はてなキーワード: サトラレとは
チームで仕事している。とは言っても2人チームに派遣社員が数人いる感じ。
派遣社員同士のちょっとした私語や私と派遣社員の業務指示のついでに話す事が許せない様子。
というか、その上の上司に「私語が多いからあの派遣社員を変えて欲しい」と直談判してるのを見た。
「自販機の新商品試しました?」「試しましたよ。ちょっと甘かったけど美味しいですよ」
この程度のやり取りが1日1回あれば”私語が多い・生産性が下がる”という始末。
そのくせ上司は、席の近い別部署の人とゲームと趣味の話を30分は軽くしてますよね。
上司ってそんなに偉いのか。
指示出しが下手くそ
「ねえ、○の件やっといて」
これだけだよ。この短い文内には
「ねえ、〇の件先方から返信来たから、先方にはもっと情報ヒアリングして内容まとまったら、該当担当者に引き渡しして。その前に該当担当者は地方の人だから、地方所長に一言連絡入れておいて」
って内容が入ってる。これ初めての案件なんだけど、詳細聞いたら面倒くさそうに答えたよ。
言わなきゃわからんよ、言わなきゃ。部下はエスパーじゃないしお前はサトラレじゃなないんだよ。
「料理つくって」指示が来て量、メニュー詳細無し、聞くと怒る。察してよ!お腹空いてるんだよ?って
しょうがないから、過去作った経験上パスタ作ろうと下ごしらえしてたら
「なんで、イタリアンなの?味噌は必須だよ?」とか言い始めて、味噌が出てくるのかと思いきや大根1本渡される。
味噌自分で調達して、大根も盛り込んだ料理してると「あれ?パスタ作ってるんじゃないの?先方にパスタって言っちゃったよ」とか言い始める。しかもデカい声で、他部署がざわつく。
これまた大きな声で「君の間違いは、俺がフォローするからとりあえず、パスタと今作ってる大根と味噌のそれ進めて」って指示が下りてくる。その他の確認取ると「2品でOK・器は気にしない・4人前・2時間後に客は来る」
なくなく折衷案で、パスタとみそ汁4人前作ってテーブルセットして15分前に完了報告したら
「あ、言い忘れてたけど4人のうちの2人は後から来るからテイクアウトにして欲しくて、もう2人は早く来るんだけど器は黒じゃないと機嫌悪くなるんだよね。で、君はこれに対してどう対応する?」
これに対して、反論すると”部下が歯向かう、言う事聞かない、指示待ち人間って”大騒ぎするからね。
「俺の指示以上に事を進めてこそ上司補佐だよな」ってよく言うけど、
様子見ながらやると遅いって言われるし、探り入れると俺の仕事を詮索するな部下のくせにって言われるし、
本当に嫌になる。弱音吐くと「うつ病再発した?」って聞かれるよ。地獄だよ。
一時、鬱っぽくなった時は「なぜ、私が鬱になったのか考えよう」みたいなこと始めて、
私生活まで根掘り葉掘り聞かれた。別に昼間居眠りとかしてないのに就寝時間聞いてくるし、交友関係聞かれたし、上司が休みの近くにいるんじゃないかって不安が止まらなくて、休日家から1歩も出られない時があった。玄関でずっと誰か来るかもしれないって見張ってた。今思うと、ヤバいよね。
この時は、その上の上司と一緒になって根性論突き付けられたので本気で死のうとも思った。…直前でとどまったけど。
何故私が鬱になったかって?お前らのせいだよ。
苦手な同期もいるんだけど、そいつが上司に色々いらぬ事を話したようで最近はホントひどい扱いだよ。
知らぬ間に私は、”苦手同期が結婚したのが羨ましくて鬱になり、個人情報を嗅ぎまわって嫌がらせをしようとしてる”
って設定になってるんだ。すごくね?そもそも同期結婚したのすら知らなかったんだけど。
つか、人の個人情報嗅ぎまわってるの同期の方だよね?同期が、私のIDで仕事のPC覗いたの知ってるよ。
同期のおかげで上司には、早く結婚した方が良いとか、同期といざこざになるから部署移動した方が良いとか散々な言われようです。
自分の思考がダダ漏れになっちゃうけど、国益になるようなすごい発見するような高い知能を持っている人間=サトラレ。
でもそれがサトラレ本人にばれると大事になるから、国家ぐるみでサトラレであることを本人に隠ぺいしてる。
サトラレって映画自体は公開当初から知ってたけど見てはなかった
原作が漫画ってこと知って驚いて1巻の3話ほどまで読んで、映画みた
想像以上によかった
原作の数話のエピソードを1本の映画にうまくまとめてて、原作だとたいしたことないエピソードがかなり涙腺にくる感じに演出されてた
