。特に、セリフ回しにセンスを感じます。掲載ができるとかここでは言えないけど、話は通してみますね」
B「ありがとうございます」
私「それで、担当はね……縁なので。あなたがするのがいいのでは?」
編「私よりもほかの人がいいと思います。もっと才能を引き出せる人が……」※小さい声で
私「いや、でも恋愛描いてるよ。エンタメだけどいいんじゃない」(こいつ、作家の前でアホなこと抜かしよって)
編「難しいです」
私「でもこれ、縁だよ」(意識が低すぎる……)
編「ほかの作家さんも抱えてるので。いっぱいいっぱいです」
私「わかりました」(トラブル回避のため後で編集長に説明しとこう)
B「すいません。僕の作品はどうなるんですか?」
私「後日連絡しますね。必ずしますから、それまでは他誌への持ち込みは待っていただけますか」
B「あの、はい。できればですが、早めでお願いします。一週間くらいでなんとかなりますか」
私「なんとかしてみます」
作品そのものと、作家プロフィールと、付属資料のコピーを取らせてもらって、彼には外で缶コーヒーを奢った。ビルの入り口まで送ったところまではいい気分だったが、正直、身に余る事態だった。
持ち込み作家の才能がありすぎるのも考えものだ。嬉しい悲鳴というやつ。誰が担当に付くかで今後の雑誌の売り上げに影響がある。重大な意思決定ということになる。
最悪、『進撃の巨人』の時みたいに優れた作家を逃してしまう可能性がある。あれも、実際は諌山先生は門前払いではなく、週刊少年ジャンプの担当が付くか付かないかの微妙なラインだったらしい。それで、誰が担当になるかを押し付けあっている間に諌山先生が他雑誌に持ち込んでしまった、という話が業界団体の公的な飲み会で囁かれていた。
B先生についてだが、一週間後に担当編集が決まった。「別の編集者」でもなく私でもない。当時、若手のひとりだった20代の子が任されることになった。編集部のトップを交えてB先生の原稿のコピーを読んだのだが、「若い感性が光る。年齢が同じくらいの人と組ませる方がいいのでは?」という結論になった。
その20代の子は、上の組織からこっちに出向してきている子で、いわば武者修行の身だった。一流大学出で、本社のプロパー社員。いわゆる総合職である。
最初は、私に選択権があった。B先生の担当になる道もあった。だが当時の私は多忙であり、月に何度も会社に寝泊まりするレベルだった。新人は抱えるべきではない。しかし、才能のある子だから迷いがある。
A先生のこともあった。彼のあの作品を世に出してやりたい。もっと有名にしてあげたい。そんな想いがあった。
私が悩んでいるうちに、例の20代の子が手を挙げたのだ。私としても、彼のやる気と知性と直向きさは買っている。諸手を上げて賛成した。
今思えば、正しい選択だった。もし私がB先生の担当になっていたら、面白い恋愛エンタメを楽しめる読者の数は減っていただろう。これでよかったのだ。
以後のB先生は、例の持込漫画のブラッシュアップを続けた。翌年には、晴れて弊誌に第一話が掲載されることになった。さらに以後は、担当編集とともに二人三脚で躍進を続け、イケイケドンドンの勢いを保ったまま、一度も息切れすることなくスターダムに上り詰めた。今では漫画家として世に知られている。
上で挙げたA先生の意欲作は、読者層に合っていなかった。それでも、高い画力とシナリオ構成の上手さがあったのだろう。その意欲作は、連載期間を積み重ねる度にファンの数が増えていった(業界的には、Amazonの第一巻のレビュー数が人気の代替変数になることが知られている)。
今では、A先生は親雑誌で連載を勝ち取るまでになった。去年だったか。彼の作品をコンビニで立ち読みする機会があったのだが、やはり突き抜けた画力だった。週刊連載であそこまでの画力というのはまずない。
