はてなキーワード: サンタさんとは
子供が1歳なんですけど、
あの
の流れをやらないといけないのだろうか。
なんでこんなことしないといけないのか、謎。単純にかわいそう。
まず、嘘が嫌いだ。
その場しのぎの快楽のために後で他人が不幸になる、をやってるじゃないか。
とにかく気味が悪い。
例年クリスマスはサンタさんのプレゼントとは別に夫と子供に私からの小さなプレゼントを枕元に置いている。
それは子供のためというより、夫のためで。
子供の頃、毎年サンタさんが来るかと期待していたけど来たことがなかった夫に向けたもの
今年もプレゼントを置くかと準備していたが
私が起きてプレゼントを取ってくるわずかな時間に子供が寝返りをうっていた
本来、川の字を書くべく縦に寝るべきが、全員の枕を横断して横方向になっていた
サンタっている設定といない設定のどっちがいいんだろうなってこの時期のクリスマスエピソード見てると思う
各家庭では自由でいいと思ってるんだけど、保育園とか幼稚園は確かにクリスマス会?みたいなのやるだろうし、そこには当然中の人がいるタイプのサンタ来たりするじゃん。
そういうときにいない設定でやってる家の子が「えー、サンタなんていないよ。ママとパパなだけ」みたいなことを言ってしまうのはしょうがないんだけど、じゃそういう共同幻想っていつまで守られるべきなんだとか、そもそもホントはいないものをママとパパが嘘ついてたんだってショックだった、みたいな話を見かけると初めからいない設定のほうが良いのか?とも思う…
でも、子どもの時サンタさんってほんとにいるのかも!みたいに思う気持ちも、大事にしてあげたい気もするしなー……。いる設定の家/いない設定の家が混在してるの、保育士さんとか幼稚園の先生ってめっちゃ大変そうだな〜と思う 他人事ですまんけど
何年も前にセールで購入したんだ。
でもそのまま積んでた。
圧巻だった。
あと自分の場合、事前情報をほぼ全く入れずにプレイしたのが本当に幸いしたと思う。
だからこれを読んで、もしUndertaleに少しでも興味が湧いたのなら、調べずに購入してプレイしてみてほしい。
それでもひとつだけ言うのであれば、冬にプレイするのに適したゲームだということだ。
このゲームには今の時代、いいやこれからの時代にも必要なものがちゃんと詰まってる。
本当に最近クリアしたばかりなので、今はまだUndertaleの雰囲気の中に居る。
…暖かい。
ブックサンタとは自分の選んだ本を、経済的に本を買えない家庭の子どもに寄付するという活動だ。
ランダムに本を選んで贈るのではなく、その子の趣味嗜好を聞いて選んで贈るらしい。
いいじゃんそれ、と思って自分も本が好きだしやってみようと思って本屋に行ってきた。
結論から言うけど本をプレゼントするってめちゃくちゃ難しいね。
ブックサンタは毎年小学生向けの本が少ないとポスターで見たので小学生向けの本を選んでたんだが、
いや〜それ子どもにとって100%嫌な大人ムーブだな〜と気づき
いや〜普通の文庫は少し難しいか?もっとライトめな方が良いか?と気づき
次に青い鳥文庫の前に行って青い鳥文庫から出てるホームズを選んだけど、
いや〜そもそも今の子どもって一体何が好きなのか全然知らんな?と思い至り
いや決して選んだ本が悪いというわけではなく、自分のリサーチ不足・自分に子どもがいないので、これで良いのかな?ほんとに?!ちゃんと子どもに人気だよね!?大人の独りよがりになってないよね!?子どもに押し付けみたいになってないかな!?みたいな…
なんか書けば書くほど言い訳になってきてしまうな〜!言いたいことも言語化できないこんな脳みそ
でもまあきっと自分の子ども時代に空想科学シリーズがあったら絶対読んでるし、ホームズとかみたいな古典で大人にも人気シリーズの本は誰かが贈ってる率高いだろうし、いいんだろうな
また参加をするときはしっかりと子どもに人気の本を調べてから行こう
【追記】
お褒めの言葉とかもあり、ありがとうございます
空想科学シリーズが本当に人気とわかってホッとした〜楽しく読んでくれると嬉しいな!