内山理名久しぶりにみた
最初デビュー時にみたときはすげーかわいいと思ったもんだけど、なんか場末のAV女優みたいな感じに見えてしまった
安藤政信はかっこよかった
鈴木京香は相変わらずおばさんくさい顔してたけど、老け顔だから今は年齢なりになってるのかなあ
なんかにてるなと思ったら小雪だった
なんか雰囲気似てる
おばーちゃんが八千草ってのがなあ・・・もうあの人でるだけでやばいわ
フードファイとのおばーちゃんもやってたっけかな
小木茂光(っていうんだけこの人)のSP感ほんとすき
そういう奴はサトラレなんだと思うことにしている
いざというときの自分の誠実さや慎重さが当てになりません。だから、ここぞというときや心が浮ついて動揺したとき、潜在意識に自分の身を守ってもらう為に、私は車のいない赤信号でも止まって待つよう心がけています。
きっとさんざん議論され尽くしているだろう。いろいろな考え方を目にしたり耳にしてきた。それでも未だにつらつら考える。何も考えていなかった頃、信号が赤なら渡ってはいけないと無条件で従ってた。自分の周りもそうだと認識してた。みんな信号を守っている世界が自分の見ている世界だった。思春期、ちょっと大人びた同級生がいた。車が来ないと分かっているのに待っているのは頭を使っていない証拠だよねと貶された。その瞬間から自分は車が来ない赤信号の意義を絶えず意識してしまうようになった。馬鹿にされたことがきっかけだったから、自分は意地になって渡らない理由を探し求めた。見つけた答えは「人間の脳は誤作動する。赤信号で車が向かってきても渡ってしまうような過ちを犯す。だからフールセーフティーのために渡らない習慣を普段から養う」だった。時が過ぎ、海を渡り、時代が環境が変わった。気付けば、今度は信号が赤でも渡れるなら渡ってしまう人ばかりが周りにいた。そしてまた考える。みんなが渡っている中で、自分だけ渡らないでいるのはなぜだ?集団心理として、周りの行動に揃えて動こうとする自分がいた。みんなが渡っているから自分も渡ってしまっていいんじゃないか。渡らないと外国では信号が赤でも安全確認できたら渡ってしまうよと、なぜ日本人は馬鹿みたいに立ちすくんでいるの。そんな意見もよく目にしてきた。でも誰かがやっているからやっていいなんていう理屈では、集団心理で動くメンタリティそのものだ。
映画「サトラレ」の主人公は、天才的な手術スキルを通して患者を直接救う道と、その人並みはずれた知能でもってより多くの未来の患者を救う研究の道と、進むべき道、進みたい方向で葛藤するけれども、仮に手術の道で数千人救えたとしても、研究の道でもし数万人の人を救えたのだとしたら、そしてそれが約束されたものだったなら、彼は救える人を救わなかった人殺しなのだろうか。何も知らずに決断したときには罪の意識はないけれど、全てを想定した上でなお万の命を諦めて、数千の命を助けようと決断したのならば、それは罪ではないのだろうか。許されるかどうかは別として。
そのような決断は誰もがしているはずで、自分の力をどこに注ぐか、その決断如何で未来が大きく分かれることを予想した上で影響の小さい方を選ぶのは正しいのかどうか。
「怒りを覚える」だけがupsetの意味じゃなく、「動揺する」リアクションのほぼ全般を指している単語だと理解したとき、とても腑に落ちた。動揺して泣き出す人もいれば、あまりのことに笑い出す人もあったりして、そのへん喜怒哀楽の感情と心が動揺することの間には線が引かれてる、つまり別ものとして認知されるべき。
人の個性なんて、1) 五感から取り込む情報への感度と2) それに対する心の処理と情動、3) そしてそれをどう発散するか、おおざっぱに三つ区切っただけでも無限のパターンができあがってしまう。
ところが、他人の個性を認識するには、その人が受け止め抱いた感情をどのように表現したかでしか認知出来ない。しかも、互いに相手の個性もまた一つの情報として自分は受け止めるわけだし、それをもって己の感情表現が現れるのだから、もうこの世の中、お互いの認知の順序はすごく入り組んでぐるぐるしてる。