2024年現在、私は東京を離れて田舎で暮らしている。地元の町役場にUターン就職して、実家の農業を手伝いながらスローライフに近い生活を送っている。
実は、編集者だった当時、働きすぎて病気になった。ある日、下腹部の辺りに違和感を覚えて、血の塊のようなものが血管を這っている感覚があった。病院に行くと、「遅くても明日中に入院しなさい」という医者からの指導があった。
それなりに重い病気にかかってしまった。一応は死亡リスクもある。数か月ほど入院した後、どうしようかと考えて、考えて、考えて……編集部に復帰後は、労働を最小限にしつつ転職活動をスタートした。
A先生については、幸いだった。彼の意欲作とは最終回まで付き合うことができた。私が退院した後、無事完結を迎えることができた。あしたのジョーに比べればハッピーエンドだった。
入院中に、A先生とB先生がお見舞いに来てくれたのを覚えている。ほかの編集仲間も来てくれた。A先生は、テンションが低めで、何を考えているのかわからないこともあるのだが、人間への基本的な愛というか、思いやりがある人だった。
もう40才を過ぎている。はてなユーザーの中では平均的な年齢か。思えば齢を重ねたものだが、当時の日々は今でも夢の中に出てくる。
若い頃から編集者をやってきた。身体を壊さなければ続けていたのかというと、多分そうだろう。でも、今の生活も悪くないと感じている。自分語りはここまでにして、締めにしよう。
もしあなたが、Webでも紙媒体でもいい。気になる漫画作品を見つけたとする。面白いものを見つけたと感じたら、ひとまず買ってみるのがいい。Webだと1話単位で売っている。
ひとかどの漫画家というのは、自らが産み出すモノを本気で高めにいっている。あなたのフィーリングが合ったのなら、ひとまず1巻だけでも読んでみる方がQOLが高まると思う。ハズレを引くことはあるだろうが、アタリだってちゃんとある。人生は運試しである。
小学館 → 一ツ橋グループのトップだよ。一族経営だよ。教育系だね。電子書籍で同人誌出さないようにね!女性セブンだよ
集英社 → 一ツ橋グループの中核企業で株は小学館が50%持ってるよ。創業者は小学館と一緒だよ
講談社 → 音羽グループのトップだよ。一族経営だよ。週刊現代とかFRIDAYだよ
KADOKAWA → 一族経営だったけど一族がはちゃめちゃでやらかしすぎて今はドワンゴだよ。ニコニコだね
角川春樹事務所 → やらかした張本人のとこだよ。日本のドンって呼ばれるときもあるよ。色んな意味でやべー人すぎて笑えてくるよ。ググってみて
幻冬舎 → 角川に勤めてた見城徹の会社だよ。エイベックスの取締役とかテレ朝の放送審議委員会委員長とかしてるよ。絶歌で少年Aにキレられたり殉愛でたかじんの遺族に訴えられたりちょっとパンピーとは思えないよ
30年くらい前は編集者だけじゃなくどこの会社もパワハラクソ野郎が多かっただろうとか
小学館が燃えてるけどまあなるべくしてなってるなと傍観してるので、せっかくだしサンデーのぐう畜エピソードを語る。
・週刊少年サンデー、別名週間名探偵コナンはコナン連載時と連載なしでは売上が全然違う。そこで泥舟のサンデー編集部は人気キャラ降谷零スピンオフを作って本編と交互に載せて毎週何かしらのコナンが読めるようにすると釣り定期購読させようとした。しかしすぐにその約束は破綻で、スピンオフも本編も載らない虚無の週がいくつもできた。
・前述のスピンオフ、公安所属で潜入捜査をする降谷零をご近所のお助け暇人フリーターにして本編との破綻を生み出す。
・また前述のスピンオフの作者、エイプリルフールにとあるキャラと降谷零の首をすげ替えるという悪意のあることをするのを止めない
・青山剛昌が地元で語るイベントがある。当たり前だけどとても人気で倍率がすごい。それはサンデー編集部が抽選をするのだけど何故か毎年当たる古参様がいる。ほかは全然落ちてるのに何故かその人たちは絶対に何故か当たる。あれれー、なんでかなー?