お金の方が良い〜というのは確かにわかる感情ではあるんだけど、
誰かが自分にプレゼントしてくれた・サンタさんが来てくれたって経験も大切なんじゃないかな〜と自分は思ったので今回本をプレゼントしました
あとまたこういった取り組みをするときに自分と周りに子どもがいないと好きな本ってわかんないから、
もしよければ「こんな本好きだよ!」「こんな本好きだったよ!」を書いてもらえたら助かります
ふと、今の子って3歳とかからネット見られるし、サンタの正体とか下手したら幼稚園くらいで分かっちゃうのではと思った。
自分は今28歳なんだけど、サンタが親だと知ったのは9歳だった。遅いのか?早いのか?
自分は中学受験をするためそのころにはもう夜遅くまで塾に通っていた。
9歳のクリスマスにサンタがキッズケータイをくれた。それは親が塾の送り迎え連絡用に買ったものだったのだけど。
よかったね~サンタさんにケータイもらえて~と言う親に、俺は「月々の代金もサンタさん持ち?」と聞いた。
親が「まあ…うん…( ^ω^)」と答えた。
その後、ゲーム(確かDS)を隠されて家の色んな場所を探したときに携帯の契約書を見つけた。
そういえばサンタさんってどういう名前なんだろうと契約者名を見てみたら思いっきり父親の名前が書いてあった。
その時はじめてサンタ=親だということを知った。
みんなは何歳の時に、どうやってサンタの正体を知ったんだろう。
通勤には大きめの駅を通るので、毎日のようにクリスマスに彩られた街を見なければいけない。買い物に行けばどこもかしこもクリスマスソングが流れている今日この頃。
そんな街を通ってクリスマスを実感するたびに気が滅入る。
別に彼氏がいる年もいない年も、クリスマスに彼氏がいなくて悲しいとか、焦るとか、そういう感情は一度も抱いたことがない。
私にとってクリスマスと恋人というのは結びついていないからだ。
私がクリスマスを感じるたびに憂鬱になるのは、一人暮らしを始めた去年から。
もうファンヒーターと暖房で暖められた、少し灯油の香りがする部屋で、ママの作った少しだけクリスマスっぽい料理とケンタッキーのチキンを囲みながら、ママとパパがそれぞれ用意してくれた、クリスマスの包装に包まれた2つのプレゼントを開けて、いつもよりちょっぴり早く寝て、サンタさんのプレゼントを待つクリスマスは手に入らないのだと絶望感に襲われる。もう私は、サンタさん側にしかなれない。ずっとサンタさんを待つ子供でいたかった。
無数に存在する合成大西瓜のパクリゲームの中で有料で売りつけている面の皮が厚い輩が「スイカゲーム」だった。
嘘だろ。
ウルティマ→夢幻の心臓→ドラクエⅠのような進化の歴史ってわけでもなんでも無い。
マジでグラを変えただけなんだ。
マジである。
まあ合成大西瓜の前に数字を合体させる落ちものパズルが沢山あったわけだけど。
でも落ちものパズルのグラを変えて可愛くしようってアイディアは合成大西瓜で完成したと言っていいだろう。
そっから「スイカにウィンクさせよう」だけで勝負したのがスイカゲーム。
凄いな。
「ショートケーキの上にイチゴを載せよう」をやったら滅茶苦茶売れまくってしまったみたいなもんだな。
むしろ「クリスマスケーキの上に食えないサンタさんの人形を挿そう」ぐらいのしょーもなさか?
天才的な商才だよ。
それに対して多くの人が「凄い!こんなの初めてだ!」と言ってるわけだ。
なーんということだぁ……。