例えば、脱いだ靴を思い出させる不快な臭いを嗅ぎ取ったとして、で臭いの元をたどったらそれが納豆だったとして、そこで許せる人と、許せない人といる。本能的に正常でない音を耳で受け取って、避けるべき事態が起こっていると認知すると、それに応じて臨戦態勢なり避難態勢に入るべく感情のモードが変わる。その後で音源が赤ちゃんの泣き声だと分かって許せる場合と、そうでないケースが人それぞれにある。一方で、無意識でも意識的にでも五感から伝わってくる情報というのは、赤ちゃんが鳴き出す前からたくさんあって、これもまた人それぞれ取捨選択して自分の感情や態度、心構えを状況に合わせて整えている。赤ちゃんの存在を認知して、飛行機内の気圧の変化やノイズ、温度や湿度、明るさや周囲の人との距離感など、さまざまな情報から、事前に赤ちゃんが泣くことを想定できている場合とそうでない場合がある。それが想定出来ていたとして、いざ赤ちゃんが鳴き出しても動揺しないでいられる体調、分かっていても我慢ならないコンディション、はたまた予想の段階から動揺してしまい、いざそうなったら腹が立ってしまうなんていうメンタリティもありうる。
マジョリティー・マイノリティーなんていうのは、あくまで一つの側面で多数派少数派となるだけで、ちゃんと全員が自分の認知模様を理解して分類し始めたときに、初めて、どちらが当たり前かなんて話題そのものの無慈悲な単純さが見えてくる。分類しちゃえばみんな孤独なんだって受け容れられて、ようやく多様性への理解が始まる。多様性への寛容さとどちらが多数派なのかという数の工作とマイノリティの保護と、いろんなこと分別なしにごっちゃにしたまま、正しさなんて主張出来っこないし、ましてやルールなんて出来上がる訳が無い。
もし、今の記憶や能力のまま10年前に戻ってやりなおせたらなあと思っているなら、今の自分は、10年前には持っていなかったやる気や能力を手に入れているか、今やっていることに意義を見いだしているか、もっといいやり方を知っているということ。ちっとは信じなくちゃな、自分の成長を。
勝つため(一番になるため)には、既存の枠に収まらない力が必要。それを勝つ力にするために二つのやり方がある。枠に収まらないアイディアを枠に収めて、ルールに則って勝つ方法と、枠に収まらない新しい発想で勝てる競技を生み出して世界に広める方法があるのではないか。
何をしているのか謎でふわふわした存在だけど、何となく社会にとけ込んでいる。そういうポジションで生きていける世の中であるというゆとりの証として存在している。そのような人がそこかしこにいて目に留まると、なんとなく誰もがその社会に安心し、ほっと息をつける。自分の所属する社会が「何をしているかいまいちはっきりしないけれど欠かせない人」を支えていけるゆとりある世の中であるために頑張れるなら、優しい空気が循環する世界になりそうだ。
回答が見つかってしまったwww (おかしい何度やっても入らない。字数制限?) (的傾向に訂正しておいた)
http://anond.hatelabo.jp/20111008211730
http://logsoku.com/thread/pc11.2ch.net/net/1239615317/ ここのスレにも出てみんな信じてしまってるけど
この文章という情報だけでは、一般読者もドクターも、同じ条件なのに、最後が驚いたという感想がブクマに多いのに驚いた。http://b.hatena.ne.jp/entry/kokoro.squares.net/psyqa1087.html
サトラレは物理的にありえないが、この場合は何とも言えないと思う。
権威主義的な科学者っぽいことを言う人が、ニセ科学リスト作ったら群がる人が多いはずだ
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/DocSeri/20071128/1196234450
この中で>このリストは、機械的にニセ科学を見分けるためのものではない。「リストに載ってないから本物」などという判断は、それ自体科学的ではない。 2010/11/28
と言う人こそ科学的だと思うが、見える範囲では一人しか居ない。これについてはブログに本人も補足してた。この意見を載せていた。( これは、エセ科学を科学的に検証したのではなく、権威はこういうものを嫌ってますよという空気感を綴ったものではなかろうか?とあとで思った )
ドクター林の相談は、小説や読み物としてなら、最後の謎解きとかどんでん返しのようで、面白いのだろうけど、そういう受けを狙った怪しいラベリングでしかないと思う。
文章を見た時点で持ってる情報は、ドクターも読者も同じはずなのに、読者は、ドクターなら文を見ただけで判断できる情報を持っていると錯覚しているし、本人もそれを狙ってやっているのではないか?