まあこんな感じ。他にもいっぱいあるけど思い出したら追記する。
馬券でも調教タイムと血統と馬場状態分析しまくれば高確率で勝てるけど、収支関係なくどこまでいってもギャンブルはギャンブルじゃん
投資もこれだけ話題になってるのに、インデックスがどうとか、儲かるだの儲からないのだの怖いだの危険だの、そんな話しかないよね
ばっかじゃないのーーーーー
それ投資じゃないじゃん
いや、もちろん値動きそのものへの投機も、もちろん投資っていうよ
それは当然、その通りなんだけどさ
でも、投資が決定的にギャンブルと違う点って、やはり企業の資本金の出資者になるということ、つまり企業の所有者の一部になることだよね
そしてその企業の成長や事業の成功を応援して、うまく叶えば出資したお礼で見返りがくる
もちろん失敗すればお金は減るけどさ
それが本当の投資だよね
推し企業や推しプロジェクトを推して、応援が実ればお金がもらえる、それが本来の投資
この考えだと、投資が仮に失敗して株価が下がっても、企業の活動の支援はできているから、無意味にお金が消えただけではないと言えるわけ
投資は決してお金を儲かるところに投じたらお金が増えたり減ったりすることじゃないからね
あ、もちろんめちゃくちゃ金余ってる人は、お金の話だけでいいんだよ
有り余るお金の持ち方を最適化するにはインデックス投資とかも必要だと思うよ
数十万や数百万ずつしか動かせないでしょ
そんな一般人にとっては、投資=企業の応援であり、それって立派な社会活動なんだよね
増田はそういうふうに、「眞鍋かをりと松本大のいちばんやさしい株のはなし」でちゃんと勉強したよ
一口馬主やって、わいも馬主やー!言うてるのと同じじゃない、それ
もっと言えばPOGでサンデーの有力馬指名して、俺の馬やー言うてるだけやんか
王道は自分の見極めた企業の個別株を、例え最低単元でも100株買う
それこそが、例え地方馬でも共同馬主でも、きちんと馬主になるってのと同じだよね
だからさ
投資って儲けじゃないのよ
いやウソ、儲けなんだけどさ
本当に応援したいくらい魅力があって成長性があって、成長すると自分も嬉しいなって思う企業にこそ、個人が投資する価値があるって話
個人投資家は自分が普段利用する企業をお客として評価できるのが強み
その強みをいかして、時間をお金に変えていく推し活が、個人投資家にとっての投資
そういう、「投資とは何たるかの基礎の基礎」をすっ飛ばして、「どこに張るのが儲かるの?正解なの?」って話しかしないのはまじでダメ
お前らみんな馬券師と一緒じゃい
粗品と一緒やで
つうわけで、まず自分がよく使うスーパー、ECサイト、よく使う電車、よく買っている趣味の品のメーカー、よく買う食品メーカー、地元の有力企業、そういうところの業績やビジョン、事業計画を調べて、あーこれうまくそのまま発展したら自分の生活も潤いそう、って企業を探すんだ
そして一次的に株価が半額になっても気にしない、短期の値動きに一喜一憂しても意味がない
売るのは、ライフスタイルの変化で利用しなくなった時とか、店の雰囲気や製品の劣化とかで推せなくなった時だ
投資なんてそんなんでいいんだよ
ライブというかクラブのノリに合わなくて侘びしかったけどこのアーティストのライブ行くの人生でやりたい事リストの1つだったからできてよかった
・毎回の事ながらアーティストが現実にいることにビビる リック・アンド・モーティや
・BGMがすこぶるいい ノリアキとミュージックラバーズカバーすこ プレイリスト作った
おまいらクラブで酒のんでピザ食ってだべるという時間の過ごし方が過ごせるなら最初からそう言ってくれや!!!