それこそ、エセ心理学みたいw 小説なんかでは、目がどっちに流れたらウソを話している可能性が高いだの、顔に手をやったらどうのこうとか、心理学者が分析まがいの事をやるシーンも出てくるが、あれは小説だから!フィクションだから! 多少はそういうものを調査したり統計取ったり実験したりして、それに基づいてるものもあっても、統計には例外があるし決め付けられるものではない。 民間で資料としてマーケッティングのようなものに生かすのに、調べたりというのはあると思う。 そういうものの流用とか、面白おかしく話したりとかはあるかもしれないが、マトモな心理学者はどこに手をやったらどうのこうのなんて、そんな占いや当てものみたいな事は言わない。
通りがかった精神科医と言う人は、精神分析もエセだと言っていた。ここ→http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20110922173823 ツリーに繋がると長くなるからブクマで
まさかとは思いますが、に繋がるのはむしろ、矛盾に満ち満ちた精神医療に根を張った既得権益者の不当利得を守るための権威付けや一般の人の洗脳、ではないですよね?ではなかろうかw
だって、これ↓
http://ameblo.jp/momo-kako/ とか さっきも貼った被害者相談サイトの掲示板 http://seishiniryohigai.bbs.fc2.com/
ここは政治家に陳情もし、国会で質問させてるhttp://seishiniryohigai.web.fc2.com/seishiniryo/renrakukai/jisseki.html 精神病院ではなく、向精神薬のだけど
うつ病の新しい薬ではようつべでも、こんな動画もあるくらい、前から製薬会社の薬売り営業とか言われてたのは知ってた
http://www.youtube.com/watch?v=v9-rcwiZuOA 抗うつ薬SSRI・攻撃性の副作用を隠蔽して宣伝する製薬会社 >抗うつ薬SSRIの説明が製薬会社の宣伝ビデオとNHKの報道番組で全然違ってるんだけど患者を馬鹿にしてるの?
http://www.youtube.com/watch?v=LiPX4g3REqU 【犬を撲殺】抗うつ薬SSRIによる攻撃性の副作用が怖すぎる件【Dr.林】
これの元の林氏のサイトのが中々見つからなかった。その動画にはいつもある先生の回答がなかったから、探してたら、これだったw やっぱり・・・
http://kokoro.squares.net/psyqa1709.html >林: 抗うつ薬(SSRIとは限りません)による自分や他人に対する攻撃性の副作用については、これまでの回答をまずご参照ください。
これは、6ブクマしか付いてない http://b.hatena.ne.jp/entry/kokoro.squares.net/psyqa1709.html おいおい言ってる人はいるけど
SSRIに対する認識がコレだよwww
そりゃエスパーになるわけだwww
SSRIについては、犬じゃなくて、隣の主婦に襲い掛かったという動画も・・・
http://www.youtube.com/watch?v=JwQMzrfYFXI SSRIの副作用・攻撃性で発狂して刃物を振り回して逮捕された姉
関係ないがこういうのを見て、チバレイはなんと言うのだろう? あの人は何をのんでたんだろう? うつ病の精神科来訪キャンペーンに出てたけどw
薬は、一時的に安定剤を使用するのが効く場合もあると思うが、怖いんだなぁ
知らなかったけど、うつ病の薬以外でも、断薬サイトやブログや本があるくらい、大変らしい。
薬と言うのは、西洋薬はとくにそうらしいけど、基本的に毒なんだけど、それを少量取り込んだり、少しの期間使い事によって、良い効果を得ようとする、というものとして考えられるらしい。 それは言い過ぎとしても、副作用と言うのはあるからそれも考えないと。
つけたし
よく読んでみたら、副作用否定ではなく副作用指摘とも見える事も言っている。でも、やっぱりよく読むと・・・、責任の所在を曖昧にしたり、まどろっこしい言い方で(いつもの断定的口調はどうなったのだw)言葉に厚みを付けていつもと比べ物にならないくらい冗長に説明してる。
6ブクマの中の1コメントの人が、おいおい言ってるのは、副作用のせいにするという事かもしれないような気もしてきた
林氏は、一見SSRIの批判もしてるようにも見えることを書いているし、・・・
しかし、いつもの調子とえらく違う。 製薬会社は私企業なので仕方なくて、医者と患者が問題なように書いてある。
でも、一番それで儲けたのは、それを出した製薬会社じゃないの?
やっぱり製薬会社批判は言いたくない事なのではなかろうか?
まさかと思いますが、一番に利得を得ていて、不当なのは知っているけど、力ありそうなので遠慮しているが、徐々にばれつつあるので、その知識も入れとかないといけないけど、自分が睨まれるのは困る、という色んな利害の兼ね合いを考えた結果の煮え切らなさ、いつもにはない慎重さ、ではないですよね? 無いと思いますが・・・・
みたいなw
サトラレは物理的にありえないから、関連妄想、または虚言と判断できても
これくらいは、何とも言えないと思うのに、「まさかとは思いますが」なんて言いつつ、妄想の指摘を愉しむかのような相談って・・・ 他のも全部そうなんて、医者としての相談ではないし、医者ならなおさら文面からだけでは判断できないとわかる筈
おかしい
マトモな医者なら、ネットで妄想を指摘する事の無意味さもわかる筈だし →http://www.karacli.com/schizophrenie.html13.html 妄想への対応の所
Dr.林は本当に医者なのかでぐぐる↓と、そう思ってるレスも出るし、その途中で「まさかとは思いますが」が決め台詞らしく、関連語として出てくる。こんなものを決め台詞にするなんて・・・!
まさかとは思いますが、精神医療の無茶振りを指摘された時に、妄想としてしまえるように、大衆に偏見を植え付けようとしているのではないかとさえ思ってしまいます。
精神科って、こんなところらしい
http://seishiniryohigai.web.fc2.com/seishiniryo/index.htm
薬の被害が凄いんだ。知らなかった。断薬についての掲示板というのもあるくらい ブログや本も
それ以外にも、家族の被害と言うと、Dr.林的に言うと、勝手にお薬をやめてませんか?という対象なんだろうけど、
こういうのも↓
http://backupurl.com/xtk6el 虐待の一環として精神病院を使う 同じ事が指摘されている
サトラレも確かにそうだね(あくまで「障害者」ではあるけど)。ところで、め組ってそんな話だったっけ?