・コール&レスポンスの完成度が高いアイドルライブだった
本当に200曲位出してるのに全曲歌詞+コールも完璧即レスなの強火精鋭集ってた
・前から2列目でみれた
・思ったより早く着いたから
予想より異世界転生感は少なめ
・地下鉄の元気な赤子
・Googleマップで北一番丁通りに牛たん屋さん沢山あるしみんな4つ星以上だから最寄りのお店に入ろうとしたら3件連続営業時間外で4件目でやっとありつけた 牛タン、美味しいけど塩がほしい 店員さんに言ったら「ないです」って言われてそんなこと無いやろ!と思ったけど言えなかった…
・チェーン店でなく観光客も地元の人も集う歴史のありそうな個人店って感じで雰囲気はよかったあと店員さんの人口密度が高い
自分が入ったあと列ができ始めてゆっくり食べるのが申し訳なくて忙しなかった
一回の食事でお腹に入る量が少ないから食道楽の才能が無い 自分の金払って注文した料理残すの嫌
観光の才能…無さすぎ…?!
追記→そうか…仙台で牛タンを初めて出した誉れ高き名店か…偶然巡り会えてラッキーやったわそりゃ名店で塩くれって言われたら…怒る…ヨネ…ゴメン…ネ
いやでもあの言い方は…いやでも…
・牛たん屋さん捜索中に商店街脇道で生演奏ジャズバーと中野ブロードウェイみたいなホビーショップがあって「良ッ」ってなった
しかし薄々気付いていたがジャズって人好きでないと合わない趣味だな‥?
あとでっかい5メートルくらいない?枝の分かれ方がオサレ 街並みもなんか上品に洗練されてる感じある
・正直一昨日見た別のアーティストのライブが良すぎて今日のライブを楽しめるか不安
先日の方は今日の前座位の気持ちだったんだけど理想の倍以上いいライブを見させて貰ったから尚更今日のが「わざわざ遠くから遠征したのにこれ?」ってなったら自分が辛い
漫画で言うならコミティアの同人誌とサンデーマガジンくらい違うから比べるもんではないと思ってたし「チケ取れたから両方行くか」のノリできたけど立て続けて見ると比べてしまう〜
あとこのアーティスト、好きだけどハマったのコロナ直前で今に至るまでの期間で曲の雰囲気とか変わったからそこも不安
あと「アーティストのファン、何だかんだ言って異性が多い説」が浮上したので「ギャグラップで女性ファン多いのって昔のニコ動の歌い手みたいでキッツいな」と思ってしまい行く前から仮想ファン層で若干沈んでる アラサーの男女半々であってくれ…!
あとシンプルに疲れてる時にアップテンポの曲だと自分で金払って見に来たのに「うるっせぇな」と思ってしまいそうで不安
でもライブハウスは「死ぬまでに一回こういう店に行ってみたい」って感じのオサレ小規模?ライブハウスなので確実に楽しみ
あとアーティストもコロナ後開催2回目ライブなので今回行かなかったらさらに時間が経ち曲調が好みから外れてかつての「この人のライブには絶対行きたい」という気持ちが遠ざかってくのが予想されるので直近の今の内に行くしかねえ! latestなのじゃ
・商店街にいる鳩が地元の個体よりみんな丸くて可愛い もちもちしとる
・次の日朝雪で東北って感じがしてよかった
らしんばんはある!
・寿司うまままままま
マグロが噛まなくても腔内で溶ける
脂が腔内の温度で溶けていく…
仙台来て良かった〜!と素直に思えた本当にありがとう 回らないお寿司初めて
脳が優しくパキるという初めての体験
将太の寿司ありがとう 待ち時間に読んでなかったらお寿司食べるという発想はなかった
・オタクショップは全国どこでも実家のような安心感を与えてくれる カ、カップリングがごちゃ混ぜじゃねーか!
・ずんだ餅、あんまり口に合わないかもと心配してたが美味しいHAPPY
・仙台→東京の時にBLUE GIANTのImpressions聞けてHAPPY 東京→仙台の時に我慢したかいありけり
・
・
・仙台、ライブというよりクラブはノリに乗れなかったけど街路樹が並ぶ街頭に雪が降る様子とか異世界感あった+寿司・ずんだ餅とか食べ物美味しかったしお金かけて行ったかいがあった
https://anond.hatelabo.jp/20240110062918
※追伸 23増田文学TOP200も作りたい。新タグ「増田文学」+αで作ろうかなと