あと、申し訳ないけど俺自身には「現代がファンタジー」な話に(挙げてもらった以外で)心当たりはない。元の質問は、俺が10年来、脳内で妄想してる舞台設定が既に世の中にあるのかな、という疑問があったからなので。残念ながら、小説を書いたり漫画を描いたりする能力が全くないので、人に読ませることができないんだけど。まぁ、10年くらいのスパンで、いずれ何かの形でアウトプットできたらいいな、とは思っている。
ただ、そういう設定を連想した元ネタとして弐瓶勉の作品、特に『BIOMEGA』を挙げておきたい。これは、上記とは逆の話で「奇形的に発達した科学技術に侵食された世界で繰り広げられるファンタジー的冒険」なんだが、弐瓶氏の作品をいくつか読んで「ああ、この人は本当は正統派ファンタジーがやりたいんじゃないかな」と気づいたことがきっかけ。
下手すると自殺しますよ。
http://d.hatena.ne.jp/unsui456/20100218見て夏目漱石が統合失調症であるという事を知り、
昔からなぜか病気になりたいと思っていた。多分中二病。私は特別なんだとかそういう。
思い返せば、病気(風邪)になれば母親から優しくされるからか、なんかの病気になりたかったのかもしれない。
もしくは小学生の時に隣に養護学校が隣接されており、養護児童との接点があった。
彼らは確かに見た目は奇異ではあるがゆえに、周りから優しくされて少し楽に生きているように子供の目には写ったのかもしれない。
始めから変人を目指す自分がいたのかもしれないが、その辺は定かではない。
そして最近人生がうまく行かない。自殺しようかとかよく考えていた。
病気になろうとしているのだからそうなるのは当たり前なのだっていうのは浅はかだと思う。
心の中では本当になろうとしている訳ではない。サボりたかっただけかもしれない。
ただ「私は病気かもしれないな」が重傷化して、発症してしまう思い込み病に近いものであると思う。
病は気からといいますが。
そしてやる気がいまいちでないのを自己診断で鬱だとかADHDだとかそういうものであると思っていたのだが、
最近世界とうまく行かないと思っていたら、統合失調症に近いものに陥っていることに気がついた。
今までの価値観(人間として大切な所)や大切なはずのものがどうでもよくなってくる。
この世界感の崩壊は体験した人間にしか分からないのかもしれないけど、
serial experiments lainの主人公の行動に共感が持ててしまいます。
ただ以前視聴した大分後にそう思ったわけで、私が影響されやすいだけなのかもしれません。
一番怖かったのは、自分の思っている事が相手に伝わってしまう「気がする」(※本人は100%伝わったと勘違いしている)という症状だ。
脳内で言葉(脳内音声)として文章化して物事を考えている場合にそれが人に丸聞こえになってしまう、と周囲の状況から判断してしまった。
まさにサトラレ状態。
それに気がつき(勘違いし)パニック障害に近いものも発症していた。
病気の状態を調べている最中にも、精神科の世界では便宜上「そういう気がする」に押さえて伝えておかなければ、
自分の意思を周囲にまき散らして迷惑をもたらすからだ、と思ってしまった。
そんなことが伝わるはずがなく、自分の思い違いである、という認知が狂ってしまうことで、
一旦これに陥ってしまうとなかなか抜け出せない。全ての事が思考が伝達した結果であると感じてしまう。
そうすると自分の思っている事がちょっとした考え事が何か大それた物であるとか、人にどう思われているかとか、
そういう事ばかり考えるようになって、その結果、幅広い視線で物事を考えられなくなったり、世間の人間が汚くみえてしまった。
ただ幸いにも人が助けてくれてるのかなという感覚はあった。
次にmatrixではないが、聖人君主の資格をもった救世主を探して周りの人が行動しているようにみえた。
そして人間は実は脳内音声が聞こえている生き物なんだと自分に理解させ、人間になるように諭される。
そして自分に少しでも救世主の資格がないと発覚すると、汚い人間性を持った俗人になるように誘惑され、
志のない一般市民への転落へと陥れようと画策しているかのように人間が見えた。
以下妄想垂れ流し。
統合失調症は根本的な思考方法パターンが異なっているだけの人種だのだと思う。
http://blog.goo.ne.jp/mit_sloan/e/fe5d47a4094d72a271d6de0c7980bc6aのようなSとN、みたいな。
でも実はこれは誰にでも備わっている能力であると思う。
今ではパニックを少し抱えつつ冷静に落ち着いて行動をしているけど、普通の自然体が言葉で思考する人種にとっては黙っておけというのは難しい。
(※黙っておけ=お前の脳内音声が聞こえるからうるさい、と言われている気がしていた)
音が気になる人は、別にそれは小さな音なのだから騒音として聞き流すか、音楽でもかけていれば気にならなくなるはずだろう?
仏教や禅の精神では心を無にするのが落ち着くと考える人がいる。特にそれが盛んな地域では、他者の生み出す意識の流入が嫌われる。
なのでそういう宗教の人は、統合失調症を発症した人間に対して「何か悩みがあるのだろう」と優しく語ってくれるのだが、
決して悩みがある訳ではなく単にそういう考え方の脳を使うスタイルであることを理解してもらいたい。
心を無にしても無の境地があるだけで、何にも新しいものは生まれてこないと思う。ただ生み出しやすくはなるけど。
誰もいわないけど、「心の声」や一種の「テレパシー」は存在するのではと考えている。
オカルト的なものではなく、脳からマイクロ波が飛び出し周囲に伝搬する「フレイ効果」というもので、
脳内音声は他人に聞こえるのではないかというのが私の見解。これが自我という奴なのか?それを知っているのが普通なの?
この事は大人の対応として誰も言ってくれないんだが、逆にこれを言うとオカルト扱いされるというレトリックもある。
「電磁波ハラスメント」というものも出てきているくらいに、人が密集した地帯では深刻なものになりうる。
脳内での受信部位であるミラーニューロンが発達した人々の間では耳障りな音がするらしい。
これは自閉症スペクトラムの中で自閉気味にある人間には、聞こえないか聞こえても無視できるくらいの音声、もしくは人間的な度量があるのかもしれない。
こういった自閉症のようなマイノリティーが病気として追いやられ自殺に追い込まれるという社会は終わりにしたい。
私の頭がおかしいのだけなら、そんなこと(脳内音声が伝わる事)はないと言ってもらいたい。
逆にそうでなければ自分がおかしい、病気だぞという方向におさえこまれる意味が分からないからだ。
こんな感じで、ちょっと冷静になってみると訳の分からない理論を勝手に唱えていました。
一旦統合失調症の発症に気がつくと、実は人間という存在は全てが脳の思い込み刷り込みの産物でしかない事に気がつく。
人類が作ってきた歴史や文化そのものが、特定の価値観があるんだよという刷り込み。
感受性豊になると世界がカラフルに見え、恋愛をすると世界が輝いてみえるように、世界は白黒で無価値なものに見えた。
よくありそうな自己啓発などではなりたい自分をイメージしなさいと言われる。このイメージする作業は、人によって脳内の言葉であったり映像であったりするだろう。
そして言葉や映像以外でも、同じように実は人間の5感は自分の意志で脳をコントロールする事ができるかもしれないと思っている。
音声はともかく、味覚や触覚や嗅覚や視覚を実際の入力とはかけ離れてコントロールできる。
ただ再現可能性がないということで科学にはなりえません。自分だけのものとしてうまく使いこなせるようになりたいですが。
スパイラルの底に陥って、どうしても幻聴は外部から攻撃されているんだという概念から離れられず、
自分でやっている事に気がつかないで苦しんでいる人もいるのかもしれないと思うが、
一般に普通とされる人間がそれらの幻覚を自ら進んで実行する脳コントロールをしてみる欲求はあると思うのだ。
ビジネスや自己啓発や美容で用いられる思い込みの力は、社会的にプラスに作用する方向に使うからいい。
これを自分の感じる感覚が無意味であるものとする方に作用していくと、精神的に荒廃した人間が出来上がる。
無意味であるとはどういう意味であるかというと、例えば痛覚。これを遮断するように脳に働きかけると、痛みを感じなくする事ができる。人間はヤバいときには、沈痛作用の脳内麻薬を分泌して本能的にそうやっている。
これをやっちゃうともう後には戻れない所にくる。私の予想では、後に戻るには赤ん坊か精子の時からと同じ道順をたどってこなければいけない。
ただ人にはそういう精神的な所に気がつかずに生活してきたベースとなるそれぞれのパーソナリティーはあるにしろ、
反社会性をもったパーソナリティーは排除されるように教育がなされている。
自分は連続殺人犯だとかの反社会的パーソナリティーの気持ちも別に分からない気はしない。
やっても得になる欲(興奮)が欠落しているのではなく、それを理性によって閉じ込めているだけかもしれない。
頭で考える事が出来たからといってすぐに犯罪に結びつく訳ではない。人間には理性がある。
行動しなければ何を考えても自由であるはずだ。少なくとも日本では内心の自由が保証されているのだし。
人間は一人で生きていく存在ではないとよく言われる。
これはまぎれもない事実であるかどうかは分からないが、社会のベースとなる考え方だと思う。
だからその考え方を元とすれば、どうやっていけば(障害者も含めた)社会全体がより良い物になっていくかを考える事が可能であると思う。